2008年10月04日

国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策

■ 書籍情報

国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策   【国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策】(#1353)

  真壁 昭夫, 玉木 伸介, 平山 賢一
  価格: ¥2940 (税込)
  東洋経済新報社(2005/7/15)

 本書は、「国際市場参加者(ファンド・マネージャー)、中央銀行、政策構築の視点に立ち、英国・米国・日本の300年の国債をめぐる歴史から考察し、国債管理政策を原点から見つめなおすもの」です。
 序章「歴史から見る国債と金利──中世以降イタリア・オランダで本格化した国債発行の歴史」では、「一国の経済問題としての国債管理ではなく、グローバル経済システムの維持という視点から、政府の資金調達の円滑運営を維持していく必要が強調されるべきである」と述べています。
 また、オランダが、17世紀を通じて、「チューリップ・バブルを経験し、物価変動の影響を受けつつ」も金利が低下していった理由として、「予算管理も含めた調達管理の仕組みを導入することに成功した点」に注目すべきであるとして、その特徴として、
(1)政治と経済が融合し官民一体となった政策運営は、増税に対する抵抗が少ないという特質をもたらし、デフォルトのリスクが極端に低くなることで、投資家からの信用度を高く維持することができた。
(2)貿易などによる富の累積が一般家計に広く行きわたっており、一般家計が国債を購入するという資金の流れを確保したため調達管理が上手く機能していた。
の2点を挙げています。
  第1部「英国の公債管理政策300年史」、第1章「三大特権会社による国債投資をバブルの崩壊:18世紀」では、「度重なる予算管理としての『減殺制度の工夫』や、調達管理としての『多様な国債の統一化』は、投資家層の拡大にはとってはきわめて重要な要素となってくる」と述べた上で、必ずしも有期債よりも永久債を好むとは限らない投資家の反発を惹起させないような変革を成し遂げた理由として、「英国国債を保有する投資家構成の特殊性」を挙げ、「18世紀初頭から英国国債の保有構成は大きく変化し始め」、「英国政府の方針に同調する投資家勢力が拡大し、投資家からの反発が発生しないように、管理しながらの永久債化を図ることが可能になった」と解説し、「当時、英国国債の大部分を保有していたのは、ごく一握りの三大特権会社であった」として、イングランド銀行、東インド会社、南海会社の3つを挙げています。
 また、英国政府が、「投資家からのクレティビリティ(信任)を獲ることと、低利借換を合理的に執行するために、減債資金制度を確立」下として、1717年に設立した「ウォルポール減殺基金」の仕組みを解説しています。
 第2章「戦争と資金調達:18世紀後半」では、英国政府が、「独善的に国債発行を考えるのではなく、市場の反応を、そのシンジケートの中心的役割を果たした公債請負人から常にヒアリングしつつ、国債を管理した」と述べています。
 そして、「戦時体制への切替えと、資金潤沢な一部市場参加者の意思に左右されすぎた国際市場という要因」を背景に、「減殺資金という効果的な仕組みが作り上げられたとしても、戦時経済環境に翻弄されつつ、結果的には政府債務の削減には貢献できなかった」と述べています。
 第3章「平和と技術革新の時代:19世紀」では、「資金調達の中心者が、英国政府から民間企業、そして外国政府へと移行するにつれて、国債管理も19世紀初頭までとは様相が異なることになる。代替的な投資対象が台頭してきたことから、英国国債が窮地に陥ったわけではなく、むしろ政府の資金調達ニーズが後退する中で投資対象の多様性が進んだため、金利低下を伴いつつ資金循環の経路が円滑に移行していった」として、「国債管理政策に対する圧力が大きくかかることはなく、むしろ市場の資金最適配分機能を高めることに注力することが可能になるのであった」と解説しています。
 また、1875年以降に顕著であった政府債務の圧縮が、「財政支出の削減により達成されたのではなく、増税と債務削減の具体的な方策としての減債努力により遂行された」のであり、「増税を実施できるだけの国府の増大があってこそ達成できた」と述べています。
 そして、「18世紀が戦争の世紀だったのに対して、対仏戦争終結後の19世紀は、英国にとって平和の世紀であった」として、「資金調達の中心者も、戦費調達の楔を解かれた英国政府から民間企業へ、そして外国政府へと移行するに伴って、予算管理も19世紀初頭までとは異なり、緩やかなスタンスへ変転することになる」と解説しています。
 第4章「2つの世界大戦の戦費調達:20世紀前半」では、20世紀の英国長期金利の推移を第二次世界大戦後も振り返っての特徴として、
(1)長期金利がピークを打つ時期が米国と異なっている。
(2)18世紀から19世紀にかけての200年間が2.25%から6.00%のレンジ内での循環推移であったのに対して、20世紀の金利変動幅が大幅に拡大し、ボラティリティ(変動率)水準も高まっている。
(3)財政状態の悪化が、米国以上に長期金利の上昇に影響した。
の3点を挙げています。
 そして、「19世紀末の『減税よりも債務減』と好対照を成す第一次世界大戦中の『増税よりも債務増』という姿勢は、その後の第二次世界大戦の際に、債務増加のリフレインとなって現れてくる」として、最終的に標準税額が最高50.0%間で上昇したことを挙げています。
 第5章「社会福祉と財政赤字:20世紀後半」では、20世紀の英国国債管理政策について概括した上で、18世紀から20世紀にかけ、「英国においては、予算管理の度合いは環境に応じて大きく変化するものの、調達管理の伝統は持続的に保たれている傾向がある」とし、「19世紀以降の国債市場は、政府の資金調達の場、もしくは市場参加者の資産選択の場としての機能のみではなく、国民資源の効率的配分機能を満たす動きも強まった」ことを強調しています。
 第2部「米国の国債管理政策200年史」、第6章「国家の台頭と信用制度の構築:19世紀」では、1789年に初代財務長官となったアレキサンダー・ハミルトンが、「独立戦争に要した費用を捻出するために、拡大した政府債務の問題に着手した」として、「新政府の将来にわたる財政基盤を確立するために公債額面償還政策を実施し、信用システムの再構築に乗り出すこと」となったと述べています。
 そして、「戦争債務を着実に完済したという事実」が、「多くの投資家に、債権発行者としての米国の高信用度を印象づけること」となり、「その後の米国政府に対する財政的信任(クレディビリティ)は、ハミルトン等の長期的戦略(大計)により確保された」と述べています。
 第7章「世界大戦と大恐慌:20世紀前半」では、米国の国債管理政策について、「第二次世界大戦に至るまでに、古典的国債管理政策→景気対策型国債管理政策→国債価格支持政策という変転をたどることになる」として、「国債管理政策の軸足も、予算管理中心→予算管理の後退→市場統制という具合に変化した」と述べています。
 第8章「累積する債務と調達管理:20世紀後半」では、1951年に、「中長期財務省証券の価格支持政策も解除されることになった」として、1951年3月4日、「財務省と連邦準備制度との『アコード』が発表され、連邦準備制度による中長期財務省証券買いオペが停止された」と述べ、「国債管理政策は新たな局面にはいることになった」と解説しています。
 そして、1970年代の長期金利上昇期を乗り越えた後、「膨大な累積財政赤字をマクロ経済的与件として捉えることで、予算管理の範疇よりも調達管理こそが国債管理政策の中心軸であると考えられるようになった」と述べ、その主眼として、
(1)「国債発行の定期化」により、市場参加者が予測可能な発行を実施することで、需給の不確実性を低下させた。
(2)市中国債平均残存年限の「長期債の発行」が図られた。
(3)市場参加者のニーズを把握するために、公共債協会の「国債及び政府機関債委員会」が、四半期に一度、財務長官に報告書を提出することにした。
の3点を挙げています。
 著者は、米国の国債管理政策史の200年を振り返り、「英国の国債管理政策のよさを生かしながら、さらに発展的に市場の機能を高める工夫が見られた」と解説しています。
 第3部「日本経済の歩みと国債管理政策──日本銀行と国債のかかわりを中心に」、第9章「戦前の国債発行と日本銀行──戦争とハイパーインフレーション」では、「1882年(明治15年)いらいの日本銀行の歴史の中で、それぞれの時代を反映して、日本銀行と国債のかかわり方は、今とは大きく異なるものであった」として、
・しばしば政府に対する貸し出しを行っていた。
・日露戦争においては、外債発行のため、高橋是清日本銀行副総裁が、英米を奔走した。
等の例を挙げています。
 第10章「日本銀行による国債を用いた金融調節の開始:昭和30年代──昭和37年の『新金融調整方式』」では、オーソドックスなセントラルバンキングの考え方では、「中央銀行貸し出しは緊急の流動性供給のための手段であり、資産・負債を管理していくことが想定される」が、「当時は、大幅な日本銀行借り入れが主要な銀行において恒常化していた」として、「オーバーローン・オーバーボロイング」という状況を解説しています。
 第12章「財政政策と国債管理政策:昭和50年代──国債流通市場の本格的な成長」では、「昭和50年代は国債大量発行の時代であり、『大量』発行という事実が、わが国の国債市場に質的な変化を起こした」と述べています。
 第13章「累増した国債と深刻化した国債管理:昭和60年代から平成の時代へ」では、1985年(昭和60年)前後の、わが国の国債市場における大きな変化として、
(1)1984年(昭和59年)の金融機関による国債ディーリングの開始
(2)1985年の国債先物市場の創設
の2点を挙げています。
 第14章「平成10年の『運用部ショック』:現代の国債問題」では、最近の国債管理政策の「一つのターニング・ポイント」として、1998年(平成10年)に起きた、いわゆる「運用部ショック」を挙げ、「デフレーションの進行と金融不安や世界的な信用不安を背景に、大量の資金が国債に流れ込み、長期金利が史上最低水準まで低下する一方で、それまでの財政再建路線が一転して積極財政に転換され、度重なる補正予算編成で国債発行額は倍々ゲームのように増大した」として、「国債の需給に対する懸念から長期金利は秋ごろからじりじり上昇に転じ、同年末に至って『運用部が国債買い入れを中止する』との報道をきっかけに一気に急騰した」と述べています。
 第15章「現代の金融政策と国債──国債の日本銀行引き受けはなぜいけないのか」では、「財政規律の維持は、大事業である」として、「財政当局が一人で頑張るのではなく、他の力を動員する仕組みを、社会にビルトインしてしまうことが求められる」と述べ、「中央銀行が引き受けをしないという仕組みは、ここに言う『他の力』の一つとして重要である」と解説しています。
 第4部「わが国の国債管理政策の進展と課題」、第16章「国債管理政策のバックグラウンド」では、「国債には多くの種類が存在する」として、予算制度に即して分類すると、
(1)新規財源債
(2)借換債
(3)財投債
の3つに分けられる、と述べています。
 そして、わが国の国債残高が「大きく膨らんで」いて、「主要先進国と比較しても際立っている」と述べ、「このように国債発行額が増大してくると、いかにして低コストで国債を発行し金利負担を低く抑えるかが重要になってくる」戸述べています。
 第19章「競争的で効率的な市場の育成」では、「国債発行当局は、競争入札の拡充を通じた競争性、効率性の向上と、未達をはじめとする国債入札のリスクの抑制という、二兎を追うことが求められている」と述べ、こうした観点からわが国でも導入される「プライマリー・ディーラ制度(PD)」について解説しています。
 第22章「国債管理政策とリスク対応等」では、「近年とられてきた各般の施策、すなわち国債市場の流動性を高める、市場のニーズを十分に吸い上げる、市場の予見可能性を高めるといった施策は、基本的には、市場にショックを起こさない、あるいは何らかの兆候が生じてもそれが金利の乱高下に繋がらないようにするための施策であったといえる。つまり、金利急騰に臨機応変に対応できるための施策というよりも、金利急騰を起こさないための施策である」と解説しています。
 本書は、家計の感覚で、「一人当たりいくら」ということばかりが取りざたされがちな国債と金利の姿を理解するためにお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 どうしても、富田俊基著『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』と比較されてしまう内容ですが、イギリスとアメリカのところは、『国債の歴史』を読んだ後でも十分楽しく読めました。
 一方で日本部分はと言えば、封鎖経済での国債消化など、『国債の歴史』の方が面白い部分が多かったように感じます。


