2008年06月29日
実業之夢、プロ野球
先日娘の小学校にオリックスバファローズの選手3人が来てくれたのがきっかけで、昨日はわたしとしては非常に久しぶりに野球場へ足を運んだ。全学年に招待券をくださっていたので、引率の大人は1200円で内野自由席に入場。今ネーミングライツで「京セラドーム大阪」となっている。
http://www.kyoceradome-osaka.jp/
奇遇ながら先日、この京セラドーム大阪を運営する大阪シティドームの関係者の方にお話を伺う機会があった。大阪市らが出資する第三セクターであった大阪シティドームが経営破たんしたのは2006年。建設費498億円の償還が大きな負担になっていたうえ近鉄との合併により現オリックスバファローズは神戸市西区のスカイマークスタジアムとこことのダブルフランチャイズ制をとることとなり、ホームが二分され経営上不利な状況となったことなども重なった。
現在の経営計画はオリックス社がドーム施設を買収し、5年後に大阪市へ無償譲渡するというもの。関係者の方によれば、公共性の維持がドームの運営上の条件としてあるのだそうで、公共がからまった施設の再生計画として非常に妙味を含んだものである。いわば再生の鍵を握るのはファンをはじめ大阪市民。なるほど、小学校への選手の招聘はそのような仕掛けのひとつであったというわけか。
個人的には、もともと阪急沿線に住んでいたことから、球場といえば西宮球場、アストロビジョン、阪急ブレーブス最強の時代がちょうど小学生時代。弟の名前も阪急の創始者にちなんでいたりして、自分が男に生まれたらその名前に決まっていたらしいというから、野球に熱いものを感じた最初の球団は阪神というよりも実は阪急ブレーブス。オリックスへの「身売り」、近鉄との合併に、ファンとしての夢がことごとく消えかけていたような気がしていたが、やはり球場に行き、選手のいきいきとしたプレーに触れると、封印していたものがふつふつとするのを感じる。
子供たちは過去の栄光にとらわれたりしないから、その点うらやましい。学校訪問の夜タイムリーでチームを勝利に導いた坂口を応援するのだ、といって、早速ファンクラブに入会し、声援を惜しまない。
http://www.buffaloes.co.jp/fanclub/
このファンクラブ、1000円で入会したらさっそくスポーツバッグをプレゼントしてもらった。
球場にくるたびにスタンプをもらえるらしい。特典欄を読んで次は何日にいこう、と友人と約束しているのをみると、すっかり「はまっている」。
応援団の応援は外野自由席が活発だが、内野自由席の後方で「応援会」のTシャツを着たファンの皆さんが声をからして応援歌を歌う。一緒になって「よっしゃ!」と、応援席で声をうねらすうちにねじれた思いをかかえた母も最後まで試合を楽しんだ。
この応援会の皆さんが、試合終了後の清掃作業を手伝われているを見たのも、ありがたい経験だった。いいおじさんたちやねえ、と子供たちも感心していたが、それぞれバックグラウンドは元は近鉄応援会、ブルーウェイブ、ブレーブスと応援を続けていた人たちが今一緒になってこの球団を応援しているのである。ねじれファンはちょっと恥ずかしくなった。
球場・球団の経営努力を別の視点で評価すると、大阪産業大学との協定や、球場内ショップでの販促など、さまざまな点で感心するものがあった。客単価をあげることは至上命題だろうと思うが、応援するチームに限らず多様な球団のグッズが買えたり広告面でも球場に来ているECCジュニア教室の子供が英語で応援トークを披露するなどほほえましく印象的なものがあった。いろいろな切り口があるものである。
ホークスは福岡に行き、近鉄・オリックスの選手を二分した楽天イーグルスは仙台へ行き、それぞれの地域のファンに支えられ、また地域に貢献する球団として精彩を放っている。
オリックス・バファローズも巻き返しはこれから。子どもたちと球場へ行こう!
