2008年05月31日

このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全

■ 書籍情報

このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全   【このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全】(#1227)

  へっぽこ調査室, タナカ カツキ
  価格: ¥1050 (税込)
  幻冬舎コミックス(2005/04)

 本書は、「周囲の人を腰くだけにさせてしまうヘンな日本語」である「へっぽこフレーズ」のなかから、「"へっぽこ度"の高いと思われるものを勝手に厳選。頼まれもしないのに一冊にまとめ」たものです。
 著者は、へっぽこ人間の「正しいあり方」として、
・へっぽこを肴に仲間と一杯やる
・商店街でへっぽこを使い、大根を値切る
・電車の中で素敵なへっぽこを思い出し、一人でニヤニヤする
・失恋した友人をへっぽこで元気付ける
・勇気を出して、時々合コンで使ってみる
・へっぽこで取引先と円滑なコミュニケーションをはかる
・他人のけんかをへっぽこで仲裁、丸くおさめる
などを挙げています。
 「ラブなへっぽこ」では、「明らかに前日と同じ服装で出社してきた部下」に目ざとい上司がかける「君もなかなかの発展家だね」というフレーズについて、「酒色をむさぼるという意味で、夜の部門で活躍している人のことを指す」と解説しています。
 また、「女房の手料理」では、「ありもので作った煮込み系」が想像されるが、「ワイフの手料理」といった場合は、「紀ノ国屋スーパーの高級食材で作ったグリル系が予想される」と解説しています。
 「怒りのへっぽこ」では、「自分にとって不都合なものやいやな相手を追い返すとき」に使う「おととい来やがれ!」を、「街の金融業者への使用は、大きなケガや事故のもとになるので避けること」や、「あさって来やがれ!」と使ってしまうと「翌々日に再び来てしまうので不適切」であると解説しています。
 「おでかけへっぽこ」では、間違って、「おニューハーフのブラウスなの」としてしまうと、「フリルやスパンコールがたくさんついてそうな一着」になってしまうと解説しています。
 また、「50代の営業職の男性」がよく使用する「テクシーで行きますか」には、「タクシーなど乗り物を使用せず、テクテク歩いていくことをユーモラスに表現」しているが、「テクシーする後姿は、ユーモアでは片付けられない物悲しさがある」と解説しています。
 「呼び名へっぽこ」では、「妻が妊娠している」という意味の「コレがコレなもので」というジェスチャーについて、「レコがコレなもので」としてしまうと修羅場と化す間違った使い方であると解説しています。
 「学校でへっぽこ」では、「子供の頃は他愛もない嘲り言葉」だった「おまえの母ちゃんデベソ!」も、大人になってから会社の同僚などに「お前の母ちゃん(妻)デベソ」などと言うと、「変な誤解を生じかねないので注意」すべきであるとしています。
 「一声へっぽこ」では、「なるほど」の「ほど=ヘソ」を言い換えた「なるへそ!」について、「このような相槌を打つ者は、本当に話を理解しているのか、また理解しようとする気持ちがあるのか定かではない」と解説しています。
 本書は、昭和がしっかりと体に染み付いている人間にとっては、へっぽこどころか普段の会話で当たり前に出てきてしまう言葉を集めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 すっかり「死後」扱いされている「へっぽこフレーズ」ですが、今でも中高年以上の皆さんとお付き合いする上で、その知識は欠かせません。
 その意味で、自分では決して使わないにしても、「○○だよね」とへっぽこフレーズをかまされたときに、「それは今の若い人にはわかりませんよ(でも自分には分かります)」とタイミングよくずっこけてみせるためのテキストには適しているかもしれません。
 とは言え、そんなお勉強はしたくありませんが。


■ どんな人にオススメ?

・自分はへっぽこなフレーズは使わないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 アコナイトレコード 『グレイテストヒッツ!困ったときのベタ辞典』
 ことば探偵団 『知ってるようで知らないものの呼びかた』
 長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』
 藤井 青銅 『略語天国』
 死語研究会 『死語大全』


■ 百夜百音

美しく青きドナウ/シュトラウス・コンサート【美しく青きドナウ/シュトラウス・コンサート】 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) オリジナル盤発売: 2007

 よく運動会などで放送される「ラデツキー行進曲」ですが、歌詞は結構きついものがあります。まあ言ってみれば日本の軍歌と同じようなものですから。

『ニューイヤー・コンサート2006』ニューイヤー・コンサート2006

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2008年02月09日

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す

■ 書籍情報

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す   【日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す】(#1115)

  金谷 武洋
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2002/01)

 本書は、日本語教師にとっての一番の問題である、「英語や仏語と日本語の根本的な違いがどの文法書にも明記されていないこと」を取り上げ、「国内国外で使われているほとんどの『日本語教科書』が基本的には『学校文法』に基づいており、その学校文法は西洋語、特に英文法を下敷きにしている」ことを指摘しているものです。著者は、本書のタイトルのあたまに「やはり」を添えたいと述べ、三上章が主張した「主語無用論」を、
(1)三上文法の日本語教室での具体的応用の提案
(2)主語や人称代名詞というテーマを、日本語の三基本文という、これまでほとんど注目されないで北観点とリンクさせる
の2つの側面で発展させるとしています。
 第1章「日本語に人称代名詞という品詞はいらない」では、「英仏語では、名詞と人称代名詞には構文的に異なった働きがある。日本語にはその違いがない」と述べています。
 そして、「存在者の数を不必要に増やしてはいけない」という「オッカムのかみそり(razor of Ockham)」という言葉を引用し、「日本語文法(ことに我々が学校で国語の時間に教わった学校文法)には無駄が多く、よくわからない。これでは(特に外国語としての)日本語がよく説明できない」と主張し、また、「オッカムの弟子を自任する我々は、『日本語で人称代名詞と呼ばれているものは構文的には名詞にすぎない』と明らかに宣言すべきである」と述べています。
 また、「英仏語(など多くの言語)には『人称代名詞がないと正しい文が作れない』という辛い『お家の事情』があるのに対して、日本語(や朝鮮語や中国語)にはそんな事情はまったくない」と述べています。
 第2章「日本語に主語という概念はいらない」では、「日本語には主語の概念は不要である。日本語の構文は朝鮮語や中国語などと同じく、述語だけで基本文として独立している」と主張し、「日本語に即した文法の書き換えを目指して、主語の文法的必然性の有無を検証する」としています。
 そして、フランスの言語学者アンドレ・マルチネによる主語の定義として、「主語は、他のあらゆる言語学的事実と同じで、その(具体的)振る舞いに置いてのみ定義づけられるもの」であるという定義を紹介し、「主語の条件」として、
(1)基本文に不可欠の要素である。
(2)語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる。
(3)動詞に人称変化(つまり活用)を起こさせる。
(4)一定の格(主格)をもって現れる。
の4点を挙げています。
 また、生成文法の方で使われる「ProDrop」という単語を取り上げ、「日本語や朝鮮語、中国語などは主語や目的語がよく『省略される』ので、代名詞を落とす言語(ProDrop language)と言われる」と述べた上で、「『省略』という説明事態がオッカムのかみそりで落とされるべき不要な髭であることは明らかになった」と述べ、「ProDropという『省略』を思わせる用語は不適当」であり、「ましてや、日本語など東アジアの言語がProDropなどと呼ばれるのは甚だ迷惑である」と指摘しています。
 さらに、国語学界の大御所である大野晋が、日本語への主語の概念の導入と当時の時代精神について、「明治以降、要するに英文法を元にして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と決めた。そこで日本語では主語をしめすにも『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものをあてはめた」と自ら語っていながら、「何故『日本語に主語はない』と文部科学省に断固抗議しないのだろう」と指摘しています。
 第3章「助詞『は』をめぐる誤解」では、「『は』は文字通りのスーパー助詞で、その本当の役割は、単文の境界を越えるところにある」と述べています。
 そして、「多くの文法研究者、そして日本語教師にとっては、『は』と『が』の二つがいまだに根強く『主語を表す主要助詞』という刷り込み(imprinting)がなされている。『主語症候群』あるいは『主語病』とでも呼ぶべきものだろう。我々はいまだに明治維新の精神構造から抜け出せていないのである」と述べています。
 第4章「生成文法からみた主語論」では、「きわめて特殊な言語の英語を鏡にして、普遍性を主張されては、まったくタイプの違う日本語などは迷惑である、と声を大にして訴えたい」と述べています。
 また、「現行の学校文法や日本語文法のように、主語を自明のものとしてしまうと、そのフィルターのために逆に見えなくなってしまうものがある」と指摘し、人称代名詞の問題とともに、自動詞と他動詞の対立の問題を挙げています。
 第5章「日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解」では、「『直接目的語をとる動詞が他動詞、他が自動詞』と言い切れるのは英語(や仏語)ではあっても日本語ではない。更に付け加えるなら、自動詞/他動詞分別の第2の目安とされる『他動詞文からは主客を反対にした受身文が作れる、自動詞文では不可能』という定義も、これまた英仏語なら真でも、日本語では間違っている」と指摘しています。
 そして、「明治維新以前の文法研究では、自他の対立そのものの考察がなされていた」にもかかわらず、「明治に入って、この領域でも英文法の圧倒的な影響下に構文分析へと移っていった」と述べ、「自/他動詞研究は、主語論をめぐる明治以降の『日本語文法の英文法化』に並行している」と指摘しています。
 終章「モントリオールから訴える」では、「茶髪で偽装する日本人を見て、私が想起せざるを得ないのは我々の母国語、日本語の不幸である」と述べたうえで、「本書で扱った問題は、日本語に関心のある日と、特に日本語教師の方々に知ってもらいたい」として、「日本語の文法を今こそ、借り物の第二英文法ではなく、日本語そのものに根ざしたものに変えよう、余計な髭をオッカムのかみそりで落とし、さっぱりすっきりした21世紀の新文法にしよう」と主張しています。
 本書は、当たり前に思っていた学校で習った日本語の文法を、もう一度自分の頭で考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人にとっては、これまで国語の時間に、まずは主語は何か、最初に「は」や「が」を探せ、ということで主語を探すという習慣ができているのではないかと思います。また、文章を書くときも、「主語を明らかにしろ」という指導が学校でもなされていたのではないかと思います。そういった教育を散々受けてきた人たちが世の中の大多数である中で、主語は要らない、ということを主張されることは非常にインパクトがある反面、「常識」に対して立ち向かうのは相当の労力なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・文章を読むときに主語を探してしまう人。


