2008年09月02日
上高地散策
夏の旅行は上高地。といっても、長野県では子供たちの夏休みは8月20日ごろ終わり、すでに新学期なんだそう。わたしたちの旅行は8月22,23日だった。となると長野ではもう、新学期だったんだなあ。
行程は名古屋から特急しなので松本へ。この間の駅舎がどれも木造で旅行気分を盛り上げてくれる。そういえば甥っ子が東京から塩尻まで青春18きっぷで駅舎めぐりをしていたことがあった。
なるほど、降り立ってみたい気持ち、この旅行でよくわかりました。
松本から新島々までローカル線に乗り継ぎ、そこからは山岳バスで上高地へ。マイカー乗り入れは許されていないが、観光客は雨でもとても多い。自然が受け入れられる能力を超えているのではないか、と思ったが、ターミナルにつき、上高地という場所に降り立つと、リゾートとして確立されて長い年月を感じるたたずまいだ。
雨模様で心配したけれど、上高地を流れる梓川はシルトを含まないラムネ瓶のようなアクアブルー。清らかで冷たかった。
散策路はとてもよく整備されていた。一日目はターミナル近くの宿から大正池方面へ、翌日は、反対の明神池方面へ散策に出かけた。両日とも往復3時間くらいをせっせと歩くと、気温は15度よりも低めなのだが、汗ばんできてとても気持ちがよい。山は雲間に隠れてみえない。
梓川はどこまでも清流だが、川原に倒れている流木を見ると、洪水のときは驚くべき牙をむくときもあるのだろうか。自然の力とは大きいものだとつくづく思う。あれ、大きなカエルが道を横切った。動きが遅くて、ちょっと指でつつくと、死んだふり。
途中、決して道をはずしたわけではないが、人のまばらなあるところで、キキッ、キキッ、と警戒音が聞こえる。見るとオコジョの巣穴だった。はじめて見たが、本当にかわいい。
明神池から河童橋に戻ってくると、空が晴れてきて、山がはっきりみえるようになってきた。
このお山から、上高地はどんなふうに見えるのだろう。有名な観光地となっている場所だが、山登りの苦もなく、しかし山の空気に触れられる。ちょっと贅沢してしまった。
投稿者 kamimaki : 06:05
2008年08月19日
闇の子供たち
夏に向かう前、何か読み物はないかと思って書店に平積みの文庫本を何冊か買った。
うち一冊がヤン・ソギルの「闇の子供たち」だった。映画化するらしいとのことで問題作なのだろうと手に取った。本作品は2002年11月に解放出版社から出版されたもので文庫はこの7月25日で13版。かなり読まれている作品だが、知らずにいた。
読み進みながら、そういえば6月に改正議案が提出された児童ポルノ禁止法のことを考えていた。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/g16901032.htm
また、今日のニュースで改正法案の処罰の範囲で与野党で協議をしているとの報道があった。http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080818ddm002010131000c.html
同法は98年に成立し、04年にも改正をしているが、実際の被害がこうした規制で少なからず減ったのだろうか。悲しいかな、被害の現実が浮き彫りにされるばかりで、また驚くべきことに、教職者による犯罪があとをたたない。
「闇の子供たち」に登場する小児性愛者のうち何人は、やはり幼い頃に生きるための売春や性的搾取をされた者という設定もあった。まるで現代の羅生門である。しかし死人の皮を剥ぐ以上の行為が生きた子供たちに行われていることが告発される。売春だけではない、臓器売買もだ。
小説に出てくる日本のジャーナリストがマフィアに狙われた主人公に「この国の子供のことは、この国の人間が解決するしかない」と述べた言葉が主人公の失望を買い、きわめて印象的だった。その昔世界的にも子供を大切にすると定評のあったわが国のはずが、「普通の国民」が、大量の児童ポルノを流通させ、旅先で過酷な環境下の子供たちを蹂躙するおかしな国になってしまったことはいっさい見ていない言葉である。
小説という手法をとっているが、ここに書かれた衝撃的な内容は、無関心の中におきざりされた真実であるとわたしは見て取る。なぜなら国内だけをみても、子供に対するわいせつ行為が数多く発生し、少女たちは知らず知らず出会い系サイトに導かれていく、じゅうぶんにおかしな国になってしまっているではないか。小児性愛や児童虐待ということに対する確たるNO!の宣言がない。あるいは伝わらない。
禁止や処罰だけではない、予防的見地に立脚した取り組みが行われる必要を痛感する。
投稿者 kamimaki : 02:05
2008年08月06日
平塚-耐震と心のまちづくり
昨春都庁を退職された木谷正道さんと初めてお会いしたのは、2002年8月の行政経営フォーラムの浜松例会だった。
当時IT担当をされていた木谷さんの発表は、「原始都庁七つの大罪」というセンセーショナルなものであったが、でもこの講演で木谷さんが本当に伝えたかったのは、IT改革の有効性ということではなくて、都民のいのち、安心をどう守るかということにとことん尽きていたのだと思う。プレゼンテーションのある部分で、一文字ずつカチカチと効果音付で文字が表示されたのだが、その効果が、会場の笑いを誘った。それを木谷さんが見逃さなかった。
「今、笑いましたね。でもここに書かれていることは、笑い事ではないんです」と言った。会場が静まり返ってその数字をまじまじと見た。それは近年の、空前の自殺者の数字だった。そしてそこから木谷さんは、都民のいのちと暮らしを守るのが公務員の仕事だが、そうした思いで仕事に取り組もうとしない都庁職員の大罪を一気に論破した。
ITをツールのひとつとして当時木谷さんが取り組んでいたのは、東京いのちのポータルのような、防災情報の信頼のおけるネットワークづくりだったが、この6日に日本都市計画学会関西支部の講演で伺ったお話では、1995年の阪神大震災以前から、首都直下型地震の対策に都庁職員として心を砕いておられたのだという。なので関西で起こったあの震災に、木谷さんは関東の身代わりのような衝撃を心に受けたのだとおっしゃっていた。
ふだんの仕事の足場として、都民にとってこれから必要なこと、大事なことを、震災で死なないまちづくりととらえて公私にわたる活動に盛り込んでこられた木谷さんの功績は大きい。この日は、子供のころからお住まいの平塚で、耐震補強のまちづくりNPOを盛り立ててこられたお話を中心に約1時間話されたあと、ギターを爪弾きながら、歌を。
木谷さんの主張はとてもシンプルである。
地震はいつ起きてもおかしくないのだから、まず家を補強して身近な人のいのちを守ろう。そしてそれだけでなく、身近なまちの人とのつながりを豊かに取り戻そう。家は残っても心が壊れたら何にもならない。心がひとつになるよう一緒に歌を歌おう。
とてもわかりやすい。
個人的には、阪神大震災のとき、実家が被災したがなかなか手立てが打てないもどかしさもある。何しろ古い家であるが、住み替える気はさらさらない。損壊した屋根は父が腰を痛めながら自力で直した。今も耐震グッズと名のつくものはいろいろ試している。こういういいのがあるから買ってこようか、というと、もう次の日には買って設置している。父がただひたすら守りたい人は、母である。
わたしの守りたいものは、と自問する。素直にいえば子供たちである。学童は木造密集地にあったが、数年前に引越し、震災以降に新築され前面道路が広く消火栓もすぐ近くにある借家に。
それまでは防災ずきんなどをみんなで手作りしていたが、引っ越してからは、ここで地震や火事があったらと夢でうなされるほど悩んでいたことなど忘れていたことをはっと思い出さされる。
公共が個人の家屋に資金を供給しはじめたのは、ここ20-15年ほどのことである。バリアフリーからはじまって、今は耐震補強。バリアフリーの時代は、わたしも草創期の住宅改造助成事業を担当したことがあるのでなじみがある。予算要求をするときはじいた公共投資の回収は、将来の在宅介護にかかる軽減費用だった。耐震補強の場合は、地震等による被害の軽減が、社会費用の増大を直接抑制するという考えに基づくのだろう。
しかし意外にこの耐震補強の実施率は伸び悩んでいるという。信頼のおける事業者がどこにいるのか情報がない、100点満点の耐震性能が確保されなければならないとするあまり価格が負担できる限度を超える、家が古すぎて耐震診断の補助対象にさえならない等等。まず耐震性能がないと判断されたらお金が高くつく。いのちに代わるかもしれない耐震費用だが、地震はいつくるかわからない。結局ほかのことを優先にしていつまでも耐震補強をしない。
借家の場合は、耐震診断の有無は実は契約時の重要説明事項の一つになっているのだが、家主は耐震診断を無しと回答する。有りだと評価を知りたくなるし、耐震性能が低ければ対策を迫られる。そんなことなら、「しないほうがましだ」となる。
かくして、本当に耐震が必要な家々に、そうした措置がとられにくい現状があるという。
木谷さんの話で面白かったのは、歯科大生が多く住む賃貸マンションのオーナーが、耐震をしていないことによって万が一のとき、多額の賠償を要求されるリスクヘッジとして耐震補強を導入したという事例だ。将来歯医者さんの卵というのは、逸失利益が大きいとふんだからという。少なくとも関西の賃貸オーナーで、そうした先々のことを考えている人はあまりいないのではないだろうか。しかしこの事例からの学びは「その気にさせる」要素はあるということだ。
それには、小さいけれど、生活の基盤たる家というものを所有するすべての人に、くまなく、ただし決して大きな負担とはならない、ちょっとした規制をかけることだ。自主的な取り組みをうながすしかけだが、将来に起こりうること、誰がその責任を負うか、こうしたことを意識させる「何か」を、ちょっと考えてみたいと思った。
それが何か、どのような形かはわからないけれど、はじまりはやはり「コミュニケーション」に違いない、と思う。木谷さんのように歌はうまくはないけれど、まずは身近な人と、対話をはじめたい。
投稿者 kamimaki : 23:24
野間川の大冒険
週末、丹後半島へ娘とその友人ふたりとで自然体験ツアーに参加した。
宿泊は京丹後市の環境学習施設である風のがっこう京都。
3度目の利用だが、過去の2回と違うのは、この間に指定管理者制度が導入されたこと。
プログラムの内容に大きな変更があるのではないか、と少し心配していたが、準備段階でスタッフから送られてきたキャンプのときの服装や持ち物のかわいいイラストのFAXをみて、心配が期待に変わった。
娘は2度目でスタッフが総入れ替えになっているのにやはり心配していたが、そこは大阪のおばちゃんも真っ青の屈託なさである。あっという間に打ち解けてスタッフにあだ名をつけて困らせてみたり甘えてみたり。他の参加者のおとなしいお子さん方にはうるさかったのではないか、とはらはらしたが、帰阪後も積極的にメールや写真の交換をして仲良くなってしまった。次は10月に行くのだと、もう張り切って日程調整までしている。
1日目は地元の退職者の方々が運営している竹炭工房で竹の器づくり。のこぎりがなかなかうまく使えず相当悪戦苦闘。地元の方はさっさとのこをひいて見る間に器をつくっていく。そこですいかを食べさせてもらい、竹塩をお土産にいただいた。甘い塩である。それからドジョウ池でドジョウすくい。あまり大きくないドジョウを12匹捕まえてこれは翌日のうなぎ採りのしかけに使う。
ドジョウ池には、驚くほどたくさんの虫たちや水棲生物がいる。ミズスマシ、マツモムシ、タイコウチ、ギンヤンマノヤゴ、アメンボ、オタマジャクシなどなど。
二日目は野間川に繰り出し、いよいよ川くだり。5時間歩くと聞き岩の上を歩いて捻挫しないか心配だったが、鮎足袋というのはなかなかのすぐれものである。中の指先が分かれていてふんばりがきくし、足首まであるので、多少滑っても挫かないですんだ。ただ、後半はやや疲れて滑ってしまい、ひざや手のひらをすりむいたりもした。都会にいると、こんな怪我をすることもない。ペロペロとつばをつけて、子供の頃の他愛ない擦り傷の痛みを思い出し苦笑い。
