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2005年12月09日

市営地下鉄駅広告(1)

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今朝、出勤しようとしたら地下鉄天神橋筋6丁目駅の入り口から改札をくぐってプラットフォームまでの約100メートルに巨大広告。
駅前に建築中のパチンコ・スロットル屋の開店広告だった。

それにしてもあまりにもゲリラ的で驚いた。階段の傾斜にあわせ周到に用意された広告が壁面両面、上壁面にびっしり。いつからこんなことをたくらんでいたのか、と思う。しかし通常の広告スペースではないのはもちろん、緑のタイルの壁にぺたぺたとセロテープではりつけられている。これは一時的なものなのか、どうなのか。

とにかく全体面積が大きすぎて圧倒される。

帰りにもやっぱり気になって、改札にいた駅員さんに尋ねた。 バッジには助役とかかれてあった。
広告料をどれだけもらってこんなことをしているのか、この意思決定者は誰なのか。

現場は何も知らない、とにかく1週間掲示される、ということだった。
一週間、朝晩これからこの広告のトンネルに吸い込まれ吐き出されるのかと思うと、正直ぞっとする。

近年自治体の広告事業はさかんに行われており、わたしが勤務する大阪府の庁内外に発信する封筒には塾やらなんやらの広告が印刷されて、一瞬どこが発信者なのか不明なほどだ。
陸橋の塗り替えを企業に肩代わりさせてその広告を陸橋に掲載させる。インターネットのバナー広告をトップページにちりばめる。
どれもこれも財源捻出のための苦肉の策といえばそうだ。

広告の中には、町の顔になりうるものがある。これは否定しない。
大阪は指定景観形成物として道頓堀のグリコの看板を指定するような粋な風土がある。まさしくオンリーワンの景観で人々に親しまれれば、それが広告であったとしても、ちゃんと認めていくのが大阪流だ。しかしそれは道頓堀という町なみ、川に面した町の物語性と歴史の連続性の中で形成された景観の中だからこそ認められる粋である。

地下鉄通路は市の所有物ではあるものの、公共性のきわめて高い空間である。
はじめて町を訪れる人はプラットフォームに降り立ったその瞬間からその町の匂いに鼻をひくつかせ、町なかに至る道をたどりながら、その町の東西南北に広がるであろう機能性や歩き勝手にアンテナをぴんとたてるものである。そしてその雰囲気が訪問者にとって好ましいナビゲーションを提供できるかどうかで、町の第一印象が決まる。
駅構内における巨大な広告、しかも短期間に取り去られるものほど、この町の訪問者にとって、無作法で無神経なものはない。

地下鉄利用者の声や立地する住民の声、ましてやそこで働く現場の職員の声をいっさい聞かず、地下鉄本来の営利活動とはかけはなれた営利に走ることはNPMのはき違い以外の何ものでもない。
この広告の面積と広告料がいかほどのものかも知らず・知らされず、そこまで言うのは、利用者として住民として、このゲリラ的な広告のあり方への「不快感」があまりにも大きいからだ。

こんなヤケクソみたいな方法で日銭を得ようとするのではなく、町に住み、働き、町を訪ねる人が求めるものとの協調を重視した、さわやかで粋な事業のあり方を模索することがNPM改革の起点ではないか。
金を出してくれるパトロンにダボハゼのように食いつくだけ食いつき、生活者を無視することはドブ板のままであることをただ露見しているにすぎない。
これからの大阪市政改革こそ真に生活者起点であってほしいと思う。

投稿者 kamimaki : 2005年12月09日 00:48

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