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2008年10月08日
大正期の家庭生活
■ 書籍情報
【大正期の家庭生活】(#1357)
湯沢 雍彦
価格: ¥2100 (税込)
クレス出版(2008/08)
本書は、「今日に続く『生活の近代化』が本当に始まった」時代であり、また、「農漁村と都市の下層社会では、江戸時代さながらの古いしきたりと苦しい労働が続き、小学校に通うのさえ容易でない家庭が少なくない」時代でもあり、「新旧と和洋と苦楽の二重性が、大きく混在していた」大正時代の家庭生活に関するものです。
第1章「ある茶作り農村の大正15年間」では、旧静岡縣志太郡朝比奈村を舞台に、「大正期における茶生産農家の生活を明らかに」しています。
そして、お嫁さんは、「午前4時前に起床して朝ごはんの支度を」始めねばならず、4月下旬から8月のお茶の収穫期には、3時前には起床しなければならなかったこと、食事は一日に4回あり、「よじき」と呼ばれ、
・朝ご飯:朝5時前(4時前)
・昼じゃ:9時頃、お弁当
・ようじゃ、ちゃづけ、ゆうじゃ:午後1時から2時頃、お弁当(ご飯、梅干、漬物など)
・夕ご飯;午後6時から7時、ご飯、味噌汁、菜っ葉、漬物、週に1度くらいの魚や肉など
の4回であったことを開設しています。
また、子どもたちの楽しみは、「お正月やお祭り、そしてお葬式だった」と述べています。
第2章「家庭の中の家族の顔ぶれ」では、大正時代について、「漠然と、『祖父母と息子夫婦とその子が同居する直系の3世代家族が普通の形で、数の上でも大多数』との思い込みが多い」ようだが、「どこの家も大家族だという思い込みは、結論として正しくない」として、「平均世帯人員はのちの昭和15年になっても4.99人にとどまっていた」と述べています。
そして、「子は平均5人も生まれていた」ので、「このうち長男とその妻になる女性もしくは女子と婿の夫婦は同居して直系家族を作ったが、他の子どもは結婚すると親がいない家庭になった」として、「単独世帯を除けば、核家族の形をとる世帯は51.5%で、直系家族の形をとる拡大家族世帯42.0%よりずっと多いことになった。これまでの常識を覆したことになる」と述べています。
第3章「出産と堕胎・避妊」では、「総じて大正の15年間は、子どもがたくさん生まれた時代だった」とした上で、「この頃の結婚は、何よりもあととりとなり老後の面倒を見てくれる子どもをもうけることが第一の目標」であり、「結婚後2年たっても妊娠の兆しがなく、3年たっても生まれないとなると、離婚の危機に直面した」と述べています。
また、「出産する夫婦は多産になりやすく、それはたちまち生活難につながった」として、「妻たちの多くは、古い時代から堕胎や間引きを行うことを余儀なくされてきた」と述べ、「とくに堕胎は都会に多く、間引きは農村に多いという説」を紹介しています。
第4章「家庭と地域のしつけ」では、農家では、親が子どもに、
「仕事上手の話しべた」
「働く水車に氷は張らぬ」
「朝寝は病、昼寝は貧乏」
「上を見てもきりがない、下を見てもきりがない」
「儲けることより、使わぬこと」
「米一粒にも、手が百遍」
「竹のくずも、3年に一度は役に立つ」
などの格言を繰り返し、繰り返し言って身につけていき、「職業人として訓練」したと述べています。
第5章「小学校教育の明暗」では、「学校へ行けば家事・家業の手伝いから解放され、同じ年頃の友達と遊べるから、普通の子には通学は楽しみだった」が、「一見のどかな大正時代の小学校にも問題はいろいろあった」として、実際に学校へ通えない児童がかなりいたことなどを挙げています。
第6章「青年時代と結婚まで」では、「大多数の一般人は、小学校の尋常科を卒業した12歳か、高等科を出た14歳で仕事に就くのが当たり前だった」と述べ、また、「よほど重い病気か精神障害者でもない限り、男は20歳から25歳の頃までに、女は16歳から22歳くらいまでに一度は結婚した。女は、何よりも暮らしの糧を得るために夫が必要であり、男は家事万般をゆだね、性欲を満たして跡継ぎを得るために、何人も結婚することに疑いをもつ者はいなかった」と述べています。
