2007年07月04日

女性校長の登用とキャリアに関する研究―戦前期から1980年代までの公立小学校を対象として

■ 書籍情報

女性校長の登用とキャリアに関する研究―戦前期から1980年代までの公立小学校を対象として   【女性校長の登用とキャリアに関する研究―戦前期から1980年代までの公立小学校を対象として】(#895)

  高野 良子
  価格: ¥8400 (税込)
  風間書房(2006/09)

 本書は、「戦前・戦後の女性公立小学校長の草創期から漸次的に女性校長数の拡大が進む1980年代までを4つに時期区分し、戦前、戦後の女性校長第一号と皇族の女性校長の登用とキャリア形成を中心に、資(史)料および聞き取り調査にもとづき、<教育ジェンダー>というフィルターを通して、女性校長の量的拡大家庭を歴史的に照射することを意図したもの」です。著者は、「2005(平成17)年度の女性公立小学校長の割合は18.2%に達しているが、各都府県に置ける戦前および戦後『初の女性公立小学校長』はいつ、どのようにして誕生したのであろうか。『管理職』という男性の聖域に足を踏み入れた先達はどのようなキャリアを辿り、パイオニアとしての役割をどう受容したのであろうか。また、後続の女性校長たちはキャリアをどのように形成したのであろうか」と、「女性教師ひいては女性の社会的地位に新分野を拓いた女性公立小学校長の登用とキャリア形成過程に焦点を」当てています。
 第1章「戦前期の女性校長の登用とキャリア」では、千葉県の女性校長第一号である、1902(明治35)年に27歳という年齢で校長に抜擢された「秋葉屋寿」を取り上げています。秋葉屋寿は、「当時、地方の学校では師範出身の女性教師は珍しかった上に、若くて美人だったので村では大評判になった」こと、初任時代の屋寿が、週末に印旛から実家のある市原まで颯爽と馬に乗って帰ってくる姿を見かけられていること、赴任した学校に、私財を投げ打ってで黒板やオルガンなどの教育器材を整備したことが紹介されています。
 そして、「全国初の女性小学校長は誰であったかを特定することは難しい作業である」が、「戦前期には少なくても14人の女性校長が全国に先駆者として存在していたこと」を明らかにしています。
 また、大正期移行の女性校長の登用は、全国的な女性教師数の増加を受ける形で女教員の組織化が進んだことと連動する形で進行したことが述べられています。
 第2章「戦後第I期女性校長第一号の登用とキャリア」では、「戦後女性公立小学校長第一号として登用された40都府県における女性校長68人に焦点化し、資(史)料および聞き取り調査にもとづき、<教育ジェンダー>というフィルターを通して女性校長第一号の任用状況と校長役割受容過程を歴史的に照射」しています。
 そして、戦後初の女性校長が、「GHQの占領政策の基本方針における一連の教育の民主化政策に導かれて、地方軍政部教育課の手により小学校を中心に各都府県1~2人が登用されていった」と述べ、第一号が、「少数の優秀な師範卒女性教師の中からさらに選抜されたエリートと言ってよい」としています。
 そして、使命感に燃えて赴任した第一号にとって、「校長としての日々は必ずしも平穏」ではなく、「この町は品川きってのドル箱ですよ、そこへ女をよこすなんて町を侮辱するのも甚だしい」という言葉を浴びせられたり、「県会議員の地元に夫人校長をおいていては、県会議員のコケンにかかわる。次の選挙の票が減る」という理由で降格させられたりした例が紹介されています。
 また、女性第一号校長たちが、「校長退任後も県や地域の教育リーダーや女性リーダーとなって地位の上昇を果たした者も少なくなかった」理由として、「校長経験が評価され、あるいは経験が買われたためであろう。各県の女性校長第一号は、パイオニアとしての使命感に燃え校長役割を受容し、役割を遂行することにより女性としての地位を向上させていった者が少なくなかったと言えよう」と述べています。
 さらに、戦後女性校長第一号たちが、「教頭経験がないまま地方軍政部教育局主導による『一本釣り人事』により任用されたのであるが、県によっては軍政部に配属されていた女性の教育担当者らによって学校経営が物心両面から支えられていた」として、「新潟・兵庫・千葉県におけるメーヤー、コレッティ、ホイットマンら女性の教育担当者の果たした功績は大きかった」と述べています。
 著者は、女性校長登用の歴史において、戦後第I期は、「マッカーサー・プレゼント」期と捉えられると述べ、戦後初の女性校長たちが、「『管理職は男性のもの』という固定的なジェンダー観念のベールを剥いだ、つまり教育の場におけるジェンダー革命の扉を開けた先達であった」と位置づけています。
 第3章「第II期女性校長の登用とキャリア」では、女性校長の数が右肩下がりに転じ、第二号・第三号が後続しなかったこの時期について、全国婦人校長会会長・退職女性校長会会長を務めた波頭夕子が、「同士よ弱らないで」と「誠実は奇跡を呼ぶ」とともに歩む女性校長に呼びかけた言葉が、2つの女性校長会の合言葉となり、現在においても、「現職女性校長を励まし続けている」ことが述べられています。
 著者は、第II期を、「占領政策あるいは民主化政策という後ろ盾を失うとともに、昭和20年代末からの逆コースの渦中」にあり、「この第II期は女性校長の新規登用はほとんどなく女性校長数は減少し、まさに『バックラッシュ』とも言える逆戻り期あるいは揺り戻し期として位置付く『女性校長冬の時代』と言ってよい」と述べています。
 第4章「第III期女性校長の登用とキャリア」では、1964年度から千教組婦人部長であった木村俊子が、女性登用の陣頭指揮を取る中で、ある支部書記長から「男の40歳代がひしめいているのに割り込むな」と叱られたが、「割り込む努力をしなければ婦人の昇進はむつかしかった」と語っていることを紹介しています。
 そして、「女性教師率の上昇が、女性管理職数の増加に効果的に作用した」として、「女性が小学校教育を男性とともに担っているという現実」が、「無理なく管理職に女性参入をもたらした」とともに、東京都(1966年)、千葉県(1968年)において、「女性管理職の登用を積極的に進める人事方針」が打ち出されたことで、「途絶えていた女性校長を復活させるとともに、数の増加にも大きく寄与した」と述べています。
 第5章「まとめ・結論と課題」では、女性校長第一号となった者の多くが、「女性の道を開いていく」という「パイオニアとしての使命感にもえ校長役割を受容した点」を明らかにしたことが述べられています。
 本書は、女性校長に焦点を当て、教育の世界におけるジェンダーを論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書に登場する戦前の女性校長、中でも、千葉県の第一号女性校長の「秋葉屋寿」氏のエピソードは、まるで映画や小説のようです。馬に乗って颯爽と赴任地に向かい、私財を使って黒板やオルガンを整える、27歳の師範学校卒の美人校長、ってやっぱり絵になりますね。


■ どんな人にオススメ?

・教育の場におけるジェンダーを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
 脇坂 明, 冨田 安信 (編集) 『大卒女性の働き方―女性が仕事をつづけるとき、やめるとき』 2006年05月02日
 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 大沢 真理 『男女共同参画社会をつくる』 2007年3月6日
 伊藤 公雄 『「男女共同参画」が問いかけるもの―現代日本社会とジェンダー・ポリティクス』 2007年05月19日


■ 百夜百マンガ

CYBERブルー【CYBERブルー 】

 やたらに「ファックユー」を連発する主人公もいただけませんでしたが、気合の入り方が明後日に向かってしまったSF大作にはなかなか子供たちはついてこないものです。

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2007年04月25日

クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する

■ 書籍情報

クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する   【クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する】(#825)

  鈴木 健, 竹前 文夫, 大井 恭子
  価格: ¥1995 (税込)
  世界思想社(2006/11)

