2005年05月29日

学童保育経営レポート(4)

学童保育とサステナブル・ガバナンスの問題について常々考えるところがある。
子供たちの身体・精神が飛躍的に成長する時期にあって、相当の生活時間を学童で過ごしている子供たちは、学童での生活をどのように考えているのだろうか。経営そのものに子供たちも意見をのべていくことが必要なのではないか、というのがある。
一般的にいえばCS調査なのかもしれないが、どうもそれでくくってしまっていいものか、わたし個人の答えはNOである。

実際幼児保育そのものが公共からもしくは企業化した主体から完全供給されている都市型の生活は、お金さえ払えばやってもらえる、文句をいえばかなえられる、とかく・・・してもらえるものであるという幻想が実は家庭生活に根強く浸透してしまっている。しかし子供たちはお金もなく文句をいう言葉のちからもなく、あるがままの中で生活の場として与えられた場にいることを義務づけられているのである。
そのような楽の中には、じっさいは苦もあり、といって、このぐらいのお金でこの程度のサービス、とうコスト感覚などあろうはずもない。学童のいごこちを作り出しているのは実は子供たちが、成長しながらその与えられた場を、指導員と一体となって居心地よくマネジメントしていくことそのものにかかっているのである。
試みに、児童へのアンケートをこの春はじめて実施した。よい意見もあればそうでない意見も多々あった。今後子供たちとも経営の評価をしていければよいのだが、そのためのツールは試行錯誤の中である。


また近隣住民からの協力や監視も強力なガバナンスツールとなる。過去、ただ迷惑施設として存在していた学童が最近地域の中で立ち位置が変容してきている。それは子供という公共財へのパブリックアクセスの場としての可能性に地域が気づいてきたことである。民設民営で、学校の中で隔離されていないからこそ生み出されてきているこの新しい可能性をどうはぐくんでいくか。
防災・防犯という接点など、地域と協働して取り組みながら、地域住民の参加もいただけないか。これも試行錯誤である。

学童保育の経営に関し、わたし個人の任期は今年1年である。共同経営の最高責任は毎年3年生の児童の父母が請け負うことになっている。3人の子供がいるために、会計、会計監事、副会長、会長代行と、ほとんど途切れることなくかかわってきた学童の経営であるが、あの危機的状況であった1、2年めに徹底的に確認し続けた学童の存在意義を忘れることのないよう、残りの任期を共同経営責任者総意で取り組むとともに、上手に次にバトンを渡せれば、と思っている。

投稿者 kamimaki : 23:32 | コメント (6)

学童保育経営レポート(3)

経営上の問題は経済資源だけがその主要なものではなく、むしろ人的資源の確保向上は最たる重要課題である。特に保育サービスである以上、サービスの需要主体は人、しかも学齢期の子供たちであり、まさしく「なまもの」を扱う微妙さがある。
ここ6年間にあった大きな変化は指導員の産休、代替要員の採用、復帰後の勤務形態の変更、退職、そして新規採用、さらに別の指導員の退職と新規採用とめまぐるしい変化の連続であった。
過去にさかのぼるには資料が不足するが、指導員の勤務年数は長くて7,8年、短ければ数ヶ月である。

勤続年数が短期になってしまう原因には次の問題があった。
(1)指導員個人の適性
(2)指導員個人のキャリアプラン
(3)長期雇用に耐える人事制度の不足
(4)社会保障制度の不足
(5)学童指導員という業務特性

(1)指導員の適性は、実際に「子供が好き」であっても、それを職業性をもってあたれる人材かあたれない人材であるかの見分けは非常につきにくい。また当初適性に疑問があった場合でも、「なまもの」の子供たちの成長とともに大きく伸びた人材もある。まさしくスタッフも「なまもの」であり、経営主体である父母会が実際は自らの仕事のために現場にいない以上、きわめて見極めが困難であるほか、資質向上のために具体的にうてる手立ても十分ではない。

(2)指導員のなかには、実際は腰掛けとして指導員という職業を選んでいるにすぎない場合も少なくない。少子化の影響で公的あるいは民間の保育事業の縮小がすすむなか、保育士や幼稚園教諭などの資格取得者が他の保育施設での適切な職を得ることが実際難しくなってきている。保育所で幼児を相手に働きたいと思っているが就職できないでいるので学童指導員の求人に応募する。であるので適切な就職先が決まれば指導員を辞する。

