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2008年08月01日

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来

■ 書籍情報

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来   【国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来】(#1289)

  富田 俊基
  価格: ¥6300 (税込)
  東洋経済新報社(2006/06)

 本書は、「国債の誕生に遡って、その本質を明らかにし、各国国債の間の金利差が物語る過去を振り返って、わが国の未来に向かって投げかける光を見出そうとするもの」です。
 著者は、国債の歴史を調べる中で、
・ナポレオン戦争時のイギリスとフランスの国債金利はイギリスのほうがはるかに低かった。
・アメリカ南北戦争では、国債の価格を金で表示すると、北部政府の国債の方が金利が低かった。
・第二次大戦中、日本とドイツが戦前に発行したポンド建て国債は、両国のデフォルトと敗戦を予想するかのように、高い金利がついていた。
など、「非常に興味深い事実」を挙げ、「国債金利が戦争の帰趨を予測したり、政府の正当性までも見通していた」ことを指摘し、「国債市場を通して歴史との対話をはじめ、国債を期限から掘り起こし、その本質に迫る」ことによって、「国とは何か、貨幣とは何かという問題を考えることもできる」と述べています。
 そして、国債市場が、「その国の歴史を見事に映し」、「不確実な未来についての人々の変わり行く展望が国債価格に刻み込まれ、その国の未来をも見通そうとしてきた」と述べています。
 序章「市場の警告」では、「国債は、その国の中では、最も信用力が高く最も安全な負債(金融資産)であるので、最も低い金利がついている」とともに、「国際金融市場では、最も信用力と流動性が高い国の国債の金利を基準として、各国の国債金利に信用力に応じた金利差がついている」と解説しています。
 そして、日本国際の金利に、「リスクプレミアムを求められている」にもかかわらず、「歴史的な低水準で推移している」理由について、
(1)市場参加者が将来にわたる短期金利の期待値を下方に修正してきたことの反映
(2)日本銀行の時間軸政策によって、将来の短期金利と期間リスクとが抑制された
の2つの仮説を挙げています。
 著者は、「国債金利にリスクプレミアムが上乗せされることの意味を解明するには、まず国債とは何か、国債の信用は何によるものであるのかが明確にされねばならない」と述べています。
 また、国債の流通市場が、「満期が設定されていない永久債で、政府が償還のオプションを持つ利付国債」である「コンソル」の誕生によって、大きな進展を遂げたと述べています。
 さらに、日本において、「21世紀を迎えても、こと国債と国内貯蓄に関しては、依然として閉鎖経済の考え方が根強く残っている」ことについて、「長かった閉鎖経済の強烈な経験から考え方の体系として固まった思想というべきものかもしれない」と指摘しています。
 第1章「イギリス国債の起源」では、権利章典において、「国王の立法権と司法権が制約され」るとともに、「議会の同意によらない国王大権による資金集めは違法である」として、「課税には議会の承認が絶対に必要であることが定められた」と解説しています。
 そして、1692年に、議会が、「国債に関する最初の法律」を成立させ、「国王の借金に対する議会による保証が、法律によって明示的に付与され、国民の債務つまり国債が誕生した」とともに、1694年に「9年戦争の財源調達法(トン税法)」が成立し、イングランド銀行が創設されたことを解説しています。
 第2章「コンソルの誕生」では、イギリスにおいて、「新たに国債を発行する場合には、それが戦費の調達が目的であっても、また短期債務を国債に整理するためであっても、その利払いの担保となる恒久的な税が必要となる」ため、「戦争のたびに、またその直後に幾種類もの新しい物品税が導入された」として、コーヒー、茶、書籍、トランプ・カード、塩などに新税が課税されたと述べています。
 また、1751年に、「9種類の3%国債の利払いを減債基金から行うこととし、これらの914万ポンドを3%コンソル(Consols Threes)とした」ことについて、「利払い日の統一と、イングランド銀行による一元的な流通管理によって、コンソルの市場流動性が著しく高まった」と述べ、「3%コンソルはこの後発行された国債の主流となり、18世紀末までに最大ロットの銘柄となり、国際市場で活発な取引が行われた」と述べています。