■ どんな人にオススメ?

・国債の歴史をたどりたい人。


■ 関連しそうな本

 富田 俊基 『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』 2008年08月01日
 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日
 鶴 光太郎 『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』 2007年05月23日
 池尾 和人 『開発主義の暴走と保身 金融システムと平成経済』 2007年06月06日


■ 百夜百音

Shangri-La【Shangri-La】 BeForU オリジナル盤発売: 2008

 電気のファンは、こんなの見ると怒り出しそうだけど、卓球も瀧もこういうPVは嫌いではなさそうなので、本人たちに会えたりしたら喜びそうです。

『Shangri-La』Shangri-La

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2008年10月03日

所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学

■ 書籍情報

所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学   【所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学】(#1352)

  松村 圭一郎
  価格: ¥4830 (税込)
  世界思想社教学社(2008/03)

 本書は、「『わたしのもの』を最大限に個人に帰属するものとして扱う『私的所有』という原則」について、「『わたし』は『わたしのもの』に対する排他的な決定権を持つ。この私的所有権は、現在、多くの社会で基本的な自由を守るための権利として受け入れられている」が、「私的所有という概念が、さまざまな新しい『所有』をめぐる問いに対して、どれほど有効で、そして、はたして正当なものなのか、答えは出ていない」として、著者が「エチオピアの一つの村における『富の所有と分配』という問い」を考え、「エチオピア農村社会の民族誌という小さな針の穴から、われわれの世界の『所有』のあり方を見通して」みたものです。
 第1章「所有と分配の人類学」では、「人類学を中心に所有という問題が、いかに『法』のパラダイムのなかでとらえられてきたかを概観」下上で、「土地の所有という問いが、長いあいだ、財産所有を支える『概念』の問題として、そして土地への『権利』をかたちづくる『制度』の問題として論じられてきたことがわかる」ことなどの先行研究を踏まえたうえで、「本書がそれらの視座を克服する試みであることを明らかにする」と述べています。
 そして、本書が、「商品作物の栽培が浸透し、さまざまな民族が流入してきたエチオピアの農村の事例を検討する」として、「大きな変化の途上にあるような現代的な農村社会を対象とすることで、これまで伝統的な狩猟採集社会や農村共同体という枠組みの中で議論されることの多かった富の所有や分配という現象を、人びとの実践のプロセスから動態的に捉えなおしていく」と述べています。
 著者は、「現実の『所有』という現象が、必ずしも単一の概念から構成されているわけではない」と強調し、「『所有』は社会の多様な要素によってかたちづくられており、たとえ近代社会であっても私的所有概念だけに基づいているわけではない。そこには『概念(言説)としての所有』と『実践としての所有』との混同がある」と述べています。
 第2章「単民族化する農村社会」では、「これまで権利を規定する制度として、あるいは固有の概念によって構成されるものとして描かれてきた『所有』という現象を、家族からコミュニティ、国家といった複合的なコンテクストの中の力学によって枠づけられるものとして、捉えなおしていく」と述べています。
 第3章「土地から生み出される富のゆくえ」では、「人々はどれほど自分で手に入れた富を他者に与えているのか」について、「農民の日常的な実践について分析する」としています。
 そして、農民の分配の観察から、
(1)食料に困る雨季に、より頻繁に作物などが与えられている。
(2)必ずしも近親者ばかりだけではなく、むしろ関係が遠い相手に対しても頻繁に与えられており、いずれの場合も返礼がほとんどなされない。
の2点が明らかになったと述べています。
 第4章「富を動かす『おそれ』の力」では、「臨まれない豊かさ」として、「一生懸命に働いているとまわりからは非難を受ける。村で生活していると、成功して金を手にした者やたくさんの収穫があった者を冷やかしたり、攻めたりする場面をたびたび目にする。とくに友人どうしなどの関係では、あからさまな皮肉や罵倒の言葉があびせられることもある。身近な者が自分よりも豊かになることは許されない。どうにかして、人が豊かになることを阻止しなければならない。そのためには、他人をおとしいれる邪術が駆使されることもある」と述べ、「あいつは邪術者に違いない」という憶測が飛ぶとしています。
 そして、「彼らにとって、『うらやましいな』とか『いいなぁ』と思って投げかけられる視線」は「邪視(budah)」として「それ自体が悪い作用を及ぼす」と述べ、「畑の場合であれば、ただじっと見て黙っていると、作物が育たないなどの悪い影響が出てしまう」として、畑の中に立てられたビニールの切れ端をつけた50センチほどの棒や牛野津が遺骨は、「人の目がじかに作物に向かわないようにそらすため」のものであると解説しています。
 さらに、「『親族』といった身近な領域には、自分たちよりも豊かになることへのネガティブな感情が横たわっている」として、「より豊かな者は、富を分配するよう圧力をかけられ、自分たちよりも豊かになっていくことへの嫌悪感=『妬み』の対象となる。ときには、その感情は親族への呪術(の嫌疑)というかたちでも表出する」と述べ、「こうした妬みが富の分配の背景となっていることは、これまでの研究でも指摘されてきた」が、「ここで重要なのは、その『妬み』が社会関係によって異なる作用をするのではないか、という点である」と述べています。
 第5章「分配の相互行為」では、「たくさん収穫があった者は、つねに『分け与える』ことを期待され、さまざまな働きかけを受けている」として、「もし、サトウキビを自分の手元に置いたままにしていたら、それはすぐに『分配』の対象になって親族や村の知人などに分け与えなければならなくなる。そこで、熟して他人に壊れる前に売却するという方法がとられた」と述べ、この事例から、
(1)欲しいといって人から乞われると、サトウキビのように「商品」になりうる作物であっても、分け与えざるを得なくなる。
(2)現金が「分配」の領域の外に位置していたということ。
(3)サトウキビをめぐって「分け与えるべき関係」と「分け与えなくてもよい関係」との区別が顕在化しているということ。
の3つのことがわかると述べ、「ひとことで『商品作物』といっても、農村社会の中では『分け与える』こととの微妙なバランスのなかで『売る』という行為が成り立っているのがわかる」と述べています。
 第6章「所有と分配の力学」では、「『分配』が行われる理由はひとつではない」が、「そうした限定条件の中でも『神への祝福の言葉』や『呪術をかけられる可能性』が富の受け手に有利な圧力となりうるのは、それら『神』や『呪術』が人びとに『おそれ』を抱かせる存在であるからにほかならない」と述べています。
 第7章「土地の『利用』が『所有』をつくる」では、「土地のサイズを自由に拡大・縮小できないような人口稠密な農村社会では、資源領域の大きさやその予測可能性よりも、ある固定した領域内における資源の価値や侵害への脆弱性に応じて、土地所有の排他性が変化していた」としたうえで、「ある領域を守って利用することの『経済的防御可能性』が、土地所有の多様性やその排他性の変化を理解するひとつの指標になることは間違いない」と述べています。
 第8章「選ばれる分配関係」では、「土地を『所有』していることの意味や価値が、その土地の条件の違いや去勢牛の有無、あるいは土地を耕すものの社会的地位といったさまざまな要素との関係によって変化してきたことがわかる」として、「『土地』を所有していること、『労働力』をもっていること、『去勢牛』をもっていること、これらの3つの要素がひとつの土地の上で重なり合って、はじめて作物の栽培という資源利用が成り立っている」と解説しています。
 また、「コーヒーの栽培をめぐって、さまざまな人々の関係が幾重にも築かれている」として、「土地という資源への複合的な社会関係が、土地とそこから生み出される富の分配をめぐる争いの背景となっている」と述べています。
 第9章「せめぎあう所有と分配」では、「土地をめぐる争いが起きたとき、農民たちには解決を図る3つの選択肢がある」として、
(1)数人の村の「年長者」を調停役として立て、双方で話し合いを行うこと。
(2)カバレ(行政村)で週に一度行われる「裁定」に申し立てを行うこと。
(3)ゴンマ地区の役所が置かれているアガロや県庁があるジンマなどの公的な裁判所に訴えること。
の3点を挙げた上で、「じっさいには、これらの場は相互に関連している」と解説しています。
 そして「土地を『所有』するということは、かならずしも所与の安定した『事実』として存在しているわけではない。人びとは、さまざまな社会関係のなかで積極的に『働きかけ』という行為を繰り返すことで、なんとか『所有』という状態を維持しようとしている」と解説しています。
 また、土地争いの事例から、「その争いの過程が物理的にせよ、心理的なものにせよ、複数の拮抗する『力』を帯びた相互行為の場になっていること」が見えてきたと述べています。
 著者は、「土地という資源に関わるもの立ちは、自らの利益を確保するために、絶え間ない『働きかけ』を繰り返していた。土地と富の所有をめぐる争いは、そうした人々の普段の相互行為が顕著に現れる場でもある。この争いのプロセスで顕在化していた複数の枠組みとその力を導く人々の行為を描き出すことで、『所有』という現象の動態性を浮き彫りにし、より厚みのある記述と理解が可能になる」と述べています。
 第10章「国家の所有と対峙する」では、「エチオピア帝国の支配に編入される過程で、土地の『所有』がひとつの大きな争点となった」として、「それまでの『先占』の原則が通用しない、アムハラ貴族など外部権力という新たな枠組みとの遭遇でもあった。そこでは、いかに上位の権威、かつてのゴンマ王国の王、首都アディスアベバの官僚機構、ゴンマ地方の行政、といったところから『認証』を引き出せるかが鍵となっていた」と解説しています。
 第11章「国家の記憶と空間の再構築」では、「アムハラの貴族や国家による土地の収奪、そしてコーヒーの森としての資源開発」という目に見えやすいかたちの中央からの介入の歴史と平行して、「幹線道路に繋がるように築かれた道路は、コンバという場所を首都や世界へと結びつけ、村の土地のなかに商品や人が行きかう空間を作り出してきた」と述べています。
 第12章「歴史の力」では、「コンバ村の土地が経験してきた歴史をたどると、農民と土地との関係が、次第に農村社会を離れたより大きな枠組みの中で決定されるようになってきたことがわかる」と述べています。
 そして、「かつて農民どうしの『先占』という原則をめぐるものだった土地所有が、外部者との関係が強まるなかで次第に上位の権威が必要とされるようになった」が、「じっさいの農村内部の土地をめぐる動きを見ると、国家の政策や法律という権威は、いまだに農民の所有のあり方をかたちづくる力のひとつに過ぎない」と述べています。
 第13章「所有を支える力学」では、「本書が一貫して乗り越えようとしてきたのは、所有を理解するときのふたつの優勢な枠組みであった」として、
・概念としての所有
・制度としての所有
の2点を挙げ、「それとは異なる視点から土地や富の所有という現象を理解するために、作物の分配をめぐる交渉のプロセスや土地の『利用』との関係、そして村の土地がたどった歴史過程に注目してきた」と述べています。
 そして、「本書の所有や分配を捉える視点」を、「富の所有や分配のあり方は、いくつかの規則性を生み出す限定条件の下で、人びとが相互に複数の枠組みを参照して、その拘束力を元に働きかけや交渉といった相互行為を繰り返す中でかたちづくられている」と述べています。
 また、「本書のたどり着いたひとつの結論」として、「多元的権威社会の所有や分配のあり方は、人々が複数の異なる枠組みの力学のなかで相互行為を繰り返していることでかたちづくられている」と述べています。
 著者は、「さまざまな所有をめぐる行為の配置と再配置のプロセスを見ていくと、あるものに所有されたり、分配されたりする富のあり方には、そのじっさいの行為に先立つかたちで、『分配が期待される形式』と『独占して蓄積することが許される形式』というふたつの異なる形式が並存していることがみえてくる」と述べています。
 そして、「ひとつの原則を支える枠組みだけが『正当』だと、われわれが思い描いて行為するとき、その原則は、いっそう協力に拘束力を発揮しはじめる。私的所有が、近代社会の基本的な原則だとわれわれが創造するとき、その所有のかたちは当然のもので、交渉されるべきものでも、侵害されるべきものでもない、という思いにとらわれるようになる」と述べた上で、「もしかしたら、ひとつの所有者の論理だけを唯一の正しい原則として『想像』してしまっているからではないのか。その『原則』のリアリティは、何らかの『力』によって支えられているだけではないのか。多元的な主張が拮抗する社会の『所有』を目の当たりにしてきたことで、その『正当性』の空虚さが透けて見え始めた気がする」と述べています。
 本書は、われわれが当たり前だと思ってきた「所有」が絶対的なものではないことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書ではエチオピアとか沖縄を例に挙げていますが、明治維新以前の日本の所有権のかたちも決して現在のようなものではなかったはずなので、過去の日本における「所有」の概念についても同じ著者にまとめてもらうと読んでみたい気がします。学問的にはジャンルが違ってきてしまうのでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・ものや土地を「所有」する、という考えはどこでも同じだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 林田 清明 『法と経済学―新しい知的テリトリー』 2005年06月07日
 山田 奨治 『〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争』 2008年09月06日
 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 ローレンス レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳), 柏木 亮二 (翻訳) 『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』 2005年2月1日
 立岩 真也 『私的所有論』