■ 関連しそうな本

 金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
 金谷 武洋 『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』 2008年02月03日
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』


■ 百夜百音

風になりたい【風になりたい】 THE BOOM オリジナル盤発売: 1995

 今では高校の音楽の教科書に載るほどポピュラーな曲になっているそうです。ブームのデビュー当時の姿を知る世代の人間にとっては、沖縄音楽のイメージだったりブラジル音楽だったりでよくわからないバンドだったりします。

『風になりたい(Samba,Novo)』風になりたい(Samba,Novo)

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2008年02月03日

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ

■ 書籍情報

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ   【英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ】(#1109)

  金谷 武洋
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2004/1/11)

 本書は、「よく喧伝される『日本語特殊言語論』への反論」であるとともに、「英語標準言語主義」に対する警鐘を鳴らすことを目的としたものです。
 著者は、「英語はヨーロッパにおいてさえ『まったく例外的』な言語」であると述べ、であるならば、「日本語など東アジアの言語を英文法で記述するなどという試みは放棄すべきだ」と主張しています。
 そして、「日本語など東アジアの言語には必要ない『主語』」が、「英文法を真似て導入された」琴について、大野晋が、「明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。そのときに、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた」と語っていることを紹介しています。
 第1章「『神の視点』と『虫の視点』」では、著者がカナダの日本語教室で行なうクイズとして、「黒板に『風○窓○開○た』と大書して、『○にひらがなを一つずつ入れて、正しい文にしなさい』と聞く」と、日本人なら「風で窓が開いた」とするところを、カナダの学生たちは、「文頭の『風○』が直感的に主語だと予想」し、「風が窓を開けた」としてしまい、日本人が自動詞文にするところを、カナダ人は他動詞文にしてしまうことを紹介しています。
 また、日英語の違いを、川端康成の『雪国』の翻訳を取り上げて、
(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
(2)The train came out of the long tunnel into the snow country.
の2つの文から受ける印象の違いを解説し、話者の視点が、原文では車内にあるのに対し、翻訳では、情報から見下ろしたアングルとなると述べています。
 著者は、この視点の違いを、「神の視点」と「虫の視点」と名づけ、「虫の視点は、臨場感あふれる『生き生き、ありあり』とした状況の中にある」と述べ、「虫の視点」には「コンテキストが豊かに瑞々しく、ありありと与えられている」一方、「神の視点」は、「抽象的客観的で状況から乖離した高みにある」と述べています。
 そして、日本語が、「テンス(時制)」よりも「アスペクト(相または態)」中心の表現をすることを、「アスペクトを借りて、テンスを間に合わせている」と述べています。
さらに、日本語と英語の構造を比較し、日本語を、「背が低く(上下2段)、上向きに枝を広げている」形から「盆栽型」と呼び、英語は、「のっぽ(上下3段)で末広がり」な形から「クリスマスツリー型」と読んでいます。
 第2章「アメリカよ、どこへ行く」では、日本人が短絡的に「英会話をマスター。これであなたも国際人」と捉えがちな風潮に、「あまり自覚されていない危険性」を指摘し、「英語を話すということは、一時的にせよ、「端的にいえば攻撃的、自己主張型人間」に「人格を変える営み」であると指摘しています。
 そして、朝日新聞ロサンジェルス支局長の伊藤千尋氏が「米語が世界の共通語として使われるのは現代の悲劇ではないか」とエッセーで述べていることを紹介し、「やがて米語が世界後として普及し尽くしたとき、世界の人間は攻撃的となり騒乱はさらに増すのではないかと推察される。そのとき、世界の人々の顔つきも攻撃的に変わるのだろう」との言葉を紹介しています。
 第3章「英語を遡る」では、「英語はその揺籃期からこれほどの勢力を擁していたのではない。それど頃ではない。その出自を見ればむしろ情けないほど、非力で無力な一言語でしかなかった」と述べ、「英語は日本語とは比較にならない受難の歴史を経て今日に至っている」ことを解説しています。
 そして、1066年の「ノルマンの制服(Norman Conquest)」によって、「何万という単位で支配階級がドーバーを越え」、フランス語が用いられ、「正式な文書はラテン語で」書かれたことについて、「これで庶民が英語に対する劣等感を持たなかったらおかしい」と述べるとともに、「この3世紀の間、フランス支配層とフランス語に虐め抜かれた英語に、何か異常なことが起こった」として、「主語」の発生をあげています。
 著者は、「古英語には主語がない」ことを指摘したうえで、後に文頭に立てられるようになった「I」も、「当初は主題を表すものに過ぎなかった」と述べています。そして、「フランス語と英語の混ざり合った『乱世』に、松本克己の言う『クレオール化』が進んだ」と述べ、「クレオールの最大の特徴が文法規則の簡略化」であるように、「記憶の負担になる名詞の性別(男性/女性/中性)も、この時期にあっさり捨ててしまった」ことを指摘し、「普通名詞や冠詞が曲用を失ってどんな文法格においても同じ形(例:the lordとthe servant)になるに至って、意味が伝わるためには語順に頼るしかない」ため、「意味が間違いなく伝わる最大の効果を狙ったのがSVOという語順だった」と述べています。
 第4章「日本語文法から世界を見る」では、「他動詞SVO構文を最大の武器とする典型的な『する言語』英語を人類の代表的な言語とみなし、普遍文法化することは、角田太作の傑作な地口(エゴ=英語)を借りれば、まさに独りよがりな英語中心主義『Eigo-centrism』である」と述べ、「日本語(や東アジア諸語)が一般言語学に寄与できる方向を探る方がどんなに生産的で、どんなに21世紀の時代の要請にかなっているか知れない」と述べています。
 第5章「最近の主語必要論」では、庵功雄の『「象は鼻が長い」入門』について、「タブーと言っていいほど『取り上げにくい問題』を、学界内部からこれほど率直に論じることはきわめて珍しいと思うので、その姿勢を歓迎したい」と述べています。
 本書は、英文法をベースにした日本語教育を受けてきた多くの日本人にとって、より相対的に自らの言語を見つめる視点を提供してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 英語の構文が、回りくどいほどに同じような形をしているように感じるのは、フランス語がを使う支配者層が3世紀の間居座ったことによって、庶民が使う英語が影響を受けた結果だということですが、日本も、アメリカによる占領から半世紀以上が過ぎ、語彙の点では相当に米語の影響を受け、庶民が使う日本語は相当変化しています。若者の日本語の乱れを指摘するお年寄りが多くいますが、アメリカによる支配の影響がゆっくりと現れ始めていると見ることができるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・英語は世界の標準語と思っている人。


■ 関連しそうな本

 金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
 金谷 武洋 『日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す』
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』