 本書は、「意識的に観察や分析、推論をし、一定の標準に照らして評価すること」と定義され、米国では、「双方向の会話を生む考え方を育む方法」として30年以上前から教えられている「クリティカル・シンキング(批判的思考)」と呼ぶ手法について解説しているものです。
 第1章「クリティカル・シンキング教育の歴史」では、世界的には、「自ら考える力のある前向きの子供たちを育てるための処方箋としてクリティカル・シンキングが多くの国で採用」されていることを紹介し、「なぜ今そうした教育が必要とされているか」について、
(1)教育の目的は、知識を教え込むのではなく、子供一人一人がもともと持っている創造性や才能を伸ばすことである。
(2)しばしば、社会には正しい答えを一つに決めることができない問題が存在する。時には、常識を疑ってみることも大切である。
(3)個人は独自な存在で、異なった考えを持っていることは当然である。
の3つの理由を挙げています。
 その上で、クリティカル・シンキングを、「狭量で決まりきった一つの解釈や知識に対して、独自の解釈や異なった理解の可能性を開こうとする態度」であり、「情報や知識を複数の視点から注意深く、かつ論理的に分析する能力」であると解説しています。
 また、クリティカルに考えるための基本モデルとして、
(1)査定:何が問題なのか、何がなされるべきかを決定留守。
(2)診断:問題解決のプロセスに必要なデータを収集する。
(3)計画:何がなされるべきかを熟考する。
(4)施行:プランを実行に移す。
(5)評価:目標が達成されたかどうかの決定を下し、もし結果が納得のいくものでなければ、プランを修正する。
の5点を挙げています。
 第2章「日本におけるクリティカル・シンキング教育」では、「多様化した学生を抱えて学部教育の新しいあり方を探らなければならない日本にとって説得的な説明」として、アメリカに登場している「四つのC]、すなわち、
(1)Communication
(2)Critical Thinking
(3)Creativity
(4)Continuous Learning
の4点を挙げています。
 そして、「これからの日本は、文明の衝突から対話へと視野を広げ、異なった文明の共存を考えていかなければ」ならず、「その対話の一助となるCT教育であってほしい」と述べています。
 第3章「クリティカル・シンキング教育の現状と将来」では、「コミュニケーションについて学ぶ意義」が日本の教育界にも浸透しつつあり、日本の大学において近年コミュニケーション学科新設ラッシュが起こっている理由として、
(1)教養教育の行き詰まり
(2)現代社会におけるコミュニケーション教育の重要性が、日本でも認識されるようになってきた
(3)「大学・冬の時代」に向けて、関係者が切実に感じている魅力あるプログラムの構築
の3点を挙げています。
 また、日本の指導者層に、「言葉によって人を説得し、社会を動かす」コミュニケーション技術の習得が急務となっている理由として、
(1)政治家は、積極的に国民に語りかけることで彼らを説得し、世論を形成していくことが必要になってきている。
(2)これまで中央が政策を押し付けて済ましていた行政の問題に、地方の人々が反旗を翻すようになり、住民投票や条例制定の直接請求といった新しいしくみによって、地域住民が行政に直接介入するようになった。
(3)マスメディアが「公的政策決定を議論する場」として機能していないことに対する強い不満。
の3点を挙げています。
 第4章「クリティカルに読み解く」では、「誰にでもできるのが当たり前の行為」と思われがちなリーディングを、「理解のメカニズムを把握した上で練習すれば、能力を伸ばすことができるスキル」と位置づけ、「そうした技術を身につけてはじめて、クリティカル・シンカー(批判的・検証的にものごとを考えられる人)への道が開ける」と述べています。
 そして、英文を題材に、辞書を引き引き苦労して精読するのではなく、「英文を読む目的に応じて、その読み方も変えるべき」であるとして、
(1)Scanning(飛ばし読み):「ざっとみる」あるいは「走り読みする」の意味。
(2)Skimming(要点を押さえる読み方):「要点だけをとらえて読む」、あるいは「ざっと(表面に)目を通す」の意味。
(3)Intensive reading(精読):文章の展開や理由づけにも気を配って、内容を完全に理解するための読み方」。
(4)Extensive reading(多読):「あるテーマについて、広く情報を得ることを目的とした読み方」。
の4つの読書法を目的に応じて使い分けることを解説しています。
 さらに英文の構造として、「英文では、第1センテンスに書くパラグラフのトピックを提示することが多く、そこだけを拾い読みしても全体の内容を把握できる」ことを挙げ、「そのパラグラフの内容を提示している文」をトピック・センテンスと呼ぶことを解説しています。
 また、「一つ一つのパラグラフこそが、書き手のアイディアの単位」であるとして、「パラグラフ・リーディング」の技術を身につける必要を述べ、主なパラグラフの種類として、
(1)Topic Paragraph(トピックk・パラグラフ)
(2)Need Pragraph(必要性パラグラフ)
(3)Information-Giving Pragraph(情報提供パラグラフ)
(4)Discussion Pragraph(検討パラグラフ)
(5)Key Pragraph(キー・パラグラフ)
(6)Proof Pragraph(証明パラグラフ)
(7)Exsample Pragraph(具体例パラグラフ)
(8)Summary Pragraph(サマリー・パラグラフ)
の8種を解説しています。
 さらに、「積極的な読み手」を、「論の展開や理由づけの確かさにも気を配りながらテクストを読める人」と定義し、
(1)何が重要なアイディアなのか
(2)まとめと結論は何か
の2つの条件が「考えながら読む人」に必要であり、その上、クリティカル・リーダーになるためには、
(3)どのような説得の材料が用いられているか。
(4)自分はどのような評価を与えるべきか。
が必要になると述べています。
 そして、「テクストの中の説得の材料」を知ることが、叙述的な分析をする必要性があるとして、
(1)テクストの「目的」(purpose)を知る
(2)テクストの「論調」(tone)を知る
(3)テクストの「構造」(structure)を知る
(4)テクストの「読み手」(reader)を知る
(5)テクストの「筆者のペルソナ」(persona)を知る
(6)テクストの「補足資料」(supporting materials)を知る
(7)テクストの「レトリック戦略」(strategy)を知る
の7点を挙げ、この分析の観点を用いて、尾崎豊の「卒業」の歌詞を分析しています。
 第5章「クリティカルにエッセイを書く」では、「エッセイ・ライティングの完成に至るまでの各プロセスにおいて、クリティカル・シンキングがどのようにライティングと関わっているのか、そして、ライティングの様々な作業を通して、以下にクリティカル・シンキングの力が強化されていくのか」を論じています。
 著者は、「単に正しいか間違っているかを判断するだけの思考体系、さらには情報さえ手に入ればよいと考える態度のままでは、次世代の行く末が不安」であり、「こうした現状を打開し、真に自分で考える能力を身につけた次世代を育てていく」ために必要な方策の一つとして、「作文=文章を書く」という知的作業の活用を挙げています。
 そして、エッセイ・ライティングのプロセスとして、
(1)テーマについて考える(thinking)
(2)書く(writng)
(3)推敲する(revising)
の3つの段階があることを述べています。
 また、自分の考えや意見を述べる文章を組み立てる上で、実社会での論証を反映させて生み出した「トゥールミン・モデル(Toulmin Model)」が参考になるとして、
・データ
・理由付け
・留保条件
・裏づけ
・主張
・限定条件
の6つの要素を挙げています。
 第6章「クリティカルにディベートする」では、ディベートを「1つの論題に対して、対立する立場を取る話し手が、聞き手を論理的に説得することを目的として議論を展開するコミュニケーションの形態」と定義し、教育訓練としてのディベートの効用として、
(1)批判的施行の力がつく
(2)論旨を組み立てる力がつく
(3)問題解決意識が身につく
(4)社会的な問題に対する関心が高まる
(5)学生が自信を持つ(特に人前で話すことについて)
の5点を紹介しています。
 第7章「クリティカルに異文化を読み解く」では、「クリティカルな異文化問題理解能力」を、
(1)態度:共感、内政、保留、相対化・複合化、差別・偏見・ステレオタイプ
(2)知識:文化、異文化・自文化・高級文化、生活文化、地理・歴史
(3)技能:情報処理、言語処理、分類・整理、分析、批判的思考
の3つの領域に分類・整理しています。
 第8章「クリティカルに日本を考える」では、国内外での日本語学習者数を、国際交流基金の海外日本語教育機関調査での235万人に、テレビやラジオ講座を加えると数百万人にのぼるとした上で、その目的を、
(1)日本語そのものを学習するため
(2)何らかの目的を達成する手段として
(3)その他
の3つに大別しています。
 本書は、教育を切り口にしていますが、クリティカル・シンキングを学ぶ機会がなかった社会人にとっても重要な示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で一番実用的だったのは、第4章の「クリティカルに読み解く」でしょうか。本章では、英文の読み方を解説していますが、同じことは、英文を元にした翻訳書にも使うことができます。
 このように体系的に整理されると、自分が本を読むときの読み方も、このような手法によっていることが分かります。その意味では、一番「読み解く」のに時間がかかるのは日本語で書かれた小説で、むしろ英文の学術論文の方が(もちろん内容が難しすぎて理解できないことは別として)読みやすいことが分かります。


■ どんな人にオススメ?