■ 百夜百マンガ

父の魂【父の魂 】

 スポ根ものの原点というか、『巨人の星』の父と息子の物語の原点はここにあるということですが、さすがに最近の人は知りません。千葉県職員OBの有名人ということではプリティ長嶋に並ぶということでしょうか。


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2008年08月29日

こんなに使える経済学―肥満から出世まで

■ 書籍情報

こんなに使える経済学―肥満から出世まで   【こんなに使える経済学―肥満から出世まで】(#1317)

  大竹 文雄 (編さん)
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2008/01)

 本書は、「現実のさまざまな社会問題を経済学の視点で一般の人にもわかるような記述方法で、紹介したもの」です。「経済学」に対する普通の人のイメージである、
・お金の儲け方を研究している。
・株価や景気の将来予測をしている。
などについて、「現実の経済とあまり関係なさそうな印象」があり、社会では、「経済学は役に立たない」と思われていることについて、「これは入門レベルの経済学の教育の仕方が悪かったのであって、経済学に責任があるわけではない」と述べた上で、「経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えること」だと述べています。
 そして、経済学は、「制度設計や政策をけってしなければならない時に、無視をしてはいけないポイントを教えてくれて、大きな間違いを防いでくれるという意味で役に立つ」と述べています。
 第1章「なぜあなたは太り、あの人はやせるのか」では、「肥満ややせ」が、「医学の問題として取り上げられるが、実は経済学の問題でもある」として、経済学では、「食べるのにかかるコスト(値段や時間)を、食べて得られる満足感から差し引いて考える必要」があり、「健康や容姿への悪影響といった肥満の不利益を、今のうちにどれだけ避けたいか」という「選好要因」も加わるとした上で、経済学では、「将来の1円を現在の1円に比べてどの程度割り引くか」を表す「時間割引率」で「せっかちさ」を図るが、「この値が高い、せっかちな人ほど、目先の満足感に対し肥満による将来の不利益を軽視するため、肥満度が上がるはず」だと述べ、実証調査でも裏付けられていると述べています。
 また、「たばこを吸う人は不幸である」として、その不幸の大きさは、「驚くべきことに年収がざっと200万円減ったのと同じくらいになる」と述べ、このような「中毒財」と「中学生の時、夏休みの宿題をいつごろやりましたか」という「後回し行動の程度」の間に、正の相関があると述べています。
 第2章「教師の質はなぜ低下したのか」では、教師の質の低下の原因として、「労働市場における男女平等の進展」を挙げ、労働市場に男女差別が根強く存在し、「一般のビジネスの世界では、女性は活躍できなかった」ため、「学業に優れた大卒女性は、教職についた」が、「男女差別が解消されてくると、優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事、より魅力的な職種を選べるようになり、昔に比べて教師になる人は少なくなった」と解説しています。
 第3章「セット販売商品はお買い得か」では、「企業の限界費用(商品の生産を1個増やすのにかかるコスト)が非常に小さく、多く売るほど儲かるようなものの場合、バンドリングする商品を増やすほど企業が有利になる」として、「商品の数を増やせば増やすほど、消費者の支払い意思額のバラツキは収束し、平均に近づく」と述べています。
 また、「事故の利得を多少なりとも犠牲にして相手をさらに痛めつける『いじわる行動』」についての実験では、日本と上海、日米の比較では、「日本の被験者の方が『いじわる』であることを観測」したと述べ、「日本の多くの被験者はただ乗りをして相手に公共財を作らせようとするのだが、参加した被験者は、不参加者がいることを知ると、たとえ自己の利得が犠牲になろうとも、公共財の供給を控えようとする」ため、「相手はただ乗りの利得を得られない」が、「同じ実験を何度も繰り返す」と、「日本のほうがより多くの公共財を供給することになる」と述べ、「その背後には、『参加しなければ足を引っ張られる』という恐怖心が作用しているのかもしれない」と解説し、「従来の理論ではうまく説明できないアノマリー(変則)が数多く存在する」ことを指摘しています。
 さらに、人間が、「自由意志に基づいて『いつ生むか』を選択している」かどうかについて、「できちゃった結婚」で生まれた赤ちゃんと、そうでない結婚で生まれた赤ちゃんを比較し、「結婚から子供を作るまでに十分時間のある親は、年度末の3月ではなく、4月か5月を『選んで』子供を生んでいる、もしくは1月ではなく年末の12月を『選んで』いる」と述べ、12月生まれが多い理由として「扶養控除」を、4月生まれが多い理由として、3月生まれと4月生まれでは、「同じ学年なのにほぼ1年の成長の差が出てしまう」という「相対年齢効果」への親の配慮を挙げています。
 第4章「銀行はなぜ担保を取るのか」では、日本人が、「貯蓄好き(質素)」だといわれる主張について、「日本の家計貯蓄率は60~80年代半ばに限って15%を超えていただけで、日本人は必ずしも貯蓄好きとはいえない」と述べ、日本の貯蓄率の主たる決定要因として、「人口の年齢構成」を挙げています。
 また、銀行が融資に際して、担保を取る理由として、借り手と貸し手の間との「情報の非対称性」を挙げ、「情報の非対称性により、企業が本来の目的であるプロジェクトの収益最大化を怠る」ような「モラルハザード」を避けるため、担保を取ることで、「企業が借入金の一部を着服する誘引」を削ごうとする契約形態であると述べ、「このように個別の誘引と全体の効率性向上が一致する状況を、経済学では『誘引両立的(incentive compatible)』と呼ぶ」と解説しています。
 そして、グラミン銀行が無担保融資を行える理由として、貧しい村に拠点を作って借り手を発掘することで「情報の非対称性を最小化している」こと、「借り手の村人にグループを組ませ」、「村人同士が連帯責任を負えるだけの信用能力の高い相手を選ぶ『相互選抜』のメカニズムを働かせる」ことを挙げています。
 第5章「お金の節約が効率を悪化させる」では、「景気が悪くなると、公共事業を増やして景気を刺激すべきという主張が出てくる」が、「不況下の公共事業の意味はできた物の価値だけなのに、国民所得にそれ以上の波及効果があると信じられ、その大小が問題にされる理由」として、「失業手当は国内総生産に計上されないが、公共事業費なら計上される」という、「国民経済計算の意味が正しく理解されていない」ことを挙げ、「乗数効果を根拠に不況時に何でもいいからたくさん公共事業をやればいい、というのは誤りである」と述べ、「経済学は、公共事業によるバラマキを肯定はしないし、すべてが無駄だと切り捨ててもいない。乗数効果への幻想を乗り越え、公共事業の是非は金額や波及効果ではなく、できた物やサービスの中身で判断すべきというごく当たり前の結論をしてしている」と述べています。
 第6章「解雇規制は労働者を守ったのか」では、奈良県で話題になった「騒音おばさん」のケースを挙げ、「同じ問題を解決するのに、加害者がお金を支払う場合と被害者がお金を支払う場合が存在する」と述べ、その理由として、「事前に法的権利が確定していて、人々がコストなしに自由に交渉することができ、その取り決めをきちんと執行させることができれば、損害賠償に依存しなくてもパレート改善が達成できる」ことを示した「コースの定理」を挙げ、「コースの定理の面白さは、感情論に縛られず、最終目標を達成する方法を、私たちに考えさせてくれること」だと述べています。
 また、「既存正社員の解雇規制という既得権の強化」が、「既得権を持たない労働者の不安定雇用を増加させる」ことを実証データで示した上で、「労働者を代表する人々にも経済学が突きつけるシビアな現実から目をそらさず、解雇の柔軟性をどこまで認めるべきなのか、真剣に考えて欲しい」と述べています。
 本書は、誤解されがちな経済学のイメージを、身近の事例を取り上げながら変えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の執筆陣は、大阪大学社会経済研究所関係者となっていますが、同じ経済学者でもそれぞれ拠って立つ学術的立場の違いを反映して、相互に矛盾しているというわけではないですが、トーンというかニュアンスの違いが出ていて面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学はお金儲けを学ぶことだと思う人。


■ 関連しそうな本

 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日
 スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳) 『ヤバい経済学』 2008年02月13日