 第3章「アムステルダムの外債市場」では、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)について、「ユトレヒト同盟諸州の商人たちが私有財産権を保護し、規制行為を抑制する支配者に対して議会を通じて税を支払い、これらの制度の下で競争が促されたので、結果的にオランダは持続的な経済成長を達成した最初の国になった」地和尚開始、「交易の量が増大するにつれて規模の経済性が働き、それがオランダ経済の主要な原動力となった」と解説したうえで、商業に加え、「金融面においても世界で卓越した機能を果たしていた」として、「ヨーロッパ金融市場の中心地アムステルダムは、低金利を背景に外交貿易に対してだけではなく、外国政府にも資金を供給」され、「各国の国債金利には、信用力格差が反映されていた」と述べています。
 そして、アムステルダムでの外国債の信用評価の方法について、情報が不完全であった時代の投資家は、新顔債を、「買い手が十分な情報を持っていない商品」である「レモン」と見なし、「新顔債に対しては既往銘柄にリスクプレミアムを上乗せした高い金利をつけ、元利償還が確実に行われたか否かを10年以上にわたって監視するという方法をとったのではないか」と解説しています。
 第4章「ナポレオン戦争で試された英仏の国債市場」では、ナポレオン戦争における戦費調達に関して、「両国の戦費調達の方法は極めて対照的であった」として、「戦費をインフレ的にファイナンスしたのは、フランスではなくイギリス」であり、「イギリスは金兌換の停止に追い込まれ、大量の国債を発行し、物価上昇とポンド下落に見舞われた。一方、ナポレオンのフランスは戦費を国債ではなく税金でファイナンスし、金銀本位制を維持した」と述べ、「それは長い歴史の中で形成されてきた両国の国債に対する信任の差に起因するものと理解することができる」と指摘しています。
 そして、ナポレオンが、「国債不発行の方針を貫き、金銀複本位制を維持した」にもかかわらず、「国債を低い金利で大量に発行できるほどにはフランス国債の信認が回復したわけではなかった」ことを指摘しています。
 第5章「ヴィクトリア朝の黄金期」では、「ヴィクトリア朝時代にイギリスの国債市場は黄金期を迎えた」として、その背景について解説しています。
 そして1877年に、ディズレイリ政権のノースコート蔵相が、「大蔵省証券(Tresury Bill)法」を成立させ、「その形態は、シティの市場関係者の要請を受け、割引形式とし、満期は1年以内で通常3ヶ月で、入札による発行と定められた」と述べ、「財政運営と金融市場の双方の要請をうけて、TBの発行量は増大し短期金融市場の中核を占めていく」が、「TBが公開市場操作に用いられ、金融政策上大きな地位を確保していくには、第一次世界大戦以降まで待たねばならなかった」と解説しています。
 第6章「南北戦争:グリーンバックとグレイバック」では、南北戦争期のアメリカを、「多様な政府債務が多数登場し、およそへ維持では観測できない現象が発生し、あたかも経済の実験室のようであった」と述べています。
 そして、南部政府の発行した国債の価格が、「グレイバック紙幣の大増刷と内戦の大混乱」の中においても、「極めて安定した推移をたどった」が、「金価格で表示した南部政府の国際の価格は大暴落しており、金利は実に200%を超えて上昇していた」と述べています。
 第7章「明治政府と国債」では、維新当時、「多様な貨幣や藩札が流通しており、しかも海外の金銀比価の動向にも左右され、幣制は著しい混乱に陥っていた」とともに、「新政府の財政は旧幕藩の累積債務の処理、武士への家禄支給という巨額の歳出要因を抱えた一方、税は現物納であり、徴税権は全国石高の3割にも達しない直轄地にしか及んでいなかった」と述べています。
 そして、「旧藩債の処理や秩禄処分など旧体制解体と、政府紙幣の整理、銀行の創設、殖産興業などわが国経済の近代化のプロセスは、国債と極めて密接なかかわりをもって進展した」と述べています。
 また、円の誕生について、金本位制とした理由として、
・欧米主要国での潮流
・1両(万延二部金2枚)が1アメリカ・ドルにほぼ等しいこと
・「両円対当」とすることで1両=1円という読み替えで新通貨に移行できるという連続性を保つことができる
などの判断によるものであったと推測しています。
 さらに、日本が初めて国債を発行したのが、1870年4月23日(明治3年3月23日)であり、「九分利付英貨公債」が、「国内においてではなく、ロンドンでポンド建てで発行された」と述べ、同年のイギリスのコンソル金利が年平均3.24%であったのに対し、「日本国際に極めて大きい信用リスク・プレミアムが求められた」理由として、「国際金融市場ではニュー・フェース(新顔)の国債は外見からはないようが判断できない『レモン』とみなされ、既往銘柄よりも高い金利を求められたことに照らして考える必要がある」と述べています。