第7章「身の上相談にみる家族関係」では、「身の上相談の担当記者名(歌人:国文学者 窪田空穂)が特定され、かつ『創作』の疑いはきわめて薄いことがその日記などから立証できる事例を中心に、大正4年から9年の身の上相談の一部を紹介」しています。
そして、「大正期の日本社会の大勢は、自由恋愛、自由結婚を『ご法度』として捉えていた」ので、相談のあった「これらの結婚は皆仲介婚であった」と述べています。
第8章「衣服生活の変わりぶり」では、東京銀座などでは、「男の洋服はかなり日常化していた」が、「家ではもっぱら和服を着ることに」なっていたと述べた上で、「家庭生活が主な女の服装は、変わる必然性がなく和服が中心であった」と述べています。
そして、「関東大震災がもたらした画期的な変化」として、大正12年末から発売された、「アッパッパ」を挙げ、「とにかく安価な木綿地で、下着も要らず簡単に着られ、素足に下駄履きでも出かけられる服装は、これまでの窮屈で高価な洋服とはまったく違った庶民的なものとして広く受け入れられた。和服から洋服へ、まさに橋渡し役を果たしたものといえる」と述べています。
第9章「都市家庭の栄養と食事」では、農村の自動の弁当の副食物が、「梅干のみであったり、漬物のみであったりというのが普通であった」のに対し、「地主階級の子は塩鮭かたらこ」が付き、「東京下町の子どもの弁当のおかずは塩辛いこぶの佃煮か、干たら、塩鮭といった物。ご飯は海苔弁。ご飯の上に海苔を載せ、その上にご飯をおく。鰹節を入れて、しょうゆをかけて出来上がり。夏は梅干をご飯の中に一つ入れる」と述べています。
また、「ちゃぶ台への転換が進んだのが、水道の普及した、東京で言えば関東大震災後であった」ことを紹介し、「ちゃぶ台で一斉に食事をするようになると"いただきます""ごちそうさま"の食事の挨拶が出てきた」と述べています。
第10章「地方農山村の風土と食物」では、富山県の海辺の漁民の食事として、「朝まま(朝食)」は、「とはんに倍量の水を加え、ひと煮立ち」させた「ごはんの湯づけ」に、カワハギの干物と梅干かたくあんの漬物、「ひるま(昼飯)」は、ご飯か、「ごはんに同量のおからを混ぜ火を通」した「おからまま」に、魚の味噌汁、漬物、「夕はん(夕飯)」は、ご飯、身のしまった魚の煮物や焼き物、味噌汁であったと紹介しています。
また、長野県の例として、「山の動物、川魚、昆虫類も食用する。厳冬期の凍み豆腐、凍み大根など凍結乾燥は気候風土を生かし、あるだけの素材を巧みに扱い、季節毎に食事を整える手法が、母から娘に、姑から嫁に暮らしの中でしつけられ昭和初期まで変わらず受け継がれた」と述べています。
著者は、「都市部を除く農漁村の対象の食生活は、明治期からさらに昭和初期に及んでも変わらなかった」として、「米かばい、飯かばい」の「かばい」は「大切にしまっておく」を意味するもので、「混ぜる」の意味の「かてる」の「かて飯」は、「米の食べ延ばしに、古来からの雑穀・山菜、野草、海草・栽培野菜の大根、大根葉、かぶ・渡来の芋、藷を米に揉てた(まぜた)」と述べています。
第11章「大正期における老いの意味」では、「若いときは一生懸命働き、老人になったら楽隠居をして、孫に囲まれて日向ぼっこ」というのが、「農家に生きる人びとの理想的な生涯の過し方」であったが、「三世代が食うに困らぬほどの家産を持つ農家は少数派であり、『隠居』ののちも働きづめで『楽』など望むべくもなかったのが当時の現実であった」と述べています。
また、「人外れに」長生きすることは、「その時代の人々が心に描いていたライフスタイルから『外れて』しまうことを意味」し、その結果、「思いのよらない経験をすることになる」と述べています。