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 ティム・ハーフォード (著), 遠藤 真美 (翻訳) 『まっとうな経済学』 2008年02月15日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日


■ 百夜百マンガ

喰いしん坊!【喰いしん坊! 】

 テレビのまねをした中学生が亡くなった事故か何かで、一時の早食いフードファイターブームは自粛されましたが、大食いタレントは相変わらずで、中には食べた皿の数を多くごまかす人も出てきたようです。普通なら少なめにごまかすものですが。


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2008年08月11日

司法政策の法と経済学

■ 書籍情報

司法政策の法と経済学   【司法政策の法と経済学】(#1299)

  福井 秀夫
  価格: ¥3990 (税込)
  日本評論社(2006/12)

 本書は、「立法、行政とのかかわりの中での司法制度の設計のあり方に関する従来の法解釈論の限界を明らかにするとともに、司法に関して立法政策において何をどのようにどの程度規律すべきであるか、という観点からの標準的な『法と経済学』による分析を行ったもの」です。
 著者は、「多くの実定法専門家たる法曹、司法官僚、法解釈学研究者等は、法と経済学の理解がないまま解釈の適否や判例の適否を論じ、立法のあり方に対してまで改正の影響評価の手段をもたないにも拘らず、、弊害を伴なう主張を公言しがち」だと指摘しています。
 第1章「『法と解釈学』の黎明」では、日本の法学が「成文化された実定法の意味を探求する法解釈学を中心として発達してきた。議会で成立した法律や条令を与件とし、当事者間の利益衡量や判例の動向を踏まえて、複雑な法体系の論理整合的な解釈としてもっとも適切なものをめぐって論議がなされてきた」が、「現存する法の整合性を確保し、複数の価値の衝突を調整する場合、複数の解釈が並存しうるが、それらの間でその優劣を論理的に決することは困難であった」とともに、「立法に当たっての制度設計がどのような効果を経済社会にもたらすか、について判断する枠組みは、これまで十分には提供されてこなかった」と述べています。
 そして、「『法と経済学』の大きな役割は、法の市場への介入または不介入が、いかなる場合にどの程度資源配分を改善したり、逆に悪化させたりしているかを明らかにすること」だと述べています。
 また、日本の担保法制・競売法制が、「わざわざコースの定理の前提が成り立ちにくいように、言い換えれば、競売市場が失敗しやすいように法制度が設計されてきた」として、
・抵当権者と占有者のそれぞれの権利の外縁が不明確であり、判例もこれを解決していない。
・権利の実現のための裁判や民事執行全体の手続きは、長期にわたり、労力や時間コストも膨大に上る。
等を指摘しています。
 第2章「司法改革の法と経済分析」では、「これまでの司法改革の論点を整理し、基本的な司法改革の道筋を提示するとともに、立法府における制度改革論議の基礎的知見地権を提供することを目的とし、特に司法に係る各種規制の問題点とその改革の方向性について論じる」としています。
 そして、1970年参議院法務委員会、1971年衆議院法委員会のそれぞれの国会付帯決議において、「日弁連、法務省、裁判所という法曹三者の意見を一致させて司法改革の改正を行うべき旨が定められている」ことについて、「三者のうち一社がいかなる改革絵治安に対しても絶対的拒否権を発動しうるということを意味し、現実に法務省の施策を日弁連が阻止するという機能を果たしてきた」と指摘しています。
 第3章「司法制度設計の基準」では、「本来読みようがない不自然で素人を欺く解釈をひねり出すことを『リーガル・マインド』などと名付け、権威の衣を着せて初学者や第三者に対してありがたがるよう強要することは、知性・品性を備えた職業集団のとる態度ではない。立法によってではなく、現状に追随して解釈で規範を捻じ曲げ、長期にしのぎ続けることは、法の潜脱に等しい」としています。
 そして、弁護士規制に関して、「参入規制と並ぶ最大の問題点は、弁護司法72条の業務独占である」として、「情報の非対称の軽減策という正当化根拠すら存在しない現行規制には理由がない」と述べています。
 第5章「新司法試験の法と経済学」では、「新旧問わず資格試験である以上、一定の水準を越える受験者を合格とすれば足りるのであって、人数で枠を決めること、なかんずく新試験と現行試験との間で前者に優遇枠を割り振るということに根拠はない」と指摘してます。
 そして、「本来名称独占、業務独占を問わず、資格制度が発揮できる市場の失敗の補完はたかだか知れている。後者は有害ですらある」として、「本質的な情報の非対称対策は、弁護士資格の業務独占を廃止し、名称独占に転換するとともに、弁護士の広告の自由を認め、むしろ弁護士の過去の分野別の業務歴、勝訴・敗訴案件、報酬額などを開示することを義務づけ、それらの不開示や虚偽開示に対して、、資格剥奪などの厳正な措置を取ることである」と述べています。
 また、「そもそも試験や学歴によって、仕事で使ってみなければわからない業務達成上の質を担保するという発想自体が破綻している」と指摘しています。
 第7章「担保執行法制改革」では、「もともと競売法制の見直しの趣旨は、現在の競売市場が、一般人には近寄りがたい不透明なものであり、なかんずく執行妨害の温床になってい状況にメスを入れ、一般人が参加しやすい制度に変革していこう」というものであるにも拘らず、2003年6月19日に警察庁が自民党プロジェクトチームに提出した「占有屋などによる執行妨害の実態等について」と題する資料において、「一般人の入札増加に伴なう危険性」を挙げていることについて、「競売制度を、一般人が入りにくいまま維持しようなどという主張が、本来一般人であってもリスクなく競売に参加することができるよう暴力団などに対して毅然と妨害排除を行うべき法的責任を持つ警察庁からなされるとは驚天動地である」と述べています。
 第9章「法と経済学の成果としての定期借家権の導入」では、定期借家権の効果として、
(1)潜在的借家人の利益が増大する。
(2)高齢者住宅が流動化する。
(3)持家の売買も活性化する。
(4)持家と借家が相対化する。
(5)定期借家権による新たな市場が創出される。
(6)マンションが沈滞化する。
(7)定期借家は家屋の評価や税務にも大きな影響を与える。
(8)新規の定期借地の多くは定期借家に転換する。
の8点を挙げています。
 第11章「権利の配分・裁量の統制とコースの定理」では、「民事的交渉を主として念頭においているコースの定理を、行政法の領域に十分応用できることを示すとともに、市場の失敗と行政法との関わり、行政法における政府の失敗の危険性、行政裁量に関する法解釈や立法のあり方などについて、法と経済学により分析する」としています。
 そして、「市場の失敗対策としての公的介入である行政法の立法やその運用・解釈は、多くの場合市場における資源配分の変化についての影響に無知なまま行われ、多くの問題を引き起こしている」として、「無知は過去のことであったとしても、それが判明すれば直ちに改めるのが健全な立法態度である」と指摘しています。
 また、コースの定理の含意として、「法や判決は、権利を明確に定め、その流通・執行が迅速、確実かつ安価に行われるように手続きが実施されなければならないし、事後的な当事者間の交渉をより容易にするような権利配分を行わなければならないということ」であると述べ、「権利を配分されなかった当事者が権利を再配分してもらうための交渉を行う際、それが容易かつ迅速になされうる蓋然性の高いほうの当事者には初期権利を配分してはならない」と指摘しています。
 第13章「行政訴訟のパラダイム転換」では、「行政法学もひどい側面があるわけで、最高裁判決がいくら矛盾していても、つじつまを合わすためにはこんな屁理屈もあるというのを考えるのが、学会の大きな使命になって」いると指摘しています。
 本書は、法曹関係者にとっては、嫌なことばかり指摘しているし、理屈もわかりにくいしで、読みたくない一冊だと思いますが、ぜひ多くの人に読んでほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書では司法業界に厳しく噛み付き、他の著書でも官僚に激しい非難を与えている著者ですが、本業で所属している政策研究大学院の方は、国や地方の役人に、「仕事なんか1年くらいやらなくても人は足りてるんだからウチに学生を差し出しなさい」と「要請(圧力?)」をかけてくるということに矛盾を感じるところです。もちろん、日頃から、官僚組織の詭弁と役所のムダを指摘している著者がそんなことをするはずはないとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・司法「業界」の既得権に日本の闇の深さを感じる人。


