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2008年09月25日

現代コミュニケーション学

■ 書籍情報

>現代コミュニケーション学   【現代コミュニケーション学】(#1344)

  池田 理知子
  価格: ¥1890 (税込)
  有斐閣(2006/05)

 本書は、「いまだに漠然としたイメージでしか語られていない」コミュニケーション学についての「混乱した状況を整理し、コミュニケーション学の持つ可能性を探ろう」としたものです。
 序章「コミュニケーションと権力」では、従来、「単なる『技術』や『コミュニケーション能力』の問題として」考えられう、「コミュニケーションのノウハウを追求する解説し終始」していた「コミュニケーション」という概念が保持する前提から脱却し、「コミュニケーションという概念の持つ可能性を探ることを目的としている」と述べ、「現代コミュニケーション学にとって避けることができない『権力』という概念を紹介し、コミュニケーションとの接点について」概観するとしています。
 そして、「戦略的な配置が組み込まれた規律方権力の装置を批評する」には、「権力による2つの暴力について考える必要がある」として、
(1)空虚で抽象的な自由が規律訓練されることにより発動される、身体に及ぶ暴力
(2)権力が自身に向ける暴力
の2点を挙げ、「1つ目の暴力に批評・介入する際、私たちは2つめの暴力に注目しなくてはならない」と述べています。
 第1章「時計時間の支配」では、私たちが「標準時間システムへの恭順を促されるようになったのか、その目に見えない力の作用を明らかに」するとしたうえで、「まわりの世界との余裕を持ったかかわりへと私たちを導いてくれる可能性のある概念として、『間』と『遊』を提示」しています。
 第3章「言語選択と英語」では、「『言語選択=英語』という『常識』を疑い、異文化・国際コミュニケーションにおける言語選択の決定が私たちに何をもたらすのか」を考えるとしています。
 そして、「英語の不利益」として、
(1)自己表現の困難さ
(2)言語差別
(3)コミュニケーションの不平等
の3点を挙げています。
 著者は、「本章で描こうとした権力とは、もはや支配者―被支配者を明確に区別できるものではない」として、「これは支配なき支配」であると述べ、「最も効率的な支配とは『支配しないという形で支配する』こと、つまり、支配されるものが喜んで支配してもらうよう覇権(ヘゲモニー)を発動すること」だと述べています。
 第5章「レトリックと権力」では、レトリックによる支配について、「人々を抵抗できる状態に置きながら、実際には抵抗できない空間を構成する」ことであると述べ、レトリックについて、
(1)説得技術
(2)同一化
の2種類の定義を紹介しています。
 また、古代ギリシャのレトリックの思想的系統として、
・ソフィスト
・プラトン
・アリストテレス
・イソクラテス
の4つの系統を挙げた上で、「現代のレトリック研究は政治的な呼びかけをする装置に賢慮を持って実践的に介入していく。いかにして既存の議論に介入し別の解釈の可能性を見出す頃ができるのか」と述べています。
 第6章「家庭内コミュニケーション」では、「『家庭』らしさに縛られている私たちの姿を明らかにすると同時に、そこからの脱却の可能性を論じていく」としています。
 そして、「大正期以降、人々の間では、次第に子どもを『完璧な子ども=パーフェクト・チャイルド』として育てることが理想視されてきた」とする広田照幸による指摘を紹介しています。
 著者は、「今までも、家族の成員は主体性を持った1人の人間であるとは言われてきたが、むしろ異質な他者である、というところから家族関係を見つめなおした方が、これまで気づかなかった家族の様々な側面が見えてくる」と述べています。
 第7章「ジェンダーとコミュニケーション」では、「自分の性は、社会から与えられた役割を果たすことで、錯覚してしまう可能性があることを示した」のが「ジェンダー」という概念だと述べたうえで、「戦時性暴力とジェンダー・フリーに関する問題の共通点は、日本という国民国家や人間の生き方に関して価値観を戦わすという、文化戦争に関わっているという点である」と指摘しています。
 著者は、ジェンダーという領域におけるコミュニケーション学の役割として、
(1)社会の中で私たちが目撃する「身体」の社会構築性にコミュニケーションが介在していることを、丁寧に記述すること。
(2)私たちが「身体」を忘却しないように、「身体」の所在する場を常に確保する批評を絶え間なくしていくこと。
