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2009年01月04日

デジタルキッズ―ネット社会の子育て

■ 書籍情報

デジタルキッズ―ネット社会の子育て   【デジタルキッズ―ネット社会の子育て】(#1445)

  坂本 旬
  価格: ¥1470 (税込)
  旬報社(2007/05)

 本書は、「テレビゲーム創世記の時代からメディア文化の中で生きてきた」著者自身の経験を踏まえた「ネット社会の子育ての子育てのあり方」を考えたもので、「子どもとのコミュニケーションが上手く行かないために悩んでいる親」のために講演してきたものをまとめたものです。
 第1章「ネットは危険!?すれちがうおとなと子ども」では、教育評論家の尾崎直樹ゼミが行った、『インターネットと子どもの生活 小中高校生のインターネット利用に関する4000人調査』をもとに、「中・高生では学年が上がるたびにケータイ所有率が高くなり、通話よりもメールを利用することが多く」なり、「子どもたちがネットを日常的にコミュニケーションのツールとして使っている様子」が伺えると述べています。
 そして、問題は家庭の中にあるとして、「家族の中のコミュニケーションそのものが危機に瀕している」と指摘し、「家庭の中のコミュニケーションがうまく機能せず、親子が互いに分かり合えない。そのことが子どもに大きなストレスとなり、しばしば問題を引き起こすこと」になると述べ、「子どもとおとなの『コミュニケーション不全』は子どもの問題であると考えがち」だが、「同時におとな自身の問題」でもあると指摘しています。
 また、2004年6月に起こった佐世保の女児殺害事件について、「メディア報道だけを鵜呑みにしていたら、この事件の本質には全く踏み込むことは」できないとして、「教育現場や教育研究者の間では、当初からこの事件がネットでのトラブルが本当の原因でないのではないか」と言われていたが、「メディアがさかんに指摘していたネット上のトラブルは、背景のほんの一部」に過ぎず、「そのトラブルのきっかけは、加害児童が交換ノートやインターネットを安心して自己表現し、存在感を確認できる『居場所』への『侵入』だったと指摘されて」いると述べています。
 著者は、加害児童が「アスペルガー症候群」であったことが報じられなかったことなどを挙げ、「このような事件を引き起こした最も大きな原因は、子どもの発達の実態に関心を持たず、発達の危機を示す数多くのメッセージを見落としてしまった親や学校にある」と指摘しています。
 第2章「ネット空間の特徴とおとな・子ども関係」では、ネットと子どものめぐる問題を、
(1)ネット環境それじたいの問題:インターネットそのものの安全性や危険を回避するための教育に関わる問題
(2)ネット時代のコミュニケーションというもっと広い問題:ネットがテレビや書籍とならんで市民生活に欠かせないメディアとなることによって生じる子どもの発達・学習環境に関わる問題
の2つに大別しています。
 そして、「インターネットがつくりだす空間(サイバー・スペース)」が、「公共空間」(公共圏)であり、「個人の情報発信は公共放送と同じ機能をもちうる」と述べ、「この結果、この公共空間に参加するために必要な資質がすべてのネットユーザーに求められること」になり、「一人ひとりが市民社会に参加しているという自覚と市民としての基本的な知識や能力」が重要になると述べ、「改めて学校教育の人権教育のあり方を問い直してみると、現代の情報社会を生きる子どもたちを育てるために必要な資質を十分育ててこなかったのではないか」と述べています。
 第3章「子どもの発達とコミュニケーション」では、コミュニケーションの一般的な理解として、「知識、意思、感情などの情報の伝達」を挙げた上で、「私たちは、見えるコミュニケーションの背後にある、見えないコミュニケーションの存在を意識しておく必要」があると述べています。
 そして、ネット時代の子育ての原則として、
(1)メディア環境をバランスのとれたコミュニケーション環境に変えること。
(2)子どもの発達の節目をしっかりと認識すること。
(3)子どもは、情報社会においても親密な関係を結ぶ場(親密空間)と社会のさまざまな人々の関係を結ぶ場(公共空間)の境目で発達していくことを理解し、子どもたちとともに新たな社会を作っていくという視点を持つこと。
の3点を挙げています。
 また、子どもが思春期にさしかかる10歳前後の発達の節目を「10歳の壁」と呼ぶことを紹介した上で、「多くの保護者や親は、子どもの発達の節目に無関心であり、そのことが子どもを理解できない原因になっていると考え」られると述べ、このような子供の発達の節目を理解すれば、10~14歳ごろの子どもたちが直面する問題の性格が理解できる」と述べています。