・クリティカルに世の中を見る目を持ちたい人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日
 穂坂 邦夫 『教育委員会廃止論』 2006年01月26日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日


■ 百夜百マンガ

B.B.フィッシュ【B.B.フィッシュ 】

 13歳でデビューした早熟な天才漫画家。当時の価値観と言うかかっこよさを引きずり続けている感じはしますが、読者も一緒に歳をとっているので、80年代のかっこよさを保存し続ける、ある意味タイムカプセルとも言えなくもないです。

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2007年02月20日

GHQ日本占領史 (20) 教育

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (20) 教育   【GHQ日本占領史 (20) 教育】

  天川 晃
  価格: ¥6510 (税込)
  日本図書センター(1996/12)

 本書は、GHQの民間資料局(CHS)によって編纂された『日本占領のGHQ正史』を翻訳したもので、この正史は、米第8軍軍政局による『軍政活動報告書』に匹敵するもので、「占領史研究に不可欠な資料である」と評されています。占領政策は、当初にはニューディーラーによる積極的な改革が行われたものの、東西冷戦を契機に、1948年に「改革」から「復興」に大きく転換したといわれているなか、教育に関してはこの「逆コース」なるものは存在せず、「計画されたものは全て達成された」と解説されています。
 教育の改革は、
・教員パージ:戦時中、生徒たちに軍国主義的・超国家主義的思想を吹き込み、生徒たちを戦場にかりたてた教師たちの公職追放。
・歴史教科書の作成:教科書から軍国主義的な思想を除去する墨塗りや史実に基づいた『くにのあゆみ』の作成。
などからなり、
・軍事教育が徐々に教育内容・方法に強力な影響を及ぼすにいたったこと。
・教師への監督が警官的機能を果たし、超国家的イデオロギー強化に寄与したこと。
・青年団が軍国主義者によって教育手段として利用されたこと。
など、「戦前の教育が国民思想形成に起用したことを批判し、戦後は憲法に基づいた個人の民主的育成こそが究極の目的である」とされたことが解説されています。
 第1章「降伏前の状態」では、1872年に、全国の教育制度の確立を規定した教育令が発布され、256校の中学校と5万3760校の小学校、8大学が設立されることになったこと、1890年には明治天皇が教育勅語を発布し、この直後によって唱導された道徳および倫理の概念が、その背後に天皇が神に起源を持つということを一般に承認されていたことから強力な情緒的宗教的拘束力を持っていたことなどが解説されています。
 また、占領直前には文部大臣は内閣の中で重要なポストの1つとみなされ、「極度の中央集権化された教育制度の組織と指揮監督の責務を担うとともに、軍事教練、芸術、科学、文学、宗教、娯楽および青少年の活動と組織に関与」し、「50万人の教師を指揮監督し、約20万人の僧職者を管理」していたこと、そして同省が「軍国主義者や超国家主義者に支配され、その効果的な道具」となったことが解説されています。戦前の教授法は、「高度に標準化」され、「中央の行政当局によって出された指示に確実に従うことが要求」されていたと述べられています。
 1938年には文部大臣に荒木貞夫将軍が任命され、「学校制度に対する軍国主義者の支配は完全なもの」となり、「軍国主義者の教育支配や学校における超国家主義・軍国主義の宣伝」に教員が協力しなかった場合は、「免職あるいは投獄が待ち受けていた」と述べられています。
 第2章「降伏後の状態」では、ポツダム宣言の遂行の1つが、「すべての軍国主義者・超国家主義者および占領の目的および反対者を教育機関から追放すること」であり、「不適当な人物の解任」が、主要目的の1つとなり、連合国最高司令官への指令の主要課題でもあったと述べられています。1946年1月4日の「総括的な追放令」によって、「政府の雇用者たる40万人以上の教員および教育官公吏が影響を受け」、適格審査方法の改訂が必要となったこと、1949年4月末までには、総計94万2459名が第1次適格審査手続きを受け、3151名が不適格であったことなどが解説されています。
 1946年3月にはアメリカの著名な教育者からなる使節団が来日し、
(1)日本の民主主義について研究し、学科課程・教科書・教師用参考書、視聴覚教育について勧告すること。
(2)日本の再教育の心理的側面について、教育方法における心理的修正、言語改革、教育刷新における優先順位、学生・生徒の独創性の開発、教師の再教育についての勧告。
(3)短期的および長期的改革、文部省の再編および地方分権化の諸問題の観点から行政を分析すること。
(4)高等教育、図書館、学術研究所、学生と教授団の自由ならびに社会科学の新たな方向づけについて研究すること。
の4つの領域についての分科委員会があったことが紹介されています。
 そして、1946年8月9日には、「ない核と同等の地位を有し、文部省から独立した常設委員会」である教育刷新委員会が設置され、
・6年制の小学校の上に、それぞれ3年ずつのレベルの異なる2つの中等教育機関を設置すること。
・その上に3年、4年、5年制の大学を設置すること。
・安定した社会的・財政的基盤に立つ私立学校を設置すること。
・教育行政の民主化・地方分権化。
などの具体的勧告が最初の公式報告書に含まれていたことが述べられています。
 1948年には、教育勅語にとって代わるべきものとして、国の教育理念を確立し、一般に「教育憲章」と呼ばれる教育基本法が制定され、「憲法上の保障を再び声明し敷衍したものであるとともに、教育の村長と虚位くの独立を強調し、公務における教育の優先を確立した1946年8月3日の決議そのものを法律として制定したもの」であり、米国教育使節団と教育刷新委員会の勧告を組み入れたものであることが述べられています。ここでは、教育の目的を、「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。それは人格の完成と、心身ともに健康で、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労を重んじ深い責任感を持ち、平和的な国家および社会の形成者として、自主的精神に満ちた国民の育成である」と規制されたことが解説されています。
 行政の地方分権化に関しては、行政の地方分権化と適任教育者への権限の委譲を達成するために、軍国手主義的・超国家主義的政策を拒否する一方で、学校に対する現実の行政権が都道府県・市町村の公選の委員会に委ねられるべきものとされ、教育者たちは、「公選制の下での教育は政治的影響を受けるのではないか」と恐れ、「あまりにも唐突で、かつ重要なこの地方分権化について深刻な不安を抱いていた」が、「民主的学校制度の進展は、成功も失敗も、国民自身に委ねられるべきであるという考え」に基づき、改革に着手したことが解説されています。
 1948年には教育委員会法が公布され、この法令は、委員会権限の制約など若干の欠陥があったものの、「教育に関する権限を官僚的な中央官庁から国民自身に委譲する過程における革命的な措置であった」と評されています。教育委員会には、
(1)都道府県教育委員会:関係都道府県の設置した学校その他の教育機関を管理するべくすべての都道府県に設置された。
(2)市町村に設置される地方委員会:市町村などの関係地方公共団体の設置した教育機関を統制するために市町村に設置された。
の2つのタイプがあり、「かつて府県ないし市町村の当局が扱っていた教育事務に関する権限」が付与されたことが述べられています。また、私立学校についての所管については、文部省が、「学校教育法の権限」にもとづき、「都道府県に属する」という公式見解を発表したことが述べられています。
 教育委員会には、
(1)学校の設置および廃止
(2)学校の運営および管理
(3)教科内容
(4)教科書の選択
(5)関連法律の規定に基づく教員および校長の任免
(6)委員会の管理下にあるその他の職員の任免
(7)教職員の組織する労働組合
(8)建物の修繕・建築
(9)教材・設備
(10)委員会の所掌にかかる予算
(11)財産および積立金の管理
(12)他の教育委員界との契約
(13)社会教育
(14)専門的教育職員の再教育と自己改善
(15)証書および公文書の保管
(16)教育事項の調査および統計
(17)法律に別段定めのないその所管地域の教育事務
などの事項に関する管轄権が与えられ、その最初の選挙日は1948年10月5日とされたが、「旧制度から新制度への移行に伴う諸問題」により地方委員会設置予定が1952年まで延期されたことが述べられています。
 財政問題に関しては、教育改革の成否が、「その大部分が十分な財政援助を得られるかどうかにかかって」おり、「学校の経費は、何倍にも膨れ上がり、それにインフレーションが国全体の直面している克服し難い財政的不均等に追い討ちをかけた」と述べられ、「建築および設備の老朽化に戦災が加わった」ことで改修・改築が必要になり、「人口増と義務教育年限の延長の結果、在籍数は増加」し、改革計画の莫大な支出は、「とくに新制中学校の新校舎および設備」において著しかったと述べられています。
 1948年には、3つの法律によって学校教育費の国庫負担区分が改められ、
(1)義務教育費の国庫負担は、1940年に50%と定められたものが、学校教育法において確認された。
(2)高等学校定時制課程の教員給与は、都道府県が負担していたが40%の補助が認められた。
(3)市町村率の小学校、中学校、定時制、盲・聾学校の校長および教員の給与は都道府県が負担し、義務教育費国庫補助金の配分は都道府県の責任とした。
ことが解説されています。
 また、戦時中には緊急事態として、学校財産が住宅と産業に転用されたために復旧は遅々として進まず、1948年11月には、最高司令官が、「学校用地が教育目的に必要なときは、私人、教育以外の政府機関または法人による使用を禁止すること」を命じたことを紹介しています。
 さらに、地方公共団体は、旧制中学校の申請学校への切り替えを迫られていたが、ほとんどは新制中学校に切り替えられておらず、その理由には、旧制中学校当局者および教員たちが、「自分たちの」学校が下級の中学校に切り替えられることへの反対による圧力もあったことが紹介されています。
 社会教育に関しては、1945年11月に、文部省から都道府県知事に対して、「可能であれば社会教育に関する特別の部局を設置するよう訓令を発し」、1948年3月までには福井県を除く全県がこれを設置したこと、1946年7月には、都道府県知事に、「全ての地域社会に、それ独自の文化的あるいは社会的な催しのための集会場所となる公民館の建設計画」を求めたことなどが解説されています。
 1947年2月には、文部省は、「親が新しい教育計画に積極的に関心をもって参加するため」に、「父母と教師の会(PTA)」を組織することを援助し、「その組織、手続き、財政の諸措置について示唆」したことが紹介されています。
 言語改革に関しては、1946年11月5日に国語審議会が、当用漢字を1850字に限定することを建議し、翌日には、政府は公式に、「当用漢字表と簡素化された仮名遣いを採用」し、政府部局に対して、全ての文章による伝達文にそれを使用するよう指示したことが述べられています。
 本書は、日本の教育問題を考える上で、その再出発点である終戦直後の大改革を理解するための重要資料の一つです。


■ 個人的な視点から

 教育基本法の改正問題で脚光を浴びた教育制度ですが、現在の制度、例えば小中学校教員の人件費負担や私学が教育委員会の所管外とされていることなどを考える上では、占領期のあわただしい制度改正、民主主義の理想と財政に代表される現実との間の揺り戻しなどを考えなくてはなりません。


■ どんな人にオススメ?

