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2006年10月06日

螺鈿織物をたずねて

9月30日。京都府京丹後市丹後町の民谷織物さんをお訪ねした。
大阪からは、福知山線、宮津線を乗り継いで、約3時間。
隣の府県だが、東京へ行くよりも時間がかかってしまう。関西は広い?

民谷さんは、関西ネットワークシステムのイベントで「螺鈿織物」をご紹介くださったのだが、わたしは別の分科会で司会をしていたため、ゆっくりお話を聞けずにいた。ちょうど同市役所に友人があり、機会があれば、ぜひ工房を見学させていただきたい、と思っていたところ、京丹後を訪れるチャンスがめぐってきて、一緒に訪問させていただいた。

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写真は民谷共路さん。そしてデザインにあわせて和紙に螺鈿を貼り合わせてるところ。
そしてこの次は横糸として使う裁断された螺鈿の箔紙。
さらに、次回はパリに出展されるという豪奢な打掛のアップ。

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この織物の歴史は、約30年前、民谷さんのお父様が、本物のアゲハチョウを織り込んでほしいというクライアントのオーダーに、蝶の胴体の部分に螺鈿をお使いになったのがきっかけなのだそうだ。
螺鈿とは、黒蝶貝などの真珠貝の内側の、真珠質を薄く研磨したもので、いわば真珠と同じ宝飾品だ。この螺鈿を貼った箔紙を、横糸にするため細かく裁断する。裁断の幅は一寸あたり40-50本、これが多いものだと90本ほどの細さで加工されるのだそうだ。

織り上げる工程では、この横糸を一本一本、手で織り込んでいかれるというから驚きだ。そして見事な打掛は生地全般にふんだんに螺鈿が織り込まれており、まさしく孔雀のように華麗なものだった。

話題はそこから、絹織物業界の話題となり、西陣もさることながら、この地方でもここ数年でやめてしまった織物職人さんは非常に多い。もともとこの丹後地方は、いわゆる丹後ちりめんの産地で西陣を中心に出荷をしていた。西陣の不振がそのままこの産地を直撃しているという。
民谷さんはこの螺鈿織物による袋帯の生産だけではなく、織物職人さんをたばね、西陣からの受注を代行して請け負ってこられた。途中、人に道を尋ねたら、「大きなおうちですよー」とのことだったが、本当に立派なお宅であった。職人さんを束ねてこられたからこそ、この地域の織物業の疲弊に、大きな責任感を感じておられる、そんな印象があった。

「10年後に、自分だけ生き残っても楽しくないでしょ?」
この言葉、ハッと、心に響いた。今、身の回りの社会で、自分だけの生き残りを図ろうという人が多い中で、とても大切な感覚ではないか、と思う。

それに、さすがに、高度な織物技術をもつ地域だけあって、見せていただいただけでも、芭蕉布、藤布など、ちりめんに限らず多様な織物技術のデパートになっている。ほかの産地で職人さんがやめてしまってできなくなった加工を請け負うことも多いのだそうだ。だからこの産地が潰えることはやはり日本の織物文化の存続にも影響を与えることも予想される。

「10年間、何もしなかったら、本当になくなってしまうかもしれません。」にこやかだが目は真剣だ。
「今、いろんな取り組み、小さな仕掛けをどんどんしていきながらネットワークを重層化していきたいんですが、役所は、府もあるし、市もあるけど、本当にこの地域を考えているのはどこなのか、また、業界団体はあるけれど、若い人がいないんで、いろんな方法を模索しているところなんですよ。」

「それに、これまでこの産地は、白物をやっていた関係から、付加価値をつけて売ることが身についてないんです。」
一つの完成した価値をもって売る技術、マーケットに訴える力を持つことも、同時平行で。民谷さん方が、挑戦すべき分野は多そうだ。

とても美しいお宝と、そして志を感じる地域の産業ネットワークづくりのお話を聞かせていただいて、あっという間に時間が流れていくようであった。

帰りし、わたしの実家のある十三は喜八洲の最中をお渡ししたら、「僕、この辺でアルバイト、してたんですよ。学生時代。」と、おっしゃられる。追手門学院大学のご出身なのだそうだ。
すると一緒にたずねた友人が「僕もですよ」と、同窓モードに。関西は、広いようで狭かった。

投稿者 kamimaki : 2006年10月06日 20:13