2008年02月11日
あまりかん。

尼崎市役所の友人が「面白い」と書いていた本を読んでみた。
尼崎の潮江のまちの果物屋に生まれた主人公が、幼稚園から高校までを過ごした尼崎のまちの、家族や友人とのことを、本当に飾らない言葉で書き上げた一冊。
友人の中には、お笑いタレントのダウンタウンの幼稚園、小・中学校時代のエピソードも盛り込まれているが、どちらかというと、笑えるのは、隠して食べたお弁当の中の意外なおかずだったりする。
幼い頃お世話になっていた田舎のお婆ちゃんを同級生の前で思わず疎んじてしまったエピソードなどは、胸がきゅうっとしめつけられた。
この本は尼崎に住むいろいろな人の言葉が強調して書かれてある。
筆者が友人の元彼女を好きになって悩んでいたときに、父親に言われた言葉などはなかなか味わい深い。
「逢いたくない人間を作ったらあかん。そんな人間を作ると、自分の世界が狭なるだけや」
今の自分にも、少し、ちくり、となる。
この本を読んでよかったなあ、と思った人は、かならず、自分の幼い日の友人の名前を、いくつもいくつも思い出したに違いない。わたしも、とにかく無数の過去のクラスメートの名前が浮かんできた。つらいこともあったけれど、生きてきてよかったなあ、と、笑って泣いた。
ところで、わたしの実家は大阪市淀川区十三(じゅうそう)にあり、尼崎と聞くとすぐに思い出すのが家業で卸売りをしていた蒲鉾の工場が尼崎にあったことである。
毎日夜中にこの工場から蒲鉾の箱が何十も届く。
玄関はそのために深夜まで施錠しないので、お風呂に入ろうとしている時など、配達の兄ちゃんの「まいどぉー」という低い声に飛び上がったものだ。配達は多いときは8時と1時の2回来て、子どももかりだされて仕分けをする。仕分けのご褒美は梅焼き。出来立てをばりっとむいてほおばる。
あの営みが、妙に懐かしい。
まいどぉー、と我が家に毎日品物を届けてくれたお兄ちゃんも、あまの子だったかもしれない。
投稿者 kamimaki : 17:28
2005年12月04日
四万十川・歩いて下る
著者:多田実 築地書館 1995
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806721964/ref=pd_rhf_p_2/250-0247806-4130672
もう10年ほども前の著作とのことだが、今でも何のためかわからない林道整備などの事例は事欠かないし、ダムに関する是非の議論の中心的な論点に実際の見聞やデータを駆使しながらせまっており感心しながら読み終えた。
ところどころ、行政マンとしての自分の琴線に強く触れる部分がある。わたしも彼が思うよう、役人というのは本当に「才能」がないとダメだと思う。金を使うことは仕事の一部だが、それが価値を生み出さない事業がどれほど多いか身につまされる。時折自分がまさに「大いなるド素人」であることに気づかされることもしばしば。(環境の仕事にいきなり配属されたときはまさしくその状態だった。)
ズブの素人なのに、この国の行く末もなんもあったもんじゃない、とにかく金をつかってくれる(仕事をしたことにしてくれる)クライアントがいいお客様、という馬鹿げた状態、しかも金はあるもんだから「大いなる」という形容詞がついてしまう。
この本にはところどころ、筆者の若々しく生々しい風刺があって、ずきんと胸が痛む。
例えば蛍光灯の下で飼われたブロイラーが、それを「太陽」と信じていることに「その肉一つ一つの存在はニセモノ」というくだり。人工の都市にしか生活をしたことのない私はそのブロイラーそのものであるが、私の命は、どんなに痛々しくたって、やっぱり、どっこい生きているから・・・。
私が人工の都市生活の虚実に対し、また自分の命やもろもろの関係性のなかで培ってきた人生観に、真摯に向き合い、行動することだけが、ニセの生を生きているのかどうかを見分ける、その答えなのだと思う。