2009年06月27日

自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ

■ 書籍情報

自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ   【自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ】(#1619)

  増田 弘
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社(2004/12)

 本書は、
(1)自衛隊誕生に至る歴史の不透明さに光を当てること。
(2)公職追放を免除された旧陸海軍将校の動向に着目しつつ、三自衛隊誕生の個々の経緯を明らかにし、それらの相違点を描き出すこと。
(3)米国側の視座から自衛隊誕生に至る日本再軍備過程を分析し、解明すること。
の3点を目的としたものです。
 第1部「陸上自衛隊の誕生」では、マッカーサーがGHQの「民事局別館(CASA)」に命じた重大な命令として、警察予備隊について、「将来『四個師団』の陸軍に増強できる"擬似"軍隊を作ることであり、これは秘密裏に実行する必要であった。しかも当初は連合国の協定も犯さず、戦争及び戦力を永久に放棄することをうたった日本国憲法にも違反しないように予備隊を運営することが肝要であった」と述べています。
 またG2のウィロビーが、本来パージされる身である元職業軍人らを、「復員事業や戦史編纂といった名目でパージを免除」して匿っていたと述べています。
 そして、日本の独立回復に先立って、日米が、
(1)日本独立後における米軍事顧問団の位置と役割
(2)日本独立後の日米防衛戦略に関する合同委員会の設置
(3)保安隊の新設問題
(4)日本への重装備供与及び重装備訓練問題
の4つの問題をめぐって議論を重ねたと述べています。
 さらに、1954年5月1日、「MSA協定(日米相互防衛援助協定)の発行に伴い、同協定第7条の規定によって、米軍事援助顧問団の設置、任務、待遇、特権等が正式に定められ、その名称も6月7日に『在日軍事援助顧問団(MAAGJ)』となった」と述べています。
 著者は、「日本の陸上部隊が"警察予備隊"から"保安隊"へと脱皮する過程で、組織及び編成面が軍事顧問団の指導により順調に整備されていったのに対して、教育訓練及び軍事装備面では、、顧問団にほぼ全面的に依存せざるをえない状態が続いていた」と述べています。
 第2部「海上自衛隊の誕生」では、終戦直後に、米内光政海軍大臣が、最後の海軍省軍務局長であった保科善四郎中将に、
(1)海軍の再建
(2)新日本建設に海軍技術の活用
(3)海軍伝統の美風を更新に伝えること
の3点を要望したと述べています。
 そして、1951年に対日平和条約と日米安保条約が締結され、翌年に日本が独立することになると、「日米双方は日本海軍再建に向けて意見交換の度合いを増してく」として、「海軍復活のための準備機関として"Y委員会"が極秘裏に設置され、新機構をめぐって旧海軍出身者と運輸官僚側との間で意見の対立が生じる」が「結局、海上保安庁内に『海上警備隊』が創設される」と述べ、「Y委員会」の故障は、「旧軍部では陸軍をA、海軍をB、民間をCと略称していた」ことから「アルファベット順を逆にしたときにBに相当するYを用いた」と解説しています。
 第3部「航空自衛隊の誕生」では、「陸上自衛隊が米軍主導で誕生し、逆に海上自衛隊が旧日本海軍関係者主導で誕生したのに対し、航空自衛隊の誕生は、旧日本陸軍航空関係者と米空軍当局との共同合作によるものと言える」とした上で、旧陸軍航空関係者の空軍研究の基本方針が、「一国が独立国となる以上、軍備が必要であり、軍備の中には"独立空軍"を入れなければならない、というものであった」と述べています。
 また、航空自衛隊の誕生に関して、
(1)日米両国政府と米軍当局はどのように日米間の格差を縮めて懸案のMSA交渉を決着させたのか。
(2)MAAGJの新設に際して空軍顧問団がどのように成立したのか。
(3)日米当局が"分属"空軍方式を決定したことに伴う、新たな日本航空兵力の規模・構成、あるいは組織の指揮・系統などの懸案をどのように解決し、航空自衛隊が誕生したのか。
の3点を明らかにしています。
 おわりに「陸・海・空三自衛隊の違いはどこにあるか」では、「陸上自衛隊は戦前との連続性が弱く、逆に海上自衛隊は戦前との連続性が強く、航空自衛隊は戦後生まれのため非連続性が色濃い」として、「このような相違点が生まれた背景に、太平洋戦争の残滓を見ることは可能であろう」と述べています。
 本書は、日本の自衛隊が、戦後何もないところから出てきたものではないことを明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 自衛隊がどうやってできたかについては、警察予備隊ができてから三軍まとめてできてきたかのような印象を持っていましたが、それぞれ異なる国内勢力、海外勢力の綱引きの結果だということは知りませんでした。そもそも極秘裏に進めてきたことだからアメリカの公文書が公開されないと分からないことなのだと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・自衛隊は一体のものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐道 明広 『戦後政治と自衛隊』
 大嶽 秀夫 『再軍備とナショナリズム―戦後日本の防衛観』
 前田 哲男 『自衛隊―変容のゆくえ』


■ 百夜百音

Thriller【Thriller】 Michael Jackson オリジナル盤発売: 1983

 個人的にはそれほど思い入れがあるわけでもないのですが、80年代はこの人がいなかったら相当変わっていたかと思います。

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2009年06月26日

政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて

■ 書籍情報

政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて   【政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて】(#1618)

  野上 浩太郎
  価格: ¥693 (税込)
  中央公論新社(1999/04)

 本書は、四半世紀前に現場の政治記者をしていた著者が、「政治記者の仕事の魅力」を語ったものです。著者は、最大の魅力は、「政局の『生き物のような展開』にある」としています。
 第1章「田中角栄とリアリズム」では、「政治記者にとって、最も面白くてしかも難しいのが政局の取材だ」とした上で、その理由は、「生々しい権力闘争を繰り広げる人間ドラマだから」だと述べています。
 また、首相番を卒業して政党担当になった政治記者が直面するジレンマとして、「特定の政治家や派閥に『食い込む』努力と、つねにそれらから距離を置いて『冷たく、突き放して』判断する精神との『二律背反』」を挙げています。
 第2章「田中の挫折と悲劇」では、「政局取材は面白いと同時に『落とし穴』を伴う」として、「政局展開の生き物のような面白さを夢中で追いかけているうちに、まったく性質の違う側面を見落としてしまう危険性」を挙げ、「その典型が政治家のカネにまつわる話」だと述べています。
 そして、田中の金脈疑惑を徹底的に暴いた評論家、立花隆の論文にちうて、「土地ころがしを基本にした田中の裏金づくりの実態については、それ以降いまだに、これを上回る内容の記事や論文は出ていないだろう」と述べ、「立花論文を読んで『やられた』と感じたことも否定できない」と述べています。
 さらに、「フリーで無名の立花隆が『金脈』のからくりを執拗に取材した結果、その実態がわれわれにも明らかになった」ことについて、「立花論文はひたすら驚きの連続だった」と述べています。
 第3章「ワシントン取材」では、ワシントン特派員だった著者が、1年も過ぎると、「メモ帳に要点を書きとめ、日本の新聞の締め切り間際に『勧進帳で』草稿できるようになった」として、「記事に書いていないメモだけの状態で電話に向かい、メモを基に頭の中で記事に構成しながら受け手に読み込む手法」を解説しています。
 第4章「サムライ外交官群像」では、著者が外務省担当だった当時、条約局参事官だった高島益郎(後の事務次官)について、「まだ50歳前後だというのに頭髪は薄く昔のサムライのような風格」であったため、「この人は出世コースからちょっと外れているのかな」と内心感じていたと語っています。
 また、当時の中国課長、橋本恕について、「ギョロリとむいた鋭い目に分厚い唇、浅黒い顔。どこから見ても外交官らしいスマートさとは縁遠い風貌で、やはりサムライだった」と述べています。
 そして、「敗戦で生まれた戦後処理問題を乗り切るためにはサムライ外交官が必要だった」が、「北方領土返還を除いて大きな戦後処理問題が解決された後は、どちらかと言えば、スマートな秀才型外交官が主流になった」と述べています。
 第6章「特ダネと記者クラブ」では、「これから政治記者を目指す人たちへのメッセージのつもりで、体験に基づく助言をまとめてみたい」として、「フットワークや『カン』と並んで必要となるのが『勉強』である」ことなどを語っています。
 本書は、古きよき時代の「政治記者」の姿と心意気を今に伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 政治記者というと、大学出たてで政治家と付き合い、社旗つきのハイヤーを乗り回し、ということがあって世間の常識から乖離した人たちという先入観があるのですが、四半世紀前の政治記者となれば相当世間離れしてたのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・昔の政治記者を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日
 大井 浩一 『メディアは知識人をどう使ったか―戦後「論壇」の出発』 2008年03月22日


■ 百夜百マンガ

エイリアン9【エイリアン9 】

 かわいいキャラクターにもかかわらず、どんどん死んじゃうシリアスな展開についていけない人もいるのではと思います。

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2009年06月21日

裏日本―近代日本を問いなおす

■ 書籍情報

裏日本―近代日本を問いなおす   【裏日本―近代日本を問いなおす】(#1614)

  古厩 忠夫
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(1997/09)

 本書は、「太平洋側に比して日本海側が差別され、格差があるという実態は、実はここ100年余りの日本の近代化の中で歴史的に醸成され、蓄積されてきたもの」であるとして、「社会的格差を表現する概念」としての「裏日本」について論じたものです。
 そして、裏日本と「表日本」の間に、ヒト・カネ・モノの移動システムが形成されていたとして、
(1)このシステムの形成・展開過程の分析
(2)「裏日本」に住む人々がこれをどのように観念し、どのように克服しようとしたかをたどる。
ことをテーマとしています。
 第1章「どのように形成されたか」では、「産業革命は資本・労働力・エネルギー資源など、いわゆる資本の本源的蓄積を前提とする。植民地をまだ獲得していなかった日本にとっては、国内農村地帯からの蓄積が必要不可欠になる」として、「太平洋ベルト地帯と脊梁山脈を挟んで位置する裏日本は絶好の後背地と目され、ヒト・モノ・カネの移転システムが、表と裏の明確な対象性を見せつつ形成されていった」と述べています。
 そして、「日本海側における資本主義化・工業化の遅れを人口面から示すものとして、まず都市形成の遅れをあげることができる」としたうえで、モノの移動システムとしては、一番に米を取り上げています。
 第2章「自己イメージと『県民性』」では、「明確な形で裏日本意識が出てくる」段階として、新潟県では、明治29(1896)~31年にかけての「三年連続の大洪水であった」として、「この大洪水は、ヒト・モノ・カネの移転システムを通じての諸価値の流出の結果を、様々な形で洗い出した」と指摘しています
 そして、「天災は往々にして地域の病理をあらわにする」として、
(1)治水問題
(2)社会問題
の2点を挙げています。
 また、「国策の恩恵を受け、社会資本が整備され、ひたひたと押し寄せる産業化の波の中にあった太平洋ベルト地帯と異なり、裏日本の先駆者が同じ技術を獲得するために費やさなければならない苦労は大変なものだあった。ただし、その努力は目の前にある在来産業に向けられた」と述べています。
 第3章「脱裏日本の道」では、昭和6年の上越線上野~新潟間の全通を、「北陸とりわけ新潟にとって、上越線の開通は様々な意味で象徴的な意味を持っていた」として、
(1)裏日本と表日本を断絶させていた「なんととほうもない重量」の脊梁山脈の土手腹に穴を開けたこと。
(2)東京~新潟は4時間短縮され、新潟を「裏日本の玄関口」とするうえで、実際以上のイメージ効果を発揮したこと。
の2点を挙げています。
 そして、昭和7年1月5日・6日の『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に「日本海の湖水化 今や好機至る」と題する社説が載ったことを紹介したうえで、「満州国」建国が、「裏日本の人々に、大陸を含む新たな日本の勢力圏の中心部としての日本海、すなわち日本海湖水化をイメージさせた」と述べています。
 また、「高度成長期は日本の有史以来最も人口移動が激しい時代であった」として、「1955年以降には離れた故郷を思う歌があふれた」と述べ、「地方農村から大都市への流入が激しくなった時代であるとともに、都市世界と農村世界の乖離がもっとも著しかった時代であり、東京と地方の別世界性が歌い込められている」としています。
 さらに、列島改造論について、「矛盾だらけの産物であった」として、
(1)1960年代の所得倍増計画によって生じた問題の多くは急激な高度成長政策によるものであった。
(2)太平洋ベルト地帯=表日本の高度成長は、裏日本を始めとする地域の労働力や資源・市場を前提として、はじめて可能になったものであった。列島の「総表日本化」=「裏日本なき表日本化」はありえない。
(3)「基幹資源型産業」建設とは、石油コンビナート・原発・火力発電・石油備蓄基地など迷惑施設の建設であり、「工業再配置」とは、太平洋ベルト地帯を頂点とした全国的な工業体系、すなわち高度成長型「分業」体系、いいかえれば格差システムの形成に他ならなかった。
の3点を挙げています。
 本書は、日本を大きく分ける「脊梁山脈」を挟んだ表日本と裏日本の関係を近代化の過程の中で読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 実際に「裏日本」に暮らしたことがないので、県民性というかメンタリティとかはよく分からないですが、「越中強盗、加賀物乞い、越前詐欺」とかの物言いは面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・「裏日本」とは何かを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 阿部 恒久 『「裏日本」はいかにつくられたか』 2007年07月31日
 大石 嘉一郎 『近代日本地方自治の歩み』 2007年06月12日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
 高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日


■ 百夜百マンガ

総理の椅子【総理の椅子 】

 「百億の男」の系統の男のロマン系の話ですが、それにしても最近のこの人の絵はいよいよスゴイことになってきてます。

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2009年06月15日

メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─

■ 書籍情報

メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─   【メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─】(#1607)

  細川 昌彦
  価格: ¥1890 (税込)
  東洋経済新報社(2008/8/22)

 本書は、「人口規模、面積などに幅はあるが、世界は数十のメガ・リージョンによって成り立っており、それぞれが国境などの枠にとらわれず、人材と企業を呼び込む競争をしている」ことについて、
(1)「メガ・リージョン」という広域の単位で考える。
(2)「東アジア」を地域間競争の一つの土俵として捉える。
(3)メガ・リージョンを「経営する」という発想を導入する。
の3つの視点から、日本の進むべき道を考えるものです。
 プロローグ「三つの点をつなぐ線を求めて」では著者が携わってきた3つのプロジェクトを紹介した上で、「『日本』そしてその中の『地域』が世界との競争に打ち勝つにはどうすればよいのか」という「一つの線」でつながっていたと述べています。
 第1章「なぜ、いま、地域間競争なのか」では、企業と人材が、「地域を、国境を越えて比較して選び、そして活動している」として、「グローバリゼーションの下では、『国』という単位は消えて、『地域』という単位が直接、前面に出てくる」と述べています。
 第2章「東アジアは『メガ・リージョン』の大競争時代に」では、東アジアが、「シンガポール、香港という都市国家、台頭著しい中国の沿海部、韓国のグレーター・ソウル首都地域、釜山、ハノイ・ハイフォンを中心とする北部ベトナム、マレーシアのペナン・クアラルンプール、タイのバンコク近郊、台湾の台北=新竹地域など、多数のメガ・リージョンが出現している」とした上で、「企業と人材の行き来を通じて、地域同士が海を越えて直接つながっている」と述べています。
 第3章「『日本の濃縮ジュース』グレーター・ナゴヤの競争力を高める」では、グレーター・ナゴヤは、「単なる『モノづくりのメッカ』から『マザー工場のメッカ』へと進化しなければならない」としています。
 第4章「『アジア一番圏』北部九州圏の競争力を高める」では、「東アジアという土俵の上で、競合地域に対していかに優位性と特色を出すかが問われている」として、その鍵は「頭脳」と「部品産業」だと述べています。
 第5章「『三都物語』京阪神の競争力を高める」では、「この地域の優位性、独自性を生かした知恵が問われている」として、その答えの一つとして、「アジアの知の交流拠点」を挙げています。
 第6章「『グローバル感性都市』東京の競争力を高める」では、「企業の本社機能、金融・サービス業、文化・芸術、学術、情報などは一極集中」であり、グローバル都市としての競争力は、一極集中と集積による規模の経済が決定的に意味を持つとして、「ほかの地域とは地域戦略画質的に異」なり、「国家直轄のグローバル都市としての国際競争力」の視点で東京を見るべきだとしています。
 第7章「企業をどう呼び込むか」では、日本の自動車産業の経営戦略から導かれるポイントとして、
(1)「マザー工場」としてのポジションを獲得できるか。
(2)さまざまな異業種との協力がカギを握る。
の2点を挙げています。
 第8章「創造的な人材をどうひきつけるか」では、企業を呼び込むためには、「地域主導の人材育成の仕組みづくり」が重要である賭して、「地域を一つの企業として見れば、大学は企業における人事部人材開発室の役割を担う」と述べています。
 第9章「集客ビジネスの成功に何が必要か」では、「いまや見本市ビジネスの分野においても、東アジアが『世界の成長センター』となっているのだ。そしてその誘致を巡って激しい争奪戦を繰り広げている」と述べたうえで、地方の見本市会場に閑古鳥が鳴いている理由として、
(1)規模が中途半端で国際的に競争できないこと。
(2)見本市ビジネスのプロの不在。
の2点を挙げています。
 そして、「シンガポール、マカオ、釜山、香港など東アジア各地で、リゾート、国際会議、見本市、国際イベントなどの複合戦略ビジネス」である「マイス(MICE (Meeting, Incentive, Convention, Exhibityon)」の大きなうねりが起こっていると述べています。
 第10章「地域の競争力を決定する『地域経営力』」では、世界で、「企業と人材をひきつけることによって経済的に反映する地域」の共通した特色として、
(1)多様性
(2)開放性
(3)広域性
の「勝ち組のための3点セット」を挙げたうえで、「企業のグローバル戦略と同じように、地域にとっても国際的な提携戦略が極めて大事になってくる」と述べています。
 本書は、広域的な地域経営の重要性を訴えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、今年の名古屋市長選に出馬し、惜しくも敗れています。河村たかし氏の圧倒的な知名度の強さが大きいとは思いますが、本書で展開されているグレーター・ナゴヤを易しく分かりやすく伝えるのは大変だったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・名古屋といえば山本まさゆきを思い出す人。


■ 関連しそうな本

 サスキア サッセン (著), 伊豫谷 登士翁, 大井 由紀, 高橋 華生子 (翻訳) 『グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』
 宮崎 智彦 『ガラパゴス化する日本の製造業』
 山下 永子 『地方の国際政策―連携・ネットワーク戦略の展開』
 藻谷 浩介 『実測!ニッポンの地域力』


■ 百夜百マンガ

はちゅねミクの日常ろいぱら!【はちゅねミクの日常ろいぱら! 】

 初音ミクのデフォルメキャラの四コマ漫画です。ネギ振り回す設定があまりに強すぎる気がしますが。

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2009年06月11日

ヒラリーをさがせ!

■ 書籍情報

ヒラリーをさがせ!   【ヒラリーをさがせ!】(#1603)

  横田 由美子
  価格: ¥746 (税込)
  文藝春秋(2008/01)

 本書は、「女性首相が生まれる可能性」を含め、「政治は女に向いた職業か?」をテーマとした女性議員へのインタビュー集です。
 序章「女のキャリアすごろく」では、丸川珠代の当選によってもたらされた変化として、
(1)女のキャリアすごろくのアガリに明確な変化が現れたこと。
(2)女性が政治の世界に飛び込むための垣根がやや低くなったこと。
の2点を挙げています。
 第1章「『総理の椅子』を狙う女たち」では、「女性政治家にインタビューを繰り返して、『明確に総理というポスト』について話をしてくれたのは、小池を含めたほんの数人の自民党の議員であった」ことについて、「違和感を感じざるを得ない」と述べています。
 そして、女性の政治家のパターンとして、
(1)女優やキャスターなどが選挙の顔として「お飾り的」に出馬し当選するというもの。
(2)コネの世界。父や祖父、はたまた夫の弔い合戦などで地盤とブランド力を受け継ぐ形。
(3)公明、共産、社民型の女性議員によく見られる、イメージや女性票を意識して、「女性枠」的に出馬していく。
の3点を挙げています。
 また、小池百合子について、そのキャリアは、「人脈を広げながら出会った『メンター』によって、引き上げられてきた」として、「成功している女性には当たり前だがこうしたメンターのひとりやふたりはいる」と述べたうえで、「意欲も能力もある女性が、メンターの男性と恋愛関係に陥るのは、わたしはある程度は仕方がないことかも知れないと思う」と述べています。
 さらに、小池について、「子どもも作らず、結婚せず(バツイチではあるが)、彼女は、現在のところ最も腹をくくって政治家という職業を見つめている女性なのかも知れない。そこには冷徹さすら感じさせた」と述べています。
 第2章「スキャンダルにさらされて」では、片山さつきについて、「わたしが取材で会った女性議員の中で、唯ひとり、これまでに会ったキャリアな女たちと『違う』と思った」と述べ、「身体の中に異分子が紛れ込んできたような気分に襲われ、わたしは取材後の数日間、高熱を発した。体調不良は一週間続いた」と語っています。
 そして、「会話をしているとき、片山の発する言葉は、あまりにも真っ直ぐで厳しい。繊細な人間にとっては、針山の上を歩いているような気になるかも知れない」と述べています。
 また、野田聖子が、「メディアとのつきあい方を『余計な露出はしない』と決めているようだった」として、「風に左右されない政治家になることが最重要だから」だと語っていることを紹介し、「政治は地味でいいと思っている。スポーツ新聞に載らないくらいがいい政治かなと(笑い)」というスポーツ報知へのコメントを取り上げています。
 第3章「女性枠はありがた迷惑?」では、民主党の高井美穂議員が、民主党の公募を受けて2000年の総選挙に出馬、落選した経験について、「選挙ほど人生修行ができる場所はないと思う。人間の本性が見える。選挙は武器を使わない戦争だった」と語っていることを紹介しています。
 また、選挙戦直前に「キャバクラで働いていた過去」を報じられた太田和美について、「太田を勝利に導いたのはこのスキャンダル報道だったのではないかと言ったら、太田は面白くなさそうな顔つきであった。当たり前である」としながらも、「元キャバクラ嬢vs官僚」というわかりやすい対立の構図が、「小泉元総理がはからずも導いてしまった格差社会への恐怖と怒りをかき立てた」と述べています。
 エピローグでは、「取材していて少し疑問に感じた」こととして、「女性の政治家には良くも悪くも『権力』に対する強い固執が感じられないこと」を挙げ、「自らの政策や理念を通すためには、総理大臣というポストに就かなければ、すなわち権力を掌握しなければ意味がないのではないか」と述べています。
 本書は、女性と政治家を率直な視点で論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 この人のすごいところは、政治家でも何でも平気で不機嫌にさせてしまったり、自分が不機嫌に思ったことを平気で書いてしまうところです。政治評論家などでは政治的な鋭い攻撃をすることはありますし、ナンシー関などのように毒舌の評論家もいましたが、実際にあってインタビューした上で、失礼なことを平気で書いてしまえるのは、ある意味で強みかも知れません。相当取材拒否とかに遭いそうな感じもしますが。
 後は、評論の途中でいきなり自分を語りだしちゃうところにはついていけない人も少なくないのではないかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・男社会に恨みのある人。


■ 関連しそうな本

 横田 由美子 『私が愛した官僚たち』 2007年11月13日
 小池 百合子 『女子の本懐―市ヶ谷の55日』 2008年07月14日

■ 百夜百マンガ

公権力横領捜査官・中坊林太郎【公権力横領捜査官・中坊林太郎 】

 こういう社会悪を挫く正義の主人公の名前に「中坊」が使われるのはやはり中坊公平氏の影響力の大きさを感じます。

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2009年06月03日

重光葵―上海事変から国連加盟まで

■ 書籍情報

重光葵―上海事変から国連加盟まで   【重光葵―上海事変から国連加盟まで】(#1595)

  渡辺 行男
  価格: ¥734 (税込)
  中央公論社(1996/08)

 本書は、「アメリカ戦艦ミズーリ号上で日本の降伏文書に調印した首相全権として有名」な重光葵が、「戦前・戦後を通じて、和平の調整役として東西を奔走し続けた」足跡を追った評伝です。
 著者は、重光を、「いつの場合でも事態に真剣に向き合い、真正面から正しい認識を得ようと努めた」としたうえで、その著書を通して、「彼が時代に対する優れた観察者であるとともに、思想家である」と述べています。
 序章では、「重光葵の本領は戦後の政治家としてよりも、むしろ戦前・戦中の外交官、政治家としての足跡にある」として、「重光葵の座標軸は戦争と平和の間の調整者という役割にあった」と述べています。
 第6章「ミズーリ号への道」終戦後、東久邇宮内閣の外相に就任した重光の最初の仕事は降伏文書調印であったが、「内閣でも『降伏」の文字を嫌がって、何か別の文字にできないかを言い出す者がいる」ことについて、「surrenderという英語を変えるわけには行かない。サレンダーはあくまで『降伏』であり、単なる『終戦』ではない。この際は完全に対抗意識を捨て去り、完全に無条件に先方の支持を受け入れ、『降伏』の実を示すことが、日本を将来に向かって生かす所以であり、敗戦を完全に認識することを全ての前提条件とするとともに、国家としても個人としても、敗者は敗者としての気品を維持し、徒に責任を回避して敵の憐憫を請い、卑屈の態度に出ることは絶対に防がねばならぬ」と語ったことを紹介しています。
 また、占領軍総司令部が「日本に軍政を敷いて行政各部門を統治する」との情報を得た重光が、マッカーサーに会見し、「日本の現状に適せぬものであるから、これを撤回していただきたい」として、
(1)元来、天皇は戦争に反対し、平和維持に終始熱意を示されており、今回も戦争を終結せしめるために決定的役割を演ぜられた。
(2)占領軍としては、日本国民の絶対崇拝する天皇の指令する日本政府を通じて占領政策を実行することがもっとも簡易な方法である。
(3)もし占領軍が軍政を布くとすれば、それより生ずる困難な事態は全て占領軍で処理し、その責任は当然占領軍に帰すべきである。
(4)ポツダム宣言は明らかに日本政府の存在、すなわち日本の主権の存在を前提としている。
(5)占領軍として占領政策を遂行するには、日本政府を利用してもっとも安易にして効果的な方法を選ぶのが最も利益となる。
の5点を主張し、最後まで聞いていたマッカーサーが即座に軍政施行の発令を中止するよう命じたと述べています。
 第7章「巣鴨獄窓日記」では、巣鴨に収監されることとなった重光に、「いったい、終始軍閥に反対し、平和と国交の一時専念してきた自分が、なぜ戦争犯罪人として収容されねばならないのか。天は果たして何を裁こうとするのか」という思いが脳裏を掠めたと述べています。
 第8章「改心党総裁、保守合同」では、昭和25年、刑期を1年残して保釈されることとなった重光が、巣鴨在獄中に執筆した『昭和の動乱』が、たちまちベストセラーになったことを紹介しています。
 第9章「日ソ交渉、国連加盟、終焉」では、昭和30年に外相として始めて訪米した重光が、マッカーサーに会い、天皇と初めて会ったときに、「もし国の罪をあがなうことができれば進んで絞首台に上ることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」との証言を得て、このことが、「天皇を迎えたときのマッカーサーの態度には冷然たるものがあったが、天皇が帰られるときは打って変わって慇懃な態度で、抱えるようにして玄関まで送って出た」という態度の変化の謎を解いたと述べています。
 本書は、戦前の外交官の危害を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 吉田茂にしても重光葵にしても戦前の外交官というのがスケールが大きく感じるのは、現代との通信事情の違いのせいなのか、戦争という極限状態における外交のせいなのかはわかりませんが。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の外交官を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 重光 葵 『昭和の動乱〈上〉』
 重光 葵 『昭和の動乱〈下〉』
 重光 葵 『重光葵―外交回想録』
 重光 葵 (著), 服部 龍二 (著) 『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて』


■ 百夜百マンガ

あたし天使あなた悪魔―きょうだい育児は大騒動!編【あたし天使あなた悪魔―きょうだい育児は大騒動!編 】

 子育てマンガというのも、出産と育児で一線を退いた女性漫画家の定番の書き物だと思うのです。当たりはずれがあるですが。

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2009年06月02日

14歳からの政治

■ 書籍情報

14歳からの政治   【14歳からの政治】(#1594)

  長谷部 尚子
  価格: ¥1470 (税込)
  ゴマブックス(2006/8/21)

 本書は、2005年の衆院選をきっかけに、政治について感心を持った14歳の中学生である著者が、「直接聞いてみよう。自分の耳で聞いて、考えてみよう。政治家という仕事を知ってみたい」という動機で書いたものです。
 第1章「官房長官のお仕事」では、安倍晋三官房長官(当時、以下同じ)に話を聞き、「いつもハラハラドキドキして気の休まるヒマのない大変な仕事」で、「朝刊の1日は本当に長い長い1日」だと述べています。
 また、「家ではめちゃくちゃ子ども扱いされる中学生の私のことを、一人前の大人として扱って、質問に答えてくれたのが強く印象に」残ったと語っています。
 第2章「大臣のお仕事」では、小池百合子環境大臣について、「今まで私は権力ということばをわかっていなかった」として、「権力というと悪いイメージがありますが、正しい使い方の中では、必要なものだとわかった」、「それがリーダーシップ」だと語っています。
 第4章「衆議院議員のお仕事」では、小沢鋭仁衆議院議員(民主)について、国会議員の生活は、「バスにも乗るし、朝から晩まで会議や勉強会で土日もなかなか休みがない」生活だが、「国のために、弱い人のために、よりよい社会を作ろう」という強い気持ちがその生活を支えていると語っています。
 第5章「参議院議員のお仕事」では、世耕弘成参議院議員(自民)が、政治の世界には、会社以上に怖く、「君、これはダメだよ!」という人がいるが、「自分に信念があれば、選挙区の人に選んでもらえばいい、この人に選んでもらったわけじゃない、と吹っ切れる」という「精神的自由度がいい」と語ったことを紹介しています。
 第6章「委員会のお仕事」では、原口一博衆議院議員(民主)が、著者のことを大学生と間違えたエピソードを紹介しています。
 第7章「知事のお仕事」では、松沢成文神奈川県知事が、知事の仕事として、
(1)県の職員とのミーティング
(2)議会の仕事
(3)団体の方との意見交換
(4)国や市町村の皆さんとのミーティング
(5)県内をくまなく回ること
の5つを挙げていることを紹介しています。
 また、松沢知事が松下政経塾の入塾試験に合格した理由として、松下幸之助が「君には運と愛嬌がある」と答えたことを紹介しています。
 第8章「市長のお仕事」では、中田宏横浜市長が「無所属のいいこと」として、「自らの見識と両親に基づいて、行動できる」と答えていることを紹介しています。
 著者は、「政治家がするから政治ではなく、政治とは私たちの生活のなかにある、身近なものであること、『政治とは私自身』のことだと分かってきました」として、「他人事だと片付けているあいだは、社会はよくならない」と述べ、「政治に対する悪いイメージを肯定することは私たちの不幸」だということが、「この本を作る前にあった疑問」に対する答えのひとつだと語っています。
 本書は、わたしたちにとっての政治のあり方を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 二匹目か三匹目かわからない「14歳からの~」シリーズのうちの一冊ですが、世の中の政治に関する情報は政治に詳しい人の目線で書かれているために、基礎知識がないと読むのがつらいのが現状です。もちろん、一定の判断力が必要という意味でそれ自体に意味があることだと思いますが、14歳という免罪符を盾にしてこれだけ割り切ったものにしてしまうのはありだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治の話は苦手だという人。


■ 関連しそうな本

 浅古 瑞紀/柳田 隆太/渡部 謙太郎 『14歳からの政治 2』
 宮台 真司 『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』
 池上 彰 『14歳からのお金の話』
 赤塚 不二夫 (漫画) (著), 福田 淳 (著) 『天才バカボン公認副読本 これでいいのだ14歳。 ~バカボンパパに学ぶ14歳からの生き方哲学100~』
 玄田 有史 『14歳からの仕事道』
 村上 龍 『13歳のハローワーク』


■ 百夜百マンガ

てんで性悪キューピッド【てんで性悪キューピッド 】

 なぜか昭和の時代の作品だと思っていたのですが、実は平成の作品でした。とはいえ「ラブコメ」というジャンル自体が相当昭和ですが。

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2009年05月28日

機密費

■ 書籍情報

機密費   【機密費】(#1589)

  歳川 隆雄
  価格: ¥693 (税込)
  集英社(2001/08)

 本書は、外務省機密費詐取事件を取り上げ、「機密費詐取事件そのもの、事件を生んだブラックボックス的土壌、事件が提起する数々の疑惑などを詳細に検証し、根源の問いである『日本にとって機密とは何か」というテーマに」迫ったものです。
 第1章「外務官僚・松尾克俊とその犯罪」では、外務省の元要人外国訪問支援室長・松尾克俊が、『2年余りに間に行われた計14回の首相外遊時だけで総額約4億8千6百万円に達する巨額の国家資金を首相官邸からだましとった」として、「そのすべてを松尾が個人的に津カットは限らない」が、「いまのところ、そこまでは証明されていない」うえ、「組織ぐるみの流用、あるいは松尾を利用した官僚たちの利得、という疑いも濃厚」だと述べています。
 そして、松尾が、「その経歴の早い時期から、優れた実務能力で頭角を現す」として、「持ち前の優れた実務能力を骨惜しみしない勤勉さで『汚れ仕事のプロ』としての腕を磨き、その一方では私生活を犠牲にしてまでも省幹部たちにサービスする。そして、自分がキャリアエリートにとって、なくてはならない存在であることをアピール」した結果、「ノンキャリアのエース」の座を得たと述べています。
 第2章「政府の裏ガネ『機密費』」では、機密費について、「報償費と呼ぼうとなんと呼ぼうと、それは要するに政府が表に出したくない目的・用途に使う"裏ガネ"」だと述べています。
 そして、旧大蔵主計局も会計検査院も、「機密費上納という法律違反の事実を承知していた」ことを指摘しています。
 第3章「機密費はどう使われたか」では、「消費税導入に際しての機密費投入に象徴されるような政界工作は、『裏』の選挙対策としても大掛かりに行われていた」ことについて、「それが『機密』であるはずはなく、裏ガネを使った政界工作に利用されていいわけがない」と述べています。
 第4章「疑惑解明に抵抗する官邸・外務省」では、「政府秘密資金、つまり政府機密費の直接の管理者である首相官邸と外務省はこれまで、機密費をめぐるさまざまな疑惑を否定し、あるいはウソをつくことによって、事実を隠蔽し、責任を回避してきた」点に、「機密費詐取事件の大きな問題点がある」と述べています。
 そして、外務省が、「『松尾個人』にすべてをおっかぶせて、機密費疑惑から逃げ切ろうとした」と述べ、その理由は、「機密費という『聖域」をなんとしても守り抜かなければならないからだ」と指摘しています。
 また「捜査当局の上層部には捜査の基本方針に関して迷いもあった」として、「機密費をめぐる構造問題にまで踏み込めば、国家権力体制の『闇』の部分が、巨大な壁となって立ちはだかることがわかっていたからだ」と述べています。
 第5章「日本にとって『機密』とは何か」では、「『機密』とは、国益追求の前面に立ちはだかる潜在的・顕在的な脅威を回避し、排除するうえで必要になってくるファクター」だとすれば、「機密に関わる最も大きなテーマは国家の『危機管理』」だと述べたうえで、「硬直化してしまっている官僚組織に思い切ってメスを入れることなしに、日本に必要なインテリジェンス機能を獲得することはできないのは明らか」だと指摘しています。
 著者は、「機密費という国家システムのブラックボックスが国民の目にさらされ、一方で『機密とは何か』が国民に問いかけられたという点で、今回の機密費流用疑惑が意味するとことは大きく、深い」と述べています。
 本書は、日本にとっての「機密」とは何かを深く考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何億という金を個人の口座で出し入れしていたというのが恐ろしいですが、これらが全て個人に責任をかぶせるための偽装だとしたらもっと恐ろしいんです。


■ どんな人にオススメ?