 さらに、「子どものメディア利用と生活行動の変容」という調査報告から、とくに中・高生において、
(1)ほとんど勉強をしないグループ:いまを楽しく生きればよいと考えており、学校的価値から脱落している層(現状志向)
(2)2・3時間以上するグループ:成績も良く、将来のためにいまをがんばろうと考えている層(将来志向)
との間にこの約10年間に大きな変化が起こって」いると述べ、「テレビやテレビゲーム、ケータイなどのマルチメディア環境は、10年前までの子どもを縛ってきた学校的価値絶対主義とでもいうべき社会規範に対して、同質グループを形成することによって、何らかの風穴をあけつつあるのではないか」と述べています。
 そして、テレビの視聴行動について、「テレビそのものの影響よりはむしろ親の視聴傾向からの影響が大きい」として、「子どもは、テレビ視聴という文化を家庭の中で親から受け継ぐ」と述べたうえで、「子どもはつねに家族と切り離された状態でメディアから一方的な影響を受けている」わけではなく、「子どもは家庭の中で、親とともにテレビを視聴することを通して、メディアに対する価値意識を形成して」いるとして、「親が教養的な番組を好めば、子どもも教養志向になる傾向にあり、逆に親が娯楽思考の番組を好めば、子どもも自然にそのような番組を好む傾向に」あると指摘しています。
 第4章「ネット時代に子どもを育てる」では、家庭内のコミュニケーション不全チェックポイントとして、
(1)朝子どもが起きても「おはよう」とあいさつしない。
(2)子どもに「ありがとう」といったことがない。
(3)子どもは家に帰ってくるとまっすぐに自分の部屋に行く。
(4)子どもが好きな歌手や芸能人を知らない。
(5)過去1か月、家族みんなで大笑いしたことがない。
(6)過去1か月、家族でいっしょにテレビを見たことがない。
(7)子どもが使うパソコンは子ども部屋にある。
(8)子ども部屋に子ども専用のテレビがある。
(9)子どもは自分に口答えをしたことがない。
(10)子どもを思いっきり抱きしめた記憶がない。
の10点を挙げています。
 そして、著者の家では、「テレビゲームをするときのルールを決めて子どもたちに守らせることにした」として、「テレビゲームに熱中する子どもに対して、もっとも必要なことは、テレビゲームそのものを規制しようとするのではなく、その中身を子どもとともに吟味し、考えたり、話したりする機会を数多くつくること」だと述べています。
 また、転校先の小学校で、「子どもは外で遊ぶものだと考え」、「コンピュータに精通していたり、読書を好んでいることに対して否定的だった」担任教師とうまくいかなかった長男が、インターネットで「カービィくらぶ」というテレビゲームのキャラクターをテーマとしたホームページと出会い、「なじめない学校社会から、外部の社会への橋渡しをする役割」を果たしたと述べ、「子どもにとって安全なネット環境があれば、子どもたちは自らの手で新しいコミュニティをつくりだす力を持っている」と述べています。
 さらに、「テレビゲームやネットゲームにどっぷりと浸かる生活」がたたった著者の長男が、中学校3年生になると成績がどんどん落ちたときに、「本人が納得しない限り、一方的にやめさせること」はできないので、「勉強しろ」という代わりに、「進学について話し合う機会を何度もつくり、何を勉強したらいいのか、どの学校に進学したいのか、自分で決めることを求め」たことを挙げ、「勉強は自分でするものであり、人に言われてするものではありません。どんな状況でもその原則は変えませんでした。ゲームにはまってしまっている状況を、自分の意志で変えない限り、何も変えることはできません」と語っています。その後、関心のある情報コースを持つ総合制の学校を選んだ著者の長男は、自らパソコンを解体して押入にしまい、「本当の猛勉強」の結果、志望校に合格することができ、「高校に入学したことではなく、自分で選び、自分で決断し、自分で努力し、自分で勝ち取ったという経験そのものが、彼にとって大きな意味を持つもの」になり、「自分で自分をコントロールする能力を高校入試という試練の中で得た」ことで、「ゲーム中毒」からも脱することができたと述べています。