行程のうち、深いところでは足がつかないところもずいぶんとあり、時に泳ぎながら、時に流れながら、どんどんと川をくだった先でテントを張った。
それからその日網での鮎漁の解禁日ということもあり、巻き網漁というのを教えていただいた。
おもりのついた2重の網で、錘のついたほうを内側に、ぐるりと魚のいそうなあたりを取り囲む。
そして内側に入ってバチャバチャ水を叩くと、驚いた鮎が網にかかる。それを丁寧にはずしていく。
経験のない者は魚影をみても数まで瞬時にわからないが、地元の方は「もう一匹いるはず・・・」というと、必ずかかっているのに驚いた。漁果は十分で一人一人いきわたるだけ捕らえると今日の漁はおしまい。夜は酒盛り、子どもたちは溝でホタルともつかない発行器をもつ昆虫にみとれている。テントを張った周辺は元は村落だったが人が住まない廃村となっている。それでそのうちの一軒のお手洗いを借りることになったが、夕方の明るいうちに子どもの一人が踏み板をはずしてしまい、そこからはトイレのたびに、「連れもって」。ペーパーは持ち帰りごみ袋へ。
人が住まなくなった廃村あとは、この地域には少ながらずあるようだ。冬は雪深い土地である。動ける人がいなくなれば、村を離れなければ暮らしていけない。お手洗いをお借りしたところでは、庭先の墓石を取り除けたあとが、10個ほどもあっただろうか。長年先祖が暮らした土地を離れる。すっかり枯れたようになっている住居の周りに、ぼうぼうと草がおいしげっていたが、まだそんなに年数はたっていないようでもあった。子どもたちにはその意味はまだわからないかもしれないけれど、記憶の片隅にやきついたに違いない。
翌朝はうなぎのしかけを見に行ったが、残念。ウグイが一匹かかっていただけだった。ウグイは琵琶湖で食べたことがあるが、骨が多くてアンモニアのようなにおいがある。ホイルで包み焼きにして、においの強い皮をはずして皿に盛ると、お魚が好きな子がいて、小骨もかまわずぱくぱくと食べてしまった。魚好きは生命力が旺盛である。
野間川を離れ宿に戻って解散式。入浴と食事が全6食ついて、2泊で大人2万円、子ども1万8千円のたいへんお得な体験ツアーである。もれなく友人がついてくる。同じ川で泳いで、捕った魚を分け合った友人たちである。
スタッフの皆さん、京丹後市の皆さん、ありがとうございました。
また、今回だけでなく、前にお会いした方々とも、またお会いできれば、と心から思う。
今回娘がまた行きたい、と言い出したのも、人との出会いが一番の深い思い出であり、そこにいけば会えるという縁のゆえであった。
指定管理者制度の場合、数年に一度は管理替えがあるという。わたしは知らず知らずの間に、けっこうな人数の京丹後の皆さんとお知り合いになっているのに、連絡もしないまま帰ったことを、実はかなり悔いたりしている。
娘が夜に携帯を貸して、と、前のスタッフの方にメールをしていた。お返事をくださってありがとう。
素直な心で、次回も訪ねたい。
投稿者 kamimaki : 18:36
2008年06月29日
実業之夢、プロ野球
先日娘の小学校にオリックスバファローズの選手3人が来てくれたのがきっかけで、昨日はわたしとしては非常に久しぶりに野球場へ足を運んだ。全学年に招待券をくださっていたので、引率の大人は1200円で内野自由席に入場。今ネーミングライツで「京セラドーム大阪」となっている。
http://www.kyoceradome-osaka.jp/
奇遇ながら先日、この京セラドーム大阪を運営する大阪シティドームの関係者の方にお話を伺う機会があった。大阪市らが出資する第三セクターであった大阪シティドームが経営破たんしたのは2006年。建設費498億円の償還が大きな負担になっていたうえ近鉄との合併により現オリックスバファローズは神戸市西区のスカイマークスタジアムとこことのダブルフランチャイズ制をとることとなり、ホームが二分され経営上不利な状況となったことなども重なった。
現在の経営計画はオリックス社がドーム施設を買収し、5年後に大阪市へ無償譲渡するというもの。関係者の方によれば、公共性の維持がドームの運営上の条件としてあるのだそうで、公共がからまった施設の再生計画として非常に妙味を含んだものである。いわば再生の鍵を握るのはファンをはじめ大阪市民。なるほど、小学校への選手の招聘はそのような仕掛けのひとつであったというわけか。
個人的には、もともと阪急沿線に住んでいたことから、球場といえば西宮球場、アストロビジョン、阪急ブレーブス最強の時代がちょうど小学生時代。弟の名前も阪急の創始者にちなんでいたりして、自分が男に生まれたらその名前に決まっていたらしいというから、野球に熱いものを感じた最初の球団は阪神というよりも実は阪急ブレーブス。オリックスへの「身売り」、近鉄との合併に、ファンとしての夢がことごとく消えかけていたような気がしていたが、やはり球場に行き、選手のいきいきとしたプレーに触れると、封印していたものがふつふつとするのを感じる。
子供たちは過去の栄光にとらわれたりしないから、その点うらやましい。学校訪問の夜タイムリーでチームを勝利に導いた坂口を応援するのだ、といって、早速ファンクラブに入会し、声援を惜しまない。
http://www.buffaloes.co.jp/fanclub/
このファンクラブ、1000円で入会したらさっそくスポーツバッグをプレゼントしてもらった。
球場にくるたびにスタンプをもらえるらしい。特典欄を読んで次は何日にいこう、と友人と約束しているのをみると、すっかり「はまっている」。
応援団の応援は外野自由席が活発だが、内野自由席の後方で「応援会」のTシャツを着たファンの皆さんが声をからして応援歌を歌う。一緒になって「よっしゃ!」と、応援席で声をうねらすうちにねじれた思いをかかえた母も最後まで試合を楽しんだ。
この応援会の皆さんが、試合終了後の清掃作業を手伝われているを見たのも、ありがたい経験だった。いいおじさんたちやねえ、と子供たちも感心していたが、それぞれバックグラウンドは元は近鉄応援会、ブルーウェイブ、ブレーブスと応援を続けていた人たちが今一緒になってこの球団を応援しているのである。ねじれファンはちょっと恥ずかしくなった。
球場・球団の経営努力を別の視点で評価すると、大阪産業大学との協定や、球場内ショップでの販促など、さまざまな点で感心するものがあった。客単価をあげることは至上命題だろうと思うが、応援するチームに限らず多様な球団のグッズが買えたり広告面でも球場に来ているECCジュニア教室の子供が英語で応援トークを披露するなどほほえましく印象的なものがあった。いろいろな切り口があるものである。
ホークスは福岡に行き、近鉄・オリックスの選手を二分した楽天イーグルスは仙台へ行き、それぞれの地域のファンに支えられ、また地域に貢献する球団として精彩を放っている。
オリックス・バファローズも巻き返しはこれから。子どもたちと球場へ行こう!
投稿者 kamimaki : 11:05
2008年06月27日
爆弾と自殺
タイトルはなんだかすごいが、どちらも実際。
家族が住む近辺で戦中の1t爆弾が発見されて、先日避難のお知らせが、ポストに投函されていた。
先般東京で見つかったときは半径500mの範囲が避難範囲だったが、今回は300m。PTAでも心配していたが、避難場所になるはずの小学校が半径500mではかぶってしまう。高層住宅地なので避難の量的確保のために小学校をはずしたかたちだ。
いずれにしても家族は避難対象なのでやれやれと思っていた矢先、近隣で硫化水素と思われる自殺騒ぎがあった。子供の通う塾のとなりのマンションで、子供によると駆けつけた警察官か消防の人だかが嘔吐していたようだ、とのこと。二次被害が住民にはおよばなかったのは不幸中の幸いか。わが子も少なからず危険な目にあう可能性があったと感じると背筋が寒い。
さすがにこの夜は、思わず怖い夢を見てしまった。
翌朝の新聞に自殺のことは何も載っていなかった。国内では年間に3万人ものひとが、自ら命を絶っているのだという。あまりにも多いので、騒ぎになっても記事にもならない。1tの爆弾が破裂すれば数多くの人が殺傷されるが、3万人はいくまい。一人寂しく命を絶つ人はそれよりもうんとうんと多いのだと思うとやるせない。
死ぬまで生きたら、それがあなたの人生です。
何がなんでも、死ぬまで生きましょう。
投稿者 kamimaki : 01:26
2008年06月15日
岩手・宮城内陸地震
今日は京都・国際会館で第7回産学官連携推進会議。
関西ネットワークシステムで昨年に引き続きブース出展をしたので、午前中ブース当番をさせていただいた。朝早く家を出たので地震のことは何も知らず、昼過ぎに来られた方から第一報を聞く。
岩手方面にはお世話になっているかたがたが多数あり、夕方帰宅してメールチェックをすると、何人かの方の安否は確認できた。通信が不安定との情報もあり。今は皆さんのご無事を、お祈りしております。
土砂崩れ、道路の崩落など、内陸部の被害は甚大なもようだ。
ひとまず今開設しているネット募金を。
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html
被災地が自由度高く使える寄付を、できたらお願いしたい。
投稿者 kamimaki : 00:31
2008年06月05日
マチネー・泰子の愛
1日朝に新幹線に飛び乗り、新宿へ。姉の短歌朗読ライブ「曠野」を聞きに。
http://www.geocities.jp/tatumilive/arano.htm
1時前にはライブハウスの前に行列ができていて、その列に近づくと、髪をバッサリ短くした姉がチカチカと手を振っている。色が白くて満月のような姉の笑顔には不思議な引力があるということをはたと思い出す。
行くとは言ってなかったのだが、どうにも引き寄せられてしまったことを観念する。母によると、姉は珍しく、さとちゃんきてくれるかな、と言うていたらしい。来てほしかったら、祈ればええ、と言うたんよ、と母。母と姉と私は潮の満ち引きでつながっているので、これはもう自然の理と思うよりない。
姉は中学生から短歌を詠んで、22歳のときに東京へいってしまった。
ここ数年、こうしたライブ的な活動をしているが、わたしは姉のこうしたイベントに参加するのは初めてだった。距離もさることながら、正直にいえば怖かった。しゃしゃり出てくるな、と言われるような気が、していたのである。
枡野浩一さんと福島泰樹さんが姉をはさんで鼎談トークを。
これはこの世界にあまり詳しくないわたしから見ても実に贅沢なことである。
姉はまるで不遜にみえて舞台で煙草などを吸っている。そしてやおら厨房からひとわんのそら豆を取り寄せ、「いただきものなんです。皆さんどうぞおあがりになって。美味しいんですよ。」と会場に椀を回しだす。このちぐはぐで、とんちんかんなところが姉らしくて、そしてそれが姉の愛のすべてである。
トークでは短歌と朗読ということを取り上げていたが、万葉の歌垣(かがい)では自然なことであったのではなかろうかと思う。福島さんが、世界各地で詩を朗読するイベントがありその模様などを話してくださる。詩は短いから、学がなくて字が書けなくても、つくることができるから、世界中どこでも歌われるのだと姉がいう。トークで枡野さんの詩のボクシングの映像が流れ、福島さんが寺山修二を絶叫し、そして姉が最後に数十首歌った。
トークで、人前で歌うのはつらい、と姉が言っていた言葉が身内にあふれて、わたしもつらくなってしまった。つらいつらいと言いながら、滔々と言葉はあふれ、したためた墨書の歌うたが、舞台に重なり落ちていった。曠野の百合のように姉は立ち居り、青い匂いを放っていた。
あかあかとして。ええ声で。
投稿者 kamimaki : 01:13
2008年05月31日
スポーツと公共空間
子どもが3人あると、それぞれに好きなスポーツが違う。
学校の体育以外に運動経験のない私には未知の世界だが、このところ家族を通じてスポーツのよさを再確認している。
長男は高校に入って、中学時代に週1回通っていた剣道を再開した。痛そうだし、見た目暑苦しいのだが、けっこうはまっているよう。今朝も早朝から先輩のインターハイ予選の応援へ。