2008年06月27日
爆弾と自殺
タイトルはなんだかすごいが、どちらも実際。
家族が住む近辺で戦中の1t爆弾が発見されて、先日避難のお知らせが、ポストに投函されていた。
先般東京で見つかったときは半径500mの範囲が避難範囲だったが、今回は300m。PTAでも心配していたが、避難場所になるはずの小学校が半径500mではかぶってしまう。高層住宅地なので避難の量的確保のために小学校をはずしたかたちだ。
いずれにしても家族は避難対象なのでやれやれと思っていた矢先、近隣で硫化水素と思われる自殺騒ぎがあった。子供の通う塾のとなりのマンションで、子供によると駆けつけた警察官か消防の人だかが嘔吐していたようだ、とのこと。二次被害が住民にはおよばなかったのは不幸中の幸いか。わが子も少なからず危険な目にあう可能性があったと感じると背筋が寒い。
さすがにこの夜は、思わず怖い夢を見てしまった。
翌朝の新聞に自殺のことは何も載っていなかった。国内では年間に3万人ものひとが、自ら命を絶っているのだという。あまりにも多いので、騒ぎになっても記事にもならない。1tの爆弾が破裂すれば数多くの人が殺傷されるが、3万人はいくまい。一人寂しく命を絶つ人はそれよりもうんとうんと多いのだと思うとやるせない。
死ぬまで生きたら、それがあなたの人生です。
何がなんでも、死ぬまで生きましょう。
行政組織とリスクマネジメント
土地に関わる仕事をしていると、時折ヒヤリ・ハットといえる事象に遭遇するときがある。
本庁にいて報告や相談を受けるだけでもいくらかあるのだから、現場で生身の交渉をされている方々には、見えない氷山のようなリスクは数多くあるだろう。それらに果敢に挑む現場の皆さんにはいつも頭が下がる思いがある。その一方で、本庁でのうのうとしていていいのだろうか。もっと現場の出来事に耳を傾けなくてならないと思いながら、戦々恐々とするところもままある。
この春に日本リスク研究学会認定の阪大講座を修了しリスクマネジャの登録をさせていただいた。この講座で学んだことは多い。行政組織にいる限り、市民生活を脅かす様々なリスク事象に直面する機会は多々ある。講座を受講するきっかけになったのは、前職の廃棄物管理での経験も大きいが、思いのほか公共事業にかかる環境リスクも見逃しがたいものがある。災害や犯罪、感染症パンデミック、場合によってはテロといったクライシスに直面することも、公共空間を管理し、人身の安全に責任を持つ行政機関の宿命だ。
しかし実際には、何万分の一、何千分の一の確率で発生するそのような事件事故、災害のリスク対応よりも、普段の行政実務に潜むそれぞれの行政パーソンが抱えるリスク事象の発現可能性のほうが一般には高いのではなかろうか。
今国内の企業ではJ-SOX法への対応のため、リスク事象を洗い出し、内部統制を高めるための文書化、システム化に余念がない。わたしも可能な限り担当業務において土地に関わる関係法規を逸脱することがないよう、マニュアルを整備し共有することをすすめてきたつもりだが、どうしても収用担当という切り口以上に踏み込むことの難しさも感じているところがある。
リスクマネジメントは、ある業務執行部門が単一に、さらにいえばボトムからやり遂げるには、大いに限界がある。例えば法令順守ひとつをとっても、土地に関わる法規は民法も含め無数にあるといってよく、わたしは土地収用法の専門であるといってそれ一つにおさまるわけにはいかない。リスクマネジメントは上位組織の経営管理のマネジメント、管理者クラスの業務管理のマネジメント、担当者レベルの業務執行のマネジメントにおいて、立て板に水のごと、管理とフィードバックがなされてこそ意義があるものだ、と痛感する。
残念ながら、大阪府庁に20年勤務していて、これまで「ヒヤリ・ハット」を積極的に上部組織が収集し、リスクの発現を未然に防ぐための経営計画をたてたという経験がない。
経理や人事管理面では、多数の不祥事をこれまで経験してきた府庁だが、残念ながら過去の痛い経験はどこへやら、のど元過ぎれば熱さ忘れるといった具合で、まだまだ過去の経験から学んでいるとは言いがたい状態だ。
日々の細やかな業務執行のPDCAサイクルの中からリスクを認知し、管理をする経験は、予見しえないクライシスへの対応時に大きな威力を発揮する。小さなリスク事象と思われるものも、それがみのがされたがゆえに重大な事件事故につながっていくこともしばしばある。