・官僚は誰でも裏ガネ使い放題だと思っている人


■ 関連しそうな本

 読売新聞社会部 『外務省激震―ドキュメント機密費』
 前田 英昭 『国会の「機密費」論争』
 佐藤 優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』 2008年12月31日
 手嶋 龍一, 佐藤 優 『インテリジェンス 武器なき戦争』 2008年02月06日
 大内 顕 『警視庁裏ガネ担当』 2007年09月11日


■ 百夜百マンガ

イリヤッド―入矢堂見聞録【イリヤッド―入矢堂見聞録 】

考古学者が主人公の歴史サスペンスって『ダ・ヴィンチ・コード』みたいですが、当然意識しているのでしょうか。


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2009年05月27日

技術官僚―その権力と病理

■ 書籍情報

技術官僚―その権力と病理   【技術官僚―その権力と病理】(#1588)

  新藤 宗幸
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(2002/03)

 本書は、日本の官庁に多数存在する、「技官」または「技術官僚」と称される「自然科学系の大学学部や大学院を卒業し採用された科学・技術畑の職員」について、「彼らは事務官とどのような関係を織り成しつつ、官庁内で行動しているの」かを論じたものです。
 著者は、技術官僚集団を、「あえてたとえると事務官(法制官僚)という巨木に根付いた『寄生植物』ではないか」として、「技術官僚がつくる『王国』を培ってきたのは、単に技術官僚が持つ技術的専門性なのではなく、大学の法文系学部を卒業し官庁の中枢にいる事務官集団でもあるのだ」と述べています。
 第1章「なぜ技術官僚なのか」では、日本の官僚制が、「官僚制組織における技術官僚集団の存在と活動」という内部組織問題を抱えているとした上で、「技術官僚集団が官僚制組織の中でどのような位置を占め、いかに行動しているかは、ほとんど考察の対象とされてこなかった」ことを指摘しています。
 そして、「本書ではまず日本の官僚制において、技術官僚どのような地位を占めてきたのかを歴史的に振り返ってみる。そのうえで、行政責任が最も厳しく問われる二つの行政分野――公共事業と薬事行政――を対象として、技術官僚集団の活動を中心に行政組織の動態を論じる」としています。
 第2章「歴史の中の技術官僚」では、「技術官僚たちが行政機構のなかで『冷遇』されてきたという言説」が、「今日なお生き続けている」とした上で、「戦前期の技術官僚は、名実ともにそれぞれの技術分野におけるエリートであった」が、「このエリート性が崩れる戦後経済発展過程において、技術官僚『冷遇』観は増殖されていった」と述べています。
 第3章「なぜ公共事業はとまらないのか」では、「大規模事業プロジェクトの際の民間への委託は、行政の効率性や民間資源の効果的な活用のためだと説明されている」が、「実のところは、高度の土木・建築技術を要する事業の基本設計や実施設計を行う能力が、技官集団に欠けていることを意味していよう」と指摘しています。
 そして、「公共事業官庁において技官集団と事務官=法制官僚手段のどちらが優位しているかは、本質的問題はない」として、「相互の依存関係、言い方を変えるならば、相互規制関係が強靭に作られ、ターミネーションなき公共事業の実施に繋がっている」と指摘しています。
 第4章「なぜHIV薬害事件はおきたのか」では、「HIV薬害事件が問いただしたものは、たえず責任を分散させてしまう行政組織の構造そのもの」だとして、「日本の行政組織では、ポジションごとの職務権限と責任が全く不明である」と述べた上で、「高度に専門的な行政分野においては、技官と事務官がそれぞれの将来利益を追求しつつ強調する体制が作られている」として、「全体として行政の責任が拡散されてしまうのも、こうした行政組織の構造ゆえである」と述べています。
 第5章「『技官の王国』の解体へ」では、「技官を多数抱える官庁において、事務官=法制官僚と技官のどちらが優位しているかといった『伝統的』論点は、現代日本の官僚制組織の考察にとって、的外れ」だとして、「問われているのは行政組織のあり方であり、もっといえば、そこにおける意思決定の責任の所在が不明であることなのだ」と述べています。
 そして、「『技官の王国』の解体とは、官庁から科学・技術系職員を排除することではない。これまでみてきたような技官と事務官の相互依存関係を打破することである」として、「生涯職公務員からなる官僚機構に、大胆な改革のメスが入れられなければならない」と主張しています。
 本書は、官僚制の大きな一面である技術官僚について大胆に切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 道路公団のファミリー企業などの話もあって、技術官僚というとイコール「天下り」という印象が強いのですが、本書の中身としては、事務官との関係が中心でした。それはそれで面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・技術官僚が何をしているかを知らない人。


■ 関連しそうな本

 大淀 昇一 『技術官僚の政治参画―日本の科学技術行政の幕開き』 2008年09月11日
 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 城山 英明, 細野 助博, 鈴木 寛 『中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖』 2007年03月30日
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日


■ 百夜百マンガ

怪獣の家【怪獣の家 】

 この人の作品はやっぱり「家」ものが面白いうということでしょうか。ワンパターンでも問題なしです。


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2009年05月23日

歴代首相の言語力を診断する

■ 書籍情報

歴代首相の言語力を診断する   【歴代首相の言語力を診断する】(#1584)

  東 照二
  価格: ¥1470 (税込)
  研究社(2006/07)

 本書は、「戦中、戦後の歴代首相の言語行動をつぶさに検討することから、政治家とことばの関係に新しい光を当ててみる」として、「言語学の視点から日本の政治家のことばを分析、研究したもの」です。
 第1章「ことばの力と政治」では、「ことばには、大きく分けて2つの機能がある」として、
(1)指示的機能(referential function):対象物、事象をあるがまま示す際に使われることばの働き
(2)情緒的機能(affective function):話し手の感情、態度、意図、意思、操作、交渉といった、話してのかなり積極的なかかわりといったものが埋め込まれているようなことばの働き
の2つを挙げ、2001年9月11日の同時多発テロ翌日のブッシュ大統領の演説について、「ことばを通じて、視聴者、国民に、愛国心、団結、参加といった気持ちを植え付けていく。そこにはことばの情緒的側面を十分に活用した言語術、言語戦略があり、それが功を奏している」として、「政治家たちもこの情緒的機能をうまく利用して、聞き手にある種の感情を起こさせ、自分たちの政治的目的を達成させていっている」と述べています。
 また、「言語を取り巻く文化の差」として、
(1)高コンテキスト文化:人々が多くの背景情報を共有しており、直接的な言語によるコミュニケーションはそれほど重きを置かれない。
(2)低コンテキスト文化:人々のあいだでの共有された情報というものが少ないため、はっきりとことばに題して表現する、直接的、明快な話し方といったものに価値が置かれる。
の2つを挙げ、「大まかに言って、日本の言語コミュニケーションは、高コンテキスト・スタイルで、アメリカのそれは低コンテキスト・スタイルということができる」と述べています。
 また、日本の歴代首相から、東條、田中、小泉の3人を上げ、「東條の書きことばをもとにした権威主義的スタイルから、田中の話し言葉をもとにした村の寄り合いテキスタイル、そして、さらに小泉の話しことばをもとにした街の集会テキスタイルへと変わってきている」として、「特に田中と小泉の違いは、田中の高コンテキスト・スタイルから小泉の低コンテキスト・スタイルへのシフトとみなすことができるかもしれない」と述べています。
 第2章「歴代首相の所信表明演説」では、「~の」と「~こと」の違いについて、「『~』は話し手にとって身近なこと、感覚的なこと、つまり話してのウチの感情を示すものであるのに対し、『~こと』は話し手の感覚のソトにある抽象的なことを、聞き手との距離を置いて表現するもの」だとした上で、細川について、「戦後首相のあいだで、一人だけ突出して、『~こと』を多用した」ことを指摘しています。
 また、小泉の演説について、
(1)戦中、戦後の首相の中で「です」を多用したのは小泉が初めてである。
(2)話し手の意志を示す「~します」という単純、平凡なことばの持つ高価を十分に使ったのは小泉だけである。
の2点を指摘しています。
 そして、歴代首相の演説での話し方の変化、変遷について、「人間関係とことばのつながりということで、聞き手と話してのあいだにある2つの変数を考え」るとして、「力」(P)と「距離」(D)を挙げ、
・ステージ(1)『力』のステージ(+P,+D)
・ステージ(2)『力』の差に基づいた『連帯』のステージ(+P,-D)
・ステージ(3)『力』の差に基づかない『連帯』のステージ(-P,-D)
の3つのステージについて、ステージ(1)が戦中の首相のスタイルに、ステージ(2)が、田中に、ステージ(3)が小泉に対応していると述べています。
 第3章「歴代首相の国会答弁」では、小泉が国会答弁で用いた疑問形について、「質問者である聞き手にそれぞれの論点、ポイントへと導くために用意された質問である」として、「一旦、聞き手に質問を与え、それについて考えてもらうことによって、聞き手を引き込む、注意を向けさせるという手法」だと述べ、「相手の注意を喚起し、自分の論点に引き込ませるために、最もインパクトのある効果的な方法だ」としています。
 第4章「東條、田中、そして小泉」では、田中が、「実行力に裏付けられたリーダーシップがあるにもかかわらず、どうして終始、謙虚な印象を与えることばを使ったの」かについて、「多分自分が学歴もなく貧しい生活から出発したということで、何がしかの負い目、地位の差ということを感じ続けてきたからかもしれない」と指摘し、田中の母親が「総理大臣という地位、仕事も出稼ぎにすぎない」と述べている背景には、「息子はどんなに偉くなろうとも、自分の出身地、出身階層について忘れてはいない、常に頭の中には、自分と同じ田舎、社会階層の人々のことがある」ということだと述べています。
 そして、田中の話し方の特徴として、「ただ単に、地域方言というコードを使うだけではなく、地域方言と標準語という2つのコードの絶妙な交互仕様にある」として、「有能な政治、首相」というアイデンティティ(信頼、維新、権威)と「田舎出身、庶民、農民」というアイデンティティ(仲間意識、身内意識、親しさ)の「2つのアイデンティティが演説の中で両立したときに、聞き手は田中との一体感から感動を覚え、熱烈な支持者へと変身するのである」と述べています。
 また、田中の語り口について、ノンフィクション作家の佐野真一が、「誰も口をさしはさむ余地のない怒涛のような『押し』があるだけ」ではなく、「絶妙のタイミングを見計らった『引き』の呼吸が、懐に飛び込んでもいいんだな、と相手に思わせる角栄の話法の最大の武器」だと指摘していることについて、「それはとりもなおさず、力のコードと仲間意識、連帯のコードのことであり、この2つのコードをスイッチしながら話をすること、そのコードスイッチが織り成すパターンそのものが、2つのアイデンティティ(これは社会言語学ではデュアル・アイデンティティdual identityとよばれる)を象徴している」と述べています。
 第5章「ことばのダイナミズム」では、心理言語学に「マジックナンバー・セブン」という言葉があり、「人間の情報を処理する能力は、単語にして七語前後の長さが限界である」とする説を紹介し、「鍵になってくるのは、伝えたい情報をいかに相手にわかりやすくパッケージ化するかということ」だと述べています。
 そして、「日本の政治家は『低コンテキスト』化した社会の中で、ことばというものの大切さ、特に相手にわかりやすく言葉を使うということに、なお一層、そして本気で取り組んでいかないといけなくなるに違いない」と述べています。
 本書は、日本の政治家にとっての「ことば」の重要性の変化を言語学の視点から分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 同じ著者による『言語学者が政治家を丸裸にする』を先に読みましたが、切れ味という点ではこちらのほうが面白い。おそらく本書を読んだ文藝春秋の編集者が安倍首相を絡ませて一冊書いてくれ、というので書いたのではないかと想像しますが、やはりオリジナルのほうが力が入っている気がします。


■ どんな人にオススメ?

・政治家にとって「ことば」外貨に重要かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 東 照二 『言語学者が政治家を丸裸にする』 2009年02月22日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 都築 勉 『政治家の日本語―ずらす・ぼかす・かわす』 2006年10月24日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百音

3rd.BREAK【3rd.BREAK】 バービーボーイズ オリジナル盤発売: 1986

 80年代のギターという感じがうれしいです。「なんだったんだ? 7DAYS」が好きだったです。「負けるもんか」の方が代表曲なんでしょうが。

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2009年05月18日

現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析

■ 書籍情報

現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析   【現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析】(#1579)

  小林 良彰
  価格: ¥3,360 (税込)
  東京大学出版会(1997/01)

 本書は、「政治学を学び、研究する者」の課題として、「現代日本の政治過程を計量的に分析」し、「わが国において、『選挙の際に政党や候補者が提示した公約に基づいて有権者が投票し、選出された議員が付託された民意に基づいて国会の中で議論をして政策を決定し、官僚がこれを執行すると言う民主主義の理念」が実行されてきたかを検証するものです。
 著者は、「われわれの『日本型民主主義』のどこに問題があり、どこを直せば、わが国の民主主義が改善するのであろうか」という課題について、
「日本型民主主義」の機能不全として、「有権者の意向が政治に反映されていないという状態」を指摘しています。
 第3章「政党公約と政府支出」では、「わが国において、有権者が選挙を通して政党・候補者に委託した民意が、どのような形で再び有権者にフィードバックされているのかを実証的に分析する」としています。
 その結果、
(1)わが国の政党公約の推移を見ると、頻繁に移動を繰り返している。
(2)政党公約が政府支出に与える影響については、わが国は諸外国とは異なり、全体的に政党公約が予算決定に反映される度合いは低い。
(3)政党を通さない形で国民の要求が政府支出に反映されている領域がある。
(4)政党公約と政府支出の関係は、政策領域によって、ある程度のバリエーションが見られる。
の4点を挙げ、「わが国では、間接代議制によって有権者の意向が政策形成に反映されることが期待されているものの、現実には、政策形成に関与できる国民は限定されている」と述べています。
 第4章「公約と投票行動」では、「候補者が選挙の際に有権者に提示する公約に焦点を当て、投票行動に際して有権者が判断材料としているのかどうかを検証」するとした上で、93年衆院選について、「政治改革を中心として争われた選挙であったのにもかかわらず、政治改革の中身についての言及も少なく、選挙結果にも大きな影響を与えることはなかった」と述べ、結果としては、「同じ選挙結果が非自民連立政権と自民連立政権の双方をもたらすことになり、有権者がこの選挙で何を選択できたのか、あらためて疑問に思う」と指摘しています。
 第5章「選挙における公約の機能不全」では、わが国の民主主義システムの機能不全を指摘した上で、「選挙の前と後で言動が異なったり、選挙前には何も公約として出さないまま、言い換えると、その問題については有権者の信任を得ないまま得た議席で、選挙が終わると、白紙委任を受けたかのように行動する政治家がいる」と指摘しています。
 第6章「政治家のキャリア・ポイント」では、「55年体制下において、わが国の政策形勢を動かしてきた論理を解明するために、キャリア・ポイントという概念を構築する」として、「一般の社会で見られるキャリア・パターンという概念を、政治家にも当てはめてみる」と述べています。
 そして、55年体制下におけるキャリア・パターンの構造として、「首相に最も近いところに大蔵大臣が位置し、これに外務大臣、通産大臣、党三役が続いている。そして、これら6ポストの後方に、内閣官房長官、農林水産大臣、防衛庁長官、運輸大臣、建設大臣が位置し、さらに少し離れて、厚生大臣、郵政大臣、労働大臣が位置していることが明らかになった」と述べ、「キャリア・ポイントという客観的な指標を用いて、国会議員の政治力を見てみると、核内閣、派閥、あるいは役職ごとに、55年体制の特徴が顕著に現れてくる」と述べています。
 第7章「政治的合理性仮説の検証」では、「わが国の政治化が自分たちの利益のために行動すると仮定し、それが現実に当てはまるのかどうかを分析していく」と述べた上で、
(1)地方自治体に対する補助金の決定に、財政状況や経済環境ばかりではなく、政治環境も影響を与えている。
(2)地方自治体の歳出の決定に、政治環境が影響を与えている。
(3)地方自治体に対する補助金の供与や財政支出は、キャリア・ポイントや票となって政治家に利益を還元している。また、キャリア・ポイントや票は、政治家に政治資金をもたらし、その政治資金がさらに政治家にキャリア・ポイントや票をもたらすという連鎖も見られる。
の3点を明らかにしています。
 第9章「有権者の反応:ミクロ分析」では、「55年体制の終了に当たり、『何故、政権交代が生じたのか』と言う質問をする人がいるが、私は、むしろ『何故、政権交代が遅れたのか』を問いたい」として、自民党の相対得票率が、67年衆院選で50%を下回っていて、「本来であれば、そのときに政権交代が起きていても不思議ではなかった」のに30年遅れたと述べ、その理由として、
(1)定数不均衡
(2)新自由クラブという補完勢力の存在
(3)棄権の存在
の3点を挙げています。
 第10章「民主主義再生のための方策」では、「選挙の際に政党や候補者が提示する政策があまりにもあいまいで具体性に欠ける」として、「選挙の際に、政党や候補者が次年度予算案を提示することを義務付けることにしたい」と述べています。
 本書は、日本の民主主義の課題を計量的に指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 いかにその後の変化が大きかったと言えども、日本の政治、特に55年体制の構造をよく理解していないと、現在の日本の政治は理解できないような気がします。その意味では、戦後政治をわかりやすく解説しているのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現代日本の政治を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 佐々木 毅 『民主主義という不思議な仕組み』 2009年02月25日
 ロバート・A. ダール (著), 中村 孝文 (翻訳) 『デモクラシーとは何か』 2009年03月09日


■ 百夜百マンガ

ザリガニ課長【ザリガニ課長 】

 犬、猫、ザリガニと動物擬人化ものを得意とする人です。結構若いのかと思ったら、もう20年選手のベテランだということに驚きました。


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2009年05月12日

特捜検察

■ 書籍情報

特捜検察   【特捜検察】(#1573)

  魚住 昭
  価格: ¥672 (税込)
  岩波書店(1997/09)

 本書は、東京地検特捜部について、「真実を追究してやまない捜査官気質と、ときに政治的判断と組織防衛を優先させる官僚的体質。一体どっちが彼らの本当の顔なのだろう」か、そして、「そもそも特捜部を中核にした日本独特の検察システムはどうして生まれたのだろうか」という謎を解き明かすことを目的としたものです。
 第1章「日本の黒幕」では、東京地検特捜には、約30人の「全国各地から選び抜かれた捜査のプロたちが集まっている」として、「大半が30代後半から40代半ばまでの経験10年以上の中堅・ベテラン検事である」と述べ、「彼らに共通するのは、強烈なプライドである」としています。
 そして、特捜部では、「捜査会議で情報を共有する合議的な方式」をとらず、「主任検事だけに情報を集中させる『落下傘方式』が伝統的な捜査手法だ」と述べています。
 第2章「首相の犯罪」では、ロッキード事件について、「戦後史で最も強烈な個性の光を放つ政治家と企業家の結びつき。2人は、敗戦をスプリングボードに飛躍した。その点では児玉誉士夫も同じである。戦争とそれに続く混乱の中から生まれてきた3人の『怪物』が、ロッキード事件の主役たちだった」と述べています。
 また、「戦後間もない頃、収賄罪で起訴された政治家に無罪判決があいついだ」として、裁判所で「賄賂ではなく政治献金だと思った」という弁解が認められたことを挙げ、「以来、検察には、国会議員を有罪に持ち込むには業者側からの『請託』(依頼)を明確に立証し、受託収賄罪で起訴しなければならないという不文律ができた」と述べています。
 そして、「田中にとって最大の不運は、事件が政敵の三木武夫の政権下で発覚したことだった」としたうえで、「もう一つの不運は、検察首脳人事のめぐり合わせ」を挙げ、「一線検事たちは理想的な捜査環境に恵まれて、力量を十分に発揮した。戦後疑獄史でこれほど捜査が順調に進展し、最終目標に到達したケースは他にない」と述べています。
 第3章「特捜部の誕生」では、1948年の昭和電工事件について、「特捜部発足のきっかけになった戦後最大の疑獄だ」として、「この事件には、後の裁判でも解明されなかった大きな謎が残っている。事件の『陰の主役』として昭和電工と癒着したといわれるGHQ高官の正体である」と述べています。
 そして、1948年8月11日の捜査報告書ほど「昭和電工事件の真相を伝えるものはない」と述べたうえで、「反共主義者ウィロビーのG2にとって昭和電工事件はESSやGSの『アカ』たちを追い落とす絶好のチャンスだった」と述べています。
 また、「ニューディール政策の申し子ケーディスと、国家統制経済が生んだ経済検事のリーダー馬場義続。この2人の出会いが戦後の検察システムの形成に与えた影響は計り知れない」と述べ、ケーディスが「昭和電工事件の捜査から警視庁を外せ」と命じたことは、「検察復権の絶好のチャンスでもあった」と述べています。
 さらに、馬場が、「佐藤栄作ら保守本流に接近して、自民党政権との共存を図った」として、「腐敗の摘発も、やりすぎれば自由主義体制そのものが崩壊してしまう」という「一種のジレンマの中で政治的な駆け引きを繰り返しながら、検察組織の自立性と影響力を強めて」いったと述べています。
 第4章「国滅ぶとも」では、「特捜部で仕事をするのが僕の夢なんだ。一生に一度でいいから、悪い政治家をこの手で捕まえてやりたい」と希望に燃えていながらも、志半ばにして病に倒れた特捜部の副部長、馬場俊行氏を紹介しています。
 そして、「リクルート事件をきっかけに、特捜部はそれまでの10年余りの沈滞がうそだったかのように活発に動き始める」と述べています。
 第5章「不透明な国家」では、東京佐川急便事件について、「リクルート事件を上回る大疑獄摘発の期待が高まった」としながらも、半年後には、「政界のドン」金丸信の処分をめぐって、「検察庁に対する世論の不満が爆発した」と述べ、「『正義の味方』検察庁は一転、権力に屈した卑劣漢になった。一線の検事、事務官たちにとってこれほどの屈辱はない。今まで『主人は検察庁に勤めています』と胸を張っていた妻が『恥ずかしくてもう言えない』とこぼすようになった」という話を紹介しています。
 著者は、「戦後日本の『パンドラの箱』は、バブル経済の崩壊をきっかけに特捜部の手で開かれた。高度経済成長の裏で際限なく膨張し続けてきた『闇の世界』と政財界の利権システムが、そのおぞましい姿を白日の下にさらし始めた」と述べたうえで、「彼らが何者にもひるまず、官僚制度の真相にはびこる腐敗を暴いてはじめて、この国はパンドラの箱に最後にひとつだけ残ったという『希望』を見出すことができるのかもしれない」と述べています。
 本書は、日本の「正義の味方」を体現したイメージでありながら、実態はあまり知られていない東京地検特捜部をわかりやすく語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 東京地検特捜部といえばまず頭に浮かぶのは、役所や政治家の事務所など「権威の象徴」に整列して乗り込み、ダンボール箱を抱えて凱旋してくる姿でしょうか。あれは別にトラックに積み込んで出ればいいのにと思いますが、人権に厳しい昨今、人を連れて晒し者にしてはまずいということで人権のない段ボール箱を使っているのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・特捜部は正義の味方だと思う人。


■ 関連しそうな本

 魚住 昭 『野中広務 差別と権力』 2009年03月14日
 魚住 昭 『官僚とメディア』 2008年04月20日
 魚住 昭 『渡邊恒雄 メディアと権力』
 魚住 昭 『特捜検察の闇』
 共同通信社社会部 『東京地検特捜部』


■ 百夜百マンガ

パノラマ島綺譚【パノラマ島綺譚 】

 江戸川乱歩の雰囲気を漫画にできるのはこの人、ということで他の作品もぜひ描いてほしいです。


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2009年05月07日

情報公開法入門

■ 書籍情報

情報公開法入門   【情報公開法入門】(#1568)

  松井 茂記
  価格: ¥693 (税込)
  岩波書店(2000/11)

 本書は、「情報公開法を最大限利用して、情報公開を求めること」を通じて、「情報公開法の不十分なところを明らかにし、さらに情報公開が進められるよう見直しを進める」ため、に、「情報公開法の考え方や仕組みを説明」するものです。
  「はじめに」では、「日本は、世界でも悪名高い秘密主義の国である」とした上で、「ようやく情報公開法が制定され、施行されることによって、今その情報公開制度が国のレベルでも確立されようとしている」と述べ、「これをどのように運用していくかは、まさに日本の政治によってきわめて重要な試金石となろう」としています。
 第1章「情報公開法とはどんな法律か」では、情報公開制度を、「国は地方公共団体など『政府』の機関の保有する情報の公開を法的に義務付け、国民(住民)に政府情報の公開を求める権利を保証した制度」だと定義したうえで、国民が「憲法で保障されて権利を行使し、国政について最終的決定を下すためには、政府の諸活動を知る機会が補償されなければならない」として、「日本国憲法はまさに情報公開を求めていたといわざるを得ない」と述べています。
 そして、情報公開に対して、「国の動きは極めて消極的であった」と指摘しています。
 第2章「どんな情報に開示請求できるか」では、情報公開法が、「『行政機関』の保有する行政情報に対して、開示請求権を保障している」とした上で、「これらの『行政機関』は、開示請求の対象機関となると同時に、開示請求に対する判断主体となる」ため、「どのレベルで決定が行われるかを示すために、こんなにややこしい規程となった」と述べています。
 そして、「行政の役割を担うために政府の外に設立されているさまざまな法人、いわゆる『特殊法人』等が、対象機関には挙げられていない」ことを指摘しています。
 また、情報公開請求の対象となるのが、「まず『行政機関の職員が職務上作成し、または取得した』ものでなければならない」ことなどを解説しています。
 第3章「開示請求の基本的な仕組みはどうなっているのか」では、「行政機関の長が、開示請求対象文書に不開示情報が何ら含まれていないと判断すれば、文書の開示決定を行う」が、「開示請求対象文書に不開示情報が記録されている場合、行政機関の長は開示拒否(不開示)の決定を下すことになる」と述べ、「開示請求に関わる行政文書の一部に不開示情報が記録されている場合」には「部分開示」されることや、「開示請求対象文書が存在しないことを理由とする開示拒否決定」(文書不存在)があると述べたうえで、「当該開示請求に関わる行政文書が存在しているか否かを答えるだけで、不開示情報を開示することとなる場合がある」として、「当該行政文書の存否を明らかにしないで、当該開示請求を拒否することができる」場合を、アメリカでは「グロマー回答」や「グロマライゼーション」と呼ばれていることを紹介しています。
 そして、「情報公開請求には、手数料の支払いが求められる」が、「要綱案が情報公開請求に手数料の支払いを求めることとしたことに対しては、強い批判が巻き起こった」と述べています。
 第4章「どのような情報が例外とされているか」では、「本来、行政機関の保有している文書に個人に関する情報が含まれている場合、その個人情報についてはプライヴァシーの権利保護のため、本人以外の人からの開示請求を拒否すべきである」としつつも、いくつかの例外を挙げた上で、公務員の氏名の取扱については、「公務員に対する懲戒処分書のように人事に関して公務員の氏名が記載されている場合は、公務員であっても氏名を開示しないことができるという点では、あまり異論はない」が、「交際や接待の場に出席した職員の氏名が記載されたり、起案の家庭で担当職員の氏名が記載されたりしている場合、記載された氏名は『個人』としてではなく担当職員の明示という趣旨と考えられる」ため、「このような担当職員名は『個人』に関する情報として非開示とすべきでは内容に思われる」が、「地方公共団体の中にはこの場合にも個人情報として非開示とすることを認めるところも現れた」と述べています。
 また、いわゆる「意思形成過程情報」を例外事由と認めたことについて、「地方公共団体の条例と比較し、『意思形成過程』という包括的な文言を意図的に避けたうえに、非公開とすることが認められる支障を具体的に列挙した点で、評価できる」としています。
 第5章「開示拒否にどのような救済が用意されているか」では、「開示請求に対して開示拒否決定をされた場合、行政不服審査法に従って不服の申し立てをすることができる」とともに、情報公開法が、「地方公共団体と同様、情報公開審査会を設置し、不服申し立てがあった場合、この審査会に諮問することとした」と述べています。
 第6章「裁判所に訴える」では、「開示拒否決定に対する不服申し立てに対し情報公開審査会も開示拒否決定を支持して処分庁・審査庁が不服申し立てを棄却した場合、それに不満であれば、もはや裁判所に訴えて救済を求めるほかない」と述べています。
 第7章「第三者の利益保護との調和をどう図るか」では、「情報公開を進める上で困難な問題の一つ」として、「第三者の利益保護との調整をどのように図るか」と述べ、第三者意見聴取手続きを設けることについて、「このような意見を述べる機会を確保することは、望ましいというだけではなく、まさに必要なことであったというべきである」と述べています。
 第8章「情報公開制度をより実効的にするために」では、「情報公開法が施行され、情報公開が実効的に確立されるためには、何よりも行政文書の作成・管理がしっかりと確立される必要がある」と述べるとともに、「情報公開法の制定に際し、地方公共団体の情報公開条例の扱いが問題とされた」 として、「地方公共団体の事務の8割近く」を占める国の機関委任事務の扱いが問題とされたと述べています。
 そして、「情報公開法の制定は、『開かれた政府』実現のための重要な一歩である」が、「これだけで『開かれた政府』が実現するわけではない。真に『開かれた政府』を実現するためには、まだこれから先、長い道のりが必要である」と述べています。
 本書は、情報公開がある程度定着した今だからこそ、改めてその意義を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 この10年で情報公開はすっかり定着しましたが、一方で、開示請求の多くが、特定の少数の人が一人で大量の開示請求をしているという実態も明らかになってきていて、各所で見直しが行われているようです。


■ どんな人にオススメ?

・情報公開制度について経緯を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 太田 雅幸 『情報公開法の解説』
 宇賀 克也 『ケースブック情報公開法』


■ 百夜百マンガ

鉄のドンキホーテ【鉄のドンキホーテ 】

 マイナーなスポーツのモトクロスを舞台にした作品。読みきり時代の『北斗の拳』が収録されていることでも知られています。


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情報公開法入門

■ 書籍情報

情報公開法入門   【情報公開法入門】(#1568)

  松井 茂記
  価格: ¥693 (税込)
  岩波書店(2000/11)

 本書は、「情報公開法を最大限利用して、情報公開を求めること」を通じて、「情報公開法の不十分なところを明らかにし、さらに情報公開が進められるよう見直しを進める」ため、に、「情報公開法の考え方や仕組みを説明」するものです。
  「はじめに」では、「日本は、世界でも悪名高い秘密主義の国である」とした上で、「ようやく情報公開法が制定され、施行されることによって、今その情報公開制度が国のレベルでも確立されようとしている」と述べ、「これをどのように運用していくかは、まさに日本の政治によってきわめて重要な試金石となろう」としています。
 第1章「情報公開法とはどんな法律か」では、情報公開制度を、「国は地方公共団体など『政府』の機関の保有する情報の公開を法的に義務付け、国民(住民)に政府情報の公開を求める権利を保証した制度」だと定義したうえで、国民が「憲法で保障されて権利を行使し、国政について最終的決定を下すためには、政府の諸活動を知る機会が補償されなければならない」として、「日本国憲法はまさに情報公開を求めていたといわざるを得ない」と述べています。
 そして、情報公開に対して、「国の動きは極めて消極的であった」と指摘しています。
 第2章「どんな情報に開示請求できるか」では、情報公開法が、「『行政機関』の保有する行政情報に対して、開示請求権を保障している」とした上で、「これらの『行政機関』は、開示請求の対象機関となると同時に、開示請求に対する判断主体となる」ため、「どのレベルで決定が行われるかを示すために、こんなにややこしい規程となった」と述べています。
 そして、「行政の役割を担うために政府の外に設立されているさまざまな法人、いわゆる『特殊法人』等が、対象機関には挙げられていない」ことを指摘しています。
 また、情報公開請求の対象となるのが、「まず『行政機関の職員が職務上作成し、または取得した』ものでなければならない」ことなどを解説しています。
 第3章「開示請求の基本的な仕組みはどうなっているのか」では、「行政機関の長が、開示請求対象文書に不開示情報が何ら含まれていないと判断すれば、文書の開示決定を行う」が、「開示請求対象文書に不開示情報が記録されている場合、行政機関の長は開示拒否(不開示)の決定を下すことになる」と述べ、「開示請求に関わる行政文書の一部に不開示情報が記録されている場合」には「部分開示」されることや、「開示請求対象文書が存在しないことを理由とする開示拒否決定」(文書不存在)があると述べたうえで、「当該開示請求に関わる行政文書が存在しているか否かを答えるだけで、不開示情報を開示することとなる場合がある」として、「当該行政文書の存否を明らかにしないで、当該開示請求を拒否することができる」場合を、アメリカでは「グロマー回答」や「グロマライゼーション」と呼ばれていることを紹介しています。
 そして、「情報公開請求には、手数料の支払いが求められる」が、「要綱案が情報公開請求に手数料の支払いを求めることとしたことに対しては、強い批判が巻き起こった」と述べています。
 第4章「どのような情報が例外とされているか」では、「本来、行政機関の保有している文書に個人に関する情報が含まれている場合、その個人情報についてはプライヴァシーの権利保護のため、本人以外の人からの開示請求を拒否すべきである」としつつも、いくつかの例外を挙げた上で、公務員の氏名の取扱については、「公務員に対する懲戒処分書のように人事に関して公務員の氏名が記載されている場合は、公務員であっても氏名を開示しないことができるという点では、あまり異論はない」が、「交際や接待の場に出席した職員の氏名が記載されたり、起案の家庭で担当職員の氏名が記載されたりしている場合、記載された氏名は『個人』としてではなく担当職員の明示という趣旨と考えられる」ため、「このような担当職員名は『個人』に関する情報として非開示とすべきでは内容に思われる」が、「地方公共団体の中にはこの場合にも個人情報として非開示とすることを認めるところも現れた」と述べています。
 また、いわゆる「意思形成過程情報」を例外事由と認めたことについて、「地方公共団体の条例と比較し、『意思形成過程』という包括的な文言を意図的に避けたうえに、非公開とすることが認められる支障を具体的に列挙した点で、評価できる」としています。
 第5章「開示拒否にどのような救済が用意されているか」では、「開示請求に対して開示拒否決定をされた場合、行政不服審査法に従って不服の申し立てをすることができる」とともに、情報公開法が、「地方公共団体と同様、情報公開審査会を設置し、不服申し立てがあった場合、この審査会に諮問することとした」と述べています。
 第6章「裁判所に訴える」では、「開示拒否決定に対する不服申し立てに対し情報公開審査会も開示拒否決定を支持して処分庁・審査庁が不服申し立てを棄却した場合、それに不満であれば、もはや裁判所に訴えて救済を求めるほかない」と述べています。
 第7章「第三者の利益保護との調和をどう図るか」では、「情報公開を進める上で困難な問題の一つ」として、「第三者の利益保護との調整をどのように図るか」と述べ、第三者意見聴取手続きを設けることについて、「このような意見を述べる機会を確保することは、望ましいというだけではなく、まさに必要なことであったというべきである」と述べています。
 第8章「情報公開制度をより実効的にするために」では、「情報公開法が施行され、情報公開が実効的に確立されるためには、何よりも行政文書の作成・管理がしっかりと確立される必要がある」と述べるとともに、「情報公開法の制定に際し、地方公共団体の情報公開条例の扱いが問題とされた」 として、「地方公共団体の事務の8割近く」を占める国の機関委任事務の扱いが問題とされたと述べています。
 そして、「情報公開法の制定は、『開かれた政府』実現のための重要な一歩である」が、「これだけで『開かれた政府』が実現するわけではない。真に『開かれた政府』を実現するためには、まだこれから先、長い道のりが必要である」と述べています。
 本書は、情報公開がある程度定着した今だからこそ、改めてその意義を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 この10年で情報公開はすっかり定着しましたが、一方で、開示請求の多くが、特定の少数の人が一人で大量の開示請求をしているという実態も明らかになってきていて、各所で見直しが行われているようです。


■ どんな人にオススメ?