競技のことはあまり話さないが、規律と伝統の世界、道具の手入れなどこまごまとしたならいごとが多い。生真面目で、「理」に敏感な長男らしい選択だと思う。
次男は野球、それも草野球だが、休みともなると気がつけばいない。数人でも集まればキャッチボールで汗を流す。草野球を始めるようになって家でゲームをしている時間は極端に減った、というよりなくなった。部活をやや不本意に退部してからブラブラしていたが、級友たちやご近所のお兄さんと草野球で意気投合。決して本格的ではないが、スポーツを通じて心の通い合う仲間を得ることは青春時代のかけがえのない通過点だと思う。
つい2週間ほど前、小学生の長女が「ソフトバレーボール大会」への出場をするんだと意気込んで帰ってきた。4人でも出られるとあって、クラスメイトを片っ端から勧誘し、なんとか5人集まってこの週末に試合。前の日まで、ママさんバレーボールの練習日にコートの端っこを借りるなどして特訓していたが、通常のバレーボールとソフトバレーボールのルールの違いなどもわからないまま当日に。
言いだしっぺがわが子ということもあり、地元から2駅電車に乗った先の小学校体育館へ引率した。
とはいえ我が小の子供たちは、まずルールからよくわかっていない未経験者。
それが他の試合の審判もすることに。まず試合前に時間をかけてガイダンスを受ける。
審判のジェスチャーはいろいろあり、コミュニケーションに言葉は許されていないそうだ。いわれてみればテレビのバレーボールの試合でも、審判の声は聞こえない。
ここで運営委員の先生から引率の大人へご注意。
「ジャッジは間違うこともありますが、大人がとやかく言わず、子供たちが自分たちでできるように促してください」
それからウォーミングアップ、試合開始。1試合目は体が硬かったが、他の試合の審判をしたり、2試合目、3試合目と回を重ねるごと、動きがよくなってくる。
ふたつ勝ったところで欲が出て、みんなが勝ちにいっているのがこっちにも伝わってくる。
内容もよかったが結果もよかった。表彰式に。
なかなかスポーツというのは、いいもんだな、と今さらながら思う。競技としてルールがあり、勝ち負けは明確だが、プロセスの中で得ていくものが多い。体を使った分だけ得るものがある。それにチームが加われば相乗する。人生経験のなかでは、けっこうめっけもんの機会なのである。
ただ、子どもたちがこうしたスポーツに出会う中でやはり場所とそのコーディネートというのは機会の提供と継続のためには必要だと痛感する。現在のように、生徒数、学級数が少なくなってくると、学校だけで多種多様なスポーツの機会を提供するのが難しい。学校のスポーツクラブは、どこもかしこも存続のピンチだ。
スポーツアソシエーションはスポーツの数だけあると思うが、競技人口によってその基盤には強弱がある。学校の体育館という切り口も、何らかのアソシエーションにつながっていなければなかなか利用できないのが現状だ。公共空間と、それを活用するアソシエーションがあって、それらが常にオープンであること。あらためて、そうした目に見えない公的な活動にも感謝したしだいだが、将来の子どもたちの環境への危機感もまた、感じている。
投稿者 kamimaki : 22:06
2008年05月25日
世界6月号から
ジャーナリストの多田実さんこと本多清さんが、岩波書店「世界」の6月号に執筆をしていると聞いたので、週末に紀伊国屋で買ってきた。
豊岡市でのコウノトリを育む農業の話題から、本多さんのフィールドになっている滋賀県高島市での環境保全型農業の取り組みを、農業者の生の声を交えながら本多さんらしい書きぶりで紹介する文章だった。
コウノトリは過去、田んぼを踏み荒らすということで農家からの嫌われ者だったそうだが、実際に中国から飛来した一羽の天然のコウノトリの生態観察からそれが誤解であることがわかった。地元の方から「ハチゴロウ」と名づけられたこのコウノトリは、死亡が確認されるまで、様々なことを人間に教えてくれたようだ。本多さんは、環境保全型農業は、単なるハウツーではなく、根源的なものへのコミットメントからはじまることを、書いておられたように感じている。
これを読みながら、どういうわけか思い出していたのが、娘の5年生の頃の教科書に出ていた「大造じいさんとがん」という物語だった。猟師の大造じいさんが、猟果をあげることができない元凶、群れの頭領である一羽のがん、残雪を得ようとしかけを凝らす戦いは何年もに及ぶ。そうしているうちに、じいさんの中で残雪のことを次第に「ただの鳥にしているような気がしなくなってくる」というのだ。
結びでは、環境保全型農業をすすめるにあたって、一般によく言われる絶滅危惧種が生き残ればいいという考えではなく、その地域の固有の生態系に、古くから慣れ親しんだ地域の生き物への愛着をもって取り組んでほしいという筆者のねがいが託されていた。これは本多さんの、長年の観察者としてのオリジンを感じるメッセージだったと思う。
本多さんおすすめ「高島いきもの田んぼ米」はこちらで購入可能。
http://www.city.takashima.shiga.jp/ikimonotanbo/erabu/index.html
投稿者 kamimaki : 16:13
2008年05月18日
きれいな、大阪のあかり。
生まれ育ったところが大阪でも十三(じゅうそう)といえば、「藤田まことの『十三のねーちゃん』やね」とか「夜の街だね」と反応は夜の部である。子ども心にも、夕方に水を打ったカラー舗装がネオンを映し出す時間帯の十三栄町商店街は、やはり十三のまちの重要な景観であると思ったものだ。
学生時代、国語の時間で「場末というのは十三のような町をいう」と言われずいぶん失礼だなと思ったが、返す言葉もなく悔しかった。また「朝の十三は死んでいる」という修辞は極めて名言で、盛り場の路地は酔客の吐瀉物で汚れきっていた。
このネオンの記憶はわたしのふるさとの記憶であり、十三公園の滑り台の上に立てばラブホテルモンブランの看板が見えた。だから幼稚園の頃の弟は滑り台鬼ごっこを「モンブラン」と呼んでいた。頂上に立つとき「モンブラン!」と叫ぶのは、そこが山のように高いからではないのである。
母の実家のある丹波はバスもなければ街灯もない。その代わり星明かりは気味が悪いほど明るく、雲が出ればまったくの暗闇に包まれる。そんな闇の中、蛙や虫がうるさいほど鳴く。蛇を踏まないかと恐れながら公民館の祭りを後に、祖母を先頭に孫たちが一列になって夜道を歩く。わたしも姉の浴衣の袖を、決して離すまいと、後ろから引っ張りながら。
そんな田舎に数日滞在すると、帰阪する列車の窓からネオンが見えればほっとする。大阪の美しさは汚いものを夜の暗がりに隠し、ええところだけに光をあてて際立たせるから物悲しい。それがふるさとの明かり、ネオンの輝きなのである。
ライトアップの構想が大阪府から打ち出されているが、ふとあの悔しい思いをした「朝の十三は死んでいる」という言葉を思い出す。夜見ても昼見ても朝見ても、きれいな大阪でありたいと思う。
そしてさらにライトアップで思い出したのであるが、東京都北区に勤務する和田さんが、道路街灯にLEDを本格的に導入するのだと言っていた。彼によると、このLEDの主要部分は大阪のメーカーの製品であるという。LEDは大阪でも、商店街の節電・環境対策として実証実験を行ったが、当時はLEDの性質上、広い範囲を照らせないなどの課題があった。それが照度の面で厳しい基準がある道路灯に使えるレベルまで開発が進んでいるのだという。北区の報道資料によると、今後区内2万基ある街灯や公園灯をLEDに切り替えていくらしい。
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/press/278/027849.htm
LEDはLED照明推進協議会によると、低電力で長寿命というメリットがあり、光の指向性の高さから光害になりにくいのだという。
http://www.led.or.jp/about/features.htm
和田さんの日記から勝手にキャプチャーさせてもらった道路街灯とLEDモジュールのコスト比較表は以下。決してコスト的にも悪くはない。
画像の確認
また、和田さんによると、アメリカミシガン州のアンアーバー市は全街灯をLED化するという。先を越されたといっておられたが、北区は平成17年度からLED街灯に取り組んでいたので、世界最先端は最先端である。これに続く自治体が増えれば、LED街灯はよりコストが圧縮して導入しやすいものになり、電力消費は抑制されるだろう。
http://www.a2gov.org/government/publicservices/systems_planning/energy/Pages/LEDLighting.aspx
もっと努力できることが大阪にもあると思う。いつの日か、朝も昼もきれいな大阪の夜をライトアップできる時がきたら、ぜひLEDで。それまでコツコツで、かまわへん、と思う。
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なお、LED照明推進協議会によれば、LEDの輝度の高さが人体に影響することもあるという。2002年に行われた実験では、青色LEDがリスクグループ2に分類されているといい、これは「原則的考え方としては,高輝度に起因する嫌悪感や熱的不快感が無い場合でも傷害を与える可能性のある光源。」という分類らしい。なお、青色LED以外はリスク免除グループに分類されるとのことだったので追記しておく。
http://www.led.or.jp/handbook/c_3_4_5_jintai_eikyou.htm
投稿者 kamimaki : 16:38
2008年05月06日
よし笛ロード
連休中の一日は、家族とサイクリングへ。日経新聞で記事が載っていたのを家族が覚えていた。
ところがサイクリングロードのマップはなかなかネットで入手できない。自転車協会などに申し込まなくてはいけないらしいが、下調べに入ったのは連休になってから。まあ、観光案内所で配っているだろうとたかをくくって現地入り。大阪から片道1450円。1時間と少しで近江八幡へ。
駅で1日500円のレンタル自転車を借りて湖畔、麦畑をぐるりとめぐる「よし笛ロード」をスタート。
途中石段が八百八段もある長命寺へ。上りがきつく帰りは膝に来る。
西国巡礼の寺ということもあり、参拝者は絶えない。霊験あらたかなのだろうか。
それから近江八幡の水郷めぐりを横目にどんどん自転車を走らせていく。
到着した先は安土城址。ここでも石段の多さにちょっと疲れが・・・
しかし三重塔のあたりからの景色はさすがに湖の国というにふさわしい絶景だった。
そこからは自転車を引き返し、近江八幡に戻る。安土へは、実は20数年前、安土城築城四百年祭というのがあり、高校の文芸部のメンバーで、信長好きのCさんとのんびりのんびり歩いたのをしみじみと思い出す。それにちなんだ信長祭りも来年が25回目なのだそう。それにしても、安土城址は人気のある観光スポットのようだが、みやげ物も直売所も出していない。この辺の奥ゆかしさは20年前とほとんど変わっていないのではないか。ただ、片隅で売られていた作業所のクッキーはたいへんおいしかった。本当にそれだけしかなかったのであるが・・・。
安土城が山城であるのと同じように、安土城下も比較的起伏のある野道であったように思う。特に圃場は段差があったように思うのだが、あのときに歩いた道のりとはずいぶん違う印象だ。
あるいは圃場が整備されたか。駅前の観光案内所で信長にちなんでローマの豆が入ったコーヒーを飲む。また駅前の和菓子店でこれまた信長にちなんだ最中を買う。これもなかなかおいしかった。
そんなに気合が入った観光地では決してない。しかし、安土の人たちにとって信長というコンテンツは非常に大きな存在のようだ。わたしにとっては、あの古いままの野道も、捨てがたかったのだが・・・。
近江八幡に引き返し、八幡堀を散策し、八幡宮へ。境内のだんごやで味噌だんごを買い食い。
サイクリングの結果、太ってしまっているのではないか??