■ 関連しそうな本

 福井 秀夫 『都市再生の法と経済学』
 福井 秀夫 『官の詭弁学―誰が規制を変えたくないのか』
 福井 秀夫, 大竹 文雄 『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』
 鈴木 禄弥, 山本 和彦, 福井 秀夫, 久米 良昭 『競売の法と経済学』
 福井 秀夫 『教育バウチャー―学校はどう選ばれるか』
 ゲアリー・E. マルシェ (著), 太田 勝造 (翻訳) 『合理的な人殺し―犯罪の法と経済学』


■ 百夜百マンガ

キヨスクフラッパー【キヨスクフラッパー 】

 最近はキヨスクでもバーコードで読み取りして、SUICAでの支払いが多くなって、あの名人芸の釣り銭勘定を見られなくなったのは残念なことです。


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2008年08月05日

会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門

■ 書籍情報

会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門   【会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門】(#1293)

  シャム サンダー (著), 山地 秀俊, 松本 祥尚, 鈴木 一水, 梶原 晃 (翻訳)
  価格: ¥3150 (税込)
  勁草書房(1998/04)

 本書は、ほとんどの会計研究が、「狭く限定された領域での会計の特定の機能にのみ、集中して焦点を当てよう」としていることに対し、「会計の多様な機能を1つの一貫した構図の中に統合する」ことを試みた一冊です。
 第1章「会計とコントロールの理論序説」では、組織における会計とコントロールを理解するために中心となる考え方として、
(1)あらゆる組織は、個人または個人からなる集団の間の契約の集合である。
(2)契約当事者間で共有された情報が蓄積されると、契約を設計して履行することが容易になる。
(3)組織におけるコントロールは、その組織に関係する個人や集団の利害間の持続的なバランスあるいは均衡である。それは組織のコントロールとは区別されなければならない。
の3点を挙げています。
 著者は、会計理論を、「会計行為のあらゆる重要な側面を、ある統合された枠組みの中に包含しなければならない」と述べ、組織の契約モデルを、「このような単純ではあるが、包括的な枠組みを提供する」と述べています。
 第2章「会計と企業の契約モデル」では、「会計を理解するためには、企業自体が理解されなければならない」として、会計の役割を分析するのに役立ちうる企業のモデルの起源として、バーリとミーンズ、コース、バーナード、サイモン、そしてサイアートとマーチの研究を挙げています。
 そして、「会計を理解するために、企業を合理的なエイジェント間の契約の集合と見なすこともできる」として、「エイジェントが提供し受け取る資源の形態、量および時点は、エイジェント間の交渉の題材となる。ここでは、資源請求権、インセンティブ及び誘因という用語と、エイジェントが受け取るか受け取ると期待する資源に対して互換的に用いる」としています。
 また、会計が、「企業を構成する契約を履行し強制するのに役立つ」として、企業を活動させるために、
(1)企業の資源プールに対する各エイジェントのインプットを測定する。
(2)各エイジェントの契約上の資源請求権を決定し、それを分配する。
(3)他のエイジェントがその契約上の義務を果たし、受け取った資源請求権がどのくらいであったかを、関連エイジェントに知らせる。
(4)契約上の地位や生産要素の保有者によって供給される生産要素のための市場の流動性を維持するのに役立つ。
(5)多様なエイジェント契約が定期的に再交渉されるので、監査済み情報についての共有知識のプールは、交渉と契約の成立を容易にするために、すべての関係者に対して提供される。
の5つの機能を遂行するとしています。
 さらに、会計が、「公への開示という形を取る情報という共通の基盤を共有することによって、契約当事者間の情報の非対称性を減少させるためのいくつかの事前の約束を含む」として、「合衆国やその他の多くの国々の証券諸法は、公開企業による公的な開示を要求している」と述べています。
 第3章「経営管理者の技能のための契約」では、経営管理者の特徴が、「会計とコントロールにおける彼等の役割を理解するための基礎となる」として、
(1)経営管理者の富は人的資本の形態をとり、企業に対する経営管理者のサービスはこの資本ストックから流出する。
(2)経営管理者のサービスのフローの質と量の測定は困難であり、この困難性は経営管理層のレベルが高くなるほど大きくなる。
(3)経営管理者は他のエイジェントと絶えず接触しており、しかも同時に2つ以上の競合する企業または組織のために経営管理者の資格で働くことは認められていない。
の3点を挙げています。
 そして、経営管理者が、「他のエイジェントともに、計画し、調整し、再交渉し、実行し、そして予想外の事象が生じたときには、計画の再調整を行う」と述べ、「経営者は、その調整という役割のために、企業の運営上の構造の中心に位置する」と解説しています。
 第4章「経営者と会計意思決定」では、企業の経営者が、「組織形態によって定義される境界の枠内」で、「会計とコントロールの詳細を具体化する」として、「経営者は自分の選択が他のエイジェントに与える影響を考慮しなければならない」と述べています。
 また、「予算編成やその他の意思決定におけるあらゆる参加」には、
(1)より多くの情報を提供された状態で意思決定が行われるという形で具現することによる、参加者から収集された情報の価値。
(2)参加者が共有しても良い情報の選択を通じて、参加者に好ましい意思決定が行われにくくなること。
との間のトレード・オフが見られると述べています。
 第5章「利益とその操作」では、「企業の様々なエイジェントの生ずるあらゆる利益のうち、株主に生ずる利益に固有のもの」として、
(1)株主は、他のすべてのエイジェントの資源請求権が支払われるか、あるいは解消された後に残った資源を請求する権利を有している。
(2)株主以外のすべてのエイジェントの資源請求権は、契約上の詳細な条件に従って移転される。
(3)株主資本に対する利益は、他の生産要素に対する利益ほど正確かつ確実には測定することができない。
の3点を挙げています。
 そして、「会計利益は株主資本のコストを控除しないで測定される」ことについて、「非割引会計利益保存の法則」と述べるとともに、「残余利益を産出することは、株主資本の帳簿価格に基づく資本コストを会計利益から控除することによって、容易に割引計算の形に修正できる」ことを、「割引残余利益保存の法則」と解説しています。
 また、利益操作の手段として、
(1)取引の裁量的会計処理
(2)会計原則の選択
(3)会計上の見積の調整
(4)移転価格
(5)実際の経済的意思決定
の5点を挙げています。
 第6章「投資家と会計」では、「株主の側から企業活動へ積極的に参加しないことや、その相対的な理解不足は、ほとんど必然的である」として、「大半の部主は、経営者や他のエイジェントの業績を個人的に監視するために、時間や努力を費やしたくない」ため、「企業間の投資ポートフォリオを多様化すること、個人的努力の節約、投資に関する専門知識の必要性から解放されることで得られる相当の利得と、企業の直接的コントロール権の喪失とを交換することになる」と解説しています。
 また、債権者は、「企業に対して永久的に資本参加することはない。期間、安全性、そして分散が、債務者の会計とコントロールへの関与を規定する債権者の3つの特質である」と述べています。
 さらに、投資家が「企業の会計意思決定に影響を与える」段階として、
(1)企業の設立
(2)資本市場での取引
(3)決議案への投票
(4)社会政治制度を通して
の4点を挙げています。
 著者は、「エイジェントの一集団として、投資家は企業において特別の地位を占めている」として、「彼らは企業に対して資源を事前委託し、企業からの資源の分け前に授かるまでに、比較的長期、ひいては無期限の期間が経過することに同意する」と解説しています。
 第7章「会計と株式市場」では、「株式の市場価値は、将来の配当(それともキャッシュ・フローないしは利益)の水準とその不確実性に対する投資家の期待に由来する。ここの取引者の期待が市場機構によって集約される。市場の価値は、将来の配当についての投資家個人の信念と、他の投資家の信念に対する信念に依存する」と述べた上で、
(1)会計は将来予測に投入される重要なインプットとして役立つ時系列の財務報告を提供する。
(2)将来の配当は、一企業の現在の物的資源と、その契約及びその契約が富を生み出すためにどれほど有効に利用されるか、ということに依存する。
(3)企業の物的資源を保全することは重要ではあるが、将来の配当を生み出すことにとっては全く十分とは言えない。
(4)企業の契約集合は、エイジェント間に相互依存関係を引き起こす。
(5)各階系システムはまた、劣った経営者と優れた経営者とをいかに有効に区別するか、に関しても差がある。
の5点を挙げています。
 第8章「監査人と企業」では、「監査人の企業に対する最大の寄与は、企業のシステムの検証にある」としたうえで、「監査報酬は監査人と取締役会の非経営取締役による委員会との間で、つまり会計システムの外で交渉される」と解説しています。
 また、監査人を雇う上での障害として、
(1)エイジェンシー・コストの削減幅が、監査人にその業務を実施させるのに必要な報酬と、少なくとも同程度でなければならない。
(2)2人のエイジェンシー関係への第3のエイジェントの参入は、最初の2人の間の関係に変更をもたらすのみならず、2つの新たな関係を生じさせ、以前には存在しなかった付随エイジェンシー・コストを生じさせる。
の2点を挙げています。
 さらに、「監査手続きの標準化は、業務の品質の相互監視と監査人を訓練するコストを節約する」一方で、「一定のリスクと追加的コストをもたらす」として、
(1)標準化された手続きになれた監査人が、不正及び隠蔽の革新的手法を識別する可能性は少ない。
(2)標準化された実務を、変動する環境と技術に合うように調整することはより高くつく。
の2点を挙げています。
 第9章「コンベンションと分類」では、「会計には特別な辞書がある」として、会計関係者自身も、
・コンベンション(convention)
・公準(postulate)
・原則(principle)
・主義(doctrine)
という概念について「統一した見解を有していない」と述べています。
 そして、コンベンションについて、「2人あるいはそれ以上の人々の間でのゲームの調整手段である」とか移設しています。
 また、「会計行為の期間性の多くは2つの理由から生じる」として、
(1)固定資産を利用すること
(2)定期的報告書を作成するために会計帳簿を日々記録紙、締め切り、要約し、監査するための固定費があるということ
の2点を挙げています。
 第10章「意思決定の基準と機構」では、「社会的に望ましい意思決定を定義」するための基本的なアプローチとして、
(1)パレート基準
(2)社会的費用-便益基準
の2点を挙げています。
 第11章「会計の標準化」では、エディとバクスターによる会計基準の類型として、
(1)開示や会計方針の説明のための基準
(2)財務諸表の様式や表示の統一のための基準
(3)特定の事実や不確実性の開示のための基準
(4)会計測定のための基準
の4類型を挙げています。
 また、社会的な選択機構を、
(1)慣習法
(2)市場
(3)国民投票
(4)立法
(5)裁判
(6)官僚制
の6つの範疇に分類しています。
 著者は、会計規則や基準を、「さまざまなエイジェントに対して他者が期待するように行動するよう誘うインセンティブとして理解できる」と述べ、「基準の設定と実施の利点をそれらが社会に課すコストや他の既決と比較考量する必要がある」と解説しています。
 第12章「政府、法そして会計」では、政府が、「少なくとも1つ、あるいはそれより多くの契約上の地位を企業の中で占める」とした上で、「税金の徴収はこれらの役割の中で、最もよく知られており、最も嫌がられているものである」と述べています。
 そして、「たいていの企業では、政府は、徴税者、顧客、販売者といった主要な契約エイジェントとしての役割を果たしている」とした上で、「こうした役割では、政府が企業の会計とコントロールの設計に重要な影響を与えている」と述べています。
 第13章「公共財組織の会計」では、「個人や他の組織が持分請求権を有する組織のことを営利的な、商業的なあるいは公開企業と呼ぶ」と述べ、持分請求権を取り引きする権利は、株主の権利に含まれると述べた上で、営利企業の特徴である「残余利益請求権の存在と、それらを有する株主からの残余利益請求権の譲渡可能性」に対して、「譲渡可能な残余利益請求権」を有しない「無残余利益請求権組織(NRIO: Non-Residual Interest Organization)」を取り上げています。
 また、「勘定を基金と呼ばれるいくつかのクラスに分けることは、NRIOの会計とコントロールの特徴である」として、「各基金はその組織の業務規定に含まれた特定の公共財やサービスと関連している」と解説しています。
 著者は、「公共財を生産する組織あるいは自然独占の状態でして機材を生産する組織のコントロールに必要なものは、競争的な条件のもとで私的材を生産・販売する組織のそれとは根本的に異なる」と述べています。
 本書は、「会計」についてのより深い理解へのきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「会計学」というと、ひたすらルールを暗記し、瑣末な解釈についてあれこれ議論を積み重ねるという点で、経済学部にあって法学部的な分野という先入観を持つ人が少なくないんじゃないかと勝手に想像しますが、会計がどのような機能をもっているか、という観点から分析すると、これほどエキサイティングな分野はないのかもしれません。
 問題は、この本を教科書にしてくれる大学(科目)がどこにあるのか、ということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・会計学は解釈ばかりでつまらないと思う人。


