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2008年12月16日
現代マンガの冒険者たち
■ 書籍情報
【現代マンガの冒険者たち】(#1426)
南 信長
価格: ¥2520 (税込)
エヌティティ出版(2008/5/15)
本書は、「現代マンガの歴史の中でキーパーソンとなる作家たちを選び出し、『どこがすごいのか』『マンガ界にどんな影響を与えたのか』を検証しながら、チャート図なども用いて漫画家の系統進化の流れを俯瞰できるようにした、いわば<現代マンガ進化論>のようなもの」です。
第1章「ビジュアルの変革者たち」では、「映画的手法(自由なコマ割り&カット割り、視点の移動など)と漫画的記号(効果線、焦りを示す汗など)といった斬新なビジュアル」を、「マンガに適した表現にブラッシュアップし、系統だった手法として確立させた」のが手塚治虫であり、手塚作品を手本にマンガを描き始めたのが「トキワ荘」の住人たちであり、そこから現代マンガの進化が始まったため、手塚が「マンガの神様」と呼ばれると述べています。
そして、劇画~青年マンガの流れの中から、「突然変異のように現れた」のが大友克洋であり、「それはマンガ界にとって、まさに革命と呼ぶべき出来事であり、のちの作家たちに与えた影響はとてつもなく大きい」として、「手塚治虫が現代的マンガ表現の創始者だとすれば、大友克洋はマンガ表現の変革者であった」と述べています。
また、大友克洋と江口寿史が「ともにちばてつやの影響について語っている」ことについて、「手塚治虫が"マンガの神様"なら、ちばてつやは"マンガの先生"なのかもしれない」と述べています。
さらに、鳥山明について、『Dr.スランプ』のギャグが同じジャンプ誌上の『すすめ!!パイレーツ』に比べて、「幼稚」だったが、「多くの読者は、今まで見たことのない<絵の力>に酔った」として、「デビュー当初、"絵はうまいがマンガとしてヘタ"だった鳥山が、<さらにうまい絵>と<個性的なキャラ>を得て、"見ているだけで楽しい世界"を構築することに成功した」と述べています。
第2章「『Jコミック』の正体」では、その特色として、「<明るい絶望感>のようなものを漂わせるマンガ」であり、年代としては90年代以降だとして、「バブルとその崩壊があって、一種の虚脱感、喪失感みたいなところからスターとしたのが90年代だった」と述べています。
また、松本大洋が影響を受けた漫画家として、土田世紀の名を挙げていることについて、「ヒップホップ系のミュージシャンが『山本譲二をリスペクトしています!』と宣言するようなもの」だとした上で、初期の短編集『青い春』に土田のデビュー作にして名作『未成年』の影響を見て取ることができると述べています。
第3章「<ギャグ>に生き、<ギャグ>に死す」では、吾妻ひでおについて、「スラップスティックから、SFパロディ、シュールギャグ、実録&私小説ギャグへと至る」作品の変遷は、「そのままギャグマンガの系譜と重なる」として、小説家を含めて、「トラウマ自慢の作家」が多い中で、「それを飄々とした笑いに昇華させるところが、ギャグ漫画家としての吾妻ひでおの真骨頂だ」と述べ、いしかわじゅんとの対談の中で、「俺とかいしかわさんみたいにナンセンスやってると、自己否定しちゃうんだよな。芸術家じゃないんだから、漫画家がそんなことやったら潰れるよ」と語っていることを紹介しています。
また、鴨川つばめが、中学時代に酒井七馬の『漫画家入門』に出会い、「堕落した漫画界を変えるのは君たち若い人間なんだ」というメッセージに共感し、弟子入りしようとしたが、酒井が、「極貧の中での餓死」をしたと聞いたことから、「酒井さんを餓死に追いやったマンガ界に対する敵討ちみたいな気持ちが僕の原動力でした」と語っていることを紹介しています。
そして、鴨川が、一時対人恐怖症に陥り、「いざとなったら首切って死ねるように枕の下に果物ナイフ」を入れていたことを紹介し、江口の場合は、「描けないこと自体をギャグにした」ことで、「吾妻ひでおや鴨川つばめが陥った"精神の袋小路"から逃れることに成功した」と述べ、『ストップ!!ひばりくん!』の第9話で初めて<白いワニ>が登場したとして、「江口は<白いワニに襲われる>というネタを使って、落とすこと自体をギャグにしてしまった」として、「結果的には白いワニが江口の作家生命を延ばしたことになる」と解説しています。
また、とり・みきの作風について、「"ギャグの因数分解"のように、笑いのパターンみたいなものを、一度バラバラにして、その断片を順列組み合わせで再構築したり増幅させたりして作っているような印象を受ける」として、<理数系ギャグ>と評しています。
