« 2005年10月 | メイン | 2006年01月 »
2005年12月31日
家庭系危険・有害廃棄物の諸課題(1)
現在の業務の中に、廃棄物減量化・リサイクル推進会議の事務局業務というのがある。
これは、住民団体・事業者団体・行政・学識経験者からなる協議会で、平成3年から活動しているものだ。
http://www.epcc.pref.osaka.jp/warec/index.html
その調査部会の研究事業で、わたしが着任前から取り組んでいたのが、家庭系危険・有害廃棄物のデポジット回収の検討であった。
家庭ごみの中には廃棄物処理される段階で危険性・有害性をもつものが少なくない。危険物にはスプレー缶やライターなど、収集作業中に爆発や引火を引き起こす可能性があるとされるものがあるし、多くの電化製品には環境中に放出されれば有害となる重金属が含まれ、液体洗剤や塗料・化学薬品の類は有害物質が飛散しやすい形状をしている。OECD諸国でも環境先進国では家庭ごみからこれら危険性・有害性のあるものが分別回収されるプログラムが義務付けられつつある。
日本においては、危険・有害ごみの分別は特定管理一般廃棄物というくくりで処理されているが、これはかなり特殊なごみであり通常一般家庭で排出される段階のものではない。たとえばダイオキシンを含む焼却灰のような類だ。
危険性・有害性のある廃棄物の一部は市町村の手に負えない適正処理困難物として排出者が購入先に引き取ってもらうような指導をしているものもある。例えば鉛を大量に含む自動車用バッテリーなどは一般的にそのように処理されているものの一つだろう。しかしそのような方法では住民が自ら引き取り先を探さなくてはならず、不法投棄につながったり、一般ごみに混入させて不適切に廃棄されたりすることがままあるのが問題だ。
家庭系危険・有害廃棄物を分別回収するプログラムを自らもつ市町村も近年増えてきたが、収集のコストや適正な排出指導のための労力も大きい。このため多くの市町村ではこのようなプログラムの導入に二の足を踏んでいるのが現状だ。危険であろうが有害であろうが、法的に適正であれば一般ごみと同様に焼却や埋め立てをしていれば市町村は大きな責任を問われない。このことも分別回収がすすまない理由の一つともなっている。
推進会議ではこのような家庭から出るやっかいなごみをコストを最小限にしながら効率よく回収できる方法の一つとしてデポジットによる回収を検討していたのだった。
それまで環境行政にはタッチしたことがないわたしにとってはデポジットってナニ?という状態からのスタートだった。また、正直、上記の何が課題なのかがわからなかった。ここでは自分が確認しながら納得してきたこと、今も納得がいかないこと、これから知りたいと思っていることを書き留めていこうと思う。
投稿者 kamimaki : 09:42
2005年12月28日
エンジントラブル
26日は不思議な日だった。
朝から社会実験で集まった蛍光管を回収してリサイクル会社にもっていくのだが、自家運搬のお約束で実験主体者のわたしも車両に同乗することに。コンサルのN氏がレンタカーを手配。バイトのK君と3人で2店舗を回ったところでエンジントラブルが発生。
結局ジャフが来るまで1時間以上を喫茶店で過ごすはめに。
その間あらためて初対面のK君と今までどんな仕事をしてきたの?というような雑談をはじめたのだった。
K君は29歳。京都在住だが、その前は屋久島で植生調査の仕事をしていたらしい。植物だけでなく、動物、昆虫にも詳しい。あらゆる冒険をしてきており実に楽しい1時間だったことは言うまでもない。
驚いたことは彼がいろんな大学の自然科学系の調査隊に参加しながら、学部どころかどの大学にも通ったことがことがない、というのだ。大学に行ったら専門を決めてしまうことになるので独学で山を歩いているのが自分にあっているから、という。
もちろん決まった収入があるわけではなく、今回のごみの調査なども手伝うけれど、自然調査で少しは食べていけるようになったのは、自分にしかできないと人が認めてくれる部分があるからなんですと彼いわく。
