都政研究社「都政研究」99年10月号、掲載前草稿
『東京都の行革には「科学的経営手法」を』 上山信一
(マッキンゼー日本支社パートナー 行政経営フォーラム主宰)はじめに
筆者は大企業の構造改革を専門とする経営コンサルタントである。だが、元々は国家公務員であり、また海外の行政改革の話を見聞する機会も多い。今回は東京都の今後の行政改革について、極力、民間企業経営の視点、またグローバルな視点から、問題提起をしてみたい。もっとも、筆者は自治体経営の専門家ではない。諸制度には精通していない点をあらかじめご容赦いただきたい。だが、巨大組織を刷新するという意味では、民間の大企業の改革手法を導入しないと容易には改革できないと思われる。ちなみに、東京都の予算を売上と見立て、日本企業の売上トップ一〇社(金融、流通業は除く)と比べてみると、その規模は、NTTや東京電力、松下電器を上回り、トヨタ自動車に次ぐ第二位となる。従業員数も、トヨタ、日立、東芝といった六万人企業に匹敵する。都庁の経営改革には、相当高度な戦略と手順が必要だろう。
第一章 そもそもなぜ「行革」なのかを問い直そう
そもそもなぜ行革が必要なのだろうか。財政危機だから、あるいは地方分権の時代だから、とよく言われるが、これでは理由として不十分だ。大局的な「時代観」が不可欠だ。企業も行政も、国家も個人も、すべてが未曾有の構造変化のカオスのなかに放りこまれつつある。この文脈のなかで、「行革」の意味は考える。筆者は、三つの観点から行革が必要だと思っている。第一には「国家公益独占主義」の崩れ、第二には「資本効率革命」、第三には「デジタル情報革命のインパクト」である。
@「国家公益独占主義」の崩れ
およそ今までわが国では、公共的なことはすべて役所の仕事と決まっていた。ところが、NPOやNGOなど、官でも民でもないものの役割がでてきた。また、政策は官が決めるが、実施は民に任せる、という考え方もでてきた。箱物施設の「公設民営」の考え方やPFIなどは、この考えの延長線にある。つまり、プロデューシングは官がやっても、サービスの提供はむしろ民に任せることが増えててくる。
民に任せるとなると、契約のテクニック、あるいは業績評価に基づくインセンティブの付与、などのスキルが必要になる。競争原理をどう「利用」するかという問題である。こうした競争原理は、官のなかにも次第に浸透しつつある。官のなかで発注する側を政策部門といい、受注し実施する側をエージェンシーと峻別し、両者の間に緊張関係を持ちこむという考え方である。国と地方の関係でも、こうした契約関係がはっきりしてくる。本物の「地方分権」というのは、こうした緊張関係のうえに成り立つ。いずれにせよ、すべての公共サービスを官が独占するという前提が崩れ、また官同士とNPOとの競争がでてくる。さらに、独占ではなく契約に基づく流動的な役割規定、がこれからの主流になる。
A「資本効率革命」
最近、ROE(株主資本利益率)という言葉をよく耳にする。これは、株主が企業に投資したときにどれぐらいの利回りが得られるか、を示す指標だ。最もリスクが少ないといわれる米国債を買っても四〜五%の利回りが得られるわけだから、倒産のリスクがある企業への投資の利回りは当然、これよりも高くなければならない。
日本企業のROEはこれまで、異様に低かった。平均二〜三%だった。これは国内の資本市場が閉ざされており、調達コストも低かったからだ。ところが、資本市場が情報テクノロジーやビッグバンでグローバル化するとともに、こうした「国内ルール」が一気に崩れ始めた。利益に対する企業のマインドが極めてシビアになりつつある。
となると、税金に対する考え方も、これまでどおりにはいかない。従来から、「民間企業は血のにじむ思いで努力。片や、役所は親方日の丸でけしからん」とよく言われてきた。これからはそれどころではなくなる。世界的に行政評価がブームだ。これは、こうしたコーポレートカルチャーの反映である。企業の業績は利益で測る。同様に、税金の対価としての行政サービスの価値を成果指標(アウトカム指標)で示さないとやっていけないという時代の反映でもある。そして、その先にはいずれ、まさに、行政サービスの見返り(より安くより良いサービス)が期待できない場合には税金はもう払わない、という発想もでてくる。
B「デジタル情報革命」のインパクト