■ 百夜百音

迷い道【迷い道】 渡辺真知子 オリジナル盤発売: 2001

 「かもめが翔んだ日」は、「かもめ=ロッテ」つながりで、千葉マリンスタジアム内に流されたり、ライブが開催されたり、限定CDが発売されているようです。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DQCL000001015

『2000 BEST』2000 BEST

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2008年01月19日

主語を抹殺した男/評伝三上章

■ 書籍情報

主語を抹殺した男/評伝三上章   【主語を抹殺した男/評伝三上章】(#1094)

  金谷 武洋
  価格: ¥1785 (税込)
  講談社(2006/12/8)

 本書は、「日本語本来の発想に根ざさない『第二英文法』としての日本語文法のもっとも最たる例」である「主語」という概念を「日本語文法から抹殺/廃止することを一生かけて主張した」三上章(1903-71)の評伝です。
 第1章「三上文法と出会う」では、カナダ東部ケベックのラヴェル大学の大学院生であった著者が、新設された日本語講座の講師を急遽引き受けることになり、学生からの素朴な疑問という「氷山」にさらされたことをきっかけに、三上文法とであったことが述べられています。著者が最初にぶつかった氷山は、「ジュ・テームを日本語どう言うか」というもので、「私はあなたを愛しています」とは日本人はまず絶対に言わないが、「なぜ言わないかを同説明したらいいのかわからない。それまで教えていた日本の学校文法では、正しいのだ」というジレンマにぶち当たります。そして、著者が次にぶつかった氷山は、「日本語がわかります」というもので、「私は日本語がわかります」の主語が省略されている、という説明では、「先生、この文の主語はどれですか」という問いに答えられなくなってしまいます。著者は、この日本語教師デビューをきっかけに、「日本語を教えることの底知れぬ楽しさを知った」と同時に、「当たり前と思っていた自分の母語が文法的にうまく説明できないという由々しき状況に驚愕した」と述べています。
 著者の疑問を氷解させてくれたのは、日本の友人が送ってくれた三上章の『象は鼻が長い』という一冊であり、「『は』が表すのは主語でなくて『主題』(トピック)だ」という主張であり、もう一つの代表的助詞「が」が表す「名詞+が」は主語ではなく、「それはたんなる主格補語であり、したがって文の不可欠要素ではない」という三上の主張であったと解説しています。そして、「日本語が代名詞を省略しているのではなく、英仏語が(文にならないから)代名詞をいちいち付加しているのだ。橋本文法の主語論がいかに英文法の発想に立つものか」という三上の主張に「心から同意するよりなかった」と語っています。
 著者は数年後に再び日本語を教えるチャンスにめぐり合い、迷わず三上文法を授業に取り入れ、学生たちに「どういう点で日本語は違っているのか」を説明する際に、
(1)動詞活用がない:「どうしてわれわれの母語では主語が不可欠なのか」を学生自身に考えさせる。
(2)盆栽とクリスマス・ツリー:日本語の動詞文を多くても二段構えの「盆栽型」だとしたら、英仏語は背の高い「クリスマス・ツリー型」と言える。
(3)主題をしめす助詞の「は」:「は」は、「文からある語を取り出してきて旗のように聞き手にしめすスーパー助詞」である。
(4)虫の視点と神の視点:英語がSVO構文を多用するのは、話者の視点が神様のように上空にあり、地上の出来事を見下ろしているからであるのに対し、日本語では話者は地上に身を置いて空を見上げている。
の4点を挙げていることを解説しています。
 そして、「三上の著作を読み、三上文法を学び、そしてそれを日本語教室に応用していく過程で、私の関心は、時として三上文法から三上章という人物そのものにも及ぶことがあった」と述べ、「三上文法の素晴らしさを世に知らせるのは私の使命である」と考え、「主語三部作」を上梓するとともに、本書において、「いよいよ、三上章その人の生涯に迫る運びとなった」と語っています。
 第2章「幼年~学生時代」では、中学時代には数学の試験が「容易な問題ばかりで解答する気がせぬと、用紙に○を書いて早々に提出し、その足で図書館へ行って読書に耽った」ことや、和算の紹介者として「国際的に戦前の日本人科学史家でもっとも著名な人」であった叔父で数学者の三上義夫の勧めで東京大学工学部建築科に入学したことなどが述べられています。
 また、三上が「帝大の象徴である角帽を好まず、麦藁のカンカン帽をかぶって歩いていた」というエピソードから、「三上が人生の早い時期に自分の名前の漢字表記を変えた謎」である、「三上が『彰』から『章』にしたのは『飾り』を取り除くためではなかったろうか」と述べています。
 第3章「知的逍遥時代」では、東大卒業後、台湾総督府に技官として「宮仕え」をした三上が、2年であっさり仕事を辞めてしまったことについて、「『自分の居場所ではない』と思ったら長居せずにあっさり姿を消してしまう三上の性向」を指摘しています。
 また、「主語否定論」で言い尽くせる三上文法の原点」が、台湾から朝鮮へと渡る時期に芽生え、「いっぽうで処女論文が入選して発表され、それと並行して三上文法の芽生えがあったこの1930年に、若き三上章は文法研究家としての出発点に立ったのだ」と解説しています。
 さらに、三上が叔父の勧めで建築を勉強し、きな臭い北朝鮮から南朝鮮行きを恩師に勧められたことを挙げ、「三上に期待をかけた人物が三上の『栄進を思って強くすすめた』転地が、結局裏目に出るのはこのときだけではなかった」として、3回目として最晩年のアメリカ行きを挙げています。
 そして、帰国後の浪人時代に『技芸は難く』という芸術批評を自費出版した翌年、九州帝国大学心理学教授の佐久間鼎博士が書いた『日本語の特質』を読んだことで、「直ちに自分の知的生活の中心に日本語文法をおく決意」をし、1941年12月7日に三上が「まだ見知らぬ著者に弟子入りを請うて手紙を認めた」と述べています。
 第4章「街の語学者」では、「三上が名前を変えるとき、そこには何かのメッセージがあるに違いない」として、最初の論文「批評は何処へ行く?」でのペンネーム「早川鮎之助」が、「尼子武士の気概への憧憬、および知的逍遥期に相応しく転地を重ねる自分の姿を『早い川の鮎』に託したもの」と読んだ上で、芸術評論『技芸は難く』の筆名「加茂一政」については、「茂」は妹の「茂子」であり、「加茂」とは、「自分の暮らしに『茂子を加え』る」のであり、「一政」は「一つにおさまる」と読めばいいと解説しています。
 また、「学者として孤独で薄幸だった」といわれる三上だが、学者としては、「国語学界から黙殺された」ことはそのとおりだが、「学者の生命には時間という要素が重要だ。学者は死ぬ。しかしその理論は、もし優れたものなら、時を越えて残ることは歴史が証明してきた」と述べています。
 さらに、1943年から52年までの9年間のスランプがあったことについて、活路を開いてくれたのが、「早くから三上の諸論文に注目し、熱心に応援してくれた」金田一晴彦であったと述べています。
 そして、「今でこそ、とくに日本語教育界ですぐれた文法家と見なされるようになった」三上が、「生前は偏見と差別で苦労が絶え」ず、国語学界は「一介の高校数学教師の奇説」として「まともに相手にしなかった」と述べ、三上自身は「自分自身では変説の可能性を留保」し、「納得できる反論に出会ったら、いつでも肯定論へくらがえするという用意」もあったが、「ついにそういう反論に出会わなかった」と書き残していることを紹介しています。
 また、「就職に役立つ」からと、57歳で博士号を取得し、言われてうれしいはずの『博士』と、その反対の『呼ばわり』を組み合わせた「博士呼ばわり」という「傑作な表現」が生まれたと紹介しています。この他、三上が用いた「日曜文法家」という造語に、「学者の真の価値は肩書きではない」という信念が伺えると述べています。
 しかし、1963年の暮れに、三上は、「神経が立った」状態となり、躁鬱症と診断され、精神科に入院することになったことについて、「『のれんに腕押し』をつづけているうちに、さすがの強靭な精神も孤立感、無力感を強めていったのである。それも無理はない」と述べています。著者は、晩年に向かう三上を、「自分の羽で着物を織り、しだいに痩せていく一羽の鶴であった」と述べています。
 第5章「晩年」では、1965年に、新設された大谷女子大学の国語学の教授として招聘されたが、「教授の立場を思うまま利用するために必要な精神と身体の自由と柔軟さが、すでに採用の時点で三上には失われてしまっていた」と述べています。
 そして、1970年、人生の最晩年において、ハーヴァード大学から招聘を受け、単身ボストンに向かうも、愛用の睡眠薬を忘れ、ボストンに着いたときにはすっかり「神経が立った」状態となり、わずか3週間で帰国の途に着いたことが語られています。
 著者は、翌1971年、患い死の床にあった三上を、「直接の死因は肺癌である。しかし、それとは別の精神的な死因がある。三上は『待ちくたびれて』憔悴しきって死んだのだ」と述べ、「自分の文法を批判し、そのことで質的に高めてくれる相手を、三上というこの侍は待ち続けた」が、「とうとう三上という小次郎の前に武蔵は一人も現れなかった」と述べています。
 そして、「三上は死んでも、時代と国境を越える価値を持っているその文法と思想は、われわれを『玉の緒』のように中継してさらに未来にまでつながっていくだろう」と語っています。
 本書は、普段気にせず使っている日本語の真の姿を見つめようとした「真の学者」の生涯を綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段使っている日本語について、主語とか述語とかは意識していませんが、日本語は主語を入れなくても成り立ってしまうからか、仕事で文章を書いていると、「主語は誰か」と聞かれることがあります。ここは一つ三上文法を学んで、「日本語に主語は必要ない」と反論してみたいのですが、この場合の「主語」とは、5W1Hの話で、責任関係を明確にしろ、という意味だったりします。


■ どんな人にオススメ?