八幡堀は、なかなかにぎわっていた。八幡宮にはこのところ大阪の百貨店でも行列をつくる有名菓子店があるが、帰り道に行きしなから目をつけていたチーズケーキの店がある。ここでホールケーキを買って旅の買い物はおしまい。普段甘いものはあまり食べないが、旅先ではちょっと欲しくなる。
地域で根ざしているお菓子屋さんというのは、これがなかなか、滋味あふれる銘菓をつくるものである。
駅で自転車を返して新快速待ち。貸切電車の団体あり、近江八幡が今相当観光客を集めているのに驚いてしまった。よし笛ロード全体のマップは結局手に入らず。しかし地図がなくても湖があるので迷わないのは滋賀のよいところ。琵琶湖一周はなかなか敷居が高いが、ぼちぼちと、またたずねたい。
投稿者 kamimaki : 23:27
2008年04月24日
仕事のことなど
この週末に41歳になる。
年齢のせいか?今までしてきた仕事のことを振り返ることが多くなったような気がする。
何歳から働いていますか、と聞かれたら、小学校2年生から、と答えるのが正しいと自分では思っている。
祖母は蒲鉾卸業の傍ら小売もしていて、子どもも計算ができるようになるとまず店に立つのが年末のならい。2年生だと呼び込みが主たる仕事で、1歳年上でこれまた顔がそっくりの姉と二人、「おせちの蒲鉾、こうてって」と、商店街を行き交う人に声をかけるとなかなか目立つのである。
年末は書き入れ時で、とにかく早朝から夜中まで蒲鉾を売りまくる。冬休みの4日間、たちんぼで仕事をこなすと、お正月には聖徳太子2枚入ったお年玉を祖母が惜しげもなくくれる。日給にして5000円、2年生にしてはたいへんよくできました。蒲鉾を買いに来たお客さんに、あわせて黒豆やごまめなどの商品も買ってもらうための口上も、自然に覚えてしまう。蒲鉾は毎日食べているからどの商品が固めの歯ざわりで、板わさにするならこれ、うちのはよそとはここが違う、と、どんどん口達者になる。わざわざ電車に乗って買い付けに来る老紳士があり、包んだ商品をお持ちして十三駅までお見送りするのも子どもの仕事。この仕事は祖母が店をたたむまで、年末の恒例だった。
家業はこの蒲鉾屋のほかゴルフショップ、喫茶店と、家にいる大人たちが好き好きに店をしていたから、店番、ウエイトレスと、家にいてもやらねばならない仕事には事欠くことがない。書道の腕前を活かして1枚500円の看板書きもやった。「謹賀新年 本年もどうかよろしくお願いいたします。十三日東スポーツ」の看板を大晦日の夜、近隣の電柱にくくりつけるのである。今思えば立派な違法広告物なのだが。
高校生の頃は長期休暇になると母の店のお客さんの工場で働かせてもらっていた。工業用のカウンターの梱包作業で時給490円。作業は連続しているが、3時にしばし休憩がある。この時間がとても貴重に思えたものだ。今もガスメーターみたいなカウンターが組み込まれた製品をみると、あの工場で働いていたおばちゃんたちの顔が浮かぶ。仕事中はとても厳しくよく働き、休憩時間には飴玉やみかんを投げて笑いあう働き者のお母さんたちだった。
また、大手電器の家電工場にも日給5700円で入ったことがことがある。ジューサーミキサーの生産工程での部品供給班。組立工程に流れていくゴンドラの上に、指定された部品を載せていく単調な作業だが、機械に合わせた速度でくまなく部品を供給しないといけないので全く気が抜けないばかりか、工夫をしないとゴンドラのスピードについていけない。チャップリンの映画でこんな風景を見たような、そんな忙しい現場である。
ここでは毎朝朝礼があり、週に一度、現場で改善提案を一番した人に表彰がある。単調な作業と思えるが、油差しの口を数度傾けるだけでも生産性があがり、生産性があがるということが、働く全ての人たちの共通の目標になっている。現場は作業服だが、正社員の人たちが来るとき帰る時には通勤着になる。整った身なりを心がけてる人ばかりで、とても好感度の高い職場だった。
働くといえば現場育ちのわたしとしては、府庁に入ると、いきなり人事考課の末席に任ぜられ、かなりとまどった。進路指導の先生は、たしか公務員というのは、「ほれ、事務室の先生方は、公務員だよ」と言っていたではないか。授業料や奨学金のことで大変お世話になっていたので、ああいう人の役に立つ仕事ならしたい、と思ったはずが、不祥事やら出社拒否やらなんやらが日々起こる。まあいろんな仕事があるのだ、と思ったのがつい昨日のことのように思える。最初の仕事は新聞切り、過去の懲戒処分事例の整理、表彰、それから問題を起こした職員を別室で事情聴取する上司用に、夜8時になったら出前のどんぶりを注文して、それが届いたら帰ってよろしい、という具合。ワープロも電算処理もここで覚えてわりにはまった。
そこから転々と公務員の労災や花博、高齢福祉、出納、歯科保健、行革兼務、リサイクル、土地収用と、数年おきに様々な仕事をしたが、これまでの20年の仕事と、それ以前の仕事の間に、自分としては何一つわけへだてがない。むしろ学業と家業、アルバイト、部活といった混然とした多忙な日々の充実がかけがえない経験になっているのを実感する。働くのが楽しいのはなぜか。それは人の役に立つと信じるからである。そろそろそれをもっと目に見える形でやりとげないといけない。
投稿者 kamimaki : 01:24
2008年04月06日
大川の桜
今年も春はやってきた。
自宅のある大阪市北区には旧淀川(大川)が流れている。
この大川沿いにはずっと、天満橋まで桜が植えられていてこの時期のお花見を満喫。
写真は桜ノ宮方面を飛翔橋から望む。
カヌーが一隻、ようようと漕ぎ渡る。
「春風や 堤長うして 家遠し」
大川を新淀川まで歩くと与謝蕪村の碑がある。
この道のりのタンポポの黄も鮮やか。
子供たちは河川敷で草野球に興じている。
この季節、桜花の下、もうもうと炭火で肉を焼く人がある。
これは興ざめ。
ごみは持ち帰ってほしい。
投稿者 kamimaki : 13:05
2008年03月30日
豆ご飯
子供のころ、この季節になると、豆ご飯をするのに、さやから豆を取り出すのを手伝うようによく言われた。
大人になってから見た豆ご飯のレシピはあとから混ぜ込むものが多い。豆の色はそのほうがいいのかもしれないが、母のは昆布と一緒に炊き込む豆ご飯だった。炊き上がりをさっさと食べないと色が悪くなるし豆の表面もしわしわになってくる。
なので出来上がり写真はありません。

投稿者 kamimaki : 23:46
2008年03月02日
ムンク

ムンクといえば、「叫び」など捩れた陰鬱な絵が思い浮かぶが、かつて京都でみたムンクの絵の印象は、性的なモチーフと灰色に黄色など色彩に強いメッセージを感じたような気がする。
神戸のムンク展は、ムンクの装飾画家としての側面にスポットライトをあてた意欲的な展覧会で、今までムンクという画家に抱いていた印象ががらりと変わる会心の企画展だった。
企画展の最後の展覧室は、ムンクの最晩年に、オスロ市役所を装飾するためにムンクが描き下ろした労働者の絵の数々だった。雪下ろしをする男たちであり、手にスコップを持つその目はまっすぐと画家を見ている。ところが、この着工は遅れ、市役所から正式にムンクが装飾画を依頼されたとき、すでにムンクは自ら老いすぎていることを嘆いたのだそうだ。
それにしても、ムンクが描いた装飾画を食堂に配したチョコレート工場の従業員は、幸せに違いない。このほか、オスロ大学の講堂などにも、ムンクの絵をみることができるらしい。
求愛する男女を描いたために子ども部屋に飾られることのなかったリンデ・フリーズの果樹園の緑の豊かさ、生き生きとした筆致。
ムンクといえば「叫び」、という方に、ぜひ見てもらいたい展示であった。
3月末日まで。

投稿者 kamimaki : 20:10
2008年02月23日
学校改革のなかの子ども
先日の参観日にあった学年懇談会では、新6年生はクラス替えをしますという重大な発表もあった。
校長先生からの説明では、中学に入ったときに、急に環境が変わって不登校が急増する中1ショックという現象があるのだそう。クラス編成に変化を与え、学習集団を再編し、学力の向上のための授業時間数のアップと相乗させること、変化への耐性をつけることが狙いという趣旨の説明だった。
大阪市内の小学校では、伝統的に5年生から6年生は持ち上がりであるので、さすがに保護者からの異論が出た。またいくらの保護者の発言をみると、背景には何らかの子どもたち間の問題もあったように見受ける。
そのときの私の持った感想は、「校長先生が決めたというのだから動かせないだろう」ということだった。最近教育委員会は学校長への権限の強化を図っている。また、改革をすすめるために、中学と小学校との間の人事交流でこれまで中学の先生だった人が小学校長になるなどしている。大人がしくんだ変化へ子どもが従わさせられる。そんな特別権力関係が成り立つのが学校社会である。
自宅に帰って長女に話すと、大いに憤慨している。わたしは「しゃあないがなー」といい続けたのだが、夜にクラスメートといろいろ電話をかけまくって話している。「みんなクラス替えしたくないって!」
そりゃあそうやろけど。世の中思ったようにいかへんねや。と世間並みの親らしいことも言ってみる。でも自分もおさまらない思いを持って学校社会に歯向かったこともあったのだから、おさまらない思いはどこへいくのか。
懇談会の翌日、校長先生から話が学年全体に対してあったそうだ。「校長先生は、子どもたちの意見にこたえられたところもあったし、こたえきれないところもあった。先生が、この学校は変わらないといけない、と言ったことはようわかるけど、どうしてそれが、今の私たちからでなければいけないのというた子もおった。みんな泣いたし、学級担任も一緒になって涙を流した」と言っていた。
また、その日の仕事帰り、同道になったクラスメートの子どもにも、娘に対してあきらめるよう言ったのと同じことを言った。でも付け加えた。
「変えられんのはクラスという学校が決めた枠組みだけ。自分たちの問題だ、と思ったことは、自分たちで変えていい。これだけは、おばちゃん、ゆーとくわ。」
まあこのようにして収束していくのだろうと、その時は感じていた。
それが、昨日、
子どもたちが自発的にクラス全員のアンケートをとって、校長室へ全員で直談判に行ったのだそうだ。アンケートは、子どもたちで作成したもので、自由意見を書く欄などもあったらしい。「こんなん書いてほんまに変わるんかー」といいながらも、熱心に全員が書いてくれたのだそう。
「皆さんが行いでしめしてくれたら、考えを改めます」
校長先生はそう言ってくれたんだそうだ。しかしその後の担任の先生の反応では、おそらく校長先生にとっては、とても困ったことに違いない。子どもの言葉を借りれば「校長先生はシャチョーに3つの約束をした」という。社長というのは教育長のことかな、と思うのだが、全国学力テストの結果が悪かったこと、市内学校でクラス運営に問題が報告されていることなどをうけて、全小中学校の校長が集められ、改革の旗揚げをさせられたというニュースをわたしも読んだような気がする。
「行いでしめすって、どうしたらいいの」
学級で考えたときに、テストで90点以上とるとか・・・朝会に遅刻しないようにいくとか・・・子どもたちにとって身近な、それでも全員が足並みをそろえるのが難しいことがいっぱい浮かんできて逆にへこんでしまったらしいが。