そう、彼は木登りの天才、崖のぼりの天才なのだ。しかも動植物昆虫に詳しいから、誰も入れないと調査隊があきらめてしまう場所にもするすると入っていって、貴重な調査資料を得てきてくれる。それが口コミで広がっていろんな調査に声がかかるようになったんです。
高い木に登るのも、どの枝が折れてどの枝なら自分を支えられるかわかるんです。小指の太さの枝一本でも。
そりゃあ母親にはいえない仕事だわね。危険だなと、思わず言ってしまう。
家族は登山家にだけはなるな、といいます。でも実際は調査で4000m、5000m級の山に登ることもあるんだけど・・・といって、K君は白い歯を見せて笑う。
それに危ない、危ないって、崖の下から声をかけられるけれど、そこにいる自分が一番そこにある危険を知っているということは誰もしらない。そしてそこから見える絶景も、そこにたった僕以外は誰も知らないんです・・・
それに・・・死ぬときは死ぬんですよ、とも彼は言った。
ああ、そうやねえ、死ぬときは、避けられない死が必ずどんな人にだってやってくるんだよね。
エンジントラブルがなかったら、K君がどんな人か知らないでいたろうな、なんと奇遇だろう。
私たちはそれから移動中の車中でも、自然に関する彼のさまざまな知識の片鱗と、見てきた人だけが語れる壮大な物語、環境影響調査の矛盾、家ネコによる野生生物の被害の話などもろもろを、聞くことができたのだった。
しかし彼との会話がひきがねとなり、思わぬ記憶が呼び覚まされて、昨日の夜は涙が止まらなかった。今ちょうど、熊に食われた写真家の書いたエッセーを読んでいるから余計だったのかもしれない。
それはO君の記憶だった。高校の登山部で大学はワンゲル。誰もが彼の死に場所は山じゃないかと思う。彼の母親さえそう思っていた。O君は山に入るときはいつもナタをぶら下げていて、熊が出たら俺が戦っている間に隊員は逃げるんだ。リーダーだから。と笑っていた。O君は山から下りると真っ先に私に絵葉書を送ってくれた。それが生きている証みたいに。
そんな彼が、旅行中に自動車事故でなくなったのだった。
死ぬときは死ぬんです、という、K君の言葉に、そのときのつらい思い出がよみがえってきたのだった。
もう友達を失いたくはないよ。あんな思いはもうごめんだよ。
胸が詰まってきて涙があふれる。子どもたちは母より先に死んじゃダメだよ。長男が肩をぽんぽんと叩いて
「大丈夫。お母さんの倍は生きるから!」という。
そう、母の心も夕べはエンジントラブルを起こしていたみたいだ。ありがとう。わたしには救援してくれる大勢の人がいるもの。大丈夫。 そのことにあらためて気づかされた。
K君、ありがとう。そして、死ぬなよ!
投稿者 kamimaki : 12:47
2005年12月25日
丸まま食べる
今夜はクリスマス・イブということで、クリスチャンでもないのだが、七面鳥ならぬロースト・チキンに挑戦することにした。
ハレの食材は天満市場で仕入れることにしているので、朝早くからかしわやに駆け込む。
内臓の下処理だけをした丸ままの地鶏を入手し、ハーブを買い整え準備万端。
珍しく息子たちが手伝うというので、作業のほとんどを彼らにやってもらう。羽をむしった丸ままの鶏に狩猟本能?が触発されたのだろうか?
丁寧に塩こしょうを皮にこすりこむ。ファンキーな次男が「かなり肩が凝ってますね」などとおちょける。
おなかの中にも塩してね、というと、足の間の穴に手を入れて、神妙に作業している。そこへ長ネギとしょうが、レモン、にんじん、にんにく、タイムをつめていく。
焼く前に皮の表面にバターをぬりつけ、タコ糸でしばり、たまねぎとタイムを敷き詰めた天板におき、220度のオーブンで80分ほど加熱。途中油をすくって皮にまんべんなくまわしかけると、ぱりっと香ばしくしあがる。
その後レバー・砂ずりの筋きりと血抜きを教える。塩水が真っ赤になるのでよう食べないかと思ったが、昼食にこれにえんどう豆を加えたパスタにパルミジャーノをたっぷりとかけると、美食家?の長男からOKサインが出る。朝びきの新鮮さに感謝。砂ずりは歯がない鶏が石を食べて食べ物を細かくするための臓器であるが下処理をしてもらっているので、子どもたちにはそう言ってもぴんとこないようだった。そういえばわたしも鶏にかぎらず内臓といえばトレーに乗っているものしか見たことがない。幸か不幸か?
