2008年08月17日
非線形科学
■ 書籍情報
【非線形科学】(#1305)
蔵本 由紀
価格: ¥735 (税込)
集英社(2007/9/14)
本書は、「非線形科学の『定石』をごく平易な言葉で語り、それを通して、この科学の全体像を浮かび上がらせよう」とするものです。
著者は、「自然は複雑で柔らかな構造」を持っており、「それにすなおにフィットするような科学が今求められている」として、「そうした自然の記述方法を、非線形現象の科学はさまざまに提供して」北と述べています。
「プロローグ」でjは、「非線形の問題というのは実に広く、現代物理学のフロンティアはほとんど例外なく非線形の問題に立ち向かっている」とした上で、「非線形科学」と呼ばれるものは、「これよりかなり限定された意味」を持つとして、
(1)動きを含んだ現象にもっぱら関心を寄せる。
(2)現代物理学がともすれば軽んじてきたマクロ世界の現象に強い関心を示し、そこが主戦場になっている。
の2点を挙げた上で、非線形科学を、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」とみなしてはどうかと述べています。
第1章「崩壊と創造」では、1970年代初頭に、「まだ荒地に小道が切れ切れに散在する程度の未開拓な分野」であった非線形現象の科学において、「そのころ偶然に出会った一冊の本が、図らずも研究者としての私のその後の人生を決定づけること」に鳴ったとして、パウル・グランスドルフとイリヤ・プリゴジンによる『Thermodynamic Theory of Structure, Stability and Fluctuations (邦訳『構造・安定性・ゆらぎ―その熱力学的理論―』)を紹介しています。
そして、どう所の著者の一人であるプリゴジンが打ち出した「散逸構造」という画期的な概念について、「エネルギーの絶え間ない散逸の中から立ち現れる構造を意味する『散逸構造』は、その逆説性もあってでしょうか、鮮烈な印象を人々に与え」たと述べ、「萌え続ける蝋燭が、燃焼によって生じるエントロピーを空気中に排出し続けることで炎という構造を維持するように、エントロピーが絶えず外部世界に排出され続ける限り駆動力は維持され、システムは平衡からはなれた状態を保つこと」ができ、「そこから生じるさまざまな形や運動を、プリゴジンは散逸構造と名付けた」と解説しています。
著者は、「エネルギー保存の法則とエントロピー増大の法則の立場から世界を見直してみると、見慣れた身辺のさまざまな現象が新しい意味を帯びて」来るとして、「変転する自然を貫く一本の太い軸が見えてくる」と述べています。
第2章「力学的自然増」では、「対流現象の中でも特に熱対流現象と呼ばれるものに注目」し、「この特別の減少を例に取りながら、科学者たちは非線形現象を理解するために、どのような姿勢で挑み、どのようなアプローチを試みて来たのかについて」述べています。
そして、「温まった流体の浮力によって引き起こされる熱対流現象」である「レイリー・ベナール対流」を取り上げ、「このような線形理論だけでは、不安定になった結果、どのような流動状態が生じるかについては何も」言えないという困難について、非線形科学がとってきたアプローチとして、
(1)コンピュータ・シミュレーション
(2)粗っぽくいえば「物離れ」した立場
(3)分岐理論、あるいはもっと広く、分岐理論を一つの柱とするいわゆる縮約理論
の3点を挙げています。
第3章「パターン形成」では、熱対流現象と並んで、非線形現象の科学を進展を牽引してきたもう一つの物理現象として、「ベルーソフ・ジャボチンスキー反応」(BZ反応)の名で広く知られる化学反応を取り上げ、「物質の濃度が時間とともに周期的に変動しながら化学平衡に近づいていく化学反応として、最初に注目されたもの」と解説しています。そして、「化学反応が振動する」ということ自体の魅力に加え、「ペトリ皿の中で実験を行うと反応液が不思議な模様を描き、それがゆっくりと成長発展するという事実」をもう一つの大きな魅力として挙げています。
第3章「パターン形成」では、「均一な状態は拡散の効果によってかえって不安定化し、不均一なパターンが生じうる」という現象について、「拡散に誘導された不安定性」または「チューリング不安定性」と呼ばれている現象であると述べ、「キリンやシマウマや貝殻などをいると、その表面に自然が描いた美しい模様は、チューリング・パターンと関係があるのではないか」と思うとして、1995年に理化学研究所の近藤滋氏らが「ある種の熱帯魚に見られる縞模様がチューリングの機構に基づいて説明できること」を示したことを紹介しています。
また、「流体力学の方程式にせよ、化学反応と拡散過程が絡んだ方程式(反応拡散方程式)にせよ、これら非線形な運動方程式をまともに扱うことは一般に極めて困難」であるため、「ある方針に従って非線形の発展方程式を扱いやすい形に変形する」ことである「縮約」と呼ばれる考え方が必要になると述べています。
第4章「リズムと同期」では、「私たちの身のまわりには、実にさまざまなリズムがある」が、「そのような、力学モデルによるアプローチが難しい場合」に、「「リズムの発生機構側からないならわからないなりに、その先にある高次の自己組織化現象に取り組めるのが非線形科学の魅力の一つ」であると述べ、リズムとリズムが出会うと起きる「同期」という現象について、「二つのリズムが相互作用すると、周期がぴたりと一致して歩調関係は少しも乱れない、ということが起こる」と解説しています。
そして、「最も劇的な集団同期の例」としてしばしば取り上げられる「ホタルの集団における発光の同期」を取り上げています。
第5章「カオスの世界」では、「カオスの発見は何といっても非線形科学の展開における最大のできごと」だったとして、「そのインパクトは強烈で、あたかも安定していた足下の地面が突然ぐらぐらと揺らぎ始めたか」のようであったと述べています。
そして、「生態系のダイナミクスも実際には多数の複雑な要因が絡んでいる」にはちがいないが、「二次写像モデルの複雑な振る舞いは、ローレンツ・モデルのそれと同様に、『現象の複雑さを、直ちに多くの要因が絡むことによる複雑さと考えてはならない」という警告」を与えてくれると述べています。
第6章「ゆらぐ自然」では、「十分に発達したブロック内部のゆらぎ、すなわち臨界状況で物質内のゆらぎを特徴づけるキーワードは、平均値や分散や中心極限定理にかわって自己相似性やベキ法則」であると述べ、「自己相似性はベキ法則と密接に関係している」と解説しています。
そして、「ベキ法則で記述されるような、特徴的なスケールを持たない対象として、スケールフリー・ネットワークと呼ばれるもの」を取り上げ、「スケールフリーとはまさしく特徴的なスケールを持たないという意味」であると解説しています。
また、ワッツとストロガッツによる「スモールワールド・ネットワーク」のモデルやバラバシによる「スケールフリー性をもつネットワーク」などについて解説しています。
本書は、われわれの生活に深い関わりをもつ「非線形科学」をわかりやすく解説した入門書としてお薦めの一冊です。
■ 個人的な視点から
生物学だったり社会科学だったりと「科学」と名の付くさまざまな分野で「非線形」の科学が新しい流れを作り出しているような気がします。とは言え、『構造・安定性・ゆらぎ―その熱力学的理論―』が1970年代初頭ということは、もう40年近く経つわけですが、ようやくメインストリームに大きな影響を出すようになったということなのでしょうか。
■ どんな人にオススメ?