 著者は、明治政府が、「わずか10年近くの間に、地租改正と新地税の導入、秩禄廃止と金禄公債の交付という、歳出入両面の構造改革を成し遂げた」ことについて、「西南戦争前に経常的な歳出入の均衡を実現した」と述べています。
 第8章「ロンドン外債市場」では、「19世紀半ばから第一次世界大戦が勃発するまでの間は、財貨、資金、労働力が国境や大西洋を自由に行き来したグローバル経済の時代であった」として、「巨額の資本移動が持続」し、「ロンドン市場はいかにして卓越した地位を築いた」のかという問題について、「各国の国債に求められた信用リスク・プレミアムに着目」し、「ヨーロッパ主要国の国債市場と債務国の資金調達など」を論じています。
 そして、1848年のパリ二月革命で、「ヨーロッパ大陸の国債市場は19世紀最大規模の同様に見舞われた」が、「イギリス国債の金利だけは低下していた」ことについて、「ヨーロッパ大陸の投資家は、既に1832年に賛成権を拡大し、46年に穀物条例を廃止していたイギリスに革命が波及することはありえないと確信し、ヨーロッパ大陸諸国の国債を売却して、イギリス国際に資金を逃避させたもの」と類推しています。
 また、ヨーロッパ主要国は1870年以降、他の国々は1890年代以降に、「ネットワーク効果と国際金融市場での『承認の印象』を求めて、国内政策に厳しい制約を課して、次々と金本位制を採用するようになった」として、「金本位制の採用と国境を越える生産要素の異動とが互いに因となり果となって進展していった」と述べています。
 さらに、「日本での重要な経済改革因は顕著な反応を示さなかったロンドンの投資家」が、「金本位制への以降にはリスクプレミアムの顕著な縮小という形で反応した」点について、「金本位制はさまざまな国内改革の集大成であり、将来にわたって財政金融政策を規律づける役割が期待できること、そして、投資家にとってはこれらの事情を集約的に示すきわめて簡便な指標であったということができよう」と述べています。
 第9章「ワイマール共和国のハイパー・インフレーション」では、第一次大戦旧戦後のドイツが大戦前の1兆倍というハイパー・インフレーションを経験したことについて、その発生と収束について、「賠償金の支払いをめぐる国際交渉がインフレ期待に与えた影響」を中心に検討しています。
 第10章「帝政ロシア国債のデフォルト」では、「ソビエト政府によるデフォルト宣言にもかかわらず、帝政ロシアの国債価格は即座に暴落しなかった」問題について、「ソビエト債務履行拒否のパズル」と名付けられていることを紹介したうえで、「ロシアに対する最大の債権国であったフランスにおけるソブリン・デフォルトに関する過去の経験が、フランスの帝政ロシア国債の保有者にデフォルト宣言後もそれが撤回され、部分的であっても債務が履行される可能性を抱かせたものと考えられる」と解説しています。
 第11章「イギリスの5%戦争」では、19世紀のコンソルを中心とした政府の資金調達における「大変化」について、
(1)大蔵省証券の発行と中央銀行借入れに加えて、政府紙幣も発行されたこと。
(2)TBの発行方法が、1877年から採用されてきた価格競争入札(テンダー方式)から、一定の金利で常時売り出すタップ方式に変更されたこと。
(3)期間3~10年の国庫債券、国民軍事債券と呼ばれた中期国債が発行されたこと。
(4)長期国債の発行に際しては、利子課税や相続税の減免や、後から発行される国債に乗り換える権利などの恩典が付与され、国債が発行されるたびに条件が投資家に有利となったこと。
(5)国民軍事債券や戦時貯蓄証書などの形で国債の個人消化が促進されたこと。
(6)ドル建てや円建てという外貨建てのイギリス国債が初めて発行されたこと。
の6点を挙げています。
 また、第一次世界大戦後に、「国債の累積が続き、その負担が著しく増大した」にもかかわらず、「イギリスは、名誉革命以降の伝統を守り、デフォルトを起こさなかった。しかも、景気後退の中で高金利政策を採用し、1925年5月に金本位制に復帰し、すべての債務を旧平価で償還することにコミットした。その後も、金本位制を維持するための緊縮的なマクロ経済政策を採用した」理由について、「第一次世界大戦後に国際金融市場におけるロンドンの地位がウォールストリートに脅かされ、ポンドとコンソルの信任向上がかつてないほど大きな課題とされたから」であるとする仮説を紹介しています。