・戦後日本の教育制度のルーツと長いタームでの「逆コース」問題を考えたい人。


■ 関連しそうな本

 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 


■ 百夜百マンガ

プロゴルファー貘【プロゴルファー貘 】

 「わいは猿や!」かと思ったら「貘」でしたか。
 野沢直子の『はなぢ』に収められていた代表曲「バクバクバクバク大和田獏」を思い出してしまいました。

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2006年09月05日

教育改革の幻想

■ 書籍情報

教育改革の幻想   【教育改革の幻想】

  苅谷 剛彦
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2002/01)

 本書は、「過度の受験競争」「暗記ばかりの詰め込み教育」「画一教育」から、「自ら学び、自ら考える力を育てる教育」「子どもの意欲を中心とした教育」「子どもたちが自分で学びたいことを選べる教育」へ、という「わかりきったつもりで邁進してきた教育改革を、今一度、立ち止まって考え直すための試み」として、「教育改革につきまとう『幻想』を振り払って、教育の実相を捉えなおすこと」を目的としたものです。
 第1章「教育の制度疲労」では、1980年代半ばの臨時教育審議会以降、「いままでの教育ではまずい」という見方は、広く国民の支持を受けていたことを述べた上で、「教育改革屋教育問題をめぐっては、さまざまな印象論、体験論に基づく議論が広まっている」として、「現在進行中の文部科学省の教育改革に代表される教育の捉え方・問題把握の仕方、さらには改革をリードする理想の描き方を、できるだけ実証的に検証し、そこで見落とされた問題はないか、問題認識に誤りはないかを問い直そうとする試み」であるという本書の目的を述べています。
 また、「教育改革のベースとなる問題把握の誤りが、実は私たちが慣れ親しんできた教育の見方、さらには私たちの教育の論じ方に由来することを解き明かすこと」をもう一つの目的としています。
 著者は、1999年に、当時の文部科学省政策課長であった寺脇研氏と行った対談から、
・論点1:教育内容の削減は「全員が百点」をめざす。
・論点2:「自分で学びたい」という学習意欲を高めることをめざす。
・論点3:学習指導要領の成果は教師たちのやりかた如何による。
という3つの論点をピックアップするとともに、これまでの教育改革の成果として、「七五三」(小学校3割、中学校5割、高校7割の授業のわからない子ども)を解消するという点では意図どおりの成果を挙げていないこと、学習到達度の低下を引き起こしたこと、学習意欲の改善をもたらしていないこと、等を指摘しています。著者は、「今の日本の教育をとらえ直すためには、改革を導いている教育問題のとらえ方や教育の理想に含まれる論理を取り出し、つぶさに検討してゆくことが必要である」と述べています。
 第2章「『ゆとり』と『新しい学習観』『生きる力』の教育」では、「ゆとり」教育が、
(1)「過度の受験競争」のために、現代の子供には「ゆとり」が欠如しているという問題認識があったこと。
(2)ゆとりを与えるのは、教える内容を減らすことで、どの生徒にも学力の定着が図れることが期待されていたこと。
(3)「意欲」の欠如もまた、教育の問題点押して認識されていたこと。
の3点の問題認識に基づいていたことが示されています。
 第3章「『ゆとり』のゆくえ」では、学習時間の戦後の変遷に関して、
(1)ゆとり教育が推進されてきた時期に、子どもたちがどれだけ学習に追いまくられていたのかという「ゆとりの欠如」の実態を明らかにする。
(2)「過度の受験競争」によって子どもたちのゆとりが奪われているといった問題認識がどうして生まれ、広く支持を受けてきたのか。
(3)子どもたちの学習離れの実態がどのようなものか。
という3つの課題を設定しています。まず、(1)に関しては、「戦前期の『試験地獄』とは対照的に、『不勉強による学力低下』が問題に」なり、「戦後の混乱期と同じ程度あるいはより少ししか学習しなくなっている」ことを指摘しています。また、(2)に関しては、受験競争の激化が「社会問題」視された1950年代後半の「入学難の時代」に、「実態を調査してみると、思ったほどのゆがみは発見できなかった」ことや、「四当五落」は真実ではなく睡眠時間が8時間以上のものがほとんどであったことなどが述べられています。(3)に関しては、「ゆとり」教育の推進は、誰にでも均等に「ゆとり」を配分したわけではなく、「中学時代に成績が下位であった生徒たちが、高校に入学後に学習離れの拡大を引き起こしている」ことを指摘しています。
 第4章「『子ども中心主義』教育の幻惑」では、総合的な学習として目指されている、「子どもの意欲や興味関心を重視し、体験を重視した学習を展開することで、問題解決能力や自ら学ぼうとする意欲が生まれる教育」に共通する理念としての「子ども中心主義(child-centered)」の教育に関して、私たちが『子どもが主人公』の教育に魅了される理由を、「児童中心主義は、むしろ、近代の大人たちが直面した絶望の産物と見るほうが、真実に近いのではあるまいか」という西洋教育史家の宮澤康人氏の言葉を引用し、どの子どもにも「内部からの自己の内的必然性にしたがって自己発展する、<有機体的発達>」が備わっているとみなす「ロマン主義」が根底にあると述べています。
 第5章「教育改革の幻想を超えて」では、「『過度の受験競争』を教育問題の『現況』とみなす見方に私たちの教育認識は強く縛られてきた」として、「『学校が伝達する知識は役に立たない』という知識無用論を何の検証もなしに受け入れ」、「過度の知識軽視を生み出してきた」と指摘しています。そして、「受験を目当てにした学習を罪悪視することへの反動」から、「子ども中心主義」の教育が唱えられ、「意欲を高めるためには子どもの体験や活動が重要だとの見方に導かれ、活動主義・体験主義的な教育の試みが導入されてきた」と述べ、「理想のまばゆさを増す、背景としての過去の暗さ」のコントラストの強さが、「現実を見えにくくさせ、手段を欠いた理想を受け入れさせる基盤となっている」ことを指摘しています。
 本書は、私たちが無批判に受け入れてきた、「過度の受験競争」によって、学習に追いまくられる子どもたち、という問題が、イメージ先行で実態を見ずに受け入れられてきたことを気づかせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 高石友也の「受験生ブルース」が流行した60年代の「受験戦争」など知らない世代の身としては、「四当五落」(睡眠時間4時間なら合格し、5時間も寝ると落ちる)という言葉にもピンとこないのです。既に小林よしのりの『東大一直線』の頃には、ギャグとして使われていた「受験戦争」が、その後も長く教育関係者の頭を痛める問題として存在し続け、少子化と大学の増加で四大入学率が上がるころになって、「ゆとり教育」が出てきたわけですが、この頃には、受験戦争も下火になっていたことに気づかなかったというのが不思議です。


■ どんな人にオススメ?