 著者は、「北朝鮮問題や中国での反日運動などに対して、差別的な言葉が飛び交い、その安易なものの考え方は人権や平和教育をしっかり受けていない子どもたちをたちまちのうちに飲み込んでしまう危険性をはらんで」いるネットの現状について、親・保護者は「もっと関心を持つ必要」があり、「親が子供の意見に耳を傾け、一人の人格を持った存在として扱い、論理立てながら議論をして結論を導き出す、このことが民主主義の基本であり、排外主義や差別主義的な思想とは相容れないということをきちんと教えれば、このような思想の本質を体験的に見抜く能力を身につけることができる」と述べています。
 第5章「子どもたちにファンタジーの世界を」では、「テレビゲームの虚構性が仮想と現実をあいまいなものにするという見方」によって、「子どもが暴力的になったり、社会的に不適応状態になるという理解が社会的に定着」していることについて、「こうした考え方にはっきりとした根拠があるわけでは」なく、科学的にも実証されておらず、「悪影響の根拠となると覆われる研究調査でさえ、それらは相関関係を示したものにすぎず」、「もともと社会的不適応の度合いの強い子どもが、テレビゲームをするようになる」という逆の因果関係を意味するものではないかと述べています。
 そして、「子どもにとってのファンタジーとは、決して頭の中だけの世界を指すのでは」なく、「日常の世界と空想の世界の交錯と調和を自分自身の力によって形成していく主体的な営み」であり、「このような豊かなファンタジーの世界を構築する能力が、思春期以降、子どもたちが主体的に外的世界と関わっていく能力を形成していくことにつながると考えられる」と述べ、「今日最も大きな問題は、そのような想像力を子どもたちに培うための家庭力や地域力が急速に衰えつつあること」だとしていきしています。
 著者は、「いますぐできること」として、「言葉を通した想像の世界を楽しむ方法を子どもたちに伝えること」であり、「『物語る』ことがそれを可能に」すると述べ、
・子どもたちを図書館に連れていくこと、
・学校の図書室をいつも子どもが楽しく集まる場所に変えること、
・勉強のための読書ではなく、読書そのものの楽しさを教えること、
・想像の世界を演じる楽しさをともに感じること、
など、「できることはたくさん」あるとしています。
 本書は、ネットやゲームやケータイが、親や子どもにとって不可欠な環境になってしまった現代において、新しい子育てのあり方を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子どもに関して表出してきた問題が、子どもの身の周りの新しい環境変化のせいにされがちになるというのは、一昔前のテレビ悪玉論や悪書追放運動、ロック不良論など随分古くからあったようで、ネットやゲームもその類型に収まるのではないかと思います。問題はむしろ家庭の中や親自身にあるという指摘は古くて新しい問題なのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ケータイは子育ての障害になると思う人。


■ 関連しそうな本

 遊橋 裕泰, 宮島 理 (著), モバイル社会研究所 (監修) 『子どもとケータイ―Q&Aで学ぶ正しいつきあい方』 2008年10月05日
 遊橋 裕泰, 河井 孝仁 (編さん) 『ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に』 2008年02月01日
 小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著) 『モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影』 2007年08月06日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 水越 伸 『コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる』 2007年11月29日


■ 百夜百音

Glass Age【Glass Age】 さだまさし オリジナル盤発売: 1999

 正月に実家に帰るたびに、さだまさしの「寒北斗」を思い出してしまいます。いつも聞くたびに不思議に思うのですが、この曲は「煤払い」とあることから年末を歌ったもののようなのですが、「親父は美味そうに雑煮を喰う」と思い込んでいたために、年が明けなくても地方によっては雑煮を喰う習慣があるのかと思っていました。よく聞くと雑煮ではなく「煮凝」でしたね。


http://www.youtube.com/watch?v=SdEHuAaGzRk

投稿者 tozaki : 2009年01月04日 06:00

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