・「科学」と聞くと、方程式と実験を思い出す人。
■ 関連しそうな本
蔵本 由紀 『新しい自然学―非線形科学の可能性』 2006年12月03日
スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
都甲 潔, 林 健司, 江崎 秀 『自己組織化とは何か―生物の形やリズムが生まれる原理を探る』 2006年05月13日
スティーブン ジョンソン (著), 山形 浩生 (翻訳) 『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』 2006年02月25日
マーク・ブキャナン (著), 阪本 芳久 (翻訳) 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』 2005年12月21日
アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
■ 百夜百音
【アナタボシ】 MilkyWay オリジナル盤発売: 2008
『きらりん☆レボリューション』という作品自体は知ってましたが、ここまで徹底的にメディアミックスしたものだとは思いもよりませんでした。
とにかく頭にグルグルと残る曲です。
グルグルと言えば、3人で肩に手を置いてグルグル回るのは異国情緒あふれる振り付けだと思います。
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2008年08月16日
したたかな生命
■ 書籍情報
【したたかな生命】(#1304)
北野 宏明, 竹内 薫
価格: ¥1680 (税込)
ダイヤモンド社(2007/11/16)
本書は、「世界をロバストネスの観点から眺めることにより、世界は生命の躍動としてとらえられ、通常は生命とは無関係だと思われている『組織』も、ある種の生命法則と同じように『進化』していることがわかるようになる」ものです。
著者は、「ロバストネス」(=強靭さ)とフラジリティ(=脆弱さ)は、「あらゆるシステムの表と裏の顔」だと述べています。
第1章「したたかに生きる強さの条件」では、「分子の集合体からなるシステムの構成原理、基本原理は何かという問いに答える」溜めの「システムバイオロジー」という研究分野について、「システム論的な生物学への新たな興味は、システム論からの流れ、代謝工学からの流れ、ゲノムサイエンスからの流れ、計算科学・複雑系からの流れが折り重なったということに特徴がある」と述べています。
そして、「生命現象を理解するには、遺伝子やタンパク質を理解することは必須」だが、「それらがどのように相互作用し、そのネットワークが、どのような動作原理で挙動するのかがわからなければ、その生命現象の理解は困難」だと述べた上で、システム生物学の「システム」の理解のレベルとして、
(1)システム構造理解
(2)システムダイナミクス理解
(3)システム制御理解
(4)システム設計理解
の4つのレベルを挙げています。
また、「生命のシステム・レベルでの理解につながる思考の枠組み」として、「生物の色々な局面で観察され、部品個別の機能では説明できない現象」について、「生物が、いろいろな擾乱に対してその機能を維持し続けることができる現象」を挙げ、「多くの種では、幅広い擾乱に対して、対応できる能力を有して」いるという特徴を、「ロバストネス(Robustness)」と呼んでいることを紹介し、本書が、「このロバストネスという概念を用いて生物や組織などのシステムをより深く理解するという試みを展開」するものであると述べています。
さらに、「複雑なシステムのロバストネスを向上させる方法」として、
(1)システム制御
(2)対故障性
(3)モジュール化
(4)デカップリング(バッファリング)
の4点を挙げています。
第2章「強くなればなるほど弱点が生じる」では、「すべての擾乱にロバストなシステムは存在しない」として、「ロバストネスとフラジリティの関係というのは表裏一体で、どこかをロバストにすれば、必ずどこかにフラジリティが出てくる」というトレードオフが存在し、「このトレードオフは永遠に解決」しないと述べています。
さらに、トレードオフは、「ロバストネスとフラジリティの間だけではなく、パフォーマンス(性能)とリソース(資源)までも含んだ関係」があるとして、「この4つがまさに『四つ巴』になる」と述べています。
そして、糖尿病をロバスト・システムの脆弱性という観点から理解するとして、われわれの身体が、「エネルギー消費が激しく、感染症の多い環境に対してロバストになるように進化してきた」と考えられるとした上で、進化的なタイムスケールでは、「マクロな敵(捕食者)とミクロの敵(感染症)との戦いに有利になるような適応をしてきた」ため、「どのような場合にでも、中枢系と免疫系の機能を維持することが最も重要」であったと述べ、「進化的に見ると、インスリン抵抗性は疾病ではなく、通常の生理学的機能であり、感染などに対する生態のロバストネスを実現する機構である」と考えられるが、「ヒトが生きる環境が急激に変わってしまった」結果、「血中のグルコースレベルが高いままでいるので、糖毒性や高インスリン血症などによって引き起こされる血管障害になる」と解説しています。
第3章「ロバスト・システムとしての癌」では、「癌がいろいろな治療に対してロバストに対応する現象」について、癌のロバストネスの原因として、
(1)細胞内のフィードバック・ループやシグナル伝達系の多様性
(2)腫瘍微小環境でのフィードバック(tumor microenvironment feedback)
(3)癌細胞の遺伝的多様性
の3点を挙げた上で、「これらのメカニズムによって、癌は非常にロバストなシステムになってしまった」と述べています。
また、抗癌剤の開発において、「癌細胞に選択的に効果を及ぼし、正常細胞には副作用を与えないという『選択性』をいかに確保するか」が重要であるが、「多くの抗癌剤では、高い選択性を実現できていない」として、「ヒトの大規模タンパク質相互作用データを利用した研究」が進んだ結果、「多くの疾患の原因タンパクはネットワークの周辺部分に存在するのに対して、癌関連因子はネットワークの中心部」であり、「非常に多くの分子と相互作用するネットワークの構成要素」である、「ハブ」であることが明らかになったと述べています。
そして、「一つの可能性」として、「ハブやボトルネックとなっている因子をターゲットにしないで、多くの因子をターゲットにする戦略」を挙げた上で、「問題は、ロングテールの部分にあるターゲット単独では、大きな効果を及ぼさないであろうということ」であると述べています。
第4章「遺伝と共生をつなぐ進化のシステム」では、「進化可能性とロバストネスは密接に関連していて、進化とロバストネスは切っても切れない関係」のようだと述べ、生物が進化する際には、
・突然変異などの遺伝的な変化が引き起こされる必要
・その結果として、新しい形態が出現し、集団中に広まっていく必要
の両方が必要であるとして、
(1)致死的ではない突然変異が生じる可能性があることが必須
(2)変異は致死的である可能性があるので、できるだけ少ない数の変異で新たな有利な表現型が生み出されうる
の2つが必要であると述べています。
そして、「少ない回数の突然変異で新たな表現型を生み出すことに関わりがありそうなメカニズム」として、「モジュール化」を挙げた上で、「ホメオティック遺伝子(Homeotic Genes)の出現」と、「それを含むショーン・キャロルがいうところの『進化のツールボックス』の出現」という2つの「進化的な飛躍」が、モジュール化を可能にしたと解説しています。
また、「生物の生命現象を担う分子間相互作用ネットワークの構造」において、「コアを中核とした重層構造をもつ進化戦略」として、「蝶ネクタイ構造」(Bow-Tie Architecture)のネットワークが見えてくると述べ、「進化の過程で、シグナル伝達系が多様化する場合に、安定的に保存されているコア・ネットワークに接続することで、新しい刺激やより詳細な刺激の弁別に対応できる可能性」を示唆しています。
著者は、「進化可能性とロバストネスのメカニズムは、システム上の要求としては同じことが要求されているのではないか」として、「ロバストネスが進化可能性を促進し、進化のプロセスでその環境に対してよりロバストネスの大きい個体が選ばれやすいという相互関係がある」と述べています。
そして、「ロバストネスという視点から生命を見ていくと、生命の多様性や進化が別の角度から理解できる」として、「このような概念体系の構築は、ようやく始まったばかり」だが、「いずれ非常に豊饒な概念・理論体系が構築され、生命システムなど、複雑で進化可能なシステムに深い理解に達するのではないか」と述べ、「その中での中核概念であるロバストネス・トレードオフは、複雑で進化可能なシステムが内含する本質的な相克として、生命の物語の中心的モチーフになるのではないか」と述べています。
本書は、生命や組織が持つ「したたかな」頑健さに対する理解を深めるきっかけを与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
進化と糖尿病の話は『迷惑な進化』にも出てきた話なので読みやすかったですが、一番面白かったのは、ロバストネスという観点から見た癌の話でしょうか。病気として治りにくい、ということは、癌がそれだけロバストであるということですが、こんなところでネットワーク理論に出くわしたのが驚きでした。
■ どんな人にオススメ?
・生命の強さの仕組みを知りたい人。
■ 関連しそうな本
竹内 薫 『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』 2007年06月16日
北野 宏明 『システムバイオロジーの展開―生物学の新しいアプローチ』
児玉 龍彦, 仁科 博道 『システム生物医学入門―生命を遺伝子・タンパク質・細胞の統合ネットワークとして捉える次世代バイオロジー』
池上 高志 『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』
田中 博 『生命-進化する分子ネットワーク―システム進化生物学入門』
蔵本 由紀 『非線形科学』
■ 百夜百音
【続・青春歌年鑑 1970】 オムニバス オリジナル盤発売: 2002
月亭可朝もボインを嘆くどころの場合ではなくなってしまいましたが、今の若い人にはなかなか通じないのではないかと思います。
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2008年08月12日
もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語
■ 書籍情報
【もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語】(#1300)
ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
価格: ¥1470 (税込)
朝日新聞社(2006/08)
本書は、技術者が作る「橋、ビル、ダムなど地上で最も大きな建造物」を讃えたものです。著者は、そのような成果の背後に、「しばしば、その計画と同じほど人物の大きな技術者の物語がある。そうした人々があきらめずに追った夢は、今、我々の現実の一部となっている」と述べています。
第2章「アメリカの橋さまざま」では、「ポートランドのように、橋の町だといえる都市はアメリカにたくさんあるが、美しく珍しい橋の数の点で言えば、オレゴン州の沿岸地域に勝る地域はほとんどない」として、その主任技術者コンディ・B・マッカローの天賦の際を讃え、「マッカローが設計した主要な橋は、どれをとってもまったく同一というものはないが、そのほとんどにマッカロー作品の特徴となる要素がある」として、「優美なコンクリートのアーチと、橋の入り口にあるアール・デコ超の塔」を挙げています。
そして、「地元の地形や政治の都合で妙な形をしていたり、橋の利用者には業績がすでに忘れ去られた技術者を記念する変わった名がついていたりしても、どの町にも、それぞれに代表的な橋がある」として、「橋や橋を架けた人の物語には、歴史――土地や人々や、人々が描いた夢――の、豊かで得るところの大きいひとこまが潜んでいる」と述べています。
第4章「浮体橋」では、「恒久的な大きな浮体橋は、基本的には複数の船体をくまなく並べて、連続した橋床ができるように舗装したものだ」としたうえで、「橋を設計するときには、航路として使える部分が取れるようにしなければならない」と述べ、「そのためにはたいてい、台船どうしの間を開け、その開いた部分を橋桁などの普通の橋と同じようなもので渡したり、何らかの稼動部分をつけたりすればよい」と述べています。
第6章「ノルマンディー大橋」では、ノルマンディー大橋(ボン・ド・ノルマンディ)を、「多き話といえばほとんどが荘であるように、独特の技術問題に対する傑出した解決策であり、かつ、もっと広く歴史的に見れば、すべての橋の問題を解決するものでもある」と述べたうえで、「世界的な橋の場合、設計はすべて、個々の技術者の夢として始まり、その技術者が自身の美学的・構造的判断に対して抱く自信が、依頼主の財政的・政治的判断に対する自信と合致する場合に動き始める」と述べています。
第7章「ブリタニア橋」では、「大規模な土木事業における経済の相対的意味」について、「後から見れば無駄と思えるものも、難しい判断を下さなければならなかった当時には、経済的なことと見えたかもしれない――判断は、必ずしも技術者だけがするのではなく、事業に財政的・社会的に責任をもつ、実業家や政治家とも強調して下される」と述べ、「工学的・科学的知識が少なくても、もっと経済的で構造的に優れた展開がいつか分からない将来に来るのを待つよりも、既知の経済的・技術的リスクをとって、さいは投げられた」と解説しています。
第10章「ミレニアム橋」では、ゲーツヘッドのミレニアム橋に関するデザイン・コンペについて、「デザイン・コンペ賛成/反対の議論は、たぶんコンペがある限り、どこにでもあったことだろう」とした上で、「建築家と技術者は昔から、コンペが、意図してのものでなくても、わずかな対価で、幅広い専門家の仕事と意見を得る、巧妙な方法だという点で一致している」と述べ、19世紀の終わりの土木・機械技術者、J・W・C・ホールデーンが、「建築家や技術者がひどく酷使されてきた仕事として、『コンペ』という言葉で知られる仕事ほどのものはない」と書いていることを紹介しています。
第11章「ミレニアムの遺産」では、「ロンドンのセントポール大聖堂の近くにあるシティという金融街の峻厳な建物と、テムズ川の対岸にある、元は壮大な発電所を改装したテイト近代美術館とをつなぐ」歩行者専用の橋であるロンドン・ミレニアム橋について、2000年6月10日の開通日に、10万人近い人々が橋を訪れた結果、「軽量の橋床は、それとわかるほどに横に揺れ」、「25万人もの歩行者が利用した3日後には閉鎖され、技術者たちが揺れ方を理解し、押さえる方法を求める間、ずっと閉鎖された」と述べています。
そして、研究の結果、「ミレニアム橋は、歩行者と構造物の相互作用、つまり、『群集誘発型動的歩行者負荷(クラウド・インデュースト・ダイナミック・ペディストリアン・ロード)』とでもいうべき作用」を示し、「偶然、十分な数の歩行者の歩調がそろえば、わずかでも路面を横向きに動かすことがありえた。ところが、この動きは比較的高い頻度で生じ、人間は高い頻度の運動には敏感になる傾向があるので、わずかな動きが頭や体の中で増幅された。感知された運動に反応して、そのとき橋の上にいた人々は、橋の動きと同期して横に動き始め、これが、子どもが乗ったぶらんこを親が押してやると一回ごとにぶらんこが描く弧が大きくなるのと同じように、橋の動きを増幅する」と解説しています。
第12章「壊れた橋」では、「どんな時点でも、技術・設計、分析は、それが基づく知識や前提以上にはよくならない。来るべき地震について端が安全かそうでないかは、当の地震のあり方がきちんと分からなければ確実なことはいえない」として、「技術者は、新しい端や現存の橋を、議論や審査の余地がある程度残ったままの判断で設計、分析しなければならない」と述べ、「いろいろな地震から学んだ教訓のおかげで、技術者は、限界はあっても、未来の地震にもっとよく耐えられる新しい橋などの構造物を設計できるようになる」と解説しています。
第15章「ビルバオ」では、「彫刻のような構造をさっと描いたスケッチを実現するのに相当の時間と費用がかかった例」として、シドニーのオペラハウスを挙げ、「最終的な費用は当初の見積もりの15倍近くになった」にもかかわらず、「ここでは大規模なオペラがきちんと上演できず、オペラ愛好家をがっかりさせている」と述べています。
第18章「摩天楼の崩壊」では、「2001年9月11日のテロリストによる攻撃は、単に世界貿易センターのツイン・タワーを倒しただけ」ではなく、「世界中の高層ビルの計画、設計、建設、利用の新時代の始まりを告げた」として、「当面、少なくとも西洋社会では、超高層ビルはテロリストの標的となる可能性があり、維新を求める借主が、看板高層ビルをこれからも借り続けるか、ますます検討することになる」と述べています。
そして、「局所的に損傷を受けて柔らかくなった構造が上にある部分の重さに耐えられなくなると、下の階に向かって崩れていく。ビルの上層階から下層階に伝わっていき、鋼鉄の柱がそれ自体を伝った熱である程度柔らかくなっていくと、『パンケーキ・クラッシュ』と呼ばれる連鎖反応が起こってすべてが次々と崩れ落ちていく」と解説しています。
第23章「技術者の夢」では、「英仏海峡トンネル、ジブラルタル・ダム、太陽発電や潮汐発電の普及など、壮大な技術の構想」を描いた、ウィリー・レイが1954年に出した『技術者の夢』について、「相当多くの人の記憶に残」り、「長く読まれ続けている」のは、「この本が、環境に対する大きな影響の潜む大規模な地上の事業を唱えていて、たとえ半世紀前の技術で語られているとしても、どんなにささやかな技術でも大規模に行えばこの惑星の姿を変えうるということを考えさせるからだ」と述べています。
本書は、巨大構造物に対する人間のチャレンジと、それを支える社会的ドラマを簡潔に切り取った一冊です。
■ 個人的な視点から
これまで多くの著書で建造物をめぐる失敗の歴史を描いてきた著者としては珍しく前向きなベクトルが強い一冊です。もちろん、失敗や試行錯誤は次の挑戦に向けた貴重な教訓となるのですが、本書が基本的に前向きなことは、著者が歴史の文脈の中ではなく、現在の時間軸の中で語っているという点で、ちょっとだけ物足りなく感じる人もいるかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・巨大な建造物にロマンを感じる人。
■ 関連しそうな本
ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
ヘンリー ペトロスキー (著), 中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳) 『橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学』 2008年08月09日
ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日
ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『〈使い勝手〉のデザイン学』
■ 百夜百マンガ
フェアチャイルドの曲で「わたしと鰐の一日」というのがありましたが、当時ワニを飼うのが流行ったりしたのでしょうか。
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2008年08月09日
橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学
■ 書籍情報
【橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学】(#1297)
ヘンリー ペトロスキー (著),中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳)
価格: ¥1365 (税込)
朝日新聞社(2001/10)
本書は、「どのように設計プロセスにミスが入り込むのかを説明するモデルを示すだけではなく、現場の設計者が自分で設計する際に同様のミスを犯さないようにする方法を示すこと」を目的としたものです。
第1章「はじめに」では、「失敗という概念は設計プロセスの中心となるもので、失敗を避けようと考慮することではじめて、設計の成功が成し遂げられる」と述べ、「本書で紹介するさまざまなケース・スタディーによって過去の誤りの細部をよく知ることは、確立された失敗のパターンを打ち破り、より成功し信頼できる未来の設計を保証する最も確実な道なのではなかろうか」と述べています。
第2章「概念設計のミス」では、「ミスは設計のどの段階でも起こりうるが、概念設計の段階で犯される基本的なミスは一番捉えにくいものに入る」と述べています。
そして、1968年の東ロンドンのローナンポイントの24階建ての集合マンションにおけるガス爆発をきっかけとした崩壊事故を取り上げ、「すべての概念設計のミスが、ローナンポイントのビルのような劇的な崩壊に繋がるわけではない」が、「実物大の建造物、最大出力の機械、実際の能力の製品の形で出荷前に十分に批判され、うまく吟味されてこなかったため」であると指摘しています。