■ 関連しそうな本

 小佐野 広 『コーポレートガバナンスの経済学―金融契約理論からみた企業論』 2005年02月23日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日
 ポール・ミルグロム, ジョン・ロバーツ (著), 奥野 正寛, 伊藤 秀史, 今井 晴雄, 八木 甫(翻訳) 『組織の経済学』 2005年1月24日
 ジョージ・A. アカロフ (著), 幸村 千佳良, 井上 桃子 (翻訳) 『ある理論経済学者のお話の本』 2005年06月03日
 山田 真哉 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』 2005年08月19日
 桜内 文城 『公会計革命―「国ナビ」が変える日本の財政戦略』 2005年02月28日


■ 百夜百マンガ

LOVe【LOVe 】

 同じ作者の『BB』の続編という位置づけですが、青春スポーツ路線から、裏社会~傭兵へと「暴走」(もちろん漫画的醍醐味としては素晴らしい)していった『BB』に比べて正統派ともいえる展開だったのではないかと思います。


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2008年08月01日

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来

■ 書籍情報

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来   【国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来】(#1289)

  富田 俊基
  価格: ¥6300 (税込)
  東洋経済新報社(2006/06)

 本書は、「国債の誕生に遡って、その本質を明らかにし、各国国債の間の金利差が物語る過去を振り返って、わが国の未来に向かって投げかける光を見出そうとするもの」です。
 著者は、国債の歴史を調べる中で、
・ナポレオン戦争時のイギリスとフランスの国債金利はイギリスのほうがはるかに低かった。
・アメリカ南北戦争では、国債の価格を金で表示すると、北部政府の国債の方が金利が低かった。
・第二次大戦中、日本とドイツが戦前に発行したポンド建て国債は、両国のデフォルトと敗戦を予想するかのように、高い金利がついていた。
など、「非常に興味深い事実」を挙げ、「国債金利が戦争の帰趨を予測したり、政府の正当性までも見通していた」ことを指摘し、「国債市場を通して歴史との対話をはじめ、国債を期限から掘り起こし、その本質に迫る」ことによって、「国とは何か、貨幣とは何かという問題を考えることもできる」と述べています。
 そして、国債市場が、「その国の歴史を見事に映し」、「不確実な未来についての人々の変わり行く展望が国債価格に刻み込まれ、その国の未来をも見通そうとしてきた」と述べています。
 序章「市場の警告」では、「国債は、その国の中では、最も信用力が高く最も安全な負債(金融資産)であるので、最も低い金利がついている」とともに、「国際金融市場では、最も信用力と流動性が高い国の国債の金利を基準として、各国の国債金利に信用力に応じた金利差がついている」と解説しています。
 そして、日本国際の金利に、「リスクプレミアムを求められている」にもかかわらず、「歴史的な低水準で推移している」理由について、
(1)市場参加者が将来にわたる短期金利の期待値を下方に修正してきたことの反映
(2)日本銀行の時間軸政策によって、将来の短期金利と期間リスクとが抑制された
の2つの仮説を挙げています。
 著者は、「国債金利にリスクプレミアムが上乗せされることの意味を解明するには、まず国債とは何か、国債の信用は何によるものであるのかが明確にされねばならない」と述べています。
 また、国債の流通市場が、「満期が設定されていない永久債で、政府が償還のオプションを持つ利付国債」である「コンソル」の誕生によって、大きな進展を遂げたと述べています。
 さらに、日本において、「21世紀を迎えても、こと国債と国内貯蓄に関しては、依然として閉鎖経済の考え方が根強く残っている」ことについて、「長かった閉鎖経済の強烈な経験から考え方の体系として固まった思想というべきものかもしれない」と指摘しています。
 第1章「イギリス国債の起源」では、権利章典において、「国王の立法権と司法権が制約され」るとともに、「議会の同意によらない国王大権による資金集めは違法である」として、「課税には議会の承認が絶対に必要であることが定められた」と解説しています。
 そして、1692年に、議会が、「国債に関する最初の法律」を成立させ、「国王の借金に対する議会による保証が、法律によって明示的に付与され、国民の債務つまり国債が誕生した」とともに、1694年に「9年戦争の財源調達法(トン税法)」が成立し、イングランド銀行が創設されたことを解説しています。
 第2章「コンソルの誕生」では、イギリスにおいて、「新たに国債を発行する場合には、それが戦費の調達が目的であっても、また短期債務を国債に整理するためであっても、その利払いの担保となる恒久的な税が必要となる」ため、「戦争のたびに、またその直後に幾種類もの新しい物品税が導入された」として、コーヒー、茶、書籍、トランプ・カード、塩などに新税が課税されたと述べています。
 また、1751年に、「9種類の3%国債の利払いを減債基金から行うこととし、これらの914万ポンドを3%コンソル(Consols Threes)とした」ことについて、「利払い日の統一と、イングランド銀行による一元的な流通管理によって、コンソルの市場流動性が著しく高まった」と述べ、「3%コンソルはこの後発行された国債の主流となり、18世紀末までに最大ロットの銘柄となり、国際市場で活発な取引が行われた」と述べています。
 第3章「アムステルダムの外債市場」では、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)について、「ユトレヒト同盟諸州の商人たちが私有財産権を保護し、規制行為を抑制する支配者に対して議会を通じて税を支払い、これらの制度の下で競争が促されたので、結果的にオランダは持続的な経済成長を達成した最初の国になった」地和尚開始、「交易の量が増大するにつれて規模の経済性が働き、それがオランダ経済の主要な原動力となった」と解説したうえで、商業に加え、「金融面においても世界で卓越した機能を果たしていた」として、「ヨーロッパ金融市場の中心地アムステルダムは、低金利を背景に外交貿易に対してだけではなく、外国政府にも資金を供給」され、「各国の国債金利には、信用力格差が反映されていた」と述べています。
 そして、アムステルダムでの外国債の信用評価の方法について、情報が不完全であった時代の投資家は、新顔債を、「買い手が十分な情報を持っていない商品」である「レモン」と見なし、「新顔債に対しては既往銘柄にリスクプレミアムを上乗せした高い金利をつけ、元利償還が確実に行われたか否かを10年以上にわたって監視するという方法をとったのではないか」と解説しています。
 第4章「ナポレオン戦争で試された英仏の国債市場」では、ナポレオン戦争における戦費調達に関して、「両国の戦費調達の方法は極めて対照的であった」として、「戦費をインフレ的にファイナンスしたのは、フランスではなくイギリス」であり、「イギリスは金兌換の停止に追い込まれ、大量の国債を発行し、物価上昇とポンド下落に見舞われた。一方、ナポレオンのフランスは戦費を国債ではなく税金でファイナンスし、金銀本位制を維持した」と述べ、「それは長い歴史の中で形成されてきた両国の国債に対する信任の差に起因するものと理解することができる」と指摘しています。
 そして、ナポレオンが、「国債不発行の方針を貫き、金銀複本位制を維持した」にもかかわらず、「国債を低い金利で大量に発行できるほどにはフランス国債の信認が回復したわけではなかった」ことを指摘しています。
 第5章「ヴィクトリア朝の黄金期」では、「ヴィクトリア朝時代にイギリスの国債市場は黄金期を迎えた」として、その背景について解説しています。
 そして1877年に、ディズレイリ政権のノースコート蔵相が、「大蔵省証券(Tresury Bill)法」を成立させ、「その形態は、シティの市場関係者の要請を受け、割引形式とし、満期は1年以内で通常3ヶ月で、入札による発行と定められた」と述べ、「財政運営と金融市場の双方の要請をうけて、TBの発行量は増大し短期金融市場の中核を占めていく」が、「TBが公開市場操作に用いられ、金融政策上大きな地位を確保していくには、第一次世界大戦以降まで待たねばならなかった」と解説しています。
 第6章「南北戦争:グリーンバックとグレイバック」では、南北戦争期のアメリカを、「多様な政府債務が多数登場し、およそへ維持では観測できない現象が発生し、あたかも経済の実験室のようであった」と述べています。
 そして、南部政府の発行した国債の価格が、「グレイバック紙幣の大増刷と内戦の大混乱」の中においても、「極めて安定した推移をたどった」が、「金価格で表示した南部政府の国際の価格は大暴落しており、金利は実に200%を超えて上昇していた」と述べています。
 第7章「明治政府と国債」では、維新当時、「多様な貨幣や藩札が流通しており、しかも海外の金銀比価の動向にも左右され、幣制は著しい混乱に陥っていた」とともに、「新政府の財政は旧幕藩の累積債務の処理、武士への家禄支給という巨額の歳出要因を抱えた一方、税は現物納であり、徴税権は全国石高の3割にも達しない直轄地にしか及んでいなかった」と述べています。
 そして、「旧藩債の処理や秩禄処分など旧体制解体と、政府紙幣の整理、銀行の創設、殖産興業などわが国経済の近代化のプロセスは、国債と極めて密接なかかわりをもって進展した」と述べています。
 また、円の誕生について、金本位制とした理由として、
・欧米主要国での潮流
・1両(万延二部金2枚)が1アメリカ・ドルにほぼ等しいこと
