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2005年10月03日

民営化に感じない危機感

最近の報道をみるにつけ、つくづくこの道路公団民営化とは何か、よくわからなくなっている。
なぜこんなに危機感のないものになったのだろうか。
田中一昭さんという人が、「偽りの民営化」という本を書いている。
これほど怒りに満ちた本を私はほかに知らない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898310729/250-1309545-2905021

国鉄の民営化のとき、線路はだれのもの?という議論はあったのだろうか?はっきりいって、あのときの国鉄よりも、借金問題は根深いと思うのに、上下分離によってどうもそれが薄れてしまった。

それに、国鉄のときは、国鉄職員のリストラという強大な危機感の共有が末端まであった。しかし道路公団の場合はどうもそうしたにじみでてくるような危機感を職員から感じることはできない。結局いきあたりばったりなつまみ食い感覚で民業に参入し、しょうもない借金を増やすのは関の山なのではないか。職員に危機感はあるのか。

やはり国鉄の民営化と比べてしまう。

国鉄民営化直前、わたしはまだ勤め始めたばかりの頃で、大阪駅の構内におしゃれな喫茶店ができたので、ふと立ち寄った。
アイスコーヒーを注文し、本を読んでいた。しばらくすると注文の品をもって、ウエイターがそばに立った。
アイスコーヒーを出すその手が、恐ろしくカタカタ震えている。今にもこぼれだしそうに、水面が波立ってる。危ない。それでもゆっくり、ゆっくり、テーブルのコースターの上に着地した瞬間、わたしは思わず、ウエイターの顔を見た。
日に焼けた中年の技師らしいその人は「おまたせしました」と、搾り出すような声で言った。

また、わたしは当時は府の人事課におり、国鉄枠の府職員採用試験も経験した。試験場は大学生の受験とは違う、重たい雰囲気があった。その後府に転職できた人はみな、意気揚揚として、じつに個性的な仕事ぶりをみせてくれた。

そのとき以来、危機は人を変える、強い要素であることを見たような気がしている。危機を薄めて見えにくくするのは簡単だ。危機感なく安心して働ける、それはけっこうなことだ。しかしそれでは改革は絶対にできないし、危機から目をそむけては、あたかも漫然と死を待つ床に寝付いたと同じことではないかと思う。

マスコミもあれほど騒いでいたのに、委員もこれほど抵抗したのに、なぜかこんなことになってしまった民営化。もうだれも変えることはできないのだろうか?

外部からの組織変容は確かに一段落した。
これからは新会社のそれぞれの内部での取組みがきっちり行われることが必要だ。
しかしその道筋は非常に厳しいように思う。

一部の報道にあるように、つまらない収益事業をだらしなく考えるのではなく、ぜひともミッションを明らかにして欲しい。そして民間会社らしく、自らの事業ドメインにおいてまず成功することだけを考えよ。
もしそれができないのなら、まさしく民営化は偽りであったといわざるをえない。

投稿者 kamimaki : 18:08 | コメント (1) | トラックバック