第3章「規模の限界」では、「機能に対する大きさ、すなわち規模の効果ほど、よく知られていながらかくもしばしば忘れられる設計原理は恐らくない」と述べ、「歴史の最も困惑させられるような瞬間は、かつて試みられた最大の機械や構造物、システムが劇的に壊れるときにやってきた」と指摘しています。
そして、「規模の効果という現象は、恐らくガリレオの図にもっともよく集約されている」として、「骨の長さは三倍にしてあり、太さはこの巨大な骨に相応した太さにしてある。これだけの太さにしておけば小動物の小骨格と同様の程度にこの巨大な動物の骨格はその運動に役立つ」と述べていることを紹介しています。
第4章「設計の改悪」では、「解析面でかなり進歩しているにもかかわらず、設計問題の基本的順序は究極的にはいまだに次のようなもの」であるとして、
(1)どのようにして破損は起こるのか。
(2)どのように設計の工夫をすれば、別の破壊を招くことなくその破損の態様を回避できるのか。
の2点を挙げ、「幾何学、材料、工程といったどのような設計の変更も、新しい破壊の態様をもたらし、あるいは隠れていた破壊の態様が働くようにしてしまうかもしれない」ことを指摘しています。
著者は、「ガリレオの大理石の柱の話という規範例の価値は、文字通りのお話としてではなく、一般化された警告を引き出す類推を引き起こす力にある」として、「もしそうした警告が、成功に基づいた経験則と同じように設計者に身近で直感的なものとなれば、警告となる規範例は、ヒューマン・エラーの削減と、設計の信頼性の向上に実際に役立つであろう」と述べています。
第5章「論理的なミス」では、「ガリレオの片持ち梁の問題の正しい定式化、そして正しい解決の展開には非常に長い時間がかかった」原因の一部分が、「異論の余地のない天才ガリレオへの技術上、科学上の信頼による」と述べ、「私たちは基本的な前提に含まれるミスを見逃す傾向があり、その前提が権威をもって主張され、そこから導き出された結果によってそれが確証されるように見えるときにはなおさらである」と指摘しています。
第9章「成功につながるミス」では、「さほど目立たずさほど新しくない事故は、いまなお関係があると受け止められる産業や専門分野だけでしか思い出されないことが多く、その場合ですら、そこに含まれていた間違った技術を最新技術が覆い隠すように見えるにつれ、それはほこりのかぶった文書庫に追いやられがちである」が、技術市場の失敗のかなりの部分は、時代を超えて今日も使われている、同じ設計の論理と方法論におけるミスによるものであり、それゆえに古典的な失敗の根本原因は、高度に洗練され複雑になった今日の設計と設計プロセスに対しても引き続き妥当でありうるし、事実妥当なのだ」と述べています。
著者は、「通常設計(ノーマルデザイン)が人間の主な活動であり続けることに疑いはないが、設計の適用範囲を超えたどこかにほぼ不可避的に潜んでいると思われるヒューマン・エラーという落とし穴に十分に用心して設計者は進まなければならない」と述べています。
第7章「視野狭窄」では、「すべての技術的失敗が、鋼鉄の亀裂や破壊、悲劇的な人命の損失を伴なって突然劇的に起こるものではない」として、「こうしたミスは設計プロセスにまさに特有なものである可能性があり、だからそれらに光を当てるケース・スタディーは、設計の教育と実践に非常に参考になり価値がある」と述べ、「このようなミスの一群は、設計における視野狭窄とひとくくりにして記述できる」としています。
そして、1849年代後半に、「イギリス諸島で進行中の最も重要な建設プロジェクトと一般にみなされたし、その進捗を見るために、技術者や設計者たちはその場所をよく訪れた」、ロバート・スティーヴンソンの設計によるブリタニア橋について、「なぜ、ブリタニア橋が驚くべき成功であると同時に構成の橋にとって失敗の手本になったのかは、この橋の設計と建設を取り巻く状況を考えると最もよく理解できる」と述べ、「規範例(パラダイム)として役立つようなあらゆる歴史事例同様に、この話は詳細をより深く知るほど重大な意味をもってくる」と指摘しています。
著者は、「すべての革新的な設計は、ある程度の研究、開発、証明、そして先行技術が当然のものとしていた保守主義を必要とするという意味で、いくぶん不経済なものと予想できる」と述べ、「ブリタニア橋の歴史事例は、新しい設計プロ宿とに伴なうことのある視野狭窄によって、設計者が、主要な設計上の問題の狭い範囲の外側からは、内側からほど注意深く失敗を考察することがどんなにできなくなるのかについての味方を与えてくれる」としています。
第8章「技術的判断の源泉としての失敗」では、「設計における最初で一番不可欠なツールは判断である」として、「工学的判断とは、概念設計のまさに最初から、研究と開発のための解析モデルや実物モデルを作り上げていく鍵となる要素を見定めるものである」と述べています。
著者は、「失敗の歴史事例と失敗を回避しようとする戦略は、一般に場当たり的なやり方でしかなされてこなかった設計の仕事への貴重な情報源である」と述べた上で、「設計は、失敗の予測と会費を含んだプロセスなので、設計者が失敗について多くの知識を持つほど、彼らの設計はそれだけ信頼できるものになる」と述べています。
第9章「歴史の選択的利用」では、「失敗のないことは設計が完全があることを証明しない。なぜなら、表面化していない失敗の態様が、まだ経験されていない条件によって引き起こされるかもしれないからである」と述べ、「劇的な失敗がないことは、当然のごとく自信満々になったそのジャンルについて設計者たちに自己満足を与えてしまうかもしれない。そればかりか、成功の風潮は、何かおかしいという警告サインに対する設計者たちの反応をより鈍くするかもしれない」ことを指摘しています。
第10章「史上に残る橋の崩落と未来の設計への警告」では、「設計の成功と失敗の関係は、技術の基本的なパラドックスの一つとなっている」として、「成功の経験の積み重ねによって、設計者はもっとはるかに大胆で野心的なプロジェクトに挑戦するようになり、それは万人を驚かす途方もない失敗にほとんど必ずつながる。他方で、失敗の結果、生まれ変わった保守主義が生じることが多い」ことを指摘しています。
そして、シブリーとウォーカーが、歴史事例の研究を元に、主要な橋の崩壊が、「30年間隔で起こった」ことを指摘したことについて、その感覚は、「ある世代の技術者と次の世代の技術者のコミュニケーション・ギャップ」を示すかもしれないと考えたことを紹介し、「次々と現れる橋の形式のいずれも、それがまさにその前に崩落した様式に代わるものだったからこそ崩落するところまで発展したといえるかもしれない」と述べています。
著者は、「過去1世紀半にわたって主要な形式の橋の崩落が約30年ごとに起こってきたというシブリーとウォーカーの観察は、いずれは奇妙で珍奇なものにすぎないとわかるかもしれないが、それは、設計プロセスの本質に現れるある種の警告の徴候に技術者の注意を喚起することにも役立つだろう」と述べています。
第11章「結論」では、「失敗に基づく規範例が発展すれば、設計プロセスにおける失敗の役割をよりよく規定するのに役立つ」と述べ、「設計プロセスにおける失敗の役割の否定面、肯定面双方を理解すれば、プロセスそのものを、もっと理解しやすい、信頼に足る、生産的なものにできる」と指摘しています。
そして、「当を得た歴史事例の教訓はときを超えているから、設計の論理と設計判断ミスの古典的な陥穽について現代の設計者の意識が高まれば、同じ誤りが新たな設計で繰り返されることを防ぐのに役立つ」と述べています。
また、「成功は事実上リスクなしに模倣できるが、失敗についての適切な視点を組み込んだ技術的方法を適切に応用することによってのみそれを拡大することができる」と述べるとともに、「今日、失敗から学ばれる教訓の価値は広く認識されている」が、「ごく最近の失敗だけでなく非常に古いものも併せてみると、目に見える警告をはるかに超えた情報が含まれている」と述べています。
本書は、工学的設計に携わる人はもちろん、制度設計など、およそ「設計」と名の付くさまざまな営みに携わる人にとって価値のある一冊です。
■ 個人的な視点から
多くの人がその恩恵に浸りながらも直接的に思いを馳せることは少ない物理学とか橋などの構造物の設計について、非常にわかりやすく技術史を説いてくれる作者の代表作です。多少ミスがあっても人名に関わることはない制度設計などと異なり、わずかなミスも多くの人命に関わる事故につながる巨大構造物の世界は、もっと尊敬されてしかるべきものではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・何気なく「橋」を使っている人。
■ 関連しそうな本
ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語』
ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日
■ 百夜百音
【テレビアニメ スーパーヒストリー 4「紅三四郎」~「キックの鬼」】 テレビ主題歌 オリジナル盤発売: 1998
メジャーセブンスのかっこいいハーモニーで終わる「アクビ娘の歌」は、大人が聞いてもカッコイイ曲に仕上がっています。もちろん、当時ならではの動き回るベースラインの「ハクション大魔王の歌」もよいです。
投稿者 tozaki : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学
■ 書籍情報
【橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学】(#1297)
ヘンリー ペトロスキー (著),中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳)
価格: ¥1365 (税込)
朝日新聞社(2001/10)
本書は、「どのように設計プロセスにミスが入り込むのかを説明するモデルを示すだけではなく、現場の設計者が自分で設計する際に同様のミスを犯さないようにする方法を示すこと」を目的としたものです。
第1章「はじめに」では、「失敗という概念は設計プロセスの中心となるもので、失敗を避けようと考慮することではじめて、設計の成功が成し遂げられる」と述べ、「本書で紹介するさまざまなケース・スタディーによって過去の誤りの細部をよく知ることは、確立された失敗のパターンを打ち破り、より成功し信頼できる未来の設計を保証する最も確実な道なのではなかろうか」と述べています。
第2章「概念設計のミス」では、「ミスは設計のどの段階でも起こりうるが、概念設計の段階で犯される基本的なミスは一番捉えにくいものに入る」と述べています。