・過度の受験戦争という幻想にさいなまれている人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 苅谷 剛彦 『学校って何だろう―教育の社会学入門』 2006年04月03日
 苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集) 『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』 2006年07月04日
 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日


■ 百夜百マンガ

塾師べんちゃん【塾師べんちゃん 】

 受験戦争の激化はこんな職業まで生み出してしまいました。やっぱりこの当時には、受験戦争を笑い飛ばしてやろう、というジャンルがあったことが伺えます。

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2006年07月13日

「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う

■ 書籍情報

「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う   【「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う】

  柳 治男
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2005/03)

 本書は、「自明視されてまったく問われることがなくなってしまった学級制が、どのように現代の学校の中に入り込んできたのかを明らかにする」ために、「そもそも学校とはどのような組織としてできあがったのか」を問うことを課題とし、この作業を通じて、「学校にとっての学級制、されには児童・生徒にとっての『学級』の意味を明らかに」することを目的としたものです。著者は、不登校や「学級崩壊」などの問題の議論の中で、「そもそも学級はなぜ存在するのか」、「学級の秩序はなぜ保たれているのか」、そして「学級がどのような場であるか」という疑問が議論されていないことを指摘し、この問題提起の理由として、「中世までの学校に『学級』が存在しない」ことを挙げ、「明らかに『学級』とは近代の学校に特有の組織である」と指摘しています。
 著者は、学級と類似した集団として、パックツアーを挙げ、その共通点として、制御工学的に、「フィードフォワード・コントロール(事前制御)」という同じ仕組みからなる集団であることを指摘しています。また、日本の「学級」がもつ特異性として、
(1)一斉教授方式が中心である。
(2)単に教授活動の場ではなく、班活動、委員会活動が組み込まれた生活共同体的性格を持つ。
(3)教師と生徒の間に「一生続くような情的な絆に結ばれた師弟関係」が生まれることがある。
の3点を挙げています。
 著者は、教育史を紐解いて、中世の学校には「学級」が存在せず、「もともと生徒を年齢や能力で分けるという発想がなかった」と述べています。そして、学級の萌芽として、19世紀初頭の英国でJ.ランカスターによって作られた学校で採用された、モニターと呼ばれる生徒が、他の生徒に3R's(reading, writing, arithmetic)という「読み書き計算」を教えるモニトリアル・システムを紹介しています。このシステムは、後に「内外学校協会」という組織に発展し、学校運営の基本方針やマニュアルが作成され、イギリス全土に同一のシステムとして駆動する学校網を張り巡らせましたが、このシステムの限界として、
(1)次々に取り込まれた3R's以外の多様な教科や宗教教育・道徳教育を教えることはモニターでは無理であった。
(2)一つの教場内に多くのクラスが存在し、同時並行的に授業が行われることから生じる騒音問題。
(3)規律と権威のみによる秩序の下では、生徒の授業への関心を維持することが困難であった。
の3つの問題が生じたことが述べられています。
 この当時、就労で乳児を育てる暇のない母親のために作られた「幼児学校(infant school)」において、ギャラリー方式という新たな教授法が開発されるとともに、今日の階段教室に似た新たな教場編成原理が登場します。この方式によって、「一人の教師が多くの生徒と向かい合う、対面方式の教授場面」が初めて成立します。この一斉教授は、生徒の相互作用が強調され、集団編成原理としての年齢的均質化が促したことが述べられています。
 この後、1862年の「改正教育令」によって制定された「スタンダード」で教育内容が3R'sに絞り込まれるとともに、6段階からなるカリキュラムと6年間の修学期間が設定され、今日の学年学級制が誕生します。教育史家のサイモンは、このことについて、「基礎学校はその組織について限定的な形式をおしつけられた。可能なところでは、その子どもたちがすべて毎年進級することをねらって、学級が余儀なく標準に合わせて編成され、そこで学級は標準一、標準にというように示された」と述べています。
 著者はこの一方で、19世紀に存在した、地域に開かれた労働者階級のための零細経営の私設学校が、「デーム・スクール」、「インフェリオー・スクール」、「コモン・デイスクール」、「アドベンチャー・スクール」等の蔑称で呼ばれていたことを紹介し、「現代の義務教育制度として教育を独占してしまった学級の背後には、弾圧され、排除された『地域に根ざす学校』、あるいは『生活に根ざす学校』が存在していることを、忘れてはならない」と述べています。
 著者は、こうして完成した「学級」を、「生徒にとっては、疎外に満ち満ちた世界である」として、
(1)多面的・全体的存在である子どもが、ひたすら学習活動をすることのみに自己の行動を限定され、他の多くの活動を制限される。
(2)彼らの意思を無視して、機械的リズムで動く装置である。
(3)学校という組織のリズムに従うことは、学校の権威的秩序に従うこと、生徒が教師の命令に服従することを意味する。
の3点を挙げています。
 そして、このようにできた学校が、
(1)チェーン・システムを作り上げる(脆弱ではあるが)需要供給関係が存在する。
(2)この脆弱性を補うべく、利他的に教師が生徒の幸福のために自己抑制を強化する司牧関係(宗教的関係)が存在する。
の2つの原理が貫いた特異な組織であることを指摘しています。
 この他本書では、日本の学校制度の成立過程を追い、「学級が共同体的な感覚で受容され、そしてまた二項対立的な教育言説によって、『良い教育』と『悪い教育』という論争が過熱してしまった結果、学校ができることとできないことの峻別がまったくなされなくなって」しまい、「ハードウェアとしての学校の特性なり限界なりを冷静に見る目は完全に閉ざされてしまった」ことを指摘しています。
 著者は、これらを踏まえ、
(1)学校問題を簡単に教育問題ということはできず、むしろ、合理化に関連して生じた問題であり、大量の人間を働かせたり、顧客として組み込んでいる組織において生じた問題である。
(2)学校で生じる問題は、「心の問題」ではなく、事前制御という自己抑制作用に求められていかなければならない。
という点を指摘した上で、「学級制は多様な学習形態の中の一つに過ぎない」という基本的な姿勢を明確にすべきことを主張しています。


■ 個人的な視点から

 これまでまったく疑問に感じていなかった、年齢別に編成した「学年」、一人の教師が多人数にいっせいに教授する方式、そして効率のために区切られた「学級」など、現在私たちが「学校」としてイメージするものが、国家財政危機の中でやむなく取り入れられた間に合わせの結果であることを知って衝撃を受けました。
 埼玉県の志木市等で進められている少人数学級なども、あくまで既存の「学級」からの改善なのですが、「教育の原点に立ち返る」という言葉が、人によって様々であることを教えてくれる一冊です。
 現在の「学級」のルーツを知ってしまうと、学級崩壊が起きるようになったのは子どもたちがおかしくなったからではなく、効率のために人工的に作られた「学級」が壊れやすいトランプ・タワーだったからなのではないかと考えてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・「学級」を当たり前のものだと考えている人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集) 『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』 2006年07月04日
 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日
 広田 照幸 『教育不信と教育依存の時代』
 穂坂 邦夫 『教育委員会廃止論』 2006年01月26日
 穂坂 邦夫 『どの子も一番になれる―本当の学力とは何か』
 藤田 英典 『義務教育を問いなおす』


■ 百夜百マンガ

春美120%【春美120% 】

 有名な武道家兄弟の末っ子にしてこれといった取りえ無しの主人公が120%を発揮するのは何だったのか・・・?
 ドカベンでいえば柔道編で終わってしまったようなものです。

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2006年07月04日

学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題

■ 書籍情報

学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題   【学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題】

  苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集)
  価格: ¥3360 (税込)
  岩波書店(2004/12)