(3)過去の経営悪化の経験上、給与の引き上げに対する父母会の不安が大きいことから、昇給制度や退職金制度が未整備であった。また時間外勤務や年次休暇制度などの未整備もほとんど議論されていなかった。

(4)正規職員数が最大で2名という中で、社会保険制度の適用は常に先送りされてきた課題であった。せめて雇用保険制度の導入をと動いた時期もあったが、共同経営形態が足かせとなり、毎年代表者が変わる事業所への役所の反応(わたしは怠慢だと思うが)は冷たく、民間保険にたよらざるを得ない。

(5)これはずばり体力問題である。活発な子供たちと室内外で体を使って働く職業であることから、年齢が高くなってくるとたいへんにきつい労働となる。

毎年代表者を変えながら運営していく方法は、これら人的資源の確保向上に対して部分最適はとりえても全体最適をすすめていくことは容易ではない。この中で前進できた内容は、(3)の労働条件の確保と明確な契約行為、各種制度の明文化と実施促進のみである。(4)については継続的に検討をすすめなければ、実質上(2)の課題を解消できない。しかし一方で、(5)の問題など、学童指導員の「旬」の時期があるのもまた事実であり、理想的な勤務年数とキャリアプランの整合をとった採用のありかた、そして指導員の経験が次のキャリアへプラスに働くよう向上させていくかは、手間がかかるが実際真剣に取り組まなければならないことである。

子供が成長するように、そこで働く人もまた成長するのをどのようにサポートしていくか。方法論としては資格のない指導員が資格取得することを応援することもあれば、一定の年数勤務し実績をあげれば上位の地位につけ履歴事項に掲載できるような計らい(昇格)をしていくことが考えられる。
現在これは試行中で、さ来年の転職に向け準備をしている指導員をあれこれとたたきあげているところではあるがさてどうなるか。トライ&エラーである。

投稿者 kamimaki : 22:36

2005年02月21日

学童保育経営レポート(2)

N学童の危機的状況を分析すると、まず第1に、入所者の減少があげられた。
当時の経営水準でいえば、年間に助成金対象となる1~3年生25名の確保が損益分岐点であった。それが新規入所がわずかに4人、全体でも損益分岐点に9人も足りない。保育料の値上げは必至であった。

第2に、損益分岐点の見通しを難しくしている問題に、母子家庭児童半額、兄弟半額という福祉制度があった。来年度の入所児童のうち、母子家庭がどのくらい見込まれるかは入所が決まるまで見通しがつかない問題だ。しかも近年、母子家庭の割合は急増しており、N学童においてもこれら福祉制度の恩恵に、半分近い世帯がかかっていた。このような福祉制度の維持を続けることは一般の保育料を大幅に値上げせざるをえない。今思えば、このような民間の自助制度の中で進んでこのような福祉制度が導入されていたことは驚きであったと思う。決して社会福祉協議会の助成金申請の条件になっていたわけではない。しかし親達は、お互いの経済状況をそれぞれ知りながら、助け合うことに大きなコミットをしめしていた。しかしこのときの経営状況では、まずこの福祉制度の見直しに切り込まざるを得なかった。

福祉制度の廃止と、入所児童確保のための延長保育実施、保育料の値上げ幅は1.3倍に設定し、損益分岐点を超える入所定員を確保。危機を乗り切った。

しかし福祉制度の切捨てや保育料の値上げは、いくつかの溝を残した。それは本当の意味で困難を抱えた家庭を直撃していた。

もちろん私たちは一方的な保育料の値上げ、福祉制度の切り下げを行ったつもりはない。
わたしたちが話し合った時間は何時間にのぼるだろう。本当にとことん、「あなたは自分の子供のためにいくら出せますか」「わたしは自分の子どものためにいくら出せるだろう」「いくらなら預けていくらなら預けないか」「これまで保育にかけてきた費用から判断して高いのか安いのか」「この保育料を支払う以上望むサービスの水準はどのようなものか」
毎月父母会の前後にはそのような議論を何時間も重ねた。結果的にそのような議論の経過に全員が参加し一致して費用負担への同意とサービス向上への決意にいたったのである。