・主語のない日本語を使っている人。


■ 関連しそうな本

 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』
 三上 章 『日本語の論理 新装版―ハとガ』
 金谷 武洋 『日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す』
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』


■ 百夜百音

蕾【蕾】 コブクロ オリジナル盤発売: 2007

 カラオケの定番の曲なので誰かが歌ったりします。しかも勝手にハモる人が出てきたりもする曲です。「コブクロ」と聞いて最初は焼鳥の「子宮」の方をイメージしてしまうのでインパクトはあるんじゃないかと思います。

『ALL SINGLES BEST』ALL SINGLES BEST

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2007年05月06日

実戦・日本語の作文技術

■ 書籍情報

実戦・日本語の作文技術   【実戦・日本語の作文技術】(#836)


  本多 勝一
  価格: ¥588 (税込)
  朝日新聞社(1994/09)

 本書は、これに先立つ『日本語の作文技術』の続編として出版されたもので、前半部分には実用的な文章技術が、後半には日本語に関する著者のエッセイが収録されています。著者によれば、「あくまで前著の"作文原理"の応用編」であるとしていますが、重複する部分も少なくありません。
 前半部分には、前著でも大変役立った「テンの二大原則」や判決文などを題材にした欠陥文の分析とその修正などが掲載されています。作文に関する技術が、日本の教育では大学まで含めてほとんど行われていない、という著者の指摘は適切なものであるともいますが、残念ながら、前著をすでに読んだ人にとっては、同じものに二度金を払うようなところがありますので、前著を読んで感激したという人も、本書を購入する前には少し立ち読みしてみることをお奨めします。
 また、「テンの二大原則」に関しては、当時出版された大久保忠利という言語学者が書いた『日本文法と文章表現』という本を徹底的に批判していて、読み物としての面白さは多少あるかもしれません。
 後半部分では、日本には、「国語」と呼ばれる共通語に関する辞書はあっても、方言を含めた豊かな言語である「日本語」の辞書がないことを指摘し、
(1)全国の方言をもれなく網羅し、出自も示すこと。
(2)その全てに豊富な用例分をつけること。むろん例文はすべて方言のままだが、共通語訳もつける。
(3)排列は五十音順としても、全単語についての類語辞典もあわせて編集する。
という条件を充たす「日本語辞典」の作成を切望しています。
 本書は残念ながらあり合わせ、焼き直しでページを埋めた印象が強く、日本語に対する著者の思想が込められたエッセイを読んでみたいという人でなければ、前著のほうをお奨めします。


■ 個人的な視点から

 本書の後半には、日本語があるのに敢えてカタカナ英語を濫用する世間に対して、「植民地用語」「家畜人用語」(家畜語)という痛烈なあてつけをしています。
 この「家畜人」という言葉は、今ではあまり耳にすることもなくなりましたが、本書が書かれた当時には、正体不明のペンネームである「沼正三」を巡って世間を騒がした『家畜人ヤプー』が話題に上がっていたことが伺われます。
 今では、石森章太郎か江川達也のマンガくらいしか目にすることも少ない作品です。やはり、「CMネタはすぐ風化するぞ」という鳥坂先輩の言葉(この場合は時事ネタですが)は金言だったということです。


■ どんな人にオススメ?

・『日本語の作文技術』に心酔した人。


■ 関連しそうな本

 本多 勝一 『日本語の作文技術』 2006年05月21日
 山口 文憲 『読ませる技術』 2006年04月01日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日
 加藤 秀俊 『取材学―探求の技法』 2005年10月16日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日


■ 百夜百音

NHK「みんなのうた」40周年ベスト(2) 北風小僧の寒太郎 / 赤鬼と青鬼のタンゴ【NHK「みんなのうた」40周年ベスト(2) 北風小僧の寒太郎 / 赤鬼と青鬼のタンゴ】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2001

 坂本龍一の編曲で知られる「コンピューターおばあちゃん」ですが、コスミックインベンションが歌うバージョンもあるようです。
 生演奏ではサビでもたったりするのが気にかかりますが、作曲者の「東京都杉並区 伊藤良一さん」がうれしそうに映っているのが必見です。

『コスミックインベンション「コンピューターおばあちゃん」』


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2007年03月21日

徹底追及 「言葉狩り」と差別

■ 書籍情報

徹底追及 「言葉狩り」と差別   【徹底追及 「言葉狩り」と差別】(#790)

  週刊文春
  価格: ¥1450 (税込)
  文藝春秋(1994/09)

 本書は、1994年から週刊文集で特集された「『言葉狩り』と差別」の連載を元に、加筆修正して発行されたものです。「はじめに」には、「最初に申し上げたように、いかなる言葉も差別語となりうる。"差別語"の範囲は際限なく広がっていく可能性を孕んでいる。差別語であるか否かは、一体誰が決めるのか。また、決められるのか。そして、明確な判断基準はあるのだろうか」と、本書の問題意識が提示されています。
 第1章「断筆宣言の衝撃」では、高校の教科書に掲載された(!)筒井康隆氏の小説「無人警察」に、「てんかんに対する差別を助長し、誤解を広める記述がある」として、教科書の発売中止と作品の削除を求める抗議声明を、日本てんかん協会が出したことを端緒とする「断筆宣言」事件が取り上げられ、「これまで隠密裏に処理されてきた『差別語』の問題を白日の下に晒したという意味で、そのインパクトはきわめて大きかった」と述べられています。筒井氏は、マスコミや出版社の事前チェックを受け、「狂」という字が使えず、「芸術的狂気」や「酔狂」「頓狂」「風狂」「狂気」「狂瀾」などの日本語が使えなかったことを、断筆宣言の中で述べています。また、「片手落ち」という言葉が、「片・手落ち」という意味であるにもかかわらず、「片落ち」という古い言葉に言い換えられていることが紹介されています。また、「精神障害者への差別語」に関して、74年の一連の抗議行動の際に、「カーキチ」「音キチ」「狂乱物価」なども対象とされたことが取り上げられています。また、森敦氏の『月山』が第70回芥川賞を受賞した際に、共同通信から加盟各社に送られた紹介記事の中に、一般的集落を意味する「部落」という言葉が含まれていたため、この記事を掲載した福岡の『夕刊フクニチ』の編集局長が、「多数で取り囲」まれ、「3時間にわたって糾弾」されたことが紹介されています。
 第2章「『白雪姫』は差別童話か?」では、「言葉に関してすこぶる敏感な町」として有名な堺市の"先進性"が、「堺市女性団体連絡協議会」(堺女性協)と「黒人差別をなくす会」という2つの「実に興味深い」団体を例に解説されています。堺市では、「奥さん」や「ご主人」という言葉は女性差別という批判を受けるため、「妻さん」「夫さん」という言葉で呼び合わなければならないこと、「鯉のぼりで雄が上になっているのは、女性差別につながる」として、「棹を横にしてタテに吊るしている」保育所、93年の全国フェミニスト議員連盟主催の「自治体男女平等度コンテスト」では「堺市が50点満点中47点を獲得」し、全国1位に選出されていることなどが紹介されています。この堺女性協の「童話・絵本研究会」では、『白雪姫』『みにくいアヒルの子』『こぶとりじいさん』など118点の童話や絵本を"差別書"として告発しています。また、『ちびくろサンボ』を「絶版に追い込んだことで知られている」という「黒人差別をなくす会」が、「9歳になる息子」の発案により、妻を会長、自分は副会長、息子を書記長とする「奇妙な団体」として発足し、最初の成果の『ちびくろサンボ』によって、『ワシントン・ポスト』紙に紹介され、ついにはアメリカ黒人団体から親子2人が招待されたことなどが述べられています。
 第3章「大新聞『言い換えリスト』をスッパ抜く」では、高槻市の公立中学校の運動会で、「障害物競走」を「山越え谷越え競争」や「アップダウンレース」と言い換えたり、種目自体を廃止してしまったこと、「バカチョンカメラ」や「士農工商○○」等の言葉が「言い換えリスト」に挙げられていること、「四つ」という言葉が拡大解釈され、大阪の教科書出版社が小学校の算数の教科書で、数を表す「4つ」がすべて「4こ」に書き換えたことが取り上げられています。また、「リポビタンD」の「ヨッ! お疲れさん」のコピーが「関係者」の抗議により「ヨォ! お疲れさん」に変更され、それでもまだ声に出して読むとまずかったのか、翌年には「ヨォ! やるじゃない」に変更されたことが紹介されています。
 第4章「編集現場での『わが言葉狩り』」では、マスコミ現場へのアンケートの中で、「どこからか自宅の電話番号を見つけ出し、三日間くらい、脅迫電話が鳴りっぱなしでした」という抗議経験などが紹介されています。また、「新聞広告に掲載できないから」という理由で、削除・言いかえをしたケースが数件あり、これは、「新聞社側からの『言論弾圧』ともとれなくもない」と述べられています。
 第5章「誌上対決・部落解放同盟」では、部落解放同盟中央本部教宣局マスコミ対策部の小林健治のインタビューが掲載されています。解放出版社の本の新聞広告が、「『部落』はまずい」という理由で拒否される、「うちの本から『部落』という文字をとったら、半分はなくなりますよ」というコメントが、今の自主規制の異常さを現すケースとして紹介されています。また、時事通信社に抗議をした際に、「抗議に行くと『同和文献大鑑』――エセ同和団体の5万円もする本ですが、数万部も売れているから恐ろしい――を2冊も買っておりますと堂々と」言い、「これが免罪符になるだろうという意識」であったということが述べられています。
 第6章「言葉狩りの『主犯』は誰だ」では、1994年2月24日の朝日新聞に「断筆宣言その後」として掲載された筒井康隆氏の「それがいけないんじゃないですか。言葉だけで傷つくというのが……。これは差別的表現を使っているけれど、われわれを傷つける意図で使っているのではない、と判断できるのが知性でしょう」という発言が紹介されています。
 本書は、差別と言葉狩りの問題を考える上で、必読書の一冊ではないかと思います。

