● 講演用レジメ
● 講演用資料
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(畑): 本日はお忙しい中ご参集いただき誠にありがとうございます。今回はご案内の通り、マッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナーであられます上山信一先生を講師にお迎えしております。行政評価や行政経営の分野では非常に御高名な方でありますので、その大変鋭い御高説をいろいろなところで見聞きしていらっしゃる方も多いことと思います。
昨年、国会において中央省庁再編と地方分権の各法案が行政改革特別委員会で審議され、成立いたしましたが、私もその特別委員会の委員に任命されておりましたので、小一時間ほど質問にたつ機会がございました。以前から上山先生の著書や論文を数多く読ませていただいておりましたので、審議の際も上山先生の論文を随分と参考にさせて頂いて、質問をいたしました。
しかも、その時に参考人としておいでになられていたのが上山先生でありまして、衆議院・参議院共に参考人として出席されましたのは上山先生お一人でしたから、今風の言葉で言えば“行政経営、行政改革のカリスマ” といったところではないでしょうか。
もちろん行政という分野に限らず、一般の企業経営改革においても大変その手腕を発揮されていらっしゃいます。先生ははじめに運輸省に入省、その後外務省に出向された後、民間のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社されました。パブリックとプライベートの現場双方をご覧になっておられますので、どこに問題点があるかということを誰よりも鋭く見抜いておられる方だと思います。
私自身も政治家という立場から、頭の中ではありますが行政経営や行政評価の必要性・重要性は十分理解しているつもりでおります。ですから、実際に中央省庁再編法案や地方分権法案に書かれている評価や情報公開といった条項を実行するとなると、一体誰が評価をするのか、どのような基準でするのか、その結果をどのように公表して、行政の実務に生かしていくのか、そのためのシステム作りは今後誰が行ってゆくのかなど大変多くの疑問があります。法案を成立させてはいただきましたが、今、私が抱えている疑問に対して、国会では明確な答弁は得られず、結局、省令などでこれから規定されてゆくことになりますので、今後も具体的な仕組み作りを、私ども政治家がよくよくウォッチしていく必要があることを痛感しております。今日はそういうところも含めまして、上山先生からお話をいただけることと思います。それではどうぞよろしくお願いいたします。
(上山): 畑先生からご紹介いただきましたように、私の本業は民間企業の経営コンサルタントであります。私どもマッキンゼーは世界80ヶ所に支社がございまして、それぞれ各地で、大企業のリストラ、M&A、最近ホットなテーマでもある電子取引の設計等、主に民間企業のお手伝いを中心にやっております。しかしながら、これはマッキンゼーの伝統でもあるのですが、世の中全体のあり方、あるいは政府の経営について、時折問題意識が出てくれば社会貢献的な活動で発言をする、あるいは無料でお手伝いをするというカルチャーがあり、そのような文化の中で私もこうした活動をやっているわけであります。
畑先生が先ほど私のことをカリスマ何とかとおっしゃっていただきましたが、そのような域には私はまだ達してはおりません。畑先生はインターネットをかなり駆使される方で、私も仕事柄よく使いまして、畑先生とはメール友達であります。わからないことがあると時々先生にお聞きしたり、逆に私が知っていることをお伝えしたりしています。そういう形では政治的な同志ではないかと考えております。
今日の話のテーマは「行政改革」ということでありますが、このテーマを通じて日本のあり方、あるいは日本人にとって改革というのは一体どういうものなのかということを、考えるきっかけにしていただければと思います。
先ほどご紹介いただきましたように、私が最初の職場に選んだのは霞ヶ関(運輸省)というところでありまして、そこをやめて外資系の民間企業という、いわば180度逆の世界に行きました。そこからの視点、世界の常識という視点から霞ヶ関あるいは永田町を見ると、随分おかしな世界だなという思いがします。その感覚から私にとっての非常に身近なテーマとして行政改革を考えてみたいと思います。
かつて自ら身を置いた組織であり、非常に親しくて大好きな友達が大勢仕事をしている霞ヶ関が何故あのようになってしまったのか。これからどうすればいいのか、という視点から発言をさせていただきます。
お手元に縦長の紙と 横長の紙がありますけれども、話の流れは主にこの縦長の方に沿ってします。まず行革以前に国家経営そのものが非常に問題だという現状認識をちょっと簡単に見ます。
●日本国の生産性問題
行政というのは世の中全体のごく一部でしかなく、日本国を会社に例えると、いわば総務部門みたいなものでしかありません。稼いでいるのは民間企業であり、重要なのは家計であり、行政はいわばバックオフィスにしかすぎません。そういう意味で言うと、バックオフィスのあり方を考える前には、そのバックオフィスのお客さんである国家の方は一体どうなっているのか、という認識が最初に必要になります。
データから見ていったほうがわかりやすいので、横長の資料をご覧いただきたいのですが、 (p.2) 一人当たりのGDPという数字が出ております。国の“豊かさ”あるいは“生活水準”を議論するときに、世界の標準的な尺度で使われるのはこの一人当たりの実質GDPであります。どれくらい高けりゃいいのかという問題は、何が幸せかということになりますので横に置いておきますが、これがどんどん下がるというのは良くないわけです。 GDPが下がるということは生活水準が下がるということです。いろいろな矛盾が生じてきます。経済が成長しさえすればいいということではないですけれども、成長は全ての矛盾を隠す。逆に沈滞すると基本的に色々な問題が出てきます。
ご存知の通り、「失われた10年」というのが90年代の日本の姿でありまして、現在の成長率は0.5%/年であります。しかも相対的には下を向いています。英国に抜かれるのも時間の問題ではないか、来年あたりおそらく英国よりも生活水準の低い国ということになるのではないかと思います。
米国は非常に調子がいいわけでありますけれども、伸び方のトレンドが良い。景気がいいとか悪いとか、あるいはGDPの伸び率、グロスの伸び率がどうだこうだということよりも、一人当たりのGDPが維持できているかどうか、伸びているかどうか、これが大事だという意味でいうと日本はここが問題であります。
GDPと同様にとても大事なのは失業の問題でありまして、これが次のページ(p.3)ですけれども、これは産業セクター別の雇用の伸び縮みであります。それぞれの年ごとに真中に線がありますが、グラフが右に出ているところが雇用を創り出し、左に出ているのは毎年人がこれだけ減ったという意味であります。
新聞を見ますと、大企業がリストラをやり始めたからたくさん失業者がでて大変だということがニュースになっていますが、これは実は大きな嘘です。大企業のリストラというのはずっと行っているわけであります。この図の上から四番目の「製造業」のところを見ますと、毎年17万人、19万人…、どんどん純減しています。製造業は常に人を掃きだしている。去年や今年始まったわけではないし、景気のせいでも何でもありません。製造業というのは人を減らし続ける産業なのです。コンピューターの投資であるとか、サービスの部分が増えて、製造業自体が人を必要しなくなるので人が出てくるのは当たり前なわけです。これはアメリカの経済を見ても、景気が極めていいというアジアを見ましても同じで、製造業が人をどんどん吸収するということはもうありえないということであります。
問題は、この図の一番下の行の「その他サービス業」を中心に人を吸収しなくてはいけないということです。アメリカが非常に調子がいいのは、この「その他サービス」です。医療とか福祉とか教育、あるいは会計士さんとか弁護士さんとか私どものような仕事も含めたいろいろなサービスです。これが伸びないといけない。そこそこ日本も伸びでいますけれども、あまり大したことがない。トータルでいうと、ここが全然伸びていないから吸収できないという問題が起きている。