わたしはそれでも、この校長先生をとても見直したのである。子どもも同じ思いでこたえたいと思っているようだ。確かに学力では劣るのかもしれないが、自分たちの考えを伝える力を、この1年で身に着けたなあ、と強く感じる。子どもの言葉で感動したことに、「校長先生が一人で悩んで、一生懸命考えた答えなんかもしれんけどー、頭悪いとか、いじめあるとか、そういうことは、わたしらも一緒に考えるべきやと思うねん。それを先生に伝えたかった。」
さて、行いでしめす。いやもう十分しめされはじめていると思うよ。もうやめとき、なんていわない。
改革には形から入るものもあるけれど、教育の対象者であるはずの子どもたちでしか、結果を出せない。心が入れば形に固執しないということも大いにあるだろう。
子どもたちにリスペクト、感じている。
投稿者 kamimaki : 12:57
2008年02月20日
和紙の心
小学校の授業参観に行ってきた。5年生の長女のクラスは国語の教科書にある「和紙の心」という単元についての学習成果をポスターセッションで発表するというもの。
9つの発表のうち5つを聞くことができた。
和紙の材料について詳細に説明するもの、歴史に言及するもの、製法について、用途や特徴について、日本人の暮らしの中の和紙について、などなど、教科書以上に調べたことや身近な例を引き合いに、さすが5年生だなあ、と思う発表を聞くことができた。時間も3分の発表後2分の質問タイムといったタイムキーパーもきっちり機能していた。
保護者も質問タイムに参加でき、わたしは男子のチームに「書画用に良質だったイネの和紙の品質が低下したのはなぜですか」などの質問をした。これはちょっとわからなかったようで、わたしも謎のままだが、あとから理由をいろいろ考えてみたりしている。
発表の中には、「心」に焦点をあてたものもあり、ふだん何気なく使っている紙の原料が、植物であること、その命をもらっているのだという感動を伝えてくれた。命をもらう、いい言葉だなあと感じた。
わたしは書道をならっていたので、和紙の心、というテーマを聞くと、ふと清新な気持ちになって、青墨を硯に下ろしたくなってしまった。
子どもたちのいい発表を聞かせてもらったあとの学年懇談会では、新学習指導要領で授業数が増えていくので新6年生の自然体験学習は修学旅行の一環とします、といった発表があり、先生方の熱意はわかるが、楽しみにしていた宿泊学習が減少するのを聞くのが努力した学習成果の発表のあととは、と、やや我が子がかわいそうになってしまった。
しばらくぶうたれていたが、夜に本棚から「いのちの輝き感じるかい」という写真集を持ってきて読書感想文を書いていた。この本は北海道旭川で牧場を営むおじいさんの素朴な言葉がつづられたもので、その中で気に入っている言葉はというと、「勉強というのは、憶えることではなく気づくということ」なのだそう。
子どもに教えられた一日だった。
投稿者 kamimaki : 00:39
2008年02月09日
大阪も雪
今日の大阪は私立高校の入試。
にもかかわらず、雪が降ってしまって。
でかけるとき、近所の小学生たちが、おばちゃん、雪って食べてもいいのん?という。
まあ食べるんやったら、口あけて受けるとか・・・と、そらから綿のような雪が降ってくるのをしばらく見上げていたら、目がまわってしまった。
真っ白なそらから、羽毛を散らかしたように降って来る雪は、
視界を思いのほか立体的にするのだと気づく。
それに長靴のつま先が、しんしんとする。
足元をよく見て歩くと側を通った車が泥をはねる。
電線から傘にぽさっ、と雪の塊が落ちてくる
昨日よりも寒くなく、しかし空気がじつに重く感じる。
五感に「白」が、舞い降りてきた。
それにしても雪がこんなふうに積もるのは、大阪市内では久しぶりだ。
記憶に残る雪は、10数年前の米不足があった年だったりする。
乳飲み子がいて、米を食べねばお乳が出ない。
雪の中、自転車を押してとぼとぼお米を買いに出たのを思い出す。
その時2歳ほどだった上の子が、もう高校受験とは。
あらためて、わが国の食の乏しさが身にしみるこの頃。
あの雪の日も、結局外米をなんとか手に入れて、あるだけの国産米に混ぜて炊いたが、なんとも心許ない気持ちになったものだ。
この間、母親として子どもたちの食を守るためにできたことに何があっただろうか。
自問するに答えを見出せず、おろおろとする。
夕方にはひとまず落ち着いて、融けがちになった雪。
明日面接のある人の制服やスニーカーが、今夜のうちにしっかり乾きますように。
投稿者 kamimaki : 17:32
辰巳泰子集 セレクション19
昨日久しぶりに三鷹に住む姉に電話。
電話に出るなり、「今、さっちゃんのこと考えててん。わたしには妹がおってよかったなあ~、って。」
じわっと、うれしく・・・
久しぶりに姉の歌集が出ます。よろしかったら読んでやってください。
「橋桁にもんどりうてるこの水はくるしむみづと決めて見てゐる」辰巳泰子
投稿者 kamimaki : 08:56
2008年02月03日
アトリエインカーブ展
最終日になってしまったが、サントリーミュージアムで開催しているアトリエインカーブ展へ。
アトリエインカーブには、何年か前にお邪魔をしたことがある。
関西ネットワークシステムの研究会で今中さんの話を聞かせていただいた。
その話に、なぜかひきよせられてしまった、とでもいおうか。
見学日には約束したわけではないのだが、友人のYさんと途中で出会ってびっくりした。
新しい絵の具箱を開いたようなアトリエの印象。
クリエイティブな空気にさらされて、すごく爽快だったことを、昨日のように思い出してしまう。
朝からあいにくの雨だったのに、それに出鼻をくじかれる、ちょっと気がかりなことも、絵を見て忘れてしまった。
まず、寺尾勝広氏の作品の展示。
寺尾氏は、鉄骨がまさしく作品の柱になっていて、特に今日は大きな作品が多数展示されていて、圧巻であった。なお、画集を中学生の次男に見せると「設計図みたい」としばし見入っていた。この作品は、昔の宮大工とてっこつ、というのだそう。
わたしには全体が曼荼羅のように見える。
いつまでも見てて飽きないものが加わったような気がする。
そして広告に取り付かれたような武田英治氏の展示へ。時計と広告文字が交差する作品はすごく迫力がある。
そして色彩豊かな湯元光男氏の作品。
寺院の上を亀が、船が飛ぶ。鯨も泳ぐ。竜宮城かと思う。色使いが豊かと思いきや、くすんだ3色を取り入れた絵の題名は欠かん住宅街という。激しく共感を覚えてしまう。
次に新木友行氏。得意のレスラーにボクサーも加わるが、現代的浮世絵のような色艶がある。人と人が取っ組み合い華麗な技をからませるときの興奮がつたわってくる。
実は湯元さんの絵をみていたとき、新木さんが会場にこられていて、あ、新木さんだ、と思ったら、近づいてこられたので「お久しぶりです」と挨拶をした。なにげに懐かしく。。帰りにもう一度声をかけて、握手をした。このあたりのずうずうしさはおばちゃんの特権ということで。。。
最後に、吉宗和宏氏の絵を見た。
重ねた白に、シンプルなモチーフの色がにじんだり、かすれたりしている。あらためて、白はきれいだと思う。静かな白は余りある白である。
インカーブのアーティストたちの絵は、3月2日まで
ギャラリーインカーブでも。
大阪市中央区南船場3-2-6
大阪農林会館503
月・火休館
13:00-20:00
投稿者 kamimaki : 16:55
2008年01月25日
羊のいる川
槇尾川の改修にかかる視察で、支流の一つである松尾川にも立ち寄ってもらえた。
ここではなんと羊が活躍している。
松尾川の清掃などの管理はアドプト団体にお願いしているという。わたしが行ったときは羊の世話に市民の方がこられていた。
さて、羊は草を食むのが仕事である。河川敷に生える草を適当に食べてもらっているんだそう。
ただし、雑草ばかりだと栄養が偏ってしまうので、やはりえさは別に与えないといけないらしい。
寿命を聞くと決して長くなく、普通はやっぱり12年くらいは生きるので、できれば飼い方を考えてあげたいと思ったりしたが余計なお世話なのだろうか。
投稿者 kamimaki : 00:39
2008年01月13日
品切れ
大阪市は14日から、透明袋に限ってごみ収集することにした。我が家では半年ほど前から透明袋に変えていたので逆に注意してなかったのが仇になった。あらそろそろ切れる、と透明ごみ袋を買いに出たらスーパーに一枚もない。しょうがないので通常の半分のサイズの袋を買ったが補給はいつになると聞くとわからないという。
大阪市役所が何か一方向に動くと品切れが起きる。
いつかも学校給食で警鐘を発したが、大阪市内の学校給食を完全一元化すると市場がくずれる。合理化するとしても規模の適切さは重要な課題である。
今回は工業製品なので十分前もって周知が図られればまあこうした事態はないのだろうと思っていた。
しかしやはり直前まで切り替えがすすんでいたわけではなかった。あわてて買いに走った主婦が大勢いたのだろう。
それでも一切の透明ごみ袋が姿を消したわけではないからもうしばらく我慢したらいい。ちょうどいい機会なので、さらなるごみの減量に取り組むにはと考えたが、肉や魚の量り売りをしている市場の時間と自分の終業時刻があわない。我が家ではやはりトレー、容器包装が一番多いごみだ。
ところで品切れというと、今日たまたま阪神百貨店にいくと昆布の神宗(かんそう)が閑散としている。
北海道の昆布が不漁のため品切れなのだという。
http://www.hanshin-dept.jp/shop/category.vm?_categoryId=2501
年始に塩昆布を頂戴したのでまったく気がついていなかったが、11月にはすでにこうした品切れの状態の報道があったようだ。
以下産経
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「大阪の味」ピンチ 北海道産昆布水揚げ過去最低
昆布の人気が高い大阪で、高級昆布商品の不足から、小売業者が販売休止を予定したり値上げに踏み切るなどの“異変”が相次いでいる。国内生産9割を占める北海道で、今年の水揚げ量が過去最低となる見込みだからだ。特に最高級とされる天然白口浜(しろくちはま)真昆布は例年の1割に満たない50トン以下に。価格は、昨年に比べキロあたり1000円以上高騰し、6000円に迫る勢いで、鍋や歳暮、お節といった需要期の食卓を直撃しそうだ。
真昆布は、道南の函館市から室蘭市にかけ採れるものを指す。中でも函館市の南茅部(かやべ)地区周辺産は白口浜と呼ばれ、くせのない甘口のだしがとれるため特に大阪で人気が高い。
「7月20日からの今年の漁は、初日の45分で終わりました。それも所属する漁船280隻のうち、代表24隻しか出していません。何十年も経験のある漁師も、ここまでひどいのは初めて」
南かやべ漁協尾札部支所の坂本敬二支所長(54)はこう嘆く。昨年10月7日、道南を低気圧が襲い、岩盤に吸着する天然昆布は大しけで9割以上が流され、壊滅状態となった。
