公職研「地方自治職員研修」(1998.9)掲載前草稿
『なぜ行革には行政評価が不可欠なのか?』
上山信一
(マッキンゼー日本支社パートナー・行政経営フォーラム主宰)
●はじめに
多くの自治体が行政評価を導入し始めている。筆者は、大企業の経営改革を専門とする経営コンサルタントである。だが、たまたま元国家公務員でもあり、このテーマについては、海外事例を紹介したり、ボランティアベースで自治体の方々の相談に乗ったり、中央官庁やいくつかの県の審議会や研究会の委員をしたりしている。本稿では、このような実践活動から感じることを材料に、今後、日本の自治体(特に市町村レベル)にどうすれば、本格的な行政評価を導入し、また定着させることができるのかを考えてみたい。そもそも行政評価とは何か。一言でいうと、行政評価とは、行政の各部門に成果指向かつ顧客指向の、数値による行動目標を設定し、その達成度合いを第三者の視点から定期的にチェックして、その結果を情報公開していく、という手法である。
さて、これ以上は、拙著『行政評価の時代』(NTT出版)をご一読いただくことにして、本稿では、以下のような点について具体的に、考えてみたい。
1.行政改革をやるうえで、なぜ行政評価が不可欠なのか。
2.行政評価がその真価を発揮するためには、どのような条件が必要なのか。
3.多くの自治体が導入し始めている「事務事業評価」と本物の「行政評価」の違いはどこにあるのか。
4.特に市町村レベルで今すぐ取り組むべきことは何か。
第一章 なぜ行革に「行政評価」が不可欠なのか
多くの自治体が行政評価(ここでは、いわゆる「事務事業評価」をも含むことにする)を導入すると言明している。だが、導入の目的がいまひとつはっきりしない場合が大半である。「三重県がやっているから」とか「財政危機を脱するためには事務と事業の見直しが必要だから」といったあいまいな動機によるものが、実は多い。
そもそも、なぜ行政に評価が必要なのか。企業の場合、「業績評価」は経営の基本ツールであり、高収益の、いわゆる良い会社でこれをきっちり実行していないところは皆無、といってよい。
まず、企業の業績評価とはどういうものか、考えてみたい。
〈企業における業績評価とは何か〉
民間企業の業績評価は、まず、事業部門単位に行われる。事業経営の目標は、まず第一に、収益である。売上げが伸び、かつ利益率が伸びているというのが理想である。「業績評価」の第一歩はこれをチェックするところから始まる。だが、売上げや利益の推移を見るだけでは、製造、販売などの各部門に対して具体的な行動改革の指示はできない。
企業の業績を外から見るときは、この収益に係わる財務会計の数値が問題になるが、具体的に各部門、さらには各個人の行動を律していくためには、もう一段きめの細かい管理指標が必要になる。これを、多くの企業では「管理会計」あるいは「業績評価」と呼んでいる。
トヨタのような組立て加工産業では、この管理項目は極めて細かく、多岐にわたる。各部品、各工程別に原価が定められていて、「ドアの取っ手の溶接時間の目標は三・五秒だが、機械の故障が多くて、今年は八・三になってしまった。原因は何だろう」といったような、非常に細かいレベルでの「業績評価」が行われる。
このような数値に基づく目標の設定と業績の管理が「業績評価」である。なお、八〇年代後半からは「目標管理」という言葉が使われるようになった。これは、各現場に前年の業績評価の結果をふまえて、当年の目標を自ら立てさせ、自分で自らの業績を評価させ、目標と現実のギャップの原因の分析までやらせ、そしてさらに、新しい目標を立てさせてそれを達成させていく、という一連のサイクルを実行させるものである。これはPDCAサイクルといったりする。Plan, Do, Check, Action という、一連の自主管理の行動の流れである。
さて、企業での業績評価がこのようなものだとして、行政における評価とはいったい、どういうものなのか。また、収益を追求しない行政で、なぜこの評価が必要で、意味をもつのか。この問いに対しては、二つの段階に分けてお答えしたい。
〈第一段階:現場公務員による自主管理のツールとしての役割〉
