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2008年05月31日
スポーツと公共空間
子どもが3人あると、それぞれに好きなスポーツが違う。
学校の体育以外に運動経験のない私には未知の世界だが、このところ家族を通じてスポーツのよさを再確認している。
長男は高校に入って、中学時代に週1回通っていた剣道を再開した。痛そうだし、見た目暑苦しいのだが、けっこうはまっているよう。今朝も早朝から先輩のインターハイ予選の応援へ。
競技のことはあまり話さないが、規律と伝統の世界、道具の手入れなどこまごまとしたならいごとが多い。生真面目で、「理」に敏感な長男らしい選択だと思う。
次男は野球、それも草野球だが、休みともなると気がつけばいない。数人でも集まればキャッチボールで汗を流す。草野球を始めるようになって家でゲームをしている時間は極端に減った、というよりなくなった。部活をやや不本意に退部してからブラブラしていたが、級友たちやご近所のお兄さんと草野球で意気投合。決して本格的ではないが、スポーツを通じて心の通い合う仲間を得ることは青春時代のかけがえのない通過点だと思う。
つい2週間ほど前、小学生の長女が「ソフトバレーボール大会」への出場をするんだと意気込んで帰ってきた。4人でも出られるとあって、クラスメイトを片っ端から勧誘し、なんとか5人集まってこの週末に試合。前の日まで、ママさんバレーボールの練習日にコートの端っこを借りるなどして特訓していたが、通常のバレーボールとソフトバレーボールのルールの違いなどもわからないまま当日に。
言いだしっぺがわが子ということもあり、地元から2駅電車に乗った先の小学校体育館へ引率した。
とはいえ我が小の子供たちは、まずルールからよくわかっていない未経験者。
それが他の試合の審判もすることに。まず試合前に時間をかけてガイダンスを受ける。
審判のジェスチャーはいろいろあり、コミュニケーションに言葉は許されていないそうだ。いわれてみればテレビのバレーボールの試合でも、審判の声は聞こえない。
ここで運営委員の先生から引率の大人へご注意。
「ジャッジは間違うこともありますが、大人がとやかく言わず、子供たちが自分たちでできるように促してください」
それからウォーミングアップ、試合開始。1試合目は体が硬かったが、他の試合の審判をしたり、2試合目、3試合目と回を重ねるごと、動きがよくなってくる。
ふたつ勝ったところで欲が出て、みんなが勝ちにいっているのがこっちにも伝わってくる。
内容もよかったが結果もよかった。表彰式に。
なかなかスポーツというのは、いいもんだな、と今さらながら思う。競技としてルールがあり、勝ち負けは明確だが、プロセスの中で得ていくものが多い。体を使った分だけ得るものがある。それにチームが加われば相乗する。人生経験のなかでは、けっこうめっけもんの機会なのである。
ただ、子どもたちがこうしたスポーツに出会う中でやはり場所とそのコーディネートというのは機会の提供と継続のためには必要だと痛感する。現在のように、生徒数、学級数が少なくなってくると、学校だけで多種多様なスポーツの機会を提供するのが難しい。学校のスポーツクラブは、どこもかしこも存続のピンチだ。
スポーツアソシエーションはスポーツの数だけあると思うが、競技人口によってその基盤には強弱がある。学校の体育館という切り口も、何らかのアソシエーションにつながっていなければなかなか利用できないのが現状だ。公共空間と、それを活用するアソシエーションがあって、それらが常にオープンであること。あらためて、そうした目に見えない公的な活動にも感謝したしだいだが、将来の子どもたちの環境への危機感もまた、感じている。
投稿者 kamimaki : 2008年05月31日 22:06