97年を見ていただくと、非常に深刻なのは「建設業」です。これがマイナスになっています。建設業があれだけ公共事業を行っても人を吸収できなくなってきているということです。それから「卸・小売り業」、97年にマイナス100とかいてありますが、卸・小売りも人を減らしています。これはいわゆる地場産業でありまして、地域の産業が人をどんどん掃き出し、おまけに工場の廃止などが重なると、地域の雇用は壊滅状態になります。「その他サービス業」をどのようにしてつくるかということが極めて大きな課題ということになります。
この図は全国をマクロで見ているからまだいいのですが、失業問題というのはご存知の通り、特定の地域の特定の雇用というように、ある人にとっては大変な問題でありますが、失業していない人にとってはどうでもいい問題なのです。
経済の調子が悪いわけですが、最近調子が悪い理由と昔から調子が悪い理由と実は二つあります。最近調子が悪いのはご存知の通り金融危機であり、あるいは財政出動してもあまり効き目がなくなってしまったという問題であります。これはいわば抗生物質が効かなくなったというのを悩んでいるわけで、元々慢性病の状態にあることには変わりはないわけです。
どのように日本経済が慢性病にあるのかというと、生産性が低いということです。 4ページですが、ちょっと難しげな図が画いてありますが、一人当たりのGDPを見ると、アメリカと比べると日本は16%低くなっています。「なんだわずか16%ではないか」と思うのですけれども、中身をよく見ますと、豊かさというのは何で決まるかというと、生産性とどれだけいろいろな資源を投入したか、この掛け算で決まってきます。生産性の中身を見ると、矢印のところを見ていただければわかりますが、労働と資本の二つに分かれます。労働と資本の生産性を日米で比べると、日本は労働は3割低く、資本は4割低い、低いというか効率が悪いわけです。どうやってそれを補っているかというと、その下を見ていただくと、労働時間が2割多く、資本投入量が4割多くなっています。過剰な労働と資本の投入で、生産性の低さを何とか補って、トータルでアメリカよりは16%低い位の生産性に収まっているということです。
問題は将来でありまして、少子高齢化になると労働時間の方が過剰投入できなくなってきます。あるいは、サービス業を伸ばすということになると、サービス業はお客さんが時間を使わないといけません。旅行をするにしても学校に行くにしても、マッサージ受けるにしても仕事をしながら同時にサービスを受けるわけにいきませんから、お客さんが暇じゃないといけません。となると労働時間というのは当然下がってきます。それからお金がないと資本も過剰投入できなくなるので、そうすると総投入量はかなり減ってきますから、これと生産性の低さを掛け算しますと、飛躍的に数字が落ちるはずなのです。
これが日本の問題であって、生産性が低いという現状認識が必要であります。セクター別に見ると輸出産業は非常に高いです。ご存知の通りエレクトロニクスとか自動車は米国より生産性が高いのですが、その他の産業は押しなべてここにあるような数字ということであります。
●二重経済の姿:日本とジャパン
さらに次のページ(p.5)を見ていただくと、生産性の低い原因というのは、日本の中にどうも二つの国があるからではないかと思います。これを私は日本国には「ジャパン」と「日本」の二つの国がある、といつも言うのですが、「日本」に相当するのがこの図でいう右の部分です。この図は小売業に関して分析したものですが、縦に米国と比べた生産性、米国の小売業の全体平均を100として、それに比べて日本の平均は横の点線の53です。ですが業態、いわゆるフォーマット別に生産性が違うのです。コンビニなどはまさにイトーヨーカ堂さんがアメリカのセブンイレブンをこちらから逆に支援しているというくらい、日本の方が生産性がむしろ高い部分もあります。
専門店のチェーンも結構調子がいいです。ユニクロであるとかブックオフであるとか、日本でも非常に話題になる生産性の高いフォーマットがどんどんでてきています。ディスカウントストアもまぁまぁ、スーパーもまぁまぁですが、百貨店から食品スーパーのあたりから調子が悪くなって、零細小売店になると非常に調子が悪いということになります。
この実態を見ますと、この図の百貨店から右が私の言う「日本」でありまして、昔の右肩上がりの時代にでき上がった仕組みをそのまま維持しようとしている業態です。ディスカウントストアから左が「ジャパン」の部分でありまして、これは結構調子がいいわけです。
歴史の長さでいうとおもしろいのですが、歴史の新しいものほど生産性が高いです。これは製造業でも同じですが、コンピューター産業とか家電であるとか新しいものほど生産性は高くなっています。低いのは自動車。自動車は歴史が長いから意外と低いです。それから戦前からある食品、紙パルプ、鉄鋼など。石油化学は意外と悪くなかったりします。
いずれにせよ、この古い部分の生産性をどうやって上げるかというのが非常に大きな問題であります。今の世の中を見てますと、「ジャパン」を推進しようという勢力と「日本」を維持しよう、助けようという勢力が拮抗していて、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態に見えるわけであります。
アクセルの方は総論賛成でどんどん踏んでいると思います。規制緩和はするし、大店法も緩和をするなどいろいろな動きがあります。しかし、例えば大店法を改正すると同時に中心市街地活性化法ができて、零細小売店にも生き延びるような支援策を行います。これは優勝劣敗の法則にはかなっていないわけです。例えば、零細小売店の集まる商店街などで最近やっていますが、大きな駐車場を商店街の横に作るわけです。そうすると「これはアメリカでいうモールと同じだ、商店街をモールと考えると生産性が上がるじゃないか」という議論があるわけですが、これは常識で考えてもわかる通り、ダメなものにいくら支援をしても生産性は上がりません。業態転換をやっていただくしかないということになるわけです。
このようにすべからくどの業界もまだら模様になっていて、「ジャパン」の部分と「日本」の部分を切り分けて議論しなくてはいけません。政治的には当然この「日本」の部分はかわいそうだから何とかしてあげよう、となるわけですが、私は、個人はすごくかわいそうだけれども、業界とか企業というのは潰れるものは潰れないといけないと思うのです。ほこりのかぶった帽子しか売っていない駅前の帽子屋や洋品店、一等地にあるのに時計しか売っていなくてお客が誰もいないお店とかがありますが、海外では資産税がかかってそういうビジネスができないようになっています。代わりにもっと効率のいい商売が立地するような業態転換の促進税制があるわけです。日本にはそれがありません。
時計屋のおばあさんは、かわいそうだとは思います。だからおばあさんには年金をあげればいいわけです。おばあさんにはきっちりした年金をあげて、ボランティア活動などで社会参加の道もつくってあげればいいのです。今の状況は「ネコババショップ」と言われるのですが、おばあさんとネコだけが店番をしていて、高校生の不良などが来て、ネコババして帰る。こういう姿に地方の商店街はなっていて、これを支援すると言ってもしょうがないのではないかと思います。したがって、「個人は救うが会社は潰す」ということをメリハリをつけてやる必要があるだろうと思います。
小売を何故このように言うかといいますと、小売業がこうなっているが故に製造業も変わらないからです。小売業には零細なお店がいっぱいあります。これに対して、例えば食品メーカーなどが、零細小売店向けに非常に非効率な商品と物流の仕組みをつくるわけです。さらに上流を見ますと、農業が補助金や関税で食っているという構図がありまして、上流を見れば農業があり、下流を見れば零細小売がある。この両方の間に挟まれて日本人の生活コストは非常に高いものになっている、という姿があります。
●行政の5つの機能