さて、夕食時に見事に焼きあがったチキンを食卓の真ん中にのせ、切り分けていく。足をはずすと、店先でよく売っている骨付きもも肉の形になり、手羽をはずしてささみを取り出すと、ああこれも見覚えのある形だと納得して食べていく。最後に残った首や背骨、胸郭はスープストックをとる。一度焼いているので薄めのだしだが、ほとんどアクが出ず清らかに澄んであっさりした味になった。
本来は首や足もついてきて、これらもスープのもとになる。昔自宅でラーメンをするといえば、かならず鶏がらを手に入れてきて一からスープをとったものだ。いつのまにか、固形スープの素にお世話になるようになったが、やはり骨から染み出た味わいは自然な滋味に満ちている。
丸まま食べることにコミットできないでいたのは、作業に加わらなかった娘だけだった。学童にいっていたので、機会を失ってしまったのである。気丈な彼女も、切り分けてガラの部分が見え始めると、すっかり食欲を失ってしまった。それに引きかえ作業に加わった男子たちは、まるで獲物をしとめたオオカミのように勇敢にむさぼり食らっている。こういう料理もたまにいいかな、とほくそ笑む。
しかし実際生きたにわとりからしめて、血を抜き、羽をむしって内臓の下処理をする工程は家庭の食からは遠く離れたところにある。生き物をあますことなく食べるということはまことに手塩のかかったものであると痛感。分業にささえられた食卓なのである。
そうして話題はついに、保育園で飼っていた「コッコ」に及び、とうとう娘はフォークを投げ出してしまった。
メリーくるしみます?いのちに、感謝。
ハレの食事はそういえば、尾頭付きといい、丸まま食べていのちに感謝する、そういう含意に満ち溢れているのかもしれない。
投稿者 kamimaki : 03:04 | コメント (146) | トラックバック
2005年12月20日
環境事業における独立行政法人化
大阪市は市政改革マニフェスト案の中で環境事業において独立行政法人化を前提に今後マネジメント改革を推進していくという。
この報道に接する限りにおいての識者の意見は一方向的で辛らつである。現在も大阪市は他市の家庭ごみも一部受け入れている。これは地元の家庭ごみの処理の責任は地元の自治体が担うとなっているものの、ダイオキシン問題で清掃工場が廃止し当該自治体内で焼却処理ができないなどの問題を抱える町や、市民の排出量に対して既存のごみ処理施設の能力不足がある自治体のものを、特例的に受け入れ処理を行っているものである。大阪市は他市のごみで金もうけをしようとしているのか、という意見や、わが町のごみはわが町で処理をするのが基本という廃棄物処理のルールに対する挑戦だという見方は、これまでの廃棄物行政に関わっているなかで、ごくごく一般的な意見だと思われる。
私個人としては、処理能力の高い施設を最大限稼動すれば経済的メリットもまた最大化するという考えは経済優先のマネジメント改革の要素として評価される一方で、そのような経済性優先の独法化によってごみ減量による環境負荷の低減というもう一つの環境事業の目標がないがしろにされるのではないか、という心配を持っている。
大阪市のごみ焼却施設は10工場、一日あたりの公称能力は6900tにのぼる。これを仮に365日稼動させれば、実に251万8千トンのごみを焼却できるが、実際の年間の焼却処理量は163万4千トンなので、およそ64%の稼働率に過ぎない。大阪市民が排出する量ではフル稼働には、ぜんぜん足らない。それくらい処理能力の高い施設が十分活用されていないことは確かに税金の無駄であるという見方も確かにあるだろう。
しかしその10工場の中には、昭和40年代、50年代に整備されたものも4箇所あり、これらの更新をどう考えるかは興味深い。もし横浜市が分別回収を徹底し、ごみの27%削減を行って市内の2施設の更新を取りやめたことで行政コストを低減させた取り組みと同様に考えていくのであれば、これら4つの施設の更新を今後大阪市はしないという選択肢も生まれる。