行政でも目標管理はできる。例えば、よく例に出されるカリフォルニア州サニーベール市は、各部門の使命(設立の趣旨)、達成目標(市民サービスをどのような水準、コストで行うかという目標の設定)、そして具体的な業務の効率目標を定めている。例えば、信号機一個のメンテナンスをするのに「のべ〇・五人・時間の作業時間で行う」といったような数値目標を立てる。このようなしっかりした目標を立てれば、民間企業と同じような評価がしやすい。
この例のように、直接市民サービスをする部門については、「執行評価」という手法を使う。この手法は、「成果」よりも、「効率」やコストをチェックするのによい。これに対して、政策立案部門では主に、「政策評価」という手法が使われる。政策評価の手法では、目標の設定を市民にとっての便益(成果あるいは、アウトカムという)の観点から行う。そして、そのアウトカムの達成度合いを当初の目標と比べて、今後の予算の設定や人員配置、あるいは新しい政策の立案に反映するのである。
例えば、高速道路を一兆円使って延伸するという政策があるとする。これの期待成果としては、A地点からB地点までの平均旅行時間を三時間から一時間に縮める、というような目標が設定される。この目標がどれだけ達成されたかを、道路の建設後に評価する。このように、政策の成果を測るのが、政策評価である。
もちろん、こうした目標の達成具合いのすべてが、行政の成果や責任になるわけではない。例えば、環境保全や外交などの分野では、行政当局の頑張りが成果に直結するものでもない。だがそれでも、各部門がいったい何をめざして仕事をしているのかを示し、国民に対するアカウンタビリティを保証するために、目標管理をしていくわけである。
執行評価か政策評価かはともかく、企業で培われてきた目標管理のノウハウは、すべての行政部門に使うことができる。目的はいうまでもなく、漫然と仕事をやりがちな行政の経営陣と現場公務員に対して、目標をきっちりと決めさせて、進捗管理をさせるという、きわめて基本的なところにある。
〈第二段階:首長・議会・住民と行政のコミュニケーションツール〉
さて、行政評価の本来の目的は、以上の第一段階で述べてきている公務員による自主的な現場目標管理を超えたところにある。欧米で行政評価が真価を発揮するのは、行政機関の長(首長、閣僚、部局長)が住民や議会に対して目標の達成を市民に対して約束するからである。これは、契約であり、したがって、できなかった場合には、理由を説明し、場合によっては、責任をとることになる。目標の達成状況は当然公開され、かつ第三者からその目標と結果のギャップに対しての厳しい批判にもさらされる。議会でも、達成状況はチェックされ、審議されるし、議会、首長、行政当局、そしてマスコミ、一般住民もまじえた利害関係者の間で、行政当局の仕事ぶりや予算の配分などについて、侃々諤々の議論を誘発するきっかけとなる。
このように、行政評価は、まずは、行政内の自己点検のツールになるが、その結果を行政の外側の関係者が使って初めて真価を発揮する。これを「政治行政プロセス」という観点から捉え直すと、行政評価はとかく行政当局がすべてを任され、勝手に管理しがちな経営資源(ヒト・モノ・カネ)の分野に、外からメスを入れる効果がある。
市民サイドが行政に対して意見を言う機会は限られている。自治体の選挙は四年に一度しかないし、そもそも行政に対して注文をつけるための情報公開も不十分である。行政評価を導入すれば、まず、行政当局から行政評価の具体的な目標や達成状況についての情報公開がなされる。これを受けて首長、閣僚も議員も、問題点の発掘が早くできるし、一般市民サイドも、行政の中身に対して意見を言うきっかけがつかめる。また、行政サイドも、行政評価のプロセスの中で住民や議会に対して施策の説明や情報公開を積極的に行っていける。
このように、本来の行政評価は、行政サイドと行政の外にいる議会や住民が具体的な事実と数字に基づいてコミュニケーションを図っていくためのツールとして設計されるべきものである。
第二章 行政評価がパワーを発揮するための条件
