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2006年07月02日

「VISION OF JAPAN」と「福祉の国のアリス」

93年に、橋本元総理のVISION OF JAPANが出た頃、わたしは福祉部で高齢者福祉の仕事に従事していた。また、家族も同様に障害者福祉の仕事をしており、私たちの生きている社会が、助け合い支えあいがなければ、どれほど脆く弱いものかを痛感していたところだった。

政治家の書いた本を読むのは初めてだったと思う。おりしも経済のグローバル化を踏まえた金融ビッグバンに向けた構想などが打ち出されたころであったと思う。これからの弱者の暮らしはどうなるのか?そんなことはひとかけらも考えない政治家に今後の日本を任せることができるのか、そういうバイアスをもった目で本を開いた。

そして本を閉じたときに、この人が、意外にも深いノーマライゼーションへの理解をもち、助け合いささえあう社会をどう実現するのかを、政策によって実現しようとされている苦闘の姿をおもちなのだろうと感じていた。その苦闘とは、何であろうか。

VISION OF JAPANの刊行前年に出版された本に、元環境庁企画調整局長の山内豊徳氏の遺稿集「福祉の国のアリス」があった。まさしく政治と行政の板ばさみになった山内氏の遺稿を、時期を同じうして読んでいた。

福祉や環境の課題はともすれば個別具体的にしか解決策を見つけることのできないものだ。その場合、その解決策の枝葉は無限に広がる。一方政策は、幹や大枝に栄養は送れても、大樹になればなるほどに、枝葉を打ち払うことによって、その確たる推進を図ろうと動く。

政策実施者の思いと、政策立案者の思いは常にここで葛藤する。
ましてや政治と行政が分離せず相互に依存し変容しながら突き進む自民党政権下において、政策を「大樹」に育て上げることが肝要となりやすい。そのような中で、真の課題解決を求めた異形の官僚は自らの命を絶たざるをえないまでに追いこめられたのだろう。

その後、政策(マクロ)と実施(ミクロ)の間の跳躍的な空白を、官僚が真(まこと)の心をもってつなぎあわせるべき時代がそこに来ていた。しかし現在にいたるまで、官僚が真の心をもつてその天命をまっとうしてこれただろうか。まっとうしているだろうか。

VISION OF JAPANで、家族や自らの個人的な経験をとりあげながら、政策にかける思いを熱く語った人はもういない。この人の目指したはしごのてっぺんは、天に向かって伸びていたのかもしれないが、その中段に足をかける場所がない。これまでも、そしてこれからも、それらの重要な階は、真の心で個別課題に取り組む人々の力を集めることによってしか、築くことはできないだろう。

そしてこの課題は、若い政治家や、行政マンに間にもまだ同様に横たわっている課題といえる。
生活者の心に戻り、真の心で問い直したい。

(神牧智子)

投稿者 kamimaki : 2006年07月02日 20:57

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