 本書は、「ゆとり教育」への反動である「学力低下論争」を受けた「学力調査の時代」にあって、「調査をすればよしとする風潮が蔓延している」ことに異を唱えた、「教育社会学という専門的な立場から、学力調査を先行実施してきた研究グループによる、詳細な分析結果の報告」です。
 編者は、日本語の「学力」という言葉は、英語のachademic achievementにあたる学業達成という意味に限定されない、多様な意味が与えられていることを指摘し、「学力は、戦後の日本の教育界が生んだ、最大のジャーゴン(専門用語)といってよいだろう」と述べています。その上で、本書では、学力を「ペーパーテストで測定した学業達成」とすることとしています。
 本書で用いられている調査データは、
(1)関西データ:大阪大学を中心とするグループが、1989年と2001年にほぼ同一校・同一問題で実施したもの。
(2)関東調査:国立教育研究所が1982年と2002年に実施したもの。
の2種類で、1992年から本格実施された学習指導要領での教育がどのような影響を与えたかを示すことができる設計となっています。
 本書は、単に学力テストの結果を詳細に分析するだけでなく、「同時に実施した児童・生徒の意識や学校生活、家庭生活、学習活動などに関する質問紙調査と結びつけることで、どのような児童・生徒に、どのような学力形成上の問題があるのかを明らかにできる設計」となっていて、社会政策上の課題として、児童・生徒の家庭の社会・文化的背景の問題を重視しています。
 第1章では、90年代後半以降の「学力低下論争」において用いられたデータが、
(1)学力低下に関する意見調査、授業の理解度などの主観的な指標に基づくデータ、学習時間調査に依拠する部分が大きいこと。
(2)学力低下を直接示しうる学力調査に依拠した知見が乏しいこと。
の2つの点で、実証的知見が十分ではないことを指摘し、学力が実際に低下したことを検証するためには、「(1)同じ内容の学力調査を、(2)学年や地域などの特性が同じで、(3)母集団を代表しうる大規模な対象に対し、(4)複数時点で実施したデータであることが不可欠である」ことが述べられています。その上で、実証的データに基づいた分析においても、正答率の低下が見られ、学力低下が確認できること等を述べています。
 第2章では、学力低下の議論において、単に「水準問題」を指摘するだけでは不十分であり、「格差問題」の視点が不可欠であるとして、「学習遅滞」及び「学習速進」の着目した分析を行っています。これらは、
・学習遅滞:「ある学年の児童が得た得点が、1学年下の児童の平均得点を下回ることがあった」場合を1年遅滞した状態とみなす。
・学習速進:ある学年の児童が得た得点が、1学年上の児童の平均得点を上回ることがあった場合を1年速進した状態とみなす。
と定義されます。
 著者は、「学習遅滞」に関して、「計算など一定量の繰り返しの訓練を通じて獲得する基礎的なスキルやより単純な思考過程ではなく、より複雑な思考過程の介在を必要とする内容や算数の概念の意味理解において『遅滞』が発生しやすいのではないか」と指摘しています。さらに、学力の分極化が、家庭的背景(社会階層)と密接にかかわって生じているとして、「子供たちの学力格差が、単なる『学力』の格差にとどまるものではなく、『社会的につくられた格差』である可能性を示唆している」と述べています。
 第3章では、1989年~2001年の約10年間において、「『新学力観』などに代表される『考える力』重視の授業が試みられていたにもかかわらず、結果としては、一層『知識設問』優位の子供たちが育ったことになる』ことなどが指摘されています。
 第4章では、「子供が学習にどのような意味や意義を感じているか」を意味する「学習レリバレンス(relevarence)」の構造と規定要因、子供の教育達成や意識に及ぼす影響について検討しています。著者は、学習レリバレンスに着目する理由として、
(1)教育達成の説明モデルを拡張する必要性
(2)日本の子供たちの「学習意欲」の低下が極めて問題視されるようになっていること
(3)国際的な教育政策の動向としての生涯学習の成立条件という関心
の3点を挙げています。そして、本性の分析の成果として、
(1)「学習レリバレンス」が「現在的レリバレンス」(面白感)と「将来的レリバレンス」(役立ち感)の2つに分類されうち、現在的レリバレンスの土台という意味で将来的レリバレンスの確保や拡充に一層の政策的・将来的関心が向けられるべき。
(2)「学習レリバレンス」がジェンダーと密接に関連していること。
(3)学習に意味や意義を見出すことができるためには家族との関係性がきわめて重要であること。
(4)「将来的レリバレンス」は一時的・表面的な効果はある程度もちえるが、学習へのより本質的な動機付けという点では、「現在的レリバレンス」が不可欠な条件となること。
の4点を述べています。
 この他本書では、正答率が「高」に分類され、階層格差が10%以下の学級には高年齢のベテラン教師が多いことや、基本的生活習慣が身についているかどうかがペーパーテストの正答率に及ぼす影響が強まっていること、父非大卒層の児童が基礎学力を獲得するためには、父大卒層の児童はそれほど必要としない「学校的努力」を媒介とする必要があること、社会階層的には不利な条件の中で基礎学力を習得している生徒の特徴として、家庭学習に関する事柄との関連が多いこと、等が解説されています。
 本書は、人によって捉え方が異なり、議論が噛み合わないことが多い、学力低下の問題を、一歩ずつ着実に解きほぐしていくためには避けて通れない必読書ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、第1部「個人の学力と学習」、第2部「学力と社会」の2部構成となっていますが、「学力低下論争」にきちんとした資料を突きつけたい、という思いからか、第1部の方にテーマ的な重点が置かれているように感じてしまいました。
 もちろん、後半の第2部の方も、編者の一人である苅谷氏が他の著書でも大きく取り上げている社会階層の問題をきちんと取り上げているのですが、これらの著書を読んだ後では、目新しい記述に乏しいような気がしてしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・「学力低下論争」って結局どうなったの?と疑問に感じている人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦 『学校って何だろう―教育の社会学入門』 2006年04月03日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日


■ 百夜百マンガ

大いなる完【大いなる完 】

 作者本人が「選挙に出る」と宣言して大物政治家たちにインタビューして回るという怪作『やぶれかぶれ』とつながる作品といっていいのでしょうか。
 田中角栄元首相のバイタリティをマンガにするとこんな感じ、といった作品です。

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2006年06月30日

考えあう技術

■ 書籍情報

考えあう技術   【考えあう技術】

  苅谷 剛彦, 西 研
  価格: ¥819 (税込)
  筑摩書房(2005/03/08)

 本書は、教育社会学者と哲学者との対話の中から、「どうすれば教育の意義、学ぶことの意味を再構築できるか」を模索しているものです。
 西氏は、日本社会において、1980年くらいの「豊かな社会」の到来を境に、「社会全体の目標がなくなり、個人も自分をどう方向づけてよいか分からない」時代が始まったと述べています。その上で、新たに教育の目的理念を、「教育とは、子どもを『社会の成員(大人)としてふさわしい存在』へ育て上げていくこと」と再定義し、この「ふさわしい」とは、「技能や知識」と「他者との関係能力」の2つに分けることができるとしています。
 また、苅谷氏は対談の中で、「『個人』と『自己』を区別して『個人』の能力を高めるという話を具体的に教育の理論の中に持ち込みたい」と述べ、これまでの教育論では、これらが未分節のまま議論されてきたことを指摘しています。
 さらに、財界人らの日本の教育批判の中で、起業家精神の欠如が指摘されることがあるが、起業は大抵複数の人間と企業を興すのであり、「複数の人間が何かを立ち上げる時の能力は、必ずしもばらばらな個人を作り出すためでもない」ことを指摘しています。
 これに関しては、「集団・結社をつくる能力と自由」として、鳥取県の倉吉市で開催された高校生のコンテストが紹介されています。これは、「現代社会の難しい課題を高校生たちに与え、それをグループごとに議論させる」というもので、スポーツや芸術関係のコンペティションではなく、知的な集団でのコンテストという点に特色があります。
 苅谷氏は、自由な社会を実現・維持・拡大する担い手となる個人に求められる力能と学校の果たす役割として、
(1)経済的な自立:仕事に就いてからの知識や技術の習得のための「訓練可能性」を高める。
(2)政治的な自立:できるだけ、公正で良識的な判断ができるような「利口な」個人を育てる。
(3)社会・文化的な自立:異質な他者への理解と慣用とを身につける。
の3点を挙げています。
 本書は、社会にとっての教育のあり方を考える上で、ヒントを与えてくれる一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 教育の問題を考える上で、現代の学校の仕組みがどのように形成されてきたのかを知ることは大きな意味を持ちます。特に本書は、近代社会の成立と教育の問題に焦点を当てていますが、技術的な面、例えば教科書やカリキュラム、教室が今の形になるまでの推移を追っても面白そうです。


■ どんな人にオススメ?

・学ぶことの意義をもう一度考え直してみたい人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦 『学校って何だろう―教育の社会学入門』 2006年04月03日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集) 『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日


■ 百夜百マンガ

ブラックジャックによろしく【ブラックジャックによろしく 】

 『海猿』はドラマ化・映画化され、海上保安庁の志望者が急増したそうです。
 この作品もドラマにもなりましたが、医者になりたい人が減るんじゃないかが心配です。

投稿者 tozaki : 07:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月03日

学習障害(LD)―理解とサポートのために

■ 書籍情報

学習障害(LD)―理解とサポートのために   【学習障害(LD)―理解とサポートのために】

  柘植 雅義
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論新社(2002/06)

 本書は、日本においても、「一般市民を含む社会全体の理解とサポートを求める段階に入った」学習障害(Learning Disabilityies: LD)のある子どもたちのサポートのあり方について解説しているものです。
 学習障害の定義としては、1999年7月に当時の文部省の学習障害に関する会議が取りまとめた報告書の定義として、
「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
 学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない」
という定義が紹介されています。
 この他、アスペルガー障害のような周辺に位置する障害について紹介し、アメリカでは近年Mild DisabilitiesやMild Hadicapsという言葉が使われ始めていることも紹介しています。
 また、特殊教育の在り様を検討する指針として使われ始めている、インクルージョン」という理念について、「障害のある子とない子という二つのグループが始めから存在し、それぞれのグループの子どもへそれぞれ異なった教育(すなわち、通常教育と特殊教育)を提供するという発想ではなく、もともと子どもという一つのグループしかなく、しかし子どもには、さまざまなニーズがあるので、それぞれの子どものニーズに対応した教育を提供する必要がある」と解説しています。
 著者は、学習障害のある子どもが、特別なサポートを早い時期から受けられないことで、小学校高学年になって、特定の教科や領域でのつまずきが大きくなり、それが強化全体や学習全体に拡大することで、授業に参加するのが辛くなり、不登校になってしまう例があることを紹介しています。一方で、アメリカでは、「知的発達には遅れがなく、ある特定の領域で著しい困難を示すが、その代わりに、他の人にはない優れた能力を持った」子どもである「ギフティッド」に対して、マグネットクラスという「ある特定の教科で特に理解が進んでいる子に対し、さらにその能力を伸ばすクラス」を設置していることを紹介しています。
 著者は、学習障害への教育的支援に求められるキーワードとして、
・ニーズ:教育というサービスを受ける側に立って教育を提供するという視点
・サイエンス:時間や空間や人間を越えて確認可能
・パートナーシップ:多様な専門家によるチームでの対応が必要
の3点を挙げています。
 本書は、教育に関するさまざまな情報が錯綜する中で、地に足の着いた視点から安心して読むことができる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書では、子どもの側ばかりでなく、教師側にも視点を充てて、学習と教授の全体的な状況を把握することの大切さが指摘されています。この中で、アメリカで出版された『わが子を「悪い先生」から守る方法』という本で紹介されている6つの「悪い先生」の例を挙げています。
(1)クラスをコントロールできない先生
(2)子どもを理解できていない先生
(3)マニュアルにこだわる先生
(4)教育目標が間違っている先生
(5)やる気のない先生
(6)気分にムラがありすぎる先生
 日本でもようやく教員免許の更新制度の議論が活発になってきました。教師が個人として主義主張を持つことは自由ですが、それを生徒に押し付けたり、児童に先入観を与えたり(というよりも洗脳に近い場合もあるかもしれませんが)、政治活動に夢中で授業をよく休んだりするのは親として勘弁してもらいたいです。


■ どんな人にオススメ?