■ 個人的な視点から

 本書の巻末には、資料として「主要マスコミ『言い換え』用語集」が収録されています。これは、読売新聞の『差別表現・不快語・注意語要覧』をベースに、マスコミ各社の「言い換え用語」を収録したものですが、これを読むと、マスコミで使われている不自然な表現(新聞などで不自然に数文字スペースが開いていることがありますが、これは言い換えなどの結果なのでしょうか?)を、記者が本来頭の中で使っていた表現にデコードすることができます。
 そうなると、書いた人の「差別する意図の有無」は、印刷されている活字の文字からは判断できないような気もします。
 本書のマスコミアンケートの中でも、「社のワープロには独自の辞書が組み込まれており、……などを打つとゲタ(〓)が出るようになっている(注・記号が表れ、言葉が出てこない)」というアンケートが紹介されていますが、Windowsに搭載されているIMEの辞書にも変換できない言葉がたくさんあります。これに対応した、「自主規制語補完辞書」なるものまでネットには掲載されています。この問題が、マイクロソフトやジャストシステムなどが、自主的にこの問題に気づいた結果なのか、各種団体の活動の「成果」なのか、いろいろな経緯があるのかもしれません(実際には、辞書を供給している会社が対応しているのだと思いますが)。


■ どんな人にオススメ?

・言論の自由と人権の問題に悩まされている人。


■ 関連しそうな本

 アンブローズ ビアス (著), 筒井 康隆 (翻訳) 『筒井版 悪魔の辞典』 2005年09月25日
 筒井 康隆 『東海道戦争』
 筒井 康隆 『笑うな』
 筒井 康隆 『おれに関する噂』
 筒井 康隆 『文学部唯野教授』
 森 敦 『月山・鳥海山』


■ 百夜百音

ばちかぶり【ばちかぶり】 ばちかぶり オリジナル盤発売: 2007

 「プロジェクトX」のナレーションでお馴染みの田口トモロヲをボーカルに擁したバンド。石原裕次郎が亡くなった1987年7月17日には前日に亡くなったトニー谷追悼ライブを行っています。


『子どもたちのCity』子どもたちのCity


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2006年11月04日

「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実

■ 書籍情報

「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実   【「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実】

  松井 栄一
  価格: ¥2310 (税込)
  小学館(2004/03)

 本書は、明治維新以来130年余りの間に「激動」した日本語の変化を、明治時代の辞書や各種文献を例に挙げながら、「明治時代から現代に至るまでに目立った移り変わりを見せた言葉をいろいろと取り上げてそのあとをたどって」いるものです。
 このような移り変わりが多い理由として、著者は、「日本語は漢字を使うと読みにかかわりなく意味が通じる場合が多いので、読みが軽視される傾向がある」ことを挙げています。その例の一つとしては、入場料金の表示に「大人」「小人」とあるものの読みが、オトナとコビトではなく、ダイニン、ショウニンであることなどが挙げられています。
 本書のタイトルとなっている、「のっぺら坊」と「てるてる坊主」については、明治期の辞書では「のっぺらぽう」と「てりてり坊主」と表記されていることが紹介されています。そして、「てるてる坊主」という呼び方は、大正10年に発表された童謡と、それを扱った国定読本によって定着したことが述べられています。
 また、「輸出」「輸入」の読みは本来「シュシュツ」「シュニュウ」であったのが正しく、「ユ」の読みは日本での慣用音であり、「愉」「諭」「喩」「楡」「癒」などの音がユであったことに引かれてユになったものではないかと推理されています。
 現代でも異形の多い言葉としては、
・「あとずさり」と「あとじさり」
・「こんぐらかる」と「こんがらかる」
などについて、明治、大正、昭和のそれぞれの事例を挙げて紹介されています。
 また、現代では「頑丈」と書かれることが一般的ですが、「岩乗」「岩丈」「岩畳」「巌乗」「巌丈」「巌畳」「頑畳」など、様々な漢字表記があったことが紹介されています。
 昭和初期の流行語の解説では、今でも使われる「ギャグ」が、
「ギャッグ:本来の意味は『猿ぐつわ』だが、喜劇俳優等が、セリフにない言葉を勝手に客を笑はすため入れる事を云ふ。これを案出する人を「ギャッグマン」と云ふ」
と紹介されています。
 また、「とっちゃんボーイ」という言葉は元々、家庭では「とっちゃん」であるべき紳士が、職場では若返って女の子と談笑したりする「モダンボーイ」ブリを発揮するという「おとっちゃん兼モダンボーイ」を略したものであることが述べられています。
 意外なところでは、「ギャル」と「まじ」も昭和初期から使われていることが紹介されています。ただし、「ギャル」ではなく「ギャール」ですが。
 現在は使われなくなった言葉としては、「テケツ」という言葉があります。これはticketがなまった言葉ですが、当時は切符売り場の意味として使われることが多かったようです。今聴くと違和感がありますが、「バケツ」もbucketがなまったものであることを考えると納得が行きます。
 本書は、「正しい日本語」というものがいかに移ろいやすいものなのかを教えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の中でも着眼点が面白かったのは、三食の呼び方についてです。
 朝食だけでも、
・あさめし:朝飯・朝食
・あさはん:朝飯
・あさげ:朝食・朝飯・朝餉
・あさいい:朝飯
・あさがれい:朝餉
・あさしょく:朝食
・あさごはん:朝御飯
・ちょうしょく:朝食
・ちょうはん:朝飯
・ちょうさん:朝餐
・ちょうしょう:朝餉
等10種類以上の呼び方が紹介されています。昼になると、これに「午飯」「午食」「中食」などが加わってさらに種類が増えます。
 普段よく使われる、「朝御飯、昼飯、晩餐」などの言葉がバラバラなことに疑問を持つと奥が深いものであることがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・日本語の移ろいやすさに惹かれる人。


■ 関連しそうな本

 野口 恵子 『かなり気がかりな日本語』 2006年09月09日
 糸井 重里 (編集) 『言いまつがい』 2006年6月11日
 町田 健 (編集), 加藤 重広 (著) 『日本語語用論のしくみ』
 野田 尚史 『なぜ伝わらない、その日本語』
 日本エディタースクール (編集) 『日本語表記ルールブック』
 神辺 四郎 『その日本語は間違いです―正しい言葉の使い方』