コンピュータと通信の性能とコストの飛躍的な向上で、事務やサービスの効率が猛スピードで高まっている。日常の生活のまわりを見ても、電話やインターネットで送金や株式の売買、あるいは航空券の手配や通信販売が瞬時にできるようになった。企業のなかの事務処理も飛躍的にスピードアップされており、複雑な損益収支決算も一ヵ月、あるいは二週間後にはでてくる時代だ。なかにはソフトバンクのように、日次決算をやっているような企業すらある。また、高性能の演算処理能力を使えば、その時々の相場に合わせた価格の設定やきめ細かな顧客のニーズ分析や業績評価なども、経営に生かせるようになる。
片や、行政サービスの進化のスピードは遅い。住民票の交付に、わざわざ窓口へ出向き、しかも一〇分も二〇分も待たされるといった状況だ。デジタル化時代の行政サービスのあり方を、ゼロから再設計するべきだ。
●今の「行革」は単なる目先の危機対応
さて、行政改革というと、国も自治体も、どこも判で押したように「予算の削減」「人員の削減」「組織の簡素化」の三点セットを掲げるばかりである。五年後、一〇年後の国あるいは地域のビジョンを示し、それに向けてのアクションプログラムを打ち立てる、といった本質的な戦略分析があまりなされていない。そもそも行政機関の中期計画には、先ほど述べたような時代認識がほとんど感じられない。
そもそも、いつまでも行政機関が今の形のまま存続する、と思ったら大間違いだ。質やスピードが劣るサービスは早晩、外注化が始まり、非効率な行政サービスはやめて減税せよ、といったニーズがでてくる。残った行政業務もかなりはIT化される。政府の機能は、外交、軍事のほかには、公正取引委員会のような利害調整や議会の事務局だけ、といったことも想定すべきではないだろうか。
第二章 海外で成果をあげつつある「科学的経営手法」に目を向けよ
●八〇年代の英米の行革手法の進化日本ではあまり紹介されていないが、八〇年代以降、英米では行政改革の手法が飛躍的に進化した。八〇年代、英国でも米国でも大企業が苦境に陥った。が、そのなかで、日本企業からTQCの手法を学んだり、情報技術を駆使したアウトソーシングの手法が生まれたり、多くのイノベーションがあった。コーポレートガバナンスに目が向けられたり、社外取締役や格付け機関の機能も強化された。
このように大企業の経営スキルがシェープアップされるにつれ、行革の手法も大きく変わった。英国では、サッチャー首相が就任直後、内閣に効率室(Efficiency Unit)を置いた。大手スーパーのマークス&スペンサーのレイナー卿を招聘し、政府の業務改善に民間企業の手法を取り入れた。さらにサッチャーは、自治体のサービス業務に強制競争入札を導入した。これは、民間企業でも提供できるサービスについてはすべて強制的に入札にかけるというもので、民間企業並みの質と効率でサービスを提供できない自治体は存続できない、というところまで追いこんだ。また、一部の地域を除き県を廃止した。県の存在意義はないと考えたのである。
片や、米国では、先進的な自治体が自らを公的な企業体(パブリック・コーポレーション)と位置付け、サービス産業の経営管理手法を次々に取り入れ始めた。例えば、オレゴン州、テキサス州、あるいはサニーベール市(カリフォルニア州)、オースチン市(テキサス州)などである。サニーベール市では、職員の業務効率を二週間ごとに数値で測定し、結果は幹部職員のボーナスに反映させる、という手法を開発した。その結果、八六年から九六年の一〇年間に労働生産性が三〇%も向上し、九五年から固定資産税を一五%減税した。また、例えば、フロリダ州コーラルスプリング市などでは、役所そのものを株式会社化してしまった。
●英米に何を学ぶか
さて、九〇年代の日本にこのような英米の教訓をどう生かすか。米国からは、企業のダイナミックな経営手法を学び、また英国からは、強力な政治的なリーダーシップのあり方を学びたい。
まず米国の行政経営の手法だが、その基本原理は三つである。第一は顧客志向。これは、サービスの利用者あるいは納税者をお客様と見立て、そこの満足度を最大化することが行政の使命だ、という考え方である。第二に成果主義である。これは、顧客にとって目に見える具体的な成果を示せないかぎり税金は払えない、というバリュー・フォー・マネー追求の思想である。第三には競争原理の導入である。例えば、図書館のサービスの人口一人当たりのコストを自治体間で比較分析(ベンチマーキング)する。その結果を公表すれば、本来は競争のない自治体の間でも競争原理が働く。あるいはマーケット・テスティングという手法もある。もし民間でこのサービスをしたらいくらかかるかを数値化して、市場価格より高いか安いか、チェックする。
