2008年08月03日
過疎地で快適に暮らす。
■ 書籍情報
【過疎地で快適に暮らす。】(#1291)
鷲田小彌太
価格: ¥1575 (税込)
エムジー・コーポレーション(2007/10/29)
本書は、働き盛りの30年間、過疎地で快適な生活を送ってきた著者がお薦めする「快適な過疎地暮らし」のガイドです。
序章「過疎地が呼んでいる」では、過疎地で暮らした30年間を、「私にとって最も仕事が充実した時期」であると語った上で、過疎地にこだわる最大の理由として、「過疎地に住まいの拠点をおく生活が、都会や田舎に拠点をおく生活よりも快適だ、という長い経験則に支えられている」と述べています。
第1章「『地方の時代』とは『過疎地の時代』のことです」では、「過疎地にないもの」として、
・公共交通機関
・商店
・電気
・ポスト
・電話
・水道
を挙げる一方で、「過疎地にあるもの」として、
・闇と光
・キノコや山菜
・静寂
・イヌの放し飼い
を挙げています。
また、「過疎地の敵」として、
・身の丈の雑草
・害虫
・自然の雑木
・イタチ
・ナズミ
・キツネ
などを挙げています。
さらに、過疎地の住居について、古民家や丸木小屋の不便さを指摘し、「ロマンのために家族の生活から利便性を奪うと、総スカンを食らう」と述べ、快適に暮らすために気をつけたいこととして、
(1)家の大きさは必要最小限
(2)可能な限り、普通の生活スタイルをスムーズに行うことができる設備
(3)風雨雪に強い家にする必要
(4)土台=基礎は完全にすること
などを挙げ、「大事なことは、奇を衒わないこと」だと述べています。
第2章「快適な時間と空間を生きる」では、「過疎地で住む最大の『快』」として、「『人がいない風景』に出会う」ことを挙げています。
また、「過疎地で住みはじめた瞬間、その恩恵をいやというほど味わうことができるもの」として、「闇」を挙げ、「『闇』はいまや希少価値になったのだ」と述べています。
第3章「日本国中過疎地だらけ。よりどりみどりだ」では、「『過疎地』と『田舎』は同じではありません」と前置きし、「過疎地とは、第一に、かつて人が住んでいて、いい間は住まなくなった地区のこと」であり、「すぐにでも人が住むことのできる場所」だと述べています。
そして、「勤めがあるにしろ、退職後であるにしろ、過疎地暮らしをはじめようとするなら、候補地として、都心から『1時間が至近距離』というのが目安になる」と述べ、「勤めがあるならば、2時間以内ということが条件」であると述べています。
著者は、「過疎地暮らしは、都会や田舎と違って、自由に、気儘に生活したい、というのが原則になる」として、「そのための工夫は、当然、考えて、実行しなければなりません」と述べています。
第4章「過疎地で快適に暮らした」では、「生きることの中心に仕事を置き、その仕事に存分に打ち込むこと」ができたことが、著者が「過疎地暮らしを快適に送ってきたことの第一で最大の証拠」だと述べています。
第6章「過疎地は近くにもある。だが近すぎると後悔する」では、著者の胸中を、「退職したら、鴨川に住もう。」というフレーズが鳴っていると語り、千葉県は房総の鴨川を、東京から車でも電車でもバスでも2時間、という遠さを挙げ、「ここから都心に通うのは困難ですし、気が重いでしょう。でも、定住するのなら、と都心までつかず離れずの距離で、公共交通機関もあるので、ちょうどいいのではないでしょうか」と「鴨川に行ったこともないのに」そう思うと語っています。
そして、「海から最低でも10キロ離れた山側で、高台であっても、できるなら海が見えないところがいい」と語っています。
第7章「退職後は過疎地で」では、「退職後の生活が『余生』ではなく、最低でも20年間続く」ことを、「決して疎かにできない、人生上の大問題」だと述べ、「あれもこれも、つれあい次第だ」と述べています。
本書は、都会に住んでいる人にとっても、田舎にすんでいる人にとっても、夢と希望を与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
「田舎暮らし」という言葉がありますが、特に定年退職後に、ほんものの「田舎」に突然やってくることは、相当ハードルが高いんじゃないかと思いますが、著者が提唱しているような「過疎地暮らし」の方が、むしろイメージに近いんじゃないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・「田舎」=「過疎地」だと思っている人。
■ 関連しそうな本
鷲田 小彌太 『夕張問題』 2007年12月05日
保母 武彦 『夕張破綻と再生―財政危機から地域を再建するために』 2007年08月08日
松本 武洋 『自治体連続破綻の時代』 2007年01月04日
吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
西中 真二郎 『市町村盛衰記―データが語る「日本の姿」』 2008年02月05日
佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日
■ 百夜百音
【あゝ、我が良き友よ】 かまやつひろし オリジナル盤発売: 1975
1970年代の段階で青春時代を振り返る曲だったわけなのですが、となるとこの曲の舞台の「古き時代」は1960年代前半くらいなのでしょうか。
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2008年07月27日
日本の地籍―その歴史と展望
■ 書籍情報
【日本の地籍―その歴史と展望】(#1284)
鮫島 信行
価格: ¥2940 (税込)
古今書院(2004/05)
本書は、「一筆ごとの土地の所有者、地番、地目(土地の用途)、境界、面積を調査し、その結果を地籍簿と地籍図にまとめる作業」である「地籍調査」について、その「歴史と現状」を知ってもらうことで、「国民理解の一助となり、その促進に」貢献することを目的としたものです。
そして、「日本の地籍調査は平成14年度末でまだ45%しか進んでおらず、登記所に備え付けられている約600万枚の図面の半分近くは公図と呼ばれる、明治時代に遡るもの」であるとして、「公図のもつさまざまな問題を理解してもらい、地籍調査の促進が国土の利用保全や都市の再生にとって不可欠であることを知ってもらうこと」を、もう一つの目的としたものです。公図は、明治初期の地租改正の際に、「土地所有者が役人の指導を受けながら作った地引絵図」を基に作られたもので、「正確には現地と一致しない」と述べ、「明治政府は地租改正に当たり一間を六尺とする基準を定めたが、地方によっては太閤検地以来の六尺三寸や、さらに古い六尺五寸が使われたところがあり、また田の長さも畦(あぜ)の中心ではなく縁から図られたというようなこともあり、地籍(土地の面積)が実際よりも小さめに記録されることになった」として、これを「縄伸び(なわのび)」といって、「現在の調査で地籍を測りなおすと登記簿より増えることが多く、過去に行なわれた調査結果では、地籍調査完了地区で平均2割程度の縄伸びが報告されている」と述べています。
序章「検地の時代」では、江戸時代の検地において、
・1間を6尺、1反を300坪(歩)とし、検測は6寸(10分の1間)単位で行い、6寸未満の端数は切り捨て
・陰地は検測の際に差し引く
・検測は田の畦際(あぜぎわ)から1尺置いた位置から行う
・縄だるみ(縄のたるみを補正する目安)
・縄心(なわごころ、過酷な年貢に対する配慮で、検測あたりを割り引いて記録した慣例、一般的には長辺2割引、短辺1割引だった。割り引かれた数字は実測地の隣に朱書きされたため、この慣例を「朱間を切る」といった)
・四壁引き(屋敷地の広さに応じ四方の境から1尺~1間をおいて検測する慣習で、四方引きともいった)
などの旧例を紹介しています。
第1章「地租改正と地図」では、明治5年、明治政府が、「全ての私有地に地券を交付し、所有権の公証を行なうこと」を決め、これを「壬申地券」と呼び、「地券の交付のためには、土地の位置の明示と一筆ごとの反別(面積)、地目、地価及び所有者の確認が必要」であるとして、「地番の付与と土地調査が実施された」と述べています。
そして、改租作業について、「郡村の境界を更正し、土地の広狭を丈量し、其所有を定め、其名称を区別し、地価を定め、地券を渡す」ことであったと述べています。
また、丈量(測量)の基準として、地租改正事務局が、「1間を曲尺の6尺、1反を300歩とする基準」を定め、「調査に使用する間棹(けんざお)は6尺に砂摺(すなずり、摩擦シロのこと)1分(約3ミリ、両端に5厘ずつ)を加えた6尺1分棹とすることが規定された」が、この通達が遅れたため、
・太閤検地以来の中検(6尺3寸)
・古検(6尺5寸)
・1反を360歩とするような太閤検地以前の旧慣
が使用された府県もあったと述べています。
さらに、地籍編成事業について、地租改正事業とほぼ同時期の明治6年12月に、「土地に関する基礎資料を整備するための地籍編成事業を行う旨、各府県に布達した」が、「まさに改租事業の真っ只中」であったため、多くの府県で地籍編成事業は先送りされ、西南戦争の影響による中断などを経て、「10年以上の歳月をかけてもなお完成に至らず」、明治23年に「内務省地理局が廃止されるにおよび取り止めとなった」と解説しています。この地籍編成事業の目的は、「官民を問わず全国全ての土地の境界を正し、地籍・所有を詳細に明示し、外に対しては国境を括弧たるものとし、内に対しては百般の施策の基本となし、国民に対しては境界争いを防止するもの」とされ、「これは現在の地籍調査の目的に通ずる」と述べています。
また、区画整理事業について、「地籍の明確化という点で区画整理事業にまさる手法はない」が、「地籍の混乱が区画整理事業の実施を阻んでいるケースも多い」と述べています。
第2章「地籍調査の時代」では、昭和25年の国土調査法について、その「制定に最も熱心だったのは農林省だった。背景には昭和22年(1947)より開始された農地改革があった。農地改革では、国が農地を買い上げ小作人に譲渡したが、登記簿上の面積や土地台帳附属地図の位置表示が不正確だったことから配分に混乱が生じ、地籍の明確化が求められていた」と述べています。