・「両円対当」とすることで1両=1円という読み替えで新通貨に移行できるという連続性を保つことができる
などの判断によるものであったと推測しています。
 さらに、日本が初めて国債を発行したのが、1870年4月23日(明治3年3月23日)であり、「九分利付英貨公債」が、「国内においてではなく、ロンドンでポンド建てで発行された」と述べ、同年のイギリスのコンソル金利が年平均3.24%であったのに対し、「日本国際に極めて大きい信用リスク・プレミアムが求められた」理由として、「国際金融市場ではニュー・フェース(新顔)の国債は外見からはないようが判断できない『レモン』とみなされ、既往銘柄よりも高い金利を求められたことに照らして考える必要がある」と述べています。
 著者は、明治政府が、「わずか10年近くの間に、地租改正と新地税の導入、秩禄廃止と金禄公債の交付という、歳出入両面の構造改革を成し遂げた」ことについて、「西南戦争前に経常的な歳出入の均衡を実現した」と述べています。
 第8章「ロンドン外債市場」では、「19世紀半ばから第一次世界大戦が勃発するまでの間は、財貨、資金、労働力が国境や大西洋を自由に行き来したグローバル経済の時代であった」として、「巨額の資本移動が持続」し、「ロンドン市場はいかにして卓越した地位を築いた」のかという問題について、「各国の国債に求められた信用リスク・プレミアムに着目」し、「ヨーロッパ主要国の国債市場と債務国の資金調達など」を論じています。
 そして、1848年のパリ二月革命で、「ヨーロッパ大陸の国債市場は19世紀最大規模の同様に見舞われた」が、「イギリス国債の金利だけは低下していた」ことについて、「ヨーロッパ大陸の投資家は、既に1832年に賛成権を拡大し、46年に穀物条例を廃止していたイギリスに革命が波及することはありえないと確信し、ヨーロッパ大陸諸国の国債を売却して、イギリス国際に資金を逃避させたもの」と類推しています。
 また、ヨーロッパ主要国は1870年以降、他の国々は1890年代以降に、「ネットワーク効果と国際金融市場での『承認の印象』を求めて、国内政策に厳しい制約を課して、次々と金本位制を採用するようになった」として、「金本位制の採用と国境を越える生産要素の異動とが互いに因となり果となって進展していった」と述べています。
 さらに、「日本での重要な経済改革因は顕著な反応を示さなかったロンドンの投資家」が、「金本位制への以降にはリスクプレミアムの顕著な縮小という形で反応した」点について、「金本位制はさまざまな国内改革の集大成であり、将来にわたって財政金融政策を規律づける役割が期待できること、そして、投資家にとってはこれらの事情を集約的に示すきわめて簡便な指標であったということができよう」と述べています。
 第9章「ワイマール共和国のハイパー・インフレーション」では、第一次大戦旧戦後のドイツが大戦前の1兆倍というハイパー・インフレーションを経験したことについて、その発生と収束について、「賠償金の支払いをめぐる国際交渉がインフレ期待に与えた影響」を中心に検討しています。
 第10章「帝政ロシア国債のデフォルト」では、「ソビエト政府によるデフォルト宣言にもかかわらず、帝政ロシアの国債価格は即座に暴落しなかった」問題について、「ソビエト債務履行拒否のパズル」と名付けられていることを紹介したうえで、「ロシアに対する最大の債権国であったフランスにおけるソブリン・デフォルトに関する過去の経験が、フランスの帝政ロシア国債の保有者にデフォルト宣言後もそれが撤回され、部分的であっても債務が履行される可能性を抱かせたものと考えられる」と解説しています。
 第11章「イギリスの5%戦争」では、19世紀のコンソルを中心とした政府の資金調達における「大変化」について、
(1)大蔵省証券の発行と中央銀行借入れに加えて、政府紙幣も発行されたこと。
(2)TBの発行方法が、1877年から採用されてきた価格競争入札(テンダー方式)から、一定の金利で常時売り出すタップ方式に変更されたこと。
(3)期間3~10年の国庫債券、国民軍事債券と呼ばれた中期国債が発行されたこと。
(4)長期国債の発行に際しては、利子課税や相続税の減免や、後から発行される国債に乗り換える権利などの恩典が付与され、国債が発行されるたびに条件が投資家に有利となったこと。
(5)国民軍事債券や戦時貯蓄証書などの形で国債の個人消化が促進されたこと。
(6)ドル建てや円建てという外貨建てのイギリス国債が初めて発行されたこと。
の6点を挙げています。
 また、第一次世界大戦後に、「国債の累積が続き、その負担が著しく増大した」にもかかわらず、「イギリスは、名誉革命以降の伝統を守り、デフォルトを起こさなかった。しかも、景気後退の中で高金利政策を採用し、1925年5月に金本位制に復帰し、すべての債務を旧平価で償還することにコミットした。その後も、金本位制を維持するための緊縮的なマクロ経済政策を採用した」理由について、「第一次世界大戦後に国際金融市場におけるロンドンの地位がウォールストリートに脅かされ、ポンドとコンソルの信任向上がかつてないほど大きな課題とされたから」であるとする仮説を紹介しています。
 第12章「ポワンカレの奇跡」では、ハイパー・インフレーションの瀬戸際にまで追い込まれたフランスが、「26年7月23日にポワンカレが政権に返り咲き、危機は急速に収束に向った」ことについて、「ポワンカレの二度目の安定化策には、財政黒字化、金利引き上げに加えて、次から次に満期を迎える政府短期証券の整理のための方策が盛り込まれた」として、「政府から独立した金庫が、タバコ専売益金などの特定の財源を担保に長期債を発行して、政府短期証券を償還するという方法」を挙げています。
 また、「ポワンカレが政府債務と為替減価の問題を直接に取り扱うのではなく、信認回復に向け」、
(1)資本課税を否定した抜本的な税制改革
(2)フランス中央銀行が公定歩合を引き上げ、通貨当局がフラン安定化に望む断固たる姿勢を明確に示した。
(3)市場に累積し次々と満期を迎えるディフェンス・ビルの整理を進めた。
の3つの政策を採用したことが、安定化に大きな効果を持ったと述べています。
 第13章「国債の日本銀行引受」では、「日本とドイツの国債金利は統制によって、見かけ上アメリカやイギリスの金利との連動性を強めたに過ぎない」ことを指摘し、「主要国の国債金利が連動性を高めたので、日本での資本流出規制は機能しなかったというのは、因果の読み違えといわねばならない」と述べています。
 また、1937年の日中戦争勃発により、「四分利付英貨公債の金利はふたたび10%を突破」し、日独伊三国同盟が締結された40年9月には21%に上昇したことなどを挙げ、
「ロンドン市場では、わが国の敗戦とその後のインフレを予想していたかのように、日本国際はジャンク・ボンドに墜ちていた」と述べています。
 さらに、「金本位制の下では機能していた財政規律メカニズムが、金本位制の離脱とともに失われた。あるいは、自由な資本移動が停止されて財政節度を失ったといった方が性格かもしれない。そして、いったん始まった国債の日銀引受が財政節度を弛緩させ戦費調達を促進し、歯止めのない国債の増発、戦争の拡大、そして戦後のハイパー・インフレーションに繋がっていった」とする鎮目の指摘を紹介しています。
 第14章「ナチスの国債」では、「物価と賃金の統制が次第に強化され、物価は外見上安定を保ち、貯蓄が増大した」ことについて、「ナチスの大々的な反ユダヤ等のプロパガンダによってハイパー・インフレーションの記憶が薄れ、国民が貨幣錯覚に陥ったためと見ることもできる」と述べた上で、「大量の国債が発行され、終戦時には国内金融資産の95%を国債が占めた」と解説しています。
 そして、ヒトラーが、巨額の戦費調達のために、「資本移動を規制して資本逃避を防ぎ、国内では民間投資を制限した。消費財の生産が抑制されたので、国民は消費の機会を制約された。このため貯蓄が金融機関に積みあがり、政府は国際を金融機関に直接発行した。さらに、政府は国営化された中央銀行から無制限にファイナンスすることができた」と述べ、「巨額の国債が物音一つ立てずに消化」されたとしています。 著者は、大量の国債が、「公営金融機関と民間の銀行や保険会社によって直接に消化され」、「市場での金利上昇、増税に対する国民の反発、そして国債を強制的に保有させることに伴なう心理的抵抗を回避し、『物音一つしない』、『円滑な方法』で大量の資金が調達された」と述べ、「こうして大量の国債が、低い金利で閉鎖経済の中に詰め込まれていった」と指摘しています。
 また、「ヒトラーが政権を掌握して以降の内国債の金利低下とポンド建てドイツ国債の金利上昇」が、「満州事変勃発以降のわが国の内国債とポンド建て国債の関係に極めて類似している」ことを指摘しています。
 本書は、国債の金利という指標の一つを追うことで、国際政治に対する市場の冷徹な観察を明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、市場というメカニズムが、世界の知恵を集める上で、いかに人智を超えた能力を発揮するかをまざまざと見せ付けられる気がします。
 『みんなの意見は案外正しい』ではないですが、市場が持つこの能力を、現実に近い形でわかりやすく解説する理論はないものでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・国債は利率も低いし、あまり面白くないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい』 2006年08月29日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日
 鶴 光太郎 『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』 2007年05月23日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日