そして、1968年の東ロンドンのローナンポイントの24階建ての集合マンションにおけるガス爆発をきっかけとした崩壊事故を取り上げ、「すべての概念設計のミスが、ローナンポイントのビルのような劇的な崩壊に繋がるわけではない」が、「実物大の建造物、最大出力の機械、実際の能力の製品の形で出荷前に十分に批判され、うまく吟味されてこなかったため」であると指摘しています。
第3章「規模の限界」では、「機能に対する大きさ、すなわち規模の効果ほど、よく知られていながらかくもしばしば忘れられる設計原理は恐らくない」と述べ、「歴史の最も困惑させられるような瞬間は、かつて試みられた最大の機械や構造物、システムが劇的に壊れるときにやってきた」と指摘しています。
そして、「規模の効果という現象は、恐らくガリレオの図にもっともよく集約されている」として、「骨の長さは三倍にしてあり、太さはこの巨大な骨に相応した太さにしてある。これだけの太さにしておけば小動物の小骨格と同様の程度にこの巨大な動物の骨格はその運動に役立つ」と述べていることを紹介しています。
第4章「設計の改悪」では、「解析面でかなり進歩しているにもかかわらず、設計問題の基本的順序は究極的にはいまだに次のようなもの」であるとして、
(1)どのようにして破損は起こるのか。
(2)どのように設計の工夫をすれば、別の破壊を招くことなくその破損の態様を回避できるのか。
の2点を挙げ、「幾何学、材料、工程といったどのような設計の変更も、新しい破壊の態様をもたらし、あるいは隠れていた破壊の態様が働くようにしてしまうかもしれない」ことを指摘しています。
著者は、「ガリレオの大理石の柱の話という規範例の価値は、文字通りのお話としてではなく、一般化された警告を引き出す類推を引き起こす力にある」として、「もしそうした警告が、成功に基づいた経験則と同じように設計者に身近で直感的なものとなれば、警告となる規範例は、ヒューマン・エラーの削減と、設計の信頼性の向上に実際に役立つであろう」と述べています。
第5章「論理的なミス」では、「ガリレオの片持ち梁の問題の正しい定式化、そして正しい解決の展開には非常に長い時間がかかった」原因の一部分が、「異論の余地のない天才ガリレオへの技術上、科学上の信頼による」と述べ、「私たちは基本的な前提に含まれるミスを見逃す傾向があり、その前提が権威をもって主張され、そこから導き出された結果によってそれが確証されるように見えるときにはなおさらである」と指摘しています。
第9章「成功につながるミス」では、「さほど目立たずさほど新しくない事故は、いまなお関係があると受け止められる産業や専門分野だけでしか思い出されないことが多く、その場合ですら、そこに含まれていた間違った技術を最新技術が覆い隠すように見えるにつれ、それはほこりのかぶった文書庫に追いやられがちである」が、技術市場の失敗のかなりの部分は、時代を超えて今日も使われている、同じ設計の論理と方法論におけるミスによるものであり、それゆえに古典的な失敗の根本原因は、高度に洗練され複雑になった今日の設計と設計プロセスに対しても引き続き妥当でありうるし、事実妥当なのだ」と述べています。
著者は、「通常設計(ノーマルデザイン)が人間の主な活動であり続けることに疑いはないが、設計の適用範囲を超えたどこかにほぼ不可避的に潜んでいると思われるヒューマン・エラーという落とし穴に十分に用心して設計者は進まなければならない」と述べています。
第7章「視野狭窄」では、「すべての技術的失敗が、鋼鉄の亀裂や破壊、悲劇的な人命の損失を伴なって突然劇的に起こるものではない」として、「こうしたミスは設計プロセスにまさに特有なものである可能性があり、だからそれらに光を当てるケース・スタディーは、設計の教育と実践に非常に参考になり価値がある」と述べ、「このようなミスの一群は、設計における視野狭窄とひとくくりにして記述できる」としています。
そして、1849年代後半に、「イギリス諸島で進行中の最も重要な建設プロジェクトと一般にみなされたし、その進捗を見るために、技術者や設計者たちはその場所をよく訪れた」、ロバート・スティーヴンソンの設計によるブリタニア橋について、「なぜ、ブリタニア橋が驚くべき成功であると同時に構成の橋にとって失敗の手本になったのかは、この橋の設計と建設を取り巻く状況を考えると最もよく理解できる」と述べ、「規範例(パラダイム)として役立つようなあらゆる歴史事例同様に、この話は詳細をより深く知るほど重大な意味をもってくる」と指摘しています。
著者は、「すべての革新的な設計は、ある程度の研究、開発、証明、そして先行技術が当然のものとしていた保守主義を必要とするという意味で、いくぶん不経済なものと予想できる」と述べ、「ブリタニア橋の歴史事例は、新しい設計プロ宿とに伴なうことのある視野狭窄によって、設計者が、主要な設計上の問題の狭い範囲の外側からは、内側からほど注意深く失敗を考察することがどんなにできなくなるのかについての味方を与えてくれる」としています。
第8章「技術的判断の源泉としての失敗」では、「設計における最初で一番不可欠なツールは判断である」として、「工学的判断とは、概念設計のまさに最初から、研究と開発のための解析モデルや実物モデルを作り上げていく鍵となる要素を見定めるものである」と述べています。
著者は、「失敗の歴史事例と失敗を回避しようとする戦略は、一般に場当たり的なやり方でしかなされてこなかった設計の仕事への貴重な情報源である」と述べた上で、「設計は、失敗の予測と会費を含んだプロセスなので、設計者が失敗について多くの知識を持つほど、彼らの設計はそれだけ信頼できるものになる」と述べています。
第9章「歴史の選択的利用」では、「失敗のないことは設計が完全があることを証明しない。なぜなら、表面化していない失敗の態様が、まだ経験されていない条件によって引き起こされるかもしれないからである」と述べ、「劇的な失敗がないことは、当然のごとく自信満々になったそのジャンルについて設計者たちに自己満足を与えてしまうかもしれない。そればかりか、成功の風潮は、何かおかしいという警告サインに対する設計者たちの反応をより鈍くするかもしれない」ことを指摘しています。
第10章「史上に残る橋の崩落と未来の設計への警告」では、「設計の成功と失敗の関係は、技術の基本的なパラドックスの一つとなっている」として、「成功の経験の積み重ねによって、設計者はもっとはるかに大胆で野心的なプロジェクトに挑戦するようになり、それは万人を驚かす途方もない失敗にほとんど必ずつながる。他方で、失敗の結果、生まれ変わった保守主義が生じることが多い」ことを指摘しています。
そして、シブリーとウォーカーが、歴史事例の研究を元に、主要な橋の崩壊が、「30年間隔で起こった」ことを指摘したことについて、その感覚は、「ある世代の技術者と次の世代の技術者のコミュニケーション・ギャップ」を示すかもしれないと考えたことを紹介し、「次々と現れる橋の形式のいずれも、それがまさにその前に崩落した様式に代わるものだったからこそ崩落するところまで発展したといえるかもしれない」と述べています。
著者は、「過去1世紀半にわたって主要な形式の橋の崩落が約30年ごとに起こってきたというシブリーとウォーカーの観察は、いずれは奇妙で珍奇なものにすぎないとわかるかもしれないが、それは、設計プロセスの本質に現れるある種の警告の徴候に技術者の注意を喚起することにも役立つだろう」と述べています。
第11章「結論」では、「失敗に基づく規範例が発展すれば、設計プロセスにおける失敗の役割をよりよく規定するのに役立つ」と述べ、「設計プロセスにおける失敗の役割の否定面、肯定面双方を理解すれば、プロセスそのものを、もっと理解しやすい、信頼に足る、生産的なものにできる」と指摘しています。
そして、「当を得た歴史事例の教訓はときを超えているから、設計の論理と設計判断ミスの古典的な陥穽について現代の設計者の意識が高まれば、同じ誤りが新たな設計で繰り返されることを防ぐのに役立つ」と述べています。
また、「成功は事実上リスクなしに模倣できるが、失敗についての適切な視点を組み込んだ技術的方法を適切に応用することによってのみそれを拡大することができる」と述べるとともに、「今日、失敗から学ばれる教訓の価値は広く認識されている」が、「ごく最近の失敗だけでなく非常に古いものも併せてみると、目に見える警告をはるかに超えた情報が含まれている」と述べています。
本書は、工学的設計に携わる人はもちろん、制度設計など、およそ「設計」と名の付くさまざまな営みに携わる人にとって価値のある一冊です。
■ 個人的な視点から
多くの人がその恩恵に浸りながらも直接的に思いを馳せることは少ない物理学とか橋などの構造物の設計について、非常にわかりやすく技術史を説いてくれる作者の代表作です。多少ミスがあっても人名に関わることはない制度設計などと異なり、わずかなミスも多くの人命に関わる事故につながる巨大構造物の世界は、もっと尊敬されてしかるべきものではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・何気なく「橋」を使っている人。
■ 関連しそうな本
ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語』
ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日
■ 百夜百音
【テレビアニメ スーパーヒストリー 4「紅三四郎」~「キックの鬼」】 テレビ主題歌 オリジナル盤発売: 1998
メジャーセブンスのかっこいいハーモニーで終わる「アクビ娘の歌」は、大人が聞いてもカッコイイ曲に仕上がっています。もちろん、当時ならではの動き回るベースラインの「ハクション大魔王の歌」もよいです。
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2008年07月21日
迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか
■ 書籍情報
【迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか】(#1278)
シャロン・モアレム, ジョナサン・プリンス (著), 矢野 真千子 (翻訳)
価格: ¥1890 (税込)
日本放送出版協会(2007/8/25)
本書は、著者の祖父と著者自身が「体の中に鉄が蓄積してしまう」珍しい病気である「ヘモクロマトーシス」をきっかけに生物学の道に進んだ著者が、「なぜこんな、体によくない病気の遺伝子がこれほど多くの人に受け継がれてしまったんだろう?」という疑問に対して、「そもそもなぜこんな病気が起こり、それが広がってきたのかを、進化のカーテンの裏側から」店得てくれるものです。