行政の話に移りますが、次の6ページを見ていただきます。日本はこのように生産性が非常に低いです。それから元々慢性病患者である上に、金融政策、財政政策を間違ってしまった、あるいは必要もないところになけなしのお金を公共事業で使ってしまったという状況で、行政の問題はこの観点から考えていかなくてはいけないと思います。
まず行政が世の中一体いかほどのものかといいますと、ボリューム的には大したことはないのです。さきほど言いました非常に生産性の高い輸出産業はGDPの8%です。国内産業が82%ですから日本は燃料と食品さえあれば鎖国してもけっこう食べていけるわけです。公共サービスは10%です。わずか10%が市役所とか教育とかが行っている部分です。公共事業は8%。これはGDPの上では国内産業というところとダブルカウントになっています。
行政とは何なのか、日本国を会社に例えて事業部制のように考えますと、どうも5種類あるように私は思います。1つは企業に関与する、独禁法を使うとか、さきほどの大店法をどう運用するかとか、国内産業がらみの主に通産省とか公正取引委員会の仕事です。2つ目は公共サービス、これは自治体、特に市役所が行っている仕事がほとんどだと思います。 3つ目は公共事業です。これは空港とか新幹線を作るというものです。社会全体の投資と考えれば国内産業の支援にも連なりますが、民間ができないから役所がGDPのアップに向けて投資をしている、と考えるべきでしょう。 4つ目は非常に政治特有の仕事ですが、所得の再配分というのがあります。これはまさに政治信条に沿っていろいろな使い方をすればいいので、公明党、共産党の方が中心であれば比較的弱者に厚く分配しようということになるだろうし、そうでなければ金持ち優遇という方向にいくかもしれません。これは政治判断ですから私はそのこと自体は生産性という観点から評価すべきものではないと思っています。最後の5つ目は外交、軍事、金融、財政です。これは安全保障といいますか、企業でいうとリスクマネージメントに関わる機能で、緊急時にさっさと判断できれば生産性が高いというふうに言っていいと思います。
北朝鮮からテポドンが飛んできてドタバタとしたり、あるいは、中国が台湾にミサイルを飛ばしかねないといったときに明快にノーの姿勢を出せないというような、こういう日本の外交というのは恐らく危機管理が全然できていないということだろうと私は思います。またご存知の通り、ペイオフを巡る議論であるとか住専問題のときのゴタゴタなど、いずれにしろリスクマネージメントということから考えると、かなり点数が低い、生産性の低い政府であると言わざるを得ません。
問題になるのは、行政を評価するときにこの5つの観点を分けて評価する必要があることです。それから政治的な評価と行政としての仕事の評価を分ける必要があると思います。企業への関与ということに関しても私はいまひとつだと思います。特に最近のベンチャー支援策ですが、世界中どこを見ましても、政府がベンチャーに関していいの悪いのと発言するだけで迷惑と言われます。政府というのは税金を取る側でありまして、取る側が経済原則を無視して、ダメなベンチャーを生き永らせてしまうということはあってはならないことです。教育的なキャンペーンはいいですけれども、実際にお金を投入するとか、自治体がベンチャーキャピタルをやるとか、こういうことはあってはならないと私は思います。
それから公共サービス。これに関してはご存知の通り、頑張っている公務員もいるけれども非常に効率が悪い。公共事業はモノによりけりだと思います。空港、新幹線は半分位私は必要なものはあるが、半分は恐らくムダではないかと思います。所得再配分と外交、軍事に関してはまぁまぁ、外交、軍事はひょっとしたら三角ではなくてバツかもしれません。
これが行政の納税者側からみた評価だと考えますと、もう一つ大きな問題に財政問題というのがあります。我々は、政府のパフォーマンスが悪ければ、税金を払わなければいいのです。現にアメリカの田舎の方に行きますと、政府の無い地域があります。自治体がないのです。日本人は日本全国どこでも何とか市とか何とか村だと思っています。日本はそうなのですが、アメリカではどこの市でも町でも何でもない所というのがあるわけです。アリゾナ州ではあるけれどもそこから下は何でもないという所があるのです。こういう所はどうしているかといいますと、住民が組合を作って、民間の警察を雇ってきたり、あるいはゴミ処理の会社を作ったりしています。アメリカで年間ほんの数件ですが、効率が悪いからといって市役所を解散させてしまったりもしています。フロリダ州のコーラルスプリング市は市を解散して、コーラルスプリング・コーポレーションという会社になっています。このコーポレーションの事業組合が、利用者からお金を取って経営して会社としてやっています。このような姿もあるわけです。
●日本的問題と行革
話が脱線しましたが、財政問題は、政府のサービスコストの話と切り離して考えなくてはいけません。というのは、財政は国の信用リスクそのものでありますから、財政が破綻すると金利が上がり国家の経済、格付けが落ちます。そうなると相対的に円の価値が落ちていく、ざっぱくに言うとこういう話になり、財政危機というのは単に税金を預けている政府がムダ遣いしていてけしからんという問題の域を越えているわけです。ですから行政改革自体も問題ですが、私は財政問題自体の方が納税者の側からすると問題で、今の状況が続くのであれば日本でビジネスをやっていてもしょうがないということになるわけであります。
サステイナビリティ(sastainability)という言葉があります。これは「持続可能性」ということです。現在の財政赤字はご存知の通り500兆円の GDPに対して、全部足して600兆円になります。数字自体がどうこうということではないと思いますが、世界各国と比べて、日本だけ突出してこの比率が高いのです。それもシンガポールみたいにこれから伸びる国がどんどん公共事業をやって、新幹線のようなものを作ってそれで赤字でということであればいいのですが、人間に例えれば年齢65歳くらいの体なのに、まだなぜかどんどん投資をしているということです。こういう姿ですから、どう見ても不自然な投資、歳出規模なのです。そうするとクラッシュがいずれ起きるというか格付けが落ちてくることになります。
●日本の行政システムの根本的欠陥
(1) 財政錯覚
こんなバカなことがなぜ続くのかということが実は行政改革問題の本質だと思います。おかしなことがなぜ止まらないのかということです。その理由は3つあります。 1つは財政錯覚が起きるように財政の仕組みがなっているという問題です。それからもう1つは行政が横割になっていなくて、縦割りになっているという問題。最後の1つは政策と執行が分離できていない、もっと言うと政策がガバナンスを確立できていない、こういう3つの問題があります。したがってこの3つの問題があるが故にある種の無政府状態になっているわけです。
どういうことかを漫画で画いてあるのが7ページなのですが、1番目の財政錯覚問題、これは北海道大学の宮脇淳先生がいつもおっしゃっている話です。皆さんよくいろいろなところで聞かれると思いますが、田舎では赤字になった方が国から補助金がもらえるので、おかしいと思いつつ、やはり使ってしまう。という現象です。これが財政錯覚であります。なぜそうなるかというと、政府の予算が非常に大きな循環を描いて、国と地方の間を行き来している。税と郵貯のお金が基本的に国に吸い上げられ、そこで財投と政府の予算という形で廻るからです。
もう一つ小さい循環がありますが、これがいわゆる3割自治の部分で、これもかなり国からの補助金などで制約、縛りを受けています。経済原則がはたらかない形で、しかも末端で何が起きているかわからない。計画経済の社会主義の下で国が建前上の予算の配分をし、地方はもらい得ということが起きてしまうわけです。
それに対して「あるべき姿」というのは非常に単純で、国税は国のために使う、地方税は地元のために使うというものです。例えば、消費税などは地方税として主に地元で使う。高級外車や別荘の分の消費税、あるいは累進で取ってくる高額所得者の所得税、こういうものを中心に国の分は賄う、こういう考え方が経済合理性には一番かなっているのではないかと思います。もちろん北海道とか沖縄とか自立できない地域には財源調整はあってもいいですけれども、受益と負担を一致させないと一体誰が負担しているのかがわからなくなります。全員局所的には得することがあるものですから、ついつい使ってしまうということが起きてしまうのです。