そして、「法定外公共物」と呼ばれる、「法律上の管理の対象となっていない公共物の総称」について、「通常普通河川(青線)や里道(赤線)等と呼ばれ」、其起源は、「明治時代の地租改正で官有地(国有地)と民有地が区別されたことに遡る」と述べ、「法定外公共物の管理は公に土地法の二元管理となっていた上、機能管理について定めた法律がなく、経費の負担や管理責任が明確でないなど、数々の問題があるとされてきた」と述べています。
第3章「地籍調査の現状と課題」では、「一筆地調査で最も大事なこと」として、「修正主義の採用」を挙げ、「地籍調査はもともと存在した筆界を現地で再確認し明確化するもの」であり、「権利関係や現地の筆界を変えることなく、地図を修正する作業」であるのであって、「過去に確認された境界ではなく、現に存在する境界を新たな筆界として調査すること」を意味する「現況主義」を用いると「権利の侵害が生じる恐れがある」ことを指摘しています。
そして、昭和26年の開始以来、既に半世紀以上が経過した地籍調査事業が、平成14年度末の全国進捗率は45%にとどまり、「中でも都市部の進捗率は18%と送れば目立ち、とりわけ三大都市圏周辺部の遅れが著しい」ことを指摘しています。
また、一筆地調査では、「土地所有者の立会いが必須なため、相続登記が行われていなくても、調査実施者は相続人を追跡しなければならない。何代も相続登記が行われていないときは、一筆当たりの法定相続が数十人に上るようなケースも生じ、地籍調査にとって大きな障害となる」と述べています。
第4章「諸外国の地籍調査」では、「世界史的にみて、19世紀は地籍調査の時代だったといえる」として、フランスの「ナポレオン地籍」をはじめとして、ドイツ、オーストリアならびにイギリスの地籍図の現状を紹介しています。
そして、フランスにおいて、1808年から1850年に実施された地籍調査の成果を、ナポレオンの名をとって「ナポレオン地籍」と呼ばれていると述べています。
また、イギリスについて、厳密な意味では、「わが国や他のヨーロッパ諸国のような境界確認に基づいた地籍はない」が、「見方を変えると地図はあくまでも参考で、実際の境界は当事者が管理するという英国流見識の流れと見えないこともない」と述べています。
終章「地籍システムの構築に向けて」では、「国家座標(三角点網)に基づく測量によって作られたヨーロッパ諸国の地籍図と、農民自らが図って作った地引絵図では、策定目的は同じでも地図の有用性という点でまったく異なる」ことを指摘した上で、地籍調査事業が、「今のペースで行けば完了までにまだ100年以上を要する」と述べ、「関係各省庁・団体、地方自治体、国民が連携し、こうした地籍システムを一日も早く作り上げていくことがこの国のさらなる発展の礎となる」と述べています。
本書は、私たちの暮らしている土地が、意外ともろい基礎(明治時代の農民と村役場の役人による図面)の上にあることを教えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
GISとかいろいろ地図をめぐる技術は進んでいて行政の中にも取り入れられているのですが、その基礎となる境界をめぐる権利関係はGISとかを導入してそうな都市部の方が進んでいないというのは難しいところです。
学生時代に測量のバイトをしたことがありますが、ポールを真っ直ぐ(上部の丸の中から泡が収まるように)持っていなければならず、塀の上とかでは結構苦しかったような記憶があります。
■ どんな人にオススメ?
・土地の境界は決まっていると思う人。
■ 関連しそうな本
藤原 勇喜 『公図の研究』 2007年12月07日
佐藤 甚次郎 『公図 読図の基礎』 2007年06月18日
ジョン・ノーブル ウィルフォード (著), 鈴木 主税 (翻訳) 『地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史』 2007年01月01日
今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』 2007年02月25日
滝島 功 『都市と地租改正』 2008年03月13日
■ 百夜百音
【エッセンシャル・ベスト リンリン・ランラン】 リンリン・ランラン オリジナル盤発売: 1974
右と左のどちらがリンリンかわかりますか?
香港出身で、インディアンにもインド人にもまったく縁はないですが、なんでこんなコンセプトが出てきたのでしょうか。
それはともかく、筒見サウンドはやはりよいわけです。
『筒美京平 ULTLA BEST TRACKS / SOUL & DISCO』
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2008年06月01日
ヨーロッパをさすらう異形の物語―中世の幻想・神話・伝説 (下)
■ 書籍情報
【ヨーロッパをさすらう異形の物語―中世の幻想・神話・伝説 (下)】(#1228)
サビン・バリング=グールド (著), 池上 俊一, 村田 綾子, 佐藤 利恵, 内田 久美子
価格: ¥2310 (税込)
柏書房(2007/09)
本書は、1875年に出版された『中世の奇妙な神話』の全訳の下巻で、「中世を代表する伝説たちが一堂に会している」もので、「古典的地位を保っている」とされています。
監訳者は、「古今東西の神話・伝説を自家薬籠中のものにして、つぎつぎ関連付けていくきらびやかな博識の本書は、翻訳者泣かせでもある」と述べています。
第14話「聖ウルスラと一万一千の乙女」では、「中世の伝説には美しいものもあれば、奇怪なものもあるし、不快に感じるものもある」としたうえで、「美しいのは見かけだけで、ちりと灰が詰まった異教の『ソドムのリンゴ』であることもよくあること」であると述べ、「この興味深い物語」が、「勘違いと捏造だらけだった」として、「こんな神話はほかに類を見ない」と述べています。
第15話「聖十字架伝説」では、「私個人としては、世界中の人々の間で存在していた従事が、いにしえの宗教の一部を作ったという考えに異論はない」と述べ、「十字は、命や水を通じての復活の象徴として世界中で扱われている。夜の時代である中世二十次が残して言った影、さまざまな国に落としていったその影は、私たちが考えているよりもずっと深いのかもしれない」と述べています。
第16話「シャミル」では、ソロモン王がつくった荘厳の神殿が、「神殿の建築は、石切り場でよく準備された石を用いて行われたので、建築中の神殿では、槌、つるはし、その他、鉄の道具の音はまったく聞こえなかった」とされていることについて、「祭壇をつくるときに鉄の道具を使うことが禁じられた理由は、ミシュナにある――鉄は命を削ってきた。祭壇は命をのばすもの」であると述べています。
そして、ソロモンの賢い部下たちは、「祭司長がつける裁きの胸当ての宝石」を彼に見せ、「宝石は、それよりも硬い何かで削られ磨かれていた。その何かとは、シャミルschamirといい、鉄の道具では無理なところも削っていた」と語り、ソロモンが精霊たちを呼び寄せ、シャミルのいる場所を尋ねたところ、「シャミルは大麦の粒ほどの大きさの虫だが、とても強力で、フリントでも歯が立たないほどだと」と告げられたことが述べられています。
また、「シャミルは命を与えるちからをもっている」という名神もあるとして、「これにはおそらく、鳥あるいはイタチが、不思議な草を使って死体を生き返らせたという物語が関係していて、これらは、中世にかなり広まっていた」と述べています。
さらに、北方に伝わる「栄光の手」について、「絞首刑になったものの手であり」、・人間の手首を死衣にくるんで、しっかり血抜きをする。
・完全に粉末状にした硝石、塩、インドナガコショウと一緒に陶器の中に入れる。
・二週間つけたままにして、よく乾燥させる。
・猛暑の時期の太陽にさらして、完全に乾かしきる。
・絞首刑になった者の脂肪、採りたての蜜蝋、ラップランド製のゴマでろうそくを作る。
という製造方法を解説し、このおそろしい手にまつわるいくつかの話が、ヘダーソンの『イングランド北方の民間伝承』に載っているとして、そのひとつを紹介しています。
著者は、「錠を吹き飛ばし、石を粉々にして、秘法がずっと隠されていた山を開かせる。あるいは、しびれさせ、魔法の眠りに誘い、命をよみがえらせる」というさまざまな物語が伝えていることはひとつであり、同じことを主題にしている、「それはつまり、稲妻である」と述べ、「鳥によって運ばれる、石を砕くシャミル、虫、小石」とは、「嵐雲だ」と述べています。
そして、「気まぐれな人間の心は、驚きをもたらすものを説明する理由を探して、次から次へと仮説を立てていった。そして、却下されていった説の数々は、神話として国々の記憶には残らず、神話の真意は忘れ去られてしまったのだ」と解説しています。
第17話「ハーメルンの笛吹き男」では、ゲーテの『魔王』や、「魔力のある歌声を持つ有名なセイレーンの物語』との類似点を指摘しています。
第18話「ハットー司教」では、飢えた貧しい人々を納屋に押し込め、納屋に火を放ち、「国に感謝してもらわねば、この絶望的なご時世に、穀物を食いつぶすネズミを退治したのだから」と言ったハットー司教が、翌日無数のネズミに食い殺された物語を紹介した上で、「これらの物語は、飢饉のときにキリスト教以外の信徒が人間の生贄をささげたことがもとになっている」と解説し、ハットー伝説は、「飢饉のときに指導者や王子を生贄にささげる風習と、その生贄をネズミに食わせることを伝えている。こうした供儀をおこなう理由が忘れられたときに、神の罰が下り、苦しむ人々によるむごい仕打ちや殺人、聖職者への暴力となって現れるが、これはなんら不思議なことではない」と述べています。
第19話「メリュジーヌ」では、森の中の泉のそばで出会った乙女、メリュジーヌを妻に迎えたレモンダンが、「毎週土曜日には彼女一人で私室にこもり、彼は絶対にそれを邪魔してはならない」という約束を破り、「彼女の下半身が、醜い魚もしくは蛇の尾に変わっていた」のを見てしまい、「この蛇女め、私の高貴な血筋を汚しおって!」と声を荒げたところ、「新たな城主が誕生するときには、あなたと、あなたの子孫は、この美しいリュジニャン城の上を飛び回る私を見るでしょう」といって、窓から飛び立ったという伝説を紹介しています。