英国に学ぶべきは、「行政依存型社会」からの脱皮の手法だろう。サッチャーがやったことは、平たく言えば、これまでは「揺りかごから墓場まで」面倒をみてきた福祉国家を解体し、労働者を自立させ、また利権にまとわりつく政治家や行政組織を一掃した、ということに尽きる。例えば、国営企業の民営化。民営化して株式を労働者に購入させ、キャピタルゲインを共有化させることで、経済的な自立を促した。このようなドラスティックな「社会革命」の手法もこれからの日本の行政改革の視野に入れる必要がある。
●ニュー・パブリック・マネジメント理論の考え方
八〇年代から実験されてきた英米のこのような経験は、九〇年代に入って「ニュー・パブリック・マネジメント理論」として体系化されつつある。基本原則は、先ほど述べた顧客主義、成果主義、市場競争原理の三つである。もしこれをわが国で実際にやるとなると、行政そして社会のあり方の根本原理に挑戦する課題だ、ということがはっきりする。
まず第一の顧客主義だが、これは実は、行政イコール統治機関という伝統的な考え方と真っ向から対立する。日本人は、御上に税金を取られるのは当たり前だと思っている。役所は自分たち「臣民」を統治する機関であって、自分たちが税金を払って「食わしてやっているサービス公社」という発想がない。行政の側にも勘違いがある。「市民に愛される行政」などというキャッチフレーズをよく耳にする。がよく見てみると、水戸黄門や大岡越前のような「粋なはからい」のことだと勘違いする向きがある。普段は偉いところにいる人が庶民のところにきて、大盤振る舞いでサービスをする。これが対市民サービスだと勘違いしている幹部職員がいる。市民の側にも、誤解する向きがある。「より良いサービスをより安く」提供できないのならもう税金は払わない、というところまでいって初めて、顧客主義は実現する。道のりは遠そうだ。
第二の成果主義についてもギャップがある。わが国の行政マンは、法令や通達の手順どおりやることが「良い仕事」の定義と考えている。仕事の効率や顧客の満足度よりも「法適合性」のほうが一〇〇倍重要なのである。そもそも経営とか効率といった言葉やツールが理解されていない。経営などというのは利潤を追求する企業のやることで、俺たちには関係ないと考える向きが多い。これについても、とりあえず、まず各業務の効果と効率を指標と数字で評価してみる、といった作業から手をつける必要がある。
第三の競争原理の導入だが、これについても現状との隔たりが大きい。そもそも一旦つくったものを壊すということ自体が「想定外」あるいは失敗、とされる文化が問題だ。まずやってみて、市場が受け入れなければその事業はやめ、といった柔軟な発想ができない。また、あちこちに旧ソ連型の計画経済の原理がまかり通っている。この激変の時代に五ヵ年計画を立てて、そのとおりいくと予想すること自体がおかしい。片や、英米では、「社会実験」と称してバウチャー制や民間への業務委託など、ありとあらゆる手法が次々に試されている。しかも、誰しもどれもまだ不完全な手法だとわかっている。実験しているうちに、いずれベストな手法が自然淘汰されて残っていく、と考えている。
以上、英米で育ちつつある「科学的経営手法」について述べてきた。ちなみに、こうした手法の使いこなしに関しては、日本はおよそ二〇年くらいの後れをとっており、またそもそも民主主義の歴史は、などと言い出すと一〇〇年近くの時差がある。しかし、経営学には「後発者のメリット」という言葉がある。先発のプレーヤーが試行錯誤した結果を十分に学び取れば、先発が二〇年かけてやったことを後発は五年でできる。さっさと海外の事例に学び、そのうえで取捨選択して日本の風土に合った手法を見出すべきである。
第三章 東京都がやるべきこと
冒頭でもお断りしたが、筆者は自治体経営の専門家では必ずしもない。だが、海外の自治体改革のめざましい成功事例は直接、多数見聞きしている。例えば、サニーベール市、カリフォルニア州、テキサス州、アリゾナ州、バージニア州、シャーロット市(ノースカロライナ州)などの一連の改革の話は、直接現地の人から聞いた。また、連邦政府については、行政監視院(General Accounting Office )などの専門家との討議もしてきた。ここでは東京都の改革アプローチについて、国内の大企業の改革の経験と海外の成功事例の分析結果に照らして、試論を述べたい。●従来型の行革の効果は期待薄
