2008年04月29日

100人プレゼンのあと

土曜日はメビック扇町で、参加している関西ネットワークシステム(KNS)の第21回定例会があった。
http://www.kns.gr.jp/report/343.html

KNSとわたしとのかかわりは、2002年の大阪ミナミのくいだおれ。
友人の誘いでINSinおおさかに参加し、岩手大学の先生方や産学官のメンバーが座敷の2枚の座布団に3人が座るという混み具合で熱心に事業報告、研究報告を語り合っている。その後多いに飲みながら、分け隔てなく語らう姿に圧倒された。

関西にもこんなフラットな産学官連携組織を、と発起人がその後集まりKNSが発足。わたしはKNSの本拠をおいた大阪市旧水道庁舎にあるビジネスインキュベータ、メビック扇町の近所に住んでいて、後から行われた世話人会議の打ち上げにホイホイとママチャリで参加して、研究会の立ち上げに関わったことから世話人のひとりになったのだった。仕事は当時環境部。未だ産業振興部門にはいたことなし。自分は産学官民のどのセクションかあえていえば民なのかもしれないが、まったく分け隔てなくメンバーの一人として尊重されているのを感じている。

世話人は20人ほどいて、東北、関東、中部、中国地方など各地に支部あり、皆仕事をそれぞれに持っている。アフターファイブに手弁当で集まって、研究会や定例会を企画運営している。会費はなし。会合に2回以上参加で2人以上の推薦があってはじめて入会できるきまりで、現在200余名の会員がある。そんな志をおなじうする人が各地の大学やインキュベータを使用させてもらって研究会などを実施しているが、土曜日は北は北海道から南は沖縄まで、約230名が集まって、異分野の100人がプレゼンをする非常ににぎやかな会になった。わたしは一部の司会とKNSの活動紹介をさせていただき、そのうち20ほどの報告を聞くことができた。

心に残るプレゼンはたくさんあったが、個人的には、ある夜1本4万円のカルチェのボールペンに、記念の言葉を入れて欲しいという一本の電話を受けた名入れやさんの話が心に残った。どこの企業も失敗したら4万円というリスクを負いたがらないことから、断られ続けたクライアントさんが夜中の9時に行き着いたのがこの企業さんだったという。この一本のカルチェのボールペンがきっかけになって小ロットで仕事を請け負うニッチマーケットの開拓をしているところという実にシンプルなお話だった。個人的にこうしたニッチマーケットのお話は大好き。今儲けないで時代をみている。そういう感じがある。

産学官連携組織といえば、大学の研究室と共同開発した特許もんの事業が活動の成果と思われるところであろうが、KNSでは、もちろんそういう事業もあれば、福祉作業所がまちばで開いた地域交流スペースの話題も、ケータイを使ったアンケートシステムの話題も、ゲームを利用した筋肉リハビリシステムも、小ロットのニッチ・マーケットの話題も、分け隔てなく語られてそれぞれが心に何かお持ち帰りする。お持ち帰りしたものがあとからつながりをみつけて連携していくのは本当に自由気ままなインプロビゼーションにまかされていく。だからあとから、「えー、そんなことになっていったの!」と、驚かされることもたまにある。

自分の仕事を語りたい、という人が100人も集まれば、さながらまちのようである。
ものづくり、商品開発あり、医療や福祉、IT、マーケットサービス、大学での研究、それに行政の仕事を語る人もある。ある意味これまでの集大成のような会になって、終わってから数日が過ぎたがまだ心に深く、それぞれのプレゼンターの言葉や思いが残っている。

KNSは発足から5年目の春になり、本拠を大阪大学先端科学イノベーションセンター兼松研究室に置く。
さよならメビック、ありがとう!そしてこれからもよろしく。
今後も面白い活動を、皆さんとどんどんやっていきたい。

投稿者 kamimaki : 16:56

2008年03月28日

カナダの昆布

駐日カナダ大使の講演会へいくことに。

大使の話題に「よい外交官とすぐれた外交官」というのがあった。
よい外交官は国益を守るために活動する。
すぐれた外交官は、より広い国々の益になるために活動する。
とのことであったように思う。

大使の今訴えたいことは、自由貿易協定の締結である。カナダにも日本にも益があることだという。もちろん農業は、ほかのどの産業にもない独特の課題をかかえていて、それはカナダも日本も同じだという。

大阪農業は軟弱野菜の供給を主とする近郊農業であるが、そうはいっても自由貿易協定でカナダの市場に入り込むには食文化の違いに大いに差異がある。大阪のふきや若ごぼうは美味しいけど、カナダにそれを食べる文化はないんだなあ。