よく族議員が悪いとか地方に主体性がないというふうに言いますけれども、私は別に誰も悪くないと思います。こういうメカニズムになっているのですから、そこでプロとして仕事をやろうと思うと、当然「もらい得」というセンに沿って仕事をしなくてはいけません。ですからこれは制度が悪いのであって、志の問題ではないと思うのです。これが一点目です。
(2) 縦割りvs横割り
二点目は縦割り横割り問題です。よく日本は縦割りだからダメだと言われますが、私はむしろそうではなく、横割りになっていないからダメだと思うのです。何が縦で何が横かというと、 8ページの図ですが、縦というのは行政のサービス分野です。サービス分野別に行政を考えていくということです。警察であれば国に国家公安委員会があって、その下に地域圏があって県警本部があって市町村があって駐在所がある。こういう縦一列の流れでものごとを考える、これが縦割り行政です。日本で生まれ育つとこれは当たり前だと思ってしまうわけです。さすがに外交は外務省がやっているというふうに思うけれども、それでも自治体外交といって市町村がやったりもします。常にこの上から下まで全部やらなくてはいけないという仕組みになっているのが日本特有の縦割り行政です。
あるべき姿というのはそれぞれの事業にふさわしいサイズというのが当然ありまして、例えば消防などは象徴的なのですが、火事というのはいったん起きると、消防車を10台集中させても足りないくらい大変なのです。そうすると、一つの市町村だけでまかないなさいというのは非常に効率が悪い。一方、警察というのはパトカー10台でチェイスしても意味がありません。むしろあちこちに駐在所がある方が大事なのです。ビジネスと同じで、非常に商圏が広いもの、例えばジェット機の商売などは世界で一社か二社しか成り立ちませんが、クリーニング屋さんは各町に当然一軒ずつあります。これと同じ議論で、最適経営規模というのをきちんと考えなさいということであると思うのです。
ヨーロッパなどは横割り行政になっていて、この図はちょっと模式化していますが、ここにあるようにそれぞれの行政にふさわしいサイズというものが大体決まっていて、関係ないところは黙っているわけです。例えば介護とか福祉のあり方について国が統一方針を出して「あぁしろ、こうしろ」と言うことはありません。このように適正規模で切っていっているのです。
日本では、市町村の規模が小さいから合併しろ、という議論がありますが、私はそれも乱暴な話だと思うのです。合併した方がいい場合もありますが、ゴミ処理などは共同で事業を作った方がいいであろうし、それ以外の文化行政などは合併しない方がいいかもしれません。テーマ別に考えていくべきであって、単に足せばいいというものではないだろうというふうに思います。
それから道州制の議論も同じで、今の全てのことに一番上の列の霞ヶ関が口を出すということを大前提にして道州政府をつくってしまうと、間に余計なものがもう一個できるというパターンになります。したがって、道州制もいかがなものかと私は思っています。なぜかというと、企業が失敗していることと同じことを行政改革でまさに失敗しようとしているからです。
私も昔役人をやっていたから思うのですが、役人が日経新聞などを読んで「さぁこれだ」と思うことは大体20年遅れているのです。経営規模が小さいから合併しましょうというアイディア、これはおそらく製紙会社であるとか化学会社が合併することと同じ考えからきているのだと思いますが、関係者の方がおられたら失礼で申し訳ないのですが、金融機関あるいは化学会社や製紙会社の合併で成功したものが一体いくつあるでしょうか。事業別のジョイントイベントでうまくいっているのはありますけれども、大きくて管理しきれなくなったダメなものを、さらにもっとダメな同じようなものとくっつける。ダメなものとダメなものを足すと一層コントロール不能になってしまいます。 50人で役員会をして議論が決まらないというような状態になってしまいます。ですから大きくてダメなものをくっつけるというのはよくありません。ダメな企業を強い企業が買って、その中にある資源を自由にどんどん勝手に使うというのが、世界の常識であって、対等合併とか三行横並びとかいう議論はあり得ません。これに近いことが今の市町村合併の議論でまことしやかに行われていて、生産性という観点が全くありません。
道州制も同じでありまして、これもダメな企業がよくやるパターンですが、「大きいものはダメだ、恐竜は滅ぶから、事業本部に分けましょう」、といって大事業本部を作ったり、あるいは省庁再編みたいに、「事業部の数が多すぎるから足しましょう」、という数あわせをやるのですが、これも非常に効率が悪い。というのは、現場は現場であって、その上に地域ブロックみたいなものが間に入るだけですから、役員の数が増えるだけです。ですから道州制も私は知事の数がさらに増えるだけという感じがしていて、非常に危険な議論だと思っています。霞ヶ関を廃止して道州制にするというのであれば結構なのですが、そこまでの勇気がないのであれば持ち出すな、という感じがします。以上が二点目の横割り行政の問題です。
(3) 政策と執行の分離
もう一つの問題は、執行部門と政策部門が分離していないという問題です。これは後ほど行政評価のところでお話をしますけれども、「執行・政策の分離」、「縦割り・横割り問題」、「大循環と財政錯覚」、この三つがあるが故にコントロール不能の体制に今の日本の行政はなっています。一言で言うと、企業でいうコーポレートガバナンスというものが無いということです。この観点から改革の軸というのを考えなくてはいけません。
縦長のレジメに戻りますが、二番目になぜ行政改革は失敗するのかという項目が書いてありますが、今申しあげた通り、このガバナンスの問題を直視しないで、一見民間ふうの「合併したらどうか」とか「外注したらどうか」などの非常に素人の議論が横行して、それをまた政治家がつい使ってしまっています。その審議のプロセスで、経営のプロが参加していないというのが大変な問題だと思います。素人の官僚のちょっとした知識での手法を、法学部の先生たちあるいは法律学者が集まって議論している。しかし、民間企業で経営改革の議論を弁護士に相談する企業はないわけです。経営には官も民もないのですから、稲盛さんとかセコムの飯田さんとか、実績をあげられてきた方、経営感覚で非常に優れた方の知恵を入れて、そこの視点から本来行革というのはやるべきだと思っています。
私がここまで言うのは単に昔役所にいて今民間にいるからというわけではありません。海外を見ると極めて単純に割り切っている。「税金払って養ってやっている政府の経営は民間がコントロールする」という極めて明快な論理があります。お上だからどうこうだとか僕は東大法学部じゃないからわかりませんとか、財政問題は難しいとかそんなことは海外の経営者は全然言ってません。言いたいことをバンバン言っている。なぜなら税金を払っているからです。あるいは選挙で自分たちが政治家を選んでいるからです。
そういった視点で見たとき海外が何をやっているかというと、参考になるのはやはりサッチャーの行革、それからアメリカのレーガン、最近のクリントンです。非常に上手くやっています。クリントンなどは景気がよかったという理由もありますが、財政赤字を完全に解消しました。それから手法が非常におもしろいのですが、クリントンはお客さんというものを定義したのです。行政にはお客が二種類いる。一つは利用者、老人ホームの入居者とか図書館の利用者とか。もう一つが納税者。これは企業でいうと株主です。この二つのお客さんが満足する政府がいい政府であるということです。
逆にダメな政府は何かというと、法律をお客さんだと思っている政府。それから手続きが大事だと思っている政府。要するに客の満足度、実績成果が全てであって、これにかなわないような政府の活動というのは全て止めてしまえという、非常に明快な論理を出してきたわけです。