以上述べてきたように、行政評価の目的は、行政機関に仕事のやり方について自主的な目的管理をさせて経営効率を上げさせることと、行政機関の外部の議会、住民などが行政とコミュニケーションし、さらに場合によっては、監視していくツールにすること、にある。そして、この根元にある目的は、一つには経営効率の向上、もう一つには住民に対するサービスとその満足度の向上である。では、「行政評価」が日本でもその真価を発揮するための条件とは何か。日本の自治体が陥りがちな問題点を中心に指摘したい。
1.お手盛り自己点検はだめ……
自己点検と評価は、全く別物である。評価というのは、利害を異にする顧客もしくは第三者が、本人も気がつかないような角度から、厳正かつ誠実なコメントを前向きかつ批判的にしていくことをいう。企業の例をみても自主点検、特に現場職員による自主点検は、精神運動の域を越えがたい。また結果も、概して、甘くなり、見落としが多いのは、いうまでもない。
さて、日本の現状はどうか。「事務事業評価」は、その名のとおり、行政機関の各現場単位で、すでにある事務と事業を一つずつピックアップして、それを現場の視点で自己点検する。評価項目自体は、顧客満足度や住民にとって目に見える成果などの項目があって、上出来である。だが、職員が自らお手盛りでしかも政策レベル以下の現場の事務や事業を評価している限り、これは、現場改善運動の域を越えず、行政評価とは断じて言わない。百歩譲って、「執行評価」には使えても、政策立案部門で必要とする「政策評価」には、つながるはずがない。また、現場の改善運動はいくらやっても、戦略の見直しには至らない。
2.評価結果を公開しないものは行政評価とはいえない……
行政改革が進まない大きな理由は三つある。一つに、いうまでもなく、税金が入ってくるので倒産しない、という経営陣の危機感の薄さ。二つに、管轄があるために競争原理が働きにくいこと。三つに、情報公開がされていないために、外部の人間が評価するための情報と知識が乏しいこと、である。
この三つの根源的問題を抱えた行政機関が、自己点検であれ、第三者であれ、その結果を公開しない限りは、本質的な改革に取り組むはずがない。当事者たちは、「大改革」だと思っていても外からみるとちょっとした不都合の手直し程度にしか見えないわけである。
さて、欧米の行政機関の多くは、インターネットで評価結果を公開したり、要点を地元の新聞に載せたりして、常に市民の目にさらすようにしている。英国の場合は、自治体監査委員会が全自治体のパフォーマンスを冊子にして公開する。ここで低い点数がついている自治体の関係者は、大変に恥ずかしい思いをする、といった仕掛けがこらされている。これは、擬似的な競争原理を働かせ、改革には拍車をかける。公開が行政に競争原理を生み出すのである。
さて、日本の場合はどうか。三重県や静岡県以外の自治体は「まだ試験導入中」だとか、「結果を公開すると各部門が正直な報告をしてこない」といったことを理由に、評価結果を公開していない。行政評価とは、行政機関の外部が行政を監視するためにあるわけで、非公開の行政評価などあるわけがない。非公開のままではいつまでたっても成果が薄いのは、いうまでもない。落ち穂拾いや気休め程度の成果しか出ないのならば、そのような事務事業評価の活動自体が税金の無駄使いになってしまう。
3.経営陣、即ち首長や議会レベルの政策立案に評価の視点を置かないものは、「落ち穂拾い」的な効率改善やせいぜい「小さな親切運動」に終わる…
行政評価、特に政策評価は、経営の視点でやるべきである。たとえば、「事務事業評価」のように、自治体に何千もあるいわゆる事務や事業を一つずつつまみ上げて現場で自己点検するだけでは、政策の評価や本物の行政改革には至らない。すでに役所にある事務事業を一つずつあげつらい、その小さな枠の中での切りしろ探しにやっきになる。だがこのレベルでいくら自己点検してみても、予算や政策の抜本改革につながらない。ちりはつもっても山にはならない。また、そもそも、事務や事業の切り分け方が、時代の流れにあっていないのに、それを是としていては、始まらない。これは、たとえていえば、木造の古家を、ビルに立て替えるべき時期に、各部屋の畳の入れ替えをするのしないのと議論するのにも似ている。