白口浜でも最上位の質と量を誇る尾札部では、例年約30トンある天然物の漁獲量が、今年は500キロほど。南茅部全体でも例年の約600トンから50トン以下に落ち込んだ。
「昆布は1年ごとに豊漁、不漁を繰り返す。今年はもともと不作にあたる年だったが、予想を上回った」と坂本支所長は話す。
低気圧の影響は南茅部にとどまらず、同じ昆布の産地、日高や釧路にも及んでおり、北海道水産振興課によると、道全体で例年2万トンを超える漁獲量が、今年は1万7000トンにとどまり、過去最悪だという。
昆布は輸入が自由化されていないため、外国産の輸入量は2200~2300トン程度。このため北海道産が、昆布全体の価格を左右し、天然白口浜真昆布だけでなく、道産昆布全体でも卸値で2倍をつけるものも出ているという。
こうした事態に、白口浜真昆布を原料にする塩昆布やつくだ煮で知られる老舗「神宗(かんそう)」(大阪市)は、来年1月から高島屋泉北店など3売り場を休止することを決定。さらに昆布(角切り)を使った単品商品などの販売を一時中止することも決めた。
一方長池昆布(同)では、今月から全商品を1割値上げした。主力商品は2年分のストックがあるためすぐに影響はないという。
しかし野元次郎社長(57)は「一部の商品は年末までもたない。売り切れたら欠品にせざるをえない。一時的な不漁ならいいが、海水温などと環境と関係があるのかもしれない。来年も心配だ」と話すなど、当面業界の不安は払拭(ふっしょく)されそうにない。
(2007/11/06 15:00)
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昆布は北海道でとれるが、大阪はかつての蝦夷と琉球を結ぶこんぶロードの中心点である。
http://www.kombu.or.jp/power/history.html
当然このサイトを運営している日本昆布協会も大阪駅前ビルにあるくらいだ。
昆布が大阪で品切れしていて買えない、というのはなんというか落ち着かないものを感じる。
ところで昆布は輸入割当制度の対象品目であり貿易上自由化されていない。
とはいえ近年この自由化をめぐっての国際的な議論に火がついているという。
外国産の昆布がなんの歯止めもなく輸入されるようになれば、日本の昆布漁業は立ち行かない、そんなことも耳にする。
大阪のこぶの老舗が耐えている。
生産地に妥協をしない。これはまた名高き品切れである。
投稿者 kamimaki : 21:39
2007年12月28日
京都散策
年末の一日、京都を散策した。
まず、バスで銀閣寺まで。
お庭を拝見したあと、哲学の道を歩いて歩いて。
疎水記念館で一休みして南禅寺。知恩院。

ほんによう歩いたような。
たまに京都を、歩くのもいい。
投稿者 kamimaki : 00:22
2007年10月14日
収穫の記憶
ようやくゴーヤを片付けた。もう実を結ばなくなった夏野菜の秋はわびしい。
それでも命尽きるまでとしっかりと巻きひげをそこかしこに絡ませて健気でしのびない。
ザクザクと手はさみで刈り取ると、青くさい臭いがあたりにただよう。
ついでに長芋の収穫。といっても、これは生ごみ堆肥から発芽したもの。
プランタに移し3年ほったらかしにしていただけのもので、去年はむかごを収穫してほんの少しだが秋味気分だった。
掘り出した芋は小さくて手のひらサイズ。子どもたちに、食べてみる?と聞いたら「いらん。。。」とすげなく。仕方ないので明日また埋めておこう。なかなかスーパーに売ってるみたいなのにはならんのよ。
高校時代園芸同好会は大きな畑を持っていた。そこでは長芋畑もあり、3年間の間に一度だけ、顧問の先生が掘らせてくれた。プランタでは、ひっくり返せばすぐ芋が出てくるけれど、地物はまるで発掘現場である。あれも不恰好な芋だったけれど、愛着もひとしおだったことを秋空にほかほかと思い出す。
園芸同好会は同じ学年では2人しか部員がいない弱小同好会で、わたしは他にも文化部のかけもちをしていたから、作業のほとんどは先生が「あれ、いつの間に・・・」と片付けてくださっていることが多かった。
先生は丹波のご出身で倫理社会のご担当。自宅でも園芸が好きで花をよく育てていたわたしだが、先生は主として農作物をこの畑で多数植えておられ、トマト、すいか、なす、ささげ豆など、農機具もなく手起こしの畑づくりを教えてくださった。ささげにはおそろしいほどカメムシがついて鳥肌ものだったが、思えば有機栽培を実践されていてこその経験だった。ロッカーにムカデのアルコール漬けのようなものが入っていて震え上がったこともあるが、先生は、「かまれたら塗れ」と笑っておられた。
秋はまた、広い校内に植えられたいちょうの実、ぎんなんの収穫の時期でもあった。あるとき、隣接するプールの洗足槽に、校内で拾ったぎんなんが一輪車で大量に運び込まれていた。先生の仕業である。
先生からあれしてこれしてと言われるなかで、一番強烈な作業が、この大量のぎんなんの処理である。ここで一週間水に漬けて果肉を痛ませ、ゴム長で踏んで実を取り出します。くれぐれも踏み潰さないように、、、とお達しが出たときは、本当にめまいがした。
その作業の中で始めて経験したのだが、蒸れたような臭いと思っていたぎんなんの臭気というのは、実は鮮烈ないのちの香りなのだった。それはむしろ刺激的な、フェノールを多く含んだイチョウの木の精で、青々したはじまりのインプレッションを含んでいた。
それにしてもおおきなビニール袋に2袋ほどもとれたぎんなんは、先生の采配で大いに配られた。
わたしは食べるなんてできないほど鼻をやられた気分だったが、先生が「ほー、ほー、」と、丹波の祖母を思わせる息づかいで喜んでいたのが何より忘れがたい。
秋、枯れいくものと、いのちのリレーがはじまる季節。
投稿者 kamimaki : 02:45
2007年08月14日
ミティゲーションの難しさ
ネットニュースで東京都の落合川の付替え工事に伴う原川の埋め立て工事の差し止め訴訟があったと8月10日のニュース。
この訴訟では原告に住民4人のほか、ホトケドジョウ、落合川も名を連ねているんだそう。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20070811004.html
圏央道や有明海などでムササビやムツゴロウが原告に名を連ねた訴訟では、自然物は原告不適格となり却下されている。
それでも名を連ねての訴訟はよく提起されているようだ。厳しい法廷においてはいくぶんユーモラスでもあり、いたって真剣でもある。このためニュースに取り上げられて話題になるのだろう。
ところで落合川では保全措置をまったく行わないのかといえば、そうではない。
都はこの落合川整備事業では環境保全のために相当の努力をしてきた経緯があるようだ。
今回提訴のニュースのリンクにあった保全する会のホームページに工事の概要をしめしたパンフレットが掲載されていた。これをみると、湧水を保全し、湿地環境についても整備するとの内容である。
これはこれでなかなか結構なボリュームのある公共事業といえるだろう。
http://www.ochiaigawa-shoukeikoku.net/
また、都は平成17年度に、「建設技術の活用」「公共事業の進め方やストックの運用等の工夫等」
により、特出した成果が得られた事業を表彰する全建賞を、この落合川整備事業で受賞している。
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/topics-syousai.html
こうした土木関係の業界で高い評価が得られた事業で、工事の差し止め訴訟が起こるというのは、行政において公共事業を担当する者にとっては苦しいところだ。
公共事業において、民意との最終的な調整手段がやはり訴訟にしかない、というのは幾分さびしいような気がする。
どのくらいの意思疎通の機会が住民側と行政の間にあったのかはわからないが、わたしも都市整備部に赴任して若干とまどいをかくせなかったのは、公共事業の用語だけでなく、言語といおうか、ものの伝え方が、ちょっと違うところがある。そしてすれ違ったままであっても、たぶんひとたび決まれば、すすまざるをえないところが、事業の実施側にある。すると、その後の話し合いの機会というのは、本当になくなってしまうし、担当者が途中で変わってしまうこともしばしばだ。
河川事業の目的の多くは、堤防決壊や河川水の氾濫といったハザードの防止にある。土木技術者はその専門家だ。いっぽう、市民団体や環境保全団体は、長年身近な河川に関わってきた、場合によってはNPOの実施する環境保全プログラムを履修したり大学の研究者の指導を受けている自然環境のプロ、あるいはセミプロである。
こうした専門家どうしの会話には微妙なずれが生じることがありえる。特にそれぞれの仮説がぶつかりあうときはなおさらだ。
最近は土木技術者も川の観察会などを主催する側になり、大いに川の環境の大切さを満喫しているところだ。わたしの周囲にも、先日雨を見込んで観察会を中止し現地視察に切り替えたが、晴天となって残念がっている技師さんたちがいた。川に入れば技術者も幼い日の川餓鬼になっているのが目に浮かぶ。そしてそのことと、ハザードの防止という責任ある事業を施行することとは、決して相反することではないのだが、当然のように、優先順位が違う。
わたしからみれば、川に対する思いは、それぞれ深い。それだけに、訴訟のようなことになる前に、適切なコミュニケーターが介在することはなかったのかが気になっている。
工事を先延ばしにすることのリスクと、今ドジョウを移すことによるリスク、それらはいずれも不確実性を伴うものではある。それぞれの仮説を語る場で、ほんの少し、「通訳」がいるんじゃないかな、と感じている。
投稿者 kamimaki : 20:23
2007年07月06日
アレチハナガサ
今日は現地視察で和泉市の山へ。
植生実験をしている一叢のなかに、園芸植物のスターチスに似た草花を見て、(ついつい)写真を撮った。
家に帰って一息ついてから、特徴を写真で確認しながら植物図鑑をめくって調べると、
どうもアレチハナガサ(クマツヅラ科)というらしい。
もともと帰化植物で南アメリカ原産。学名はVerbena brasiliensis(ブラジルのクマツヅラ)。
スターチスとは似て非なるものなのだった。
荒地の、というように、枯れた土地でも育つようだ。
植生の回復実験といっても単に放置しているだけなので、たぶん回復といっても、過去からのこの山特有の植生にタイムスリップすることはないし、2-3年もすればこんなにぼうぼうと生い茂りました、というだけのことだ。なんらのロマンもない。
アレチハナガサもこの山に元々なかった外来種だが、いつの間にか土砂などにまぎれて定着(帰化)したものなのだろう。
大阪市立自然史博物館にいくと、大阪港での荷物にまぎれてさまざまな植物の種が国内に持ち込まれているのを知ることができる。植物でなくても、近年では泉州地域に上陸し、一時世間をにぎわせたセアカゴケグモが、すっかり府内に定着してしまった例がある。
人や物資が移動をする限り、閉じた生態系を守り続けることなど不可能に近い。
だからこそ。
「無為なる人為」は避けなくてはならない。
それにしても、ひさしぶりに図鑑をみくらべて、時のたつのを忘れてしまった!