クリントンというよりはゴア副大統領が行ったのですが、まず企業改革と全く同じ手法、企業でいうTQCをやったわけです。 TQCのいいところは現場を批判しないで誉めることです。例えばマイアミの税関で、現場のチームが処理の時間を半分にしようとして、自分たちでいろいろと議論をして計画をたてて実行したとすると、そのチームをテレビのワイドショーで絶賛する、あるいは表彰状をどんどん出しまくるのです。
日本では役人を見れば石を投げる、お父さんが大蔵省だったら子供はいじめられるなど、バッシングの風潮が非常にあるのですけれども、私はむしろ逆にすべきではないかと思います。役人というのは誉めれば誉めるほど仕事をするわけです。昔役所にいたときの感じから言うと、大体みんな小学校から学級委員をやるような模範児童なのです。そのまま模範的に霞ヶ関に来て、模範的であるというのが唯一の拠り所なのに、いたずらっ子みたいに叱られてしまうとそれだけでやる気をなくしてしまいます。マスコミの方はよく聞いておいていただきたいのですが、とにかく誉めまくる。誉めて誉めて使いまくるのが役人の使い方であって、バッシングなどはよくありません。よくやった人だけを誉めると、よくやってない人もよくやるようになるのです。
このライバル意識をいかにくすぐるかというのがゴア副大統領の非常に上手いところです。これはナショナル・パフォーマンス・レビューという活動で今もずっとやっています。橋本行革と違うのはずっとやっているということです。わが国では省庁再編と地方分権の法律がやっと通っただけです。 6年越しでやっとあの程度の形だけができたわけですが、クリントン・ゴアはずっとこの現場改善の運動をやっているのです。 (p.9)
●なぜ「行政評価」が大切か

それからもう一つ大事なのが、行政評価です。これは図を見ていただきたいのですが、横長の方の資料の10ページ に行政評価の例というのが書いてあります。これは要は先ほどガバナンスと言いましたが、税金を払っている側、あるいは経営者=大臣による行政評価の例です。これは初等教育の例ですから評価者を文部大臣と考えます。まずは、文部大臣が初等中等教育局長に、「お前は何が大事だと思っているか、大事な施策を全部出せ」と言って出させる。ここに書いてあるのはまったく私が勝手に書いたのですが、私が文部大臣であればおそらくここにあるようなことが大事だと書くでしょう。学級崩壊を何とかしろとか、学区の自由選択制を品川区だけでなく全国でやれとか、英語とパソコンだとか、素人が思いつきそうなことしか書いていませんが、それでも20個くらいは大概の方なら何かしら思いつくだろうと思います。細かいことを言い出すと100も200もあるのですが、国民、納税者の側から見て大事なことは、小学校教育絡みではせいぜい20個だと思います。その20個に関して“できている”か“できていない”かをチェックしていけばいいのです。
さて、行政評価の仕組みですが、大臣と局長がまず目標を合意します。そしていろいろな事務方が分析をします。例えば、学級崩壊防止をやろうということになると、「今10%だから一年間で3%以下にしよう。そのためにボランティアの先生を雇う。予算はこれで1200億円」、こういう三つのセットを仕事をする前に約束するわけです。これは大臣とも約束しますし、国会の文教委員会とも約束します。「これでいこう、これでやってみよう」と皆で合意をして、 1年たった時点でまた評価をします。
例えば、アウトカムという成果の部分、これが3%にならなかった。インプット、アウトプットはこの通りやったけど成果が不十分だったとします。そうすると、「お金が足りなかったのかもしれない、あるいはボランティアの先生で何とかするという方法がまずかったのかもしれない、あるいはもっと別の理由かもしれない」という議論が起きるわけです。議員と閣僚と役人の間でオープンなディスカッションが起き、来年どうすればいいかということを皆で考えていくわけです。
ところが、今の日本国政府の予算書というのはどうなっているかというと、政府刊行物センターに行けば1万数千円で売っています。中身をみると、ここに書いてあるのに近いわりあい細かい事業の項目が出ています。しかし、インプットとアウトプットとしか書いてない。達成目標の期間というのがはっきりしない。それからアウトカムというのが明快に書かれていない。ですから、これだけの予算を投入してこういう施設を作ります、といったことはいっぱい書いてあるのですが、その結果住民にとって何が起きるのかよくわかりません。
例えば、道路の例が典型的だと思うのですが、高速道路が渋滞して大変なので、何億円か投入して渋滞解消のために道路の幅を広げる。この計画は一見まともに聞こえるわけですけれども、それで本当に渋滞解消するのかどうかはよくわかりません。あるいは交通規制をやればお金はゼロでもっと効果があるのかもしれません。この辺の議論が行政まかせだとなかなかできません。なぜなら、建設省は道路を作るのが仕事ですから、道路局を批判してもしょうがないのです。道路局は道路を作ることしかやってはいけないのですから、役人にそのあたりの良識を求める方が間違いでしょう。役所は自分の所掌の中で必死で考え、自分たちができる枠の中でベストな案というのを出すしかない。
問題は政治の側、あるいは納税者の側がチェックをしないからいけないことにあります。さらにこれがオープンになっていないということも問題です。道路局は道路局でそれなりの良識と善意でこの案しかないと言って作るわけです。主計局は主計局でそれなりの善意で仕事をします。彼らは彼らなりの善意で作るのだけれども、全部足すと化け物のような予算になってしまうというのが今の姿です。どこにも悪意は働いていない。だけれども、トータルで見ると「悪意の固まり」としか思えないような予算案になってしまいます。これが日本国の不幸であって、私は、とにかく一体どうなっているのかということをディスクロージャーするところから始めないと政策論も行政改革も始まらないと思います。
企業のコンサルティングをやっていていつも思うのは、データのない会社ほど評価しにくいものはありません。社長もニコニコ皆もニコニコ、とにかく頑張ってますと言うのだけれども、会社は赤字。一体この会社はどうなっているのかと思うのですが、そういう会社ほどデータがない。評価しようがないから何と比べてどこが良いか悪いかすらわからない。こういうことが民間企業でさえあるのです。霞ヶ関もそうだと思います。官僚としては恐らくベストの仕事をしています。本人もその点に関して何の疑問も持ちませんが、納税者の側から見て意味があるかどうかというと相当疑問に思うことがあちこちで起きています。
したがって、私は行政評価をやれと言うわけですが、これは、別の言葉で言うと情報公開です。今の情報公開は誰と誰が飯を食ったとか、そのときの弁当代が5000円でけしからんとか、こういう話が中心となるのですが、そうではなく、予算書の中身がこの図にあるようなインプット、アウトプット、アウトカムがセットで出されるような情報公開がないといけません。それから予算が決まる前にこのような計画、事業計画がまず決まらないといけません。したがって戦略というものが事前に決まって、大臣と役所が約束をして、やらなかったら局長の首が飛んで、それから予算が削られる、こういう契約的な関係ができてこないとなかなか意味がありません。しかもそれを霞ヶ関と永田町だけにまかせると絶対に談合しますから、全部情報公開にかけて、専門家とマスコミと国民が監視します。ここまでやってやっと、政策論がきちんとできてくる。 (p.11)
したがって私が行政評価をやれというのは非常に単純な話でありまして、一体どういう目的で誰がどういうことを考えてやっているのかという情報をまず出しましょうということです。出すと本人も気楽になるわけです。数字が最初からこのように出ていると、なぜできなかったかという理由もわりと多元的に議論できます。