・情報公開制度について経緯を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 太田 雅幸 『情報公開法の解説』
 宇賀 克也 『ケースブック情報公開法』


■ 百夜百マンガ

鉄のドンキホーテ【鉄のドンキホーテ 】

 マイナーなスポーツのモトクロスを舞台にした作品。読みきり時代の『北斗の拳』が収録されていることでも知られています。


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2009年05月06日

行政指導―官庁と業界のあいだ

■ 書籍情報

行政指導―官庁と業界のあいだ   【行政指導―官庁と業界のあいだ】(#1567)

  新藤 宗幸
  価格: ¥560 (税込)
  岩波書店(1992/03)

 本書は、「行政指導を可能としている日本の行政や政治の構造や業界のそれが、究明されるべき」だとしたものです。著者は、行政指導は、官僚制と経済界の間のみならず、
(1)中央政府と自治体の間
(2)自治体が「要綱行政」として展開している行政指導
の2つの領域において、「有力な政策実施手段となっている」と述べたうえで、「国際的にも国内的にも行政指導への批判が強まっているからこそ、行政指導についての記述概念を越えた考察が、必要とされている」と述べています。
 第1章「行政指導とは何か」では、行政指導の正確として、
(1)ある特定の目的の実現に向けて、法令の根拠を基本的背景としつつ特定の相手の行動を操作する、あるいは事案に直接適用する法的根拠がなくとも、何らかの関連する法的根拠を援用しつつ特定の相手の行動を操作する、官僚制の行動である。
(2)相手の行動の操作としての行政指導には、多様な手段が用いられている。
(3)行政指導は、多数の「目的」と「手段」に関連する法令を援用した個別的な官僚制の行動ではなく、それ自体、ひとつの行政制度となっている(なりつつある)。
(4)行政制度としての行政指導には、多くの場合、行動を操作し・されることを通じて官・民の間に利害共同体とも言うべきコミュニティが作られている。
の4点を挙げています。
 そして、行政指導の主要な目標と機能している領域を基準として、
(1)産業の育成・構造転換のための行政指導
(2)事業の監督・保護のための行政指導
(3)秩序の形成・維持のための行政指導
(4)紛争調停のための行政指導
(5)社会保障・社会福祉のための行政指導
(6)組織管理のための行政指導
(7)その他──表現、思想、信条の自由などに関係する行政指導
の7つのカテゴリーに分類しています。
 第2章「なぜ行政指導が可能なのか」では、「行政指導は官僚制にとって『有効』なだけでなく、相手にとっても、どのような意味で『有効』なのだろうか」とした上で、「行政指導のうまみ」の最大のものは、「責任の回避」であるとして、「行政機関は、法廷において自らの行為について弁明しなくてもすむし、少し大げさに言えば、『行政の無謬性神話』を維持し続けることができる」と述べています。
 また、通産省の行政指導の特色として、「業界・業界団体が、行政指導の受け入れ窓口兼個々の企業に対する指示の徹底化のためのエージェントになっていること」を挙げています。
 第3章「行政指導のどこが問題か」では、石油ヤミカルテル事件における最高裁判決において、「適法な行政指導」という「注目すべき概念」が示されたとして、これによって、「行政指導は『法の支配』の番人によって承認されたともいえる」と述べたうえで、「行政指導による行政」に伴う欠陥は、「複合することによって、法の規範としての権威を失墜させる恐れがある」ことを指摘しています。
 終章「行政指導をどうするか」では、「現代の民主主義を基本とする行政にとって、『法の支配』がなによりも重視されなくてはならない」としながらも、「私たちに課せられているのは、行政指導を全面的に否定することではなく、現実の行政指導をこの理論上の可能性に近づけるにはどうしたらよいかを、検討することでなくてはならない」と述べています。
 そして、「今日必要とされる行政の役割」は、「経済社会における機会の平等の公明な保障に向け、法的ルールを確立するとともに、それを着実に運用していかなくてはならない」と述べ、「いま、問われているのは、行政との共生なくして経済社会の発展がないという呪縛から、私たちが自らを解き放つことである」と述べています。
 本書は、行政指導を今後どうするべきかという前向きな視点から取り組んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 行政手続法ができたことで行政指導については一定の整理がされましたが、省庁と業界団体の利害共同体としての関係など、本書にはまだまだ見るべき点があると思います。


■ どんな人にオススメ?

・「行政指導」は過去のものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 持田 信樹 『地方分権の財政学―原点からの再構築』 2007年03月15日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 大森 彌 『官のシステム』 2007年07月30日
 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日


■ 百夜百音

KING'S NIGHT DREAM WESTERN & EASTERN【KING'S NIGHT DREAM WESTERN & EASTERN】 THE ALFEE オリジナル盤発売: 2002

 三億円事件を題材にしたことで発売中止になった「府中捕物控」という曲が収録されています。作曲はヤッターマンで知られる山本まさゆきさんです。一般に知られているアルフィーの雰囲気とは違う気もするのですが、こっちが本当なのかもしれません。


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2009年05月05日

地方分権事始め

■ 書籍情報

地方分権事始め   【地方分権事始め】(#1566)

  田島 義介
  価格: ¥662 (税込)
  岩波書店(1996/03)

 本書は、「史上初めて『地方分権推進法』が制定されて、地方分権推進委員会が設置され、明治以来挫折を繰り返しながらも、5度目の高まりを迎えている」地方分権について、「現場の動きを盛り込みながら、身近なところで分権とは何かを考えてみよう」としたものです。
 第1章「なぜ分権が必要なのか」では、地方分権の必要性を、「まちづくりに繋がる都市計画と、高齢化と少子化を抱える福祉問題を中心に」検討し、「意欲ある自治体が自分たちのまちの自然を守ろうとしたり、個性ある地域づくりをしようとしても、全国一律の法にさえぎられて、なかなか思うとおりには行かないのが現実」だとしています。
 そして、住民に近い自治体が思いを込めて打ち出す条例や要綱を、国は警鐘と受け止め、法で最低基準を定めても、地域の個性は条例で活かせる分権の道を開く必要がある」と述べています。
 第2章「分権と政党・官僚」では、95年12月22日に、地方分権推進委員会が発表した中間報告の骨格となる見解について、「分権推進を明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革」とした「基本的考え方」から一段と踏み込み、「国と地方の関係の根本的な改革を打ち出した」としています。
 そして、地方分権推進法が、「中央省庁と自民党の抵抗を受けながらも、なぜ成立したのか、この時代の波とも言うべき状況」を振り返るとして、神奈川県の長洲知事が、分権論議の高まりの背景として、
(1)国際化への対応
(2)東京一極集中の問題
(3)政治の構成や透明性の確保への強い要請
(4)地方の実力の向上
の4点を挙げていることを紹介しています。
 また、地方分権推進委員会に関して、官僚側が、「地方分権推進委員会の権限強化と引き換えに、たくみに方向性を骨抜きにした」と指摘しています。
 第3章「参画と自治を求める住民たち」では、「原発や空港建設など賛否が割れる地域の政策課題の方向づけに、住民投票求める動きが目立つ」とした上で、「各種の選挙で、投票率の低さが問題になっている」中、「政治を住民に近づけるために、重要問題では、議会は投票結果を参考にするが、拘束はされない諮問型『政策投票』制導入に取り組むべきときではないだろうか」と述べています。
 第4章「分権への厚い壁」では、「地方分権への壁は厚い」として、「分権には、集権システムだけでなく、意識の改革が必要なのだ。明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革といわれるわけだ」と述べています。
 そして、国による自治体への「関与」が、「権力的なものと非権力的なものに大別される」とした上で、「地方税、地方交付税、地方債などの収入が、国によって厳しくコントロールされてもいる」として、「自治体が地域にあった新規事業を計画しても、その財源を増税で調達はできない。かといって、地方債発行もままならない。地方交付税を頼りにしても、自治省が決めるルールに沿わないものは無理だ。勢い補助金獲得に走ることになるが、これも各省庁が決めた補助基準があり、これにあわせないと補助金は出ない」と指摘しています。
 第5章「分権論の軌跡」では、「地方分権は今に始まったことではない」として、
(1)明治時代の自由民権論
(2)大正時代の大正デモクラシー
(3)敗戦後のシャウプ勧告を受けた地方行政調査委員会議(神戸委員会)
(4)美濃部都政をはじめとする革新自治体期
に次ぐ、5度目のうねりだと述べています。
 そして、「中央集権のなかでの自治体の公害や福祉への政策展開や職員の自己改革への努力、市民・住民の行政や公共事業への参画、自治を求める動きが明治以来5度目の地方分権への波を支え、地方自治法の殻をやぶろうとしている」と述べています。
 本書は、第一次地方分権改革の成立前夜の雰囲気を伝えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は13年前の本ということで、さすがに内容としては古いのですが、今ではすっかり当たり前になった地方分権推進一括法や機関委任事務の廃止がまだ姿がきちんと見えていない時代に書かれたものなので、それゆえの臨場感を感じられるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・地方分権改革の同時代感を追体験したい人。


■ 関連しそうな本

 西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日
 西尾 勝 『未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日』 2007年04月09日
 西尾 勝 『行政学』
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 大森 彌 『官のシステム』 2007年07月30日
 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日


■ 百夜百音

Abba-esque【Abba-esque】 Erasure オリジナル盤発売: 1992

 映画「マンマ・ミーア」のヒットでアバに脚光があたっていますが、アバをカバーしたこの人たちも忘れるわけにはいきません。女装はどうかと思いますが。


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2009年04月22日

政党崩壊―永田町の失われた十年

■ 書籍情報

政党崩壊―永田町の失われた十年   【政党崩壊―永田町の失われた十年】(#1553)

  伊藤 惇夫
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2003/07)

 本書は、自民党、新進、太陽、民政、民主という5つの政党の事務局を経験した著者が、「政治に深い不信感を抱く多くの人たちや、関心を持つ機会さえ失ってしまった人たちに、この10年の政治の動きの『なぜ』『どうして』を少しでも知ってもらうことができれば、同時にそれが新しい政治の幕開けに、ほんのわずかでもヒントを与えられるのなら」という考えで著したものです。
 第1章「政治改革が残したもの」では、89年当時、党、国会、選挙制度、政治資金制度の4つの改革を柱とした政治改革がスタートしたことについて、「当時の自民党内の熱気はかなりのものだった。それだけに『あの時の「最初のボタン」の掛け違いが、本当の政治改革を進める絶好のチャンスを失わせたのではないか」との思いを述べています。
 そして、政治改革が現実に成果を挙げられなかった理由として、「自民党が追い詰められ、思考停止状態に陥っていたあの状況こそ、本当の改革を実現する千載一遇のチャンスだったかもしれない」と述べています。
 第2章「五五年体制崩壊と細川政権」では、細川、羽田の両政権について回る「非自民」という言葉について、「当事者が使ったとたんに、この言葉はきわめて重い意味を持ってくる」として、「『自民』がついている限り、その呪縛から逃れることはできない」として、「非自民連立政権は、つまるところ『非自民』を捨てられなかったことで、つかの間の夢に終わったといえるだろう」と述べています。
 第3章「自民党の救世主・社会党」では、「五五年体制下、国会が単なる『セレモニー』の場と化す一方で、自社の『談合政治』の主舞台となったのが国対である」として、「自社の国対族の癒着はマスコミも含め、公然の秘密だったが、ほとんど公になることはなかった」と述べています。
 そして、自社が連立を組んだ背景として、「変化に対する恐怖」という両党の利害の一致を指摘し、「住み分けに安住しているものにとって、何より大事なのは既成の構造であり、秩序である」として、「ある意味で両党の生活防衛から出たもの」ではないかと述べています。
 また、自社さ政権が残したものとして、「国民が政治に直接関与できる唯一の機会である選挙を無意味にしてしまったこと」だとして、「自社さ政権が、政治の世界の『モラルハザード』を体現した政権だった」と述べています。
 第4章「新進党の実験と失敗」では、新進党を「戦後政治史の中でも最大の『実験』」だとした上で、96年総選挙での敗因について、「小澤大半小沢という党内の深い亀裂が、一丸となった選挙を葉版多古と」を指摘し、「一時は『自民党に替わりうる政党』という期待すらもたれた新進党はたった3年で、その生涯を終えた」と述べています。
 そして、「合併型の新党が成功するためには、結党時の情熱が冷めず、新鮮さから来る期待感が国民に残っているうちに、明確な目標(政権獲得)を一定レベルまで達成してしまうことが必要だ」と述べたうえで、「確かに小沢は大きな絵図が描ける政治家であり、政策・理念を真正面に掲げ、摩擦を恐れずに突き進む稀有な存在でもある」が、「小沢が新進党の運営で見せた特徴的な傾向は、抜きがたい『派閥意識』だった」と指摘しています。
 第5章「迷走・民主と雑食・自民」では、「93年6月の自民党分裂から始まった政界の激動、その先頭には常に小沢が立っていた。自民党中心の政治構造が変わるかもしれないという思いを具現化するための象徴が小沢でもあった」としながらも、「自民党の連立政権参加を決断した小沢の頭の中には、おそらくさまざまな戦略、野望が渦巻いていたはず」にもかかわらず、「結果から見れば小沢は自民党の危機を救った上で、『使い捨て』にされたことになる」と述べています。
 第6章「小泉政権、そして……」では、「民主党は人事の面から見ると、不思議な政党である」として、「功績をあげたものが次々と排除されていく」として、菅、羽田、熊谷などの「逆信賞必罰」によって、「自らを弱体化していった」と述べています。
 そして、自民党が自社さ政権樹立に踏み切った瞬間に、「過去と訣別し、新たな状況に適応するために大胆な『変身』を遂げた」として、「好みの食事にしか手を出さない贅沢な『偏食動物』から、生存のためにはどんな食物でも、時には毒にでも手を出し、強靭な胃袋で消化してしまう『雑食動物』へのメタモルフォーゼである」と指摘しています。
 終章「政党とは」では、「この十年、政治は大きく揺れ動いたように見える」が、「非自民政権が存在したのは当初の十ヶ月だけ」だとして、「実は『主役』はそのままに、『脇役』だけが入れ替わったというのが、実態である」と述べています。
 本書は、複雑で分かりにくい90年代の数々の新党設立を当事者の目から描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 90年代の政党は入れ替わりが激しいのでよく分からないのですが、本書に収められている「主要政党離合集散チャート」は、分かりやすいのかもしれません。
 つい「離合集散」ではなく、「烏合離散」という言葉が浮かんでしまいました。イメージとは恐ろしいものです。


■ どんな人にオススメ?

・90年代の政党の関係を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 塩田潮 『民主党の研究』 2008年10月21日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日
 飯尾 潤 『政局から政策へ―日本政治の成熟と転換』 2008年08月28日


■ 百夜百マンガ

サイコドクター楷恭介【サイコドクター楷恭介 】

 小説やドラマの世界では心理学モノは一定のファンがいるのかよく登場するテーマです。とはいえ、次々に珍しい症状が飛び込んでくることはありえないと思いますが。


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2009年04月20日

クジラは誰のものか

■ 書籍情報

クジラは誰のものか   【クジラは誰のものか】(#1551)

  秋道 智彌
  価格: ¥777 (税込)
  筑摩書房(2009/01)

 本書は、「どうしても感情的になりやすいクジラ問題を、改めて歴史的、文化的、地球環境的、経済的に整理」し、「人類とクジラのあるべき将来像を考察」したものです。
 序章「クジラと人間」では、「クジラを獲ることや食べることは時代錯誤」だとする反捕鯨派に対し、「クジラを適切に利用することができなければ、地球を救えない」と述べています。
 そして、現代の捕鯨・反捕鯨に関する論争に対し、
(1)文化を相対的に見る立場からは何が提起できるか。
(2)クジラは地球全体にとっての共有財産とみなすことができるか。
の2点を問題提起しています。
 第1章「クジラの浜」では、「クジラと人間とのかかわりは多様である」として、「クジラと人間のかかわりは、地域ごと、浜ごとに大変異なった様相を持つ」と述べています。
 第2章「クジラの経済学」では、「クジラと人間とのかかわりについて考える最大のポイント」として、「クジラを消費するのか、あるいは消費しないのか」という点を挙げた上で、「鯨汁」や「クジラのタレ」など、「全国各地に多様な鯨食習慣が分布している」と述べています。
 そして、「数千年の伝統をもつ鯨食の食文化がわずか20年ほどの変化で消滅しつつあるとしたら悲しいことだ」と述べています。
 第3章「クジラと日本文化」では、「日本のクジラ文化についての知見を周辺世界の事例と比較しながら、捕鯨の技術史とクジラ観に絞って検討」するとしています。
 そして、「鯨塚、鯨慰霊碑、鯨墓など、人間が鯨の恩恵を受けたことへの感謝の念、鯨の霊への弔い、憐れみの情念とともに、大量祈願、公開安全など、海で働く漁民の願いを込めるなどきっかけはさまざまであり、鯨と人間とのかかわりを捕鯨=鯨の死=鯨墓と単純化して考えるべきではない」と述べています。
 第4章「クジラと政治」では、クジラと人間の関係性について、
(1)地球上における生物の進化に着目する考え方
(2)人間はクジラを食料や道具、工業製品の原料などとして利用してきた歴史を持つ。
(3)クジラと人間との多様なかかわりはさまざまな範疇で類別化することができる。
の基本的な考えを示しています。
 そして、「ニューヨークやロンドンのエコロジストがアームチェアに座りながら、いかに格好良く生物の多様性保護を主張したところで、地球で環境の保護と開発の狭間で問題を抱えている住民を本当に説得することはできない」と述べています。
 第5章「クジラとコモンズ」では、人間が、「海洋空間に縄張りを主張して、本来誰のものでもない海洋生物を排他的に利用しようとしてきた」として、「高度回遊性のクジラ・イルカ類を捕獲しようとする際、地域間、国家間で利用権をめぐる利害対立が生じる」と述べています。
 第6章「クジラと人間の好ましい共存とは」では、「イルカと遊ぶドルフィン・スイムの体験者と、捕鯨でクジラを仕留める捕鯨者とは全く違いにいるようなものの、体験という共通項で両者はどこかで共有できるものを持っているはずだ」と述べています。
 そして、「人間とクジラはともに哺乳動物であるが生活領域は異なる」ため、「陸を活動の基礎とする人間と海洋に適応したクジラとではそもそも共生という用語を使うこと自体が問題となる」と指摘し、「捕鯨に反対する勢力と世論に対して、この先、敢然と立ち向かう決意を持って捕鯨再開を目指すスタンスは保持すべきである」と述べています。
 本書は、クジラと人間のかかわりを振り返りながら、捕鯨再開を主張した一冊です。


■ 個人的な視点から

 クジラの問題を小さいスペースに網羅的に並べたため、本格的に調べようとすると物足りない点が多いかもしれませんが、まず全体像を知るためには読みやすい分量ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・クジラ問題の全体像を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 駒村 吉重 『煙る鯨影』 2008年09月15日
 渡邊 洋之 『捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間』 2008年01月31日
  『鯨類生態学読本』
 小松 正之 『クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係』
 小松 正之, 日本水産学会 『よくわかるクジラ論争―捕鯨の未来をひらく』
 大隅 清治 『クジラと日本人』


■ 百夜百マンガ

独裁君【独裁君 】

 表紙の人はイメージどおりのふてぶてしいヤバイ感じを醸し出していますが、先日の映像ではすっかり痩せてしまって別の意味でヤバイ感じを発していました。


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2009年04月19日

原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史

■ 書籍情報

原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史   【原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史】(#1550)

  有馬 哲夫
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2008/02)

 本書は、アメリカの公文書館などでCIAなどの機密文書を解読してきた著者が、「日本の原子力発電導入にまつわる連鎖をできるかぎり詳細に」たどったものです。著者は、ノーチラス号の進水から始まった連鎖が、第5福竜丸事件を経て、日本の原子力導入、ディズニーの科学映画『わが友原子力』の放映、東京ディズニーランド建設絵と続き、「その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった」と述べています。
 第1章「なぜ正力が原子力だったのか」では、「正力の壮大な計画が挫折しそうになったとき、それと同時に大いなる政治的野望が芽生えたとき、たまたまそこにあったの原子力だった」と述べ、アメリカの情報機関が、「第5福竜丸事件以来大変な窮地に追い込まれており、日本の反原子力・反米世論の高まりを沈静化させるために必死になっているという情報」を得た正力が、「自分が手を挙げさえすれば、アメリカ側の強力な支援が得られ、『原子力の父』になれるという感触を得た」ことで、この切り札を使って「何とか総理大臣になろうと執念を燃やす」と述べています。
 第2章「政治カードとしての原子力」では、「日が九国の日本で原子力の研究開発を進めることは容易ではない」ため、「このような姿勢を変えるとすれば、メディアの力が必要だった」うえ、「アメリカの援助なしに原子力の研究開発を進めることは難しかった」ことから、「メディアとアメリカ・コネクションを持った」正力が浮かび上がったと述べています。
 そして、正力が手にした原子力カードが、「政治的にも大きな利用価値を持っていることに気づくのにそれほど時間はかからなかった」として、「原子力平和利用推進は正力にとってまさしく夢を現実にする魔法の切り札だったのだ」と述べています。
 第3章「正力とCIAの同床異夢」では、1955年の読売新聞の原子力キャンペーンについて、「当時の人々がほとんど知らなかった原子力平和利用というテーマについて認知させ、それが重要な政策課題だと思わせる効果があった」と述べています。
 そして、アメリカからの「原子力平和利用使節団」の来日に合わせて、彼らの日本での講演会の受け皿作りとして、「原子力平和利用懇談会」を設け、この目的について、CIAは、
(1)原子力の平和利用を真剣に考えていること。
(2)それについて日本人が何かできろいうこと
を確信させることを目的として、正力は、
(1)これによって財界人を取りまとめ、自分を支援させること
(2)懇談会の会長として原子力発電導入に関して自分が先頭に立って動いていることをアメリカに、そして国内にアピールすること。
(3)これと関連してライバル緒方竹虎から原子力カードを奪うこと。
の3点を目標としていたと述べています。
 第4章「博覧会で世論を変えよ」では、「反日本共産党工作」のプロデュースや「重要なターゲットに対する諜報」に対する「数千の(讀賣)記者のマンパワー」の提供などで、「正力はCIAに協力した」と述べています。
 第5章「動力炉で総理の椅子を引き寄せろ」では、「CIAは決して正力を騙したわけではなかった」が、「総理大臣の椅子を目前にしていると思っている正力が相手のメッセージをしっかり受け止めなかっただけだ。いや、受け止めるわけにはいかなかったのだ」と述べています。
 第6章「ついに対決した正力とCIA」では、「正力は行動の人で、この問題を科学的に考えて、慎重にことを進めつどういう辛抱ができない。だから、より慎重なアプローチを取るべきだと述べています。
 第8章「ニュー・メディアとCIA」では、東京ディディズニーランドについて、「巨大広告スペースという面も持つこのテーマパークには、テレビと同じくプロパガンダのメディアという側面がある」として、「刷り込まれるものは親米・反共プロパガンダというよりもアメリカ的生活様式・消費になっていた」と述べています。
 本書は、日本の原子力が、どのような思惑の元で導入されたのかを海外資料をもとに解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 CIAって映画や小説の世界というイメージがあってほとんどMIBと区別も付かないほどですが、ちゃんと公文書館で事実が明らかになることはやはり有益だと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・日本で「原子力」がどのような文脈で語られているかを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 春名 幹男 『秘密のファイル(下) CIAの対日工作』 2006年08月25日
 有馬 哲夫 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』
 有馬 哲夫 『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』
 岩川 隆 『日本の地下人脈―戦後をつくった陰の男たち』
 畠山 清行 『何も知らなかった日本人―戦後謀略事件の真相』


■ 百夜百音

一触即発【一触即発】 四人囃子 オリジナル盤発売: 1974

 日本ではある種の畏敬の念を持って言及されるプログレバンド。メンバーが個人でもプロデューサーとして活躍している理由も分かる気がします。


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2009年04月17日

限界自治 夕張検証―女性記者が追った600日

■ 書籍情報

限界自治 夕張検証―女性記者が追った600日   【限界自治 夕張検証―女性記者が追った600日】(#1548)

  読売新聞北海道支社夕張支局
  価格: ¥1680 (税込)
  梧桐書院(2008/03)

 本書は、「夕張の過去、現在、未来を追うだけでなく、一人の記者が財政破綻の発覚から571日、いかに立ち向かい、いかに思ったのか、新聞記者の仕事とはどのようなものなのか、を書きつづったもの」です。
 序章「抜かれから始まった」では、取材を続けていた夕張問題を「道新(北海道新聞)」に「抜かれ」てしまう、財政問題発覚の場面からスタートしています。
 第1章「ついに財政再建団体へ」では、「北海道庁、が何としても隠し通したい事実」であり、「道庁の一部で脈々と引き継がれてきた闇の部分」である「ヤミ起債」問題について、締め切り間際に道の幹部から、社内の記者やデスクの携帯電話に、
「書くのをやめてほしい」
「勘違いしている」
という電話が次々に入ったことに、「組織を守らんとする凄まじい力を感じた」と述べ、著者が前日にも、夕張市が第3セクターと土地開発公社をトンネルにホテルを購入していた事実を報道していたことに、「道庁内部で私のことを相当悪く言う職員がいる、「これ以上書くのは私の今後のためによくない」」と聞かされたが、「悪く言われる覚えはない。知った以上、報道するのが仕事だ」と述べています。
 そして、夕張破綻の原因として、マスコミの論調は、「ワンマン中田市長の暴走、そして無謀な観光開発」が主流だが、「炭鉱の町の、衣食住を会社にすがって生きる風土」があり、「炭鉱がなくなって市民がすがりついたのは行政」だと指摘する声を紹介しています。
 第2章「破綻の構図」では、「夕張の構造を考える上で、炭坑の歴史を忘れてはならない。財政破綻の遠因となっているからだ」と述べ、氏が、「土地の付属物、つまり、炭鉱住宅、水道整備、公衆浴場、学校など、それまで炭鉱会社が負担してきた全ての社会インフラ(基盤)を整え、少しでも労働者や家族に踏みとどまってもらおうとしたのが、財政に負担をかけることになった」と述べています。
 そして、「炭鉱から観光へ」のスローガンを掲げ、6期24年を務めた中田鉄治元市長について、「強烈な個性でアイデアをどんどん出す元市長の姿に、市職員は『頼もしい』『この市長なら大丈夫だ』」と思い、市民にも、「中田市長は夢を実現してくれる」と映り、「市長の影響で、市職員も上級官庁とやりあう方法を覚えた」として、ある課長は、起債の認定を渋る道職員に「それなら石川(十四夫)議員に言うぞ)と「怒鳴り散らし」、「いつも、夕張はそうだった。認められないと怒って開き直る」との証言を紹介しています。
 また、「赤字隠しの謎を解く鍵」は「一時借入金」にあるとして、出納整理期間(4~5月)中に、今年度の普通会計から、資金不足が生じている前年度のある特別会計を補う手法で、「表面上、各年度とも借金が出ていないことになる」が、「永遠に各会計の資金不足を補い合い続けなければならず、借金は雪だるま式に増える」として、「市役所ではこの手法を『ジャンプ』と呼んだ」ことを紹介し、このほかに、「地方財政法で定められた道知事の許可を得ない『ヤミ起債』」について、「第3セクターや後者に支払いを肩代わりさせ、市が長期の債務負担行為として返済していた」手法を紹介しています。
 さらに、中田元市長の政策にケチをつけたと取られた記事を書いた記者は市役所に出入り禁止になり、第3セクターの経営実態の取材に応じた職員は、「辞めさせられたのか、3せくを去った」ことや、「中田元市長の不正を暴こうとする記者には、支局の留守番電話に『いい気になるなよ』と正体不明の伝言が残されていたこともあった」ことなどを紹介しています。
 そして、「道にとって、夕張問題に立ち向かうことは、パンドラの箱を開けるようなものだった」として、1970年代に地方課にいた元職員は、動物のはく製を展示する「知られざる世界の動物館」の起債申請に来て、「中田市長の政策だ。どうすれば認めてもらえるのか」と食い下がった市職員に、「そんなことしている暇はない。お前の首でも飾っておけ」と言い放ったことを紹介しながらも、「道庁は夕張問題を遠巻きに見ながら『調査権限がない』等を理由に、長期間放置したことになる」と述べています。
 第3章「再生へのもがき」では、夕張市長選に本州から出馬した候補者が、読売新聞の記事に感動して「夕張のために私も頑張りたい」と語ったことについて、「1本の新聞記事が、本州の見もしない人の人生を変えるとは。おまけに、それが読売新聞だ」と述べています。
 そして、旧・夕張市立総合病院の運営を引き継いだ、医療法人「夕張希望の杜」が運営する夕張市立診療所について、「救世主」医師がやってきたと述べ、村上医師が、「夕張市立総合病院の経営状態を診断した知り合いの医療経営アドバイザー」から打診されて夕張に赴任し、「夕張は、高齢化が進む日本の未来像。ここで成功すれば新たな医療のモデルになる」と語っていることを紹介しています。
 また、「市職員が一気に半減し、残った人の仕事量が増えた」ため、「残業代は1時間67円」という「タダ働き同然の残業が常態化していた」ことを紹介しています。
 終章「夕張に『春』が訪れるまで」では、「夕張を取材したノートには、この街で生きるたくさんの人々の姿が記されている。時が経ち、夕張に本当の『春』が訪れるまで、私は夕張を見守り続けたい」と語っています。
 本書は、激動の夕張に張り付いて取材を続けた新聞記者の姿を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、夕張希望の杜の村上医師に夕張行きを打診した「医療経営アドバイザー」として名前こそ出ていませんが、行政経営フォーラムの伊関城西大准教授のことが紹介されています。やはり、知り合いが登場する本というのは嬉しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・夕張はなんで破綻したかを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 鷲田 小彌太 『夕張問題』 2007年12月05日
 保母 武彦 『夕張破綻と再生―財政危機から地域を再建するために』 2007年08月08日
 松本 武洋 『自治体連続破綻の時代』 2007年01月04日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
 小西 砂千夫 『自治体財政健全化法―制度と財政再建のポイント』 2008年09月16日


■ 百夜百マンガ

坂本龍馬【坂本龍馬 】

 高知出身ということで龍馬なわけですが、作者の実家は司牡丹酒造なのだそうです。そういえば「船中八策」という酒も出されてますね。


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2009年04月15日

地域は「自立」できるか

■ 書籍情報

地域は「自立」できるか   【地域は「自立」できるか】(#1546)

  奥野 信宏
  価格: ¥1890 (税込)
  岩波書店(2008/03)

 本書は、「少子高齢社会において、各地域の人々の満足を充足するために、行政だけでなく民間活動を含む幅広い『公共』がどのような役割を果たしうるか」と考えたもので、
(1)一人当たりで見た所得の地域格差について、半世紀の展開過程を概観し、それが大きな波や小さな波を繰り返しながら縮小してきたこと。
(2)地域に新しい価値を生み出す源泉として、交流と連携がなぜ大事か。
(3)ブロック圏の自立。
(4)地方の中都市や農山村の自立について、「新たな公」の重要性と、それが果たす役割。
(5)限界集落のあり方。
の5つのテーマを挙げています。
 第1章「プロローグ」では、「東京の住人は、地方がいつまでも自立しないで東京にもたれかかっていると感じ、地方は地方で、東京依存に気兼ねをしながら、将来の展望が開けないまま気をもんでいる」という状況を述べ、その原因の一つとして、「都会生まれの都会育ちが増え、都会に住む田舎の出身者が減ったこと」によって、「都会と田舎の相互交流が減少した」ことを指摘してます。
 そして、「田舎は都会で学び働く人々を背後で支える存在ではなくなり、都会人にとっては養わなければならない、世話の焼けるところになった」と述べています。
 第2章「地域格差は拡大しているか」では、「第一の波」として、「高度成長期前期には、寒冷地の山間部を中心にまだ深刻な貧困問題が残っており、大都市圏の成長には、偽装失業の状態にあった農山村の労働人口を大都市圏を吸引することによって、貧困も格差も飲み込まれるように解決してくれるという期待があった」が、このような成長神話は高度成長期後期には崩壊したと述べています。
 そして、「第二の波」として、1973年の第一次石油ショックを契機に日本の高度成長が終わり、経済が安定成長期に入ったことを挙げています。
 第3章「多様な自立の意味」では、「地方分権は、現在の都道府県を単位に実施されているが、それを前提にして徹底的に分権化してみても、地方自治体が政府に依存する状況は現在とあまり変わらない」理由として、
(1)都道府県を越えた広域的な政府補助金が、地方施策の実施で重要な役割を果たしていること。
(2)国際空港や国際港湾、高速交通網など大規模施設の整備について、政府が主要な役割を担い続けること。
(3)政府から地方自治体への贅言以上が問題の解決にはならない恐れがあること。
の3点を挙げています。
 そして、「地方の衰退の典型的な症状は定住人口の減少だが、その主たる原因は市場メカニズムが貫徹したこと」だと述べています。
 第4章「ブロック圏の自立」では、ブロック圏の「自立」について、「各圏域が地域自前の国際戦略をもち、日本や世界の各地域と、東京経由でないがネットワークを構築すること」が重要だとして、
(1)人が移動すると、それに伴って、もの・情報が流動するが、人・もの・情報の移動を軸にすえて国土を考えるとき、アジア全域からオーストラリア・ニュージーランドなどの大洋州まで一体の圏域として視野に入れなければならないこと。
(2)日本海側と太平洋側の広域連携。
(3)都市と農山村、大都市土地法との交流。
の3点を掲げています。
 第5章「地方中小都市、農山村の自立」では、「同じ新たな公でも、都市と農山村では行政と地域住民との関係や、地域コミュニティーの状況など正確や置かれている状況に違いがあり、新たな公をめぐる環境も異なっている」としたうえで、共通する課題として、
(1)人材の供給と後継者の育成
(2)資金の支援
の2点を上げ、「各地域の大学は新たな公の供給主体として、幅広く社会的な活動を展開することができる」と述べています。
 第6章「集権化で地方はどう変わるか」では、「地方圏の中小都市や集落の地域づくりについての政府や地方自治体の施策は『集約化』で代表される」として、
(1)役場、学校、公民館、病院など地域の生活支援機能の集約化によるコンパクトシティー化
(2)限界集落の住民の移住や、土砂災害・山崩れ・水害など居住するには危険な地域の住民の移転など、住民の居住地域についての集約化。
(3)近年、急速に進展している市町村合併による行政機能の集約化。
(4)地方拠点方式など働く場の集約化。
の4点を挙げています。
 第7章「エピローグ」では、「わが国の地域内格差は、修復不能になりつつあるが、社会背景の変化に伴って、地方圏のあり方もこれから変化し、東京依存からの脱却の機運が出てこなければならない」と述べています。
 本書は、「地方」と一括りにされているものの正体に切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 東京と地方の格差についてはいろいろな人が言及していますが、東京生まれの東京育ちの人が増えたので非常に判りやすく感じました。


■ どんな人にオススメ?

・地方は東京のお荷物だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日
 町田 俊彦 『「平成大合併」の財政学』 2006年12月06日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 吉村 弘 『最適都市規模と市町村合併』 2006年03月29日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』


■ 百夜百マンガ

ロッカーのハナコさん【ロッカーのハナコさん 】

 NHKでドラマにもなった「職場+幽霊」の組み合わせの作品。「銭」なんかもそういうスタイルですが、何かのテーマに「+幽霊」にするだけで面白くなりそうなテーマというと何でしょうか? 例えば「グルメ+幽霊」とか。


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2009年04月14日

森林の崩壊―国土をめぐる負の連鎖

■ 書籍情報

森林の崩壊―国土をめぐる負の連鎖   【森林の崩壊―国土をめぐる負の連鎖】(#1545)

  白井 裕子
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2009/01)

 本書は、「木を植え育て、切っている山の中から、材となった木を組み上げて木造建築にするまで、一連の現場で何が起こっているのか」を伝えることを目的としたものです。
 第1章「日本の森でいま、何が起こっているのか」では、「大量密植した人工林を放っておけば、災害の原因にもなりかねない。日が差さなくなった森は、下草も生えず、木の根も浅く、ひとたび雨が降ればごっそり流れ出る」ことを「山抜け」というと述べています。
 そして、「木を切りたくてもその山の持ち主が分からず、その土地の長老たちに訪ね歩く」という山林がいまだに日本に存在していることを指摘しています。
 第2章「日本の木を使わなくなった日本人」では、「人為的に杉を大量植林」した長良川流域と比較し、「昔から檜が自生もしていた木曽川流域は、そこにある森林資源と結びついて木材地場産業が育ってきた」として、「全国各地で大々的に造林された人工杉林とその地場産業の関係がいまどうなっているのか、この長良川流域からも想像できる」と述べています。
 第3章「補助金制度に縛られる日本の林業」では、「補助金制度を抜きにして、日本の林業をかたることはできない」として、ある森林組合では、「この補助金制度が分かるようになれば森林組合のトップになれる」と語っていたことを紹介しています。
 そして、「それぞれ皆が目的を持って、最良と責任を併せ持つ健全な仕組みが肝要」だと述べています。
 第4章「公共財としての森と欧州の発想」では、「欧州の方が個人主義であり、意見がばらばらで協調性がないように思える」にもかかわらず、「なぜ人が勝手に自分の所有林に入ってもよいとしたのか」について、「みなで社会づくりを進める過程で、森林などは、みなのものである面を重視し、公共財としての立場が、社会制度上明文化された」と述べています。
 第5章「建築基準法で建築困難に陥った伝統木造」では、伝統構法による木造住宅が、「縦横に木が組まれた骨組みが基本であり、壁の強さ、壁の量が重視される建築基準法では蚊帳の外」だと述べ、「科学は規制の材料を増やすためのものではなく、むしろ技術や文化を発展させるためのものだろう」と指摘しています。
 第6章「大工棟梁たちは何を考えているのか」では、建築基準法が、「そもそも、戦後のバラック建築を規制するためにできた法律」だとして、「すべての安全性を机上で期すことは不可能」だと述べ、「規制を上乗せして公の関与を増やし続ければ、公的負担が高まり、その結果、漸近が増えることになる」と述べています。
 本書は、日本の森林で木がどのように育ち、どのように使われるのかを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 樹木の様に、植林してから成長して木材として使えるようになるまで何十年もかかるものは、なかなか一気通貫にしてその一生を見ることが難しいので、そのサイクルが分かりにくいのではないかと思います。本書はそれに取り組んでいますが、イメージしやすいかと言うとなかなか難しいとも感じました。


■ どんな人にオススメ?