投稿者 kamimaki : 00:46
2007年06月18日
京都のカフェ-ゆやシトロンヴェール&柴洋
植物園のあとは、地下鉄で三条へ出てぶらぶらと歩き、高島BPでお知り合いになったゆやさんのカフェへ。
■ゆやシトロンヴェール
http://yuya-citronvert.com/top/yuya_top.htm
ゆやさんの安曇川の工房へは一度お邪魔したが、より近いはずの京都のカフェは今日はじめてである。
たしか知恩院の近く・・・と歩いていくとたくさんの古美術のお店のある通り。
ゆやさんのお店にも、古美術がさりげなく。
今金・土・日のみ営業なのだそう。それを聞いてお会いできてよかったなあ、とつくづく。
最近のことをお聞きして、本当に様々なことがあった中で優しい顔のゆやさんに心がほぐれた。ゆやさんがコトコトと柔らかく煮立ててくれたチャイをいただく。
カウンターで雑誌を見ていた女性の方とも話に花が咲く。
それからなんとなく気持ちが京都にいついてしまって、
さらに、とっとと東大路通を歩いて柴洋さんに。
夜の営業は18:30からだった。
ここは友人のhamaさんがこの春から働いていると聞いていた。
hamaさんはおられず、経営者の柴田さん、それからお客さんと子育ての話などしながらオーガニックビールを飲んだ。これが香りがよくてなかなか美味しい。
ここは洋裁カフェという面白い業態で、ちくちくと手縫いを習いながらお茶ができるのだそう。
手縫いもお料理も素材はすべてオーガニック。いろいろ作品をみせていただいた。
スタッフの一員であるフレンチブルドッグのアメリが足元に来て切ない目をする。
実はこの前に一軒、お店が開くのを待つつもりで冷酒を飲んでいたのでけっこう出来上がってしまった。
アメリにはきっとそれがわかっていたような気がする(^^;)
京都ぶらぶら歩きの記。女性のカフェが面白い。
投稿者 kamimaki : 01:20
京都府立植物園へ
京都国際会館での会議は12時30分に撤収。
それで久しぶりに北山の京都府立植物園へ行った。写真はヌマスギの呼吸根。
ヌマスギは北アメリカの杉で、湿地で生育するときには写真のような気根がたけのこのように方々に生えるんだそう。あと面白いな、と思ったのは「バクチノキ」赤い木肌が博打で負けて着ぐるみはがされたようだから?
京都府立植物園ではバラ園なども素敵だが、狙いは「日本の森」である。
北海道からはじまり、九州までの森を再現する植物生態園というのがある。
ハイキングで野山を歩くときのおなじみの木々、植物に出会えるのだが、それを日本の地帯別に植えているのは面白い。
もちろん早春の椿園も種類豊富で見ごたえがあろうが、さすがに夏は無理である。
植物園もいろいろと特徴がある。園の管理者にはぜひこの特徴を最大限に活かした運用をしてほしい。京都では竹園もあるが、これはなかなか見せ方が難しい。たくさんの種類をみることができるが、それが竹の生育環境としてどうかな、と思う点もある。これだけの種類の竹園もそうはないのだが。
広い園を歩きスダジイの林を抜けて菖蒲園をみたあと、エニシダの林の下でついついもってきた文庫本を広げてしまった。気がつくと4時をとうに回っている。さっきから足元に白い蜘蛛が一匹まとわりついて離れない。うっかり巣をはらってしまったのだろうか。
かんにん、かんにん。
■京都府立植物園-6/15現在の見ごろの花
http://www.pref.kyoto.jp/plant/1181719817519.html
投稿者 kamimaki : 00:14
2007年06月17日
産学官連携推進会議
6/16,17は、京都国際会館で産学官連携推進会議があった。
関西ネットワークシステム(KNS)もブースを出しているのでほんのちょっとのぞいてきた。
わたしはこの日だけ(それも1時間程度)だったが、世話人、メンバーは金曜夜から前夜祭にはじまり大いに盛り上がったとのこと。にぎやかでたいへんよかった。
たくさんある産学官連携組織の中で、関西ネットワークシステムはやっぱり少し異色?
キーワードは産学官「民」連携で、「民」が入る。
わたしも一度も商工・産業分野の仕事はしたことがない。
しかしある日発起人の一人である友人から「扇町で飲んでるけどけえへん?」の電話でホイホイでかけていき、今仕事は何してるの?とほかの方から聞かれた。
「今年からリサイクル、っていわれているねんけどようわからへんねん」というと、「じゃ一緒に研究会やる?」とさっさとメンバー入りが決まってしまった。
関西ネットワークシステムの本拠は扇町の大阪市水道局庁舎の2階、インキュベーション施設のmebicというところである。さきにも述べたように、仕事で商工・産業分野であるとは決していえないが、強いて関西ネットワークシステムとわたしを語ると「ご近所さん」。自宅から自転車で10分とかからない。
産学官にプラス民。集まる人は鉄を截る人もあれば螺子をつくる人、雅な錦を織る人もあれば、クリエイター、プログラマー、マーケッター、シンクタンク、行政マン・・・様々で面白い。そして最後は「かならず(K)飲んで(N)騒ぐ(S)」。
産学官民連携は、まちづくりに似ている。
投稿者 kamimaki : 23:43
2007年06月15日
蛍の思い出
いただいたメールにホタルのことが書いてあり、郷愁に誘われた。
母の実家は兵庫県多紀郡丹南町。今は篠山市に合併したけれど。
最後に訪ねたのは祖母のお葬式以来でずいぶんになる。
三方が山に囲まれた住山の集落ではこの季節になるとホタルが舞う。
田舎に行くのは決まって夏休みと冬休みだが、その夏は蛍狩りに出かけた。
空は満天の星だがちょうど月はなかったように思う。
そんな田舎の夜はたいそう暗い。
虫取り網でとるのかと思えば竹箒を渡され、さあ、ホタルを取りにいくで、という。
遠くに行くわけではない。祖母の庭先の石段を降り町道に降りると、もう、目の前の田んぼのそこかしこからホタルが舞い立ち舞い降りる。
光ったり消えたりするのはホタルやけど、ずっと光っているのは蛇の目玉や
と誰か大人がいう。もうそれを聞くだけであぜに寄るのも恐ろしいけれど、ホタルの群舞に向けて竹箒を一振りすると、その中にホタルがたくさん入ってくるのだ。
夢中でそれを手でつかみ出し、虫かごに移す。
星をつかまえたようにわくわくしたのを昨日のことのように思い出した。
静かな田舎の夜のたんぼに、都会から来たわたしたち姉弟の声があがると、さっきまで高らかに恋の歌を歌っていた蛙がちょっと声をひそめ、喉を鳴らす。
何も見えない闇夜でもそうしていると目が闇に慣れてくる。するとやっぱり蛇と目があうかも知れないと怖くなる。ホタルの入った虫かごを抱えて、竹箒は投げ出して明るい家に逃げ込んだ。
電気を消した玄関の三和土のすみに虫かごをおいて、点ったり、消えたりする青いような、緑のような、黄色いような光を見ていた。そのうちに、これまたこわい五右衛門風呂に入ったり、玄関から入った蛾や虫を寝間から追い出したりして寝入ったあとも、ホタルは光を放ち続けていたのだろう。
朝になって、この首の赤い黒い虫がホタルなのだとまじまじと見た。
光は嘘のように弱弱しくなっていて、大阪に帰りついても元気に生きているのはわずかだった。
ああ、捕まえないでおけばよかったなあ、とちょっと後悔したものだ。
ホタルの幼虫はカワニナを食べて成長するのだそうで、丹波のホタルは祖母の家から100mほどの小川から農業用水路にかけて生息しているようだった。この小川では本当によく遊んだ。ミズカマキリやイモリ、小魚をすくいに行って、ここでも蛇に追いかけられて(相手は追いかけているつもりはないはずだが)転びながら泣き帰ったあぜのそこここにカワニナはいた。
ところで田舎の自然の小川は公共事業で一変してしまった。
ホタルも減ったンえ、といつだったか祖母が話していたような気がする。
そのことがほろ苦い。
投稿者 kamimaki : 00:05
2007年06月10日
マレンマ州立公園の記事より
少し前の記事だが、EICネットの記事を読んでいると、イタリアトスカーナ州のマレンマ州立自然公園のことが書かれてあった。
http://www.eic.or.jp/library/pickup/pu070419.html
要約すると、
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マレンマ州立公園は、トスカーナ州南部の地中海沿いに位置し、1975年に設立。公園面積は約1万ヘクタール、その周りのバッファーゾーン(緩衝地域)も約1万ヘクタール。
豊かな自然と、伝統的な田園風景が公園の魅力。公園中央部には緑豊かなウッチェッリーナ山脈が走り、地中海に注ぐオンブローネ川の河口には、多くの野鳥が訪れる湿原が広がる。
ビジターセンターでは様々な質問に答えてくれるほか、物産も購入できる。公園の足は自転車で。
湿原に入るには、入場料(3ユーロ、約450円)が必要。
入場料収入は年間36万8000ユーロで、公園運営予算(約236万ユーロ)の約16%を占める。
これらの入場料は、公園内の清掃、修復、調査研究や保険にもあてられるという。
マレンマ州立公園のもう一つの大きな魅力は田園風景。州立公園と地元の農業団体の間では、2000年に全国にさけがけて公園内での農業に関する協定が締結。この協定では、農業を「生物多様性や公園の多様性を豊かにする要素」と位置づけ、農業への財政的な支援(補助、補償)、アグリツリズモの振興、地域の特産品の保全といった取り組みを進めていくことが盛り込まれている。
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この記事を読んで気をひいたのは、1ユーロ160円として、公園の年間予算は3億7700万円。こんなに大きな規模の公園運営を州がやっていることへの驚きがある。
日本でいうところの国定公園は都道府県が国に希望して指定を受け都道府県が整備、管理運営しているが、私有地が多く保全がすすめられない、予算が足りないなどの問題がある。
■教えてgooナショトラおじさんの環境Q&A
http://eco.goo.ne.jp/education/ntrust/nature/nature22.html
そんな中、わが国では国立・国定公園の指定及び管理運営に関する検討会議が昨年度から始まっている。新生物多様性国家戦略に基づき、これまでの国立・国定公園を見直し指定変更など大胆な改革に取り組む模様だ。
■環境省国立・国定公園の指定及び管理運営に関する検討会議
http://www.env.go.jp/nature/koen_kento/index.html
興味をひいてググってみたが、自然公園に関する基礎的情報がなかなか集まりにくいのを感じた。
まず予算や規模、担い手などの情報がみえると、これら検討会の会議のなりゆきも見つめていきやすい。なにより専門家ばかりの視点でなく、自然公園に関与する多数のステークホルダーの意見を広く求めてほしい。
環境保全活動に関するアクターがわが国でも増えてきた。しかし環境保全の仕事で食べていける(まったくボランタリーでない程度の)人は少ない。パークレンジャーが完全な人手不足だといいながら、予算もつけず、利用者への費用負担も利用上の義務も設けずに文句だけいっている場合も多い。
マレンマ州立公園の管理運営が適切かどうかまではこの記事からはわからないが、過去にイタリアを訪問したときに感じたことは、役所は比較的最低限のところまでしか手をださず、社会協同組合などNPOセクターが大きな担い手になって採算をとりながら社会費用を低減している社会と見受けた。
もちろんそのような形態に特段の「手厚さ」はないが、国民はそれをほどほどに感じているのかな、と思ったりもした。
個人的には都市に住むわたしは、「自然環境保全への支払いを積極的にすすめよう」と真剣に考えている。