このように、新しい思いで迎えた新会計年度であったが、甘い見通しのまま入所を継続して保育料不払いとなった家庭が2世帯でてしまった。
子供の生活の場を確保したいという親の願いは一緒であるのにかかわらず、費用が払えなければ居場所を提供しつづけられないというジレンマのなか、なんども督促に自宅を訪問した。
最終的に、1世帯は1年の滞納のあと清算でき、あと1世帯は5か月分を未納のまま退所した。さすがにこれらはこの改革の2年間執行部会計をあずかった中でもっともつらい経験であった。

なお、現在の損益分岐点となる入所児童数は20人である。経営に余裕が出たぶん、指導員の増員を図り、現在の学童はほぼ満杯の35人。この中には助成金の対象にはならない、高学年の児童もいる。学童の居心地のよさを子供達が選んでくれている結果だと思っている。施設の規模からこれ以上の受け入れは困難である。経営にかかる助成金の割合は過去の60%から現在は25%。自己資本力が高まった分、フローリングなどの施設への投資や指導員の給与水準の向上をしながら、良好な経営を維持しているといえよう。

このような比較的簡単だがドラスティックな経営改革の経験は、父母の間に小さいけれど、「やればできるんだ」という自信を与えてくれた。しかし共同経営には独特の難しさがある。次回はこのことについてふれたい。

投稿者 kamimaki : 18:50 | コメント (2) | トラックバック

2005年02月05日

学童保育経営レポート(1)

長男が小学1年生になったのは平成11年の春である。共働きであるため、保育園は6時半まで預かってもらっていたが、それでもギリギリのお迎え時間。加えて慎重な気質の長男はまだ一人でお留守番というのをしたことがない。

世の中には学童保育というものがあるらしい。
保育園の年長組さんの部屋の窓に貼られた案内チラシを手がかりにN学童クラブをたずねたのは入学前のある肌寒い日だった。木造住宅密集地帯の奥にあり、広大な更地が目の前にあった。大きな道路に面した土地を民間デベロッパーが底地買いし、地上げした跡だった。その広大な土地を通して見える、長屋のなかの1軒がN学童であった。

学童保育は大阪が発祥の地である。運営主体は多くの場合父母会である。N学童もそのような場所だった。第2種社会福祉事業の認可は昭和57年。大阪市は学童保育に直接補助をしないため、大阪市社会福祉協議会から学童の人数に応じた補助をうけながら、会費をあつめ、賃貸住宅を借り、指導員を雇い、細々と運営してきたのだった。

いっぽう、前年度から、大阪市内の小学校では「放課後教育活動」なる「いきいき活動」が行われていた。5時半まで子ども達は小学校の空き教室で、退職した校長先生を指導員として教育的な活動をすることができる。大阪市はこれを学童保育とは位置づけず、あくまで教育活動の場として、無料で開放していた。
わたしたちも、このいきいきと学童の、どちらを選ぶかで迷った。しかし時間を考えると5時半はいかにも早すぎた。しかも冬場は5時という。指導員は退職校長と聞くと、なんだか窮屈なかんじもする。お金はかかっても学童を選ぶことに決めた。

入所してはじめて、学童の経営の実態は破綻していることがわかり愕然とした。
自転車操業状態になっており、過去の預貯金はすべて引き出されていた。助成金の入金日が少しでも遅れれば指導員の給与が支払えなくなるだけでなく、すでに来年度の運営の見通しさえたたない状態だった。それは決して誰かが持ち逃げしたのでもなく、ただ入所児童が、小学校の放課後教育活動のスタートを期に、激減し、このため経営不全におちいったことが原因だった。

学童の経営を今後も継続するのかしないのか。父母会は迷走していた。
すでに区内の学童はいくつも閉鎖に追い込まれていた。市が提供する無料のサービスに勝てるわけがない。そう判断し撤退することも十分ありえた。おりしも地上げの手は学童にも伸びていた。この長屋は土地と家屋の持ち主がそれぞれ違う。底地買いがこのまますすめば、どうなるのか。
立ち退き料で指導員の退職金を払おうという意見も出た。
思えばこの当時の学童は子どもたちの間でのトラブルも多かった。いじめもあった。子どもを今後もここに通わせることがよいことなのか。
そんな混迷の時期に、わたしたちは入ってしまったのだった。

投稿者 kamimaki : 11:36 | コメント (19) | トラックバック