第12章「家族の楽しみごと」では、「実際に、家族単位の楽しみごとが見られるようになるのが大正時代」であると述べた上で、『家族の和楽』が注目される背景の一つとして、「妾の存在を否定した、明治15年からの新しい刑法の施行によって、家族のあり方が意識されたこと」を挙げ、「のちの明治31年民法と相俟って、日本において初めて、法律上の一夫一婦制が確立した」が、慣習的には、「当時実力ある男にとって妾を持つことはごく当たり前」であったと述べています。
また、「家族が団欒できる状況」は、「主に上流階層の限られた人たちにしかなく、農村で大部分を占めていた貧困小作農や、明治末から大正期にかけて増加してきた労働者層においては、娯楽どころか生活自体が大変で、大正時代はそういった労働者の生活問題が顕在化した時期でもあった」と述べています。
第14章「都市の住宅・農村の住宅」では、「大正期の都市の住宅改良の要点」として、「和洋折衷」「家族本位」「プライバシーの尊重」「主婦労働の軽減」の4点を挙げ、「そのほう画は明治期にあった」と述べています。
また、農村住宅の間取りについて、「全国的にほぼ共通であった」として、
・土間と床張りの部分からなっていること
・床張りの部分には4つの部屋が「田の字型」に配置されていること
を挙げ、「大きい家ではさらに2部屋が加わって『サの字型』になることもあった」と述べています。
そして、「細民層と貧民層を除いて、中間に位置する6~7割の家族は、結局、木造の平屋か2階建ての住宅に住んでいた」が、ほとんどが、「3間程度の狭い借家であった」と述べています。
第15章「女性のくらしと家事労働」では、「日本における主婦の誕生は、日露戦争、第一次大戦後の産業構造の変化のなかで新たに生まれたサラリーマン層においてであり、職業人口比率で言えば大正末でさえ全人口の1割にも満たない」とした上で、主婦が誕生する条件として、
(1)職住分離の労働形態
(2)性別役割分業
(3)夫がその収入だけで生活費をまかなえる給与を得ていること
の3点を挙げ、「わが国でこうした全ての条件をクリアした初めての社会階層が、大正期のサラリーマン層であった」と述べています。
第17章「子ども文化の時代」では、大正期に、「子どもの名づけ方に大きな変化が見られるようになった」として、「それまでは、男の子なら、~吉、~蔵、~郎、~助、~作、~治といった名を、女の子は、イネ、ハナ、タケ、ウメのようなかな2字の名をつけられた子どもが多かった」が、「男子では『男、夫、雄、彦』などを末尾につけ、女子では『子』をつける名が多くなった」と述べ、「このような命名法の変化は、子どもに対する親の考え方が変わってきたこと」を示し、「子どもを一個の人間として見ようとする考えが働いている」戸述べています。
本書は、明治と大正にはさまれ、「大正デモクラシー」「関東大震災」「モボ・モガ」などの断片的なイメージしか持ちにくい、大正という時代のリアルな姿の断片を伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
山田芳裕の初期の作品で『大正野郎』というのがありまして、主人公は芥川龍之介にあこがれて、大正時代の風俗を真似したがるという青年ですが、この作品にも表れているように、大正時代と言えば文学の世界と最先端の風俗のイメージが強いようです。
■ どんな人にオススメ?
・明治と昭和をつなぐ激動の時代を、生活面から見てみたい人。
■ 関連しそうな本
山田 芳裕 『山田芳裕傑作集』
石川文化事業財団お茶の水図書館 『カラー復刻『主婦之友』大正期総目次』
近代女性文化史研究会 『大正期の女性雑誌』
山崎 祐子 『明治・大正商家の暮らし』
下川 耿史, 家庭総合研究会 『明治・大正家庭史年表―1868‐1925』
桂 英澄 『小学生が見た大正末期・昭和のはじめ―綴方教育の記録から』
■ 百夜百マンガ
原作の「東堂いづみ」さんが、プリキュアと同じことにびっくりしたのですが、これは、「東映動画大泉スタジオ」の略で、架空の人物だということを初めて知りました。千葉テレビで再放送中です。
投稿者 tozaki : 2008年10月08日 23:00
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