日本の自然公園も、入場料をとりお土産を売ってよい。また私有地の所有者との関係改善も重要だ。たくさんの開発上の制限があるなか、土地所有者と環境保全セクターがwin-winになれる方法を総合的に考え出していく時期になっている。
■マレンマ州立公園(English)
http://www.parco-maremma.it/Inglese/index1.htm
投稿者 kamimaki : 09:16
雨あがりの中之島
毎週のように中之島へ行く。阪大の講座のためだが、今は大阪大学中之島センターの周辺は更地に近く、前では京阪電車中之島新線の工事をすすめているところ。
ここいらは、以前阪大医学部があった。
わたしは中之島の阪大医学部というと二つの風景の記憶がある。
夾竹桃のピンクの花が咲き乱れる炎熱の中を、母に手を引かれて歩いていた。
一つ違いの姉が階段から落ちて頭に重傷をおった頃のことだ。
母は、大学病院に検査にいくのよ、といって、たぶん3-4歳のころの私も家で留守番しきれずについていったのだろう。そして頭部の検査のために、頭にヘルメットのようなものや、たくさんコードを着けられて眠ったように目を閉じている幼い姉の顔。
そしてもう一つは遺体の記憶だ。
勤め始めた頃、人事課勤務で医学部の中にあった監察医事務所へ出勤簿や公用車の使用簿の調査に行った。解剖をみていかれますか?といわれ解剖室の入り口に立つと、この日は若い人と、お年寄りの解剖を行っていた。若い人は運動中の急死で、お年寄りのほうは死後2週間程度たって見つかったとのことだったように思う。監察医事務所では、このように死亡原因のよくわからない遺体の解剖をして死因を特定するのだと言っていた。
わたしは結構肝の太いほうだとは思うが、さすがにそれからしばらくは、果物の匂いに死臭を感じて食べられなかった。
今の中之島には、その二つの記憶を思い起こさせるものは全く残ってはいない。
でもわたしは今でもピンクの夾竹桃をみると、中之島の記憶が、姉と、お年寄りの紫の手と、そしてかすかな果物の匂いとが、かげろうのように浮かび上がってくるから不思議だ。
新線が通ると、ますます中之島あたりは変わるのだろう。
でもたぶん、わたしの記憶は、変わらない。
そして夾竹桃の花に寄せて、ほんの少し祈る。
姉のあいかわらぬ健康と、人知れず亡くなられた方の冥福を。
投稿者 kamimaki : 00:22
2007年06月02日
長居植物園
気分転換に長居公園の植物園に行って来た。
アジサイ園はそろそろ見ごろ。ただ、ここは神戸森林植物園ほどの規模ではない。変わった品種はいろいろ植わっている。
「紅」という品種のが、とてもかわいらしかった。
バラ園も素敵だが、バラといえばやはり中之島。
ここでは2006年の世界バラ会議を記念したコンベンションローズ、「ローズ・オオサカ」があると聞いて楽しみにしていたけれど、葉に黒斑が出ていて元気がなかった。病気には弱い品種なのかもしれない。
写真は「ピース」という品種。
植物園は24haあり、いい風が吹いていた。
歴史のある園だけに森も深い。
さてそろそろ帰宅しようかと門に近づくと、スモークツリーというのがあった。綿菓子みたい。
ウルシ科らしい。学名はCotinus coggygria
植物園の楽しさは知らない花々との出会いでもある。
投稿者 kamimaki : 22:19
2007年06月01日
吉野家ディーアンドシー
昨年10月から大阪大学大学院工学研究科の環境リスク管理のための人材養成プログラムを受講している。
http://risk.see.eng.osaka-u.ac.jp/
この前期で履修届を出したうち、リスクマネジメントの授業では、ワークで企業を一つ選んで環境リスクになりうるビジネスプロセスなどを書き出すことに。
わたしが選んだのは牛丼の吉野家。
http://www.yoshinoya-dc.com/
食中毒、食の安全リスク、店舗火災、深夜営業時の犯罪被害、労務管理をあげてみて、影響度と頻度でレベルわけし、優先順位をつけてみる。
これをグループディスカッションし、結果としては
(1)食の安全リスク>牛肉の輸入停止措置などは経営方針の変更を余儀なくさせられる深刻かつ重大な影響度があるとした
(2)食中毒>これは頻度が大きい。しかも発生状況によっては顧客の死亡や重症患者の発生、営業停止、客離れにつながるので2位
(3)は迷ったが、全社的にやはり深夜営業という業態がもたらす労務管理の難しさ、過重労働、それに伴いうっかりミスによる不慮の事故などの要因が大きいのでは、という内容になった。
これらに対応するリスク対応の追加方針としては、(1)分散型調達の実施(2)衛生管理マニュアルの徹底のほか抜き打ち調査(3)同じく労務管理マニュアルの徹底は大事だが雇用形態からいって難しい、休憩施設など福利厚生に力を入れるなどの議論が出た。
いずれも机上だが、ディスカッションは企業からの受講生の方、実際に深夜営業のアルバイトをしている友人のある大学院生の方の意見をききながらで、有意義な時間だった。
投稿者 kamimaki : 22:55
2007年03月10日
水道水の味
閣僚が事務所費に多額の光熱水費を計上していた問題で、「水道水を飲む人はいない」と発言したことに苦情が寄せられているという。
水道蛇口から直接水を飲んでも大丈夫、というのは日本が世界に誇る行政サービスの一つである。確かに昔はこの水道水で髪を洗うのもいやだった。夏場はかびくさく、子供の頃は沸かしたお茶しか飲んだことがない。それでもここ10年の間に高度浄水処理が進んだ。今は安心して水道蛇口からごくごくやっているのはわたしだけ?
東京都千代田区の水は東京都水道局が供給しているものだ。都はどうなのだろう、とググってみた。
すると「蛇口回帰推進計画」なるものを発見。
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/press/h18/press070130.htm
これを見ると高度浄水処理を実施しても、都民の3割は水道水に満足をしていないという結果だそうだ。
なるほど、以前からの「おいしくない水」のイメージが払拭されず、品質を向上しても受け入れてもらえない、という背景がどこともあるようだ。
また、これは個人的なイメージだが、配水管などの老朽化や鉛の浸出、集合住宅の貯水槽の衛生管理の不全を心配し、やっぱり蛇口はネ、という消費者も多いのではないか。
それを逆手にとったビジネス?かどうかは知らないが、大阪市水道局はボトルドウォーターの宅配をはじめるようだ。現在企画コンペを実施中。
http://www.city.osaka.jp/suido/news/info/h18_shimo/takuhaicompe.html
ところで、かのザ・ボディ・ショップの創業者アニータ・ロディック氏は、水道水以外は飲まないと過去のインタビューで読んだことがある。水という公共財を大手の企業が独占的に商品化し儲けていることをアンフェアだと彼女は言う。水道水を飲むことは決してビンボーでもしみったれでもなくスーパーかっこいいことだと感じたことを思い出したりもした。
この際、閣僚の皆さんには、高額の光熱水費を返上していただき、わが国のおいしい水道水をPRし、美しくフェアな国日本のイメージアップにまい進していただきたいものだ。
アニータ・ロディック氏のHP
http://www.anitaroddick.com/index.php
投稿者 kamimaki : 13:43
2007年03月03日
戦略的環境アセスメント(SEA)
環境省は標記ガイドラインについて15日まで意見募集を行っている。
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8098
このSEAの導入にあたっては経済産業省、国土交通省は反対の立場という。
現在の環境アセスメント制度ではよほどでなければ事業が否定されることがない。
希少動物がいても、目立つものには何らかのミチゲーションの措置を講ずればよい。
住民参加も意見を聞きおくことに徹している。事業推進の立場からいえば現行制度のほうが何事においてもスムーズなのだ。開発を地元が要望していることも多い。
現行制度というのは、お上の一人勝ちだとつくづく思う。
わたしは昨年環境部から異動し、土地収用制度を担当しているが、現在のところまだ環境保護運動とぶつかりあうことがない。しかし都市化の進んだ大阪とはいえ、自然の豊かさを感じる場所が残っていないわけではない。また都市部であっても、ここでは死に絶えたと思われていた生物が環境評価を通じて発見されることもある。環境保全に関しては積極的に取り組みたいと願いながら仕事をしているが、情報不足に悩むことが多い。
脱ダム派と思われている滋賀県の嘉田知事が、県内のいくつかのダムで事業推進に理解をしめした、という。ダム計画直下に位置する流域被害の過去・現状など、公約よりも人命を尊重する立場になればそうした判断もやむをえないこともあるだろう。
ただし県が計画するダムなどは、そもそもアセスの対象になるほど大規模なものばかりではない。しかしダムは谷あいを水没させてしまうものであるから生態系を損なうことは必定で、アセスに近い方法で環境影響が評価されたうえで事業が進められる。どうしても限定的な評価にとどまらざるをえない。
他県の大規模開発事業では、環境破壊を理由にいわゆる一坪運動(わずかな土地に数百人が登記をしたり木を植えるなどし権利を主張する反対運動)などがおこり、末端の公務員と環境保護運動家が激しくぶつかり合っていると聞く。しかし土地は必ず収用され、事業に用いられる運命を、この段ではもうくいとめることができない。さて、SEAを導入すれば、そのようなことが避けられるのだろうか。
国に先駆けてSEAの概念を導入している自治体もいくつかある。
東京都や埼玉県、京都市など、意外に大都市圏である。確かに多数の人口を抱え、都市整備が十分進捗し、地域経済の公共事業依存度が低ければ、SEA導入に対する敷居はそれだけ低くなるかもしれない。
■東京都の環境アセスメントとは
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/assess/hand/asess.htm
■埼玉県戦略環境アセスメント制度
http://www.pref.saitama.lg.jp/A09/BE00/asesu/1_5_SEA/SEA.html
■京都市計画段階環境影響評価(戦略的環境アセスメント)要綱
http://www.city.kyoto.jp/kankyo/envm/assess/sea/hyoushi.html
これらの先行事例が実際にどのような環境保全につながり、事業推進においてどのような影響を及ぼしたのか、検証する方法はないものか。現場の実務者として、知りたいところである。
投稿者 kamimaki : 15:42
2007年03月01日
地域の公共交通
わたしは大阪は十三生まれ、駅から徒歩7分で何でもそろう。必要にかられたことがなかったために、中学3年まで自転車も乗れなかった。さすがにそのため「天然記念物」というあだ名を拝命していたのだが。今の住まいもJR天満駅から徒歩5分。正直どこへ行くのも交通という点で困ったことがなかったのである。思えばなんという世間知らず。
ところが、3年前、徳島県上勝町へ視察に行くときには本当に困ってしまった。公共交通がないのである。大阪からレンタカーで、視察者の方に運転してもらいなんとかなった。当時上勝町では、福祉ボランティア輸送の特区の指定をうけていた。町内にあったタクシー会社の撤退を受けて、高齢の市民の移動を確保するための画期的な特区提案だった。
http://www.kamikatsu.jp/mayor/tokku_keikaku.htm
視察が終わったあと、このこと