第1章「血中の鉄分は多いほうがいい?」では、「つねに鉄が足りないと思い込み、吸収し続ける」ことで、「体中に広がり、関節や主要な臓器を傷つけ、体全体の化学反応を狂わせる」ヘモクロマトーシスが、「西ヨーロッパ系の人々によくある変異」で、3人に1人か4人に1人の割合で「ヘモクロマトーシス遺伝子の少なくとも1つを保有している」ことを述べた上で、「ヘモクロマトーシスの変異を受け継いだ人は、鉄を含まないマクロファージのおかげでペストを生き延び、子を作るため、変異遺伝子を次世代に伝えることができた」と述べています。
その上で、この「新しい発見」が、「地を抜く療法」である瀉血と、「貧血予防を目的とした鉄剤投与療法という2種類の治療を、「関係者たちに考え直させるきっかけとなった」と述べています。そして、「瀉血は床屋でおこなわれていた」ため、「現代でも床屋の看板である縞模様のポールは、瀉血の行為を象徴している」として、「赤と白の螺旋ストライプは、洗い終わった包帯を木の棒に引っ掛けて乾かすという中世時代の習慣が由来となっている」と解説しています。
第2章「糖尿病は氷河期の生き残り?」では、「1型糖尿病」が「ヨーロッパの人々の極端に多い」ことについて、「北ヨーロッパ人の祖先は糖尿病とひきかえにどんなメリットを受け取っていたのだろうかと述べています。
そして、1万2000年前の急激な気候変動である、「ヤンガー・ドリアス」について、「年平均気温が10年かそこらで16度近くも下がった」ため、「人類には、とりわけ北に移住した集団にはこの時期に集中して壊滅的な被害が出た」として、「この時期の北ヨーロッパの人口が激減したことが明らかになっている」と述べています。
著者は、冷凍されても生き残ることができるアメリカアカガエルの例を挙げ、「寒さに『適応』した人びと」が、「血糖値を挙げて血液の氷点を下げるため」、「一年中凍えるような低温の中で過ごすうち、体内でインスリンを作るのをやめたのだろう」と述べています。
第3章「コレステロールは日光浴で減る?」では、「移住速度という点で人類は過去500年間は急行列車に乗ってきた」として、「世界の別々の場所で生きてきた人々が出会い、交わり、子供を作り、人類集団ごとの遺伝子的区別はどんどんあいまいになってきた」と述べるとともに、「淘汰圧というものは、条件さえ整っていれば立った一世代か二世代で、ある集団の遺伝子プールにひとつの形質を加えたり消したりもしてしまうほど強力なのだ」として、アフリカ系アメリカ人に高血圧の発症率が高い理由は、奴隷貿易でアフリカ人がアメリカに連れてこられたときに、「体に余分な塩があったおかげで致死的な脱水症状に陥らずに住んだ」ため、「たまたま生まれながらに体内の塩分濃度を保つことができる人は生き延びた」結果、「その子孫が現代の塩分の多い食生活に接すると、あっという間に高血圧になる」とする説を紹介しています。
第4章「ソラマメ中毒はなぜ起きる?」では、「ソラマメには抗マラリア薬の成分に似た作用をする物質が入っている」ため、「ソラマメを食べると、マラリアに対して一時的に耐性をつけることができる」ことは、「いわゆるバックアップシステムだ」として、「とくに、G6PDが部分的に欠損している人がソラマメを食べると、マラリアを二重に寄せ付けない」と述べた上で、「この遺伝子変異が広まっている集団の女性の多くは、半分普通の赤血球を、半分G6PD欠損の赤血球を作ることになる」ので、「この状態は、マラリアに対抗しやすくなる上に、ソラマメを食べても極端な反応は出ない」ため、「女性が半分ソラマメ中毒症で、なおかつソラマメを食べるのは二重にマラリアを予防することになる」と解説しています。
第5章「僕たちはウイルスにあやつられている?」では、「アフリカとアジアで何千年にもわたって人類を脅かしてきた」メジナ虫という寄生虫について、人間の体内で皮下組織に移動したメジナ虫が酸を分泌すると、「分泌された酸で『火傷』を負った人間」が、「冷たい水を浴びたく」なり、すると、「メジナ虫は水を感知するや否や」、何千という幼虫が入った白い液体を吐き出す、と述べています。
また、ネコの体内でしか「種の保存を確実にする」活動を行わないトキソプラズマという寄生原虫について、ネコの糞に混ぜて胞子嚢が輩出され、それを食べた、ネズミか鳥、その他の動物に感染すると述べ、トキソプラズマがネコの体内に戻るために、「宿主であるネズミを少しばかり操作する」として、「ネズミの筋肉細胞と脳細胞に入り」こみ、「そのネズミは太り、動きが鈍くなる。つぎに、捕食者であるネコを怖がらなくなる」と述べ、「太っていて動きが鈍くてネコを怖がらないネズミ」すなわち、キャットフードに宿主を変えようとしている、と解説しています。
さらに、「風邪をひいたときに出るくしゃみはあなたを守るためではなく、ウイルスの利益のための反応だ」と述べ、「それは人間に取りついた細菌やウイルスが、つぎの宿主に乗り移るための手助けをするよう宿主操作をした結果なのかもしれない」と述べています。
この他、ギョウチュウは感染した子どもにお尻をかかせるために、お尻の周辺の皮膚に「かゆみを生じさせるアレルゲン」を置いていくことや、コレラは新しい宿主に乗り移るために、別の水源に潜り込まなければならず、「みずからの『移動手段』のために下痢を引き起こしている」こと、マラリアは他の蚊に宿主の血を吸わせるために「ひどい高熱と悪寒を繰り返し、はげしく衰弱」させることなどを解説しています。
著者は、「宿主から別の宿主に移動する方法」として、
・宿主どうしが直接接触するか、近づいたときに空気を介して移る。ふつうの風邪や性行為感染症など。
・中間媒体の生物(蚊やハエ、ノミなど)に乗せて運んでもらう。マラリア、チフス、黄熱病など。
・汚染された食品や飲料水を介して移動する。コレラ、腸チフス、A型肝炎など。
の3種類を挙げた上で、「抗生物質による『軍拡競争』で細菌をより強く、より危険にしてしまうのでなく、細菌を僕たちに合わせるよう変える方法をとったほうがいい」と述べています。
第6章「僕たちは日々少しずつ進化している?」では、「自然淘汰は環境の影響を受けるが、変異が環境の影響を受けることはぜったいにない。変異は偶然の産物で、自然淘汰はその偶然が有利に働いたときにのみそれを助ける」と科学者たちは考えていたが、この間が得方は、「進化が進化圧力と切り離されてしまう」という問題があることを指摘し、科学者たちが、遺伝子を、「個々の指示が集められたものではなく、何か変化が起こればそれに組織的に対応する複雑な情報ネットワークと捉えるようになった」と述べています。
そして、マクリントックによる「ジャンピング遺伝子」の発見によって、「でたらめでめったに起きない微小な変異という思い込みから、もっと力強い変異の可能性に通じる扉を開いた」として、「ヒップホップ系ミュージシャンのように、ゲノムは自分自身を『サンプリング』して、似ているけれどまったく新しい『リフ』を作り出す力がある」と述べています。
著者は、「パーティ好きのジャンピング遺伝子も、おそらくウイルス由来なのだろう」として、ジャンピング遺伝子には、「カット&ペーストでジャンプ」する「DNAトランスポゾン」と、「コピー&ペーストでジャンプ」する「レトロトランスポゾン」の二種類があり、「レトロトランスポゾンは、レトロウイルスと恐ろしいほどよく似ていることがわかった」ため、「レトロウイルス由来の遺伝子だと十分に考えられるのではないか」と述べています。
そして、「過去数百万年のあいだに、おそらく人間はウイルスに『ただ乗り』をさせてやり、ウイルスはその莫大な遺伝子図書館から人間に遺伝子コードを貸し出してきた」として、「ウイルスと共同作業をしているおかげで人間は、独力ではとても達成不可能な速さで複雑な生き物に進化できたのだろう」と述べ、「アフリカの霊長類に『別のウイルスに延々と感染する』能力がついたことで、人類は進化の『早送り』ボタンを手に入れた」とするヴィラリアルの説を紹介しています。
第7章「親がジャンクフード好きだと子どもが太る?」では、「親、とりわけ母親の妊娠初期の食習慣が生まれてくる子どもの代謝作用に影響する」という研究結果が報告されたことについて、遺伝学の下に、「親から受け継いだDNAを変えずに親が獲得した形質を子がどう発現するのかを研究する学問」である「アピジェネティクス(後成遺伝学)」というまとまった学問分野ができたと述べています。
そして、「メチル基という化合物が遺伝子に結合することで、その結果、DNA配列を変えずに遺伝子の発現作用だけがオフになる」改変であるDNAの「メチル化」について、ビタミン・サプリメントの成分中に、「発現抑制を引き起こすメチル基由来の分子が入っている」と述べています。
また、エピジェネティクス研究の衝撃について、「遺伝子設計図は消えないインクで書かれているとされていた常識を、エピジェネティクスは消してしまった。それ以降の科学は、遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった」上、「環境要因はベビー・マウスが受け継いだDNAを変えてはいないが、DNAの発現の仕方を変えている以上、やはり遺伝を変えていることになる」と述べています。
著者は、「メチル化による改変が世代ごとに消去されないのなら、それは結局、進化になる」として、「あるいは、親や祖父母が獲得した形質はその子孫にずっと遺伝する、と言い替えてもいい」と述べています。
さらに科学者たちが、「抗癌遺伝子のメチル化と癌を誘発する行動に明白な関連性を認めている」として、「癌になりやすいとされる生活習慣を長期間続けた人には、抗癌遺伝子の周りにメチル化を示す指標が大量に集まって」いて、「この状態をハイパーメチル化という」と述べています。
また、9・11テロ後にカリフォルニア州で後期流産の件数が跳ね上がり、「流産が増えたのは男の胎児ばかりだった」ことについて、「妊婦の心の状態がエピジェネティックな事象または生理学的な事象を引き起こし、それが妊娠状態と男女の出生率を調整しているらしい」と述べています。
第8章「あなたとiPodは壊れるようにできている」では、細胞分裂には、「ヘイフリック限界」と呼ばれる回数制限があることについて、「細胞分裂に限界を設けるよう進化した」理由として、癌を挙げ、「ヘイフリック限界はあなたを癌から守る。細胞がおかしくなって癌化しても、ヘイフリック限界がその増殖を断つことで、それ以上広がるのを防いでくれる」と述べたうえで、「人間の癌性腫瘍細胞の90パーセント以上は、テロメラーゼの助けを借りて勢力を伸ばす」として、「優秀な癌細胞は――僕たちにとっては最悪の癌細胞という意味だが――プログラムされた細胞死、つまりアポトーシスを回避する道を見つけるのだ」と述べています。
そして、「老化がプログラムされていることは個人にとって有益なのではなく、種にとって進化上有益なのだろう。老化は『計画された旧式化』の生物版だといえないだろうか」と述べ、「第一に、老化は旧モデルを片付けて新モデルのための余地、つまり進化による変化を生み出せる余地を作る。第二に、老化は寄生生物がどっさりいる旧世代の固体を消して、新世代を守る」点を挙げています。