■ 百夜百音

WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント【WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント】 H Jungle With t オリジナル盤発売: 1995

 「ジャングル」と言えば、ブレイクビーツを倍速で回してせわしないビートをつくり出すものというイメージがありますが、フォークギターをかき鳴らして人生語るタイプの曲にも合うということが明らかになった一曲です。


『WOW WAR TONIGHT REMIXED』WOW WAR TONIGHT REMIXED

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2006年09月09日

かなり気がかりな日本語

■ 書籍情報

かなり気がかりな日本語   【かなり気がかりな日本語】

  野口 恵子
  価格: ¥693 (税込)
  集英社(2004/01)

 本書は、「最近の日本語とコミュニケーションについて考える材料を提供する」ことを目的としたものですが、単に若者言葉をジャーナリスティックに取り上げて嘆く「オヤジ説教本」ではありません。著者は、「若者たちの日本語力を憂える大人たちは、先輩として、後輩が豊かな日本語の世界を構築するよう導いてきたのだろうか。そもそも大人たち自身が、広くかつ深い日本語の世界を持っているのだろうか。さらに、その日本語の世界の中から選び取った磨き抜かれた日本語を駆使して、円滑なコミュニケーション活動を行っていると言えるのだろうか」と自問しています。著者は、大学で非常勤講師として、外国人学生に日本語・日本事情を、文学部の学生に日本語教育概論などを教えている語学教師ですが、本書には、日本語を学び、日本で暮らし始めた外国人学生たちが当惑する様々な「気がかりな日本語」やコミュニケーションが多数収められています。
 著者が、日本の大学生に敬語が使われる場面を想定した会話文を書かせたところ、ファーストフードやファミレス、居酒屋、コンビニのレジなどでの接客場面でのやり取りであったことを挙げ、「学生たちが最も親しんでいる、そしてほぼ唯一の敬語使用の場」が、家庭でも地域でも学校でも書物の中でもなく、ファーストフード店や居酒屋などのサービス業の現場であることを指摘しています。
 そして、日本語の乱れとして非難されることが多い「いまどきの大学生」を取り巻く日本語の環境を作り出してきたのは、ほかならぬ「いまどきの大人」たちであり、「大学生は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきた」ことを指摘しています。
 その「いまどきの大人」の日本語については、「まあ」や「やはり(やぱり)」等の言葉が、「あのー」「エーと」「エー」「このー」「そのー」「んー」のような、つなぎの言葉(フィラー)の仲間入りをしていることを指摘しています。また、「要するにとりあえず逆にある意味基本的に、日本語力だ」等の言葉が、特に深い意味もなく頻繁に用いられ、無自覚に使用されていることについて、
・「ある意味」には「別の意味」があるのか。
・「基本的に」の基本的な意味。
・反対のことを表さない「逆に」。―――「言い換えれば」や「その代わりに」の意味で使われ、「正反対」の意味では「真逆(まぎゃく)」が使われる。
・出過ぎ感のある「で」。
等の例を挙げて解説しています。
 大人の中でも年長の部類に属する人の日本語に関しては、かつての高齢者が「パーティー」が発音できず、「パーテー」や「パーチー」と言っていたのに対し、21世紀の高齢者は「ティーショット」や「デュエット」などもお手の物になり、ついには「ホームスティー」「ディスクトップ」などにまで発揮してしまう例を紹介しています。これは「規則の過剰般化」と呼ばれるもので、「意識的に、あるいは無意識のうちに、自分の獲得したルールを他のケースにも当てはめようと」してしまう、外国語学習者や幼児期の母語発話者が言語習得の過程で経験する誤りであることが述べられています。
 また、若者の日本語の乱れを指摘する大人自身の問題を指摘するものとして、
「おかしな上昇イントネーションが蔓延してますよね。半疑問? 実に耳障りですね」
という文章を紹介し、「自分では無意識に使用していながら、ほかの人が言うのを聞くと不快感を抱くのだろう」と述べています。同じような例としては、「腑に落ちる」などを挙げています。著者は、語彙の習得に関して、「理解語彙を増やす努力を続けながら、使用語彙を自らの責任で管理する」という点では、外国人学習者も母語発話者も根本は同じであると主張しています。
 この他本書では、「ことばの丁寧さの度合が、使われているうちに以前より下がり、乱暴に感じられる傾向」を差す「敬意低減の法則」の例として、身内に対しての尊敬語、身内に向けた謙譲語等の例を紹介しているほか、「高齢者のかた」「障害者のかた」のように、「『弱い立場の者への同情』を示そうと敬語の『かた』を用いるのは、差別意識を隠蔽するための姑息な手段のようにも見える」こと等を取り上げています。
 本書は、ちょっと前の日本語ブームに釣られて買ってしまった「練習帳」の類を買ったままほったらかしている人にも読みやすく、ドキリとさせてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 「要するにとりあえず逆にある意味基本的に」という言葉を聞いて、「とにかくひとまず何よりすなわちタイムボカ~ン」を思い出してしまう世代の人は少なくないはずです。
 タツノコ作品はGyaOで放送しているので、そちらで見ることができますね。
http://www.gyao.jp/


■ どんな人にオススメ?

・「いまどきの大人」の言葉の乱れが気がかりな人。


■ 関連しそうな本

 松井 栄一 『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実』
 日本エディタースクール (編集) 『日本語表記ルールブック』
 神辺 四郎 『その日本語は間違いです―正しい言葉の使い方』
 北原 保雄 『問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?』
 現代言語セミナー 『人前には出せない怪しい日本語164』
 北原 保雄 『達人の日本語』


■ 百夜百音

くまのプーさん 日本語歌ベスト【くまのプーさん 日本語歌ベスト】 ディズニー オリジナル盤発売: 2002

 『くまのプーさん』の劇中歌が収められていて、ストーリーを簡単に追うことができます。
 何気にプーさんが、自分が太っていることを気にしていることがショックです。まあ、食べすぎで穴に引っかかるくらいなので、重要なんですが。


『くまのプーさん 完全保存版』くまのプーさん 完全保存版

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2006年06月17日

言い間違いはどうして起こる? もっと知りたい!日本語

■ 書籍情報

言い間違いはどうして起こる?    もっと知りたい!日本語   【言い間違いはどうして起こる? もっと知りたい!日本語】

  寺尾 康
  価格: ¥1575 (税込)
  岩波書店(2002/11)

 本書は、「みやこ」を「みそら」と言い間違えてしまうような、「ついうっかり間違ってしまった言葉」を糸口にして、「言葉が発せられる現場を観客席からではなく、こっそり舞台裏から楽しむ」ことによって、日本語の姿を分析し、話し手本人が意識できない発話メカニズムを知ろうというものです。。著者は、大量の言い間違いの事例の分析の中から、「言い間違いは『間違い』と言う言葉自体の持つイメージとは正反対に、決して無秩序に起こるものではな」く、「そこにはきれいな規則性があること」を述べています。
 著者は、言い間違いを、「故意にではない、発話の意図からの逸脱」と定義しています。
 言い間違いには、いくつかの基本形があり、本書では、
・付加型
・欠落型
・代用型
・交換型
・混成型
・移動型
の6つのタイプが示されています。このうち、最も頻度が高いのは、全体の80%を占める代用型で、他には欠落8%、交換5%、混成2%の順になっているそうです。
 本書は、これらの言い間違いが生じるメカニズムを、言語学的な単位や、音韻構造、心理学的な分析など、様々なアプローチを駆使して、
(1)語彙代用の誤りが生じるメカニズム
(2)混成の誤りを引き起こす要因
(3)音韻代用を説明するモデル
(4)音位転倒が生じるメカニズム
のそれぞれについて解説しています。
 著者は、「私たちの発話は限られた時間と求められる正確さとのせめぎ合いの中で展開」されるものであり、「そもそも言い間違いには、間違ったとしても聞き手には理解できる、という許容範囲があるよう」であると述べています。
 本書は、日々、様々な言い間違いをしている私たちにとって、言い間違いが当たり前のことであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で最初に取り上げられている言い間違いは、昭和59年の紅白歌合戦で、これを限りに引退すると宣言していた都はるみを紹介しようとした総合司会のアナウンサーが、つい、「みそら」と口走ってしまったという事件です(このアナウンサーは進退伺いまで書いたそうです。)。
 著者は、この言い間違いが生じた要因として、
(1)意味的特徴の一致:紅白でトリをとれるような大物女性歌手
(2)音韻的特徴の一致:3モーラで平板アクセント、/mi/という語頭音を共有
(3)品詞の一致:名詞
(4)心理面:言ってはいけないと思うものほどつい口から出てしまう。
という4つの要因を挙げています。
 そして、言い間違い研究の立場からは、あの誤りは起こるべくして起こった、最も典型的な誤りであると述べています。


■ どんな人にオススメ?