・木の一生をまとめて見たい人。


■ 関連しそうな本

 鷲谷 いづみ 『消える日本の自然~写真が語る108スポットの現状~』 2008年11月26日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 石城 謙吉 『森林と人間―ある都市近郊林の物語』
 田中 淳夫 『森林からのニッポン再生』
 浜田 久美子 『森の力―育む、癒す、地域をつくる』


■ 百夜百マンガ

いずみちゃんグラフィティー【いずみちゃんグラフィティー 】

 懐かしい、こんなのまで再発されているのは驚きです。確か1976年くらいだったでしょうか。ドクタースランプが始まった頃のジャンプだった気がします。


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2009年04月09日

メディア仕掛けの政治―現代アメリカ流選挙とプロパガンダの解剖

■ 書籍情報

メディア仕掛けの政治―現代アメリカ流選挙とプロパガンダの解剖   【メディア仕掛けの政治―現代アメリカ流選挙とプロパガンダの解剖】(#1540)

  ドリス・A. グレイバー (編集), 佐藤 雅彦 (翻訳)
  価格: ¥6090 (税込)
  現代書館(1996/10)

 本書は、「マス・メディアや政治について学ぶ人々が、まずもって読んでおくべき基本文献を集成した論文集」で、
(1)マス・メディアの政治的影響力をどう見るか。
(2)メディアは政治の「議題」を設定している。
(3)メディアは選挙結果に影響を与えている。
(4)メディアは政治舞台の"役者"たちに力を及ぼし、政局のパワーバランスの行方を左右している。
(5)メディアは公共政策の誘導を行う。
(6)影響力を持つメディアへの"飼いならし"の企みをめぐって。
の6つのテーマが立てられています。
 第1章「新聞とは何か」では、「あらゆる新聞は、どの事件をどういう立場で取り上げ、おのおのの記事にどれだけの紙面を割き、どれほど協調するか、という制作者側の選択につぐ選択を経て作り出され、読者はこの"選択の結晶"を受け取っている」が、その選択基準は、「客観的なものなどまったくない。新聞社なりの慣習があるだけだ」と述べています。
 そして、「最も有益だと思える仮説」として、「最新報告(ニュース)と真実(トルース)は、同じものではない。両者をはっきりと分けて考えなければならない」と述べています。
 第2章「『報道』が持つ"議題設定"の機能」では、マス・メディアが持つ、「おのおのの視聴者に影響を与えて認識の変化を誘い出し、視聴者全体の考え方を組織的に誘導していく能力」が、「マス・コミュニケーションの議題設定機能」と呼ばれていることについて、「マス・メディアは我々視聴者に、考える材料を提供するのは不得意かもしれないが、考える目安を与える上では驚異的な大成功を収めた」と述べています。
 第3章「マス・メディアの『議題設定』機能についての研究小史」では、「議題設定」の全工程が、
(1)媒体発表段階の議題設定(メディア・アジェンダ・セッティング)
(2)大衆認知段階の議題設定(パブリック・アジェンダ・セッティング)
(3)政策選択段階の議題設定(ポリシー・アジェンダ・セッティング)
の3つの段階を骨格として成り立っていると述べています。
 第7章「何が世論を動かすか」では、「庶民の"思い込み"を一変してしまうような新たな情報が登場したとすれば、そうした情報は、庶民向けに講じられた各種の政策の、当初に見込まれていた効力をもいっぺんさせてしまうことができるだろう」と述べ、その条件として、
(1)件の情報を市民が確実に受け入れ、
(2)受け入れるだけではなく内容を理解し、
(3)その情報が政策の良し悪しをはっきりと評価するものであり、
(4)受け手がそれまでに抱いてきた"思い込み"を否定するような"意外な情報"であり、
(5)情報が信頼できるものである。
の5点を挙げています。
 そして、世論変動の事例から、「テレビのニュース報道に現れるニュース論評的意見が、世論に強烈な衝撃的影響を及ぼしていることが分かった」と述べています。
 第9章「世間の主流意識を絵解きする」では、アメリカ社会が「人種の坩堝」と呼ばれているが、「20世紀のアメリカ車解が生み出した正真正銘の"坩堝"は、この『テレビ漬けの主流派』であろう」と述べています。
 第10章「選挙戦の中でのメディア」では、「テレビ時代の昨今では、テレビが選挙の行方に決定的な影響を与える"最後の一撃"まで用意されている」として、投票日当日、世論調査技術の開発が進む中で、「他社を出し抜こうと競争を繰り広げてきたテレビ・ネットワークの各社が、全米の少なからぬ地域でまだ投票が続いているうちに、早くも勝敗予測をまとめて、"大統領当選者"発表してしまう」ことを挙げています。
 第13章「『勝った、負けた』の選挙観」では、「候補者を『勝ち組』と『負け組』に振り分けてしまうイメージ操作の問題」を取り上げ、「大統領選挙に関するニュース報道の中でもっとも支配的な話題となっているのは、"勝者は誰で、敗者は誰か"という問題」だと述べています。
 そして、「候補者に"勝利"の見込みがあるかどうかを論じた情報は、世間に流れ出て広まると、「バンドワゴン効果」を生み出すことがある」と述べ、その条件として、
(1)他の要因の影響によって、有権者たちの意思決定が制約を受けてはならない。
(2)「予備選レースで一貫して首位を守り通した候補者は、本番の選挙でも、たいていは必ず勝つ」と有権者たちが信じていること。
の2点を挙げています。
 また、有権者が、「マスコミ報道によって、説得されてしまう」のは、「"この候補者が好きか嫌いか"という個人的感情のレベルでなく、むしろ"この候補者に勝ち目があるかどうか"といった情勢認識のレベルで、マスコミ報道に言いくるめられてしまう」と述べ、「似たり寄ったりの候補者が、強力な指示を引きつける力をいずれも持ち得ぬままに"どんぐりの背比べ"のような選挙戦を戦っている状況下では、マスコミが競馬の実況解説のごとき報道を行うと、それが有権者の情勢認識を一変し、候補者に対する有権者の感情的態度まで変わっていまう」と解説しています。
 第14章「グレート・アメリカン・ビデオ・ゲーム」では、ロナルド・レーガンが、大統領就任以来、「毎夜のごとく、思い通りのTVニュースを流してきた」として、「この男は、心憎いほど"絵になる"パフォーマンスを次から次へと打ち出し、報道陣をてんてこまいにさせて、メディアを通して思惑通りの"議題"設定を成し遂げ、思惑通りの大統領神話をデッチ上げることに、まんまと成功していた」ことについて、CBSのレスリー・スタール女史が、「ロナルド・レーガンはテレビをどう使ったか?」を告発した映像を放映したにもかかわらず、大統領の側近からは、「あんたが、あのテレビの映像と正反対のことをいくらまくし立てても、国民の耳は、そんな説教はまったく受け付けないぜ」と、ホワイトハウスの住人たちの"教え"を「噛んで含めるように」諭されたと述べています。
 そして、レーガンの「政治手法」からはっきりわかったこととして、「映像メディアそのものが政治的メッセージになった」ことを挙げ、「映像メディアを操ることと国民を統治することが、同義になった」と述べています。
 第15章「狩猟解禁シーズン……」では、猟犬的ジャーナリズムがもたらした難点として、
(1)政治の争点の瑣末化
(2)有望な人材が大統領選への立候補に躊躇してしまう状況を作り出したこと
の2点を指摘しています。
 本書は、政治とメディアの関係をしっかりと見極めたい人にお勧めの必読書です。


■ 個人的な視点から

 アメリカの政治とメディアの研究は、その多くが大統領選挙に向けられているので、日本の選挙制度で考えるときにはそのまま使えるものではないような気がします。
 あえて一番近いものを当てるとしたら、知事選挙などでしょうか。とくに東京などの大都市圏の知事選挙は、小さな国の大統領選と構造が似てくるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治がどのように動くのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 井上 篤夫 『ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド』 2009年03月30日
 三浦博史 『洗脳選挙』 2009年03月23日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日
 蒲島 郁夫, 竹下 俊郎, 芹川 洋一 『メディアと政治』 2009年03月18日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年6月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日


■ 百夜百マンガ

極道の食卓【極道の食卓 】

 野中英次が池上遼一の絵でギャグ漫画をやるというように、立原あゆみの絵でギャグをやる人が現れたかと思ったらまさか本人とは。


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2009年04月02日

「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論

■ 書籍情報

「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論   【「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論】(#1533)

  樋渡 啓祐
  価格: ¥1260 (税込)
  ベネッセコーポレーション(2008/01)

 本書は、「大人の僕たちが忘れていた友情、笑い、知的興奮、世代間交流」などがいろいろ詰まった、「まちづくり」という「楽しい、ドタバタ・現在進行形のドラマ」が詰まった「普通の力弱い市長、そして、普通の職員の物語」です。
 第1章「不可能を可能に――佐賀のがばいばあちゃん」では、ドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」の誘致に手を挙げたときには、「何の伝手もなく、何のノウハウもなく、あるのは気合だけ」だったが、誘致に手を挙げた自治体リストの中に、佐賀県内の市町村がなく、担当者欄には、武雄市だけが市長の携帯番号が書いてあったエピソードを紹介し、「定石どおりにやったら、大型ドラマの誘致なんかできない」と述べています。
 そして、「JR九州始まって以来、ロケに現役の線路を貸してくれた」として、「市長の仕事は99%不可能なことをやること」だと述べています。
 第2章「頑張ろう!と声を張り上げるよりも――ダンスチームGABBAの誕生」では、「佐賀のがばいばあちゃん」のプロモーションに、タレントではなく本物の「武雄のがばいばあちゃん」を使ったと述べ、人選に当たって大事なのは、「相談しないこと。相談するとぶれる。ぶれるとそれが動揺感や不統一感になってしまい、他者に伝わってしまう」と述べています。
 そして、GABBAのCDデビューに当たっては、「メジャーレーベルから話が来ていたが、全て蹴った」、「東京のプロにお任せするのではなくて、自分たちで作ろうと思った」と述べています。
 第3章「認知を上げる」では、「僕の仕事は、企業誘致に変わる、企業誘致よりも効果的なことを考えている」ことだとして、「同じ土俵で強い自治体と勝負しても負ける。そしたら、土俵を移るだけの話だ」と述べています。
 第5章「どうせならやって失敗してくれ」では、「市役所(職員)がお宅まで伺う制度」である「動く市役所制度」が失敗した理由として、「年や性別に関係なく、みんな町に出たがっているし、人とのふれあいを求めている。そういう気持ちに思いが至らなかった」と述べています。
 第6章「不思議なエネルギー」では、著者が公務員になりたいと思ったきっかけとして、県庁の職員だった著者の父の職場に弁当を届けに行ったときに、「家の中では無口な父親が、凄く楽しそうに仕事をしている」のを見たことだったとして、「『両親の背中』だけでは今の時代、何かを得るのは難しくて、職場での『両親の顔』を見るのが大切なのだろう」と述べ、市長着任曹操に、「パパママ職場拝見制度」を作ったことを紹介しています。
 また、市役所1階キッズステーションを開設したことについて、誰も来ないかもしれなかったが、「僕らはやることも早いが、もっと早いのは撤退と修正だ」と述べています。
 第7章「農業でない農産業戦略――レモングラスを名産品に」では、今では、「単位面積では日本最大のレモングラス産地」となったことについて、レモングラスに目をつけた理由は、「レモングラスが好き」だということと、「こういう小規模自治体は、最初にやること、ファーストランナーになることが大切だ。二番煎じになると誰も目を向けない」と述べています。
 第8章「オープンと準オープンな関係」では、職員に望むこととして、「いつでも、ヘッドハンティングされるような人材であってほしい」と述べています。
 第10章「僕の流儀」では、「僕は思いつきでぽんぽんものを言う」が、「関係者はたまらない。しかし、成功例を増やすために渡来する数がいる。勢いがいる。ついでに言うと、気が弱いので、どんどん自分の手から離していく。自分でやるよりも、周りの人たちにやってもらったほうが成功率が高いのだ、うちの市役所は」と述べ、「お役所の失敗例の多くは、最初に決めたことを金科玉条のようにして最後まで突っ走ってしまうからではないか。その対極が武雄市役所だ」と述べています。
 また、トップセールスでうまくいったものとして、「関西大学の高槻市への誘致、ドラマロケの武雄への誘致、日田天領水との連携」を挙げ、うまくいく要素として、
(1)向こうのトップと人間関係を築くこと。
(2)だいたい優れたトップには懐刀がいる。その懐刀を大事にする。
(3)現場の人にかわいがってもらう。
の3点を挙げています。
 そして、面白い企画の考え方として、「99%マネ論、そして1%のオリジナリティをくわえたもの」を挙げ、「これってとても簡単だ」と述べ、さらに、「仕事+趣味→とてつもなく大きいものになる」という「組合せ論」を提唱しています。
 第11章「誰も読まないなら」では、「市民や議会が分からないようにしているとしか思えないもの」さえある「施政方針」を、高槻市役所時代に、「職員もそうだが市民にどうやったら読んでもらえるか」を考えた結果、「施政方針演説を完全マンガ化」し、さらに、「高槻市役所のHPにデジタル漫画に載せたら大反響」だったと述べています。
 本書は、自らは「力弱い」と謙遜していますが、「柳に風折れなし」の諺にあるように、しなやかに問題に立ち向かう力強さを感じさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 内閣府の勉強会で著者の講演を聞き、お話しする機会がありましたが、本書に書かれているそのままのバイタリティ溢れるお人柄でした。


■ どんな人にオススメ?

・したたかに生き残る地方を目指したい人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 信夫 『自治体をどう変えるか』 2008年01月28日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 埼玉新聞社 (編集) 『生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦』 2005年04月17日
 北川 正恭 『生活者起点の「行政革命」』 2005年03月07日
 逢坂誠二 『町長室日記―逢坂誠二の眼』 2005年05月27日
 田村 明 『都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法』 2005年07月27日


■ 百夜百マンガ

西遊記【西遊記 】

 世代的に「西遊記」と言えば、堺マチャアキか志村けんの「ニンニキニキニキ」が思い浮かぶのですが、各世代でそれぞれの「西遊記」ものがあっていいと思います。


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2009年04月01日

メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史

■ 書籍情報

メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史   【メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史】(#1532)

  田中 良紹
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2005/03)

 本書は、わが国では、「メディアについてほとんどその実態が知らされていないこと」を指摘し、「新聞とテレビが『記者クラブ』という『ムラ社会』の構成員で、お互いに都合の悪いことを明るみに出さない談合体質があること、また他の先進諸国では見られないことだが新聞とテレビが全て系列化されているというわが国の特殊事情」を解説しているものです。
 序章「崩壊のはじまり」では、2003年9月の野中広務元幹事長の政界引退について、「長らくわが国を呪縛してきた2つの『裏支配』が崩れ始めたこと」を意味したとして、
(1)政治の裏支配
(2)メディアの裏支配
の2点を挙げ、「伝播の調整を行う政治家が不在となったことを意味する」として、「今、派閥主導の政治構造が崩れていくように、もう一つの『裏支配』、メディアをコントロールしてきた電波利権の構造も崩れつつある」と述べています。
 著者は、「国民にメディアの実像を知らせなければならないときが来た」として、「国民に決定的な影響を与えるメディアがどのような素顔を持っているのか、国民には全く知らされていない。良識あるジャーナリストと呼ばれる人たちが必ず指摘する『記者クラブ制度の弊害』についても、具体的な事例を挙げて言及した人はいない」として、この「触れてはならないタブー」に挑戦すると述べています。
 第1章「視聴率という名の神」では、ニュース番組が「視聴率の世界」になった結果、「それまでは金の稼げない地味な世界であった報道セクションが、金を稼ぐための華々しい世界に生まれ変わった」と指摘しています。
 また、1993年7月18日の第40回衆議院議員選挙に関して、テレビ朝日の椿貞良報道局長が、「細川政権はテレビが生んだ」、「細川政権を作ったのは久米宏と田原総一朗だ」と発言し、部下に対して、「非自民政権が生まれるように報道しろ」と指示したことについて、「思い上がりも甚だしい発言だと思った」と述べています。
 第2章「『記者クラブ』というギルド社会」では、著者が司法記者クラブに在席していた頃は、「家宅捜索を事前に発表することがなかった」ため、「家宅捜索の映像などありえなかった」として、「家宅捜索の映像が、国民に『検察の正義』と『被疑者の悪』というイメージを植えつけることは間違いない」と述べ、「司法記者クラブほど徹底した情報管理の下に置かれ、それに抗することのできない無力な記者クラブは他にない」と指摘しています。
 そして、警視庁には、
(1)朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日本経済新聞と共同通信がメンバーの「七社会」
(2)産経新聞、時事通信、NHKなどが所属する「警視庁記者クラブ」
(3)民法各社の「警視庁ニュース記者会」
の3つの記者クラブがあるとして、「記者クラブが3つに分かれているため、広報の係官は同じ発表を3ヵ所で別々にやらなければならなかった」ことなど、「実に無駄で馬鹿馬鹿しいことが行われているのだが、誰も馬鹿馬鹿しいとはいえない。それが記者クラブなのである」と述べています。
 また、「さまざまな記者クラブを見てきたが、どこのクラブでも仕事のできる優秀な記者は村八分的存在だった」として、「極めて少数の優秀な記者と記者クラブに守られた多くのサラリーマン記者とによって日本のメディアは成り立っている」と述べ、「記者クラブのほとんどは霞が関を中心に『官』の世界にある。だから新聞もテレビもニュースは圧倒的に官庁初の情報で占められている」ことを指摘しています。
 著者は、「日本に議会制民主主義が芽生えた頃、秘密主義の政府に対して取材を要求するため、新聞社が団結して作った記者クラブは、百年余を経て既得権益を守るための組織となり、同時に政府に管理されやすい談合の組織と化している」と指摘しています。
 第3章「政治権力とメディア」では、「政治の世界は熾烈な権力闘争の世界」であり、「権力を得るためにさまざまな謀略劇が繰り広げられる」とした上で、「昔ならば暗殺など暴力を用いて決着を図ることもあっただろうが、現代では多くの国民の支持を得たほうが価値である」ため、「戦いはメディアを巻き込む情報戦となる」と述べ、「政治の世界では、情報が戦いの最大の武器なのである」と述べています。
 そして、「この国のメディアは、『特オチ』と言って、他者が報道した内容を一社だけが報道できなかったことを大きな恥とする」一方で、「前者が間違えると誰も責任を問われない」ことを指摘し、「これは全く倒錯した話だ」と述べています。
 第4章「歪んだニューメディア」では、「郵政省の放送行政に圧力をかける勢力としての新聞社の実態は全く国民に知られていない」として、「その先兵となっている『波取り記者』と呼ばれる記者の存在」を挙げ、「波取り記者は取材もしなければ記事も書かない。郵政事業を自分たちの異のままにするのがしごとである。そのために波取り記者には年配の記者が選ばれ、政治部、中でも田中派担当記者がなることが多かった」と述べています。
 そして、波取り記者が、「民法を郵政省記者クラブに加盟させることに強硬に反対した」理由が、「民法は郵政省に監督される『業者』で報道機関ではない」というものだったと述べ、「こうした波取り記者を先頭に、新聞社の妨害によって日本にはケーブルテレビが普及しなかった」と述べています。
 終章「メディア裏支配」では、「とりあえず国民がメディアと向き合うときに大事なのは、『正しい報道』という呪縛から解き放たれることだ」として、「最も大切なことは、わかりやすい報道には嘘があると思うこと」だと述べています。
 本書は、日本のメディアがどのような体質を持っているかを分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 いわゆる「記者クラブ」に主要新聞社とNHKが入っていて、他の民放テレビ局が入っていないのは不思議な感じがしますが、郵政省を跋扈した「波取り記者」という存在を知ってしまうと、彼らが郵政省管理下の民法と一緒にされたくない、と考えた理由は分からないではないものの、ものすごく時代錯誤に感じてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・記者クラブは誰のためにあるのかと思う人。


■ 関連しそうな本

 魚住 昭 『野中広務 差別と権力』 2009年03月14日
 魚住 昭 『官僚とメディア』 2008年04月20日
 国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章 (著) 『ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア』 2008年02月29日
 池田 信夫 『ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている』 2005年09月17日
 池田 信夫 『電波利権』 2007年05月07日
 吉野 次郎 『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』 2008年05月03日


■ 百夜百マンガ

ユニコ【ユニコ 】

 昔は今ほど少年マンガと少女マンガの間の境界線はそれほど高くなかったようで、多くの少年漫画家が少女マンガを描いていたり、少女マンガでデビューしたりということをよく聞きます。最近では、少女マンガから青年誌に移ってくる人が多いような気もしますが。


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2009年03月30日

ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド

■ 書籍情報

ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド   【ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド】(#1530)

  井上 篤夫
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/07)

 本書は、「政策や主義主張を語る前に、有権者を惹きつける力があるかどうか」という「ポリティカル。セックスアピール」という言葉について、「現代のアメリカ大統領に必要な資質は、その政治家としての力量はもちろんのこと、映画俳優のような魅力なのだ」としたうえで、「ハリウッドとワシントンがどのようにして結びついたのか、そのアメリカの政治史、とくに大統領のあり方について振り返りながら、今日ではいかに両者が記っても切れない存在になっているのか、その濃密な関係を検証して」いるものです。
 第1章「ハリウッドのダビデ王──1990年代」では、「ミスター・ハリウッド」の異名をとる、音楽・映画プロデューサーのデヴィッド・ゲフェンについて、「間違いなく現代のアメリカンドリームを実現した人物のひとり」だと述べ、「原石を見つけ、育てる才能がゲフェンにはある。ひと目見て電流が流れるかどうか、インスピレーションを感じるかどうか、『愛せるかどうか』が、ゲフェンが金の卵を見分ける物差しなのだ」と述べています。
 そして、1992年に、大統領候補クリントンに、「多数の業界のプロたちが、スピーチ演出、舞台設営、テレビ・ラジオ出演の取り付けなど、各方面で協力」したことについて、「クリントンは政治を近代化した」、すなわち、「政治をハリウッド化した」と述べ、「ゲフェンとクリントンとの関係は、ハリウッドにおける政治のあり方を変えると同時に、ハリウッドの影響力の巨大さをホワイトハウスに証明した」と述べています。
 第2章「黎明期、『ハンサムな巨人』の登場──1920~50年代」では、「ハリウッドと大統領の関係」について、「ハリウッドと政治の深い関わりは20世紀初頭に遡る」として、「映画を政治に利用したのは、ウッドロウ・ウィルソンが最初」だと述べた上で、レーガン大統領のスピーチ・コリオグラファー(振り付け師)であった政治評論家デヴィッド・ガーゲンの言葉として、「名を残している大統領はみな、民主主義国家のリーダーたるには演劇的素養が不可欠であることを知っていた」という言葉を紹介しています。
 そして、JFKについて、青年期のケネディが夢中になったのは、「美人のあとを追いかけること」だったとして、政治家になった後も、「多くのハリウッド女優たちとも関係を持った」と述べ、「ケネディの登場により、この時代、ハリウッドと政治の結びつきは強まった」と述べています。
 第3章「ニューフロンティア──1960年代」では、「60年代後半、アメリカ社会における政府への怒りは『沸点』に達していた」として、「ニクソン大統領が『誇り高き平和』公約を撤回し、戦闘が激化するや、さすがに保守層の間からも愛国主義は立ち消えていた。映画界は、一気に戦争反対に傾いていく」と述べています。
 第4章「権力と反戦──1970年代」では、「政界の大物とつながっていたハリウッドの興味深いひとり」としてロバート・エヴァンズという人物を挙げ、彼がキッシンジャーと「馬が合う」ことについて、「ハリウッドと政治は、一枚のコインの表と裏」という見解を共有していたと述べています。
 そして、1972年1月に、ニクソンとその取り巻きの嫉妬を買ったことでホワイトハウスから追い出されそうになったキッシンジャーが、エヴァンズに助けを求め、エヴァンズは、「状況打開に動いてくれそうなマスコミの人物を15人リストアップ」し、翌月5日には、『ライフ』に「キッシンジャーを賛美する特集」が掲載され、その3日後には、『タイム』の表紙をキッシンジャーの顔が飾っていたとして、「エヴァンズはメディアを駆使して、『ニクソンになくてはならない優れた人材』としてキッシンジャーを広く世に認めさせた」と述べています。
 そして、ハリウッド・スターの政治への関わり方として、
(1)スター自身があくまで在野の存在として独自に社会運動を行う場合。
(2)支持する政治家を公然と表明し、応援する場合。
(3)本人が政治家を志す場合。
の3点を挙げています。
 第5章「三人の象徴的な人物像──1980~90年代」では、1981年のレーガン政権誕生について、「ハリウッドのリベラルたちにとって不本意ではあったが、スターが政治に関与できることの証明ともなった」と述べたうえで、「レーガンが、その政治的資質を決定的に認められ、『俳優の政界入り』がメディアをにぎわすようになったのは、60年、SAGが大規模なストライキを敢行したときのこと」だとして、レーガンが「数百人の俳優と映画関係者を前に会長として演説を行い、ストライキを止めた」ときの鮮やかな演説がきっかけとなって州知事候補の白羽の矢が立てられたと述べています。
 そして、レーガンが、知事選出馬表明会見で、「どんな知事になりたいか」と問われ、「その役は一度も演じたことがないから、分からない」とユーモアたっぷりに応えたことを紹介しています。
 また、「映画は民意を反映する。たとえそれが作られた役柄であろうとも、民衆の心を掴むスターには、その時代の大衆の求める理想的人間像が現れる」として、「おそらくもっとも大統領にふさわしい俳優、いや、実際のアメリカ大統領になってもおかしくない人物」としてクリント・イーストウッドを挙げています。
 さらに、アーノルド・シュワルツェネッガーが、第41代大統領ジョージ・ブッシュ(シニア)と交流があり、「コナン・ザ・リパブリカン」(共和党のコナン)と呼ばれていた上に、「ケネディ一家」の妻を迎えたことが、「政治に足を踏み入れる大きな力となった」と述べ、カリフォルニア州知事選挙では、「完璧なスタッフを適材適所に布陣」するとともに、「わかりやすいメッセージを送った」ことが決定的だったと述べています。
 著者は、「FDR、ケネディ、LBJ、カーターなど、これまでもハリウッドに『近い』立場の政治家はたくさんいた」が、「実際に、人々の目に見える形でハリウッドとワシントンの両方を結びつけたのは、この3人が初めてと言っていいだろう」として、「エンターテインメント業界における地位と権力、そしてスターの名声は、スクリーンの上だけではなく、そのまま現実世界をも左右することのできる力となっている」と述べています。
 第6章「セックスアピールは口ほどにものを言う──現在から未来へ」では、デヴィッド・ゲフェンが、「ハリウッドで生きるためにはセクシーさが必要なんだ」と語っていることについて、「ハリウッドの新帝王デヴィッド・ゲフェンは、新人スターだった頃のトム・クルーズに見出した同じ可能性をオバマに見ている」と述べ、「大統領たる人物は、国民に感動と希望を呼び起こすことのできる資質を備えていなければならない。ゲフェンは若きオバマにその資質を見たのだ」と述べています。
 著者は、「現代の政治において最も大切なものは政策や主義主張の以前に、有権者を『惹きつけてやまない力』があるかどうか」だとして、「アメリカ大統領に必須の条件は、カリスマ性はもちろんのこと、映画俳優のようなセックスアピールにあふれた魅力、それにそう見せるための表現力なのである」と述べ、「いまや大統領の選択基準は、いわば『ミスター&ミス・コンテスト』の選択基準に近いと言えるかもしれない」と述べています。
 本書は、今、政治の世界で起きている現象の一面を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本でも、選挙の応援演説に芸能人が登場するのはすっかりおなじみになりましたし、芸能人が政治家になることもずいぶん増え、ニュースキャスターを務めたりすると「政界進出を狙っているのか」と言われることも多いようです。一方で、国会議員がテレビ番組に登場することも多くなり、政治家とタレントの境界線はずいぶん低くなっているようです。相乗効果で双方が高まってくれれば有権者にとってプラスですが、衆愚政治に陥る危険を孕んでいるという指摘もあるようです。


■ どんな人にオススメ?

・投票基準は「名前を知っているかどうか」な人。


■ 関連しそうな本

 三浦博史 『洗脳選挙』 2009年03月23日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 堀田 佳男 『大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌』 2008年11月08日


■ 百夜百マンガ

戦国自衛隊【戦国自衛隊 】

 SFと戦記ものと戦国ものという、それぞれに熱烈なファンがいるオタクジャンルを3つまとめてミックスジュースにしてしまった傑作。それゆえにそれぞれのオタクの細かいチェックが入るのが面倒ながらも楽しそうです。


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2009年03月26日

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか

■ 書籍情報

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか   【小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか】(#1526)

  内山 融
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社(2007/04)

 本書は、「民意を背景としながら強いリーダーシップを発揮する個性的な政治手法」を用いた小泉純一郎について、「小泉政権は、なぜかくも大きなインパクトを日本政治に与えることができたのか」の謎を探ることを目的としたものです。
 第1章「小泉純一郎の政治運営」では、小泉政権の政治運営の特徴として、
・パトスの首相
・強い首相
の2つの観点から浮き彫りにするとしたうえで、小泉首相のポピュリスト的手法の特徴として、
(1)メディア戦略:従来の政治報道の外縁部にあったメディアを積極的に活用した。
(2)善悪二元の構図:さまざまな改革に反対する族議員や官僚を「抵抗勢力」と呼び、彼らが「悪」であり自らは「善」であるという二元論的な構図を作り上げた。
(3)言語様式:一般の人々に分かりやすい単純なフレーズを用いて語りかけた。
などの点を挙げています。
 また、小泉首相が、「ボトムアップ型の政策決定に代え、『官邸主導』によるトップダウン型の政策決定を導入しようとした」として、「中央省庁の官僚に対する首相の主導権を確保し、族議員を政策決定から排除しようと試みた」と述べ、「首相の持ちうる権力資源」には、
(1)システムによって与えられる制度的・恒常的な資源
(2)首相となった人物のパーソナリティと大きく関わる資源
の2種類があるが、小泉の「強さ」の源泉は、「小泉固有の資源と、システムが提供する資源の両者を極めて適切に組合せ、最大限の有効性を発揮した」と述べています。
 そして、「小泉首相は、首相主導の政策決定システムを活用して、『小泉構造改革』と呼ばれる一連の改革を進めた」とした上で、「小泉の行動様式を他の政治家と差異化していた要因」は、「自民党政治家としては異例に短い時間軸を有して」いて、「コンセンサスや貸し借り関係から得られる中長期的な利益は眼中になく、首相や党総裁が本来持っている権限を存分に利用して、自らがコミットした政策を実現することに勢力を費やした」と述べています。
  第2章「内政――新自由主義的改革をめぐる攻防」では、「『抵抗勢力』との攻防の中で、諮問会議がどのように戦略的に活用されたか、そして、『強い首相』のリーダーシップがどのように発揮されたか」に注目するとして、「諮問会議を政策議論の中心的アリーナとして位置づけるという『場の変更』」が、
(1)議題設定の主導権の移動:議題設定の主導権を、かなりの程度まで官僚機構から取り上げることに成功した。
(2)政策コミュニティの開放:官庁や族議員が閉鎖的な「政策コミュニティ」を構成していたものを他のアクターにも開放した。
(3)議題の統合:諮問会議で首相、官房長官や主要な経済閣僚が一堂に会することにより、各省バラバラに検討されていた政策が、一つの場で議論の俎上に載せられるようになった。
(4)政策決定過程の透明化:誰がどのような主張をしているか、対立の構図がどのようになっているか、国民から見えるようになった。
(5)首相裁断の場の提供:首相裁断の場を提供することにより、首相主導の政策決定が促進されるとともに、それが国民に印象付けられることとなった。
(6)外部からのアイディア注入:政府の外部から政策アイディアが注入されるようになった。
という、「相互に関連しあう6つの機能を持った」として、「こうして新自由主義的改革が、政権としての議題の中心に位置することになった」と述べています。
 また、三位一体改革で、「かつてない規模の地方への補助金削減・税源移譲が実現した」として、「諮問会議の場と首相指示という手法が効果的に活用されたために、大きな政策転換が実現した」と述べています。
 そして、「郵政民営化の基本方針」について、「小泉が自民党内の反発に対抗できたのは、公式の権限に依拠して非公式の制度を無視する彼独特の『短時間軸』戦略と、人事戦略が奏功したから」だと述べています。
 著者は、道路公団民営化と郵政民営化という2つの民営化について、「同様の理念から出発したものの、その帰結には違いがある」として、「こうした違いが生じた最大の理由は、『場』の問題である」と述べ、「『場の変更』という戦略は、既存の権力バランスを揺るがすことを通じて、既得権益により固められた政策を大きく変化させることを可能とする」が、道路公団民営化には、「議論を集約させる『仕切り役』に欠けていた」のに対し、諮問会議は、「竹中経財相という仕切り役が極めて周到に議論を誘導し、必要な場合には小泉首相の祭壇を求める形で議論を集約していった」のにくわえ、「2つの民営化では小泉首相の姿勢も異なっていた」と指摘し、「経済財政諮問会議という制度的装置と、それを自在に活用する人材の両者を味方につけたことにより、小泉は『強い首相』の本領を発揮することができた」と述べています。
 第3章「外交――近づく米国、遠ざかる東アジア」では、「外交政策における戦略性」について、「戦略的に進められた経済政策とは対照的に、外交政策では戦略性が相対的に乏しかった」と述べています。
 そして、「小泉首相は、本来ならば行使できるはずのリーダーシップを対外経済政策には適用しなかった。経済財政諮問会議という司令塔はFTA交渉には活用されなかったし、そうした場で追及されるべき戦略も小泉官邸は持たなかったのである」と述べています。
 著者は、内政と外政の対照性が生じた理由として、「首相自身の関心の強さとともに、制度的な場やそれを活用する人材の問題が重要である」と述べています。
 第4章「歴史的・理論的視座からの小泉政権」では、「歴史と理論の2つの視座から小泉政権を分析する」として、
(1)小泉政権の歴史的位相を取り上げる。
(2)なぜ小泉は「強い首相」たり得たのか政治制度に着目する理論的視座から分析する。
の2点を挙げています。
 そして、「政治現象を見る上で利益とアイディアは鍵となる2つの要因である」として、20世紀の終りには、「アイディアの政治」と不適合を起こした政治構造に対して、国民は不信感と閉塞感を募らせていたと述べ、「そうした構造を乗り越え、『アイディアの政治』を適切に扱ってくれるリーダーシップ、すなわち、理念に基づく政策選択肢を国民に対してきちんと提示できるようなリーダーシップへの待望が澎湃としていた」としています。
 また、「55年体制の支配政党であった自民党は、分権的な組織構造を特徴としていた」とともに、「行政府も同様に分権的構造を有していた」とした上で、1990年代の政治改革と行政改革(中央省庁改革)によって、「自民党を集権化する効果を持った」として、
(1)小選挙区比例代表並立制は、投手のイメージが持つ重要性を高めることとなった。
(2)政治改革は派閥の力を弱めることとなった。
(3)一連の改革は、党執行部の持つ権限を強める効果を持った。
などの点を挙げ、また、内閣機能を強化するための諸制度改革として、
(1)内閣総理大臣が、閣議の主宰者として、「内閣の重要政策に関する基本的な方針」を発議できることが明記された。
(2)内閣総理大臣の補佐・支援体制が強化された。
(3)各省に副大臣(副長官)と大臣政務官を置いた。
などの点を挙げています。
 著者は、「与党と行政府の集権制が同時に高まったことが、最後の1年間における小泉政権の強力の亜リーダーシップを支えた」と述べています。
 第6章「小泉政権が遺したもの」では、小泉政権の特徴を現すキーワードとして、「強い首相」と「パトスの首相」の2つを挙げ、「小泉政権終盤では、『強い首相』と『パトスの首相』の相乗(シナジー)作用により、意思決定に掛かるコストは格段に小さくなった」と述べた上で、「政策内容や決定手法について持ちうる選択肢は一つではない」と述べています。
 本書は、小泉政権の姿を、今だからこそ冷静に見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 小泉元首相がどうして強い力を発揮できたのか、ということを分析している本書は、単に小泉政権を分析するだけではなく、なぜそれ以後の政権が毎年交代するほど権力を発揮できないのか、ということを理解するうえで分かりやすい視点を与えてくれるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・最近の首相はどうしてすぐ辞めてしまうのか理解したい人。