さらに、「他の哺乳類に比べて人間の出産はリスクが高く、時間がかかり、痛みが大きい」ことが、「大きな脳と二足歩行」という人間の重要な特徴に関係したものであるとした上で、エレイン・モーガンの「水生類人猿説(アクア説)」を取り上げています。
そして、「アクア説をめぐる議論はまだ、まともな議論にもなっていない」が、「人類の祖先がクジラのようにほとんど水中生活をしていてごくたまに水面に顔を出す、というイメージを思い浮かべるから感情的にシャットアウトしてしまう」のだとして、「ともかく、すべては疑問を投げかけることから始まる。それなしに解決策は見つからない」と述べています。
「結び」では、この本の読者が、
(1)生き物は完成品ではなく、つねに『創造中』の状態であるということ
(2)この世に単独で存在しているものはないということ
(3)人間と病気の関係は、これまで考えていたよりずっと複雑だということ
の3つの認識を新たにしていることだろうとして、「命の発生と発達のしくみ」を、「永遠に解かれることのない奇跡のしくみのようだ」と述べています。
本書は、人間の病気をきっかけに、生物学に対する理解を深めるヒントを与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
本書のラストに、まさか「アクア説」が登場するとは思いもよりませんでした。もちろん、著者のスタンスは、アクア説を全面的に支持するというものではなく、「すべては疑問を投げかけることから始まる」という文脈の中での取り上げ方なのですが、そのスタンスには共感します。
そう言えば、『ヒトは食べられて進化した』はダイレクトにアクア説を支持するものではありませんが、狩猟のために二足歩行になったわけではない、という点では、「サバンナ説」に新たな疑問を投げかけているのかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・遺伝で決まったものは運命だと思っている人。
■ 関連しそうな本
エレイン モーガン (著), 望月 弘子 (翻訳) 『人は海辺で進化した―人類進化の新理論』 2005年05月08日
エレイン モーガン (著), 望月 弘子 (翻訳) 『人類の起源論争―アクア説はなぜ異端なのか?』 2005年12月10日
ドナ・ハート, ロバート W.サスマン (著), 伊藤 伸子 (翻訳) 『ヒトは食べられて進化した』 2008年07月16日
リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日
リチャード・G. クライン 『5万年前に人類に何が起きたか?―意識のビッグバン』 2006年10月21日
■ 百夜百音
【ダブル・ファンタジー】 キララとウララ オリジナル盤発売: 1985
「胸のモールス信号乱れ打ち」ってみだれちゃったら信号は伝わらないような気もしますが、一部ではカルト的な人気を誇り、小室ファンにとっても必須アイテムです。
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2008年07月16日
ヒトは食べられて進化した
■ 書籍情報
【ヒトは食べられて進化した】(#1273)
ドナ・ハート, ロバート W.サスマン (著), 伊藤 伸子 (翻訳)
価格: ¥2310 (税込)
化学同人(2007/6/28)
本書は、私たちの祖先の立場が、「狩るヒト(Man the Hunter)」であったのか、「狩られるヒト(Man the Hunted)」であったのか、という問題について、「筋の通った判断」を下し、「その結論と、特異な性質をもつホモ・サピエンスが今日見せている行動様式との間」との関連性をテーマとしたものです。
第1章「ありふれた献立の一つ」では、「700万~1000万年にわたるヒト科の進化の中で、捕食者は進化形成要因として働いていた」と考えられ、「このときの捕食者-被食者相互関係は、今の時代にも影響を残す」として、「そのたぐいの話を見聞きするたびに、何とはなしに背筋が寒くなる。この心理的な作用を引き起こしているのも、わが種の祖先が野生動物の前に屈してきたことの名残なのである」と述べています。
第2章「『狩るヒト』の正体を暴く」では、「人は何故に人なのか」という聖書以来の課題について、1970年代に広く読まれたロバート・アードレイが、「肉食動物として進化したからだ」という答えを展開してきたことについて、「タウングチャイルド」が、「狩るヒト」説の鍵を握っているとして、レイモンド・ダートが、「初期人類はしとめた動物の骨、は、角を使ってさらなる獲物を殺していた」という「骨歯角文化」説を展開し、「キラーエイプが血なまぐさい行為を成し遂げた方法を説明した」が、初期ヒト科の頭骨化石に見られる、「ヒョウの犬歯と完璧に重なる丸い穴」から、「アウストラロピテクスはおそらく狩る側ではなく狩られる側にいたと思われる」と述べています。
第3章「誰が誰を食べているのか」では、動物行動学者で捕食に関する第一人者であるjハンス・クルークによる、「人食いにまつわるむごい話に嫌悪や好奇心あるいは何らかの関心を示すのは、全人類にとってとても恐ろしい――社会の中にいるあからさまな殺人者よりも恐ろしいことと本能で感じるからだ」と説を紹介し、「なんといっても人間は何百万年もの間、動物に狩られ、食べられて進化した」ためであると述べています。
そして、「人類には、格好のごちそうと舌鼓を打たれて攻撃を受けやすい存在だった何百万年があった。だがあっという間に、捕食者に対して支配を及ぼすようになった」にもかかわらず、「いまだに自分たちが被食者であるかのようにふるまったりもする」と述べています。
第4章「ライオンにトラにクマ、なんてことだ!」では、「100万年前から比較的最近まで、ネコ科やその祖先に当たる膨大な数の動物が地球上を駆けていた」として、ヒト科を含む霊長類が、「体も歯も大きなこれほどたくさんのネコ科動物を相手にどうやって生き抜いてきたのだろうか」と述べ、「霊長類と哺乳動物捕食者との間に長期(5000万年あるいはそれ以上)にわたる共進化があったことを支持する化石証拠はめったに見つからない」が、「そのわずかな化石証拠を元に、『霊長類のルーツは肉食動物による襲撃という出来事の中に隠されている』とする仮説が十分に成り立つ」としています。
第5章「狩りをするハイエナに腹をすかせたイヌ」では、ヨーロッパに生息するオオカミが、「雌が子供のために余分の食物を求める夏にとりわけ人間を襲う」と述べ、「過去において人間、特に小柄な子供は、オオカミにとって最も捕まえやすい手頃な獲物だった」と述べています。
そして、「オオカミの襲撃で北アメリカではゼロ、ユーラシア大陸では無数にあるという相反するデータを説明するため」、「最初に出会ったときから北アメリカのオオカミにとって人類とは、動物の群れをめぐって競合する危険な相手だった」が、「ユーラシアでは、オオカミは最低でも170万年にわたってヒト科とかかわってきた」と述べています。
また、中国で発見された北京原人の化石が、「頭骨の数が、全身の骨の数と同じどころか圧倒的に多かった」だけではなく、「顔の骨は取り去られ、頭骨の一番下の開口部が割広げられていた」ため、「人肉嗜食(と脳の脂肪組織に対する特異な食欲)が唯一つのもっともらしい説明と思われた」ため、「人肉嗜食、とくに仲間の脳みそを食べるという野蛮なならわしもあった」という説が出されたが、後に、「周口店のホモ・エレクトスの頭骨には、大型のハイエナが噛んで、砕いて、処理した形跡がすべて残って」いたことが明らかになり、「現生ハイエナ類の食習性に見られる、噛む、砕く、処理するという一連の段階が再現された」と解説しています。
第6章「ヘビにのみ込まれたときの心得」では、「昔も今も変わらず人間を襲い続けている脊椎動物のグループ」として、爬虫類を挙げ、「ヘビ類は獲物を丸ごと飲み込む」ため、「今考えに入れなければならないヘビ類は、初期ヒト科ほどの食物を放り込めるような(すなわち大きく開くあごを持つ)大きさのヘビだけだ」と述べています。
また、コモドオオトカゲについて、「何万年をかけて霊長類ヒト科の脳の中に作り上げられたと思われるおそれゆえにひるんでしまう」として、「色は灰色、長さ20センチメートルの二股に分かれた下がよだれを垂らしながら人間の臭いを嗅ぎ取り、後を追いかけ、はらわたを抜きにくる。もう死は避けられない」と述べています。
さらに、「人間を捕食するワニ類の逸話の出所は、ほとんどがインド太平洋だ」として、「とくに身の毛がよだつ話」として、第二次世界大戦中、イギリス軍によるビルマ奪還の軍事作戦で、マングローブの沼地に一晩閉じ込められた1000人の日本兵が、ワニの襲撃を受け、「日本兵はワニのあごで押しつぶされるたびに悲鳴を上げた」として、「日が昇るころには、恐怖の一夜を語れる生存者はわずか20人しかいなかった」、「生き残った兵の話」では、「仲間の大半はワニに殺された」と伝えています。
第7章「空からの恐怖」では、猛禽類の実質的な殺戮装置として、その足を挙げ、「その威力は並外れている」と述べ、
(1)獲物の体に食い込む
(2)縮めて閉じる
(3)圧縮圧を加える
の3つが一斉に作用する、と述べています。
また、カンムリクマタカが、「並外れて強い力」があるため「サルを林床で殺したあと、死体をつかんだままほぼ垂直に飛び上がる」と述べています。
第8章「私たちは食べられるのをぼうっと待っているだけではなかった」では、「霊長類は樹上性捕食者よりも大きくなることで、その多くを避けられるようになった可能性が示唆される」が、「地上性捕食者についてはそのかぎりではない」と述べています。
そして、「人類の長い進化の歴史の中で、もし集団での防御がなかったなら、間違いなく死に絶えていただろう。よりたくさんの目と耳と鼻があったからこそ、舌なめずりしながら音もにおいも出さずに忍び寄ってくる捕食者の危険を減らせたのだ」と述べています。
また、「二足動物になることによってはるかに安全になった」として、「二足歩行によって両手が自由になり、人類は防御者として成功した」とともに、「より大きく見えるようになったことが、戦略としても功を奏した」と述べています。
著者は、人類進化過程の大部分で使われた防御方法として、「大型化、社会形成、発生、二足歩行、脳の複雑化、相手を混乱させるような積極的防御行動」などを挙げています。
第9章「気高い未開人か、血に餓えた野獣か」では、「人類進化の中にアウストラロピテクスが受け入れられて以来、ほぼ十年ごとにあるテーマが現れては消え、また現れている」として、根本に「狩るヒト」説(狩猟仮説)をおいた、「凶暴性の進化とその生物学的基礎」についてのたくさんの筋書きが考え出されたと述べています。