第23話「サングリアル(聖杯)」では、「キリストが槍で刺されたとき、脇腹から血と水が流れ出た。アリマタヤのヨセフが、救世主が最後の晩餐で使った器でその血を受けた」として、42年もの間、地下牢につながれたヨセフは、「もっていた聖なる器から栄養と英気を与えられた」という伝説を伝えています。
また、テンプル騎士団が、偶像崇拝をとがめられた際、「香油を塗り、磨きこんだ頭部の像に、テンプルの騎士はまさに卑しむべき信頼を置き、厚い信仰を寄せている。その頭部の眼窩には、天空の輝きを持つ暗赤色の宝石がはめ込まれている」と述べられていたり、「彼らが所持する例の頭は、顔が人間のそれのように青白く、髪は黒く縮れ、首には金色の飾りを巻いている。彼らは、実のところどの聖人のものでもない頭の像を崇拝し、その前で祈りをささげる」と述べられていることを紹介した上で、「頭の像が崇拝されたのは、目的は不明だが生首を器に載せておこなった、ふるいドルイド教の儀式の名残かもしれない」と述べ、「敵の血まみれの頭はケルトの民族的象徴」であり、「ボイイ陣はその頭を神殿に運んで洗い、金で装飾を施して、祭事には聖なる器の代わりに使い、それで飲み物を振舞った」と解説しています。
本書は、無数の物語を通じて、中世ヨーロッパを生き生きと伝えている一冊です。
■ 個人的な視点から
「近代の目から見た中世」という意味では小泉八雲の『怪談』みたいなものでしょうか。文化を理解する、というのは、こういう「誰もが知っているストーリー」を知っているということを意味するのかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・ヨーロッパ人の共通するストーリーに迫りたい人。
■ 関連しそうな本
サビン・バリング・グールド (著), 村田 綾子 (翻訳) 『ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説』 2008年05月10日
小泉 八雲 『怪談・奇談』
高橋 友子 『路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち』 2006年11月03日
若桑 みどり 『フィレンツェ―世界の都市と物語』
高橋 友子 『捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村』 2006年12月09日
甚野 尚志 『中世の異端者たち』
■ 百夜百音
【「渡る世間は鬼ばかり」サントラ盤】 羽田健太郎 オリジナル盤発売: 1996
泉ピンコが「三門マリ子」の芸名を持った牧伸二の弟子の漫談家であったということは有名なのかもしれませんが知りませんでした。
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2008年05月24日
戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡
■ 書籍情報
【戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡】(#1220)
清水 勲
価格: ¥2835 (税込)
臨川書店(2008/01)
本書は、「戦後漫画のトップランナーであり、『メトロポリス』『アトム』などの手塚作品にも影響を与えた天才漫画家横井福次郎の障害と作品を現代に紹介するもの」です。なお、横山隆一の「フクちゃん」は、「横井の名前にヒントを得た」キャラクターであると説明されています。
第1章「プッチャーとターザン」では、昭和23年1月頃、手塚治虫が横井福次郎に会い、当時、手塚の「話題の書であり、売れ行きが良いために自信を持っていた」『新宝島』を横井に見せたが、「横井にはだいぶ物足りなく写った」と述べ、当時、「ふしぎな国のプッチャー」を連載中で、「その未来社会を漫画と魅力的な分掌で描く絵物語スタイルで人気を博していた」横井の、「SF小説の巨匠・海野十三の世界に影響を受けた内容と比べて『新宝島』は"こどもだまし"に近いと思われても仕方がなかったかもしれない」としています。
そして、横井の「ふしぎな国のプッチャー」を、「百年後の未来社会のイメージを漫画で具体的に示した最初の作品」とした上で、横井から"子どもだまし"の作品だと言われた手塚が、「ふしぎな国のプッチャー」に「対抗するかのようなSF漫画『メトロポリス』を出版」するまで、10ヶ月をかけた「並々ならぬ苦労があったようだ」と述べています。
さらに、手塚の「アトム」にも「ふしぎな国のプッチャー」からの影響が「明確に出ている」として、この作品に出てくるロボット少年「ペリー」が、「十万馬力」で「科学の子」と呼ばれ、「ペリーは、プッチャーの父であるベッチャー博士が、交通事故で息子をなくしたロロー婦人のために作ったロボット」であるという設定について、「手塚治虫は横井福次郎に敬意を表して、アトムをペリーと同様な理由で生み出されたロボットにしたのではないか」と述べています。
第2章「子ども漫画の開拓者」では、昭和19年に横井が、小川哲男を引き継ぐ形で連載を続けた「火の玉カンチャン」について、「海を潜り、陸を走り、空を飛ぶことのできる情報収集・敵内部撹乱飛行体」である「火の玉」号に乗り込んだカンチャンと助手のタコ吉が米軍攻撃に出発するストーリーであり、「日本軍の敗色が濃くなった時期の連載だけに、形勢逆転を米軍を上回る科学兵器で達成しようと様々なアイデアが紹介される」と述べています。
また、昭和23年に連載した「ボックリ坊や」について、「西洋を舞台に色刷で描くという新しい試みの作品」であり、「漫画家の中で西洋人を描かせたら横井の右に出るものはいなかっただろう」理由として、「西洋映画俳優専門のブロマイド屋で働き、翻訳小説の挿絵を描いてきた横井の特別の技術」であったと述べています。そして、「横井がもう十年に来ていたら漫画の世界は変わっていただろうと言われる」が、「少なくとも子ども漫画の世界はもっと多様なものになっていた」と述べています。
第3章「大衆漫画の開拓者」では、「戦中から一般大衆向けストーリー漫画の分野でも活躍」してきた横井が、戦後、「オオ!市民諸君」「エミコの時計は何故進む」「家なき人々」などの作品で脚光を浴びたと述べています。
そして、昭和21年11月から昭和23年5月までに連載された「オオ!市民諸君」を、「横井の大衆向けストーリー漫画の代表作」であり、映画化されたことについて、「まさにこの原作漫画が時代状況を巧みに諷刺し、大衆にアピールしていたことを物語っている」と述べています。著者は、この作品を、「占領時代の真っ只中に生きた横井の現実感と民主主義、自由主義社会の先行きを予感して描いた作品だろう」と述べ、「文章、コマ漫画、漫画漫文が入り混じったもので、これほど複雑、多様な表現を使った漫画作品は空前絶後と言ってよい」と評しています。
第4章「戦前・戦中・戦後社会の記録者」では、横井が、「最初、ナンセンス漫画を描き出し、実力を認められて新漫画派集団に迎えられ」た後に、「次第に風俗漫画や子ども漫画に創造範囲を広げ、コマ漫画・連載漫画にも挑戦し」、「やがて挿絵画家としても通用するほどの表現力を身につけていく」と述べています。
また、横井が、小学校卒という学歴だが、「絵も文章も天才的な才能を持っていた」ことについて、「絵は北沢楽天が主宰する絵画塾の教育を受けているが、文章はまったくの独学である」として、「その語彙の広さを考えると、かなりの読書家で江戸文学からSF小説までもかじっていたのだろう。様々な挿絵の仕事をしていた頃は大衆文学にひたっていたといってよい」と述べています。
第5章「横井福次郎の生涯」では、昭和5年に、時事新報社活字鋳造部に入社した横井が、同紙の日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主宰)を目にし、「漫画なら自分にも描けるかもしれない……」と、「小学校の頃からの絵の仕事への憧れ」から、ナンセンス漫画に挑戦したことが述べられています。
そして、昭和9年から昭和13年にかけては、「漫画だけでなく挿絵の仕事にも積極的に関わった」として、「様々なジャンルの小説の挿絵を担当」する中で、「空想科学小説の作家として知られる海野十三」をいったことが、後の「火の玉カンチャン」「ふしぎな国のプッチャー」「冒険児プッチャー」などの冒険科学漫画・SF漫画の発想に影響したことが「十分考えられる」と解説しています。
また、「新しい漫画雑誌あるいは漫画を重視する雑誌が登場」した昭和21年が、横井が、「生涯の代表作ともいうべき作品のほとんどを一気に"吐き"出す」年であったと述べ、「横井が秘めていたアイデアが一気に爆発し、漫画家として完全に開花した年となった。ストーリー・テラーとして、表現者としての才能が十分発揮できるようになったからである」と解説しています。
昭和23年には、『冒険ターザン』をはじめ、単行本が出版され、「印税というまとまった収入」をもたらすようになり、念願の家を東京に手に入れることができたが、「月35本の連載をかかえた時もあった」ため、「締切を守るための徹夜の仕事が続き、それが彼の命を縮めていくことになる」として、昭和23年12月5日、36歳の若さで急逝したと述べています。
著者は、横井福次郎の日本漫画死に果たした役割について、「横井が日本SF漫画の先駆者であり、岡本一平を継ぐ大衆向けストーリー漫画の開拓者であった」とした上で、「その精神は手塚治虫に継承されたことは疑いの余地がない」ことや、昭和24~25年にかけて次々と漫画雑誌が休廃刊し、戦後の第一次大衆漫画ブームが終わってしまうことについて、「漫画界が横井を失った影響は極めて大きい」と述べています。
本書は、今ではほとんどその名を目にすることがない、戦後漫画をスタートさせた埋もれた第一人者を発掘した一冊です。
■ 個人的な視点から
終戦直後の第一次大衆漫画ブームの中で、大人向けの風刺漫画から児童向け漫画まで、才能が幅広すぎるがゆえに燃え尽きてしまった、と考えると、当時の社会がいかに漫画を渇望していたか、ということの切実さを感じるような気がします。
現在の、山のような雑誌が出版され、漫画もその予備軍も大量にいる中で、この中に本物はどれだけいるのか、と考えずにはいられません。
■ どんな人にオススメ?
