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2008年04月24日
仕事のことなど
この週末に41歳になる。
年齢のせいか?今までしてきた仕事のことを振り返ることが多くなったような気がする。
何歳から働いていますか、と聞かれたら、小学校2年生から、と答えるのが正しいと自分では思っている。
祖母は蒲鉾卸業の傍ら小売もしていて、子どもも計算ができるようになるとまず店に立つのが年末のならい。2年生だと呼び込みが主たる仕事で、1歳年上でこれまた顔がそっくりの姉と二人、「おせちの蒲鉾、こうてって」と、商店街を行き交う人に声をかけるとなかなか目立つのである。
年末は書き入れ時で、とにかく早朝から夜中まで蒲鉾を売りまくる。冬休みの4日間、たちんぼで仕事をこなすと、お正月には聖徳太子2枚入ったお年玉を祖母が惜しげもなくくれる。日給にして5000円、2年生にしてはたいへんよくできました。蒲鉾を買いに来たお客さんに、あわせて黒豆やごまめなどの商品も買ってもらうための口上も、自然に覚えてしまう。蒲鉾は毎日食べているからどの商品が固めの歯ざわりで、板わさにするならこれ、うちのはよそとはここが違う、と、どんどん口達者になる。わざわざ電車に乗って買い付けに来る老紳士があり、包んだ商品をお持ちして十三駅までお見送りするのも子どもの仕事。この仕事は祖母が店をたたむまで、年末の恒例だった。
家業はこの蒲鉾屋のほかゴルフショップ、喫茶店と、家にいる大人たちが好き好きに店をしていたから、店番、ウエイトレスと、家にいてもやらねばならない仕事には事欠くことがない。書道の腕前を活かして1枚500円の看板書きもやった。「謹賀新年 本年もどうかよろしくお願いいたします。十三日東スポーツ」の看板を大晦日の夜、近隣の電柱にくくりつけるのである。今思えば立派な違法広告物なのだが。
高校生の頃は長期休暇になると母の店のお客さんの工場で働かせてもらっていた。工業用のカウンターの梱包作業で時給490円。作業は連続しているが、3時にしばし休憩がある。この時間がとても貴重に思えたものだ。今もガスメーターみたいなカウンターが組み込まれた製品をみると、あの工場で働いていたおばちゃんたちの顔が浮かぶ。仕事中はとても厳しくよく働き、休憩時間には飴玉やみかんを投げて笑いあう働き者のお母さんたちだった。
また、大手電器の家電工場にも日給5700円で入ったことがことがある。ジューサーミキサーの生産工程での部品供給班。組立工程に流れていくゴンドラの上に、指定された部品を載せていく単調な作業だが、機械に合わせた速度でくまなく部品を供給しないといけないので全く気が抜けないばかりか、工夫をしないとゴンドラのスピードについていけない。チャップリンの映画でこんな風景を見たような、そんな忙しい現場である。
ここでは毎朝朝礼があり、週に一度、現場で改善提案を一番した人に表彰がある。単調な作業と思えるが、油差しの口を数度傾けるだけでも生産性があがり、生産性があがるということが、働く全ての人たちの共通の目標になっている。現場は作業服だが、正社員の人たちが来るとき帰る時には通勤着になる。整った身なりを心がけてる人ばかりで、とても好感度の高い職場だった。
働くといえば現場育ちのわたしとしては、府庁に入ると、いきなり人事考課の末席に任ぜられ、かなりとまどった。進路指導の先生は、たしか公務員というのは、「ほれ、事務室の先生方は、公務員だよ」と言っていたではないか。授業料や奨学金のことで大変お世話になっていたので、ああいう人の役に立つ仕事ならしたい、と思ったはずが、不祥事やら出社拒否やらなんやらが日々起こる。まあいろんな仕事があるのだ、と思ったのがつい昨日のことのように思える。最初の仕事は新聞切り、過去の懲戒処分事例の整理、表彰、それから問題を起こした職員を別室で事情聴取する上司用に、夜8時になったら出前のどんぶりを注文して、それが届いたら帰ってよろしい、という具合。ワープロも電算処理もここで覚えてわりにはまった。
そこから転々と公務員の労災や花博、高齢福祉、出納、歯科保健、行革兼務、リサイクル、土地収用と、数年おきに様々な仕事をしたが、これまでの20年の仕事と、それ以前の仕事の間に、自分としては何一つわけへだてがない。むしろ学業と家業、アルバイト、部活といった混然とした多忙な日々の充実がかけがえない経験になっているのを実感する。働くのが楽しいのはなぜか。それは人の役に立つと信じるからである。そろそろそれをもっと目に見える形でやりとげないといけない。
投稿者 kamimaki : 2008年04月24日 01:24