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2008年08月13日

晴れた日は巨大仏を見に

■ 書籍情報

晴れた日は巨大仏を見に   【晴れた日は巨大仏を見に】(#1301)

  宮田 珠己
  価格: ¥1,680 (税込)
  白水社(2004/06)

 本書は、日本中に数え切れないほどある大仏のうち、「40メートル以上のものにしぼって無節操に観光して回る」もので、著者は担当編集者から、「日本について、人があまり相手にしないような呆れたテーマで何か書きませんか」とお題を出され、真っ先に、「マヌ景」(日本中にはびこるマヌケな風景)、なかでもとくに巨大仏が思い浮かび、「巨大仏のある風景のおかしみについて書いてみたい」と即答したと語っています。
 第1章「牛久大仏(茨城)」では、牛久にある高さ120メートルの日本一の巨大仏について、「そんなにデカくして何のメリットがあるのかわからないが、メリットがあろうとなかろうと面白ければいい、というのがこの巨大仏旅行のコンセプトだ」と語っています。
 第3章「北海道大観音(北海道)」では、この大観音が、≪北の京芦別≫といって、「ホテルや宴会場などが一体となった複合レジャーランド」を形成し、宗教法人の経営ではなく、最初から「大観音=レジャー、という明快な図式で運営されている」ことを指摘し、「レジャー観音」とネーミングしています。
 また、「大観音の額にあるウルトラセブンのビームランプのような穴と、頭部から放射線状に広がった光背。それらを含めた風景全体が、何となくピンボールの盤面をも思わせて、ポップであった」と述べています。
 著者は、巨大仏を、「仏なんだけど、ぬっとする感触を呼び起こす巨大な建造物である点で、カミ的である」と述べ、「神だ仏だという以前に、坂口安吾の言う『生存それ自体が孕む絶対的な孤独』あるいは、世界があること自体の怖さがまずそこに感じられる」と語っています。
 第4章「加賀大観音(石川)」では、「巨大仏旅行も、巨大仏への信仰心でやっているわけではなく、なんかこう、場にそぐわないことの魅力というか、そこにある奇妙にズレた感じを面白がっている」トン述べ、「観光地としてはダメだけど、そのダメさがいい、というような転倒した愛」、「ダメさと楽しむ」。「ズレたモノヤ、アメな風景など、これまではどちらかというと否定的にとらえられていたそれらのモノや場所を、肯定的に楽しむ」として、「巨大仏のある風景から受ける、名状しがたい感触の中には、"ぬっとある"不気味さのほかに、このようなズレへの共感が含まれているのはまちがい」ないと語っています。
 そして、「常人には、それがそこにある必然性がまったく感じられず、それどころかその存在が周囲とあまりにズレているために、笑いさえ発生してしまっているような風景」を「マヌ景」と名付けています。
 第5章「高崎白衣大観音(群馬)」では、「巨大仏に期待される役割」が、「救い→驚き→笑い」に変化したとして、「万博から30年以上過ぎた時代を生きるわれわれにとって、他に巨大仏を訪れるどんな理由があるだろう」と語っています。
 第7章「会津慈母大観音(福島)」では、「見た感じ、まだ16いっていない」この観音様の顔が、『THEかぼちゃワイン』に出てくる「エルちゃん」に似ている、と指摘し、「アニメのキャラクターを連想させる観音さま」、「端的に言うと、ロリっぽい」、「観音さまが巨大であるだけに、その表情の幼さがかえって異様に見えた」、「子供体型、子供顔で巨大化されると、この世のものでない感じがいっそう強まる」と語っています。
 第8章「東京湾観音(千葉)」では、「東京から近いにもかかわらず、なぜかその存在はあまり知られていない」としたうえで、「大観音は、身近に高い建物もなく、スカスカした青空をバックに、現実感が希薄な感じで立っていた」と述べ、「まさに、火星に着陸したらいきなりそこに謎の遺跡が! みたいな、『ミッション・トゥ・マーズ』な風景である」と述べ、「ここには、ズレや違和感とはまた違う懐かしい異郷感のようなものがあった。巨大仏というのは、風景の調和をどれだけ乱しているかによって、その味わいの深さが決まると思っていたが、こうして単体で立っているだけでも十分に何かをかもし出すようだ」と語っています。
 そして、「世間一般のルールや価値観に乗らないという意味」で、「負け組」という言葉を使い、「脱線したり、錯綜したり、ルールで割り切れない風景が好きな人は、社会のルールに乗らない、という意味で負け組なのだろう」として、「巨大仏が面白いと思うとき、それは本来の宗教というルールを外してみているからいいわけで、真剣に信仰心で見ろ、と言われたらきっと興味がなくなるように思う」と述べています。
 第9章「釜石大観音(岩手)」では、もともと、地域の津波被災者慰霊のために建立されたこの観音さまが、「消化不良に終わった」原因として、「この観音さまが、なぜここにこんなものがあるのか理解に苦しむ、という奇抜なシチュエーションになかったからだろう。風景にズレがないのだ」と指摘しています。
 そして、「モノは、その意味を剥奪されたときに、"ぬっとあるもの"になるのだ」と述べ、「『マヌ景』を見るという行為の中には、"ぬっ"とある感触が、もともと内包されていたということができる」と解説しています。
 第12章「太陽の塔(大阪)」では、岡本太郎が、エッセイ『日本の伝統』の中で、
「だいたい、本来の目的を失って投げ出されたものというのは不可思議であり、一種の魅力を持っています。これはたしかです。だが、それを『物』として、そのまますなおにうけとめればよいのですが、妙に『神秘化』したり、いろいろとこじつけて納得しようとする。卑弱な精神のコンプレックスです」
と語っていることを紹介しています。
 第13章「最後の巨大仏めぐり」では、「いっそのこと全国の巨大仏のある16ヶ所を結んで、巡礼でも組めば、観光客が増えるのではないだろうか」として、「現時点ではまったく観光客に相手にされていない巨大仏でも、人は88ヶ所とか33ヶ所とか数字をあらかじめ設定されると、ついそれを巡ってしまう」と述べています。
 本書は、全国の巨大仏マニアの皆さんにとってはもちろん、巨大仏には興味をまったく持っていない人にとっても新たな発見を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私自身、本書でも紹介されている巨大仏に常に見下ろされながら育ち、それがあるのが当たり前の環境の中で育ちましたので、本書で指摘されている違和感はあまり感じていなかったのですが、よくよく考えてみると全国的にも特異な環境で育ったのだということを自覚しました。


■ どんな人にオススメ?

・巨大仏のある生活が想像できない人。


■ 関連しそうな本

 藤田 洋三 『世間遺産放浪記』 2007年10月14日
 藤森 照信, 増田 彰久 『看板建築』 2008年04月12日
 宮田 珠己 『52%調子のいい旅』
 宮田 珠己 『ホンノンボ―ふしぎ盆栽』
 宮田 珠己 『ウはウミウシのウ―シュノーケル偏愛旅行記』
 宮田 珠己 『ジェットコースターにもほどがある』


■ 百夜百マンガ

よいこの星【よいこの星 】

 作者は千葉県出身ということで、この間高校生向けの進学情報の千葉県特集号で見かけました。作品に登場する学校の風景も、千葉県らしいものがあるかもしれません。


投稿者 tozaki : 2008年08月13日 06:00

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