著者は、「彼らは社会的動物だった。霊長類だった。必ずしもあらかじめ決められた方向に進むのではなく、自分自身の能力で生きる複雑な生き物だった」として、「初期ヒト科は、大きくどう猛で腹をすかせたものすごい数の動物の餌の一つだった」と述べています。
第10章「狩られるヒト」では、ロバート・アードレイの狩猟仮説が、「化石証拠よりも、現生人類の悲観的な見通しと、『原罪』というキリスト教の理論的枠組みを根拠にしていた」と指摘しています。
そして、「狩るヒト」説がすんなり受け入れられた理由として、
(1)19世紀に見つかった最初のヒト科の化石が年齢にして10万歳に満たないヨーロッパの標本だったこと。
(2)動物をばらすのに使われた槍や道具などの人口遺物が一緒に発見され、しかもとても精巧に作られていたこと。
の2点を指摘しています。
また、「疑いを挟む余地がない話」として、「火を自在に操れるようになるまでは、大がかりな狩りをするヒト科はいなかった」として、「人間は肉食動物のような歯も消化器官も持ち合わせていない」ことを強調し、「調理という技術」を手に入れるまでこの問題は解決されなかったと述べています。
さらに、「狩られる人」とした人類が出発し、「どのような戦略で捕食から身を守っていた」のかについて、
・戦略その1:25~75個体からなる比較的大きな集団で暮らしていた。
・戦略その2:多才な移動様式を持っていた。
・戦略その3:柔軟性のある社会組織を作る。
・戦略その4:社会集団の中には間違いなく男がいる。
・戦略その5:男を見張りとして使う。
・戦略その6:泊まり場を注意深く選ぶ。
・戦略その7:賢くあれ、そして相手より一歩先んじること。
の7つの戦略を挙げています。
本書は、我々自身を、改めて食物連鎖の中に捉えて見ることができる目を与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
自分が生きたまま食べられる光景というのは想像したくないですが、ネコ科の捕食者に一撃で急所を仕留められて、絶命した後で食べられるというのは、病気で長く苦しむのよりも幸せなのかもしれません。というより、そもそも肉食動物は、逃げられない病気の個体から食べていくことを考えると、昔は、病気になったら長く苦しむよりも食べられてしまう方が当然だったのかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・自分は「狩る側」だと思っている人。
■ 関連しそうな本
西田 利貞 『人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ』 2008年03月09日
リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』 2006年09月29日
ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日
山極 寿一 『暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る』 2008年04月13日
リチャード・G. クライン 『5万年前に人類に何が起きたか?―意識のビッグバン』 2006年10月21日
■ 百夜百マンガ
このタイトルだから、「きんたろう」という主人公の名前だというのもすごく安易に感じますが、他の作品の登場人物も「ささにしき」とか「こしひかり」とかなので、あまり違和感ないのかもしれません。
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2008年07月06日
モハようございます。 あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?
■ 書籍情報
【モハようございます。 あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?】(#1263)
吉田 一紀 (著), ビーコム (編集)
価格: ¥1260 (税込)
オーム社(2008/4/26)
本書は、「近年稀に見る鉄道ブーム」の中、「まだまだ鉄道、そして鉄道ファンに対して色眼鏡で見ている雰囲気」を感じている著者が、「鉄道を趣味にするのは特別なことではないことをお伝えし、またその溢れる魅力を正面から解説しようと企画したもの」です。
第1章「キロポスト」では、満員電車での通勤に対する「心の混雑緩和策」として、線路脇に立っている、「基点駅からの距離がわかるようになって」いる「キロポスト」探しを提案し、「満員電車に揺られて頑張っているあなたを、いつも遠くからそっとやさしく見守ってくれる――そのさまは、まるでお地蔵様のよう」だと語っています。
第2章「カーブの美しい風景」では、著者が「特にハマる鉄道写真」として「カーブを疾走する姿」を挙げ、「鉄道はどんな姿でもカッコイイのですが、カーブを雄大に走り抜ける様は本当にハマります」と語っています。
第3章「分岐器」では、「分岐器」の読みが、「ぶんきき」ではなく、「ぶんぎき」であることなど豆知識が語られています。
第9章「音を楽しむポイント」では、「毎日の通勤通学で楽しむことのできるポイントの最終章」として、「VVVF(可変電圧可変周波数)インバータ」という「モーターの制御方式のひとつ」を挙げ、特に有名なものとして、京浜急行の「♪ドレミファソラシド~」と聞こえる車両を紹介しています。
また、各駅ごとに特徴のある「発車メロディ」を挙げ、著者の個人的な好みとして、山手線恵比寿駅の「ヱビスビールのCMソング」を紹介しています(この曲は、1949年製作の『第三の男』の主題歌ですね)。
第11章「青春18きっぷ」では、青春18きっぷが「JRの普通列車・快速の普通自由席」という制限があり、「もちろん私鉄・第3セクターには乗ることが」できないが、かつて東北本線であった、盛岡~八戸間が、IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道による運行に変わったために、「東北本線だった頃の印象があり間違えやすく、運賃を請求されて逆ギレしてしまう方もいる」として、「JRと接続している路線を利用するときに間違うケースが多い」と述べています。
第12章「鉄道で飲む楽しさ」では、学生時代に見た「チビチビ飲むわびしいサラリーマン」の姿が頭をよぎってしまうために、「こんなところで絶対に飲みたくない」と思っていた著者が、甲府出張の帰りの特急『かいじ』の中で上司と飲んだカップ酒とチーカマをきっかけに、列車の中での「チビチビ飲み」にハマってしまったと語っています。そして、「モハよう流チビ飲みの鉄則」として、
(1)飲むのはカップ酒。ビール・缶酎ハイなら350ミリリットル缶1本!
(2)つまみは笹蒲鉾、チーカマ、柿ピー
(3)飲む席はボックス型クロスシートの窓際
(4)マナー厳守
の4か条を掲げています。
第14章「国鉄車両に乗る」では、「昭和に作られたものは、現代のようなデザイン性の要素は少なく、機能面を重視して設計されていた」と述べる一方で、「現代はすべてに合理化が優先され、それが車両のデザインにも現れているように」思うが、「国鉄の車両には、余裕というか、人間の息遣いを感じることが」できると語っています。
第16章「SLと触れ合う」では、『キハ048保存会」のホームページを運営している「やまてつ」さんのお話として、「どこかの町で、保存SLを今年の暮れまでに解体してしまうという話」を耳にして、「すぐさま町の担当者に連絡をし、保存をお願いした」が、「他からはまったく意見は出てきていないよう」で、町の担当者が、「誰にも愛されていないSLを残すことはできない」と話していたことを紹介しています。
第19章「絶滅車両を保存せよ!」では、「路線廃止を撤回して欲しい、国鉄時代に製造された旧型車両は保存して後世に残すべきだ」という理想を、「実際の行動に起こしただけでなく、後世に鉄道文化を残すという大きな実績を残した鉄道愛好家グループ」として、『キハ048保存会』を紹介しています。そして、「そのお一人お一人の熱意がなければ、我々は鉄道博物館で『初の大型ガソリンカー』に触れることはなかった」と語っています。
第20章「ブルーとレインの乗り方」では、ブルートレイン『富士』に乗る基本知識として、
(1)乗車券・特急券のほか寝台券を購入
(2)洗面用具は自分で用意
(3)車内販売は押さえと考えて
の3点を挙げた上で、「戦前戦後、そして平成を走り抜けてきた『富士』の雄姿をぜひ実際に乗車して記憶に焼き付けておきましょう」と語っています。
第21章「鉄道模型/人車鉄道」では、著者の母校である千葉大学の鉄道研究会を取り上げ、文化祭での「鉄道研究会最大の展示」として、「図書館前広場にレールを敷設し、箱型の車両を人が押す」という「人車鉄道」を取り上げ、さらに、「人車鉄道の乗車券に硬券を採用していること」に「感動した」と語っています。
第24章「全国にある鉄道関連博物館」では、4コママンガで「東京都昭島市に使わなくなった新幹線を再利用して作られた図書館があります」として、昭島市民図書館つつじが丘分室を紹介しています。
http://www.library.akishima.tokyo.jp/guide/index.html
本書は鉄道ファンはもちろん、本書の本来のターゲットである、鉄道に興味のない人、「鉄」を色眼鏡で見てしまう人にもお勧めできる一冊です。
■ 個人的な視点から
本書は、各章ごとに4コママンガがついているのですが、第1章の「キロポスト」で描かれているキロポストは、1コマ目が「200」、2コマ目が「400」、3コマ目が「500」で、これに笠がかけられていることが落ちになっているのですが、考えてみると、毎日満員電車で200キロ以上を立ったまま通勤するっていうのは相当無理があるような気がします。
■ どんな人にオススメ?
・「鉄」は特殊な人種だと思っている人。
■ 関連しそうな本
野田 隆 『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』 2008年03月08日
一坂 太郎 『東海道新幹線歴史散歩 カラー版―車窓から愉しむ歴史の宝庫』 2008年04月30日
青木 栄一 『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』 2007年07月18日
原田 勝正 『鉄道と近代化』 2007年11月30日
三戸 祐子 『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』 2005年10月10日
クリスチャン ウルマー 『折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗』 2006年08月03日
■ 百夜百音
【魅せられて】 ジュディ・オング オリジナル盤発売: 2001
年代的に
【Pink 】
【GOLDEN BOY 】