・手塚治虫が漫画を創造した神様だと信じている人。
■ 関連しそうな本
中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
大塚 英志, ササキバラ ゴウ 『教養としての〈まんが・アニメ〉』
中野 晴行 『マンガ産業論』
夏目 房之介, 宮本 大人, 鈴賀 れに, 瓜生 吉則, ヤマダトモコ 『マンガの居場所』
■ 百夜百音
【The Nutcracker】 New York City Ballet Orchestra オリジナル盤発売: 2000
娘に「くるみわり人形」のCD付き絵本を買ってあげて以来、我が家では「くるみわり人形」ブームです。それにしても一筋縄ではいかない原作は、ぜひきちんと読んでみたいものです。
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2008年05月10日
ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説
■ 書籍情報
【ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説】(#1206)
サビン・バリング・グールド (著), 村田 綾子 (翻訳)
価格: ¥2310 (税込)
柏書房(2007/09)
本書は、「中世ヨーロッパに流布していた代表的な伝説をほとんど網羅し、それを時代と民族、あるいは作家の個性が加工して、それぞれ魅惑的なヴァリエーションを創っていったことを指摘」するとともに、「著者の知識と感性を総動員して、融通無碍に時空を超えた『比較神話学』へと連なっている」ものです。
第1話「さまよえるユダヤ人」では、「中世に生まれたあらゆる神話の中で、このユダヤ人の伝説は群を抜いている」と述べた上で、この神話が、「人間の生命という、永遠に解けない謎、想像の源泉から生まれている」という「大いなる神秘を起源にしている」と述べています。
第2話「プレスター・ジョン」では、「プレスター・ジョン伝説は、東宝におけるネストリウス派の目覚しい繁栄から生じたと思われる」と述べたうえで、「ローマについて語るときの見下した口調は、西洋人の心情を表しているとは思えない」として、「どう見ても、ヨーロッパ人の捏造したものではない」と指摘しています。
第3話「占い棒(ダウジング)」では、「中世は迷信や俗説の時代だった。占い棒には埋蔵されている財法、貴重な鉱石や水脈、泥棒や殺人犯を探し出す力があると信じられていた」と述べ、棒占いの驚異的な力がヨーロッパ中の関心を集めるきっかけとなったジャック・エマールのエピソードを紹介しています。
第4話「エペソスの眠れる七聖人」では、エペソスの「眠れる七聖人」が、「その望みどおりにエペソスの地で安らかな眠り」につくことができず、「聖遺物が黄金や宝石よりも価値のあった時代に、そっとしておいてもらえるはずもなかった」として、「今もサン・ヴィクトル修道院付属教会に安置されている」と述べています。
そして、「西暦250年ごろ、7人は当時のローマ皇帝デキウスのもとで迫害されて、前に述べた洞窟に埋められたのではないだろうか。そして479年、テオドシウスの治世下で、彼らの遺骸が発見され、移送されて、眠れる七聖人の伝説が生まれた」とする考えを、「ただの憶測ではなく、じゅうぶんに考えられる話だ」と述べています。
第5話「ウィリアム・テル」では、「古典を研究する者にとって、できることなら避けたいつとめのひとつ」として、「人々が事実だと思っている話をでたらめだと暴き、史実とされている出来事がただのつくり話にすぎないと証明すること」だと述べています。
第6話「忠犬ゲラート」では、この物語が、「インドからヨーロッパにもたらされた。伝播の道筋も明らかになっている」として、「『ゲスタ・ロマノールム』によって、ヨーロッパ中に伝わり、ウィリアム・テル伝説と同じく、国や地域ごとの色合いをまとい、語り継がれていった」と述べた上で、「国や世紀によってさまざまな変化が生じても、物語の土台は変わらない」として、「人間が動物や鳥と友情を育んでいる。人の言葉を話せない動物は、自分のやりかたで主人に尽くす。だが主人はその行動を誤解して、命の恩人を殺してしまう」という筋書きを解説しています。
第8話「反キリストと女教皇ヨハンナ」では、「女教皇ヨハンナの伝説は完全なつくり話で、その土台には歴史的事実は一切存在しない。おそらく、ローマ・カトリック教会の聖職位階制(ヒエラルキー)に不信を抱かせる目的で、ギリシア人がつくりだしたものだろう」と指摘しています。
第10話「ヴィーナスの山」では、ヴェーヌスベルクの物語の根源を、
「地下にいる人々が、人間と結ばれようとする。
α.男性が彼らの住処へ誘い込まれ、地下に住む種族の女性と結婚する。
β.男性が地上に戻ることを望み、逃げ出す。
γ.男性がふたたび地下の世界へ舞い戻る」
という構造をもつとして、「現存する民間伝承集の中には、この根源に基づいた物語が必ずと言っていいほど入っている」と述べています。
そして、「中世に形作られた伝説は、新興宗教と既存宗教のせめぎあいを如実に物語っている」として、「タンホイザーの物語が本当に伝えているのは、キリスト教徒とは名ばかりで、実際には異教の心を持つひとりの男が、異教の魅力に惑わされていくさま」であると解説しています。
第13話「聖ゲオルギオス」では、各地の神話を比較した上で、「謎めいた素性をもつ聖ゲオルギオスを、キリスト教化されたセム人の神と認めないわけにはいかない。転化していく上で、必要に応じてほんのわずかな脚色が加えられた」と解説し、「聖ゲオルギオスが何度も死んでしまうのは、見方を変えれば、太陽が一日で姿を消すことを意味している」と述べています。
また、「ドラゴンとの戦いは、アーリア人の神話すべてに共通するもの」として、「ドラゴンに捧げようとした乙女とは、大地である。ドラゴンは、嵐の雲。ドラゴンと戦う英雄は、太陽。英雄が持っている輝く剣は、稲妻の光。英雄が勝つことで、大地は危機を脱する」として、この物語が、「その風土ごとにアーリア人が感じ取る天候の特色に合わせられている」と解説しています。
本書は、ヨーロッパ人ならば当たり前に知っている数々の神話や伝説のルーツを読み解くことで、民族の歴史の一端を垣間見せてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
ヨーロッパ人の書くいろいろな文章の端々には、古典とともに、古い伝説があちこちに引用されることが多く、翻訳で読む日本人には、なかなかニュアンスというかその背景が伝わりづらい点がありますが、本書は、その一助になるものではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・ヨーロッパ人の理解を深めたい人。
■ 関連しそうな本
サビン・バリング=グールド (著), 池上 俊一, 村田 綾子, 佐藤 利恵, 内田 久美子 『ヨーロッパをさすらう異形の物語―中世の幻想・神話・伝説 (下)』
甚野 尚志 『中世の異端者たち』
高橋 友子 『路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち』 2006年11月03日
若桑 みどり 『フィレンツェ―世界の都市と物語』
高橋 友子 『捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村』 2006年12月09日
アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
■ 百夜百音
【30-35 vol.7 「イカ天」特集】 オムニバス オリジナル盤発売: 2006
これだけはっきりターゲット年齢層を絞ってくると痛快です。たしかに、土曜の深夜にイカ天を一生懸命見ていた世代となると限定されてくると思います。
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2008年05月04日
GHQ日本占領史 (17)出版の自由
■ 書籍情報
【GHQ日本占領史 (17)出版の自由】(#1200)
竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
価格: ¥6090 (税込)
日本図書センター(1999/03)
本書は、GHQによる日本占領時の「出版の自由」に関する改革、特に報道に関する改革を記録したものです。
巻頭の「解説」では、古川純氏が、「占領軍当局は二重の責務を負った」として、
(1)軍国主義的・超国家主義的な思想を挫き、そのような思想を助長し、過去に民主主義的傾向を窒息させてきた公共的な情報メディアの統制措置を除去すること。
(2)情報メディアの中で及びそれを通じて民主主義的傾向の成長を奨励すること。
の2点を挙げています。
また、「検閲(censorship)は広い概念であり、占領軍による検閲と破たんに情報の自由な流れを公権力が事前に内容を審査して抑制する活動だけではなく、軍の作戦行動のための諜報(情報収集・分析・評価)活動をも含んで用いられた」と解説した上で、「占領軍の検閲をあまり言論統制の面からだけ見ないで、米太平洋陸軍としての占領軍が広く軍として有する諜報作戦の中で継続した民間検閲活動という位置づけのもとに総合的視野で考察する必要」を強調しています。