よくある行革の三点セット、つまり、「予算カット、人員抑制、組織簡素化」の三つは、そもそも改革の名に値しない。企業でいえば、これはケチケチ運動でしかない。収入が減れば身の丈を小さくするのは当たり前だ。この程度のことなら、わざわざ都民に広報する必要すらない。右肩上がり経済の時代であれば、不況時にはこの三点セットでしのぎ、税収の回復を待つ、ということでよかった。だが、冒頭述べたとおり、今回は二十一世紀に向けた行政の根本原理が問われている。財政危機などは、実は危機の名にすら値しない。むしろ都庁は、「存続危機」をすら意識し、各部門、各個人が自らの存在意義を再確認すべき状況にあるのではないか。
単に民間企業の経営手法を入れる、というお手軽な発想もだめだ。例えば、バランスシート(貸借対照表)づくり。つくってみることの意義は認めるが、活用の余地は乏しい。自治体は、税源、財源に自由度がなく、また支出裁量の枠も小さい。つまり、日本国株式会社を大株主とする下請けの生産子会社のようなものでしかない。中央政府とすべての自治体、特殊法人、認可法人なども含めた、日本国政府全体のバランスシートをつくるというのであれば意味はある。が、単なる一工場部門の貸借対照表を眺めてみても、経営改革上の洞察はあまり得られない。財政危機だからバランスシートをつくるという発想はいただけない。
行政評価に関しても、本来の趣旨をわきまえなくてはならない。行政評価は、企業でいう業績評価である。株主たる納税者に業務改善計画とセットで説明したり、あるいは予算、人事考課などの生かして初めて意味をもつ。書類づくりだけが先行してはいけない。
●「官庁任せ」のカルチャーの脱皮を
そもそも日本の行革がだめな理由の一つは「官房部門」が主導しているからである。官房部門とは、予算、人事、組織などを掌握する部門を指す。これらの機能は、企業でいえば、全社支援機能あるいはコストセンターでしかない。資源配分の事務局ではあるものの、二十一世紀の地域のビジョンはいかにあるべきかとか、具体的な対顧客(市民)サービスのバリュー・フォー・マネーをどのようにして上げるか、といった問題意識は、こうした部門の主導ではつくりこめない。
片や、企業では、経営改革といえば、まず現業の事業部門が率先して取り組む。それをやったうえで、字余りとなった部分を全社支援部門である総務課などが引き受ける。改革の旗振り役を事業部門の現場に移すことからやり直す必要があるのではないか。
●事業部門主導の改革を
昨年、筆者は「東京都が事業本部制を導入」という新聞報道を見てワクワクした。民間企業にならい個別の現業分野別に現状分析と戦略の見直しが行われ、具体的な事業改革が進むと期待したからである。だが、進捗はどうだろうか。
ちなみに、米国の各州の改革は、極めてビジネス戦略的である。改革案はまず、各局のレベル、例えば社会福祉や経済開発などの事業部門別に立てる。各局で最初にやるのは、「顧客が誰か」を問い直す作業である。例えば、経済開発部門であれば、顧客とは地元企業であり、これから誘致の対象となる他地域にある企業などである。
顧客が決まると第二にやる作業は、顧客の状態が何年後にどうなっていればよいのか、という目標値の策定である。ここでは、「SWOT分析」をやる。これは、strength、weakness、opportunity、threatの四つの頭文字を取ったものだ。例えば、企業誘致に際してわが州の強み、弱み、あるいは目の前のチャンス、もしくは企業流出を招きかねないリスクなど、現状をきっちりと分析するのである。
第三の作業は、そこから戦略を立てて、具体的に数年後どうあるべきかを現実的な形で数量化する。例えば、産業構成。現状は、食品加工と化学で五割、その他が五割だったとする。これを、ハイテクで五割、教育サービスで二割、その他が三割という構成に一〇年後にはもっていきたい、といった具体的な戦略を描く。
第四にやる作業は、それに向けてどのような施策(プログラムという)を打っていくか、ということの検討である。誘致のためのキャンペーン活動、あるいはハイテク産業に対する免税措置などがプログラムだ。
ここまでできたら、次には、実行手段と実行主体を決める。連邦政府の補助金をもらい、それを企業に与えてやってもらうのか。あるいはむしろ税金は使わずNPOに助けてもらい、そのかわりに企業からの寄付集めを助けるのか、といった金策も含めた作戦を考える。