・「言いまつがい」を読んでいて、その規則性に気づいた人。


■ 関連しそうな本

 糸井 重里 (編集) 『言いまつがい』 2006年6月11日
 糸井 重里 (編集) 『オトナ語の謎。』
 加藤 重広 (著), 町田 健 (編集) 『日本語学のしくみ』
 町田 健 (編集), 加藤 重広 (著) 『日本語語用論のしくみ』
 野口 恵子 『かなり気がかりな日本語』
 野田 尚史 『なぜ伝わらない、その日本語』


■ 百夜百音

嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト-オール・シングルス+爆笑セレクション1983~1989-【嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト-オール・シングルス+爆笑セレクション1983~1989-】 嘉門達夫 オリジナル盤発売: 2005

 知人が営業で嘉門達夫のツアーに参加したとき、昔ファンだった東南西北のベースの人がバックバンドに入っていたのでビックリしつつも盛り上がったそうです。
 嘉門といえば、加山雄三→嘉門雄三→嘉門達夫つながりということで。このLP実家にありました。


『もも』もも

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2006年06月11日

言いまつがい

■ 書籍情報

言いまつがい   【言いまつがい】

  糸井 重里 (編集)
  価格: ¥1575 (税込)
  東京糸井重里事務所(2004/02/14)

 本書は、「言い間違いや、やり間違い、長い間の勘違いなど、日常に起こったあらゆる間違い」である「言いまつがい」を、編者が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」で蒐集したものです。本書の冒頭には、「編集部からのお願い」として、「不特定多数の人々が集まる場所、真剣さが必要な場面などでは読まないでください。」、「編集部は一切の責任を負いません」と断り書きがあり、例として、「電車内・会議中・授業中・図書館・高級寿司店・おしゃれオープンカフェ・見合い中・ひげそり中・葬儀中・争議中・息を潜めて穴倉に潜伏中・二枚目気取り中・恐喝中・取り調べ中・講習会・公衆トイレなど」が挙げられています。この中には、物理的に本を読むのが難しそうな場面も含まれていますが、実際に読んでいなくても、さらに危険な「思い出し笑い」も想定されますので、例えば、重要な会議がある日の朝や、髭剃り前には読まないほうが安全ではないかと思われます。
 本書は、最も言いまつがいの危険性が高い慣用句のコーナーから始まります。p.17の「のんだらのむな、のるならのるな」は、以前、ガキの使いで、山崎邦正が「飲んだら飲むな」というネタで使っていたような気がします。また、「馬車馬」と「種馬」は、職場の先輩が、「昼は馬車馬のように、夜は種馬のように働く」をキャッチフレーズにしてました。
 有名人の名前の言いまつがいでは、定番の「シガスカオ」が紹介されていますが、同じタイプでは、「ジョン・ジョンジョビ」とか「ジョン・ボンジョビ」とかがあります。
 病院ネタの「しゅじゅちゅしゅちゅ」関連では、永野のりこの『科学少年01くん』で、「シジチュ」ネタが思い起こされます。「こわいからせめて「手術(しゅじゅつ)」と言っておくれよーっ」というマサハルくんの絶叫が聞こえてきそうです。
 小さい頃に歌詞の意味が分からないまま覚えるせいか、何十年も思い違いをしていることの多い童謡ネタでは、有名な「イージーサン」の言い間違いが出ています(沢木耕太郎氏も間違えて覚えていたそうです。)。実際にはモデルになった女の子は結核をわずらってしまったために船に乗せてもらえず、日本に置いていかれ、そのまま短い人生を閉じたという悲しい逸話もあるのですが。
 また、「ABCのうた」を甥っ子が「ABCDEFGHIJKエロエロピー」と歌っているというエピソードは、投稿した人の方が間違っている、という恥ずかしい話でもあります。つまり、古い世代の人は、「HIJKLNM」でいったん切り、「OPQR~」と続く日本人にも発音しやすいバージョンで歌を覚えていたのに対し、英会話を習い始めたという4歳のこの子は、「HIJKLMNOP」まで一気に歌い、「QRS,TUV」と続く英語圏の子どもと同じような歌い方で覚えていたのだと考えられます。そのため、投稿者は「LMNOP」を「エロエロピー」に「聴きまつがえた」ようです。その意味で、本書に掲載されている内容自体が「言いまつがい」の可能性がある珍しい例ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 本書で個人的にツボにはまったのは、「ゴールドマン・サックス証券」からの電話を「ゴールド万作商店」に聴き間違えたエピソードです。しりあがり寿氏が描く「万作」っぽいイラストも素晴らしい。しかし、電話での聴き間違いが多いのは、もともと音声だけでは固有名詞の音を全て聞き取るのがむずかしく、聞き取れなかった音を補いながら、自分の頭の中で「漢字変換」するためではないかと思います。この仕組みを解明してくれる人はいないでしょうか。
 また、本書のような投稿モノの場合、昔どこかで聞いたことのあるようなネタを多く見かけます。間違いやすい定番モノである以外にも、投稿する「ネタ職人」たちがどこかから持ってくる場合も少なくないのではないでしょうか。特に、「うちのおばあちゃんが~」とか「先輩が~」というエピソードは、盗作の匂いがするものが多いです。
 こういう、小ネタの歴史的な変遷をたどった研究なんかがあれば読んでみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・自分でも気づかない「言いまつがい」を連発している可能性のある人。


■ 関連しそうな本

 糸井 重里 (編集) 『オトナ語の謎。』
 糸井 重里 (編集) 『智慧の実のことば~ほぼ日刊イトイ新聞語録~』
 寺尾 康 『言い間違いはどうして起こる? もっと知りたい!日本語』
 加藤 重広 (著), 町田 健 (編集) 『日本語学のしくみ』
 野口 恵子 『かなり気がかりな日本語』
 野田 尚史 『なぜ伝わらない、その日本語』


■ 百夜百音

Slippery When Wet【Slippery When Wet】 Bon Jovi オリジナル盤発売: 1988

 当時、カセットテープ(AXIA)のCMソングに3曲目の「Livin' on a Prayer」が使われ、日本のお茶の間にもお馴染みになった頃のアルバムです。
 イントロの「ゥワゥワゥゥゥワ」は初めて聞いたときびっくりしましたが、ミニアンプと漏斗とホースでトーキングモジュレーター(トーキングワウ)を自作したときには早速真似してしまいました。


『New Jersey』New Jersey

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2006年05月21日

日本語の作文技術

■ 書籍情報

日本語の作文技術   【日本語の作文技術】

  本多 勝一
  価格: ¥567 (税込)
  朝日新聞社出版局(1982/01)