ちなみに英国ではブレア首相が去年の秋に、まさにここにあるようなモデルを各省庁に要求し、それがパブリック・サービス・アグリーメントという1センチくらいの本になって一般国民に開示されています。最初のページめくるとブレアのスピーチとサインが入っているのですけれども、それを見ますと、この目標達成ができなかった省庁の予算はばっさり削ると書いてあるのです。つまり、約束を果たせなかった省庁の予算は削る、果たしたらその分は逆に評価をして役人もプロモーションするし、予算も来年以降きちんと考えましょう、こういうガバナンスがきっちり利いていて、それを一般国民にも全部開示してしまうという仕掛けになっています。まだ試験段階ですから、各省庁四つくらいの項目で非常に限定的ですが、そういう考え方でコントロールをしています。こういう行政評価がなければいけません。
三つ目に重要なのは予算を評価に連動させるということです。企業経営と全く同じで、現場でおかしいと思ったらTQCをやる、現場で自助改善をどんどんやり、やったら誉める、やらなかったら叱るべき。それから二番目に事業計画をきちんと立ててその達成状況を株主に報告し、それにしたがって投資計画を決める。これが当然あるべきで、まさにコーポレートガバナンスの基本です。これがないような政府に税金を払う必要はないと私は思います。場合によってはこれがないということをベースに憲法訴訟を起こしてもいいのではないかというくらいに思うのですけれども、一体何にどう使ったのか説明をしないような政府には税金は払わない、という考え方が行政経営の発想です。
●企業経営手法の導入を
後は細かい話は省略しますけれども、私が大事だと思っているのは、要するに行政の問題を議論するときに政治だけのせいにしてはいけない。それからさらにもっと言えば、政治と行政だけでもコントロールしきれないものだと思うので、マスコミ経由で今の実態はどうなっているかというようなことを常に開示し、常にチェックして外からいろいろプッシュしない限り改革は起きないということです。したがって、今回の行政改革は山に例えれば一合目で、「霞ヶ関に全部おまかせしていたものをこれからは永田町も口を出しますよ」ということを一応言ったという第一歩にすぎず、その象徴がまさに省庁再編でしかないと思うのです。どうやって政治側、あるいは国民側が行政をコントロールするのかという手段は明示されていないし、よくやった役人とよくやらなかった役人を評価で区別して正しく処遇するということもなく、単に全てをバッシングしているだけであり、これもまた非常に不幸なことです。要するに「サイエンス」というものが全くなく、とにかくキーワードだけで情緒的に一見手法なのだけど手法ではないものが一人歩きしている、という状況です。
最大の問題は、やはり民間企業の経営手法がきちんと生かされていないことです。企業に学ぼうという発想が永田町にも霞ヶ関にも薄いのではないでしょうか。行革を担当する総務庁という役所がありますが、そこもやはり行政制度あるいは行政管理論の専門家しかいないわけです。国家財政が破綻するということは国の経済が破綻するということです。国の経済の破綻の議論をするときに、経営という観点から国のお金を扱うことを考えず、法律やら政治やらという議論だけでは、とても危機管理ができないと思うわけです。
以上、私の話はこれくらいにさせていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)
(畑): 上山先生どうもありがとうございました。会場の皆様からも恐らくそれぞれのお立場から今日の話につきまして、ご質問等々もあると思いますので、ぜひ積極的に挙手をしていただきたいと思います。
その前に、私からまず伺いたいと思います。上山先生からはあまり高い評価をいただけなかった、中央省庁再編、地方分権法案についてですが、この法案を通しました責任者として今後のフォローアップ、どうすべきかというご示唆を頂きたいと思います。今回の法案では、与党側からも私自身を含めましてかなり多くの議員が問いただしたのですけれども、執行機関と戦略策定機関の峻別ということについて全くと言っていいほど措置がなされていません。措置がなされていない段階で行政評価の手法の部分だけは書き込まれているというところがありますので、今後どのようにこの部分をフォローアップしていけばよいのでしょうか。
(上山): 今回の省庁再編、それから地方分権もセットだと思うのですけれども、問題は今まさに畑先生がおっしゃった通りだと思います。形は変えたけれども魂の部分がまだ足りない。それでも一応政策評価というものが建前上入っているわけですから、評価者の人選にかかってくると思うのです。 NTTの民営化のときには新藤さんのような人を入れてやったのですが、やはり評価委員会を総務庁あるいは大蔵省などの下に入れてしまってはいけません。内閣に対してレポートする、あるいはむしろ総理直結の第三者機関という形にすることが非常に重要だと思います。
企業でも経営改革に失敗する会社に共通する要素は、実は経営企画部あるいは経営管理部が改革の障害になる。これは非常に逆説的です。行政改革も同じで、専門家と称する人たちや、専門部局の人たちはつい自己過信します。彼らに任せてはいけないと思います。内閣と総理に直属する行政評価委員会みたいな非常にステイタスの高いものを作って、そこから総務庁の行政監察であるとか大蔵省の主計局というところに対して強烈な意見を言えるというような体制が必要だと思います。
(畑):
今、行政評価機関も内閣直属、総理直属でというお話がありましたけれども、私もその通りだと思います。合わせて今回の中央省庁再編法案の中で、果たして直属にして意味があるだけのパワーが内閣にあるのか、つまり“内閣機能の強化”ができているのだろうかという疑問が残ります。行政評価チームを作る際、誰をメンバーにするか役所に聞くと、民間の方をメンバーにしますというご説明があります。しかし、その民間の方を誰が選ぶのかというのが一番の問題で、各省庁からの推薦であったら純粋に民間とは考えがたい。各省庁のトップがその省庁を代表して首相の直属という機関に入るような、今までの体制と何ら変わりのないシステムであれば、結局各省庁の直属と同義になってしまうのではないかという心配があります。「各省庁からの出向という形での内閣ではなくて、内閣独自で人を採用するとか、あるいは省庁そのものが職員を一括採用するということも必要になってくるのではないか」という質問を国会でもしたのですが、この点について上山先生はどう思われますでしょうか。
(上山): 内閣とは何なのかという問題があります。内閣には実体がないのです。内閣総理大臣直轄の委員会についても継続性と運営能力の両面から今の体制では非常に難しいものがあります。そうすると内閣の官僚、あるいは総理のスタッフ、ホワイトハウスのスタッフのようなものをどうするかという問題になります。
私が思うのは、さきほどの役人誉め殺しの話の延長なのですが、各省庁の役人に40歳になったらもう一回公務員試験を受けさせたらいいのではないかと思います。「内閣スーパーキャリア」みたいなものを作り、このスーパーキャリアの試験に受かったら、もう政治側といいますか時の政権の側でむしろ霞ヶ関を評価する側に回ってもらいます。こういう制度を作ると受験勉強大好きな人たちですから、皆こぞって受けるのではないでしょうか。この内閣スーパーキャリアにならない人は選挙に出て議員になるとか、あるいはそのまま役所に残って職人芸に徹します。こういうキャリアパスを作ってあげないと、天下りで妻子を養うのもいたしかたないことなのかなと思います。役人のキャリアパスとセットで、むしろ誉め殺し作戦で優秀な連中を抜擢して魂を取り替えてしまえばいいと思います。
(畑): 非常に明快なお答えを頂きありがとうございます。各省庁のトップの方々がチームを作って進めてきた中央省庁改革の、その中核にいらっしゃる行政マンの方々がこの中で聞いていらっしゃいますので、また後ほどぜひ今回のキャリアパスのことについても国会等で議論をさせていただきたいと思います。