■ 関連しそうな本

 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 飯島 勲 『小泉官邸秘録』 2008年01月30日
 東 照二 『言語学者が政治家を丸裸にする』 2009年02月22日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日


■ 百夜百マンガ

ギルガメッシュ【ギルガメッシュ 】

 石ノ森章太郎の作品は、大昔のものでも、作品の根本にあるアイディアをもとにどんどんイマジネーションを膨らませて新しいストーリーができるようです。仮面ライダーとか平成版で10年だし。昭和のヒーローものも相当「原作」となっていますが、もともとこれも「企画」とか「設定」という感じだったのでしょうか。


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2009年03月23日

洗脳選挙

■ 書籍情報

洗脳選挙   【洗脳選挙】(#1523)

  三浦博史
  価格: ¥1000 (税込)
  光文社(2005/1/21)

 本書は、「あらゆる手段を駆使して、候補者を当選させる」ことを使命とした「プロパガンダのプロ」である著者が、「プロパガンダの実態を、日本で最近行われた実際の選挙現場に即した語るもの」です。
 そして、著者が敬愛する友人である川上和久・明治学院大学法学部長が掲げたプロパガンダ「7つの方策」として、
(1)ネーム・コーリング:悪いイメージのレッテル張り
(2)華麗な言葉による普遍化:「自由」「正義」「愛」「平和」といった普遍的な価値との結びつけ
(3)転移:権威ある存在を味方につけ、自らを正当化
(4)証言利用:有名人の発言を利用
(5)平凡化:立場を似せて、親近感を得る
(6)カードスタッキング:都合がいいことの強調と、都合が悪いことの隠蔽
(7)バンドワゴン:ある事柄を、世の趨勢であるかのように宣伝
の7点を挙げています。
 第1章「史上最年少知事は、こうして誕生した!」では、「40、50ははな垂れ小僧」といわれる地方選挙の世界で、42歳の「若造」が当選できた舞台裏を描くとして、選挙プランナーとしての著者の役割を、「候補者自身のオリジナルな売り」をサポートすることだと述べています。
 そして、「選挙の写真を選ぶときには、候補者の容貌は無視するのが三浦流」だとして、「自分が選ぶと、どうしても自分の欠点が出ていないものを選んでしまい、他人から見ると本人らしさがかける写真となる」と述べています。
 また、新潟県内で最大部数を持つ新潟日報が、世論調査の結果を歪曲した世論操作を行ったとして、「こんなプロパガンダが許されるのだろうか」として、「今後、読者は新潟日報を読むときには注意が必要」だと述べ、一例として、候補者のプロフィールを紹介するときに、後から変えようがない「出身地」ではなく「本籍地」と現住所を紹介していたことを指摘しています。
 第2章「人はこうして乗せられる」では、「選挙は戦争であり、選挙プランナーの1つの役割は武器庫である」として、「私は選挙に必要な武器なら全て揃えられる」として、総合プランナーは、「日本では私がナンバーワン」だと自負していると述べ、自分自身の強みとして、
(1)これまで選挙の第一線の現場を数多く経験してきたこと。
(2)日本の各界の第一人者たちを結集させ、チームを作ることができること。
の2点を挙げています。
 そして、マスコミが行う定量調査について、「土日に、自宅にいてわざわざ電話に出て、10~15項目にわたる質問に最後まで付き合う人が、ある層に偏ってしまうのではないか」として、「都市部の人、もともと政治に関心の薄い人、浮動票無党派層の声が正確に反映されているとは考えにくい」と述べるとともに、「マスコミのカラーが出てしまう」ため、「主催者によってカラーが分かれる」と述べています。
 また、「選挙を戦う上で選挙に強い弁護士は絶対に必要だ」として、「公職選挙法は風営法と同じで、警察の胸三寸でどうにでもなる」と述べ、任期満了6ヶ月以降に掲出する「政党(2連/3連)ポスター」について、長野県の選管が、2連ポスターを、「『3連ならいいが、これは違反だ』といって許可してもらえなかった」際には、選管に、「公職選挙法の第何条に抵触しているのか文書に記して、記名捺印して欲しい。明快な回答が得られない場合は選挙妨害で訴える」と伝えたところ、「しばらくして『問題ありません』と言ってきた」と述べ、新しい選挙技術や手法が次々に生まれる中で、「その都度それが公職選挙法に抵触しないか弁護士や総務省に相談しないと、危ない」としています。
 さらに、神奈川県知事選での、松沢成文氏の法定ビラについて、『加治隆介の議』の中からイメージに近いキャラクターを選び、「似顔絵ではない。2年前に刊行されているこのマンガから、作者の許可を得て使用している」と反論して許可されたと述べています。
 第3章「プロパガンダ後進国」では、「選挙PRにおいては、PRコンサルタントと広告代理店の仕事は明確に区分すべきだ」として、「PRコンサルタントが候補者の要求を理解した上で戦略を組み立て、実際にメディアに露出するときは、広告代理店に依頼してテレビや新聞の広告枠を取ってもらうというふうに、分業でなされるべきだ」と述べ、「候補者にどれだけ特化し、丁寧に作るかが大切」であり、「名前を変えたり、顔を変えたりしたら通じるものではなく、候補者独自のものを作っている」と述べています。
 また、広告代理店との違いは、「大衆迎合的戦略」をとるか「啓蒙活動的戦略」をとるかだとして、広告代理店がニンニクを売り込むときには「ニンニクの臭いを消して、消費者に受け入れられることを重視」するが、「ニンニク嫌いな人をニンニク好きにするのが啓蒙だ」と解説しています。
 また、2001年参院選時の公明党の「そうはいかんざき!」のCMが、「フレンド作戦」をバックアップする、「一般国民向けに公明党への嫌悪度を低くするCM」だと解説し、「日本の政党の中で、まともに選挙戦略を立てているのは、唯一公明党だけといえそうだ」と述べています。
 著者は、「選挙はプロパガンダの塊である」
として、「選挙PRの本質は、いかに有権者を投票誘導するかがポイント」、「いかにシンパを増やすか」だと述べています。
 第4章「プロパガンダはこうして生まれた」では、「プロパガンダが世界で一番確立しているアメリカの大統領選挙における、特にメディア戦略にスポットを当てる」として、2004年の「ビンラディン・サプライズ」や、1964年の「デイジー」、マイケル・ムーア監督の『華氏911』などの事例を紹介しています。
 第5章「IT選挙の時代」では、選挙におけるIT活用について、
・選挙運動におけるITの活用
・投票におけるITの活用
の2点を挙げた上で、「時代とともに、確実に選挙手法は変わっていく」が、「演説と握手、つまりドブ板=地上戦の手法は、選挙があるかぎり、永遠に続くだろう」と述べ、「IT化が進む以上、きわめて規模の拡大した空中戦こそが、選挙の行方を左右するだろう」として、「もはや従来型の選対、選挙プロでは全く対処できなくなる」ため、「これからは、空中戦を得意とする私たち選挙プランナーの出番がますます大きくなる」と述べています。
 本書は、現代の選挙に勝つためには不可欠となった「空中戦」の戦い方の触りの部分を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、選挙プロパガンダというものが、常に進化を続ける「技術」であることがよく分かります。そして、本書などで学んだプロパガンダの技術を理解したうえで、実際の選挙戦でどのように使われているかを見ると、新たな驚きと数多くの発見があるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分は自分の意思で投票する候補者を決めていると思っている人。


■ 関連しそうな本

 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日
 加藤 秀治郎 『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか』 2008年10月23日
 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日


■ 百夜百マンガ

デザイナー【デザイナー 】

 どろどろに渦巻く愛想、複雑な人間関係、さすがに王道、さすがに大御所という感じです。誰か漫画でリメイクしないですかね。


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2009年03月22日

神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~

■ 書籍情報

神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~   【神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~】(#1522)

  三浦博史
  価格: ¥1365 (税込)
  フォレスト出版(2007/10/5)

 本書は、「人生で成功するためには、多くの人に理解され、支持される必要がある」として、「究極の人気投票ともいえる選挙戦に学ぶ『自己PR術』と『コミュニケーション術』の極意を紹介」しているものです。
 Prologue「人の心を揺さぶる技術とは?」では、「プロパガンダ」の意味について、「自ら働きかけて自らの思う方向に他人や集団を動かすこと」であり、「自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向けること」を、「上手な誘導」だと述べています。
 そして、「人や集団を動かす基本」は、「熱伝導」と「インスパイア」しかないと述べています。
 第1章「誰も教えてくれなかった!『プロパガンダ』のテクニック」では、アメリカの大統領選挙などでの選挙キャンペーンが、「ネガティブ・キャンペーン」と批判的に取り上げられることが多いが、「アメリカのネガティブ・キャンペーンの真髄は、"事実に基づいて"相手候補を批判する=フェアなパンチを浴びせる」ところにあるとして、「フェアなパンチで攻撃されているのに、フェアなパンチで反撃しない、できない候補者は有権者から同情されることなく失望の対象となっていく」と述べています。
 第2章「あなたが入手した情報は操作されている」では、ネガティブ・キャンペーンへの対応として、「大切なことは事実を否定しないこと」であり、「事実を認めた上で、真実が違っていることを繰り返し主張する」べきだと述べ、「事実は(必ず)暴かれるが、真実は神のみぞ知る」ことも多いとしています。
 第2章「プロはどうやってプロパガンダを成功させるのか?」では、「人間は誰しもコンプレックスを持って」いるとして、「そのコンプレックス(候補者の足りない部分)をカバーしてPRすることを『コンプレックスカバー』と呼び、プロパガンダの手法の基本となって」いると述べ、「女性には男性、男性には女性、あるいは年配者には若者、若者には年配者といったように、自分が持ち合わせていないものをカバーしてくれる人とタッグを組んだり、欠点を補完し合うこと」だとして、2008年の大統領選挙で、「まずありえないでしょうが」と前置きして、民主党のヒラリー・クリントンとオバマが「本選挙直前にタッグを組むこと」が実現すれば、「史上最強のコンビ誕生」となると述べています(本書の出版は2007年)。
 そして、ヒトラーが、「最も簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、けっきょく覚えさせることができる」と述べていたり、小泉元首相が「郵政民営化」だけを主張して大勝したこと、都知事選で石原陣営が「東京再起動」というキャッチコピーを徹底して使い続けたことなどの例を挙げ、「政治家の主張が終始一貫し、なおかつお経の題目の妙に唱えられていると、しだいにそれが一般大衆の間に浸透していく」と述べています。
 また、近年数多く行われるようになった公開討論会について、「討論で相手候補を論破することが重要なのでは」なく、「候補者としての高感度を高め、それを有権者にアピールする場にすること」がもっとも求められるとして、そこが、議論で相手に勝たなければならない「ディベート」と、「どの候補者が観客に好感度を与えるかが勝負」である、「ディスカッション」の違いだと述べています。
 第4章「熱伝導が周りの人を変えていく!人生を変えていく!」では、「プロパガンダを成功させるために不可欠」な「インスパイア(=魂を入れ込む)」技術について、日本語では「入魂」という言葉に近いかもしれないとして、「選挙においては、選挙グッズに候補者の熱いメッセージがインスパイアされていなければ勝てない」と述べ、「簡単にインスパイアする方法」として、「常に新しいチャレンジをすること」だとしています。
 また、元政治家の浜田幸一氏が、選挙期間中に、「車の中にピカピカに磨いた革靴が何足も置いてあった」として、「農村部を回るときは、そのピカピカの革靴で車を降り、どんどん田んぼの中に入っていく。そして農作業をしている人たちに声をかけ握手をする」ことで、「農作業の人たちはその姿を見て驚くとともに、いたく感動する」と述べています。
 第5章「神様に選ばれる法則」では、「あなた自身がインスパイアできる存在になり、周りに熱伝導を発し、周りの人を取り込んでいくための技術」として、「あなたの職業が何であっても、その職業の最高の役を演じることが周りの支持者を増やす秘訣」だとして、「性格は変えられないが異なる性格を演じることはできる」と述べ、「成功している政治家や芸能人といった『外見力』を重視する人たちは、『心の化粧』をしている人が多い」と述べています。
 そして、演説のこつとして、「多くの人がカラオケで歌える十八番があるように、自分の得意なパターンを徹底的に練習」することで、「自然にメリハリもつき、うまくなる」と述べています。
 さらに、選挙コンサルタントとして、勝算率を一番にするには、「運がよくて勝てそうな人しかクライアントにしない」ことだとして、松下政経塾を設立した松下幸之助氏が熟成を採用する基準として、「愛嬌」と「運」を重視していたことを紹介しています。
 本書は、選挙には関心のないような人に対して、選挙プロパガンダの技術を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、いわゆる「成功本」と呼ばれる類のビジネス書の形式を取っていますが、中身としては選挙の話が9割です。こう言ってしまうと「羊頭狗肉」という印象を与えてしまうかもしれませんが、「成功本」と呼ばれているものの多くは、そのものずばり本当に成功するための「法則」があるはずもなく、社会心理学などの関連研究をベースにしたものか、実際に成功した人の体験談や習慣、持論などを紹介するものがほとんどなので、本書も選挙プロパガンダという技術を背景に、実際に選挙で成功してきた体験談を語っているものと言えなくはないかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・神様に選ばれたい人。


■ 関連しそうな本

 三浦 博史 『最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません』 2009年02月18日
 三浦 博史, 前田 和男 『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』 2009年01月31日
 三浦 博史 『舞台ウラの選挙―"人の心"を最後に動かす決め手とは!』 2008年07月22日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 杉本 仁 『選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層』 2007年11月07日
 季武 嘉也 『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の100年』 2007年10月02日


■ 百夜百音

声に出すと赤っ恥【声に出すと赤っ恥】 ガガガDX オリジナル盤発売: 2008

 自動車のCMでおなじみの曲だと思いますが、最近の子どもたちはこの曲は知っていても、元の番組「まんが日本昔ばなし」を知らないのではないかと思います。

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2009年03月19日

メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証

■ 書籍情報

メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証   【メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証】(#1519)

  竹下 俊郎
  価格: ¥3150 (税込)
  学文社(1998/10)

 本書は、「マスメディアの議題設定機能」(the agenda-setting function of mass media)について、「メディアは日々の報道において、比較的少数の争点やトピックを選択し、またそれらを格付けしながら提示することで、人々の注目の焦点を左右し、いま何が重要な問題かという人々の判断に影響を与える」と定義した上で、「マスメディアで、ある争点やトピック協調されればされるほど、その争点やトピックに対する人々の重要性の知覚も高まる」とする「議題設定仮説」が、「マスメディアの社会的役割をどう説明しようとするものなのか。実証研究の結果として何が明らかになり、何がまだ明らかになっていないのか」という問題意識の下で著されたものです。
 第1章「議題設定仮説登場の文脈」では、「「1960年の辞典での説得的効果研究の集大成であり、重要な業績」である「限定効果論」について、「この仮説がマスコミュニケーション研究とくに効果研究に対しては逆機能的なインパクトを持った」と指摘しています。
 そして、議題設定研究の登場が、「メディア効果測定の次元を態度から認知へと移行させたというだけ」でなく、「宣伝・広告といった説得的活動から、メディアによる情報提供活動、特にニュースを制作し提供する活動へと、研究者の目を向けさせるものであった」としています。
 第2章「70年代以降の効果研究──議題設定研究以外の動向」では、「70年代初頭に提起され、コミュニケーション研究者の間で大きな注目を集めた理論仮説」として、E・ノエル=ノイマンが提起した「沈黙のらせん」(the spiral of silence)を挙げ、その仮定として、
(1)人はその社会的天性として、他者から孤立することを恐れ、それを回避しようとする傾向がある。
(2)われわれには「準統計的感覚」(the Quasi-statistical sense)が備わっている。これは、社会環境を見回し、周りの人々が何を考えているのか、特定の争点について何が多数意見なのか、これから勢いを増す意見は何か、といったことを察知する能力と定義される。
の2つを前提とし、「自分の意見が少数はもしくは劣勢であると知覚した場合、少なくとも公の場で自分の意見を開陳することを差し控える」ようになり、「こうした過程は螺旋的に進行」し、「結果として、ハジメに優勢であるというレッテルを貼られた意見は、同調者やそれに黙従する人を増やし、結果として実質的にも勢力を増していく」と述べ、「選挙期間中の情勢報道などで、ある候補者が有力視され、そこに票がなだれ込む」、いわゆる「バンドワゴン効果(勝ち馬効果)」の背景にも沈黙のらせん過程が作用しているとするものだと述べています。
 そして、この仮説が、「きわめて論争的な仮説」であり、「かつてナチスの学生組織の活発なメンバーであったらしい」とされる彼女自身のキャリアや「そのイデオロギー的立場も関係しているかもしれない」と述べています。
 また、G・ガーブナーが提起した「培養仮説」について、議題設定仮説と比較した特徴として、
(1)研究対象となるメディアや内容が異なる。
(2)受けての現実認識を調べる場合にも、問題となる現実の「次元」もしくは「層」が異なる。
(3)議題設定は数週間、数ヶ月のタイムスパンで生じる効果を仮定することが多いが、培養仮説の方はより長期的かつ累積的な効果を仮定している。
の3点を挙げています。
 著者は、限定効果論以降の研究の発達から、「限定効果論のようにメディアの説得的効果を一律に小さいものと考える必要はもはやない」が、「説得的効果を説明するためのモデルは、いきおい複雑なものになる傾向がある」と述べています。
 第3章「議題設定研究の発展」では、「議題設定において新聞とテレビのどちらが強力かという問題は、関連するさまざまな要因を考慮しなければならないため、一概に結論を出しにくい」が、新聞とテレビでは「効果のタイムスパンが異なるのではないか(テレビのほうが即時的)という点は、複数の比較研究が示唆するところ」だと述べています。
 そして、議題設定効果の時間的構造について、
(1)最適効果スパンの問題:受けて議題との関連が最大となるような、メディア議題の測定期間の長さ
(2)キャンペーン期間を通しての議題設定のパターンの問題:アメリカ大統領選挙のようにキャンペーンが長期にわたる場合、その各段階でメディアがどのような議題設定効果を発揮するかという問題
の2点を挙げています。
 また、議題設定研究で興味深い点として、「受け手のメディア利用動機の時限にまで遡り、随伴条件が考察されていること」を挙げ、代表的なものとして、「何らかの意思決定を必要とする課題に関して、それに高い関心を持ちながらもまだ態度を確定していない人は、自らの判断の拠りどころを求めようとする欲求が高まるだろう」とする「オリエンテーション欲求」(need for orientaiton)を挙げています。
 さらに、議題設定を規定するもう一つの要因として、「マスメディアとパーソナルな影響とがともに働く場合には、後者の方が受け手へのインパクトが大きい」とする「対人コミュニケーション」を挙げ、「特定の争点や問題に強く関与している人が話し相手の場合、対人コミュニケーションはメディアの議題設定効果(個人内議題における効果)を抑制する傾向がある」が、「それ以外の場合には対人コミュニケーションは議題設定効果を補強することが多い」と結論づけています。
 第4章「日本における議題設定研究(1)──基本仮説の検証」では、著者が1980年代初頭に実施した議題設定仮説の追試結果を報告し、「おそらく、日本における議題設定効果の本格的な検証例としては、最も初期の部類に属するといっていいだろう」と述べています。
 そして、調査結果について、「内容分析の測定機関を面接最終日前2週間ないしは3週間と設定した場合に、メディアと受けての争点検出性の関連がもっとも強くなることがわかった」として、「新聞の議題設定の最適効果スパンは、受けて調査に先立つおよそ2週間ないしは3週間の期間であると推定される」こと等を述べています。
 第5章「日本における議題設定研究(2)──パネル調査による検証」でjは、議題設定仮説に関する別の検証例を挙げ、その特色として、
(1)国政選挙時の選挙報道の効果に焦点を合わせていること。
(2)パネル調査データによる分析だということ。
(3)効果の測定に当たって、マコームズ=ショー・モデル以外の方法も適用しているということ。
の3点を挙げています。
 第6章「今後の研究課題」では、3つの発展の方向があるとして、
(1)議題設定研究を受け手効果分析として拡張進化させていく方向
(2)受け手分析だけでなく送り手分析も含めた、マスコミュニケーション過程全体をカバーする研究へと発展させていく方向
(3)政治過程におけるマスメディアの役割の解明を指向した、よりマクロなモデルの構築を目指す方向
の3点を挙げています。
 「終章」では、議題設定仮説が、「マスメディアの活動のうちでもとくにジャーナリズムに焦点を合わせ、ジャーナリズムがわれわれの注目の焦点を形成していること、そして、社会システム全体にとっての優先課題の認定に寄与していることを主張するものである」と述べています。
 本書は、マスメディアが具体的にどんな役割を果たしているのかを、掘り下げて捉える視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちが、どの社会問題や政治的な課題を重要だと思うかどうかは、自分で決めているようでいて知らず知らずのうちにマスメディアから相当影響を受けているようです。
 また、マスメディアといっても会社によって相当のばらつきがあるわけですが、世論調査を見ても、新聞社によって内閣の支持率も違えば、重視する政治課題も異なってきます。そういった接触しているメディアの違いによる、政治課題の認識の違いを調査した研究っていうのもあるのだと思います。楽しみです。


■ どんな人にオススメ?

・マスメディアには踊らされないぞ、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 蒲島 郁夫, 竹下 俊郎, 芹川 洋一 『メディアと政治』 2009年03月18日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年6月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 ダン・ギルモア (著), 平 和博 (翻訳) 『ブログ 世界を変える個人メディア』 2006年06月22日 06:00
 河崎 曽一郎 『選挙協力と無党派』 2009年02月24日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日


■ 百夜百マンガ

味なおふたり【味なおふたり 】

 寿司っていうのも分かりやすいほど職人の世界で、客の前で寿司を握って、素人には分からない(最近すっかりネタバレしてますが)符丁を使っていて、映画や漫画の舞台にするにはお誂え向きの世界なのではないかと思います。職業それ自体がキャラが立っていると言ったらいいんでしょうか。


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2009年03月18日

メディアと政治

■ 書籍情報

メディアと政治   【メディアと政治】(#1518)

  蒲島 郁夫, 竹下 俊郎, 芹川 洋一
  価格: ¥1890 (税込)
  有斐閣(2007/3/1)

 本書は、「大学で政治学や日本政治を教える場合、最も難しいテーマ」といわれている「メディアと政治」について、「これまであまり理論化されてこなかったこの領域に、本格的にメスを入れるという意気込みを持って執筆された」ものです。
 第1章「メディアと政治」では、政治学者の内山融が、「マスメディアが政治過程において担う役割」を分類した、
(1)ミラー:受け手に対して政治的現実を鏡のように映し出す機能。
(2)アリーナ:人々が自由に意見表明と議論を行う場を提供する機能。
(3)アクター:メディア自体の主張を直接に表明する機能。
の3つのタイプについて解説しています。
 そして、本書は、「『メディアと政治』研究へと読者をいざなうもの」だとして、「この研究領域はまだまだ荒削りだが、知的好奇心を刺激する多くのテーマを含んでいる」と述べています。
 第2章「モデルの提起」では、「入手可能なデータを用いて、本書全体を貫く理論的モデルを提起する」とした上で、モデルの骨格として、「マスメディアを含む日本政治モデルは、伝統的な権力集団である自民党と官僚組織が政策決定の核を構成し、マスメディアはこれらの権力の核外に位置し、権力から排除される傾向にある新興、弱小社会集団の選好をすくいあげ、新しい多元主義を政治システムに注入しているというもの」だと述べています。
 そして、「影響力の高い集団が、より多く自民党指導者やエリート官僚とのつながりを持っている」反面、「野党指導者への接触度と集団の影響力の間には負の相関関係がある」とするとともに、「マスメディアは、影響力の高い集団に対しても低い集団に対しても、同じように接触度を提供している」と述べています。
 第4章「メディアの政治的影響」では、メディア効果研究に従事する研究者が、「マスメディア効果についてどのようなイメージを抱き、それが時代とともにどう移り変わってきたか」について、
(1)即効理論:1920年代から30年代にかけて、マスメディアの威力は強大であり、あらゆる受け手に対して、直接的・即時的・画一的な効果をもたらすという見方。
(2)限定効果論:1940年代から60年代にかけて、メディアは人々の意識や行動に変化を引き起こすよりは、むしろ現状維持の方向に寄与する方が一般的ではないかとみなされるようになった。
(3)強力効果モデルと中効果モデルが併存:1960年代後半以降から現在まで、マスメディアの影響力が再評価され、マスメディアの効力を無条件に強大だと認めるのではないが、時と場合に応じてそれは受け手に大きな影響を及ぼす、という認識が再び広まった。
の3つの時期を挙げて解説しています。
 そして、第2期を代表する業績のひとつとして、コロンビア大学のラザースフェルドらが著した『ピープルズ・チョイス』を挙げ、「新聞、雑誌、ラジオといったメディアを介して提供される各党のキャンペーンが有権者の投票意図の変化とどう関連しているのか」について、「最も大きく見られた効果のタイプは『補強(=既存の投票意図の維持・再確認)』であり、共和党から民主党(あるいはその逆)へと投票する正統を鞍替えするような『改変』効果は、あまり見られないことが示唆された」と述べています。
 また、第3期の研究として「議題設定効果」(the agenda-setting effects)を挙げ、「政治が取り組むべき優先課題のリスト」について、「明示的には、マスメディアには公衆議題を設定する力がある」とする一方で、「暗黙裏には政策議題への効果も想定している」と述べています。
 第5章「メディアと世論」では、世論について、「ある社会内で、ある争点に関して有力なものと認知されている意見」と定義した上で、世論過程におけるマスメディアの役割として、
・報道機能(reporting function):ニュースや論評によって重要な出来事や政治的活動を描写すること。
・世論調査機能(poll-taking function):争点に対する公衆の反応がどうまとまりつつあるかを伝えること。
の2点について解説しています。
 また、「1980年代末から急速に注目を集めるようになった新たな認知的効果の仮説」として、「メディアが個々の争点や問題をどの角度から取り上げ、どう枠づけするか、という点」に関して、「争点を描写する際のメディアの枠づけの仕方が、同じ争点に対する受け手の解釈や評価を規定すると主張する」と述べています。
 そして、1970年代半ばに、ドイツの世論研究者ノエル=ノイマンが提起した「沈黙の螺旋(the spiral of silence)」仮説について、「人間は他者から孤立することを避けたいという自然な欲求(孤立への恐怖)を持つとともに、周囲を観察しコミュニティの意見動向を直感的に把握する能力(準統計的感覚)も備えている。それゆえ、ある争点に関して、自分の立場が社会で少数派である、あるいは劣勢になりつつあると感じると、少なくとも公の場での意見表明は控える(=沈黙を守る)ようになる」と述べています。
 第6章「政治取材はどう行われているか」では、官邸に対する「カメラが入らない形式の取材」として、「懇談」と呼ばれるものがあり、「背景説明を聞くのが狙いで、通常はメモを取らない。官房長官、官房副長官が官邸内で開く」と述べ、「それぞれ官房長官番、副長官番の記者が1社1人で出席する。メモなしで、記録に残らないから、思い切ったことや不確かなことをいっても、すぐさま責任を問われない。記者の側も、記者会見がタテマエなら、懇談はホンネを引き出すチャンスととらえて、さまざまな質問を発する」と解説し、懇談が、
(1)オンレコ:発言内容を記事にしても差し支えないという約束で話を聞くもので、官房長官なら「政府首脳」、副長官なら「政府筋」、首相秘書官なら「首相周辺」か「首相側近による談」といった形になる。
(2)オフレコ:記事にしないことが前提だが、出所を明示しないで、懇談の趣旨を記事の中にまぶしこみながら報じるケースもないわけではない。
に別れるとした上で、「こうしたこともいっさい認めないという約束での懇談」が、「完全オフレコ(完オフ)」といわれると述べています。
 そして、派閥担当の番記者について解説した上で、「情報産業である政治の世界では、情報をいかに取るかがポイントである。そのためには、政治家との間に人間関係を作らなければならない。名刺を出してすぐにホンネや真相、背景を話してくれることなど、政治だけでなく、どこの世界でもありえない」と述べています。
 また、政治記者と政治のかかわりについて、
(1)記者から政治家へ:記者から政治家になり、直接、政治の世界に入ってしまうケース。緒方竹虎、河野一郎など。
(2)記者から政権中枢へ:派閥記者が政権の中枢に入って政治を動かしていくケース。政治記者から首相秘書官に起用された、池田勇人内閣の伊藤昌哉、佐藤栄作内閣の楠田實など。
(3)派閥とともに:派閥記者が派閥と行動を共にし、政治を動かすケース。「ナベツネ」こと渡邉恒雄と「シマゲジ」こと島桂次。
の3つの類型に分けています。
 著者は、「政治家は情報をどこへどう流して、状況を作るのか。記者はそれに乗らないようにし、常に批判的な眼力を持って、取材先と対峙できるのか。影響力を熟知しメディアを自らにとって有利になるよう使おうとする政治家と、あくまでも中立性を保とうとするメディアとの綱引きが繰り広げられるメディア多元主義の世界。政治取材の現場はつねに真剣勝負である」と述べています。
 第7章「日本におけるニュース制作過程」では、「自民党一党支配の55年体制が崩れて連立の時代になり、選挙制度も中選挙区制から小選挙区制になって、政治報道もずいぶん変わってきた」として、
・政局報道
・国会報道
・政策報道
・検証報道
・世論調査報道
などについて解説しています。
 第8章「テレビ政治と雑誌政局」では、「かつて『密室政治』『料亭政治』といわれたように、派閥を中心に一握りの人たちが夜の料亭で動かしていた面があった」が、今は、「テレビの報道番組で政治が動き、ワイドショーで政治が芸能になって、劇場型といわれるような政治が展開していく」として、「良くも悪くも『テレビ政治』の時代である」と述べています。
 そして、月刊誌よりも、「週刊誌の方が現実政治により関わっている」として、スキャンダル暴露を挙げるとともに、「社会的責任からの自由」度、「権力からの自由」度が高く、逆に「マーケットからの自由」度が低いメディアとして、夕刊紙とスポーツ紙を挙げています。
 第9章「マスメディア、党首評価、投票行動」では、「投票行動における党首評価モデル」として、「党首の行動はマスメディアを通じて有権者に伝えられ、有権者はそれをもとに党首イメージを確立する。比例区では、政党名で投票するために党首イメージが直接、投票行動に影響する。しかし小選挙区では、有権者は候補者名で投票するため党首イメージの影響は間接的になる。さらに、選挙区の候補者イメージが有権者の候補者選択に直接的な影響を与え、他党との選挙協力が行われれば、より一層党首イメージは稀薄化する」と述べています。
 そして、「2000年総選挙では、森首相に対する低い評価が有権者の投票行動を大きく左右した」として、特に、「政党名で投票する比例区では、首相評価の影響が大きく、無党派層はもちろんのこと、多くの自民党支持者も自民党から離反した」と述べています。
 また、戦後の日本では、「強いリーダーシップを持つ、個性ある首相を生み出してこなかったことから、選挙結果に対する首相評価の影響は小さいと見なされてきた」が、2000年と2001年の選挙結果、「郵政選挙」と呼ばれた2005年総選挙は、「首相評価の重要性を証明するものであった」と述べています。
 第10章「変わるメディアと変わる政治」では、「派閥の領袖でもなく、党内に組織化された議員の支持基盤を持っておらず、その上、政策選好、自分の所属する党への敵意、そして強烈な個性のゆえに『変人』というあだ名で呼ばれていた」小泉純一郎が自民党総裁に当選し、首相として長期間高い支持をつなぎとめることができた理由として、「売れるニュースを求めるメディアと、その操縦に長けた小泉首相との共棲ゆえ」だと述べています。
 そして、2001年の自民党総裁選挙について、「メディアは、明白な橋本の勝利であった総裁選挙を、本命の先頭走者とチャレンジャーがいる『競馬』に変えた」と述べ、メディアが小泉首相を「大胆な改革者として扱った」ことは、「改革が必要と考えられているときには有利なレッテル貼りだった」としています。
 第11章「ネットと政治」では、「新たな政治の道具立てとして使われ始めたインターネットには、パーソナルメディア機能とマスメディア機能のいずれの機能もある」上に、「小さな集団で情報を共有する機能」である「グループメディア機能もある」と述べ、「ネットは政治を変える可能性を持っている」が、「危うさを合わせ持っていることも頭に入れておく必要がある」と述べています。
 また、インターネットを使った選挙運動について、総務省が設けた「IT時代の選挙運動に関する研究会(IT選挙研究会)」が2002年8月に「ネットでの選挙運動を解禁」する報告書をまとめ、そのポイントは、
(1)HPでの選挙運動を動画・音声とも解禁する。
(2)候補者や政党以外の第三者による応援サイトの開設も認める。
(3)メールは差出人の追跡が困難で、選挙妨害に使われる危険性があるため、解禁は見送る。
(4)候補者サイトを装う「なりすまし」や誹謗中傷を防ぐため、HPの開設者にはメールアドレスの表示を義務付ける。
(5)HP上での氏名などの虚偽表示や誹謗中傷には罰則を設ける。
というものであり、「総務省は報告書を踏まえて公職選挙法の改正をめざした」にもかかわらず、「棚ざらし」になった理由として、「民主党はネット世代の若手が多く、ネット政治に馴染んでいるものの、自民党はベテラン中心でネットを使わない高齢者の支持も多く、ネット選挙は不利との見方がもっぱらで、自民党が二の足を踏んだから」だと解説しています。
 本書は、政治におけるマスメディアの力を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はあくまで政治にとってのメディア、とくにマスメディアについて書かれているものなので、社会学のメディア論の方を専門にしている人にとっては食い足りないところがあったかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・政治にとってのメディアの役割を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 蒲島 郁夫 『戦後政治の軌跡―自民党システムの形成と変容』
 東大法・蒲島郁夫ゼミ 『選挙ポスターの研究』 2007年01月15日
 三宅 一郎 『選挙制度変革と投票行動』 2008年11月03日
 G.E. ラング, K.ラング(著), 荒木 功, 小笠原 博毅, 黒田 勇, 大石 裕, 神松 一三 (翻訳) 『政治とテレビ』 2007年04月04日
 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』 2007年04月12日
 草野 厚 『テレビは政治を動かすか』 2007年05月24日


■ 百夜百マンガ

道連れ弁当【道連れ弁当 】

 全国各地の駅弁を紹介するグルメ?漫画。鉄分の高い人にとって、当時は実用性が高かったんじゃないかと思います。堂々とパクって同じコンセプトで現代版をやる人はいないでしょうか。


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2009年03月17日

研究者という職業

■ 書籍情報

研究者という職業   【研究者という職業】(#1517)

  林 周二
  価格: ¥1890 (税込)
  東京図書(2004/09)