第4章「<物語の力>を信じる者たち」では、大友克洋や江口寿史が「ちばてつやから影響を受けた」とか足り、井上雄彦にも、「ちばの影響が見受けられる」、あの本宮ひろ志でさえ、「ちばてつや氏に熱狂的に傾倒していた」と語っていることを紹介し、「ストーリーテリングの面でちばてつやの存在は極めて大きい」と述べています。
また、浦沢直樹の『YAWARA!』について、「それまでのスポーツマンガをすべて咀嚼して、お約束事をあえてやり尽くすことで、マニアが読むとクスクス笑うようなものを目指していた」が、アニメ化され小学生からファンレターが来るようになったことで、「さすがにその子たちの気持ちは裏切れないなって。随分とエライものをしょいこんじゃったな」と思ったと語っていることを紹介し、その自己管理能力について、「午前中に起きて犬の散歩までしているという規則正しい生活」に、「夜9時には家に帰って食事する、と。だからそこに小さな締め切りがあるんです」と語っていることを紹介しています。
そして、『課長 島耕作』が、連載当初は、「現在のようなスーパーサラリーマン」ではなく、「保身に汲々とする小心者で、妻子と住宅ローンを抱えて小遣いも少なく、不倫相手の女子社員にホテル代を出させる。そんなフツーの(?)サラリーマンが、中間管理職としての仕事をこなしながら、いろんな女たちとアバンチュールを楽しむ」という「罪のない娯楽作品だった」にもかかわらず、「いつの間にか主人公が勝手に成長して、国際舞台で活躍するスーパーサラリーマンに変身」してしまったと述べています。
さらに、笠辺哲に関して、「よく『マンガが面白くなくなった』なんて言う人がいるけれど、それはその人が面白いマンガを発見できなくなっただけの話である。面白いマンガはたくさんある。特に新人作家に関して言えば、みんな昔より間違いなく上手い」として、「斬新で個性的な表現力を持った新人が随時登場しているのは事実」だと述べています。
第5章「<少女>は成長して<女>になる、か」では、吉田まゆみについて、「'80年代の流行や世相が随所に取り込まれ、今読み返すと、あの時代の空気がまざまざとよみがえってくる」と述べています。
そして、松苗あけみについては、少女マンガ界の女王・一条ゆかりのアシスタント出身であり、「まさに世間がイメージする少女マンガの王道のように見える」が、「その中身は、いわゆる少女マンガとは一線を画す」として、「あくまでも乙女チックな世界観を保ちながら、ストーリーや語り口、キャラクターはとことんドライ」だと評しています。
また、耕野裕子に関して、"漫画家マンガにハズレなし"として、『漫画家残酷物語』『まんが道』『燃えよペン』『モト子せんせいの場合』『サルでも描けるまんが教室』『漫画家超残酷物語』『まんが極道』『僕の小規模な生活』『俺はまだ本気出してないだけ』等を挙げています。
本書は、現在世に出ているマンガがどういう要素で組み立てられているかをわかりやすく解説してくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
マンガも結構細分化が進行していて、すべてのマンガをチェックするというのは権力の頂点に上り詰めた人間であっても難しい状況にあります。
個人的にも、高校生の時には本屋の雑誌の棚にある本は全部読みつくす意気込みで一生懸命読んでましたし、当時は単行本も立ち読みできたので『こち亀』全巻読破のようなこともできましたが、今では限られた時間のなかでいかに面白いマンガに出会えるかということが大事になっています。
その意味でも現在のマンガを体系化してくれる本はありがたい限りです。
■ どんな人にオススメ?
・世の中の無数の本を俯瞰したい人。
■ 関連しそうな本
竹内 オサム 『手塚治虫―アーチストになるな』 2008年10月18日
手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月6日
堅 信之 『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』 2007年11月4日
中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年7月28日
フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年4月29日
■ 百夜百マンガ
幕張三校の関係者を伺わせた前作、とはいえ他誌での作品、を内容的には引き継いでいるということなのですが、何よりもこういう壊れた人材を排出したということで、当時の幕張三校関係者は面白がっていいのではないかとも思います。
投稿者 tozaki : 2008年12月16日 06:00
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