社会情勢は日々刻々変化しており、これまでどおりは通用しないのがすでに常識だ。
しかし現実の組織には、これまでどおり、という、厚い壁が目の前に聳え立っているのを、感じている。
せめて失敗経験やヒヤリ・ハットを、責められることなく共有できる基盤がなくては、これまでどおりは打破できない。このような考えは甘いのだろうか。個人責任が強く問われはじめた組織の中で、組織のミッションを再確認しながら、リスクの海を渡るのは、なみたいていのことではない。
投稿者 kamimaki : 00:36 【リスクマネジメント】
2008年06月21日
白瓜のお漬物
蒸し暑い午前、昼は素麺が食べたくなって買い物に出ると、白瓜の糠漬けを見つける。
実家にいたころ、母が毎年夏になると、白瓜を買ってきて二つに割り、種をこそげて浅漬けにしていたのが懐かしく。皮に歯ごたえがあり、身から塩味のつゆがじゅんと出てからだの渇きをいやしてくれる。
やっぱり大阪の夏は瓜のお漬物やね、というと、奈良漬の瓜は食べたことがあるが、浅漬けや糠漬けはないという人あり。大阪生まれの大阪育ちでも、お母様のご実家が三重県と聞くと、食文化は母の手料理の伝承がもたらすものとつくづく思う。
糠床がなくても作れる浅漬けは、種をとった白瓜に塩をまぶして出汁昆布を間にしいて重石をしておくだけである。深めのタッパに入れて、タッパより小さめの皿をうつぶせにおいて、重石はあるものでまったくかまわない。夜のうちに仕込んでおいて、朝になるとかなり水があがっている。これを冷蔵庫で冷やして昼に切っていただく。
皮が硬いのが困る人は縞にむくといい。前歯でかるく噛み切れて奥歯で歯ざわりを楽しめる。全部むいてしまうと楽しさがない。
2008年06月15日
岩手・宮城内陸地震
今日は京都・国際会館で第7回産学官連携推進会議。
関西ネットワークシステムで昨年に引き続きブース出展をしたので、午前中ブース当番をさせていただいた。朝早く家を出たので地震のことは何も知らず、昼過ぎに来られた方から第一報を聞く。
岩手方面にはお世話になっているかたがたが多数あり、夕方帰宅してメールチェックをすると、何人かの方の安否は確認できた。通信が不安定との情報もあり。今は皆さんのご無事を、お祈りしております。
土砂崩れ、道路の崩落など、内陸部の被害は甚大なもようだ。
ひとまず今開設しているネット募金を。
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html
被災地が自由度高く使える寄付を、できたらお願いしたい。
2008年06月05日
マチネー・泰子の愛
1日朝に新幹線に飛び乗り、新宿へ。姉の短歌朗読ライブ「曠野」を聞きに。
http://www.geocities.jp/tatumilive/arano.htm
1時前にはライブハウスの前に行列ができていて、その列に近づくと、髪をバッサリ短くした姉がチカチカと手を振っている。色が白くて満月のような姉の笑顔には不思議な引力があるということをはたと思い出す。
行くとは言ってなかったのだが、どうにも引き寄せられてしまったことを観念する。母によると、姉は珍しく、さとちゃんきてくれるかな、と言うていたらしい。来てほしかったら、祈ればええ、と言うたんよ、と母。母と姉と私は潮の満ち引きでつながっているので、これはもう自然の理と思うよりない。
姉は中学生から短歌を詠んで、22歳のときに東京へいってしまった。
ここ数年、こうしたライブ的な活動をしているが、わたしは姉のこうしたイベントに参加するのは初めてだった。距離もさることながら、正直にいえば怖かった。しゃしゃり出てくるな、と言われるような気が、していたのである。
枡野浩一さんと福島泰樹さんが姉をはさんで鼎談トークを。
これはこの世界にあまり詳しくないわたしから見ても実に贅沢なことである。
姉はまるで不遜にみえて舞台で煙草などを吸っている。そしてやおら厨房からひとわんのそら豆を取り寄せ、「いただきものなんです。皆さんどうぞおあがりになって。美味しいんですよ。」と会場に椀を回しだす。このちぐはぐで、とんちんかんなところが姉らしくて、そしてそれが姉の愛のすべてである。