第1章「降伏時の状況」では、出版産業が、「戦争の間、日本の国民生活の他の部分と同様にひどい損害を受けた」と述べ、「政府の強制的戦時統合」によって、100以上あった日刊紙が55まで減らされるとともに、「戦前及び戦時の検閲と統制手段」によって、「すべての出版社に対して厳しい監視」が行なわれたと述べています。
第2章「プレスの自由のための青写真」では、最高司令官が、「日本のプレスを解放し、そして、民主勢力としてその発展を促す最高司令官の権限を基本政策指令に含まれた広範な指示から導き出した」として、
(1)市民的自由を確立し基本的人権を尊重すること。
(2)日本の人民に占領の目的、政策及び進捗状況を完全に知らしめること、そして、彼らを合衆国及びその他の民主主義諸国の歴史、制度、文化及び達成した成果に親しませること。
(3)日本の人民に、人民の困苦を引き起こすに当たって、軍国主義者、全体主義者及び超国家主義者が果たした役割を明らかにすること。
(4)軍事的安全保障と占領目的を達成するために必要最小限の統制のみを日本のプレスに課すこと。
(5)民主的な理念と原則を普及することによって思想の自由を促進すること。
の5点を挙げています。
また、「全国的な独占的ニュース収拾機関である同盟通信は、顕著な犯罪者であった」として、同盟が、「戦争の終結は、連合軍の軍事的優越よりも天皇の『大御心(慈悲)』によってもたらされたものであり、そして、占領しているアメリカ人はたんに天皇の『顧客』にすぎないとの立場」をとったと主張したことを指摘しています。
さらに、新聞の事前検閲に当たり、「公刊を意図したすべての版のゲラ刷りを2部提出することを要求」され、「校正刷りの1部は、許可された印が付けられ、もしくは削除部分のために印づけられて返却され」、「写しの一部は発行された新聞と比較するために検閲当局に保存された」と述べています。
第3章「出版者が直面した諸問題」では、「国民的新聞の最高レベルのオーバーホールのためのパターン」が、東京で「3大紙」によって築かれたとして、
・毎日新聞:1945年8月29日に奥村信太郎社長が辞職し、1946年2月16日には顧問からも退職。
・朝日新聞:村山長挙社長、上野清一会長及び従業員に受け入れられた5名を除くすべての取締役が1945年11月5日に辞職。
・読売新聞:正力松太郎社長が、SCAPが戦争犯罪容疑で彼の拘束を命じるまで、従業員の圧力に耐えたが、その後、正力と20人の読売役員ならびに取締役は辞職。
の3点を解説しています。
第4章「ニュースの収集」では、「政府の管理下にあり助成を受けている[新聞]組合通信社」である「同盟通信社」が、「占領開始時における日本ので唯一のニュース収集・配信組織」であったが、最高司令官の1945年9月24日の指令が、「同盟から独占的特権及び政府支援の両方を剥奪した」と述べています。
そして、「同盟解散の直前に、同盟の理事会と加盟新聞社は新たな組合通信社」である「共同通信」の計画を立案し、「多くの同盟従業員は共同で同じ地位を保った」と述べ、「共同への参加を断った若干の前同盟従業員」が、「時事通信社」と呼ばれる分離組織を作り、「共同と時事はライバル通信社として競争するよりも、共同は新聞社と日本放送協会にサービスを限定し、時事は個人購読者だけにニュースを売るという『紳士協定』を立案した」と述べ、時事通信社が、1945年に750名の従業員で操業を開始し、1950年には1444名になったと述べています。
また、第3の通信社であるラヂオ・プレスが、「英語を話す2世によって降伏後間もなくに設立された」ほか、「占領の最初の年が終わる前に、より小規模な50を超す通信社がこの分野に参入した」と述べています。
第5章「労働者とプレス」では、「政府のプレス統制を崩壊させる降伏勅書の直後に、日本の大新聞の当同社は多くは彼らが久しく課せられていたと感じた抑圧のくびきを、彼ら自身で取り除くための落ち着きのない運動を始めた」と述べたうえで、「占領中の最も重要な労働争議は、読売で起こった」として、「従業員の行動、結果としてのストおよび結果として生じた解決は、出版業界中で数年間、先例および雛形として位置づけられた」と述べています。
そして、1945年の読売争議において、「正力松太郎社長以下の読売首脳陣の退陣」と「経営陣と取締役の影響力を削減し、編集責任の大部分を従業員に引き渡す」という抜本的な経営改革を要求したが、正力は拒絶し、結局、1945年12月1日に正力が戦争犯罪容疑で逮捕されたことで、「読売首脳陣は労組の要求にほぼ全面的に同意した」と述べています。
また、朝日新聞の労働争議では、6人の従業員代表が、「村山長挙社長、上野清一会長、ならびい朝日の全取締役の辞職を求め」たのに対し、村山は、要求を拒否した上、6人の代表の辞職を求めるという報復に出たため、従業員グループは、村山の辞職を求めるビラを印刷・配付し、職場の重要ポストを占拠したと述べています。
第6章「戦後の刊行物」では、「1県1紙、東京で5紙、大阪で4誌という新聞発行の制限が撤廃されると、資本と新聞事業に近づく方法を有する企業者に広範な市場をもたらした」と述べ、「戦後の日刊紙のほとんどは、読者層を、既成新聞の読者層を侵すのではなく、拡張しつつある新聞市場の中で獲得した」と述べています。
そして、「新発行日刊紙の多数は夕刊紙であり、夕刊紙というのは、大新聞のほとんどが朝刊紙なのであまり立て込んでいない分野であった」が、1949年に起きた朝刊大新聞の夕刊発行によって、「夕刊旋風」を解き放ったと述べています。
また、「新聞に対する公衆の信頼を損なうような機能を果たし、戦後日本の出版会を撹乱した特徴」として、「普通は限定部数・不定期発行のタブロイド版」で、「ゆすりや恐喝のためにならず者に利用された」「ゴロツキ新聞」について言及し、「『ゴロツキ新聞』の発行者は、もし彼らの揺すり・たかりを警察に知らせた場合には肉体的な暴行を加えると脅すことによって、対象となる犠牲者を脅迫した」と述べています。
さらに、雑誌に関しては、「最も多く求められる5大婦人誌」として、「主婦の友」、「主婦と生活」、「婦人クラブ」、「婦人生活」、「ひまわり」を、総合雑誌としては、「世界」、「文藝春秋」、「中央公論」、「改造」を挙げています。
第7章「小新聞対全国的日刊紙」では、「戦時中に新聞を規制した無数の政府規則と影響力のあるSCAPの改革にもかかわらず、1つの際立った特徴が変わらずに残った」として、「全国的新聞の支配―東京の3大新聞」を挙げた上で、それが、「明治維新に引き続き日本で発展してきた政治的・文化的生活のすべての形態が極端に東京に集中したことの必然的な結果」であると解説しています。
第8章「プレスの改善」では、「戦前および戦時中に政府がプレスを統制するシステムの一部として利用した装置」である「記者クラブ」について、「SCAPが新聞協会に対して記者クラブ・システムの固有の害悪について印象づけた後に、力が弱まった」と述べています。
そして、「共産党員の排除」の結果、「東京の新聞および通信社では解雇者または退職者は183名を数えた」他、大阪の77名をはじめ、全国では500名のレベルを記録したと述べています。
また、「降伏後の初期において、プレスの自由に対し、民主的なプレスの発展を阻害する小さな、しかし時には影響のある制約があった」として、「すべての重要な政府機関のオフィスで機能した記者クラブという制度」を挙げています。
さらに、「読者が競争紙との間の報道合戦に巻き込まれ完全に混乱した」事件として、朝日新聞による「本庄事件」と、読売新聞による「銚子事件」を挙げ、前者では、「本庄について、警察組織を買収し法を公然と無視して住民を恐怖に陥れるような暴力団員・バクチ打ち・ゆすり集団の支配する『暴力の町』」と書き、後者では、銚子について、「高寅[タカトラ、高橋寅松]という名前の地元のバクチ打ちのボスが仲間の1人に銚子の小新聞『大衆日報』の記者であるコシカワ・イノスケを襲うよう命じた」と読売新聞が報じたと述べています。
第10章「書籍出版」では、書籍販売に関して、降伏後4年間は、「日本出版配給統制会社(通称『日配』)の事実上の独占であった」と述べた上で、1949年3月27日に、「閉鎖機関令」と「過度経済力集中排除法」の規定により、「閉鎖機関の指令を受けた」と述べています。
本書は、終戦直後の出版業界の有様と、現在のマスコミの姿のルーツを伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
マスコミっていうのも規制産業ですから、「なぜ現在のような状態になってしまったのか」を考える上で、「経路依存性」がありすぎるほどあるので、終戦直後に遡ったり、戦前に遡ったり、明治にまで遡らないとわからないことが山ほどあります。
その意味で本書は重要な資料なのではないかと思いますが、なにしろ、大昔でありながら登場メンバーの顔ぶれは現在とほとんど変わりませんから、読み物としても十分読める一冊だと思います。
■ どんな人にオススメ?