 本書は、「研究者」「をテーマに、「これからの時代における各方面の研究者のあり方、ことにその生涯計画的な生き方について、、具体的に考えること」を狙いとしたものです。
 序章「研究者事始め」では、著者の3人の師の訓えとして、
(1)研究者たろうとするものは、世間に追従したりせず、自分独自のユニーク(unique)な研究テーマを持つべきだ。
(2)研究上これこそは重要(essential 本質的な)だと考えられるテーマに取り組むこと。
(3)研究者たるものは、つねに開拓者精神でその研究活動に当たること。
(4)研究者は、実際に世の役に立つことを、自己の研究の主旨とすること。
(5)広い全世界で、自分の学問や研究仕事が認められるように努力すること。
の5点を挙げた上で、著者自身の経験から、
(6)なるべく優れた立派な師を頼って、その下に就くよう努めること。
(7)狭いタコツボ的な道場(=研究室)に閉じこもったりせず、武者修行的にいろいろな道場の門を叩き、他流試合つまり他部門や隣接部門研究者たちとの積極交流に努めること。
(8)研究者にとって研究の職場を5年ないし10年ごとに買えることは、研究環境の転換、したがって研究そのものの視界拡大に大きく役立つと考えること。
の3点を追加しています。
 第1部「研究と研究者」では、「職業人としての研究者の仕事は、会社やお役所などに勤めている、いわゆる一般サラリーマンのような組織人としてのそれとは相異なり、本質的にはまず個人の仕事だ」と述べた上で、「一見したところ実利上何の役にも立ちそうもない知的遊戯的な基礎的な科学研究活動と、直ちに実利果実を具体的に求めることを欲する研究活動とを比較して、そのいずれが長い眼で見て人類にとり、真に実利的に役立つかは、実は簡単には速断し得ない」と述べています。
 そして、「日本の大学の研究や教育の質が劣悪で沈滞している近因、遠因的な理由」として、
(1)大学という組織における「競争のなさ」。
(2)日本の大学組織では、そのトップ管理者たる学長に、大学という組織体の管理権、経営権(具体的には人事権や給与査定権)が全くなかったこと。
(3)日本大学ことに社会・人文系の諸学部では、大学院が育っていない(大学院教育が社会的に機能していない)こと。
の3点を挙げ、「大学・大学院に学ぶ日本の若者たちは、米国などの若者たちに比べ、学習意欲、研究意欲そしてそれによる自立の意欲が全く不足している」と指摘しています。
 また、日本の研究者社会において、「ある社会で、科学研究者が彼の研究成果を引っ提げて研究競争に参加し、そこで助成金などの形の資源を獲得し、さらにそれをもとに、更なる次の成果を挙げて自己のキャリアを築いてゆくシステム」である「クレジット・システム」がうまく機能していないことを指摘しています。
 第2部「研究者を志す」では、「職業研究者が必要とする個別的な素質ないし能力」として、
(1)事物に対する行き届いた「鋭い観察能力」
(2)「理論を構築する能力」、学問上の仮説を提示する力
(3)得られた観察資料にメスを加える「分析能力」
の3点を挙げています。
 そして、「とにかく研究者は、彼が一流であろうと、二流、三流であろうと、彼の能力にかなった範囲で、他の仲間たちがあまり目を向けない、盲点になっている個性的な分野に着目し、それに専念すること」だとした上で、「人は研究者として『やりたいこと』より『やれること』をやることに専心すべき」だと述べています。
 第3部「研究者として生きる」では、「学者だなどというと、人は人格的にも立派な人間像を頭に描くかもしれないが、彼らの多くは、少しでも他人のアイデアを素早く盗み、自分の業績に役立て手柄にしようとしている知識泥棒たちである」として、「いかにスマートに他人のアイデアを剽窃するかで勝負が決まるのが、研究者の世界である」と述べています。
 そして、「わが国の研究教育界の保守的風土の元では、現状まだあまりハッキリとは見えてきていないように思えるが、ただし変化の、あるべき具体的将来方向と考えられるもの」として、
(1)これまでの、研究者たちが単独、単身で行う研究から、グループあるいはチームによる共同方の研究へと、力点を移すこと。
(2)大型プロジェクト型の研究テーマの推進には、少なくとも拡大化された大講座型の研究室が研究の単位とならざるを得ない。
(3)大型共同研究・企画では、互いに異質な専門分野、相異なったディシプリンをもった研究者の協業的な集まりがそれを担うことが要求される。
の3点を挙げています。
 本書は、一般には馴染みが薄い「研究者」の人生設計を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、研究者といえでも、ひたすら純粋に真理を追えばいい、という「学者バカ」では職業にすることができないこと、いわば「個人事業主」的に自分自身を分析し、「研究」という市場の動向を見極め、しかも単純に流行を追うのではなく、自分が優位性を持てるニッチをいかに見つけるか、というマーケティング的な発想が不可欠であることを教えてくれます。「大学教授になる本」はいくつもありますが、「研究者として成功する本」、「研究者として生き残る本」というのはなかったような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・研究者は研究だけすればいい人だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 山野井 敦徳 『日本の大学教授市場』 2007年12月23日
 鷲田 小彌太 『新 大学教授になる方法』
 鷲田 小彌太 『社会人から大学教授になる方法』
 岡本 真 『これからホームページをつくる研究者のために―ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』 2007年08月25日
 筒井 康隆 『文学部唯野教授』
 水月 昭道 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』


■ 百夜百マンガ

魔動天使うんポコ【魔動天使うんポコ 】

 いわば小学生向けに特化した「タルるート」の焼き直しといった感じでしょうか。過去の偉大な漫画家にしても、同じモチーフを、リファインしたり、別の読者層向けに描き直したり、ということは当たり前にありましたし、焼き直し自体は悪いことではないと思います。問題は焼きなおしたことで、より前に進めるかということでしょうか。


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2009年03月14日

野中広務 差別と権力

■ 書籍情報

野中広務 差別と権力   【野中広務 差別と権力】(#1514)

  魚住 昭
  価格: ¥1,890 (税込)
  講談社(2004/6/29)

 本書は、内閣官房長官、自治大臣、自民党幹事長などを歴任した元衆議院議員、野中広務の評伝です。
 第1章「漂流する村」では、地元で野中広務に冠する話を聞こうとすると、拒否反応を示されることについて、「まるで目に見えない有刺鉄線がそこらじゅうに張り巡らされていて、それが私のようなよそ者の接近を頑として拒んでいるかのようだった」として、「その理由は、かつてこのあたりが大村と呼ばれる被差別部落だったことと無縁ではない」と述べています。
 第2章「融和の子」では、大村が、戦前から「融和運動」のモデル地区として注目されていたことを挙げ、「後に広務はその融和運動の系譜を引く地方政治家として中央政界のはるかな道を歩みだすことになる」と述べています。
 そして、「本人の地位が上がるほど、周囲の嫉妬や敵意が加わって差別は一層厳しくなる」ことを、「彼ほど身をもって体験してきたものはいない」と述べています。
 第3章「祈り」では、中学卒業後、大阪鉄道局の職員に採用され、当時局長だった佐藤栄作に「判の押し方を指南した」ことや、敗戦の報を高知で聞き桂浜の龍馬の像の前で自決しようとしたことなどを紹介した上で、大阪鉄道局に復員し、異例の出世を遂げた野中が、面倒を見てきた中学の後輩から「園部へ帰れば部落の人だ」と明かされ、昇進ぶりを妬む職員たちから「鬼の首でも取ったように」騒ぎ、「なぜ、野中をあんな高いポストにつけるのか」と抗議が起きたことで、「ここはおれのおるところではない」と退職し、園部町議選に立候補、当選したと述べています。
 第4章「青雲」では、野中が、町長選挙や府議選挙への意欲を示しながら、「差別という分厚い壁」に阻まれた後、33歳の青年町長が誕生し、そのとき、「しっかり仕事をすれば、たとえ、私がどこに生まれていようと、そのことを知ったうえ町の人はこうして評価してくれるじゃないか。人間は、なした仕事によって評価をされるのだ。そういう道筋を俺がひこう」と、心に誓ったと述べています。
 第5章「田中角栄」では、町長に就任した野中が最初にした仕事は、町幹部らが料亭に入り浸ったおかげで「たまりにたまった料亭の飲食代金の清算」で、町の予算の1割近い額であったことや、野中が役場の玄関に、
「窓口には仕事のもちばに違いはありません。何でも相談に応じます。
 窓口と相談係には聞き捨てにするクズかごはありません。
 窓口と相談係にはくさいものにするふたはありません。
 窓口と相談係にはたらいまわしにするたらいはありません。
 町行政上の疑問は何でも遠慮なく相談係にたずねてください。」
と書いた紙を張り出したことを述べています。
 また、当時、野中が、「電話一本で田中角栄の部屋に入っていける」といわれ、「政治をするために生まれてきたような男」と地元記者から評されてきたと述べ、野中の「目白詣で」はその後も続き、「地方政治家にとって、田中に目をかけられるということがどれほど強力な政治的武器になるかはいうまでもない」と述べています。
 そして、「田中が『表日本』の犠牲になった『裏日本』が生んだ政治家なら、野中は明治以来の近代化の過程で困窮のどん底に突き落とされた被差別部落が生んだ政治家である」として、「田中が野中を評価し、野中が田中に惹かれていったのも自然なことだったのかもしれない」と述べています。
 第6章「転機」では、1966年の、「京都新聞の社運をかけた『反蜷川キャンペーン』」について、当時の自民党幹事長の田中角栄が野中とともに反蜷川演説を打ったにもかかわらず、結果は、蜷川の圧倒的な勝利に終り、「蜷川が5選を決めた府知事選を境に野中と共産党との新たな戦いが始まった」と述べています。
 第7章「二つの顔」では、同級生の言葉として、「野中はんのなかには、差別に憤る部落民としての野中はんと、政治家としての野中はんが二人おるんです」という言葉を紹介し、「野中の政治的特質を的確にとらえている」として、「部落から求められる役割と部落外から求められる役割。相反する二つの要請に応えながら、野中は双方の支持を取り付けてきた」と述べ、「利害の異なる集団の境界線上に身を置くという意味では、彼の政治スタンスは、中央政界入りしてからもまったく変わらない」と述べています。
 そして、古い友人の言葉として、「もともと野中という人には終始一貫した思想とか、特定のイデオロギーというのはない」として、手元のたくさんの「引き出し」の中から、「その時に一番効果のある"引き出し"をぱっと出してくる。変幻自在の男」だと述べています。
 第8章「争奪戦」では、蜷川京都府知事の引退後、林田知事の下で副知事を務めた野中が、「極端な配置転換はほとんど行わなかった」が、「野中の移行を反映できる職員を幹部にすえ、彼らが自発的に行動するよう仕向けながら、共産党員や組合活動家を不調の中枢から追い出していった」と述べています。
 第9章「政治と土建」では、衆議院の補欠選挙に出馬した野中にとって、「頼りになるのはこれまで築いてきた人脈しか」なく、府議会や市町村議会から約430人がはせ参じ、東京からは田中派議員と、総勢200人の「田中派秘書軍団」が「大掛かりな物量作戦」を展開し、田中派から「莫大な選挙資金もつぎ込まれた」と述べています。
 そして、野中陣営の戸別訪問を上げようとした京都府警捜査二課の前には、頑なに容疑を認めようとしない青年部の幹部とともに、「現場から府警本部への報告が野中陣営に筒抜けになっていた」という「厚い壁」に阻まれたと述べています。
 また、57歳で初当選した野中にとって、「そのまま『田中支配』が続いていたら」、当時の自民党の強固な序列は崩せなかったが、まもなく、「田中支配」が終り、「政界は長くて激しい動乱の時代に突入」していったと述べています。
 第10章「シマゲジ追い落とし」では、NHKの衛星放送打ち上げ時の所在についての、NHKのドンと言われた「シマゲジ」こと島桂次会長の虚偽答弁に関して、逓信委員長だった野中がすばやく事実をつかんでいたことについて、当時の郵政省担当者の証言として、「目の付け所が鋭いし、行動がすばやく、読みが深い。いろんな政治家を見てきたが、突出してすごい人だ」と述べています。
 そして、野中が、「シマゲジの首をとった男」として、「一躍政界で脚光を浴び、郵政省やNHKに影響力を持つ族議員としての地位を確立した」ことについて、「豊富な情報をもとに相手の弱点を見極め、マスコミや世論の動向を敏感にかぎ分けながらズバリと切り込んでいく」という「政界の狙撃手」と怖れられる政治スタイルが、「このとき完成された」と述べ、「政治家は『潮目』を見る人が偉くなる。野中さんはそれがうまい人でした。偏らず、全体がそういう雰囲気になったときにバンと言うと世の中が付いてくる。そういう能力に長けた人なんです」とする証言を紹介しています。
 第11章「経世会分裂」では、野中と小沢が袂を分かった一番の原因として、「政治スタンスの決定的な違い」を挙げ、「小選挙区制による二大政党制の実現」を政治目標として掲げた小沢に対し、「野中にすれば、それは親の地盤を何の苦労もなく受け継いだ二世議員のたわごとにすぎない。野中にとって政治とは選挙民の多様な声を吸い上げることだ。彼は、町議時代から地元の利害を調整し『世話役』としての実績を積み重ねながら、差別の壁を乗り越えてきた。その過程で選挙民の切実な思いを自らの皮膚感覚として身につけてきたという自負があった」として、「理念と皮膚感覚。政党の主導権と地元民の思い。小選挙区制と従来の中選挙区制。そのどちらによって立つかで政治に対する考え方はまったく違ってくる」と述べています。
 第13章「村山政権の守護神」では、「帝大出身の政治家を帝大出身の官僚が支え、経団連に集う帝大出身の財界人たちが政治資金を供給する」という「従来の55年体制」が、「馬喰の息子」田中による政権奪取でひっくり返り、これ以来、「日本の政治は平等指向を内包した非エスタブリッシュ出身者たちによる『土着的社会主義』の色合いを持つようになる」として、「なかでも野中は、被差別部落という日本社会の底辺から這い上がり、周回遅れで永田町に登場してきた政治家」であり、「田中の最後の末裔と言っていいかもしれない」と述べ、「55年体制の終着点ともいうべき自社さ連立時代の到来での中は水を得た魚のように政界の桧舞台に躍り出ていく」と述べています。
 第14章「恐怖の絆」では、1996年、新進党の権藤恒夫が、野中から、「『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい」という話を聞かされたと述べ、その3ヶ月前に、「自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた」亀井静香が「命を狙われている」という噂が流れたのは、「密会ビデオ」のなかで、「反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言った」からだとする証言を紹介しています。
 また、学会が野中を恐れた理由として、学会発行の『聖教グラフ』に掲載された、「池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真」のバックにある有名画家の高価な絵を、野中が「創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突合せ」、「届出のない絵がいろいろあることが分かった」という証言を紹介し、後に自公連立政権が成立したさいに、「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と聞かれた野中が、「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と答えたと述べています。
 第15章「勝者なき戦争」では、元学会幹部の証言として、「学会には国会議員のブラックリスト」があり、「誰がどう発言したか、どんな反学会の動きをしたかが全部記録されている。それをもとに『この議員は敵性です』と一言いえば、簡単にその議員を落選させられる」、「こうなると議員たちは二度と学会を批判しなくなり、学会批判は政界のタブーになっていく」と述べています。
 そして、1988年に成立した、「国会周辺と外国公館および政党事務所周辺での拡声器使用を規制する法律」である「静穏保持法」について、この法律の成立が、「公明党を消費税法案の審議に協力させるためだった」と述べ、「政党事務所の法律上の要件」が、「衆議院議員または参議院議員が所属する」ことであるため、「公明が新進党に前面合流してしまえば、信濃町から『政党事務所』が消え、再び池田は右翼の街宣カーに悩まされることになる」ため、公明が、「静穏保持法をとるか、新進党に残って票を稼ぐ方をとるかの判断」で、前者を取ったと述べています。
 また、野中が、「旧国鉄長期債務処理法案の審議など」で公明の協力を得る条件として、「以前から公明が主張」していた「地域振興券」を飲むことになり、野中が若手議員たちとの会合で、「天下の愚作かもしれないが、7千億円の国会対策費だと思って我慢してほしい」と語ったと述べています。
 第16章「差別の闇」では、「独自の国家戦略を持たず、与えられた役割に忠実すぎる野中の弱点」として、小渕政権の官房長官時代に、ガイドライン関連法野党諜報、国旗・国家法、改正住民基本台帳法など「国民の基本的人権を制限し、日本を右旋回させる法律を次々成立させた」ことを指摘し、野中は、「『潮目を見る』政治家であって、潮目をつくり出す政治家ではない。利害や思想の異なる集団同士の『調停』では突出した能力を発揮するが、かつての田中角栄のように大きなスケールで国家の将来像を創出する力はない」と述べ、一方で、「半世紀にわたる彼の政治人生でまったく変わらなかった思い」として、「差別を乗り越えるには、他人に頼らず自力で道を切り開くしかないという核心と、差別の『再生産』につながりかねない行為への激しい憎悪」を挙げています。
 そして、野中が総裁選に出馬することのなかった理由として、「永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上るたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした」として、「自民党代議士の証言」として、麻生太郎が、「大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、『あんな部落出身者を日本の総理にはできんわなあ』と言い放った」と紹介しています。
 「エピローグ」では、「彼の演説にちりばめられた政治的粉飾をはぎとってしまえば、残るものはおそらく一つしかない」として、「自らの業に突き動かされて権力の階段をはい上がりながら、最後は巨大で不吉な時代のうねりに巻き込まれ、押し流されて敗北してしまった政治家の悲哀である」と述べています。
 そして、「この国の歴史で被差別部落出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない」と述べています。
 本書は、戦後の地方政治と90年代の激動の国政の両方に身を置いた稀有な政治家の姿を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 政界を引退したとはいえ、まだまだ影響力の大きな人物の評伝ではあるのですが、これは面白い。現役時代は政界のあちこちの動きの陰にチラリチラリと姿を見せるだけで、表舞台で大演説をする役者たちの陰に隠れていて、正直なところいい印象を持っていなかったのですが、本書を読んだ多くの人が、この遅咲きの政治家の姿に惹かれていってしまうのではないかと思います。これはすごい本です。


■ どんな人にオススメ?

・「影の総理」と呼ばれたダークヒーローに心酔したい人。


■ 関連しそうな本

 野中 広務 『老兵は死なず―野中広務全回顧録』
 野中 広務 『私は闘う』
 魚住 昭 『官僚とメディア』 2008年04月20日
 魚住 昭 『渡邊恒雄 メディアと権力』
 松田 賢弥 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』
 五百旗頭 真, 伊藤 元重, 薬師寺 克行 『野中広務 権力の興亡 90年代の証言』


■ 百夜百音

ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-【ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-】 矢島美容室 オリジナル盤発売: 2008

 去年の忘年会では余興用としてずいぶんカツラが売れたんじゃないかと思います。ちなみに、この中で一番高いのはボブのようです。

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2009年03月10日

道路行政

■ 書籍情報

道路行政   【道路行政】(#1510)

  武藤 博己
  価格: ¥2730 (税込)
  東京大学出版会(2008/07)

 本書は、「主として道路法の適用される道路」を対象に、「道路についての関心をさらに深めることができるよう、説明と議論を展開」しているものです。
 第1章「高速道路」では、高速自動車国道の要件として、
(1)自動車の高速交通の用に供する道路であること
(2)全国的な自動車交通網の枢要部分を構成し、
(3)かつ、政治・経済・文化上得に重要な地域を連絡するものその他国の利害に特に重大な関係を有するもの
の3点を挙げています。
 そして、「建設省として利用できる道路法の道路を対象とした有料道路制度」を提案した、1952年の「道路整備特別措置法」について、「一時的の措置」であり、「容易に収支の償う個所を厳選の上、適用すること」などとした付帯決議が、後に守られなかったと指摘し、今日では当然の有料道路制が、「一時的な特例措置として成立」したが、4年後には新法に置き換えられ、有料道路が通常の方法になっていったことについて、「日本の役所の得意な小さく産んで大きく育てた典型であった」と述べています。
 また、国幹道とは別の有料道路カテゴリーとしての「一般有料道路」について、「高速道路ネットワークを拡充していくために、法律では高速道路の建設計画がない地域にもネットワーク網を広げる手段」として、「入場券」と呼ばれる道路として、「一般有料道路が積極的に建設されるようになった」と述べています。
 さらに、「入場券」として建設された「隠れ高速」の典型として、東九州の4つの道路を挙げ、「自動車専用道路の機能を持つ道路、すなわち将来、東九州縦貫自動車道に移行しうる規格の高い道路」を建設しようというアイディアにより、「高規格幹線道路」というアイディアが建設省道路曲から示唆されたと述べ、その路線要件として、
(1)地域の発展の拠点となる地方の中心都市を効率的に連絡し、地域相互の交流の円滑化に資するもの。
(2)大都市圏において、近郊地域を環状に連絡し、都市交通の円滑化と広域的な都市圏の形成に資するもの。
(3)重要な空港・港湾と高規格幹線道路を連絡し、自動車交通網と空路、海路の有機的結合に資するもの。
(4)全国の都市、農村地区からおおむね1時間以内で到達しうるネットワークを形成するために必要なもので、全国にわたる高速交通サービスの均てんに資するもの。
(5)既定の国土開発感染自動車道などの重要区間における代替ルートを形成するために必要なもので、災害の発生などに対し、高速交通システムの信頼性の向上に資するもの。
(6)既定の国土開発幹線自動車道などの混雑の著しい区間を解消するために必要なもので、高速交通サービスの改善に資するもの。
の6点を挙げています。
 第2章「高速道路の民営化」では、小泉内閣の民営化推進委員会の提言において示された、
(1)合併施行/整備新幹線方式スキーム:新会社が採算性の範囲内で建設費を負担するが、採算性の範囲を超える分は国と地方が負担する、新会社と国・地方の合併施行。
(2)内部留保活用スキーム:新会社が単独で内部留保および自主調達した資金を建設費に活用する。
(3)直轄スキーム:国と地方が税金などで建設費を負担し、自ら建設を行う。「新直轄」方式。
の3つの建設スキームについて、「新直轄は新会社を民間企業として採算性の範囲にとどめるための方式であり、『不要な道路はつくらない」というスローガンは、新会社はつくらない、つくらなくてもよい、ということにすぎない」と指摘し、政府が作る理由は、「政府が必要と判断すればよい」のであると述べています。
 そして、民営化が目指すべき民間企業の要素として、
(1)採算性
(2)資金調達
(3)経営の自立性
の3点を挙げたうえで、「高速道路サービスの民営化という考え方は、経済学や経営学の観点から望ましい姿を描き出すということはほとんど不可能であり、政治学・行政学の観点からどのように考えるかという問題であることがわかる」と述べています。
 第3章「一般道の歴史」では、道路行政に関する江戸幕府と明治政府の違いとして、江戸幕府が、「的の迅速な兵力の移動を抑制して、河に橋を架けず、むしろ自然の障害を活用した」のに対し、明治政府は、「国内の敵の攻撃というより、国内各地に発生する反乱・暴動を鎮圧するための軍隊を迅速に移動させる必要から交通・通信網を整備した」と述べています。
 そして、明治前半における道路関係の法令が、「きわめて断片的であり、内容も不十分なものであったが、中央集権的な行政の仕組みと費用負担が慣例的に形成された」として、不安定な政治状況の中で、「中央集権的手法が強化されていく過程としてみることができよう」と述べています。
 第4章「一般道の管理」では、戦後の道路行政の飛躍的発展を支えた「二本の柱」として、「道路特定財源制度と有料道路制度」を挙げ、このうち前者について、「小さく産まれた道路特定財源の制度」が、「その後の経済成長に伴う自動車交通の拡大、ガソリン消費量の拡大に伴い、確実な道路財源として機能した」と述べています。
 また、道路整備を促進した大きな要素として、「道路整備の計画」を挙げ、道路特定財源が、「道路整備五箇年計画と一体となってその税率が引き上げられてきた」と述べ、五箇年計画について、
(1)膨大な量の行政活動があり、現実にも自動車交通の急激な増加は計画という手法を不可欠とした。
(2)財源の裏づけについては、道路特定財源が十二分に機能したことがわかる。
(3)道路管理者間の調整については、国道の指定区間制度が導入され、直轄工事が増えていったことは、都道府県の道路行政に対する何らかの問題意識があったからであろう。
(4)説明責任という考え方は全く認識され提案買ったといえよう。
の4点を指摘し、「戦後の計画は財源の確保とそれによる量的整備のための計画であった」と述べています。
 そして、「都道府県が国に要望する都道府県胴の国道への昇格運動」である「国道昇格運動」について、
(1)財政負担
(2)事務手続きの負担
(3)国道があることの満足感やステータス
の3つの理由を挙げています。
 第5章「道路行政の分権と政策評価」では、今日的な問題として、
(1)地方分権と道路行政
(2)道路の政策評価
(3)政治と道路の関係
の3点について検討しています。
 本書は、巨額の金が動き、政治的なイシューとなりやすい道路行政についての基礎知識を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちが一般に「高速道路」と呼んでいるものについて、行政的には色々なカテゴリーがあり、なかなかわかりづらいところがありますが、単に制度として説明されるよりも、歴史的な経緯を知ることが一番の近道ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・報道番組で道路の話を聞いてもよくわらかない人。


■ 関連しそうな本

 松下 文洋 『道路の経済学』 2007年12月21日
 加藤 秀樹, 構想日本 『道路公団解体プラン』 2006年5月18日
 清水 草一 『この高速はいらない。―高速道路構造改革私案』
 猪瀬 直樹 『道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日』 2006年06月05日
 猪瀬 直樹 『日本システムの神話』 2006年06月14日


■ 百夜百マンガ

株式会社大山田出版仮編集部員 山下たろーくん【株式会社大山田出版仮編集部員 山下たろーくん 】

 何をやらせてもキャラが立ってしまう山下たろーくんは、何をやらせてもドラマが生まれるのではないかと思います。それにしても過去の漫画の主人公が失業者になるっていうのは、「いっしょうけんめいハジメくん」を思い出します。


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2009年03月09日

デモクラシーとは何か

■ 書籍情報

デモクラシーとは何か   【デモクラシーとは何か】(#1509)

  ロバート・A. ダール (著), 中村 孝文 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  岩波書店(2001/05)

 本書は、「20世紀が生み出したデモクラシーのタイプを主に議論の対象」として「現状を分かりやすく記述し、専門家よりも一般読者を想定した内容になって」いるものです。
 第1章「旅をするときには、ほんとうはガイドが必要ではないだろうか」では、「そもそもデモクラシーという用語は何を指しているのか」という問いを提示しています。
 第2章「デモクラシーは、どこでどのようにして発展してきたのか」では、「デモクラシーは、古代ギリシアで2500年前に発明されて、その後、多かれ少なかれ持続的に発展してゆき、次第にその小さな始まりをこえて外に広がり、今日にいたって全大陸に達し、人類の大部分に行き渡った」とする描写は、「少なくとも2つの理由で間違っている」として、
(1)古代のギリシアやローマでは、初期の数世紀が経過し、その後に勃興した民衆中心の政体は、やがて衰退し、消滅してしまった。
(2)デモクラシーを、一度限りの発明品とみなすこともおそらく誤りである。
の2点を挙げ、「デモクラシーは、適当な条件がそろったときにはいつでも、その場所で独自に、生み出されたり、再生されたりしうるもの」であり、「デモクラシーにふさわしい条件は、さまざまな時代、さまざまな場所で存在したことがある」と述べています。
 第3章「さらに問われなければならない課題」では、「デモクラシーを論ずるときに混乱が生じる」原因は、「『デモクラシー』ということばが理念を表すためにも使われるし、現実を表すためにも使われるという単純な事実にある」としたうえで、「デモクラシーとは何か。デモクラシーとは何を指すのか。別の言い方をすれば、ある政府が民主的かどうかということ、そして、どの程度民主的なのかということを判断するためには、どんな基準を使ったらいいのか」という問いかけをしています。
 第4章「デモクラシーとは何か」では、「各メンバーすべてが、集団の政策決定に参画する資格を平等に持つという要求を満足させるため」には、
(1)実質的な参加
(2)平等な投票
(3)政策とそれに代わる案を理解する可能性
(4)アジェンダの最終的調整の実施
(5)全市民の参画
の最低5つの条件を満たすことが必要だとしています。
 祖sの上で、「若干のきわめて重大な問い」として、
(1)これまで述べてきた規準が、きわめて小規模で自発的な集団の運営に適用して役に立つものだとしても、そのままで、本当に国家の統治に応用できるものなのであろうか。
(2)以前に完全にこうした規準にあてはまる集団があったと考えることは現実的だろうか。
(3)先に述べた規準が指針として役に立つということを認めるにしても、デモクラシーの政治制度を案出する上で、全部が必要になるのだろうか。
(4)仮に、主要な発言者の見解が、なんらの異議もなく受け入れられたとしても、なぜ、受け入れられる必要があったのだろうか。またなぜ、デモクラシーが望ましいとみなされなければならないのだろうか。
の4点を挙げています。
 第5章「なぜデモクラシーなのか」では、「非民主的なやり方に比べて、デモクラシーの方が国家統治の方法として優れている」と考えられる点として、
(1)デモクラシーは残酷かつ強暴な独裁者による統治を阻止する力になる。
(2)デモクラシーは、非民主的視し打て無我承諾しなかったり、承諾できなかったりする数多くの基本的権利を市民に保証する。
(3)デモクラシーはそれ以外の方法に比べて、個人の自由を各市民に幅広く保証する。
(4)デモクラシーは、人々が自分たちの基本的な利益を守るために役に立つ。
(5)自己決定の自由――つまり、みずからが選択した法の下で生きること――を個人が行使する機会を最大限に提供できるのは民主的な政治だけである。
(6)道徳上の責任を果たす機会を最大限に保証してくれるのは民主的な政治だけである。
(7)デモクラシーは、デモクラシー以外の政治体制に比べれば、いっそう人間性の展開に役立つ。
(8)政治的平等の深化を促すことができるのは民主的な政治だけである。
(9)近代代表制デモクラシー諸国は相互に戦争することはない。
(10)民主的な政治を行っている国々は、非民主的な政治を行っている国々よりも繁栄しやすい。
の10点を挙げています。
 第6章「なぜ政治的平等なのか――その1」では、「本質的平等は、合理的な原理であって、一国の政治はそれに基づいて行われなくてはならない」とする理由として、
(1)倫理上、宗教上の理由
(2)本質的平等に代わる原理の不十分さ
(3)慎慮
(4)受容可能性
の4点を挙げています。
 第7章「なぜ政治的平等なのか――その2」では、「守護者による統治を主張する立場を拒否するということ」は、「成人であれば誰でも、政治に関わる視覚は平等なので、その国の政府のあり方を左右する権限は、すべての人に全面的かつ最終的にゆだねられるべきである」と述べています。
 第8章「大きな規模のデモクラシーにとってどんな政治制度が必要になるのだろうか」では、「大きな規模のデモクラシーにおける政治制度、すなわち、民主的な国で必要とされる政治制度に焦点を」当てると述べ、「近代代表性デモクラシーの政治にふさわしい政治制度」として、
(1)選挙によって選出された公務員
(2)自由で公正な選挙の頻繁な実施
(3)表現の自由
(4)多様な情報源にアクセスできること
(5)集団の自治・自立
(6)全市民の包括的参画
の6点を挙げています。
 そして、「近代になって実現した新しいタイプの大規模な民主政治」を「ポリアーキー型デモクラシー」と呼ぶとした上で、「多くの国々に課せられている任務は、民主化を推し進め、ポリアーキー型デモクラシーのレベルまでデモクラシーを引き上げること」だと述べています。
 第9章「多様性――その1」では、「集会デモクラシーは明らかに長所をいくつも持っているのに、なぜ、非民主的な起源をもつ政治制度に合わせるために、デモクラシーの旧来の理解の仕方が変わった」理由として、「ある政治単位の人口と領域の広さとがデモクラシーの姿を決める要因」だとして、「規模が重要となる」と述べています。
 そして、「時間と数の法則」として、「民主的な集団が抱える市民が増えるにつれて、政治的な決定に市民が直接参加できる可能性は少なくなり、逆に、他の人に権限を委任しなければならない可能性は大きくなる」と述べる一方で、代表制デモクラシーの「闇の側面」として、「市民は、代議政体の下にあっては、極めて重要なことがらに関する決定権を権力の巨大な裁量にゆだねている」が、「政府のやり方や決定に市民が影響を及ぼせるようにしているポリアーキー型デモクラシーの制度」と「不可分の関係にあるものが、非民主的な決定過程、すなわち、エリート政治家やエリート官僚の間で繰り広げられる取引(バーゲニング)なのである」と述べています。
 第10章「多様性――その2」では、「根底にある諸条件が雑多で、デモクラシーに有利な条件と不利な条件それぞれが混在しているような国の場合には、憲法が上手く工夫されていれば、民主的な諸制度の存続を促すことができるかもしれない」が、「憲法が良く練り上げられていない場合には、民主的な諸制度を崩壊させる引き金になりかねない」と述べています。
 第11章「多様性――その3」では、「民主的な国の政治のあり方を決定する上でもっとも大きな役割を演じているもの」として、「選挙制度」と「政党」を挙げ、「これほど多様さを示しているものは他にない」と述べ、選挙制度が限りなく多様である理由の一つとして、「選挙制度の善し悪しを決める規準を完全に満たす選挙制度などどこにも」なく、「選挙制度には、つねにトレード・オフの関係がつきもの」だと述べています。
 第12章「デモクラシーにとって好ましい基礎的条件は何か」では、「デモクラシーにとって不可欠な条件」として、
(1)選挙で選ばれた文民が軍と警察をコントロールしていること
(2)民主的な信条や民主的な政治文化が普及していること
(3)デモクラシーに敵対的な外国勢力の干渉が強くないこと
の3点を挙げるとともに、「デモクラシーにとってあったほうが望ましい条件」として、
(4)近代的市場経済と近代社会
(5)サブカルチャーの文化が多元的すぎないこと
の2点を挙げた上で、「一般的な命題」として、
(1)5つの条件がすべて存在している国の場合には、民主的な制度をほぼ確実に、維持、発展させることができる。
(2)5つの条件すべてが存在しない国では、民主的な制度を発展させることはきわめて困難である。
(3)デモクラシーに有利な条件と不利な条件とが混在しているような国の場合は、デモクラシーが危うい状態にあり、ひょっとしたら実現しないかもしれない。
の3点を挙げています。
 第13章「資本主義市場経済はなぜデモクラシーに有利なのか」では、デモクラシーと資本主義市場経済の関係を、「喧嘩を繰り返しながらも結婚生活を続けている夫婦」にたとえ、「植物の世界にたとえれば、この両者は一種の敵対的共生(アンタゴニスティック・シンビオシス)を維持しながら関係を取り結んでいる」とした上で、この両者の関係についての、5つの重要な結論のうち、
(1)ポリアーキー型デモクラシーは、資本主義市場経済が支配的な国々でのみ存続してきた。そして反対に、非市場経済が優勢な国では、決して存続してこなかった。
(2)こうした密接な関係が両者の間に成立する理由は、資本主義市場経済のある基本的な特徴が、民主的な制度にとって好都合であるからに他ならない。反対に、非市場経済が優勢である場合には、その基本的な特徴のいくつかが、デモクラシーの発展を阻害するのである。
の2点を挙げています。
 第14章「資本主義市場経済はなぜデモクラシーを阻害するのか」では、前章に引き続き、
(3)デモクラシーと資本主義市場経済とは、常に対立し合う関係にあって、相互に影響を与え合ったり制約しあったりしている。
(4)資本主義市場経済は不可避的に経済的不平等を生み出す。そしてそれは、政治的資源の配分の不平等をもたらす。その結果、デモクラシーに潜在的に秘められているポリアーキー型デモクラシーを実現する可能性は制限されてしまうことになる。
(5)資本主義市場経済は、デモクラシーの発展にとっては好都合で、特にポリアーキー型デモクラシーに至るまでの発展に大きく寄与する。しかし、ポリアーキーのレベルをさらに超えてデモクラシーが発展しようとするときには、市場経済は、政治的平等を損なう帰結をもたらすために不都合なものとなる。
の3点を挙げています。
 そして、「デモクラシーの活力とデモクラシーの質」は、
(1)経済秩序
(2)国際化
(3)文化の多様性
(4)市民教育
などの課題を、「民主的な市民や指導者たちがどのくらいうまく処理できるか、ということにきわめて大きく依存している」と述べています。
 本書は、当たり前に使っている「デモクラシー」という言葉が抱えている深い論点へのガイドブックとなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちは、子供の頃から生徒会の選挙などを通じて、民主主義の手続きというか仕組みそのものには馴染んでいるものの、どうして民主主義なのか、ということはあまり考える機会がなかったような気がします。それは、やはり、民主主義を自分たちで選択した、さらに言えば、勝ち取ったという経験がないからなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・民主主義とは何かを再確認したい人。