逆に日本には、洋食文化が食卓におおいに普及していて、カナダの農産物を受け入れる準備はできている。これは日本側の勝ち目の薄い分野であることは明らかである。また、単品でもコンブの市場は注目されるんではないか。大阪はコンブ加工と流通の拠点的要素がある。この冬の北海道コンブの不漁は、年末の贈答市場に多いに影響を与えた。カナダでは先住民の食文化に子持ち昆布が用いられるというが、ほとんどのカナダ人は昆布を食べたりしないのではないか。カナダの昆布が日本に持ち込まれれば関西の老舗がどんな反応を示すだろうか。

自由貿易協定の前に、日本は自国の食文化の継承や普及にまったく後手であったことが悔やまれる。しかし戦後の学校給食による急速な洋食文化の導入などは、ある意味避けられなかったことなのだろう。

この巻き返しに、自治体として取り組めることがたくさんあるんじゃないだろうか。そんなことを考えさせられる講演だった。日本食はエキゾチックであるだけでなく、ヘルシーである。ひょっとすると、わが国の地方農政の現場にいる職員こそ、すぐれた外交官の素養が求められているのかもしれない。

投稿者 kamimaki : 22:56

2007年05月06日

針畑の美味しいもの

昨年夏前に、ぶらりと訪れた滋賀県高島市朽木針畑郷。
連休を利用して再訪した。大阪からは、JR湖西線安曇川から江若バスでまず朽木学校前へ。
それから12人乗りの市営バスで山に登る。約1時間かけて終点の生杉へ。生杉のどちらへ、と聞かれるので山帰来へお願いします、というと、途中で降ろしてくださる。

この「山帰来(さんきらい)」という都市と農村の交流館は、NPO法人朽木針畑山人会が運営している。
http://www.ex.biwa.ne.jp/~yamabito/
わたしはここの針畑郷ブログの愛読者で、丁寧な里山に暮らしに心ひかれて訪れたのだった。
http://www.ex.biwa.ne.jp/~yamabito/

山帰来では、ちょうど喫茶で提供する栃の実入りのお餅つきを終えたところのようだった。
丸めたお餅が行儀よく、木箱の中で落ち着いている。
ここでは京都で手打ち蕎麦を修行した山本さんの手打ち蕎麦をいただくことができる。
これが大変細く切ったお蕎麦で、冷たくても暖かくしても実に上品なのどごしである。

また、北新地の高級料亭で料理人をされていた小森さんも最近になってこの山帰来で食事の提供をはじめられた。季節の蕨など山菜をふんだんにつかったお寿司には不耕起栽培で作ったお米、黒米などが用いられていてほんのりと暖かい甘さがある。それに蕎麦の実をふんだんにつかった冷汁。きりりとしたからし酢味噌のかかった地元産のこんにゃく。全体のハーモニーは絶妙。さすがは新地の腕前である。

また小森さんの奥さんのパンの試作も味見させていただいた。全粒粉のすこし重たい持ち味を素直に出した美味しいパン。お土産にわけていただいた。手前は地元産の黒米。
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この館の隣では、針畑ルネッサンスセンターという商品開発棟がある。この道は、昔若狭から都へ鯖を運んだ道として「鯖街道」と呼ばれているそうだ。そこで鯖のへしこを発見。これは娘と京都で手作りをした経験がある。思わずお土産に購入。
それから蕗の佃煮、手作りこんにゃくも。
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この地域は旧朽木村の中でも特に山深く、集落は高齢化が進展している。
朝早くから地元の産品を持ち寄って、商品開発をされる地元の方に混ざり、ここ数年、京都や大阪からNPO法人の活動に参加する人が増えてきたようだ。
朽木は高島の宝、とは、大阪から移住してきた。榊さん。
榊さんも写真ブログでこの地の魅力を伝えるお一人だ。
http://kutsukikog.exblog.jp/

この日は針畑郷に一泊。テレビもラジオもない久しぶりの田舎の夜。
夜8時。見える明かりは一軒の家の明かりだけ。
静かなようだが、ケロケロリ、ケロケロリと、かわいい蛙の鳴き声がいつしか大合唱に変わる。
電気を消すと、闇と同時に眠りに包まれた。

朝ごはんに、おすそ分けのホットケーキを分けていただいた。
これにこの地域の栃の蜜を塗って食べる。清水(しょうず)で淹れたコーヒー。
朝から雨が降っていたが、雨にぬれた針畑の新緑の美しさに、心洗われ、この地をあとに。

針畑の皆さん、どうもありがとうございました。

※このほかの美味しいものはこちらのページもご参照ください。
http://www.ex.biwa.ne.jp/~yamabito/sankirai/buppan.html

投稿者 kamimaki : 19:53

2006年10月06日

螺鈿織物をたずねて

9月30日。京都府京丹後市丹後町の民谷織物さんをお訪ねした。
大阪からは、福知山線、宮津線を乗り継いで、約3時間。
隣の府県だが、東京へ行くよりも時間がかかってしまう。関西は広い?