・現在の新聞社の素性を知りたい人。
■ 関連しそうな本
今西 光男 『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』 2008年04月27日
今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
■ 百夜百音
【GAME】 Perfume オリジナル盤発売: 2008
いまだにポリリズム売れてるみたいです。去年、カラオケでパフューム歌ったときは誰も知らなかったのが嘘みたいです。
ちなみに今日は館山に行って来て、地元の安房校の人のX-JAPAN話を聞いてきたので。
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2008年05月03日
テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか
■ 書籍情報
【テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか】(#1199)
吉野 次郎
価格: ¥1575 (税込)
日経BP社(2006/11/30)
本書は、「インターネットの影響で、放送ビジネスが大きな転換期を迎えている状況を解説」したものです。
序章「五十年かけて密かに築いた"おいしいビジネス"」では、「テレビ局に、どうしこれほど富が集中しているのだろうか。他の先進国を見回しても、ここまでテレビ局が成功している国はない」と述べ、「日本のテレビ局が、半世紀をかけて、優れたビジネスの仕組みを築き上げた成果である」と語っています。
そして、「テレビ局がインターネットを嫌う理由は、たった7つに集約できてしまう」として、それを本書の章立てにしたと述べています。
第1章「地上デジタル巡る攻防戦」では、「映像を配信できるインフラ」である電波を独占してきたテレビ局に対して、「通信会社がブロードバンド回線で本格的に攻勢をかけようとしている」という状況を解説しています。
そして、テレビ業界がブロードバンドで番組を流すのを認めない理由が、「高い視聴率を維持したい」という答えにたどり着くとした上で、世界でもまれに見る「有料放送大国」となってしまって勢いを失った米地上波テレビ業界の惨状を解説しています。
第2章「揺れる最強の番組流通システム『系列』」では、テレビ局がインターネットに番組を提供しない理由として、表向きは、「著作権の処理が大変だ」という理由を挙げているが、実は、「単純に『儲からない』というだけである」という理由を述べています。
また、キー局が「全国規模で事業を営んでいる大手企業からの広告依頼」を受け、「系列の地方局に番組と一緒にCMを放送してもらうことで、こうしたスポンサーから巨額な広告費を集められている」と解説しています。そして、「キー局のCM収入の仕組み」として、
(1)タイムCM:特定の番組につくスポンサーのCM
(2)スポットCM番組が終わってから次の番組が始まるまでの"すき間"の時間帯を埋めるCM
の2種類のCMについて解説し、キー局が、「潤沢なタイムCMを基に、魅力的な番組を作り上げ」、「さらに、残ったタイムCM収入で地方局に電波料を払って、その番組を全国に流してもらう」とともに、「番組の制作費はタイムCM収入で賄えているし、地元だけで流すCMなので地方局に払う電波量も不要」なスポットCM収入の「ほとんどをそのまま粗利益として確保できる」と述べています。
第3章「成長力失った公共放送はネットに夢中」では、「悲願のネット進出」を果たすためのプロパガンダ装置として、NHKが「NHKアーイカイブス」を建設したとして、「NHKが、「ラジオ放送、テレビ放送、BS放送とメディアを増やすことで、拡大してきた組織」であり、「新たなメディアに手を出さないと、いずれ成長が止まるという宿命を抱えている」と解説しています。
そして、民放テレビ局がNHKのネット進出に反対している理由は、「NHKは黙って今の公共放送に専念していろ」というものであり、「NHKが節度を持って従来通りの公共放送を提供していれば、民放テレビ局が望む『二元体制』が維持できると考えている」と解説しています。この「二元体制」とは、NHKが、「まじめな報道番組や教育番組、教養番組を多く流している」ため、民放が「娯楽番組の量産」に専念できる、というものであると解説しています。
第4章「家電業界の戦略商品『ネット対応テレビ』の破壊力」では、テレビ界では、「画面が汚れる」という言葉が、テレビ局の放送以外の情報が映り込むことを表し、テレビ局はメーカーに「勝手に画面をいじるような機能を付けるな」、「あなた方は、テレビ放送を映す装置を作っているんですからね」と言っていると述べています。
第5章「芸能界とテレビの蜜月に陰り」では、テレビ局が芸能界を引き寄せるために、「タレントに支払う『高額な出演料』とタレントの知名度を高める『大きな宣伝効果』の二つ」を使ったと述べ、「大物のお笑い芸人」には1回の番組出演で最高数百万円もの高額な出演料を支払っているのに対し、俳優は「テレビで効率的に稼げない仕組」だが、「大きな宣伝効果がある」こと、そして、ミュージシャンは、「テレビの宣伝効果に期待」し、CDやコンサートチケットの売れ行きの伸びを期待するモデルであることを解説しています。
第6章「コンテンツの支配者が下克上に怯える」では、テレビ局の「番組を大量に生産できる体制」が、400社にも上るといわれる「外部の番組制作会社」によって支えられていると述べた上で、テレビ局が、「大きな番組制作費と、リスクの小さな政策環境の2つを与える上で、テレビ局は制作会社を自らの下に集結させてきた」と述べています。
そして、「制作会社を引き寄せていたテレビ局の求心力」が、ネットの影響で低下してきた動きを後押ししているのが、「テレビ局による制作会社の支配が日本のコンテンツ市場の成虫を阻んでいるとして、市場構造の改革を目論んでいる」経産省であると述べています。
第7章「政府とテレビ局に亀裂が走る」では、「テレビ放送用の電波」という「滅多に手に入れることができない貴重な財産」をテレビ業界に使わせている総務省が、その代わりに、「一般の報道番組や臨時の災害報道、文化の向上につながる放送など、社会に役立つ放送サービスを提供してもらっている」と解説しています。
しかし、「通信と放送の融合」推進派の勢いが増したことで、「テレビ局は、自分たちの"商売の種"である番組を、インターネットの発展のために差し出せと政府から言われるようになった」と述べています。
著者は、「インターネットとテレビを組み合わせて、新しいビジネスを創造できたとき、テレビ局は電波に改めて新たな価値を宿らせるだろう」とした上で、「すでに出来上がったビジネスモデルの上に乗り、楽に過ごしてきた世代」である今のテレビ局社員たちに、「電波の価値を生かせる新ビジネスを作り上げられるのだろうか」と述べています。
本書は、誰もが知っているようで実は知られていないテレビ局のビジネスモデルを解説した一冊です。
■ 個人的な視点から
在京キー局が儲かっていて、デカイ社屋を建てたり給料が良かったりというのは、単に全国ネットの番組を作っているからというだけではなく、綿密に練り上げられた"儲かる仕組み"があるからだということを認識させてくれる一冊です。
■ どんな人にオススメ?
・在京キー局の強大な権力の源を知りたい人。
■ 関連しそうな本
池田 信夫 『電波利権』 2007年05月07日
原 克 『悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生』 2008年02月24日
歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
池田 信夫, 林 紘一郎, 山田 肇, 西 和彦, 原 淳二郎 『ネットがテレビを飲み込む日―Sinking of TV』
国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章 (著) 『ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア』 2008年02月29日
池田 信夫 『ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている』 2005年09月17日
■ 百夜百音
【黒船】 サディスティック・ミカ・バンド オリジナル盤発売: 1975
今のCDの「クリア」な音も良いですが、昔のテープコンプの聞いた音はいいですね。入力のインジケータが真っ赤になって隣のトラックにも音が漏れ出すようなゴチャっとしたサウンドは最近あまり聞かない気がします。
『20 Songs to 21st Century -BEST OF SADISTIC MIKA BAND-』
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2008年04月27日
占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎
■ 書籍情報
【占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎】(#1193)
今西 光男
価格: ¥1470 (税込)
朝日新聞社(2008/3/7)
本書は、『新聞 資本と経営の昭和史――朝日新聞筆致・緒方竹虎の苦悩』の続編であり、敗戦以後の、「混沌の時代であり、激動の時代」を描いたものです。
第1章「『朝日内閣』と児玉誉士夫」では、1945年8月17日に成立した東久邇宮内閣の実体が、「緒方朝日内閣」であり、東久邇宮は緒方に、「言論人としての文筆能力、世論の動向に対する洞察力」を期待していたと述べています。
そして、「一億総懺悔」の表現が厳しく批判された、首相の発記者会見が、「五箇条の御誓文」を用いるなど、「緒方のシナリオによるものだった」と述べた上で、「日本再建のためには一億国民が一致団結して対処する必要がある」と強調するあまり、「その出発点である反背・懺悔を『一億総懺悔』と表現した」ことを解説しています。
第2章「マッカーサーの顔色」では、緒方と吉田茂が、「吉田が田中義一内閣の外務次官であった頃から旧知の間柄だったが、それほど深い関係ではなかった」と述べ、「もし、このとき、緒方が大磯に逼塞していた吉田を外相として推さなかったとしたら、あと4日で満67歳になる吉田に、その後の宰相への道が開けたかどうか」と述べています。
第3章「戦争責任と『十月革命』」では、朝日新聞東京本社社長村山長挙が、「社員に『聖戦完遂』を鼓舞し、『戦争新聞』をつくらせてきた最高責任者」であったことから、「自らが『戦争犯罪者』の列に連ねられることへの恐れがあった」と述べた上で、「社内体制の刷新計画」を練った、千葉、香月、白川、細川、嘉治、佐々の6人組が、連名の申し入れ書として、「社長、会長はその地位を退き社主の地位につかれたし」などのの4項目を村山社長に提出したことを述べています。