・学習障害という言葉に関心を持ち始めた人。


■ 関連しそうな本

 吉田 昌義, 吉川 光子, 河村 久, 柘植 雅義 『つまずきのある子の学習支援と学級経営―通常の学級におけるLD・ADHD・高機能自閉症の指導』
 榊原 洋一 『アスペルガー症候群と学習障害―ここまでわかった子どもの心と脳』
 品川 裕香 『怠けてなんかない! ディスレクシア~読む書く記憶するのが困難なLDの子どもたち』
 国立特殊教育総合研究所 『自閉症教育実践ガイドブック―今の充実と明日への展望』
 ガイ ストリックランド (著), 岡田 好恵 (翻訳) 『わが子を「悪い先生」から守る方法―「悪い先生」に当たってしまったとき親はどうすればよいか?』


■ 百夜百音

Michael Schenker Group【Michael Schenker Group】 Michael Schenker オリジナル盤発売: 1980

 白と黒のツートンカラーのフライングVといえばこの人しかいません。
 股にはさんで弾きまくる姿はまさしく「神」!
 ギター本体を力任せにたわませてピッチを下げる大技は真似するとギターが折れるので気をつけましょう。


『完全版・英雄伝説 ~ マイケル・シェンカー・アンソロジー ~』完全版・英雄伝説 ~ マイケル・シェンカー・アンソロジー ~

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2006年05月09日

チャータースクールの胎動―新しい公教育をめざして

■ 書籍情報

チャータースクールの胎動―新しい公教育をめざして   【チャータースクールの胎動―新しい公教育をめざして】

  チェスター・E.Jr. フィン, グレッグ バネリック, ブルーノ・V. マンノ (著), 高野 良一 (翻訳)
  価格: ¥3990 (税込)
  青木書店(2001/08)

 本書は、アメリカで起きた教育に関する大きなイノベーションである「チャータースクール」について、その失敗も含めて、改革の動向を生々しく紹介しているものです。
 本書は、チャータースクールの定義を、「選択制の独立した公立学校で、結果に責任を持つ以外は諸規則から自由になれる」ものという簡単な定義を出発点としています。チャータースクールとこれまでの公立校の違いは、
・おおよそ誰にでも創設しうる。
・ほとんどの州および地方の諸規則の適用を免除され、運営は基本的に自律的である。
・家族が選択して、その子どもたちを通わせる学校である。
・そこを選んだ教育者たちが教職員となる。
・満足な成果を上げなければ閉鎖されることに従わねばならない。
という5つの点で差異化できるとしています。ここで、「チャーター(認可状)」とは、「それ自身は正式で、法的な文書であり、学校を立ち上げ運営する主体とそうした学校を認可し監査する公共団体との間で交わされる契約とみなされる」としています。
 本書は、チャータースクールが、アメリカ教育で見慣れた、歴史的にも検出できる特徴として、
(1)地域社会に根付いている。
(2)義務教育(K-12)ファミリーの中で、従兄弟ともいうべき位置にある。
(3)教育問題や教育機会に対する典型的なアメリカ人的な対応(制度的な革新や順応)の賜物である。
の3点を有しているとしています。
 本書は、公立学校に関する「旧説」と「新設」を以下のように対比しています。
○旧説
・その1:公立学校は、行政機関のひとつであり、官僚的な行動様式により運営される。
・その2:公立学校制度はほぼ独占状態にあり、規格化された学校を通じて教育が提供されている。裕福な層のみが、代替的な教育機会をたやすく手にする。
・その3:教育の質は、投入、資源、規則の遵守を基準として測定されている。結果によってアカウンタビリティを果たすという考えは存在しない。
・その4:権力は、生産者の手に握られている。消費者の手にではなく。
○新説
・その1:「公立」学校は、市民に開かれ、市民が負担し、市民に対してアカウンタビリティを負う、あらゆる学校のことである。政府によって設立運営される必要はない。
・その2:公立学校は、異なる多様な方式によらねばならず、すべての家庭がそれらの中から選ぶことができなければならない。
・その3:最も重要なことは、学校が所有する資源や遵守せねばならない規則ではなく、学校が生み出す成果である。
・その4:各学校は、親や教師が重要な役割を果たし、自己管理されるコミュニティである。
 本書では、米国内のチャータースクールの動きだけではなく、イギリスの同様の学校(国庫直接補助学校)や、地方の教育委員会を廃止したニュージーランドの学校運営方法、また、日本におけるチャータースクール研究の動きも紹介されています。
 本書は、教育そのものに関心がある人はもちろん、新しい政府の役割に関心がある人にとっても、具体的な動きとして見逃せない1冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の思想の背景には、オズボーン=ゲーブラーの『行政革命』も紹介されていますが、実際には、さまざまな歴史的経緯や思想的な背景を持っているようです。
 お題目だけ聞くと良いこと尽くめのような印象を受けますが、どのチャータースクールも共通して財政的な問題(プレハブ校舎など)や人的資源の不足に直面しています。特に、やる気があるがゆえに、教職員のバーンアウトの問題は深刻なようです。
 また、本書後半の10の反対意見も読み応えがあります。
1.チャータースクールは、従来の公立学校から資金と生徒を奪う。
2.チャータースクールには過度のリスクが伴う。
3.チャータースクールはアカウンタビリティをまともには発揮できない。
4.チャータースクールは従来の学校とあまり違わない。
5.チャータースクールはもっとも恵まれた子どもたちを「選別し」、最も貧困な子どもたちを切り捨てる。
6.チャータースクールは障害を持つ子供たちにとって必ずしもふさわしくない。
7.チャータースクールはアメリカ社会をバルカン半島のように分裂させ、我われを結びつけている主要な制度を弱体化させる。
8.チャータースクールは、公教育を金儲けの手段にする人々を誘発する。
9.チャータースクールは、バウチャー制導入の隠れ蓑である。
10.チャータースクールの影響は部分的なものにとどまる。
 どれももっともなように聴こえますが、これに対する真摯な反論こそが本書の価値ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・新しい公教育のあり方に関心がある人。


■ 関連しそうな本

 鵜浦 裕 『チャーター・スクール―アメリカ公教育における独立運動』 2006年03月31日
 金子 郁容 (編著), 玉村 雅敏, 久保 裕也, 木幡 敬史(著) 『学校評価―情報共有のデザインとツール』 2005年02月25日
 金子 郁容, 渋谷 恭子, 鈴木 寛 『コミュニティ・スクール構想』 2006年04月06日
 金子 郁容, 松岡 正剛, 下河辺 淳 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 2005年08月29日
 藤原 和博 『公立校の逆襲 いい学校を作る!』 2005年06月17日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日


■ 百夜百マンガ

ミナミの帝王【ミナミの帝王 】

 『ナニワ金融道』のヒットとの相乗作用で同じ時期に話題になりました。
 とは言え、この手の雑誌のマンガはやっぱりきついです。

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2006年04月26日

情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ

■ 書籍情報

情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ   【情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ】

  藤原 和博
  価格: ¥1,575 (税込)
  筑摩書房(2000/03)