■ 関連しそうな本

 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 佐々木 毅 『民主主義という不思議な仕組み』 2009年02月25日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日


■ 百夜百マンガ

アウト・ロー【アウト・ロー 】

 15年の長期連載の後だからなのか、ちゃんとヤクザ漫画からスタートしておきながら野球漫画になってしまうところは、柔道漫画から野球漫画になったドカベンのようです。主人公の名前も前の作画の人に似てるし。


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2009年03月06日

日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で

■ 書籍情報

日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で   【日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で】(#1506)

  大嶽 秀夫
  価格: ¥798 (税込)
  中央公論新社(1999/10)

 本書は、「政界再編の中で、戦後数十年にわたって続いてきた政策対立軸が消滅したにもかかわらず、それに代わるべき対立軸が不在のままにとどまっていて、政党再編に理念を与えることができず、そのため『政党本い、政策本位』の政治を実現することができないでいる」と言うテーゼについて論じたもので、「政策対立軸(の混乱)をいう概念を鍵として、現在の政局を理解しようとしたもの」です。
 第1章「五五年体制下における政策対立」では、「1993年に自民党による一党支配体制が崩れるまでのいわゆる『1955年の体制』においては、政党支持は、日米安保条約と自衛隊に対する態度をめぐる自民党と社会党の対立によって構造づけられており、その他の政党は、この両者の中間に位置するものと認識されていた」と述べた上で、「戦後における防衛という争点は、単なる戦争と平和、安全保障という論点として議論されたのではなく、戦前の軍国主義、ファシズムの復活という問題と密接に絡むこととなった」と述べています。
 また、「新自由クラブ、(後述する)日本新党という2つの新党の躍進と、社会党の2回の勝利とは、反既得権益の姿勢に支えられたものであり、既成政党さらには政党政治、あるいは、官僚・政治など、政治・行政のプロフェッショナルに対する拒否反応をその中核に持つもの」だと述べたうえで、「そこには重大な転換が存在する」として、
(1)この反感は(伝統的文化に対抗するという意味で)「近代的」政党と見られていた社会党に対しても向けられている。
(2)この社民的エリートに対する反感は、1980年代になると、いわゆるリベラル勢力にも向けられることになった。
(3)かつては、権威主義的な経緯も含めて国民の間で高く評価されていた、あるいは、少なくとも、党派的中立性というシンボルによって、政党に浴びせられるダーティなイメージからは免れていた高級官僚も、既得権益の擁護者とみなされ、厳しい批判にさらされるに至っている
の3点を挙げています。
 第2章「政界再編の中の対立軸」では、「「1993年から始まった日本の『政界』再編は、有権者の政策志向や政党支持の変化によって始まったのではなく、自民党の分裂を契機として、国会議員の離合集散によって始まった」と述べた上で、「政界再編の過程において、それを政党再編につなげるべく」、
(1)利益政治とそれに対する批判
(2)そこから派生した市民参加の主張
(3)55年体制下の最大の対立軸であった防衛問題をめぐる対立
(4)その規定にあったとされる(道徳、宗教などの争点をめぐる)リベラリズム対伝統主義の対立の(形を変えた)再現
(5)第二臨調以来登場したネオ・リベラリズムとそれへの対抗理念
などの「いくつかの対立軸が、政党の側から提起され、いずれがその後の主要対立軸をなすかをめっぐて競合した」と述べています。
 そして、「『政党本位、政策本位』の政治を選挙制度改革によって実現することは、1988年のスキャンダルの再発とともに、マスメディア、識者、民間指導者にとっても共通の課題と認識され、小沢は、そうした世論の動きに自らの構造実現のチャンスを見た」として、「イギリス型政党政治の実現という構想」を挙げています。
 また、「現在の日本政治における対立軸の喪失が、政界再編中の過渡的な現象であるにしても、新たな対立軸の登場によってその事態が克服され、政党再編につながるためには、きわめて困難な課題の解決が必要とされることをこれまでの分析は示している」と述べています。
 第3章「『第二』の政党」では、「1990年代の後半に誕生した2つの『民主党』を取り上げる」として、
(1)96年の衆院選の直前に、いわゆる「鳩山新党」として、社会党と新党さきがけの所属議員を中心として結成された民主党(第一次民主党)
(2)新進党の解党を受けて、第1の民主党に旧民社系並びに保守系の議員が合流することによって結成された民主党(第二次民主党)
の2つを挙げています。
 そして、政党が「無党派層の支持を得て得票し、選挙で勝利するための戦略」として、
(1)組織戦略:従来型の組織を通じて、あるいは従来にはなかったような組織を通じて、無党派の有権者を新たに組織化すること。
(2)政策戦略:無党派の利益意識やイデオロギー意識を刺激するような組織を提示し、彼ら無党派層の利益・イデオロギーに沿うような政策を提示することを通じて、支持を獲得しようとすること
(3)政権戦略:選挙後にどのような政権を作るのかを示すことによって、無党派層に向けてドラマを演出して支持を獲得しようとするもの。
の3点を挙げています。
 また、2つに民主党を比較した際の特徴として、
(1)議員の政党
(2)労組の政党
(3)社会民主主義勢力と経済的自由主義派の同居
(4)リベラル?
(5)第三極から第二極へ
などの点を挙げています。
 著者は、「現在の政党再編を取り巻く要因は、『二党化』あるいは『二極化』について複雑な圧力を持っている」ため、「現在進行している政党再編が今後どのような政党制へと至るのかは、結論づけることが困難である」と述べています。
 第4章「一九九〇年代中期における日本の経済社会」では、日本で政策対立を軸とした政党再編が進まない一因として、「日本に一般有権者にとって、新保守主知、とくにネオ・リベラルな政策が『難しい争点』である」ことについて、「その社会的、文化的背景として、日本の社会経済の深部において、ネオ・リベアッルな主張を拒否する傾向が存在することを指摘」するとしています。
 そして、「1980年代中期以降、日本経済が二度にわたる石油ショックを乗り切り、世界でもっとも優れたパーフォーマンスを示した時期には、明らかに反ネオ・リベラル的な日本型労使関係は危機克服の過程で強化され、かつ、内外で賞賛の対象となった」としています。
 また、「民間企業の高成長、高収益を前提として、公的制度の赤字をそれへの統合で解消した形の80年代の改革は、その前提が崩れることによって、再度、そしてさらに深刻な危機に直面した」と述べチエます。
 第5章「『橋本行革』の登場、展開、挫折」では、「本書が検討してきた文脈から、橋本政権が取り組んだ政策課題のうち、首相自身が土台改革(後に六大改革)として掲げたネオ・リベラリズム的政策の登場と展開とを焦点に、考察を加える」としています。
 そして、政治過程に現れた橋本の政策主張について、「全体として社会民主主義的特徴が強いが、明確に理念の体系として提示されているわけではないという特徴」を挙げ、「実際的、具体的な政策として、ある意味では技術的な議論を展開している」として、「橋本という政治家の持つ問題解決型というか、テクノクラート的というか、実際政治家としての特徴である」と述べています。
 また、金融ビッグバンと並ぶ六大改革のもうひとつの柱である行政改革・省庁再編について、「橋本自身のイニシアティヴによって始まり、終始彼のリーダーシップが発揮された改革であった」として、その前史には、
(1)村山内閣における特殊法人改革
(2)第一次橋本内閣の時期に浮上し、六大改革の提唱に先立って事実上の決定を見た大蔵省改革、すなわち金融と財政の分離の一環として実現された日銀法改正と金融監督庁設置
の2つがあったと述べ、「省庁の数を半減するという構想」が、「国民に『大胆な改革である』というイメージを与え、わかりやすいという政治的にきわめて重要な利点がある」と解説しています。
 さらに、「橋本が行革に込めた戦略とその前提となる理念を再構成してみた上で、それがなぜ世論・マスコミの支持を受けることに失敗したかを考察」するとして、
(1)橋本行革は、民主党のような民対官という対立図式をもとにした官僚バッシングではなく、橋本が、官僚エリートに対して強い信頼を持ち、官僚組織を再編すると、その機会に無駄な部局を削減し、必要な部局を拡充するイニシアティヴが官僚自身から生まれてくるとの期待があったと解釈できる。
(2)彼の省庁再編案は、理念なき改革、単なる数合わせとの厳しい批判を受けることとなったが、激しい官僚バッシングの世論の中で官僚の良識への期待を表明する状況になく、また、ネオ・リベラルな小さい政府論とは反対の理念に基礎づけられていたことから、自らの理念を前面に出して明確に反論することができなかった。
の2点を挙げています。
 著者は、「橋本にとって最重要課題であった財政構造改革・財政再建」が、「実は彼の『弱者のための政治』の実現を阻む客観的制約要因であった」と述べています。
 「結語」では、本書の議論の要約として、
・冷戦の終結によって、戦後日本の最大の争点であった防衛問題が政党間の対立軸としての意味をほとんど失った。
・日本の政治においては政策の違いで有権者の支持を集めることが極めて難しくなった。
などの点を挙げ、このために、「1990年代に『政治改革』が最大の課題と受け止められた時期に、まさに改革の主目的であった、『政策本位』の選挙を不可能にするような辞退が到来した」と指摘しています。
 本書は、「防衛問題」という対立軸を失ったことで、混迷を極めた90年代の日本政治を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 1990年代の政治シーンは、なんでもアリの政党の合従連衡が続いたため、共産党以外は全部がくっついたり離れたりでわかりにくいことも確かです。このころ在った政党の名前を全部言える人は少ないんじゃないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・1990年代の日本政治を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日
 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 河崎 曽一郎 『選挙協力と無党派』 2009年02月24日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日


■ 百夜百マンガ

櫻の園【櫻の園 】

 演劇を舞台にした漫画と言えばあの有名な超大作少女漫画が浮かぶ人が多いと思いますが、映画やドラマ、小説に比べて、思っていることを別の吹き出しで表現できる漫画という媒体は、劇中劇の表現には向いているのではないかと思います。


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2009年03月04日

自民党の終焉―民主党が政権をとる日

■ 書籍情報

自民党の終焉―民主党が政権をとる日   【自民党の終焉―民主党が政権をとる日】(#1504)

  森田 実
  価格: ¥777 (税込)
  角川SSコミュニケーションズ(2007/10)

 本書は、「自民党の終焉のときが近づいている。自民党には、もはや、復活する倫理的力も、知的な力も、人的パワーも残っていない」という認識のもとで、「時代の潮流が変わった。民主党と参議院が新たな政治の先導役になった」として、新しい政治の流れを分析したものです。
 第1章「日本政治激動の予兆──政権交代の条件が整った」では、1955年11月の保守合同以来、「日本の政治を主導してきたのは自民党政権だった」という時代が、「終わりかけているのが今日の政治状況である」として、「自民党の時代は間もなく終わると予想している。自民党にはもはや政権を担い続けるだけの力量は残っていない」と述べています。
 そして、「政権交代の条件が整った」として、
(1)いままでの政治権力支配に対して、多数の国民が不満を持ち、既存の政権の退場を望むようになること。
(2)政治権力に国民の支持をつなぎとめる力と政策がなくなること。
(3)変わりうる新しい政治勢力が成長していること。
の3つの条件を挙げています。
 第2章「『自公』から『自公VS民主』時代へ──『二大政党制への道が開いた』」では、「7・29参院選は、日本政治史上の『重大な機会』となった」として、「ほとんど消えかかっていた政権交代可能な二大政党制が実現できる可能性が高くなってた」と述べています。
 そして、7・29参院選で、「地方の大切さを訴えた民主党が大勝し、野党が参議院の多数派を形成したこと」は、「自公連立政権を支えている『東京エリート』」の敗北を意味したとして、この集団を「平成版大政翼賛体制」だと指摘し、「この大政翼賛体制が大多数の国民から不信任された」と述べています。
 第3章「否定された小泉構造改革路線」では、「小泉構造改革はごく少数の強者にのみ希望を与え、大多数の国民から希望を奪った。小泉構造改革によって日本は希望なき社会に転落した」として、「『国民の生活が第一』の小沢民主党が政権を担って初めて、深刻なひずみ是正に取り組むことができる」と述べています。
 第4章「小泉政治の"興隆"と"破綻"を振り返る」では、「小泉政権は『調和』に反し『道義』に反する政治を行った」として、「すべての国民が小泉政治こそが諸悪の根源であったことを知ったとき、日本国民は本当に目を覚ましたといいうる」と述べています。
 第5章「小沢と安倍、どちらの訴えが国民に届いたのか」では、「自民党は2世、3世議員が多い。中央官庁エリート出身者を加えると、自民党国会議員の約3分の2になる」と指摘し、「彼らは地方の住民の苦しみは理解できないと、地方の人々からみられている」として、「安倍首相は、これら鈍感な2世、3世議員の代表的人物と見られいてる」と述べ、「小泉政権は地方を切り捨てたが、今度は、自民党が地方から切り捨てられた」と指摘しています。
 第6章「与野党の財源論争を検証する!」では、「今回の与野党間の財源論争には大いに問題があった」として、「議論が細か過ぎた」ことを指摘し、「政治の場における政策論争は基本問題を中心にして行うべきであり、あまり些細な問題に深入りすべきではない」と述べています。
 第7章「民主党・国民新党の共闘で小泉構造改革路線に決別を!」では、「2007年7月29日の参院選最大のテーマは、小泉構造改革を克服することでなければならなかった。小泉構造改革こそは、日本国民にとっての諸悪の根源である」と述べた上で、「民主党の日本の政治における役割は、小泉自公連立政権が崩壊させた『日本』を再建しうることにある」と述べています。
 そして、「ブッシュ・小泉・安倍」政治を克服することが、「これからの日本国民の課題」だとして、「民主党を中心とする新しい政権をつくる」ことが、「日本再生の第一歩」だと述べています。
 第9章「政治をここまでダメにした世襲議員たち──自民党長期政権の弊害」では、「日本の政治の劣化を痛感せざるを得ない」として、その背景には、「「政治家の世襲化と、政党の官僚化、政財界の癒着とくに閨閥化」を指摘した上で、「30年前までの政治家と現在の政治家を比較」し、
(1)昔の政治家は、表面上はともかく精神の根本のところで、歴史と国民に対して謙虚だったが、最近の政治家は精神において傲慢になっている。
(2)昔の政治家の多くは、国民と同じ目線に立っていたが、最近の政治家は国民を上から見下ろすタイプが増えた、。
(3)人間の社会や人生に対する態度において不真面目な人間が増えてきた。
(4)エゴイスト政治化が最近とくに目立つようになった。
(5)人間の小型化。
の5点を指摘しています。
 また、「数十年の間、長期政権の弊害として感じ続けてきたこと」として、「政界、官界、経済界、学会、マスコミ界に張り巡らされた閨閥の幅の広さ、奥行きの深さ、暑さ」を指摘し、「政権交代が行われず、同じ支配層が固定化すると、階級社会化・差別社会化が進行する」として、「閨閥は表面的には見えにくいが、大変に根強いものである」と述べています。
 そして、「自民党国会議員の娘が結婚適齢期になると、『釣書』が各官庁の大臣官房のしかるべき部署に渡される。大臣官房は国会議員の気に入りそうなキャリア官僚を推薦して、見合いをさせる。国会議員の女婿となった官僚の中には国会議員の後継者になるものが少なくない」と述べ、「今日の日本支配層の中心にあるのは政官財指導層の鉄の団結である」として、「この『政官財』鉄の団結の根底にあるのが閨閥である」と指摘しています。
 さらに、「政治家の世襲化は日本政治の劣化の最大の原因のひとつである」として、その原因は、「政治家の後援会組織のリーダー群の地位保全の欲望」だと指摘し、「政治家の世襲は政治を劣化させる」とする理由として、
(1)世襲議員の場合は選挙が後援会主体であるため、選挙のための自分自身の努力が少なく、世襲でない議員に比べて国民大衆との結びつきが弱く、一体感が希薄になるため、江戸時代の殿様のように育てられ国民を上から見下す性格が強くなる。
(2)生活とカネの苦労をほとんど知らないため、一般国民の苦しみが理解できない。
(3)常に誰かを頼りにする性格が強く、独立自尊の精神が弱い。
の3点を挙げています。
 第10章「民主主義を忘れた自公時代錯誤内閣に起死回生の妙薬はない!」では、「自民党政権は結党以来最悪の危機に立たされている」としつつも、1983年以後、「5回の危機を権謀術数を駆使して乗り切ってきた」として、
(1)1983年12月18日の第37回総選挙において大幅に議席を減らし過半数を割り敗北したとき。
(2)1989年7月23日の第15回参議院議員選挙における自民党大敗。
(3)1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で223議席を獲得したが過半数を割った。
(4)1996年10月の第41回衆議院選挙寸前、新進党の優勢と政権獲得の可能性が高いことが伝えられたとき。
(5)1998年7月12日の第18回参議院議員選挙において敗北したとき。
の5つを挙げています。
 また、「しゅうぎんのカーボンコピー」と揶揄され、「無用の長物」とされてきた参議院が、2007年7月29日の第21回参議院議員選挙の結果、生まれ変わり、「本来の政治権力と衆議院へのチェックの機能が蘇ることになった」と述べています。
 第11章「自公支配から脱却した参議院が本来の使命を取り戻す」では、「小泉・安倍政権の秘密外交は日本国民に大きな不利益をもたらし、日本の国益を侵害してきた」として、「過去十数年間、日本お経済政策を決定してきた『米国政府の日本政府に対する年次改革要望書』を、小泉・安倍政権が隠し続けてきていること」を指摘し、「1994年から今日に至る『日本の構造改革』の指令書であった」と述べ、「新しい参議院の役割は、このような政府の情報化駆使と不正行為を解明することにある」と述べています。
 第12章「民主党政権の可能性はホンモノか?」では、2006年4月に小沢一郎氏が代表に就任して以後の民主党は、「徹底的なドブ板選挙を推進」し、「候補者とスタッフは有権者の中に深く入り、対話を重視した。『働け!働け!そして働け』の小沢イズムは民主党の地方の活動家に浸透した」として、「この努力を通じて、民主党は地域に根を持つ組織政党に変質した。党の体質も『頼りない党』ではなくなった」と述べ、「民主党全体が大人の政党に成長した」としています。
 第13章「命運尽きたり! 自公連立政権」では、「衆議院においては自民党は政権をとるのに必要な過半数を確保している」ことから、「参議院での多数確保」を大義名分とした自公連立の理由は失われたと指摘し、「それでも連立を維持するのは政党政治の原則に背くものだ」と述べています。
 そして、「かつての自民党では、アメリカ民主党的な中道保守主導者とアメリカ共和党的な市場原理主義者が共存していた」が、「いまや自公連立政権は、事実上、ブッシュ共和党の日本支部となった」と述べ、「今後は小沢民主党が国民重視の中道保守主義の政治を担うのである」という点に、「民主党政権が生まれる可能性と必然性がある」と述べています。
 第14章「小沢民主党の『中道保守主義』を解き明かす」では、「ブッシュ大統領は宗教政治・イデオロギー政治を実行した」として、「一般的に右翼は既存の特定イデオロギー模倣型である」のに対し、「中道保守は国民生活重視であり現実重視である」と述べた上で、「真の日本の保守主義を担うことができるのはもはや自民党ではない。小沢一郎代表の民主党が、日本の真の保守主義の担い手となったのである」と述べています。
 第17章「『民主党に政権を任せられるのか?』を検証す」では、「民主党は2007参院選に大勝利して大成長を遂げている。政治家一人一人の成長も著しい」としたうえで、内外のプレスが、「民主党に政権担当能力はあるか?」を質問することについて、
(1)民主党には経済政策がない。自民党政権が倒れて民主党政権ができると、日本経済は停滞してしまうのではないか
 →自民党政権だから経済がよくなり民主党政権になったら経済が悪化する、ということはないと思う。
(2)民主党は頼りないし、内部は分裂している
 →民主党は政党として10年の歴史を積み、失敗の体験から多くのことを学び、今の民主党は組織された政党である。
(3)小沢一郎代表の健康状態は? 総選挙で勝っても小沢氏は手法になることができるのか。
 →小沢氏は政権獲得と政権獲得後を含めた長い戦いに耐えられる健康の保持に努めている。
(4)政権を取ったときの政策が明確でないから民主党は政権をとったら行き詰るのではないか。
 →いまの民主党は自民党より有能な政策通がそろっている。
(5)外交は大丈夫か。日米関係は心配ないか。
 →民主党の外交方針の第1は日米関係重視だ。政権が代わったからといって日米協調関係が乱れることはない。
などの問答を紹介しています。
 一方で、民主党の改善すべき点として、
(1)幹部間の同志的連帯を強める必要がある。
(2)地方議員を増やし、地方組織、地域整備を進め組織政党らしさを確立すること。
(3)衆院選に向けての「政権政策」づくりを急がなければならない。
(4)党員を増やすこと。民主党としての政治教育システムを整備すべき。
(5)民主党を支持する有識者との幅広い協力体制をつくること。
などの点を挙げ、「これらの諸課題を達成すれば、民主党政権への道が開けるだろう」と述べています。
 本書は、本格的な二大政党の時代の実現可能性、または必然性を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日々政治状況は刻々と変化していますが、その中に大きな流れを見出す能力、そして時にはその流れを生み出すことに参画したり煽ったりする能力は、経済や政治の世界から日本政治を見つめ続けてきた著者ならではの力ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・物心ついてから自民党が政権を取るのが当たり前だと思ってきた人。


■ 関連しそうな本

 飯尾 潤 『政局から政策へ―日本政治の成熟と転換』 2008年08月28日
 飯尾 潤 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 2008年03月25日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 塩田潮 『民主党の研究』 2008年10月21日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日


■ 百夜百マンガ

ドージンワーク【ドージンワーク 】

 オタクの世界は奥が深いというか、奥が深いからオタクになるのかと思いますが、ある分野に突き抜けた人たちというのは日本の貴重な人的資源のような気がします。


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2009年03月03日

グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望

■ 書籍情報

グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望   【グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望】(#1503)

  Jr.,ジョセフ・S. ナイ, ジョン・D. ドナヒュー (著), 嶋本 恵美 (翻訳)
  価格: ¥3570 (税込)
  英治出版(2004/9/1)

 本書は、「グローバル化」について、
(1)21世紀のはじめにグローバル化はどういう展開を見せるか。
(2)その趨勢が、かつて国民国家と密接に関連していた統治にどう影響するか。
(3)グローバリズムをいかに管理すべきか。
の3つの基本的な問題について論じているものです。
 第1章「序論――グローバル化の実態」では、「広域にわたるネットワークで生じる動きと方の関係」について、
(1)経済におけるグローバリズム
(2)軍事におけるグローバリズム
(3)環境におけるグローバリズム
(4)社会と文化におけるグローバリズム
などの側面を挙げたうえで、「グローバリズムを古い起源を持つ現象として位置づけ、グローバル化を今であれ昔であれ、グローバリズムの高まる過程」としてとらえると述べ、「グローバル化はハリウッドやブレトンウッズよりずっと前からあるものだ」として、スパイス貿易や仏教・キリスト教・イスラム教の伝播、米国の建国などを挙げています。
 そして、著者らが考えているガバナンスの構造として、「ネットワーク化されたミニマリズム」を挙げた上で、グローバリズムがガバナンスに及ぼす影響として、
(1)近い将来に起こる変化を大げさに言い立てないこと。
(2)グローバル化は分配の政策と不平等に大きく影響するかもしれないが、今日のグローバル化に対するこの影響は、19世紀の場合ほど明確ではないこと。
(3)グローバル化が国家に及ぼす影響は、政治・経済の体制によってかなり違うこと。
の3点を挙げています。
 また、「グローバル・ガバナンスにおける規則の制定と解釈は、多元化している」として、規則は、国と政府間組織だけのものではなく、「民間企業、NGO、政府の下部組織、国家と政府を超えたネットワーク」などが、「中央政府機関と政府間組織とともに役割を果たしている」と指摘し、「政府間組織と国際的な管理体制の政治的基盤が、高水準のガバナンスを維持するには脆弱すぎるということがあるかもしれない」と述べています。
 第2章「経済のグローバル化」では、経済のグローバル化を推し進める大きな要因として、
(1)民間部門において輸送と通信のコストが下がること
(2)公共部門において貿易と投資に関する政策の障壁が低くなること
の2点を挙げたうえで、19世紀のグローバル化が、「現在と比べてもまったく見劣りがしないほど印象的なものであった」と述べています。
 そして、「自由貿易の利点に関する古典的な考え方」について、
(1)完全競争、規模が拡大しても変わらない収穫、固定された技術といった、あまり現実的ではない条件を前提としている。
(2)貿易から得られる利益はそもそも静態的なものであり、実質所得の「水準」に影響するものである。
の2つの「注目すべき属性」があると述べ、グローバル化に対する懸念について、
(1)所得分配
(2)環境
の2つの主要な価値観について検討しています。
また、「この章における経済のグローバル化の影響に関する議論は、必然的にことのほか簡潔になった」として、「理論と証拠のどちらからも、貿易が実質所得にプラスの影響があるという主張をはっきりと支えていることが理解できる」と述べています。
 第3章「国家及び国際安全保障のグローバル化」では、グローバル化は、「特定可能なネットワーク」という観点から考えるべきものだとして、グローバル化を、「特定可能なネットワークが世界中に作られたり広がること」と定義しています。
 そして、「グローバル・ネットワークの概念を利用すると、グローバル化に関する2つの重要な問題が見えてくる」として、
(1)システムにおけるどの特定の地点の間に、どういう特定のつながりがあるのか。
(2)システムの各構成単位は、他の構成単位にどういう影響を及ぼしているのか。
の2点を挙げ、「グローバル化を特定のグローバル・ネットワークという観点から定義すれば、平等を実現する偉大なるものというグローバル化に関する戯言を大体退けることができる」と述べています。
 第4章「環境のグローバル化」では、「社会におけるアクター間の大陸にまたがる関係のネットワークをめぐる広い概念的枠組みの中に、環境がアクター間の世界的規模の関係にどう関わっているのか理解するのに際だって重要なリンケージ」として、
(1)環境の成分:どこかで誰かが起こした行動が、環境を通したエネルギー、原料、有機体の動きによって、遠く離れた人々が直面する脅威や機会とどう結びつけられるかについて考えるもの。
(2)環境の考え方:人々が遠く離れた他者との関係の構築に、環境をどう引き合いに出すかに関するもの
(3)環境の管理:社会が環境の成分及び考え方のグローバル化に取り組むにつれて現れてきたアクター、規範、期待感の変わりゆく構成に目を向けるもの
の3点を挙げています。
 また、「白いハンター」の保護として、アフリカやインドの大型狩猟動物が、自然保護論者のハンターによって、「地球全体の利益のために保護されなければならない絶滅に瀕した希少な種」と決められ、「現地の人々の行動を違法で正当とは認められない」としたことについて、「自然保護という環境の考え方が、いとてきであってもなくても、別の名による植民地主義の延長でもあった」ことを指摘しています。
 そして、「国家レベルでのグローバル化への最大の貢献」として、「環境規制が国から国へと真似されたこと」を挙げ、「国内環境規制が国を越えて収斂していること」が、「多くの学者によって指摘されていた」と述べています。
 第5章「社会と文化のグローバル化」では、「アメリカ文化は決して、現代の世界で全世界的な広がりを持つ唯一の文化ではない」として、「国や地方の文化は、他文化と接触して種々に変化している。たとえば現代の中近東は、固有の文化だけでなく、古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国やササン朝ペルシャ、中世及び近代ヨーロッパ、そして今日では米国の文化の影響をさまざまに受けた結果である」と指摘し、「だからといって、この地域には世界の他の地域とは違う独特の文化的アイデンティティがなくなってしまったと主張する者はいない」と述べています。
 また、「米国の大衆の多様な嗜好を満たすことが、幸運にも国際市場進出の訓練となった」としたうえで、「さらなる決定的要素」として、英語を挙げ、さらに、「米国の大衆文化の人気ひいては力にとって絶対不可欠な最後の要素」として、「市民が魅力的で、自己主張し、成功を収め、身なりが良く、愉快で、歯切れが良く、想像力豊かで、自由に考えを述べ、夢を実現できるような国」という米国のイメージを挙げています。
 そして、インターネットについて、「米国の強みと考え方を推進するために特注されたもの」だと指摘した上で、「時としてあるのが、他国が米国の大衆文化を利用するために変えようとすること」だとして、ダライ・ラマの伝記映画をディズニーの子会社が配給したことに激怒した中国共産党指導部をなだめるために、「共産主義支配下の中国がアメリカ映画でこれほど肯定的に描かれたこと」はないというアニメ映画「ムーラン」の例を挙げています。
 第6章「通信のグローバル化」では、新しい情報通信ネットワークの重要な特性として、
(1)デジタル化
(2)情報処理
(3)帯域幅
(4)標準規格と分散型アーキテクチャー
の4点を挙げています。
 また、グローバル通信革命の評価のために、
(1)ネットワークのおよぶ範囲
(2)コンテンツの豊富さ
(3)経済的影響
の3つの観点から「デジタル・ネットワークの拡張と変化の様子」を見ています。
 第7章「グローバル・ガバナンスと世界市民」では、「この数十年間、グローバル化の大波によって、国境を越えて世界に向かう資本、商品、人、考え方の流れの規模が拡大し、速度が増した」としたうえで、「最大の変化は、重層的なガバナンスが増えたこと、政治的権限が拡散したこと」だとして、
・欧州連合(EU)
・北米自由貿易協定(NAFTA)
・東南アジア諸国連合(ASEAN)
のような地域貿易ブロックの発展、
・世界貿易機関(WTO)
・国連
・北大西洋条約機構(NATO)
といった国際機関の役割の拡大、超国家的な非政府組織(NGO)ネットワークの急増などの例を挙げています。
 そして、「グローバル・ガバナンスの出現は世界主義の拡大につながるだろうというもっともらしい説があるにもかかわらず、入手可能な実証的研究のほとんどが懐疑的な見方に傾いている」としています。
 第8章「発展途上国とグローバル化」では、「グローバル化の利益は、国や国民のあいだで均等に分配されることはない。世界の最貧国と最貧民は、グローバル化の特徴である財、サービス、資本、情報の広がりがもたらす利益を受けるのに最も不利な立場に置かれている」としたうえで、「国際的で知識を基盤としている経済では、十分な教育を受けて技能を持つ人材のある国の方が、投資の機会やグローバル市場から利益を得るのに有利である」として、途上国における情報エリート層の存在は、当てにされている一方、「貧しい人たちにとって、グローバル化は社会的進歩から取り残されることを意味する」と述べています。
 また、「政策決定者は、制度を強化し、急迫するグローバル化に政策を適合させるという二重の求めに応じて、難しい均衡政策を採らなければならない」として、「制度改革は、政策の決定と実施にいっそうの安定をもたらすはずだが、改革の過程では政治的緊張が高まることが少なくない」と述べています。
 第9章「中国はグローバル社会へどう統合するか」では、「中国が国際的なガバナンスについて良く理解していない例」として、国連の2つの人権規約に署名したことを挙げ、「中国指導部は、まず署名して、それから主権国家を盾にして歴史も国内の状況も違うといいながら実施を遅らせることができると考えていたらしい」と述べ、中国が、「国際機関が行う人権についての調査が国内の慣行を批判することにつながるのを断固として阻止してきた」と述べています。
 第10章「グローバル化と行政改革」では、「21世紀の初め、世界の多くの中央政府が官僚制を改革しようと努力している」として、これらの国が、「1980年代に英国とニュージーランドで始まって93年に米国を含む他の国々に広まった、『新しい行政管理』や『政府の作り直し』と呼ばれている改革の動き」から出たものであると述べています。
 そして、最近の世界的な政府機構改革の動きが、
(1)1980年代に、各国政府は経済の自由化とそれまで国有化されていた産業の民営化に専念した。
(2)その中心が民営化から中核的な国家機能の行政改革へと移る。
の2つの段階に分かれているとしたうえで、行政改革の動きの原因として、
(1)世界的な経済競争
(2)民主化
(3)情報革命
(4)業績の赤字
の4つの要因を挙げています。
 また、「権限の移譲、民営化、人員削減が、国務の規模とりわけ中央官僚制を縮小させる努力の要だとすると、公務員制度改革、顧客サービスの唱導、予算と財政の改革、規制改革は、政府機構の質を向上させて説明責任を増すためのものだ」とした上で、
(1)公共サービスを競争に開放し、「舵取りと漕ぐこと」を切り離す。
(2)内部の競争や執行機関を作り出すことによって、公的部門に革新と効率をもたらす。
の2つの改革の要素を挙げています。
 第12章「NGOとグローバル化」では、「市民団体が様々な問題点について国際的なイニシアチブを取る回数、活動、目立ち方が近年になって爆発的に増えたこと」について、「これは通信、輸送、生産のグローバル化の急速な拡大と無縁ではない」と述べ、「グローバル化は、多くの人にそれまで手に届かなかった情報と考え方をもたらし、国際的で世界主義的な新しい意識の可能性を開いた」と述べています。
 そして、「グローバル化の勢いが全国に広がると、国が経済を統制することが減ったり、民主主義的な説明責任への圧力が高まったり、国家主権について疑問が呈されたりする」として、「グローバル化によって政治空間が広がると、以前の体制では声なき存在だった貧しい取り残された集団の懸念に対応する市民団体が現れる」と述べています。
 また、「国際NGO/連合が世界全体の意思決定や制度構築に関わると、国際的なガバナンスに通じた積極的なアクターの顔ぶれが多彩になる」として、「グローバル化した世界における国際的なガバナンスは、さまざまなアクターと利益に対応するようになってきている」と述べています。
 第13章「グローバル化と国際制度の設計」では、「世界的な問題の解決は多くの場合、さまざまな国際制度の設立を軸として進められる」として、「国際制度は、国際関係の分野において規範と組織の面からかなり研究されてきた」と述べ、「グローバル化に伴う問題で、国際的行動が求められているもの」として、
(1)調整の問題
(2)世界の共有地の問題
(3)基本的価値観
の3点を挙げています。
 そして、「国際制度の権限を委任する際、統制と自由裁量との適切なバランスを見出すのは時間がかかり、試行錯誤を繰り返しながら学ぶことになる」として、「国際制度の構築には、さまざまな制度の形態が利用されることになるはずだ」と述べています。
 第14章「文化、アイデンティティ、正当性」では、グローバル化を恐れる理由として、「国や民族に特有の文化が破壊されるかもしれない」というものを挙げたうえで、「自由主義者は心配するには及ばない。文化的な権利が優先されるという説は、ほぼ全面的に間違っている」として、「自分の文化から追われるよりさらに悪いこと」として、「自分の文化に囚われること」を挙げています。
 第15章「情報政策とガバナンス」では「インターネットをはじめとする世界的情報システムによって利用できる情報が増え、それがガバナンスと政治プロセスに影響する」として、
(1)身元が特定される個人情報
(2)いわゆる好ましくない情報内容
の「2種類の情報に焦点を合わせて、グローバル・ネットワークをめぐる情報政策の展開と現状を見ていく」としています。
 そして、「21世紀における個人情報保護の基礎」として、
(1)プライバシーを指定しなくても自動的に選択される「デフォルト」とする。
(2)個人情報の管理と所有を個人に戻す。
(3)全世界的な解決策を講じる。
の3点を提案しています。
 第16章「経済のグローバル化の管理」では、「長期的に見て、市場、管轄権、政治が及ぶ範囲がそれぞれ本当にしかも同じようにグローバルな世界――地球規模の連邦主義の世界――は考えられるだろうか」と問いかけ、「これはありうる」とする理由として、
(1)技術が進歩し続けることによって、国際的な経済統合が後押しされ、全世界的な政府の障害となっていたもの(距離など)がいくらか取り除かれる。
(2)世界戦争や大規模な自然災害が起こった場合を除き、世界の大半の人々が統合の進む(したがって効率のよい)世界市場がもたらす利益を放棄したがるとは思えない。
(3)ようやく手に入れた市民の権利(代表権や自治権)も簡単に放棄されそうもなく、政治家に対して有権者の意向に沿わせる圧力となる、
の3点を挙げています。
 そして、「国際的な経済統合による効率がもたらす利益を増大させるには、多国間制度にもっと力を与え、国際基準にもっと依存することが必要だ」と述べています。
 本書は、グローバル化が長い歴史を持つものであり、世界を大きく変えうる力であることを、大きな視点から見ることの手助けをしてくれる一冊です