これら施設を除くと年間の公称処理能力での365日稼動による処理量は実際現在排出されている焼却ごみ量163万4千tを下回る153万3千tとなる。他市のごみを受け入れる余裕はいっさい失われるだろう。これはごみ減量化を行うという目標に沿ったあらたなシナリオ(環境負荷低減のシナリオ)になる。
いっぽう環境事業によるあらたな経済資源の獲得というシナリオ(経済利益重視のシナリオ)もないわけではない。
現状以上の他市のごみ受け入れや、事業系一般廃棄物処理受け入れを進めることでの処理委託料の収益獲得だけではない。焼却施設の中には、余熱による発電事業により収入を得ているものもあり、大阪市の関西電力への売電状況は9工場における337,637MHWにのぼる。フル稼働による売電の売り上げ獲得も狙えれば、という目論見もまた、大阪市が環境事業を独立行政法人化によって経済的に効率化しようと考える大きな要素になっているものと思われる。
独立行政法人化の大きなポイントは「中期目標」を定め提供するサービスその他の業務の質の向上に関する事項を明らかにする点にある。
環境負荷の低減というシナリオにそった中期目標を立てるのか、経済利益の重視のシナリオにそった中期目標をたてるのか、現在のマニフェスト案ではそれが見えない。
つまり環境事業を独立行政法人化を前提に考える、という内容は、「政策マニフェストとして少なからず不十分な点」がある。
なお、大阪市の年間焼却残渣埋め立て量は33万4千tであり、府内の総量の46%を占める。平成15年時点で埋立地の残余年数は約8.6年分であり、多くの識者が危惧するように、大阪市の環境事業が経済性を優先し、ごみ減量に向かわない路線をたどるとなれば、大阪市のごみ処理の動静は府域全体、埋立地を共有している関西一円の自治体の廃棄物処理の計画に大きな影響があるものと考えられる。
一市のマニフェストが、実は埋立地を共有している関西一円の周辺自治体の行政計画に大きな影響がある。意見の募集は市民に向けて行われているが、周辺自治体もしかるべき公的意見をのべる機会が与えられるべきだ。
投稿者 kamimaki : 12:21 | コメント (2316) | トラックバック
2005年12月11日
いわしの梅干煮
梅干は何年かに一度漬け込んでいる。今年はその年にあたっていた。
漬けあがった梅は昔ながらのしょっぱい梅干である。
アク抜きした梅3kgに600gの塩をまぶし、梅酢があがるのを毎日みていると飽きない。
梅雨明け、土用に3日間ほど天日に干すと、黄色い梅がほのかにピンク色になる。
この3日間は梅を裏返してよく干す。梅酢も日にあてると色がほの赤くなる。
土用干しが済むとさらに梅酢に漬け込む。今もう食べごろだ。
薄皮の南高梅でつけると出来上がりにいくつか皮が破れたものが出てしまう。これらは鰯を煮付けるときに使うと味よく煮あがる。
鍋底に出しコンブと片口鰯をひいてひたひたの酒と醤油、砂糖、土しょうが、つぶれた梅干を入れて沸騰から15分間加熱してあとは錘が落ちるのを待つだけ。
鰯といえば昔はよく食べた。片口鰯の目刺はおやつがわりだった。今しっかり乾いた片口はけっこういい値で驚いてしまう。鰯もそれほど獲れなくなったということか。
1960年代は十三の実家の近くにも行商の鰯売りがよく来ていたという。当時専業主婦だった母は、隠居していた祖父とのお昼飯によくこの「ててかむ鰯」をこうて食べたと言っていた。60年代の終わり頃だと思うがあるときとんでもなく油くさい鰯にあたってしまったという。その日を境に行商人は来なくなった。
ててかむ鰯とは手を噛むくらい生きのいい、という意味だろうか。
そういえば先日、かつて大阪湾は「魚庭(なにわ)の海」といわれたほど豊かな海であったと聞いたが、それはわたしが生まれるその前後くらいまでのことだったのだろう、と母の話と重ね合わせた。
ててかむ鰯を手開きにして梅肉としそをはさんで天ぷらにして。
祖父は蒲鉾職人だったから魚にはうるさかっただろう。
その頃のててかむ鰯、いとおしい。
投稿者 kamimaki : 01:57 | コメント (7) | トラックバック
2005年12月04日
四万十川・歩いて下る
著者:多田実 築地書館 1995