 本書は、「何がほんとうに、二十一世紀に生きるわが子の"生きるチカラ"につながるのか?」という著者の疑問を、教育と外の世界とのエッジで活躍する6人との対談の中でぶつけているものです。
 トップバッターの松岡正剛氏との対談では、本書のタイトルともなっている「編集」という言葉を、「ある情報に対して、その情報を意味づけ、別の形で再生しなおす作業」という定義づけを行っています。これは、一般に使われる雑誌などの「編集」に限らず、回転寿司も編集的であると広く解釈されています。すなわち、「回転寿司では、色々ある素材の中からその日のネタを仕入れてくるわけでしょう。しかも、客の入りや好みを判断しながら、ネタの種類を選び、数を調整し、出す順番を考えて、色々のセットを皿ごとに組み合わせて、タイミングよくコンベアに載せていく。これはもう立派な編集です(笑)。」と述べられています。
 また、キリスト教と武士道の共通点も指摘されています。そして、武士道に愛を加えたものが、明治の日本の私学の学校教育のスピリットになって言ったことが述べられています。
 さらに、松岡氏の持ちネタの一つではありますが、『シンデレラ』の物語は世界中に800ものバージョン違いがあって、信濃川流域にも62のバージョンがあることが紹介されています。この人間が持っている物語の「母型」を「物語回路」(ナラティブサーキット)と呼び、人間がバラバラの情報をまとめるためのモデルであるという仮説を述べています。
 松岡氏との共著も多い金子郁容慶應幼稚舎長との対談では、教育する側が意図的に刺激を与え、自発的反応を受け止める場を作るために、フィードバックとしての評価の必要性が述べられています。そして、本書のタイトルである「情報編集力」を、「どうやって情報をオーガナイズ(組織化)していくか、自発的に情報を出すことをどうやってモチベート(動機付け)していくか」であると述べています。また、その具体的な手法として、慶應幼稚舎で導入している「2+1」ゲームを紹介しています。
 佐伯胖氏との対談では、日本の教育が、先生対子供の番傘的なコミュニケーションになっていて、「いい授業というのは、お釈迦様が掌の上で動かすように子供を動かすことだ」と思われているという問題を指摘しています。そのため、日本の教師は、毎晩遅くまで残って教材研究をしていますが、最近の学校では、その方法が通用しなくなっている、熱心な先生のクラスほど学級崩壊が起きやすいことが述べられています。
 この他、ポケモンゲームの育ての親である香山哲氏や、小学校時代は4月中に勝手に教科書を終わらせて、後は池袋のゲーセンに入り浸って賭けゲームをやっていた、という高城剛氏、ストライキに参加して無断欠勤した小学校の担任に、「あなたは僕たちに迷惑をかけたのみならず、他の先生にも迷惑をかけた。日頃、あなたが僕の遅刻を注意しているのに矛盾するじゃないか」と指摘して徹底的に対立した鈴木寛氏といった個性的なメンバーとの対談が収められています。また、それぞれの章末には、コンピュータを使った教育の実験の模様がコラムとして収められています。
 本書のまとめの言葉として、著者は、子供たちに贈るべき「生きるチカラ」を、
「それは、"ゲームするココロと、ネットするチカラ"ではないだろうか。」
とまとめています。
 本書は、教育と情報に関心のある人はもちろん、読み物としても楽しく読める内容になっています。


■ 個人的な視点から

 本書の第6章で登場する鈴木寛氏は、クリエイティブな人間の基準を、「ザリガニとクワガタをとったかどうか」であるとしています。鈴木氏は、「ザリガニとったことがない人は一緒にクリエイティブな仕事をする相手としていかがかくらいに思っている」、「ザリガニとりもクワガタとりもものすごく奥が深いんです。メダカでもいい。ようするにクリエイティビティというのは無限の選択肢の中からの編集だから。」とまで強調しています。
 これで思い出したのが、「ウゴウゴルーガ」のウゴウゴ君役の田島秀任くんは、オーディションでどんな遊びをしているかを聞かれ、「オラ、ザリガニ取りだ」と言って合格したという伝説があります。やはりクリエイティブとザリガニは切り離せないようです。


■ どんな人にオススメ?

・生きるチカラを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 藤原 和博, 天野 一哉 『民間校長、中学改革に挑む』 2006年04月07日
 藤原 和博 『公立校の逆襲 いい学校を作る!』 2005年06月17日
 藤原 和博 『サクラ、サク』 2005年12月04日
 藤原 和博 『世界でいちばん受けたい授業―足立十一中『よのなか』科』
 大島 謙 『高校を変えたい!―民間人校長奮戦記』 2006年02月13日
 吉田 新一郎 『校長先生という仕事』 2006年02月15日


■ 百夜百マンガ

聖闘士星矢【聖闘士星矢 】

 『リングにかけろ』や『風魔の小次郎』の世代にはちょっと付いていけない盛り上がりをしていました。

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2006年04月07日

民間校長、中学改革に挑む

■ 書籍情報

民間校長、中学改革に挑む   【民間校長、中学改革に挑む】

  藤原 和博, 天野 一哉
  価格: ¥1,470 (税込)
  日本経済新聞社(April 2003)

 本書は、リクルートを退職して杉並区立和田中学校長に就任した藤原和博氏の主張を、もう一人の著者であるジャーナリストの天野一哉氏が取材を元に裏をとっていく、というスタイルで民間人校長が挑んでいる学校改革の全貌を伝えようとしているものです。
 本書が第一に俎上に挙げているのは教科書です。「なぜ教科書はつまらないのか」という質問に対し、教科書会社の編集者は、「手足を縛られているんですよ」、「面白くしたくてもできない仕組みになっている」と教科書がつまらないという事実を認めます。教科書は、よく知られている学習指導要領のみならず、教科書調査官によって大きな制約をかけられています。そしてその制約の観点には、「すべての教科書の内容をそろえる」という横並びのチェックが働くため、結果として横並びにつまらない教科書が出来上がるという仕組みになっていることが述べられています。
 藤原氏は、相反するイメージで捉えられがちな「入試を突破するチカラ」(=情報処理力)と「生きるチカラ」(=情報編集力)とが、地続きでつながったクルマの両輪であることを強調しています。そして、「生きるチカラ」をさらに以下の5つのチカラに分解しています。
・ロジックするチカラ:問題の本質を見抜き、論理的に考える力
・コミュニケーションするチカラ:外国人を含めた他者と交流し知識を吸収できる力
・ロールプレイングするチカラ:政治や経済などさまざまな社会的な役割を擬似的に自分の中にイメージできる力
・シミュレーションするチカラ:あらゆる自然現象を自分のイメージの中で再現できる力
・プレゼンテーションするチカラ:それらの情報を吸収し、自分の価値軸上に再編集した上でしっかり伝える力
 藤原氏は、「はじめに」の中でも「情報処理力」と「情報編集力」との違いについて、前者が「ジグソーパズル」をやるときの力、要素を決めていく力であるのに対し、後者は「レゴ」で遊ぶときの力、要素間の関係性を決めていく力であると解説しています。
 藤原氏は、リクルート時代から、[よのなか]科の授業によって教育界で知られる存在でしたが、本書ではこの[よのなか]科が生まれる土台となったビジネス上の試行錯誤について語られています。著者が、リクルートの関連会社であった「リクルート出版」をマルチメディア・パブリッシャーとして模様替えした「メディアファクトリー」において、「ダ・ヴィンチシリーズ」という「心豊かで自分らしい生活をプロデュースする」書籍シリーズや、マルチメディア教育ソフトで失敗した経験が、後の[よのなか]科や民間人校長としての仕事に役立っていることが語られています。マルチメディア教育ソフトを使って授業として機能させるためには、生徒たちを主人公にしたデザインをしなければならないことに気づき、「子どもたちを授業の主人公にすえる場合、マルチメディアで授業するのではなく、授業を"子供たちの目から見て"マルチメディア化する必要があるのだ」と語っています。
 この他、本書には[よのなか]で生きてくる国土や数学、理科の考え方や、学力低下問題、プロジェクト学習で知られるミネソタ・ニューカントリー・スクール(MNCS)のディー・トーマス校長(私も2004年2月14日に千葉で講演されたのをお聴きしたことがあります。)との対談等が収められています。
 本書は、藤原氏の教育関係の著作やさまざまな場での情報発信を再編集した、という印象で、目新しさはありませんが、藤原氏に興味を持ち始めた人にとってはちょうど良いイントロダクションになるのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 藤原氏は、他の著書『父生術』でも語っていることですが、自分が息子に言っていた3つの言葉、「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」「いい子ね」が、「日本の戦後教育から自分自身が刷り込まれた呪文」であることに気づき、ロンドンに引っ越してからは言わないように決めた、ということが紹介されています。この3つの言葉を人生論的に語ることも可能ですが、これらの言葉は、本書の冒頭で紹介されている「情報処理力」の方に深い関連があるのではないかと考えられます。
 また、藤原氏は、民間人が校長になることに対するアレルギー反応に対し、必要なことは、「プロのマネジャー(ビジネス出身とは限らない)と、プロ教師と、プロの教育行政マン(自治体の教育委員会)が三つ巴に組んで、地域社会の資源を『子どもたちの未来』のために目いっぱい掘り起こし、新しいノウハウを開発すること」であると主張しています。行政の世界でも、「この仕事(例えば水道事業)は命に関わる仕事だから民間企業には任せられない」ということがよく言われますが、日々食べている食材にしても、命を預けている自動車の製造にしても、旅行に使う飛行機にしても、どれも民間企業の手によるものです。本書はこんなことを考えるきっかけにもなるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・中学校改革の現場の雰囲気に触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 藤原 和博 『公立校の逆襲 いい学校を作る!』 2005年06月17日
 藤原 和博 『情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ』
 藤原 和博 『サクラ、サク』 2005年12月04日
 藤原 和博 『世界でいちばん受けたい授業―足立十一中『よのなか』科』
 大島 謙 『高校を変えたい!―民間人校長奮戦記』 2006年02月13日