こうした一連の流れが事業戦略(ビジネスストラテジー)である。米国の行政マンは文字通り「ビジネスストラテジー」という言葉を使う。ビジネスストラテジーができて初めて、予算や人員の必要量が算出されてくる。米国の州政府では、九〇年代に入り、財政危機をきっかけにこのような事業戦略の見直しが随所で行われた。その結果、かつては組織や部門についていた予算が、施策(プログラム)別に編成されるようになり、また、行政評価の結果を反映して、新規の予算をゼロベースで考えていく、といったフィードバックのサイクルがまわり始めている。
こうしたやり方の刷新の効果は著しい。かつては総花的にばらまいていた予算の項目が絞られ、シェープアップされてくる。また、政治家も交えて既得権益化しがちな補助金などが、定期的に数字とともに見直しの眼にさらされるようになる。おしなべて財政再建に貢献し、同時に重要な事業・業務の質も上がる、といった効果が出始めている。
●見直しは経営者の視点で
さて、もし東京都がこのような事業改革をやるとしたら、それを誰がやるのか。わが国の場合は、企業も役所も下からの積み上げ方式で戦略を立てることが多い。下からの積み上げだけだと、どうしても冒頭で述べたような時代感覚が欠如し、現状の維持、改善に終わる。トップが頭を使うべきだし、さらに外部の専門家の助けを借りるべきだろう。
ビジネスストラテジーのなかには、もちろん政治判断に関わるものもある。そのようなときには、選択肢をまずいくつか並べてみる。案Aだと、コストは高いが、効果は大きい。案Bだと、コストは安いが、効果も小さい、といったような対照比較をして、オープンな議論をする。
●各現場に「スーパーの女」を
映画『スーパーの女』をご覧になったことがあるだろうか。これは、スーパーの店主の幼馴染の女性がパートで採用され、消費者の視点から次々に問題を指摘し、最後には店のサービスと経営の大改革までやってのけてしまう、という伊丹十三監督の映画である。経営改革は、同時に現場でこのような改革を伴わないと実践はできない。トップダウンでいくら立派な事業計画を描いても、目の前の現場で起きていることに、職員が意欲的に取り組んでいなければ、ざるで水をすくうようなものだ。現行制度や規則、あるいは予算の不足など、いろいろな制約はある。だが、そののなかでも、みんなで相談して工夫できることはある。上手い経営というのは、いろいろな制約のなかでやりくりすることをいう。民間企業でやるようなTQCや顧客満足度運動などのような、地道な活動がなければいけない。
第四章 改革の手順と成功のカギ
●改革プログラムは一〇年の計大企業の経営アドバイザーとしての経験をもとに、都庁という巨大組織はどうすれば早く変わるか、ということを考えてみよう。民間企業の場合でも、このサイズの組織の改革には、優に五年はかかる。例えばIBMの場合は、九三年四月に、ルー・ガースナーがCEOに就任してから、二年間はひたすら過去の遺産の大掃除に時間を費やした。回復の兆しが出てきたのがやっと三、四年目。サービス業を中心とした新しい事業形態が育ち始めたのが五年目だった。行政改革の場合は、こんなにスピーディーにはいかない。めざすことのレベルにもよるが、どう見ても八〜一〇年はかかるだろう。
一〇年の計だとして、改革の段取りは三段階で考える。
第一期は、問題の掘り起こしである。課題が山ほどあるなかで、本当に注力すべき課題は何かを発掘し、絞りこむ。第二期は、事業部門別に戦略を立て直し、事業改革の手法を次々に埋めこんでいく。これには優に二、三年はかかるだろう。四〜五年目からは第三期で、いよいよ外科手術の時期だ。一部の、現業の民営化や市町村、区への業務の完全委譲、あるいは抜本的な組織改革などが考えられる。
以上の流れを図示したのが図Aである。具体的に中身をもう少し見てみよう。
@第一段階=問題の掘り起こし
筆者が東京都の職員と接するたびにいつも思うのが、「どう変えたいか」という問題意識の弱さである。言うまでもなく、現場の危機感、問題意識が薄いうちは、いくら外部やトップが「改革をしろ」と言っても、テコでも動かない。
取り組むべき課題はどうすれば見つかるか。第一に、経営幹部が現場に行く。都営地下鉄の改札口あるいは都立の看護学校の就職活動の現場、といった社会と都庁の接点で、真の経営課題が発掘できる。
