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2008年09月14日

「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち

■ 書籍情報

「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち   【「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち】(#1333)

  坂部 晶子
  価格: ¥2415 (税込)
  世界思想社教学社(2008/03)

 本書は、「『満洲国』で暮らした人びと、植民した側である日本人と、植民された側である中国人双方の、当事者たちの植民地経験を題材として取り上げ」、
(1)当事者の記憶を通して、植民地における人々の生活世界を再構成すること。
(2)これらの当事者たちが、それぞれ尾の植民地経験をどう位置づけているのかについて、また彼らにとってその経験がどのような影響を与えたのかについて考察していく。
(3)これらの分析を通して、植民者─被植民者のそれぞれにおける植民地の記憶の形を取り出し、比較考察していく。
の3点をもくろんだと述べています。
 第1章「支配のためのレトリックの行方」では、「日本の持った植民地経験の一つのケーススタディとして、日本人の『満洲』への植民地経験」をと仕上げ、「なかでも実際に『満洲』へ渡っていきそこで暮らした人びとが、戦後日本へ引き上げてきた後に、その『満洲』での経験をどのように記憶し、表象しているのかを分析していく」と述べています。
 そして、植民者自身による「満洲」経験の語りについて、
(1)「満洲」当地の当事者たちによる回顧集という形態をとるもの。
(2)マスター・ナラティヴを志向するような語りから区別される、植民地の日常生活を表現する語り。
(3)自らの植民地経験の構造的定位と、植民地の日常性への回顧の狭間で揺れ動くさまを示す一つの記憶として、文芸同人誌『作文』における「満洲」経験の語りの変遷をみる。
の3種類に区分しています。
 第2章「喪失した故郷へのノスタルジア」では、「『満洲』を経験した日本人が表出する植民地の日常性の語りに焦点」を当てるとしています。
 また、「満洲」の同窓会の活動が、「戦後日本社会での『生活のための共同性』をもつものではなく、また体外的なアピール性の強い『記録のための共同性』を示すものでもない」として、「一言で言えば、『満洲』時代の彼らの日常生活の思いでそのものを語り合うための場所であり、そこで培われる絆は『想起のための共同性』を示すといえるのではないか」と述べています。
 第3章「慰霊というコメモレイション」では、「農村部への移住者である『満洲』移民の語り」を取り上げています。
 そして、「開拓団の慰霊碑が、『満洲』開拓の偉業を記念し、ナショナルな語りへと収束していく傾向」を挙げています。
 また、満洲からの「逃避行」の経験を語ってくれた引揚げ者の「語り」の中から、
(1)逃避行の最中に多くの開拓団員を見殺しにしてきたこと、それをその家族に伝えることの困難。
(2)中国人と結婚した、中国の家庭に入ったということを村へ伝えることの困難。
などの点を挙げています。
 第4章「抵抗と被害の記憶のコメモレイション」では、かつての「満洲国」の領土の大部分を占める現在の中華人民共和国東北地区において、「当時の植民地経験がどのように記憶され、表象されているのかについて、植民地経験のコメモレイション、記念化の様式を通してみていく」と述べています。
 著者は、「中国東北地区における植民地期にかんするコメモレイションのあり方を取り上げ、その形式の変遷を実証的に追いかけてきたのは、そこに満洲国に関する植民された側の人々にとっての集合的記憶の一端が示されていると考えるから」だと述べています。
 第5章「被害の記憶の聞きとり実践」では、「中国社会における『満洲国』にかんする歴史の記述と、それぞれの当事者の記憶とのかかわりについて」考えるとしています。
 そして、「『満洲国』という植民地支配の歴史プロセスとめぐって、植民された側である中国東北社会における植民地経験の記憶を主題とする」と述べています。
 また、「いくつかの回想や証言から『満洲国』当時の日本人にとっての中国人労働者増を再構成してみれば、それは植民地に暮らした日本人にとって日常的に付き合いのあった個人というよりも、むしろ充足されるべき労働力、過酷な肉体労働に耐えうる『苦力(クーリー)』としてイメージされていた」と述べています。
 さらに、本章で見てきた「東寧の労働者たちの記憶」が、「中国社会のナショナル・ヒストリー」と「齟齬しない形での、地域における集合的記憶の諸相であった」と述べています。
 第6章「個人的な記憶の語り」では、「中国社会における植民地経験に関する集合的記憶の強調点となっているのは、多くは抵抗戦争のために犠牲になったヒーローを称揚するものか、あるいは大規模な集団的な被害の記憶にかんするものが多い」とした上で、「このようなナショナル・ヒストリーからこぼれおちるような、個々の人々の経験は、どのような場面で、どのように見ることが可能なのだろうか」と述べています。
 そして、「東寧県で収集され記憶されてきた『満洲労工』の被害の記憶は、当地における地域の記憶の枠組みとして、人々の経験を統合しひとつの定型的な語り口を構成している」とした上で、「植民地経験の中の個別化された経験は、そのひとつひとつの断片は、個々人の来歴を語る雑多な情報に過ぎない」としながらも、「植民地経験に関する大きな物語とは距離をとった、このような記録化の末端の現場にも目を向けてみることは、『満洲国』という一つの歴史的プロセスを、当事者たちの多様で個別の始点を確保するために必要なのではないだろうか」と述べています。
 本書は、現代では大きな声で語られることの少ない、「満洲国」についての、語りにこだわりにこだわった一冊です。


■ 個人的な視点から

 ブラジルやハワイへの移民にも共通するのですが、満洲からの引揚げといったときに、そもそも、満洲に開拓団として送り込まれた人たちが、そもそも食い詰めた寒村であるために、日本の引き揚げてきてもそれを養うだけの土地がなく、結局、戦後国内の新たな開拓地に向かった人も少なくないようです。前に、富士の裾野への開拓について、毎日新聞の静岡県版で読んだ記憶があります。


■ どんな人にオススメ?

・満洲といってももはやピンとこない人


■ 関連しそうな本

 山室 信一 『キメラ―満洲国の肖像』 2006年01月13日
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 小林 英夫 『「日本株式会社」を創った男―宮崎正義の生涯』 2006年01月02日
 小林 英夫 『満鉄―「知の集団」の誕生と死』


■ 百夜百音

NHK クインテット~アラカルト~【NHK クインテット~アラカルト~】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2005

 顔では笑っていても、目が怒っている人というのはいるものです。そういう人が苦情電話に対応しているのを見ていると、言葉遣いは丁寧なのですが、電話で見えないためか、顔はものすごく怖くて、この人は怒らせてはいけないと感じます。竹中尚人の「笑いながら怒る人」よりも怖いです。

投稿者 tozaki : 2008年09月14日 06:00

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