そして、「30歳のとき(1918年)に白虹事件の処理にかかわって以来、『資本と経営の分離』こそ、朝日新聞の経営安定、編集の独立に不可欠の課題と認識していた」緒方が、「この機会に抜本的に、資本と株の問題に切り込まなかった」理由として、
「緒方が主導して1924(昭和17)年5月の株主総会で朝日新聞の定款を改正」し、「議決権を5%以下に限定する」規定がある以上、「所有株式について更なる制限を重ねる必要は感じられなかったということが考えられる」と述べるとともに、「左派の活動家がリーダーシップを握る従業員組合が、相対的に朝日社内で影響力を拡大することに対する懸念もあったのであろう」と述べています。
第4章「徳田球一が読売新聞を握った」では、読売新聞社長の正力松太郎が、「自分の戦争責任追求につながる社内の動きは絶対に認めない」と強く決意していたことを述べた上で、1945年10月23日に始まる第一次読売争議で、11月10日に、「読売闘争支援の1000人のデモ隊が読売本社に押しかけてきた」時には、「正力は『「共産党が来るぞ」という通報にあわてふためき『下駄箱に頭を突っ込んで尻を出していた」、そして配下に注意されて非難した」と山本潔の『読売争議』に描写されていることを紹介しています。
そして、正力が弾圧した「第一次共産党事件」で検挙された徳田球一日本共産党書記長が、「18年間の獄中生活を非転向で貫き、1945年10月10日に出所」したばかりであり、「弾圧した者とされた者、敗戦の結果、一転して戦犯容疑者とその告発者の立場に変わり、調停交渉は二人の宿命的な対決の場になった」と述べています。
また、「徳田の最大の誤り」として、正力が保有する株に「重大な関心を持たず、きちんと詰めておかなかったこと」を指摘し、徳田が「株取引は資本主義の手段で、手を汚すことが考えていた」と述べています。
第5章「GHQ、社主家、三等重役、そして労働組合」では、GHQと吉田政権の圧倒的な圧力の前に、新聞ゼネストが挫折し、その後、「朝日の労働組合はいわゆる『右旋回』し、経済闘争を重視する企業内組合の道を歩むことに」なったと述べています。
第6章「社主家の攻勢と『アサヒ・マン』」では、朝日新聞の長谷部社長が、GHQのインデボン新聞課長から「朝日新聞社内の共産党関係者のリスト」を提示され、「共産党分子を『徐々に排除すべき』で、一時に大勢を排除するのは望ましいことではない」と告げられていたと述べています。
また、後に昇進したインデボン中佐が、「彼の朝日新聞関係のスパイを、アサヒ・マン」と呼んでいたことについて、「当時、風評にその名があがったのは、『十月革命』で村山とともに退陣した鈴木文四郎だった」と述べています。
第7章「公職追放と『フジヤマのトビウオ』」では、1949年の「夕刊朝日」の創刊号から、「四コマ連載漫画にはほとんど無名だった長谷川町子を創刊号から起用、その『サザエさん』が大評判になった」と述べ、もともとは、「福岡の新興夕刊紙『フクニチ』に1946年4月22日から連載された」と述べています。
第8章「朝鮮戦争と『ゾルゲ』の呪縛」では、1950年7月11日夜、朝鮮半島への出動拠点になった北九州・小倉の米軍城野キャンプから、「前線出動を忌避する黒人兵200数十人が集団脱走」し、「脱走兵の一部は民家に乱入して略奪や暴行事件を惹き起こし、鎮圧のMPとの銃撃戦も起こし、市民はパニックになった」と述べ、「この騒ぎは米軍によって関連報道がすべて禁止され、事件の内容を話すことも禁じられた」が、「当時、朝日新聞西武本社広告部意匠掛」で、「城野キャンプ近くに住んでいた松本清張」が、「後年、この事件をもとに小説『黒字の絵』を書いた」と述べています。
そして、「全軍あげて戦闘態勢にあり、しかも朝鮮半島南部の釜山周辺まで追い詰められていた米軍・GHQにとっては、『客観的立場』や『中立』『冷静』を主張する朝日社説」は許しがたいものであったが、「長谷部の必死の弁明で、事態が深刻化することはなかった」と述べています。
また、「報道機関から始まったレッドパージ」として、1950年7月28日午後3時を期して「朝日など報道8社で336人が解雇を言い渡された」と述べ、「パージされた人たちは、その日から、一切の報道機関、一般企業からも門戸を閉ざされ、長く苦しい生活を強いられた」と述べています。
第9章「村山復辟で緒方去る」では、「敗戦直後の『十月革命』で編集局次長から三段跳び、四段跳びで突如、朝日新聞社の経営トップに据えられた長谷部」が、「経営の仕組み、歴史的な事情、背景、さらには新聞経営者としての基本的姿勢、心構えなど、多くの点を緒方から学んだ」と述べ、公職追放中の身であった緒方は、「自分が知る限りの朝日新聞の社史や経営上の問題について懇切に説明し、その経営に誤りがないように助言していた」と述べています。
そして、用紙統制、価格統制の撤廃によって、「自由に用紙を確保できるようになった新聞各社は、独自の魅力ある紙面展開を目指し、他社との違いを際立たせようとした」と述べ、「新聞社と販売店との直接契約は、かつての特定新聞社と販売店の濃密な関係を復活させ、新聞社の系列による囲い込みが始まった」と解説しています。
また、「戦後、あらたにこの業界に参入してきた若手店主たち」には、「復員はしたが職がないという元軍人も多かった」と述べています。
さらに、「共販制度から専売化への動きは、全国各地で紛争を起こしていた」として、専売化のやり方として、
(1)協議専売:各社間の話し合いで専売に移行する
(2)裸専売:一社が一方的に他社に通告して専売に移行する
(3)なぐりこみ専売:専売直前に通告するか、無通告で断行する
の3つの方法を紹介したうえで、「裸専売」の代表的な例として、1951年9月に神奈川県川崎市で起きた「醤油専売」を取り上げています。
終章「かかる時 君しあらばと」では、1956年(昭和31)年1月28日、緒方竹虎が五反田の自宅で、急性心臓衰弱と環状動脈硬化により、満67歳で死亡したと述べ、その後も、「朝日新聞で経営上の問題が起こるたびに、緒方を知る人たちは『かかる時 君しあらば』と、いくたび思い起こしたことであろうか」と述べています。
著者は、「朝日新聞は緒方筆致時代、『経営』が『資本』を凌駕する力を持った。緒方筆致が率いる『編集』が、タブーを恐れぬ果敢な論説を展開し、深層をえぐった特ダネをものにし、多くの購買者の支持を勝ち得たからである」都市たうえで、「いまの新聞界には、『資本』と『権力』に対峙しようとする気骨ある『筆致』は見当たらない」と指摘しています。
本書は、新聞社の「筆致」がその新聞を本当の意味で代表していた時代を伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
朝日新聞といえば、マスコミの中でも飛び抜けて給料が高いというイメージで有名ですが、戦後史を振り返ってみると、一度労働組合が「革命」に成功し、後に資本家によって巻き返しを図られた、という経緯があるからこそ、「経済闘争」の結果、逆らわないように高い給料を与えられているのかもしれないと思ってしまいました。
■ どんな人にオススメ?
・朝日新聞記者の給料はなぜ高いのかと思う人。
■ 関連しそうな本
今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
黒薮 哲哉 『新聞があぶない―新聞販売黒書』 2008年04月24日
■ 百夜百音
【Poupee de Son】 France Gall オリジナル盤発売: 1992
結構日本でカバーされる割合の高いアーティストではありますが、「フレンチポップ」というジャンルを代表する人になってしまっています。
『夢みるシャンソン人形~フランス・ギャル・ベスト・セレクション』
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年04月20日
官僚とメディア
■ 書籍情報
【官僚とメディア】(#1186)
魚住 昭
価格: ¥720 (税込)
角川書店(2007/04)
本書は、「メディアと権力の接点で起きている出来事ばかりを取材してきた」元共同通信記者の著者が、特にジャーナリズムの現場で働く人々に「メディアはだれのものか」を改めて問いかけているものです。
第1章「もみ消されたスキャンダル」では、安倍晋三前首相の就任直後、「安倍の地元事務所と暴力団関係者の関わりを浮き彫りにし、事件の全体像を描き出す」という「山口県下関市の安倍邸や地元事務所に火炎瓶が投げられた事件をめぐる記事」の出稿にストップがかかった事件を取り上げ、共同通信幹部にとって、平壌支局開設直後で、「安倍首相の反応に神経を尖らせていたことが大き」かったと述べています。
第2章「組織メディアの内実」では、「かつての共同通信は日本で最も自由な報道機関」と言われていたが、「元首相竹下登の金庫番と言われ、リクルート事件の最中に自殺した青木伊平の生涯」を追った連載の単行本への収録をめぐって上層部と対立する著者の様子が描かれています。そして、「一時は会社を辞めようかと思い詰め」ながらも、結局は泣き寝入りし、半年ほど、「テニスクラブに通ったり、パチンコをしたりして時間を潰し」て「サボタージュ」を続けることで、「組織の論理から抜け出すことができたという解放感」から「以前よりずっと幸せな気分になっているのに気づいた」と語っています。
その後、京都支局デスクへの異動を命じられ、若い記者たちと一緒に働くうちに、いつの間にか「内心軽蔑していた大阪支社や本社の連中と同じように、いや彼ら以上に小さなミスをおそれ、細かい、くだらないことにこだわるデスクになっていた」自分に築き、「このままいけば自分場自分でなくなってしまう」という恐怖から共同通信を辞め、フリーのライターになった経緯が語られています。
著者は、共同通信を辞めて1年後、当時の読売新聞社長、渡邉恒雄の評伝取材の仕事に取り掛かり、10時間に渡る本人のインタビューを読み返す中で、「テーマはこれだ」と思えるようになったものとして、ナベツネ氏が、読売のトップに駆け上がるきっかけになった、昭和40年代に「大手町の国有地の払い下げを受けるときの政府との交渉で活躍したこと」と、「昭和50年(75年)の中部読売新聞社ダンピング事件で公正取引委員会が同社の不当廉売を立件する際、政界などに働きかけて公取委の動きを抑えようと画策したこと」の2つの出来事について、「ナベツネ氏の頭の中には、自分の会社の利益のために政府に圧力をかけるのは、報道機関の禁じ手なのだ、という意識がまったくない」ことに気づき、自分も共同通信時代に「ナベツネ氏の小型版を見ていた」事に気づき、「ナベツネ氏の連載で自分が何を打つべきなのかがようやく分かったような気がした。読売新聞にも、共同通信にも共通する腐敗の構造、それをえぐりださなければならないのだ」と述べています。