ビルに畳は、いらないのかもしれないのである。また、住民に対して提供していく仕事の質を上げていく、必要な場合には量も増やしていくという経営の視点が、欠落しがちである。評価の対象とする行政サービスの単位が事務や事業といった単位であまりに矮小だと、大きな政策変更のきっかけを見落とす。木を見て森を見ないわけである。そもそも評価対象が細かくなればなるほど評価される現場に有利で、部外者にはわかり辛くなる。経営陣の関与の余地がない。欧米の例をみても、たとえば、図書館行政とか交通安全という単位で、経営課題を洗い出している。こうした大きな括りのもとで、成果指標を決めていかない限り、政策評価は絶対にできない。ひいては、政策や予算の抜本的なリストラにはつながらない。
第三章 首長と議会の役割
多くの自治体が事務事業評価を導入し始めるという動きそのものはたいへん結構なことだ。具体的なツールがあって、三重県が知事のリーダーシップのもとで、これをやって現にささやかながらも実績を上げつつある。これに習い、横並びであっても、形から入ってやってみる、というのは素晴らしいことである。当初は、稚拙でもやってるうちにバージョンアップすればよい。まず、やってみるべきである。だが、単に、この事務事業評価をやり続け、果たして本物の行政評価、そして行革ができるのかといえば、前述で述べたとおり、筆者は悲観的である。最大の問題点は、現場の効率改善やコストカットのみに片寄りがちで、経営戦略の視点が欠落しがちになることである。欧米の行政評価を見ると、明らかに住民に対する行政サービスの成果の向上が前面に出ていて、そのうえで、業務効率の改善も同時に目指している。これは、企業の目標管理でも同じで、サービス水準の向上と効率改善は、同時に追求して初めて大きな成果を生む。効率追求のみを掲げた改善活動は、持続しない。だが、日本の多くの自治体は、行政改革イコール予算や人員の削減そして財政赤字の解決、と考えがちである。ここに根本的な限界がある。事務事業評価をやること自体は問題ではない。むしろ問題は、これを現場公務員の自己点検活動に委ねてしまっている議会関係者や首長のほうにある。欧米では、「行政評価は新任の首長のためにある」といわれるほどである。民間企業出身の議員なども、評価報告書を勉強し、行政機関に対して的確な質問をすることができるようになる。ところが、日本の場合、議会や首長の関心はまだまだ薄い。むしろ、財政当局や総務企画部門の行政官のほうが勉強に熱心で、本来使うべきユーザーの関心が薄いのは困ったものだ。また、マスコミについても、民間企業であればどこでもやっているような職員のささやかな自己点検活動を、あたかも行政改革の決定打のように手放しで賞賛してしまうという、見識の浅さが問題である。
本来あるべき行政評価とは、繰り返しになが、行政の現場執行側ではなく、経営側が主体的に導入するべきである。
第四章 行政評価バージョンアップのシナリオ
さて、具体的にすぐやれることを最後に提言したい。行政機関内の業務の自己点検、棚卸し作業については、過大な期待を排した上で、まずは、やってみるべきである。手法は、三重県式の事務事業評価手法でもよいし、静岡県がやっている業務棚卸し手法も参考になる。いずれにせよ、職員が自分の仕事を客観的に見つめるという意識改革は、将来、本格的な行政評価を外からかけていったときの受け皿として有効だろう。但し、自己点検の結果は議会や住民に提供して欲しい。行政の外にいる人たちが、どのように行政を評価すればよいかという手練手管を学ぶ上でも、これはたいへん意味がある。
しかし、自己点検だけでは目に見える具体的な変化を期待することはできない。目に見える成果を出すためには、さらに市民代表が行政のサービス業務を、顧客の視点から評価する、という活動も必要である。これは、民間企業では顧客満足向上活動(CS:カスタマー・サティスファクション)といわれている手法である。例えば、マクドナルドやJR東日本のようなサービス産業では、顧客に対して定期的なアンケート調査を行い、サービスを構成する要素のうち、顧客にとって何が重要かを調査する。重要とされる項目について、顧客の現在の満足度がどんなレベルにあるのかを定点観測し、数値の変化を業務改革に生かしていく。