民谷さんは、関西ネットワークシステムのイベントで「螺鈿織物」をご紹介くださったのだが、わたしは別の分科会で司会をしていたため、ゆっくりお話を聞けずにいた。ちょうど同市役所に友人があり、機会があれば、ぜひ工房を見学させていただきたい、と思っていたところ、京丹後を訪れるチャンスがめぐってきて、一緒に訪問させていただいた。

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写真は民谷共路さん。そしてデザインにあわせて和紙に螺鈿を貼り合わせてるところ。
そしてこの次は横糸として使う裁断された螺鈿の箔紙。
さらに、次回はパリに出展されるという豪奢な打掛のアップ。

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この織物の歴史は、約30年前、民谷さんのお父様が、本物のアゲハチョウを織り込んでほしいというクライアントのオーダーに、蝶の胴体の部分に螺鈿をお使いになったのがきっかけなのだそうだ。
螺鈿とは、黒蝶貝などの真珠貝の内側の、真珠質を薄く研磨したもので、いわば真珠と同じ宝飾品だ。この螺鈿を貼った箔紙を、横糸にするため細かく裁断する。裁断の幅は一寸あたり40-50本、これが多いものだと90本ほどの細さで加工されるのだそうだ。

織り上げる工程では、この横糸を一本一本、手で織り込んでいかれるというから驚きだ。そして見事な打掛は生地全般にふんだんに螺鈿が織り込まれており、まさしく孔雀のように華麗なものだった。

話題はそこから、絹織物業界の話題となり、西陣もさることながら、この地方でもここ数年でやめてしまった織物職人さんは非常に多い。もともとこの丹後地方は、いわゆる丹後ちりめんの産地で西陣を中心に出荷をしていた。西陣の不振がそのままこの産地を直撃しているという。
民谷さんはこの螺鈿織物による袋帯の生産だけではなく、織物職人さんをたばね、西陣からの受注を代行して請け負ってこられた。途中、人に道を尋ねたら、「大きなおうちですよー」とのことだったが、本当に立派なお宅であった。職人さんを束ねてこられたからこそ、この地域の織物業の疲弊に、大きな責任感を感じておられる、そんな印象があった。

「10年後に、自分だけ生き残っても楽しくないでしょ?」
この言葉、ハッと、心に響いた。今、身の回りの社会で、自分だけの生き残りを図ろうという人が多い中で、とても大切な感覚ではないか、と思う。

それに、さすがに、高度な織物技術をもつ地域だけあって、見せていただいただけでも、芭蕉布、藤布など、ちりめんに限らず多様な織物技術のデパートになっている。ほかの産地で職人さんがやめてしまってできなくなった加工を請け負うことも多いのだそうだ。だからこの産地が潰えることはやはり日本の織物文化の存続にも影響を与えることも予想される。

「10年間、何もしなかったら、本当になくなってしまうかもしれません。」にこやかだが目は真剣だ。
「今、いろんな取り組み、小さな仕掛けをどんどんしていきながらネットワークを重層化していきたいんですが、役所は、府もあるし、市もあるけど、本当にこの地域を考えているのはどこなのか、また、業界団体はあるけれど、若い人がいないんで、いろんな方法を模索しているところなんですよ。」

「それに、これまでこの産地は、白物をやっていた関係から、付加価値をつけて売ることが身についてないんです。」
一つの完成した価値をもって売る技術、マーケットに訴える力を持つことも、同時平行で。民谷さん方が、挑戦すべき分野は多そうだ。

とても美しいお宝と、そして志を感じる地域の産業ネットワークづくりのお話を聞かせていただいて、あっという間に時間が流れていくようであった。

帰りし、わたしの実家のある十三は喜八洲の最中をお渡ししたら、「僕、この辺でアルバイト、してたんですよ。学生時代。」と、おっしゃられる。追手門学院大学のご出身なのだそうだ。
すると一緒にたずねた友人が「僕もですよ」と、同窓モードに。関西は、広いようで狭かった。

投稿者 kamimaki : 20:13