の2点を挙げています。
 第8章「コミュニケーション教育と権力」では、「特に日本における英語教育の中でのコミュニケーション教育の推進に焦点を当て、国策としての英語コミュニケーション教育が目指すものを検証」するとしています。
 そして、「国内外に抱える不安」に対し、日本が、
(1)内なる社会崩壊の対処として「日本人のアイデンティティを持った日本人の育成」
(2)経済グローバリゼーションへの対処として「英語コミュニケーション能力を持った日本人の育成」
という2つの方向性を持った教育政策で対応しているようであると述べています。
 第10章「テクノロジーとコミュニケーション」では、「同時代性は、特にネーション・ステートの成立・強化に大きな役割を果たすことになった」と述べ、「同時代性による権力を可能にした典型的なテクノロジー」として、
(1)「母国語」の発明
(2)活字ジャーナリズムなどの印刷されたメディア
(3)ラジオやテレビなどの電波によるメディア
の3点を挙げています。
 第11章「メディアのレトリック」では、「メディアは権力作用を媒介する」としたうえで、「メディアの研究は、メディアをテクストとして分析することによって、そのような権力作用と媒介作用を作動させる可能性の条件を明らかにしていく」と述べています。
 そして、映画『マトリックス』を例に挙げ、「支配に権力を与えるのは、支配される人間の側である」として、「支配される側の同意に基づき行使される権力形態を覇権(ヘゲモニー)と呼ぶ。覇権が成立する社会では、権力が一方的に上から行使されるのではなく、支配される側の同意に基づく相互的な権力関係が成立している」と述べています。
 著者は、「複数のマトリックスの存在を知ることによって、われわれはオラクルの脚本の中にほころびを見出し、人類解放という『マトリックス3部作』の解釈を規定する支配的コードを転覆する可能性を見出すこと」ができるとして、「選択の可能性を見出すことによって、支配的なコードに対して対抗的な脱コード化が可能になる」と述べています。
 第12章「多文化主義とコミュニケーション」では、「異文化間のコミュニケーションの問題を、その文化間の関係性に注目することで、もう一度、整理し精査する」とした上で、「その関係性を、従来の多文化主義的視点からではなく、コミュニケーション額の視点からとらえなおし、今後の多文化社会のあり方を提示」すると述べています。
 そして、「渋滞は、多文化主義であるとか異文化コミュニケーションというと、どうしても他者を相対化することで特殊化する作業を無意識・無批判に行ってきたが、その無意識を顕在化することで『私たち』は、新しい形の多文化主義を思考することができるだろう」と述べています。
 本書は、「コミュニケーション」をめぐる権力の様々なあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、「コミュニケーション学」の新しい可能性を探っているものなので、一般的な社会学系のコミュニケーション論を期待しているとピント外れに感じるかもしれません。
 とにかく、「進歩的文化人」的な香りが漂う一冊です。「進歩的文化人」がこれだけ集まると読むほうも疲れます。もしかすると、読者とのコミュニケーションは、「コミュニケーション学」の対象には含まれないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・既存の「コミュニケーション論」には飽き足らない人。


■ 関連しそうな本

 池田 理知子, 今井 千景, エリック・M. クレーマー, 岩隈 美穂, 灘光 洋子, 吉武 正樹, 山田 美智子, 伊佐 雅子 『多文化社会と異文化コミュニケーション』
 池田 理知子 『多文化社会と異文化コミュニケーション』
 池田 理知子, エリック・M. クレーマー 『異文化コミュニケーション・入門』
 福島 瑞穂 (著), 中下 裕子 (著), 鈴木 まり子 (著), 金子 雅臣 (著), 池田 理知子 『セクシュアル・ハラスメント』
 末田 清子, 福田 浩子 『コミュニケーション学―その展望と視点』
 大田 信男 『コミュニケーション学入門』


■ 百夜百マンガ

アクション大魔王【アクション大魔王 】

 最近でこそ少なくない体当たりエッセイ漫画の人です。ストーリーものの少女漫画から幅広く描けるのは才能なのでしょうか。


投稿者 tozaki : 2008年09月25日 22:00

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