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806721964/ref=pd_rhf_p_2/250-0247806-4130672
もう10年ほども前の著作とのことだが、今でも何のためかわからない林道整備などの事例は事欠かないし、ダムに関する是非の議論の中心的な論点に実際の見聞やデータを駆使しながらせまっており感心しながら読み終えた。
ところどころ、行政マンとしての自分の琴線に強く触れる部分がある。わたしも彼が思うよう、役人というのは本当に「才能」がないとダメだと思う。金を使うことは仕事の一部だが、それが価値を生み出さない事業がどれほど多いか身につまされる。時折自分がまさに「大いなるド素人」であることに気づかされることもしばしば。(環境の仕事にいきなり配属されたときはまさしくその状態だった。)
ズブの素人なのに、この国の行く末もなんもあったもんじゃない、とにかく金をつかってくれる(仕事をしたことにしてくれる)クライアントがいいお客様、という馬鹿げた状態、しかも金はあるもんだから「大いなる」という形容詞がついてしまう。
この本にはところどころ、筆者の若々しく生々しい風刺があって、ずきんと胸が痛む。
例えば蛍光灯の下で飼われたブロイラーが、それを「太陽」と信じていることに「その肉一つ一つの存在はニセモノ」というくだり。人工の都市にしか生活をしたことのない私はそのブロイラーそのものであるが、私の命は、どんなに痛々しくたって、やっぱり、どっこい生きているから・・・。
私が人工の都市生活の虚実に対し、また自分の命やもろもろの関係性のなかで培ってきた人生観に、真摯に向き合い、行動することだけが、ニセの生を生きているのかどうかを見分ける、その答えなのだと思う。
投稿者 kamimaki : 23:30 | コメント (11) | トラックバック
熟柿のゼリー
長男は中学の技術工作部に入っている。ふだんはロボットを工作しているが、その活動以外にも、今年は三田に田植え・収穫などの農業体験に行かせていただいたりしていた。ありがたいことにその三田のお土産に、柿をたくさんいただいた。
「甘いのもあるけど、渋いのもあるらしい」といってなかなか手をつけようとしなかったから、いくつかが熟しきってしまった。
柿にはいろんな種類があるが、実生の柿はほとんど渋い。今回の柿は農家の庭先の柿でどっちもある、とのことだった。見た目は富有柿なので熟せば甘いだろう。また、渋抜きはそれほど難しいことではなく、もし渋いようなら焼酎を振りかけて段ボール箱で寝かせておけば抜ける。
渋柿を一度口にしたらもう二度と柿はごめんだ、と子どもたちは思うのではないか、と思うくらい、せつない思いをすることになる。それも経験だからと黙ってほおっておいたらやはり食べない。ふんだんに甘いお菓子はあるし、今時食べ物で冒険をしようと思わないのだなあ。
熟柿を割ってみるとどれも果肉に黒い点(タンニン)が見え、食べてみると大変甘かった。それでこれをゼリーにすることにした。
(材料)小さめのゼリーカップ4ケ分
熟柿3つ(皮と種を取り除く)
砂糖大さじ1
乳酸菌飲料60cc
ゼラチン粉末5g(あらかじめ大さじ2の水に混ぜ電子レンジで20秒加熱)
(作り方)
これらをミキサーで混ぜ、透明なゼリーカップに流しいれ冷やし固めるだけ。超簡単。
乳酸菌飲料の風味付けとミキサーにかけたことで、ムースのような濃厚さが出るが、柿の香り、味わいはしっかりしている。柿が特に好きな人は乳酸菌飲料を使わず、果肉を裏ごしし、レモン果汁を3ccほど加え寒天で固めるほうが自然でフレッシュな味わいではないか、と思う。
このように手を加えて食べるのもいいが、祖母の家の縁側で、山の紅葉をみながら甘いか渋いかどきどきしながら食べた柿の味に勝るものではない。渋いのに運悪くあたってしまい、ぶつけどころがなくて泣いてしまった経験がある。甘いってゆうたやないかア~と響きわたるほど大きな声で泣いたら、裏山でからすがカアと啼く。木のてっぺんの熟柿は、そもそも鳥たちの最後の秋のデザートである。
里の恵に感謝。