 本書は、朝日新聞の記者であった著者が、「朝日カルチャー・センター」で行った文章講座を元に、「読む側にとってわかりやすい文章を書く」という「事実的」・「実用的」な文章のための作文技術を論じたものです。
 第1章では、「言語とはすなわちその社会の論理である」と、作文技術を学ぶことは、その言語が用いられている社会の論理体系を学ぶことと位置づけた上で、それに続く各章、特に第2章から第6章では、修飾の仕方や句読点・助詞の使い方を、いかに書き手の意図する論理を誤解なく伝えることができるか、という技術を述べています。
 第2章「修飾する側とされる側」では、分かりにくい文章の例として、修飾する言葉と修飾される言葉とが離れすぎているものが多いことを挙げ、修飾・被修飾語の言葉同士を直結するという機械的に位置を変えるという操作だけで、かなり分かりやすくなることなどが述べられています。
 第3章「修飾の順序」では、
(1)「句を先にし、詞を後にする」ことで誤解の少ない文章とすることができる。
(2)「長い修飾語は前に、短い修飾語は後に」するという原則が「物理的な単なる『長さ』だけの問題であるにもかかわらず、文のわかりやすさ、自然さを決めるための最も重要な基礎をなすもの」である。
(3)「大状況から小状況へ、重大なものから重大でないものへ」
という3つの原則が述べられています。
 第4章「句読点のうちかた」では、「字をぬかす人はめったにいない」のにマルが抜けていても平気な人は意外と多いとした上で、「句読点は字と同じか、それ以上に重要」であることを例文を挙げて解説しています。特に、文章を書く上で悩むことが多いテンのうちかたについては、「テンというものの基本的な意味は、思想の最小単位を示すもの」であると定義し、テンの場所次第によって文章の意味が大きく異なってくる例をいくつも紹介しています。
 第5章「漢字とカナの心理」では、漢字とカナを併用する効能を、「視覚としての言葉の『まとまり』が絵画化される」こととして、「ローマ字表記の場合の『わかち書き』に当たる役割を果たしている」ことを指摘しています。
 大きなボリュームの第6章「助詞の使い方」では、最も重要性が高い助詞を「ハ」とした上で、題目を現す係助詞「ハ」と対照(限定)の係助詞「ハ」の使い方を重点的に解説しています。著者は、教科書に書かれている「主語と述語」という文法用語に疑問を呈し、係助詞「ハ」とは、「格助詞ガノニヲを兼務するとみて、文の題目を示すもの」と規定した三上章氏の説を紹介しています。また、対照(限定)の係助詞「ハ」に関しては、「ひとつの文(または句)の中では三つ以上のハをなるべく使わない(二つまでとする」という原則を示しています。
 この他本書では、思想を表す単位としての段落の重要性や、無神経な文章(「紋切り型」「繰り返し」、「自分が笑っている」文章の不愉快さ等)の腹立たしさ、リズムと文体などの文章技法的な話から、新聞記者としての本領を見せる、具体性とそれを裏付ける取材の大切さなどが述べられています。
 また、本書の付録「メモから原稿まで」には、著者が子ども時代にマンガに夢中になり、マンガを描くための最も初歩的な知識が書かれた「マンガの教科書」がないこと、そして、文章の世界では原稿そのものに関する技術について書かれたものがなく、マンガ以下であることが語られています。
 本書は、「名文」「美文」を書きたい人のためではなく、実用的で分かりやすい文章(実はそれこそが本来の意味での「名文・美文」なのですが)を書きたい人にとって、手元においておきたい一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 本書の第10章「書き出しをどうするか」には、「これ以上考えられないほどの最悪の書き出し」として、「編集者から注文されたことを冒頭でノロける方法」が挙げられています。これは、「○○○について書け、という注文である」や「編集者から表題のようなテーマを依頼された」という書き出しですが、著者はこの書き出しについて、読者には全くプラスになるところがないばかりか、(1)原稿を依頼されるほどオレはエライんだぞという嬉しさ、(2)文章の出来が悪くても責任は注文者にあるという責任回避という2つの傲慢が潜んでいると指摘しています。
 就職試験・公務員試験などでもこういう書き出しをする人は結構多いようです。「○○の××について述べよ」というテーマが示されると、いきなり、「○○の××について述べよということであるが」から書き始めて、それから中身を考える人が結構います。しかも、ボールペンで直接解答用紙に書き込んで、そのまま終わりまで書いてしまう人もいます。
 こういうのは文章の技術というよりも、小論文のイロハの段階の話なんですが、むしろ頭の良い学生であったが故に、それなりに見える文章を書くことができてしまい、大人になってから苦労しているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・誤解のないわかり易い文章を書きたい人。


■ 関連しそうな本

 加藤 秀俊 『取材学―探求の技法』 2005年10月16日
 山口 文憲 『読ませる技術』 2006年04月01日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日
 本多 勝一 『実戦・日本語の作文技術』
 中野 明 『書くためのパソコン』 2005年06月25日


■ 百夜百音

麗蘭【麗蘭】 麗蘭 オリジナル盤発売: 1991

 チャボと蘭丸がまさか組むとは当時は思いませんでしたが、考えてみればRCにチャボが加入したことも当時のファンにとってはショックだったのでしょうか。


『古井戸の世界』古井戸の世界

投稿者 tozaki : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月01日

読ませる技術

■ 書籍情報

読ませる技術   【読ませる技術】

  山口 文憲
  価格: ¥630 (税込)
  筑摩書房(2004/03/12)

 本書は、朝日カルチャーセンターで10年以上にわたり、作家の関川夏央氏と「コラム・エッセイの視点と発想法」という人気講座を続けてきた著者が、講座での体験を元に、素人が陥りやすい落とし穴や、読みたくなる文章を書くコツをまとめたものです。
 著者は、文章の世界ほど参入障壁が低いものはないといいます。「おそらくこれほど市場メカニズムが健全に作動している世界も、ほかにないのではあるまいか」と言うほどです。
 著者は、「うまい文章を書く秘訣」はないけれども「まずい文章を書かないコツ」はあると述べています。そのコツの一つは、「うまく書けそうもないことは書」かないことです。これを著者は野球の「選球眼」にたとえています。では、うまく書けそうな絶好球とはどのようなものでしょうか。
・ポイント1:すでに誰かが書いていることは書かない。
・ポイント2:世間の常識を謎ってはいけない。
・ポイント3:身近なことを書けばいい。
・ポイント4:オリジナルな切り口で勝負。
 こうやって4つにまとめると簡単ですが、これをクリアするのは実は相当難しいのだそうです。新聞の社説の内容が移ってしまう人も多く、特に「庶民」という言葉が出てくるような文章に対して著者は「一発免停」を宣告しています。
 そして、著者を有名にしたコラム・エッセイの技は「ある、ある、へー」の法則です。これは、読者の共感をつかむための「共感」をまず頭に持ってきて、もう一つくらい「共感」で駄目押ししたあとに、意外な「発見」を持ってくるというものです。著者によれば面白いエッセイの多くが、この「ある、あるへー」の構造を持っているということです。
 また、「文章に必要な6つの要素」として、
・テーマ:主題
・ロジック:「切り口」や「理屈・理論」
・プロット:具体的な文章に仕立てる「筋書き」
・スタイル:文体
・ギミック:冗談やしゃれ
・エピソード:何か意見や思想をなぞらえるもの
 この他にも本書には、面白い文章には、「スーパー・マリオブラザース」と同じように、
・キノコ(話)とキノコの距離があればあるほど面白く、
・キノコとキノコの間に段差があればあるほど面白い。
という法則があると述べ、そのルーツとして日本の連歌を紹介しています(「花を持たせる」の語源も紹介しています。)。
 また、着眼点は小さいほど良い、という「ピンホールカメラの理論」もおすすめです。
 ブログや日記など、素人が文章を発表する機会も増えてきました。特にブロガーにはぜひ読んで欲しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書では、永六輔の体験として、外国のホテルのバスタブの排水溝に○○が吸い込まれてハンマーでバスタブを壊した、という話が紹介されていますが、これは筒井康隆が「陰悩録」という作品にした有名なエピソード、というか持ちネタのはずではないかと思うのです。
 実際のところはどちらもネタだとは思うのですが、「外国のホテルで」というあたりはいかにもネタ臭さが漂います。もちろん、本書で解説されているようにエッセイストの語る内容は、「筆者を主人公にしたフィクション」と考えればいいのですが。


■ どんな人にオススメ?

・blogや日記など普段文章を書いている人。


■ 関連しそうな本

 中野 明 『書くためのパソコン』 2005年06月25日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日
 本多 勝一 『日本語の作文技術』
 本多 勝一 『実戦・日本語の作文技術』
 樋口 聡 『フリーライターズ・マニュアル』
 樋口 裕一 『人の心を動かす文章術』


■ 百夜百音

クリームの素晴らしき世界【クリームの素晴らしき世界】 クリーム オリジナル盤発売: 1968

 エリック・クラプトンにばかり目が行ってしまいますが、個人的には鈴木賢司のライブアルバムをきっかけにジャック・ブルースからクリームにたどり着きました。


『INAZUMA SUPER SESSION』INAZUMA SUPER SESSION

投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月05日

誤記ブリぞろぞろ―校正の常識・非常識

■ 書籍情報

誤記ブリぞろぞろ―校正の常識・非常識   【誤記ブリぞろぞろ―校正の常識・非常識】

  野村 保惠
  価格: ¥1,470 (税込)
  日本エディタースクール出版部(2005/10)

 本書は、出版・印刷業界に長く携わり、日本エディタースクールにおいて30年間後進の指導に当たった著者が、「校正」という仕事の解説とともに、校正を通じて見てきた印刷業界の時代の移り変わりを語ったものです。
 本書の校正の約半分は、校正のルールの解説に充てられています。普段本を読んでいてもそれほど意識していない数々の校正のルール、出版・印刷業界のイロハは、門外漢の好奇心をそそるものばかりです。それも、単に教科書的に必要事項が書いてあるだけでなく、著者の経験を背景に実際の出版の現場で役に立つことを想定して書かれているので、非常に実践的(と言っても仕事には関係ないですが)な内容になっています。
 第2章の「文字の字体のいろいろ」では、原稿がコンピュータで作成されるようになったことで、それぞれのコンピュータで扱える自体が問題になることが述べられています。また、「字種」と「字体」とは分けて考えられます。普段コンピュータを使っていると、「字