■ 個人的な視点から

 本書の第4章、118ページでは、「世界気象の『バタフライ効果』という示唆に富んだイメージ」が、「ジョン・フォン・ノイマンによって認識された」と解説されていますが、一般的にはバタフライ効果と言えば、ローレンツの名前がまず挙がると思いますし、ノイマンがルーツだったとは知らなかったので新鮮でした。そういえば、ノイマンはコンピュータの使い道として世界の気象予測を目的にしていたような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・今世紀の世界の姿を目にしたい人。


■ 関連しそうな本

 Jr.,ジョセフ・S. ナイ, デビッド・C. キング, フィリップ・D. ゼリコウ (著), 嶋本 恵美 (翻訳) 『なぜ政府は信頼されないのか―MPAテキスト』 2009年02月12日
 ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日
 ラグラム ラジャン, ルイジ ジンガレス (著), 堀内 昭義, 有岡 律子, アブレウ 聖子, 関村 正悟 (翻訳) 『セイヴィング キャピタリズム』 2007年07月12日
 ジョセフ・E. スティグリッツ (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 2007年08月03日
 ジェレミー シーブルック (著), 渡辺 景子 (翻訳) 『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと』 2007年08月15日
 ピエトラ リボリ (著), 雨宮 寛, 今井 章子 (翻訳) 『あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』 2008年01月22日


■ 百夜百マンガ

マエストロ【マエストロ 】

 「音」を音のないマンガの紙上で表現するのにはなかなか難しいものがあるのかと思いますが、潰れた楽団を描いたマンガの掲載誌が休刊になってしまうというのは皮肉なものです。


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2009年03月01日

地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ

■ 書籍情報

地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ   【地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ】(#1501)

  御園 慎一郎, 服部 敦, 大前 孝太郎, 西村 清彦
  価格: ¥2625 (税込)
  東京大学出版会(2007/10)

 本書は、「構造改革特区制度・地域再生制度の導入に関わった国の制度担当者が中心となって私見を交えつつ執筆したもの」です。
 著者は、構造改革特区と地域再生制度における「地域からの提案による政策形成」システムについて、「従来の国中心の政策形成システムを根底から変換させるきっかけとなった」として、これらの制度のポイントとして、「『地域からの提案』を、内閣の中に設置された組織が受け付けることにした点」だと述べています。
 第1章「構造改革特区」では、構造改革特区について、「地域を限って規制改革を行う仕組み」だと述べ、具体的な仕組みとして、
(1)提案制度
(2)認定制度
(3)評価制度
の3つの仕組みを挙げて解説しています。
 そして、構造改革特区制度の目的として、
(1)全国的な規制改革の実現
(2)地域活性化の推進
の2点を挙げ、「地域の自主性・自立性を重視する観点から、従来型の地域振興立法からの脱却を目指したもの」だと述べています。
 また、構造改革特区の政策モデル化について、
(1)政策主体の側面:全員参加型政策立案モデル
(2)調整過程の側面:合理的判断ゲームモデル(公開ディベートモデル)
(3)立法構造の側面:地方自治体関与方制度改革モデル
の3点を挙げています。
 第2章「特区と教育・農業改革」では、構造改革特区制度において、「地方・地域からの提案が多く、また特区導入後に成果をあげてきたのが教育分野と農業分野である」と述べ、その背景として、
(1)教育・農業ともに生活に関わる分野であり、関心の高いテーマであること
(2)特区制度の創設が検討されていた時点で、既にさまざまな場で政策的な議論が進んでいたこと
の2点を挙げ、地方自治体などとの意見交換でも、「自治体側から出された構想例のうち、最も例次数が多かったのが教育分野であった」と述べています。
 第3章「特区制度の将来像」では、2002年12月施行の構造改革特区制度が、07年2月までに、951件の規制改革を実現し、07年5月までに累計で963件の特区が実現したと述べ、この過程で、「農業、医療、教育といった分野における株式会社参入など、これまでの規制改革の議論の中で実現できなかったテーマについて、特区が規制改革の突破口としての役割を果たすとともに、構造改革のうねりを全国に波及させるツールとしての役割を果たしてきた」一方で、「地域からの提案の実現数の減少や内容の小粒化、迅速な特区の全国展開による特区の現象など、さまざまな課題が指摘されている」と述べています。
 そして、評価制度について、「特区の全国展開によって地域が知恵を絞った特区計画が取り消されるため、創意工夫あふれる取り組みへの意欲を減退させ、特区提案数の減少や特区計画の申請数の減少につながっているのではないか」と地域や民間化からの指摘を受けると述べたうえで、構造改革特区が、「地域のニーズを汲み取り地域を活性化するツールとしての期待感が、今まで以上に高まっている」と述べています。
 第4章「地域再生制度」では、「地域再生とは何か」について、「有効な回答は見出せない。地域再生は、地域が抱える課題を解決するための政策全般として捉えておけばよいのであって、地域に関係する内政の全てと言い換えてもよいだろう」と述べています。
 そして、初期の地域再生制度が、
(1)政府予算案の組み換えを行わない限り、財政措置に関する背策について初期の地域再生が目指した政策の実現は不可能であった。
(2)特区の政策モデルの踏襲を余儀なくされたこと。
の2点を挙げています。
 そして、「今後、地域間のアイデア競争が進めば、人材の地域的な偏在や構想力の地域差というものが歴然としてくる」として、その結果が、「新たな地域間格差の拡大にもつながりかねない」と述べ、「教育やコミュニティ施策の充実によりソーシャル・キャピタルを政策的に高めていくような地域再生施策も、今後必要となってくるだろう」と述べています。
 第5章「地域再生法と地域再生税制」では、「実際に地域再生法の立法化に向けてどのような検討が行われたのかについて振り返る」としています。
 そして、「地域再生を推進していくに当たっても民間資金の有効活用という視点が重要」だとして、「民間資金を誘導する政策ツール」として、
(1)財政措置
(2)政策金融
(3)税制措置
の3点を挙げたうえで、「地域再生税制の創設の起点となったもの」は、「これまで採算に乗らず有効需要化していなかった需要を有効需要化」する役割を担う「社会投資ファンド」構想であると述べています。
 第7章「人材拠点としての大学」では、「地域の抱える事情は多様であり、それぞれの地域政策にノウハウを応用していく場合には、少なからず、地域読字のアレンジをしていくことが必要となってくる」として、人材の面で、「地域における大学の存在」に注目したいと述べ、「地域から移動しない固有資源の中でも、地の源泉となる地域の大学こそ、地域活性化のひとつの中核要素」だと述べています。
 終章「『社会的投資』の深化と拡大に向けて」では、「社会的に重要な事業や資本が十分に供給されていないのは、投資の『社会的な』性格」を「正当に評価していなかった」ことにあるとして、「われわれの経済社会はもはや環境に対するインパクトを考えずに経済活動を行うことはマクロ的に見た場合でも許されない」と述べています。
 そして、「いま必要なのは、発想の転換である」として、「その根底にあるのは、われわれの思考に染み付いている旧来の『公と民の二分法』を克服すること」であると述べています。
 本書は、トピック的に扱われることの多かった、構造改革特区と地域再生制度の背景にある思想を当事者が体系的に語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 いろいろと縁があって、内閣府の特区・地域再生関係者とお会いする機会が多く、編著者の中にもお世話になっている方がいらっしゃいますが、これまでバラバラにポイントポイントで関わってきた特区・地域再生が、どんな思想で形作られてきたのかを知ることができることは貴重であり、また、これまで揺るぎない強固なものだと考えられてきた「国」のシステムをどのように解体していこうとしているのかを示唆している一冊でもあります。


■ どんな人にオススメ?

・国のシステムは決して揺るがないと思う人。


■ 関連しそうな本

 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日
 西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日
 片山 善博 『市民社会と地方自治』 2008年04月03日
 埼玉新聞社 (編集) 『生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦』 2005年04月17日
 竹中 平蔵 『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』 2007年11月05日
  『』 


■ 百夜百音

K25~KOIZUMI KYOKO ALL TIME BEST~【K25~KOIZUMI KYOKO ALL TIME BEST~】 小泉今日子 オリジナル盤発売: 2007

 有線で「月ひとしずく」が流れていたのを聞いてしまったのですが、井上陽水に、月、夜、雁とくると「神無月にかこまれて」を思い出してしまいます。


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2009年02月25日

民主主義という不思議な仕組み

■ 書籍情報

民主主義という不思議な仕組み   【民主主義という不思議な仕組み】(#1497)

  佐々木 毅
  価格: ¥798 (税込)
  筑摩書房(2007/08)

 本書は、「見方によっては荒っぽいようにも」見え、「甚だ心もとない仕組み」でもある「実に不思議な仕組み」である民主主義について、民主主義を「冷やかす」「けなす」ような「空中戦」の議論ではなく、「地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦」が本当に必要だと訴えているものです。
 第1章「民主主義のルーツを言葉から考える」では、「民主主義という言葉の原義でもある民主政という言葉は、古代のギリシアにおいて誕生しましたが、それを現代の民主主義と同じものだと直ちに考えるのは間違いだ」としたうえで、アリストテレスが、『政治学』において「政治体制(政体)」についての分析を行い、政体には、
(1)王政:1人の支配の良い政体
(2)僭主政:1人の支配の悪い政体
(3)貴族政:少数者による支配のうち良いもの
(4)寡頭政:少数者による支配のうち悪いもの
(5)国制:多数者の支配のうち良い形態
(6)民主政:多数者の支配のうち悪い形態
の6つがあり、「支配者の数と共通の利益にもとづくものかどうかを基準にした分類」を行ったと述べ、これらのうち、「良い政体の一つで、多数者が支配する『国制』は、極端でない民主政と極端でない寡頭政との混合物であり、これこそが現実に可能な好ましい政体であった」と述べています。
 また、「必ずしも芳しくない評価と政治的スペース上のネックという2つの障害をどう乗り越えるかが、民主政の新たな発展にとって避けられないテーマ」であり、「近代の民主主義はそれらへの回答の試みだった」と述べています。
 第2章「代表制を伴った民主政治の誕生」では、16世紀に登場する「絶対主義」に関して、基本的人権の台頭が、「特権の根本的見直しを促すものであっただけではなく、支配服従契約の見直しをも促すこと」になったと述べています。
 また、アメリカ合衆国の興味深い点として、「『近代化』や『民主化』に伴う悩みが少ない一方で、『民主政治に内在する悩み』に、非常に早くからつきまとわれた点」を挙げ、「民主政という言葉が古代の直接民主制を思い出させることを念頭に、彼らは民主政という言葉を慎重に避け、自分たちの樹立する政治の仕組みを共和政と命名」したと述べ、「ここに、代表制とスペースの拡大を含んだ新しい民主政の構想」が見られるとしています。
 さらに、代表制民主政が、「議会制と大統領制という2つのモデルを原型としてイメージされるようになり、20世紀にかけて様々な工夫が凝らされること」になったと述べ、近代の民主政治が、「古代のそれと異なり、各人の自由と平等に基礎を持ち、同義的な強さを同時に持っている点」だと指摘しています。
 第3章「『みなし』の積み重ねの上で民主政治は動く」では、「代表は代理に比べると、代表者がより自由度を持ち、いちいち指令に従って行動しなくても良いという点に特徴が」あるとして、「代表者は代理人よりもより能動的であり、裁量の範囲が広い」一方で、「本当に代表しているのか」「何を代表しているのか」がいつも問題になると述べています。
 そして、マニフェストについて、政治家個人の「願望の羅列」(ウィッシュ・リスト)と考える向きがなお見られるが、「マニフェストはあくまで、具体的な政策の実行を前提にして提案したものであって」、財源や期間などについての「数値などが含まれていなければ」ならず、「スーパーマンの計画」ではダメだと述べています。
 また、「代表する」という問題に絡む事項として、
(1)政党:議員たちが一定の政策目的や主義主張を掲げ、集団で国民を代表することを試みるもの。
(2)選挙制度:民意を「鏡のように」反映するような選挙制度はそもそも考えられず、選挙そのものも、民意についての大規模な「みなし」イベントである。
の2点について論じています。
 第4章「『世論の支配』――その実像と虚像」では、世論調査は、「世論を『鏡のように』映し出すものであるというよりは、一定程度調査する側の意図が反映する』可能性を含んでいる」と指摘しています。
 そして、政治指導者重視への逆転が極端に行くと、「大衆は自らを『代表させる』能力がないもの、専ら政治指導者によって操作されるものに変わって」いくとして、こうした「少数者支配の鉄則」を掲げる立場を「エリート主義」と呼ぶと述べています。
 また、「エリート対大衆という構図」が、「二十世紀前半において非常にポピュラーなもの」となったとして、ある学者は、エリートになるために求められる条件として、最も大切なのは、「象徴を巧みに操作する能力」だとだと論じていることを紹介したうえで、独裁者による大衆の味方を、「最もあけすけに述べているのが、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』」だと解説しています。
 著者は、「民主政治は有権者が横着を決め込み、無闇にわがままを言ったり、無理なサービスを政治家に求めたりする政治」ではなく、「有権者自身が自ら努力することによって、世論を変えていくこと、あるいは成長させていくものであることを忘れるならば、民主政治は怠惰を煽るような政治体制になって」しまうと述べています。
 第5章「政治とどう対面するか──参加と不服従」では、「人々が具体的に政治とどういう態度で対面するかによって、その実際の姿は違ったものになってくる」と述べ、「選挙に参加し、政党の言動や選挙の結果に目をやるのは重要ですが、私たちに求められるのは、その政党や政治家が何を、どの程度できるのかについて、真剣に見定めること」だと述べています。
 第6章「これからの政治の課題とは」では、「利益政治」の衰退が、「政府が国民の『面倒を見る』ことを見直すこと、あるいはそれを大幅に縮減すること」を意味するとして、小泉首相が、「これまでの『利益政治』を批判する政治を展開し、国民の高い支持を獲得し続け」たと述べています。
 そして、日本の政党の大きな問題として、「何にどう使うか」についての「優先順位をつけるのにふさわしい仕組みを作ることができず、議員たちがそれに習熟していない点」を指摘してます。
 また、「『利益政治』がかつてのような存在感を失った中で、政治の中には新たな動向が台頭して」いるとして、宗教やナショナリズムを挙げ、「政治学では、こうした政治を『利益政治』との対比で『自己同一性をめぐる政治』と呼んで」いると述べています。
 「おわりに──二十一世紀型社会を模索して」では、「政治は一時の興奮などによって左右されてはならないし、非合理な政策は有効性を持たないという冷静な観点を持ち続けること」が必要だと述べています。
 本書は、民主主義がどんな制度なのか、その機能と限界ををわかりやすく解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの大人は、民主主義についてきちんとした教育を受けていません。特に、中学や高校での公民や政治経済や倫理の時間で民主主義について教育を受けていればいいのですが、個人的には、左寄りの日教組系の教員に当たることが多く、時限ストを実施したとか、こんなときこそ学生運動を一生懸命やった方が就職で有利かもしれないよ、とか、資本主義がいかに腐っているかということを熱心に説く教員が多かった気がします。教育の現場における労働組合運動の活発さと、民主主義に対する理解の低さは無関係ではないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・民主主義はよくわからないという人。


■ 関連しそうな本

 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 横江 公美 『Eポリティックス』 2005年02月11日
 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日
 加藤 秀治郎 『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか』 2008年10月23日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日


■ 百夜百マンガ

銃夢(Gunnm)Last Order【銃夢(Gunnm)Last Order 】

 自分の代表作に対する思い入れというものはさすがに強いようですが、そういう思い入れについていく読者もまたいるということです。


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2009年02月24日

選挙協力と無党派

■ 書籍情報

選挙協力と無党派   【選挙協力と無党派】(#1496)

  河崎 曽一郎
  価格: ¥1470 (税込)
  日本放送出版協会(2007/01)

 本書は、「『大きくて強い』政党には圧倒的に有利な選挙制度が改革・改善されないかぎり、選挙は『選ぶ側・弱い者』の真の見方には到底なりえない」として、「選挙で『選ぶ・弱い者』は、もっともっと"怒る"べき」であることを訴えた一冊です。
 序章「旧田中派から旧福田派へ」では、「角・福」戦争に際して、小泉氏が、「福田元首相の側近として、一連の権力闘争の凄さを肌身に感じていた」「として、「小泉首相が政局・権力闘争に強かったのは、こうした『敗北経験』が教訓になっていたためだ」と述べています。
 第1章「選挙協力への胎動」では、「国政選挙のカギを握る最大の要素は、『選挙協力』と『無党派』の動向である」として、「とくに自民党の場合は、公明党との選挙協力と、それに基づく創価学会の積極的な選挙協力が政権の基盤を支えている」と述べています。
 そして、自公選挙協力に関して、「最初の第42回総選挙では、自民、公明、保守の連立与党3党の間で、かなり大規模な選挙協力が行われた」が、東京4区(大田区・中南部)では、自民党の現職議員が、「公明党との選挙協力に猛烈に反発」し、「党執行部の説得を拒否、自民党を離党して無所属で立候補してしまった」と述べ、その結果、その候補者が、「俳優で参議院議員の経験もあり、無党派層によく食い込んだうえ、公明党・創価学会に対する批判票や"感情的反発票"など」を獲得して当選したとして、この選挙で、「公明党・創価学会には"きわめて強い不満・不信感"が残った」と解説しています。
 さらに、この後日談として、総選挙から4年9ヶ月ほど後の千葉県知事選挙にこの元衆議院議員が出馬した際における公明党・創価学会の動きについて、自民党千葉県連のある幹部が、「"怨念"の凄さを強く感じて怖かったほどだ」と語っていることを紹介し、また、公明党の選対関係者が、組織的な関与を「否定していたのも事実である」と述べています。
 著者は、「自民党と公明党との選挙協力は、国政選挙だけではなく、地方選挙でも確実にその威力を発揮している」と述べています。
 第2章「自公選挙協力」では、「期日前」と「投票日当日」との間には、「その投票傾向・内容にかなりの『格差・違い』がみられること」を指摘し、「選挙の出口調査は『期日前投票』と『個人情報の保護』という大きな"歪みの要素"を抱えている」と述べています。
 そして、「圧倒的な第一党である自民党にとって、公明党・創価学会の選挙協力の威力・影響力の凄さ、重みがハッキリと数字に表れている」として、「国政選挙での選挙協力の成否が、自公連立政権の"命運"を握っている」と指摘しています。
 第3章「参院選での選挙協力」では、第19回参院選での自公選挙協力が、「自民党の議席を少なくとも3~4議席、上積みした」一方で、当時の公明党関係者は、「公明党が期待した自民党側からの積極的な"見返り票"は、『ほとんどなかった』」と見ていたが、自民党幹部による、「激戦区を中心に、すくなくとも40~50万票は流れていたはずだ」という分析には「説得力がある」と述べています。
 第4章「無党派層とは何か」では、「無党派層」と「支持なし層」の「政治的な中身とか意味合いは、必ずしも一致していない」として、「ひと言で言えば、『無党派層』は『支持なし層』から政治的・社会的に"進化"した人たちが多い」と述べています。
 そして、ロッキード事件後の「三木おろし」の動きに関して、「三木首相が衆議院の解散・総選挙を回避した最大にして唯一の理由は、自民党が『無党派などの反発・批判』を浴びて総選挙に勝てそうにもなかった、ためにほかならない」と述べ、「選挙戦では、『選ぶ側』の主役が、『労組』や『後援会』、『農協』などという『組織』から離れて、自由自在に動き回れる『無党派』に移り始めたのもこのロッキード総選挙からであった」と述べています。
 第5章「無党派拡大」では、「無党派の理由」について、
(1)特定の政党を支持しても、政治が変わりそうにないから
(2)信頼できる政党がないから
(3)魅力のある政党がないから
(4)政党が分裂したり他の政党と合併したりして、変化が激しいから
(5)支持していた政党に失望したから
などの点を挙げ、その最大の特徴は、(1)から(5)までをあわせると90%に達し、「何らかの形で『政党』の側に要因がある」と述べています。
 第6章「無党派の特徴」では、無党派の特性として、「政治の現状に強い不満・不信感を持ち、政治の改革・改善・刷新などを求めている」ため、「原則的には『野党、反・非体制』側に投票することが多くなる」として、「無党派の投票率が上昇すれば、無党派票の獲得率が高い民主党には有利で、逆に、自民党や公明党は民主党よりも不利になるのは当然である」と解説しています。
 第7章「投票と無党派」では、無党派の大きな特徴として、
(1)投票に対する「義務感」が極めて薄い。
(2)投票は「個人の自由」だという考え方が極めて高い。
の2点を挙げ、その原因は、「無党派は政治に対する『不信や不満』が強いうえ、『選挙への関心』が低いため」だと述べています。
 また、「平成の大合併」によって、「議員の定数が大幅に削減された上、選挙区が広がったため、地方選挙に変化が出始めている」として、「地方議員の選挙でも、無党派の票の獲得が勝負を決める可能性が高くなる傾向が一段と強くなる」と解説しています。
 第8章「無党派つかんだ小泉氏」では、2001年の自民党総裁選挙に関して、著者の友人である自民党のベテラン秘書が、「小泉圧勝」の投票用紙を手に、「自民党は変わりますよ。中央の永田町からではなくて、地方から変わります」と力説していたことを紹介し、「さすがに、"地べた"を這いずり回って活動している秘書氏の『眼力』は確かであった」と述べています。
 そして、2000年の長野知事選挙について、最大の特徴は、「無党派の『勝手連型選挙』が、共産党を除く県議会・各会派の推薦を受けた県庁出身の前副知事の『組織選挙』を打ち破ったこと」だと述べたうえで、翌年の千葉県知事選挙についても、無党派の堂本氏が訴えた、「千葉県を変えて、日本を変えよう!」という見事なスローガンは、「この直後の自民党総裁選で小泉淳一郎氏が叫んだ、『日本を変える、自民党をぶっ壊す"』というフレーズの"源流"になった」と指摘しています。
 著者は、「知事選挙で吹き荒れた"無党派旋風"は、自民党の党員・党友による総裁選の予備選挙の流れに大きな影響を与えた」として、「無党派が選挙戦の流れを変え、地方から中央の政治を変えた」と述べています。
 終章「小泉政治」では、小泉政権の実績を「評価する理由」のトップが、「自民党の体質を変えた」ことで、「政策課題の遂行に対する評価ではなかった点」を指摘したうえで、「小泉首相はまさに、政治を『見せる、語る、押し付ける』達人であり、その結果として国民世論を政治に『引きつけ』、政治と国民世論との距離を大幅に縮めたのも事実である」と述べています。
 そして、「表看板が単純明快・勧善懲悪型でにぎやかな刺客選挙などが、いったんは離れた無党派を呼び戻した上、公明党との徹底的な選挙協力で、創価学会の組織票を確保した選挙戦術は、ものの見事に、『選挙協力と無党派』が国政選挙のゆくえを左右することを証明した」と述べています。
 本書は、現在の日本政治で欠かすことのできない要素となった選挙協力と無党派という現象がどうつながっているのかを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「無党派」という言葉も数年前にはインパクトを持っていましたが、最近は地方の首長選挙では「無党派」っていうのがデフォルトになりましたし、無党派の候補者というのは新鮮味が薄れてきたような気がしますが、これで「無党派」の政治的な価値が下がったわけではなく、「無党派」の有権者というのは引き続き重要な位置を占めていると思います。


■ どんな人にオススメ?

・最近の選挙はわかりにくくなったと思う人。


■ 関連しそうな本

 長島 一由 『浮動票の時代』 2008年02月17日
 金井 辰樹 『マニフェスト 新しい政治の潮流』 2005年10月14日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日


■ 百夜百マンガ

女神の赤い舌【女神の赤い舌 】

 アジアって漫画家的には結構思い入れがあるテーマなのか、結構はまる人ははまる感じです。なかなか根が深いものがあります。


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2009年02月22日

言語学者が政治家を丸裸にする

■ 書籍情報

言語学者が政治家を丸裸にする   【言語学者が政治家を丸裸にする】(#1494)

  東 照二
  価格: ¥1700 (税込)
  文藝春秋(2007/06)

 本書は、「ことば、特に、話しことばは、ふだん私たちが考える以上に、はるかに大きな力で持って、私たちの行動、生活、価値判断を左右している」という視点から、「言葉を中心にすえて、政治を見直して」いるものです。
 第1章「小泉純一郎の魔術」では、小泉が、「従来の政治力学ではなく、国民の圧倒的支持によって選ばれた首相」だとして、「国民は、目に見えるモノ、利権、利益ではなく、小泉が語る言葉、そしてその言葉が生み出す効果に惹かれ、熱狂したわけである」と述べています。
 そして、私たちが言葉を使うときに、
(1)リポート・トーク(report talk):伝えたい情報があって、それをことばにする。
(2)ラポート・トーク(raport talk):聴き手との心理的なつながりに関係する、情緒中心のことばの使い方。
の2つがあり、「リポート・トークは男性の会話スタイルであり、ラポート・トークは女性の会話スタイルである」と述べたうえで、「リポート・トークをラポート・トークにまで高めていった例」として、郵政解散に際しての記者会見を挙げています。
 また、小泉の話し方の特徴として、
・疑問形を使う。
・「国民の皆さんに聞いてみたい」
・「なぜ」の繰り返し
などの点を挙げた上で、その特徴として、言語学の「コード・スイッチング(code-switching)」、すなわち、「2つのコード(code)、つまり言語や話し方をスイッチ(切り替え)しながら、話すこと」を挙げ、「このスイッチによって、小泉は、いわば2つの顔を、国民に見せようとしていることになる」と述べています。
 著者は、小泉の郵政解散記者会見の特徴について、
(1)表情、視線、声の抑揚といった非言語の要素を十分に活用する。
(2)聴き手を中心に、疑問形、さらには「聞いてみたい」、「なぜ」といったことばを繰り返し使い、聞き手をひきつける。
(3)聞き手のレベルにたった「私たちのことば」を使う。
(4)コード・スイッチを利用する。
(5)単純でわかりやすい、二元論的なフレームを利用し、聞き手をひきつける。
の5点を挙げています。
 第2章「安倍晋三の馬脚」では、歴代首相の「就任して最初の国会演説、所信表明演説あるいは施政方針演説」を取り上げ、安倍の所信表明演説における「~します」の異常な使用頻度について「小泉を徹底研究していた」と指摘した上で、その特徴として、
(1)演説口調の「~あります」をあえて使わなかった。
(2)明快で直線的な「~します」を極端に多用した。
(3)カタカナ語の多様。
の3点を挙げています。
 しかし、予算委員会での安倍の答弁について、「所信表明演説とはまったく違った安倍の姿が見えてくる」として、「安倍晋三だけが、答弁と演説の使用頻度が大きく逆転している」として、「前もって入念に準備した演説では、意識的に『~あります』を避けることができたが、より瞬間的で自然な発話である答弁になると、ふだんの話し方が思わず出てきてしまったということではないだろうか」と指摘しています。
 そして、「小泉のことばは、政治家ではないような、いわば素人が話しているようなことばであるのに対し、安倍のことばはプロの政治家がプロらしく話しているようなことばだといえる」と述べています。
 第3章「小沢一郎の継承」では、安倍と小沢との党首討論において、安倍のことばに「フォーマルな謙譲語である『ございます』がきわめて頻繁に使われている」ことについて、「社会的地位ということでいうと、首相と野党党首とでは、首相が上に位置づけられることはあっても、下になることはない」が、「ございます」の使用に関しては、「興味深いことに、その立場は逆転しているようだ」と述べています。
 そして、小沢の話し方が、「その文末表現とは裏腹に、かなり長々と回りくどい話し方、いわば渦巻きスタイルといっていいような話し方に特徴がある」と指摘し、「核心、つまり最も大切な論争点、主張点を最初にドーンともってくるのではなく、最後になってやっと持ち出してくる(そして時間切れ!)という機能的なスタイルだ」と述べています。
 また、安倍と小泉の話し方について、
・安倍晋三
  使えるコード:「です・ます」のみ
  スイッチ  :なし
  効果    :公的でフォーマル、よそよそしさ
・小泉純一郎
  使えるコード:「です・ます」+「だ」「よ」「ね」など
  スイッチ  :あり
  効果    :公的でフォーマル、しかし、親しさ、指摘でインフォーマルな雰囲気もある
のように整理し、「コード・スイッチングは、話し手と聞き手の心理的距離感を少なくし、話し手を親しみやすい、近づきやすい、人間的な温かみのある人間として演出する効果がある」と述べ、「2つのスタイルをともに使うことによって、公的な総理としての顔だけではなく、自分の本心をそのまま出す私的な小泉の顔も出しているのである」と解説しています。
 第4章「渡辺美智雄のポルノ」では、渡辺が後輩の加藤紘一に、「政治家の話はわかりやすくなければならない。そのためには『ポルノ調』に話すのがいい」とアドバイスした話を紹介したうえで、田中角栄のことばには、「政治家としての強力な『押し』があるだけでなく、相手をホッと安心させるような『引き』もある」と述べ、宮崎県の東国原知事が、地方方言と標準語をたくみにスイッチして演説している例を紹介しています。
 また、2006年10月の衆議院大阪9区の補欠選挙における小泉と安倍の応援演説を比較し、小泉が、「です・ます」体と「だ」タイトの間をたくみにコード・スイッチし、「語りにある種の会話効果を出す」という会話ストラテジーを発揮していると解説し、「その中で、浮かび上がってきたことはコード・スイッチングの重要さ、そして人々と共感によってつながるラポート・トークの大切さ」だと述べています。
 第5章「田中角栄の革命」では、田中が、「聞く人をひきつけて離さないことばの魅力という点では、今でも多くの国民のみとめるところ」だとのべています。
 そして、「情緒中心のスタイルと情報中心の酢体が混ざっているケース」として、麻生太郎を取り上げ、情緒中心のことばが、「~だぜ」、「俺~」、「うるせえ」、「自分より元気なやつ」など、「極端になりすぎ、逆効果になる傾向も無きにしも非ず」だと指摘しています。
 また、本書の検証を通して見えてきたこととして、「話し手中心ではなく、聞き手中心のことばが国民の支持を得るために必要である」と述べています。
 本書は、政治家のことばがいかにして我々の心をつかむ上で大きく作用しているかをわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で有能な政治家の能力として取り扱われているコード・スイッチング」ですが、もちろん政治家だけでなく、他の業界でも大活躍しています。営業にもばっちりです。
 ただし、聞き手の心理を一気にシフトさせようという大技だけに、外されると、麻生さんから「俺たち~だぜ」と言われてポカンとしてしまうような場合にもなりかねません。
 仕事上で話をしていても、あるタイミングから「戸崎ちゃん、ヨロシクたのむよ」みたいに急になれなれしい話し方をする人にたまに出会うことがありますが、「いいところに来た」と言われて、「いいところ」だったことはないことと同じくらい、会話の中でコード・スイッチングに持ち込みたがる人には警戒した方が懸命です。


■ どんな人にオススメ?

・政治家のことばを疑ってかかりたい人。


■ 関連しそうな本

 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 都築 勉 『政治家の日本語―ずらす・ぼかす・かわす』 2006年10月24日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』 2007年04月12日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百音

サザエさん【サザエさん】 宇野ゆう子 オリジナル盤発売: 1992

 日曜の夜の定番サザエさんですが、エンディングの「今日もいい天気」の後に入るストリングスの微妙なピッチの悪さにいつも気持ち悪い思いをしています。なんというか、オープンリールの立ち上がりの不安定な音程と言うか、ものすごく不安感を与えます。

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2009年02月18日

最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません

■ 書籍情報

最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません   【最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません】(#1490)

  三浦 博史
  価格: ¥1575 (税込)
  ビジネス社(2005/03)

 本書は、選挙プロとして数多くの選挙に携わってきた著者が、「『これだけ知っていれば選挙通』と思われる最新・最強の選挙ノウハウを満載」したものです。著者は、従来の選挙プロを「中世カトリック教会の神父」にたとえ、「たいしたことのないノウハウを『ひた隠し』にして、小出しすることにより、その存在感を高めようとする」と指摘し、本書は、「選挙という種目のスポーツマニュアルと思って」もらえればと述べています。
 第1章「立候補を決断する」では、「立候補の動機」とは、「現状の政治の批判をし、何が問題かを明確にして、その問題について自分が当選すれば解決できると主張できること」だと述べています。
 また、選挙資金について、「選挙の経費はほとんどが前払い、あるいは半金を先に支払わなくてはいけない」として、「今、払うお金がない」といった段階で、「その人の選挙運動はジ・エンド」だと述べています。
 第2章「選挙体制を整える」では、「国政選挙の場合、ドブ板選挙だけでは絶対に勝てません」として、「会いきれない有権者に対し、握手の代わりにいかにどのようなメッセージを伝えるか」という「空中戦の登場」になると述べています。
 そして、政策については、「どの陣営でも通用しそうなグローバルインタレストだけを並べる」ことは控え、「その地域に特化した関心事をよく把握し、その対応を訴えることが重要」であり、「自分が経験した仕事、スポーツ、趣味などから発想したエキスパートイシュー(専門的な課題・テーマ)を1つでも打ち出した方がよい」と述べたうえで、マニフェストについて、新人の場合は、「従来のきれい事を並べた無責任なスローガンや公約と異なり、"最低限、これだけは向こう4年間で実現させる"というものと、いくつか具体的に挙げれば有権者は納得する」と述べています。
 また、「知事選と市区長選等には確認団体という選挙運動方法」があり、「確認団体は選車も出せるしビラも配れるしポスターも貼れ」るとして、「首長選挙では必ず確認団体をつくることをお勧め」すると述べています。
 さらに、選挙運動のためのツールとして、
・シンボルマーク
・立札・看板
・名刺
・後援会入会パンフレット・後援会入会申込書
・ビラ(チラシ)
・ノボリ
・ホームページ
・メールマガジン
・選挙用名簿管理ソフト
・選挙事務所の看板・ポスター・立札
・ポスター
・選挙運動用ハガキ
・選車
などを挙げ、パンフレット等には、「後援会入会を検討するための資料であることを明示しておくべき」として、通常は「討議資料」と表記していること、ビラ等でも「不特定多数に撒かない一定の限られた人たち向け(後援会内)の資料の場合は『後援会内部資料』と表記」することなどを述べています。
 第3章「選挙費用と資金集め」では、「クリーンな選挙をすれば法定費用を超えるはずがない」という考えは「法的費用の意味が分かっていない」と述べています。
 そして、政治資金パーティについて、「無所属の人であっても企業団体のお金を受け付けることのできる唯一の受け皿」であるとして、その案内状へのナンバリングの打ち方の極意として、若いナンバーほど、「自分は優先順位の高いほうの人間なのだ」と受け止められることから、「1番から500番、A1番からA500番、S1番からS500番」などのようにナンバリングを打つことを紹介し、「本当は費用を出して欲しい」が、「一応、形式上御招待にしたいという人」には、「金額は見えるようにし、その上に"御招待"のゴム印(普通は赤)」を押すとして、「政治家からの会費1万円のうえに御招待のゴム印が押してある招待状は1万円の会費を持参してくださいというサイン」だと解説しています。
 また、一般の人からの献金の集め方として、田中康夫氏が長野県知事選のときに使った「献金袋」の例を挙げ、小規模の会合時に、「会合の参加者に学校給食の茶封筒のような封筒」を渡した手法を紹介しています。
 第4章「告(公)示日までの戦い」では、
・告(公)示前にできること
・選挙運動期間中にできること
・してはいけない選挙運動
について解説しています。
 そして、シンポジウムの開催にあたり、「必ずしも有名人でなくてもメリットの高いシンポジウムを開くこと」はできるとして、「選挙区の有権者の関心が高いだろうという特定の問題についてもシンポジウムを行えば、必ずそれなりの人数は」集まると述べています。
 そして、民間の有志が主催する公開討論会について、「一部には候補者が公開討論会に出ても意味がない、その時間に他を回っていた方がより票を稼げるのではないかと批判する人」もいるが、「公開討論会にはできる限り出るべき」だとして、
(1)候補者を比較して誰に投票するかを決めるというチャンスを有権者に与えるという行為は選挙の