もう一点、生産性の問題を最初に先生がご指摘になりましたので、ぜひ伺いたいのですけれども、まさにご指摘の通りで、恐らく全ての議員、全ての行政マンがそうだと思っているのですが、情報化を進めたり、生産性を高めるような規制緩和をしようとすると、必ず雇用の問題が生じてきます。雇用の流動化というのはそんなに簡単にできるものではありません。「業態転換を推進しています」と行政側は言うのですが、現場の話を聞くと非常に難しいとのことです。お米やさんや酒屋さんに、「業態転換をどうしてもしなければならないと思いますので、業態転換をする上で何がネックになるのか教えてください。私たちが何とかしてみますから」と言うと、彼らは目を白黒させてしまって、「逆にそれを教えてください」という話になってしまうのです。この業態転換と雇用の流動化について、先ほど業態転換については外国には促進税制があるという話をなさいましたけれども、どのような制度が今の日本に必要でしょうか。
(上山): 生産性が低いものを生き永らえないようにするというのがまず大事だと思います。したがって、駅前にあるのだけれどもお客は日に三人しか来ない、というような洋品店などを排除するような資産税をまず作る必要があります。洋品店の人たちの暮らしはどうなるのかという議論が当然でてきますが、そこはいわゆるセーフティネットを作ります。司法取引にちょっと似た発想ですけれども、仕事をやめる代わりに年金をあげるとか、廃業補償金ではないですが、キャッシュで片付けてしまうというのが私はわかりやすいと思うのです。現に農業とか漁業の場合はそういう制度があるわけですから。
これは民間企業のリストラと同じで非常におもしろいことなのですが、 5000万円以上の退職金という話になると、結構希望退職者が多くでてきたりします。それまでは組合交渉で「仕事は生き甲斐であってお金の問題ではない」とか言っているのですが、けっこうお金の問題なのです。ですから業態転換から生じる金銭メリットを、数字で明快に示していけば廃業する人は廃業します。
では、選手交代をした後に何を入れるかという問題になるのですが、象徴的に言うと、駅前の商店街だとちょっと難しいですが、零細なおもちゃ屋さんがトイザラスになって、トイザラスがさらにeトーイになっていったように、どうしても大規模なもの、電子的なものに移ってしまうだろうと思います。
しかしその一方で注目すべきはブティック的業態。例えば花屋さんというのはアメリカでは非常にもうかる商売であります。というのは、ギフトのときに何を贈ればいいかという相談にのったり、あるいは飾り方のアドバイスをしたりして付加価値を付けるからです。要するに生産性というのは付加価値を労働時間で割ったものですから、付加価値を上げてもいいのです。
虎ノ門に西島眼鏡店という私の好きな小さな店があります。ここは本当に古くからある眼鏡屋さんなのですが、眼鏡をかけた顔をビデオで撮って見せてくれるのです。それを見ながら、そのお店のご主人と息子が、この枠はいいの悪いの、とアドバイスをしてくれます。ここまでやると客単価が高くなるのです。
このようなサービスのイノベーションや、経理などをネットワークで繋いでコンピューターでバックアップするとか、色々なバックアップの仕組みを入れれば、サービス業的な小売業というのは十分生き残れる。それは生産性が高い、付加価値さえ付けられればかまわないということです。ディスカウントショップで安く買える時計を、駅前の時計屋ではさらに割高で売っているから誰も行かないわけであって、転換の仕方はいろいろある。意欲の無い方は、やはり廃業してもらうしかないのではないでしょうか。
(畑): サービス的な付加価値を付けるためのアドバイスを、自治体や行政の方が指導するというのはいいのでしょうか。先ほど行政がベンチャーを支援するのはよくないとの話がありましたが、こうしたアドバイスをすることはいかがでしょうか。
(上山): 情報を流通させるという意味では、やはり地方というのはよその地域で何が起きているのか必ずしもよくわからないので、そういうコンサルティング的なことを行政がやる意味はあると思います。補助金を出すと企業の経営は放漫になりがちなので、補助金行政というのはとにかくやめるべきだと思います。アドバイスをすることはいいです。
(畑): ありがとうございます。私ばかり伺ってしまいましたが、岩国先生からご質問があるようですので、岩国先生どうぞよろしくお願いします。
(岩国): 上山さんのお話大変興味深く拝聴いたしました。私も国会議員になる前、行革審の委員を一年半させていただいたことがありました。鈴木永ニさんが会長の頃でしたけれども、いろいろな行革について勉強させていただいたことがあります。
畑議員がおっしゃいました、「官僚は一括採用がいいのではないか」という議論も私たちはしました。しかし未だに実現しておりません。私はむしろ官僚の一括採用よりも、総理の直接採用の方がいいのではないかと思っています。総理の直接採用を別の表現では首相公選と言います。究極の行政改革というのは、総理自身を国民の手で選ぶことです。今、国会議員の中でも首相公選を行うべきだという意見が増えていることはご承知の通りです。上山さんは専門家の目から見て、行政改革の実演という観点からこの首相を直接採用するということの効果をどのように評価されますでしょうか。
二番目に、橋本総理のときに国会の中で議論した行政改革について伺います。私は党派を異にしておりますが、畑議員とは多くの点で意見を共通にしております。この橋本行革に対し、私は国会の中で実は反対意見を述べたことがあるのです。 23ある省庁を12に減らすのは、小さな風呂敷を大きな風呂敷に包み変えるだけであり、これを大風呂敷改革というのではないでしょうか。大きな風呂敷に包めば外から見えにくくなる、透明度が低くなる、腐敗が進む、官僚は高笑いをして喜んでいるのではないでしょうか。私は行政の責任を明確にするという意味で、むしろ小分けにすべきだと思うのです。
私は出雲市長時代、行政改革ということを議会と話し合い、組織はむしろ数を増やしました。そうすることによって、どこが何をやっているかはっきり見えてくるからです。だから大くくりにするのは私はむしろ逆行ではないかと思うのです。地方に分権すると言いながら、結局中央集権、スーパー官庁を作ってしまっているのではないでしょうか。
三番目に、私は短い期間でしたけれどもいわゆるお役所の中で仕事をしました。「コストは減らす、ポストは増やす」ということで、役人の肩書きを私は増やしました。しかし、役人の数は他の市より3割少なかったのです。肩書きの数は、出雲市と同規模の他の市と同じだけありました。公務員というのは、全員ではありませんが、肩書きが付くと同じ給料でももっと仕事をするのです。肩書きが付くと責任が明確になるから責任意識が徹底するのです。今、民間企業でも官庁でも肩書きは奪い去って、無くせば無くすほどそれがリストラだと思われていすますが、私はそれは間違いではないかと思うのです。
以上三点について簡単で結構ですから、上山さんのご所見をお伺いしたいと思います。
(上山):どうもありがとうございます。三点とも非常に鋭いご指摘で、100%同感と言うしかありません。
まず一点目の首相公選制ですが、私はぜひやるべきだと思います。というのは、こういう活動を始めて、地方の自治体、特に市町村の方々とお付き合いをするようになって痛感しますのは、市長の責任感の源泉というのは、「選挙で選ばれている」というところにあるということです。この点については何回も迫力ある場面を見ました。
例えば逗子市の長島市長などはわずか30歳強ですけれども、年長の海千山千の局長を前にして、「俺は有権者によって選挙で選ばれたのだから、その案は採用できない」と言えるだけの迫力がある。
それから九州の福岡市で山崎市長の行革をお手伝いしているのですが、これは非常にユニークなアプローチです。 JR九州の石井会長をヘッドにして民間だけで委員会を組織し、その委員会と市長が直接ディスカッションをして行革案をトップダウンでつくる。改革案も委員自らが書きます。事務局には日程調整以外のことを一切させません。考えてみると、我々が外部から専門家と称して入っていっても、それだけでは迫力がない。しかし、市長が出てきて、「この人たちは俺が頼んだ。俺は選挙で約束をしたことを今から専門家と一緒にやる」と言うと、やっぱり迫力があります。
お客様からのバックアップがある経営者と同じで、最近企業でもトップ自ら株主総会に出席し、「投資家にこう言ったからリストラやる」と凄みをきかせている経営者がいます。私はまさに同じことだと思います。ごく一部の内輪の仲間の中だけから選ばれてきたトップよりは、マーケット、市場メカニズムで選ばれてきたトップというのは迫力が違います。