■ 百夜百マンガ

のたり松太郎【のたり松太郎 】

 相撲取りは、技や体格があるのはいいに超したことがありませんが、「怪力」という字に現れている「怪しげ」な感じが人をひきつけるのではないかと思います。


投稿者 tozaki : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月31日

論理と心理で攻める 人を動かす交渉術

■ 書籍情報

論理と心理で攻める 人を動かす交渉術   【論理と心理で攻める 人を動かす交渉術】(#1288)

  荘司雅彦
  価格: ¥735 (税込)
  平凡社(2007/8/11)

 本書は、交渉術について、著者が学んできた「理論」に、著者自身の「経験知」を融合させ、「それを誰にでも理解できるように、分かりやすく噛み砕いて説明したもの」です。
 著者は、「交渉術」を、「究極的に社会全体の利益を高めることを目的としたスキルで、理論と実際の経験知の融合によって生み出されるスキルである」と定義しています。
 第1章「相手の心をつかむ――交渉の心理学」では、交渉理論について、「1980年代にアメリカで一つの重要な学問分野となり、近年は経済的利益だけでなく、人間の感情や心理面にもスポットが当てられるようになってきた」と述べています。
 そして、交渉に当たって重要なこととして、
(1)交渉相手は「常識を備えた対等な人間」であることを前提とすること
(2)相手の主張にはそれなりの意味があることを認識し、しっかり耳を傾けることで以下の効果が期待できる。
 (a)ガス抜き効果
 (b)自分が話を「聴く姿勢」をもっていることを、相手にはっきり示す
 (c)相手の主張を全部聴いてしまって、「隠し球」や「後出し」を封じてしまう
 (d)どんどん相手に話をしてもらうことは、相手を自発的に自分御側の情報を次々と開示していくことになる。
などの点を挙げています。
 また、古典的な交渉テクニックとして、
(1)ドア・イン・ザ・フェース・テクニック:最初に大きな要求をして、譲歩という「貸し」をつくってから目的を果たす。
(2)フット・イン・ザ・ドア・テクニック:小さなコミットメントから始めて、大きな要求をしていく。
(3)権威のある材料:交渉のイニシアティブを握りやすくなる。
などの点を挙げています。
 第2章「心を揺さぶる、感性の交渉――ストーリー理論」では、「パワーポイントでの数字や図表の羅列ではなく、優れたストーリーによってこそ人を説得できる」という「ストーリーテリング」について解説し、その最終目的は、「理屈抜きに、観る者、聴く者の『心情』や『感情』を大きく揺さぶることにある」と述べています。
 そして、「交渉」の場において、「相手の『心情』に訴える『具体的事実の提示』は極めて有効」であると述べています。
 第3章「落としどころを見極める――ゲーム理論」では、「交渉というものは、相手の戦略を予想して自分の戦略を立て、相対する形をとるものですから、『ゲーム理論』の理解なくして戦略立案はできない」と述べています。
 また、交渉の落としどころとして、
(1)成立の落としどころ:双方の利益が重なり合う場合、その範囲内であれば必ず「落としどころ」がある。
(2)絶対に成立しない双方の利益が重なり合わない。
の2種類があると述べた上で、「『落としどころ』というのは、交渉の場合、双方が持っている情報を基準にして、どちらも完全な満足は得られないが、成立させないよりははるかにいい。と判断できる条件」であると解説しています。
 さらに、「交渉の武器」となるものとして、
(1)代替的選択肢(BATNA: Best Alternative to a Negotiated Agreement)
(2)オプション:オプションをたくさん持っていることを相手に示すことは、相手をして一目置かせる効果がある。
(3)時間的コスト:合意にかかる時間価値が、他方より安いほうが交渉では有利
の3点を挙げています。
 第4章「確実に攻めるためのツール――クリティカル・シンキング」では、クリティカル・シンキングについて、「論理を最重要としているのではなく、論理を使って検証するように物事を見る」ことであると解説しています。
 そして、クリティカル・シンキングのツールである「演繹法」と「帰納法」について、「この2つのツールを用いることによって、最低限、筋の通った説明ができる」上、「論理的に破綻のない文書を書く基本」でもあると述べています。
 また、帰納法が、「発見した『事象』の質や量、そして『結論』にいたるまでの因果関係が、主観に左右されやすいという欠点」を指摘しています。
 さらに、「もれなく、ダブりなく」という「MECE」(Mutually Exclusive and Collective Exhaustive)について、「極論すれば、ピラミッド構造にならないような主張は、理由のない感情論か、論理破綻を来たした主張ということ」にあると指摘しています。
 第5章「機先を制する交渉のスタイル」では、交渉のときの服装について、「交渉の場では、できるだけきちんとした服装が好ましい」ことについて、「『権威への服従』という心理学的な効果を相手に与える」と述べています。
 また、「相手の情報はなるべくたくさん収集したほうがよい」として、「こちらの情報をまず出させることが大切」だと述べています。
 本書は、交渉理論の基本をコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「交渉術」というと労務交渉の専門家とかビジネス交渉の専門家とかが書いているイメージがありますが、日本の弁護士がこういう本を書いてくれること自体が価値があると思います。内容的には特に目新しいところはないのですが。


■ どんな人にオススメ?

・「交渉術」が実際の交渉で使われているか疑問がある人。


■ 関連しそうな本

 マックス H・ベイザーマン (著), マーガレット A・ニール (著), 奥村 哲史 『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』 2005年07月04日
 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 フランク・ベトガー (著), 土屋 健 『私はどうして販売外交に成功したか』 2006年11月17日
 印南 一路 『ビジネス交渉と意思決定―脱“あいまいさ”の戦略思考』 2005年6月28日
 鈴木 有香 (著), 八代 京子(監修) 『交渉とミディエーション―協調的問題解決のためのコミュニケーション』 2005年09月30日


■ 百夜百マンガ

ラーメン発見伝【ラーメン発見伝 】

 ラーメン王が関わっているからかリアリティのある作品というものになっていますが、ラーメンというものに対する日本人のこだわりの強さを感じる作品です。

投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月19日</