第3章「悪のトライアングル」では、日本中を震撼させたマンションなどの耐震データ偽装問題をめぐって、取材を通じて、「ヒューザー幹部や設計事務所長たちが構造計算の実務にあまりに無知なこと」が、「建築界の実態なのだ」と気づき、「構造設計者とその他の建築関係者たちの間に横たわる専門知識の溝は驚くほど深い」と述べています。
そして、姉歯建築設計事務所が行った偽装が、当初は木村建設からのプレッシャーなどよりも、「時間がなく、とりあえず(構造計算書を確認機関に)出した。後で差し替えようと思っていたので、単純な偽造だった」という簡単なもので、「建築確認の際、意匠や構造に関する図面や計算書を同時に出すことになっているが、実際に構造審査が始まるのは意匠審査が終わった後」なので、「当初は適当にダミーの書類を提出しておき、『意匠』審査の間に正規のものを作成して、構造審査の呼び出しがあったときに差し替える」ということについて、「おそらく姉歯さんは意匠審査の間に正規の書類を作って呼び出しがかかったら差し替えようと思ったんでしょう。そうしたら呼び出しが来ずに差し替え前の書類が通っちゃった」という業界関係者の証言を紹介しています。
著者は、「耐震偽装事件の真相が姉歯の個人犯罪だったことは、私の取材でも疑問の余地がないほど明らかになった」にもかかわらず、「なぜ『悪のトライアングル』という間違った事件の構図が作られてしまったのか」について、耐震強度偽装事件の翌年に拓かれた「耐震偽装事件に何を問うべきか――本当の黒幕は誰だ――」と題したシンポジウムで、
「国交省が『震度5で倒壊のおそれ』と発表したが、なぜそんなことが言えるのか? もし、間違っていたら、国交省がやったことは計算書偽造よりもはるかに大きな犯罪になる」
「『強度0.5以下の建物は取り壊し』の方針にはまったく根拠がない。取り壊しの決まったホテルやマンションには耐震補強で対応できるものがたくさんあるはずだ」
「この事件に黒幕はいない。あほな役人が烏合の衆のエンジニアを集めてワーワー騒いでいるだけ。それにマスコミが乗って何がなんだかわからなくなっている」
などの、「研究者や実務家から国交省に対する厳しい批判が相次いだ」ことを取り上げています。
そして、「姉歯だけでなく、小嶋や木村建設の幹部たち、それにイーホームズ社長の藤田らが逮捕」されたことについて、「彼らは事件の被害者であって、姉歯の反抗にはまったく加担していない。あれほど大胆な耐震データ偽装が行われているとは夢にも知らなかった」として、「社会的あるいは道義的責任がある」が、「刑事責任とは別の位相のものだ」と述べ、「当局が当初描いた事件の構図」も「『悪のトライアングル』による組織的な詐欺事件」だったが、「すべての証拠が『姉歯の個人犯罪』を指し示しているということが次第に分かってきた」ため、「本来なら、真相に気づいた時点で捜査本部の体制を縮小し、姉歯一人の立件で操作を終えるべきだった」が、「東京地検や警視庁はそうしなかった」理由として、
(1)「悪のトライアングル」の構図を信じ込むマスコミや世論がその結論を歓迎しないことが目に見えていたこと。
(2)いったん大がかりな人員を投入した以上、理由はどうあれ、何も成果が上げられなければ、彼らの官僚としての地域や評判に傷がつくと考えたこと。
の2点を挙げ、「事件関係者の身柄を拘束して、見せしめにするためのあからさまな別件逮捕」であり、「彼らが事件に関係して世間を騒がせたこと、あるいはマスコミ世論の指弾を受けたこと自体とけしからんとする『ケシカラン罪逮捕』である」と述べています。
著者は、この事件の構図を、「報道が悪のイメージを作り出し、そのイメージに乗っかって当局が罪人を作り出す。その結果、人々の目は最も肝心なところからそらされていく」と述べ、「この事件で問われるべきは国交省の官僚たちの責任だった」として、「建物の安全を支えるはずの建築確認システムが完全に形骸化し、機能しなくなっていたということ」を事件があらわにし、「国交省の官僚たちはおそらくそのことに薄々気づきながら、何の手も打たずに放置してきたのだろう」と述べるとともに、彼らが、「1998年の建築基準法改正に際して検査業務の民間委託と限界耐力法の導入によって建築確認システムを破綻させた」ことを指摘しています。そして、国交省の官僚たちが、「自らの責任回避に成功した」のは、「事件発覚から強制捜査着手までの約5ヶ月間、メディアを通じて流された情報の大半は国交省を発信源としている」として、国交省の情報操作を指摘しています。
第5章「情報幕僚」では、記者クラブ制に関して、「事件記者たちが当局の捜査を批判する記事のスタイルを持っていないのは、日本のメディアの報道が『客観報道主義』に基づいているから」であるとして、「記事のスタイルはこの客観報道主義に基づいて交通事故や窃盗事件から誘拐殺人のような大事件に至るまでそれぞれに応じて決められて」いることを指摘しています。
そして、「記者たちの多くが官庁の中に設けられた、閉鎖的な記者クラブに所属し、そこで役人のレクを受けたり、役人宅に夜討ち朝駆けをかけたりして情報を取る」なかで、「官庁情報をいち早く簡潔に、しかも正確に記事化すること」が要求され、「そんな作業を長年続けていると、知らず知らずの間に官庁となれ合い、官僚と同じ目線で社会を見下ろすようになる」と指摘しています。
また、著者自身の体験談として、東京社会部で事件記者にとっての桧舞台である検察担当になったときに、ヒラの検事たちに接触し、「特捜部内に2人の有力な情報源」を持つことができ、彼らと情報交換を繰り返すうちに、「いつのまにか彼らのインナーグループの一員になっていた。彼らに情報を提供し、彼らの捜査に協力しながら、自分の仕事に必要な情報をもらっていた」と語っています。
そして、著者が、共同通信の記者を目寝る直前に手がけた『沈黙のファイル』の取材で、太平洋戦争開戦前夜の参謀本部作戦課の内情を調べた際に、「あのとき新聞の論調はわれわれが弱腰になることを許さなかった」という元参謀の証言に出会い、「それまで新聞は軍部の圧力に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいた」著者は衝撃を受けたと述べ、「彼ら新聞記者たちは政官界の随所に濃密な人間関係を儲けて食い込み、情報を物々交換することで、あるいは情報を通過のように利用することで密着度を高めながら、実態としては情報提供者・情報幕僚としてふるまい、時としては政治ブローカーのごとき役割も果たしていた」ということを、「かなりの確信を持って言うことができる」と、検察庁における自分自身の立ち振る舞いに照らしながら語っています。
著者は、「情報には魔力がある。それがディープ名ものであればあるほど情報の出し手と受け手の一体感が強まり、それに伴なって受け手の出し手に対する批判的な目は失われていく。もっとありていに言えば、記者は無意識のうちに自らの情報源に跪いてしまう」と述べています。
第6章「検察の暴走」では、「特捜検察は今ブレーキの壊れた車のように暴走し始めている」と述べ、ライブドア・村上ファンド事件に関して、「一見華やかでも、操作の中身は疑問だらけだ。これほど無理筋の経済事件は戦後検察しにもほとんど例がない」と指摘しています。
そして、「情報をエサに新聞やテレビを味方につければ、検察が批判されることはほとんどない」として、「検察は自らの威信や影響力を保つために次から次へと事件を摘発しなければならないという自転車操業的体質をこの十数年で身につけてしまった」ため、「検察組織の劣化は急激に進んだ」一方で、「『この国を統治するのは俺たちだ』と言わんばかりの権力的な自意識だけが肥大化した」と指摘しています。
第7章「NHKと朝日新聞」では、「日本のメディアの現状を最も端的に示したのは2005年1月、朝日新聞の報道で明るみに出たNHK番組改編問題だった」とした上で、「この番組改編劇にはかなり巧妙な仕掛けが施されている」として、「松尾や野島らNHK幹部たちは安倍に呼びつけられたのではない。安倍ら『若手議員の会』のもとに出向くよう仕向けられたのである。そして『仕掛け人』が目論んだとおり、安倍らの意向を敏感に察知して、制作現場に改変を命じたのである」と指摘しています。
そして、「この問題ほど日本のマスコミの異常さを内外に知らしめたものはない」とした上で、「その政治的圧力がなかったかのような報道がまかり通る原因を作ったのは当の朝日新聞である」と指摘し、朝日の本田記者らは、「自分の組織に負けたのである」と述べています。
また、番組改編問題が明るみに出る約3ヶ月前に起きた「辰濃事件」の際の朝日の処置が、ネックになっていたと指摘し、「管理を強化し、効率化を追求すればするほど組織はガタガタになる。もうそろそろメディアの経営陣はそのことに気づいていいはずだ」と述べています。
第8章「最高裁が手を染めた『27億円の癒着』」では、「産経新聞大阪本社と千葉日報社の2社が最高裁と共催した裁判院制度のタウンミーティングでサクラを動員していた」事件について、「この問題には見えないカラクリが潜んでいるのではないか」と直感したとして、「最高裁とパイプを持ち、日本最大の広告代理店・電通の大株主であるうえ両新聞社に記事を配信している共同通信社しかないのではないか」と推測しています。
また、タウンミーティングの開催結果を伝える特集記事と最高裁の裁判員制度についての5段広告について、「事前広報及び事後広報」と「実施主体の中立性」がポイントになるとして、「官庁や裁判所とは一線を画し、独立した新聞者の編集権に基づく特集記事だと思い込ませ、裁判員として参加するのが国民の義務だという空気を醸成することができる」という「実施主体の中立性」を全面員出しながら、「全紙が同じ企画で詳報を載せている」ことは、「あらかじめ電通が『特集10段・広告5段』と指定しているためだ」ということは「電通の仕様書を読むとすぐにわかる」ことを指摘し、「質の悪い企業が読者を騙して新商品を買わせようとするときに使う"偽装記事"(記事を偽装した広告)と同じ手法が使われている」今年糾弾しています。
そして、「こうした偽装記事と広告の抱き合わせ方式が実行されたのはこれが初めてではない」として、共同通信が10年以上前から、「社内で『パックニュース』と呼ばれる特殊な企画記事を加盟紙に配信」していて、「株式会社共同通信社(報道機関である社団法人共同通信者の関連会社)が電通と連携しながら始めたサービス」であることを明らかにしています。
また、電通が最高裁に提出したタウンミーティング「仕様書」には、「新聞者の編集関係者の意識を高めてもらい、執筆意欲を喚起する」とするとともに、「地域オピニオン層の巻き込み」を図るとしていること、「コーディ