それから組織の小分けの話もまさにその通りで、今は小さいものほど管理がしやすくなっています。コンピューターの世界と同じことがどこの世界でも起きていて、組織はどんどん小さくして、権限は現場にどんどん下ろさないといけません。これだけ物事が複雑になってきているわけですから、現場で意思決定せざるを得ないのです。
例えばおばあさんが役所の窓口にハンコを持ってくるのを忘れたとします。今の法律ではまた出直して来いということになるわけですが、現場に権限を渡して自分で考えろというふうにすれば、現場が頭を使って判断するようになるわけです。ですからとにかく現場に権限を下ろす、組織は小分けというのが非常に正しいと思います。
三番目の肩書きのことも全く同感です。給料を上げてはいけないのですけれども、責任と権限をはっきりさせる上では、必要な肩書きはどんどんあげてもいいと思います。外資系企業などはまさにそうです。バイスプレジデントがやたら何十人もいたりして、あまり値打ちがなくなっていたりするのですが、一つのセクターで会社の経営を担っているということになれば当事者意識が全然違ってきます。ピラミッド型の組織自体がまさに二番目のダウンサイジングに伴って崩壊しているわけですから、そういう意味でいうと、台形型の組織にして肩書きが若干インフレ気味になってもいいのではないかと思います。
(畑): ありがとうございます。私も永田町にいる全ての国会議員とお話を親しくしたことがあるわけではないですけれども、岩国議員は行政改革の問題について、オーソリティという言葉は適切ではないかもしれませんが、最も見識のある方であると思います。
続きまして、藤田様(大東京火災海上保険 常勤監査役)どうぞ。
(藤田): 質問というよりは要望事項かもしれませんが、行政による国家経営の関与というところで、ベンチャー支援策はペケだと、おっしゃられました。私も産業活性化法などによるベンチャー企業への融資ということは余り意味がないのではないかと思います。
私の友達の例を見てみますと、ある人は5000万の資金でベンチャーを始めたが、結局食いつぶしてしまって上手くいきませんでした。ある人は2億を集めて、それで配当なしで3年間ですごくいいものを作りあげました。ですからより多く資本金が集められるような、そういう仕組みを作るべきであると思います。また、企業でも個人でも出資して失敗したら損金で落としてもらえるという税制面での支援とかもするべきです。ベンチャー企業というのは資本金が問題だというふうに思うことが一つ目です。
それから二番目ですが、財政赤字が六百兆円で大変だと言われていますが、国にも四百何十兆円かの資産があります。差し引き百何十兆円の赤字ではないかと思います。ですから、景気対策をまずすべきだと私は思います。財政再建をするよりは景気対策をもう一歩やって、そして財政再建に移るべきではなかろうかと思います。
三番目は、行政経営と上山先生はおっしゃっていましたが、私もその通りだと思います。長銀、日債銀の役員は全員責任を負わされております。ですが、大蔵省の行政責任こそ本当は追及されるべきだと思うのです。そのことについて、特に政治家の先生にもっと厳しく大蔵省の行政責任を追求していただきたい。自分たちで行政をやって肝心な時になると逃げてしまうということは、私は公僕として許せないと思うわけであります。以上です。
(上山): 一点目は同感、二点目は半分同感、三点目も半分同感です。一点目のベンチャーの部分に関しては、まさにおっしゃる通り、融資とか税金を間接的にでも入れるべきではないと思います。むしろマーケットの整備をきっちりとやるべきです。ただそれも政府の仕事ではないと思うのです。孫さんがナスダックを日本にもってきましたけれども、私は、マザーズだのファーザーズだのカズンズだの何でもいいですから、多重多元的なマーケットを作るべきだと思います。
ベンチャー企業を起こす上で重要なのは、資本市場の問題ではなくて、むしろ製品市場の問題です。例えばオンラインで中古のマンションを流通させるということは、技術上はいくらでもできるし、それがまさにネットビジネスのいいところなのですが、中古マンションの格付けをするマーケットの整備ができていないといけません。それをレインズという建設省系の非常に硬直的なシステムが独占していて、それでマーケットが使えなくなっているのです。
ですから市場に政府が関与するということ自体が悪であって、そういう意味では資本市場を政府がつくるということも多分悪で、税制をもっとマーケットの流れに合わせて変えていく、そちらの方が主な仕事であろうと思うのです。
それから財政再建問題は、私はモラルハザードという観点からすると、やはり今の姿は問題だと思うのです。経済学的にはおっしゃる通りここまで破綻してしまうと、フィスカルポリシーは否定はできないけれども、しかしながらそれに悪乗りして使っている予算が相当あるでしょうから、私はマクロでは賛成ですが、個別に見るといかがなものかなと思う話がほとんどだと思うのです。
それから大蔵省の責任ですが、私は大蔵官僚の責任、あるいは時の大蔵大臣、政治家の責任、この両方セットで個人の責任を問うべきだと思います。大蔵省という抽象的な組織そのものを批判している限り、やはり問題は解決しません。大蔵省という抽象的なものに全部任せてしまったということは、天皇制という抽象的なもので戦争の責任をいいかげんにしてしまったことと同じで、私は組織としての大蔵省というのを批判しても、結局誰も何も変わらないと思います。
(畑): ありがとうございました。そろそろお時間でございますが、今の最後のご質問について少しコメントさせていただきます。
まずベンチャー税制ですが、ご存知かとは思いますが、ベンチャー企業への株式譲渡損失と他の所得との損金通算を可能にするよう、自民党の税制調査会で私たち若手議員がかなり強く要望をしました。それは実現できなかったのですがその代わりに、これは米国と比べても画期的だと思うのですけれども、譲渡益を4分の1に圧縮するということで調整がつきました。ちょうど折りも折、マザーズやナスダックジャパンがこれらか立ち上がるという中で、かなり意味のある税制が実現したのではないかと思っております。
だだ、マザーズが今、名刺交換会のような会を主催し、私もそれに出席することがあるのですが、もう既にその会主導で、「これが買いですよ、これがお薦めですよ」と、大手証券会社の方々がウラにいらっしゃるとしか思えない形で、銘柄のお薦めということを行っています。このようにバブリーな方法でベンチャー市場を活性化させるというのは非常に疑問を抱くところであります。恐らくジャンク・ディールがこれから山のように出て、下手をするとクラッシュが起きるのではないかと思います。私はベンチャー政策を進めてきた者として、このことを心から危惧しています。
大蔵省の責任という話がありました。私ども政治家も税制改正や予算編成で対峙することは非常に多いのですが、要するに大蔵省に税が入って、その歳入を大蔵省だけが予算として配分するから問題なのです。その解決策として、大蔵省を経由しない配分の方法を作ればいいのではないかということで、自分のお金を、NPOを初めとして学校や研究機関など自分の好きなところに直接投資、信託できるようにし、それについて税制の優遇措置を設けるという作業を、今超党派で実行しております。ぜひ皆様方からご支援を賜れれば幸いに思います。
恐らくまだまだ皆様方たくさんお話を聞きたいとは思いますが、上山先生がこのレジュメにご自身のメールアドレスを書いてくださっております。私がいろいろな疑問、質問をメールに書いて送ると、非常に明快かつ懇切丁寧にすぐに答えてくださるのが、上山先生のすばらしいところでございますので、皆様方もメールを送ればお答えをいただけると思います。
本当は上山先生がもう一人、二人いらっしゃると世の中がかなり大きく変わるのでしょうけれども、お一人だけでも十分変わると思います。どうかくれぐれもご自愛の上、またご指導賜りたいと思います。
皆様、最後に今一度上山先生に盛大な拍手をお願いします。ありがとうございました。
以上