トークでは短歌と朗読ということを取り上げていたが、万葉の歌垣(かがい)では自然なことであったのではなかろうかと思う。福島さんが、世界各地で詩を朗読するイベントがありその模様などを話してくださる。詩は短いから、学がなくて字が書けなくても、つくることができるから、世界中どこでも歌われるのだと姉がいう。トークで枡野さんの詩のボクシングの映像が流れ、福島さんが寺山修二を絶叫し、そして姉が最後に数十首歌った。
トークで、人前で歌うのはつらい、と姉が言っていた言葉が身内にあふれて、わたしもつらくなってしまった。つらいつらいと言いながら、滔々と言葉はあふれ、したためた墨書の歌うたが、舞台に重なり落ちていった。曠野の百合のように姉は立ち居り、青い匂いを放っていた。
あかあかとして。ええ声で。
2008年05月31日
スポーツと公共空間
子どもが3人あると、それぞれに好きなスポーツが違う。
学校の体育以外に運動経験のない私には未知の世界だが、このところ家族を通じてスポーツのよさを再確認している。
長男は高校に入って、中学時代に週1回通っていた剣道を再開した。痛そうだし、見た目暑苦しいのだが、けっこうはまっているよう。今朝も早朝から先輩のインターハイ予選の応援へ。
競技のことはあまり話さないが、規律と伝統の世界、道具の手入れなどこまごまとしたならいごとが多い。生真面目で、「理」に敏感な長男らしい選択だと思う。
次男は野球、それも草野球だが、休みともなると気がつけばいない。数人でも集まればキャッチボールで汗を流す。草野球を始めるようになって家でゲームをしている時間は極端に減った、というよりなくなった。部活をやや不本意に退部してからブラブラしていたが、級友たちやご近所のお兄さんと草野球で意気投合。決して本格的ではないが、スポーツを通じて心の通い合う仲間を得ることは青春時代のかけがえのない通過点だと思う。
つい2週間ほど前、小学生の長女が「ソフトバレーボール大会」への出場をするんだと意気込んで帰ってきた。4人でも出られるとあって、クラスメイトを片っ端から勧誘し、なんとか5人集まってこの週末に試合。前の日まで、ママさんバレーボールの練習日にコートの端っこを借りるなどして特訓していたが、通常のバレーボールとソフトバレーボールのルールの違いなどもわからないまま当日に。
言いだしっぺがわが子ということもあり、地元から2駅電車に乗った先の小学校体育館へ引率した。
とはいえ我が小の子供たちは、まずルールからよくわかっていない未経験者。
それが他の試合の審判もすることに。まず試合前に時間をかけてガイダンスを受ける。
審判のジェスチャーはいろいろあり、コミュニケーションに言葉は許されていないそうだ。いわれてみればテレビのバレーボールの試合でも、審判の声は聞こえない。
ここで運営委員の先生から引率の大人へご注意。
「ジャッジは間違うこともありますが、大人がとやかく言わず、子供たちが自分たちでできるように促してください」
それからウォーミングアップ、試合開始。1試合目は体が硬かったが、他の試合の審判をしたり、2試合目、3試合目と回を重ねるごと、動きがよくなってくる。
ふたつ勝ったところで欲が出て、みんなが勝ちにいっているのがこっちにも伝わってくる。
内容もよかったが結果もよかった。表彰式に。
なかなかスポーツというのは、いいもんだな、と今さらながら思う。競技としてルールがあり、勝ち負けは明確だが、プロセスの中で得ていくものが多い。体を使った分だけ得るものがある。それにチームが加われば相乗する。人生経験のなかでは、けっこうめっけもんの機会なのである。
ただ、子どもたちがこうしたスポーツに出会う中でやはり場所とそのコーディネートというのは機会の提供と継続のためには必要だと痛感する。現在のように、生徒数、学級数が少なくなってくると、学校だけで多種多様なスポーツの機会を提供するのが難しい。学校のスポーツクラブは、どこもかしこも存続のピンチだ。
スポーツアソシエーションはスポーツの数だけあると思うが、競技人口によってその基盤には強弱がある。学校の体育館という切り口も、何らかのアソシエーションにつながっていなければなかなか利用できないのが現状だ。公共空間と、それを活用するアソシエーションがあって、それらが常にオープンであること。あらためて、そうした目に見えない公的な活動にも感謝したしだいだが、将来の子どもたちの環境への危機感もまた、感じている。