この手法は、直接、顧客に接触する行政分野で特に簡単に導入できる。地下鉄やバスをはじめ、ゴミ収集、老人ホームや病院、学校、市民会館、音楽ホール、博物館、美術館などである。特に、市民が直接、入場料などの対価を払っている施設の場合は、民間サービスとの比較もできる。
これらの現業は、行政改革の全体からみると枝葉末節のように見えるかもしれない。だが、一般市民にとっては、非常に身近でわかりやすい分野である。専門知識がなくても良い、悪いの判断ができる。また、改善も比較的短期間にできることが多い。市民からの評価、結果が行政改革にスピーディに反映されるという意味で、非常に良い分野である。
さて、このような形で職員による行政機関内の自己点検と、市民による行政サービスの外からの評価の二つをかけ合わせていくと、その先に、行政評価のいわばバージョンアップのシナリオが見えてくる。図1は、この流れを説明したものである。
まず最初は、行政部内の自己点検により、現在の行政サービスのレベルがどの段階にあるのかをとにかく数値化する。これは、いわゆるインプット・アウトプット分析といわれる手法に近い。次に出てくるのが、民間と比べてそれが良いサービスか、より効率が良いか、を問う評価である。これはマーケットテスティングといわれるアプローチである。さらにその次のレベルになると、職員の自己点検活動がある。これは目標管理手法である。業務の目的は何か、顧客は誰か、顧客にとっての便益は何か、改善目標はどこに置くか、などを職員自らに考えさせ、自己改革を迫る。ここまでが、職員による自己点検である。
私の提案は、これにさらに、市民による外部評価を連動させていくというアプローチで、図1のレベル4、5を上乗せしていくという考え方である。
どのようにやるかというと、市民による満足度の評価結果が出てくると、それを目標管理のターゲット指標に置いてしまう。つまり、市民が重要だと考えていて、現在不満が高い項目について、この目標水準を具体的な成果指標で公務員による目標管理の目標数値そのものにしてしまう。例えば、公園の草刈りができていないために害虫が発生するという不満が、公園行政に対する最も大きな不満だとわかったとすると、の周辺の害虫の病害のレベルが公園管理課の目標指標として与えられていく。
さらに次のレベルに行くと、行政内が設定する達成目標すべてを顧客満足指標と連携させるというレベルに至る。これは米国の連邦政府が二〇〇〇年以降導入を考えている。ここでは、顧客である市民に対して、プロの行政マンが説明して、重要だという納得が得られない業務には、予算も人もつかない。組織の存続もない。このように予算制度と連携するわけであるが、このレベルまで行くと、いわゆるバリュー・フォー・マネー。つまり、市民側から見て、行政に対して税金を払った甲斐があったという納得が得られる状態に至る。
レベル1から5への道のりはたやすいものではない。現在行われている事務事業評価は、レベル1と一部レベル2,3が少しカバーできている程度である。ましてや、レベル4、レベル5については、試行錯誤が始まったばかりである。一方、市民サイドも、自ら行政を客観的に評価しようという動きはなかなか起きていない。オンブズマンは、情報公開制度をカギに行政のロセスの問題点を指摘するという点で機能しているが、日常のサービス業務の改善を迫る、という観点は薄い。
行政サイドの動きもまだ始まったばかりだが、市民の手による行政の評価活動もまだ低調である。だが、この二つが車の両輪となって連携して初めて、本来の行政評価、ひいては民主主義が機能すると、私は考える。
〈筆者略歴〉 上山信一(マッキンゼー日本支社パートナー)
主に、大企業の経営改革や新規事業の立案に携わっている。
一九八〇年に運輸省に入省、プリンストン大学大学院(公共経営学修士)修了後に、外務省勤務を経て、一九八六年にマッキンゼー入社。
行政経営フォーラム主宰。
(※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)