 第12章「ポワンカレの奇跡」では、ハイパー・インフレーションの瀬戸際にまで追い込まれたフランスが、「26年7月23日にポワンカレが政権に返り咲き、危機は急速に収束に向った」ことについて、「ポワンカレの二度目の安定化策には、財政黒字化、金利引き上げに加えて、次から次に満期を迎える政府短期証券の整理のための方策が盛り込まれた」として、「政府から独立した金庫が、タバコ専売益金などの特定の財源を担保に長期債を発行して、政府短期証券を償還するという方法」を挙げています。
 また、「ポワンカレが政府債務と為替減価の問題を直接に取り扱うのではなく、信認回復に向け」、
(1)資本課税を否定した抜本的な税制改革
(2)フランス中央銀行が公定歩合を引き上げ、通貨当局がフラン安定化に望む断固たる姿勢を明確に示した。
(3)市場に累積し次々と満期を迎えるディフェンス・ビルの整理を進めた。
の3つの政策を採用したことが、安定化に大きな効果を持ったと述べています。
 第13章「国債の日本銀行引受」では、「日本とドイツの国債金利は統制によって、見かけ上アメリカやイギリスの金利との連動性を強めたに過ぎない」ことを指摘し、「主要国の国債金利が連動性を高めたので、日本での資本流出規制は機能しなかったというのは、因果の読み違えといわねばならない」と述べています。
 また、1937年の日中戦争勃発により、「四分利付英貨公債の金利はふたたび10%を突破」し、日独伊三国同盟が締結された40年9月には21%に上昇したことなどを挙げ、
「ロンドン市場では、わが国の敗戦とその後のインフレを予想していたかのように、日本国際はジャンク・ボンドに墜ちていた」と述べています。
 さらに、「金本位制の下では機能していた財政規律メカニズムが、金本位制の離脱とともに失われた。あるいは、自由な資本移動が停止されて財政節度を失ったといった方が性格かもしれない。そして、いったん始まった国債の日銀引受が財政節度を弛緩させ戦費調達を促進し、歯止めのない国債の増発、戦争の拡大、そして戦後のハイパー・インフレーションに繋がっていった」とする鎮目の指摘を紹介しています。
 第14章「ナチスの国債」では、「物価と賃金の統制が次第に強化され、物価は外見上安定を保ち、貯蓄が増大した」ことについて、「ナチスの大々的な反ユダヤ等のプロパガンダによってハイパー・インフレーションの記憶が薄れ、国民が貨幣錯覚に陥ったためと見ることもできる」と述べた上で、「大量の国債が発行され、終戦時には国内金融資産の95%を国債が占めた」と解説しています。
 そして、ヒトラーが、巨額の戦費調達のために、「資本移動を規制して資本逃避を防ぎ、国内では民間投資を制限した。消費財の生産が抑制されたので、国民は消費の機会を制約された。このため貯蓄が金融機関に積みあがり、政府は国際を金融機関に直接発行した。さらに、政府は国営化された中央銀行から無制限にファイナンスすることができた」と述べ、「巨額の国債が物音一つ立てずに消化」されたとしています。 著者は、大量の国債が、「公営金融機関と民間の銀行や保険会社によって直接に消化され」、「市場での金利上昇、増税に対する国民の反発、そして国債を強制的に保有させることに伴なう心理的抵抗を回避し、『物音一つしない』、『円滑な方法』で大量の資金が調達された」と述べ、「こうして大量の国債が、低い金利で閉鎖経済の中に詰め込まれていった」と指摘しています。
 また、「ヒトラーが政権を掌握して以降の内国債の金利低下とポンド建てドイツ国債の金利上昇」が、「満州事変勃発以降のわが国の内国債とポンド建て国債の関係に極めて類似している」ことを指摘しています。
 本書は、国債の金利という指標の一つを追うことで、国際政治に対する市場の冷徹な観察を明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、市場というメカニズムが、世界の知恵を集める上で、いかに人智を超えた能力を発揮するかをまざまざと見せ付けられる気がします。
 『みんなの意見は案外正しい』ではないですが、市場が持つこの能力を、現実に近い形でわかりやすく解説する理論はないものでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・国債は利率も低いし、あまり面白くないと思っている人。


■ 関連しそうな本

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■ 百夜百マンガ

のたり松太郎【のたり松太郎 】

 相撲取りは、技や体格があるのはいいに超したことがありませんが、「怪力」という字に現れている「怪しげ」な感じが人をひきつけるのではないかと思います。


投稿者 tozaki : 2008年08月01日 21:00

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