第二に、現場の人や金の実際の動きのなかで、組織の矛盾を発見する。現場がおかしいと思っていること、困っていることをどんどんださせる。そこに制度や予算配分などの問題が析出しているはずだ。
第三に、職員の問題意識の活性化である。都庁は、秀才の集まりだから、一見、高尚な議論はいつもしている。しかし、議論はやめて、むしろ実践を迫る。例えば、都立の研究所。所長自ら近所の町内会に行って、いったいどんな研究をやっていて、どんな成果をだそうとしているのか、普通の「都民」に対して実際に説明してみる。素人のなかから、生き生きとした問題意識が湧き出してくるものだ。
A第二段階=事業戦略の見直しと経営ツールの導入
事業戦略は各部門、つまり局別に考える。例えば、下水道局。下水道局の使命は何で、顧客は誰かを見定め、そしてスポット分析をする。そこから、将来の改革目標を具体的にだす。それに合わせて、現在の予算や人のかけ方、業務の発注の仕方などを変える案をだす。
いわゆる官房部門は、こうした作業のためのマネジメントツールを提供する。例えば、戦略立案の仕方、あるいは目標管理や業績評価といった人材マネジメントのツール。さらに財務分析や行政評価などの手法。こういったツールを、庁内のコンサルタントとして提供する。
また、重要なのは、このような事業計画に権威をもたせることだ。日本の行政の場合、えてして事業計画は床の間に置いたまま、予算の取り方にエネルギーを割くきらいがある。
これと比べて、海外の先進事例では、事業戦略から導かれた施策(プログラム)の体系がはっきりしている。そして、プログラムごとに予算が配分される(プログラム予算)。こういう仕組みのもとでは、予算折衝でのバトルよりも、事業計画あるいはプログラムの中身についてのバトルが重視される。資源配分の生々しい話の以前のところで、前もって利害調整も進む。予算編成の作業も楽になる。米国のある州の幹部は、プログラム予算のおかげで、予算折衝で神経をすり減らす必要もなくなり、予算の関係者に負担が集中することもなくなった、と述べていた。また、各プログラムを担当する各部門が自立的な責任をもち、情報を公開していけば、予算や評価との一元的な経営ができる。
B第三段階=抜本的な組織運営再体制の見直し
さて、第一、第二段階での約四年間の地道な改革活動を経て、どこに無駄があり、何が不必要な仕事かが、はっきりしてくる。すべての部門に同じ機会を与え、改革をめざして頑張った。それでもあまり成果がでてこないような場合は、組織の見直しや民営化が必要になる。
例えば、清掃局、水道局、下水道局、交通局といったような現業部門は株式会社化し、十分なディスクロージャーのもとに市場競争にさらす。東京電力などの例を見ればわかるが、株式会社化しただけで、公益性が損なわれるわけではない。英国でやられているような、政府が重要な意思決定の際には拒否権をもてる黄金株を一株もつ、といったような手法もある。株式会社に補助金を投入してもよい。株式会社化して上場すれば、実は年金基金の積み立て不足などの問題解決にも貢献する。
民営化と並びもう一つ考えるべきことは、都庁本体と市町村あるいは区との間の役割分担の見直しだ。例えば、大きな区は大阪市、神戸市などの政令都市並みの仕事をしている。であれば、独立した権限を与えてもよいのではないか。民営化や地域管轄の見直しにはきめ細かさが必要だが、原則として、現業はすべて民営化し、そうできないものは市町村と区に移す、といったような大方針のもとでの外科手術も必要になるのではないだろうか。
●企業経営手法の制度化を
米国の連邦政府の行政改革がうまくいっている最大の理由は、政府業績評価法(GPRA法、Government Performance & Results Act )が法制化されていることである。これは、各省庁、各部局に成果指標の提出を義務づけ、それを予算編成の材料にする、ということを法制化したものである。米国政府では、大統領が代わるごとにいろいろな行革の手法が提案されてきたが、いずれも長続きしなかった。前任者がやったことを否定する慣行のせいである。だが、このGPRA法は、クリントンの民主党政権のもとで、共和党のウイリアム・ロス議員が議員立法で提案し、民主党も含めた多数派が支持し、法制化された。
東京都の場合も、科学的な経営手法を予算、ひいては部門と個人の業績評価につなげていく、という仕組みを工夫し、是非とも条例化していただきたい。国でも、行政評価法の検討が進んでいるが、国に先駆けていただきたい。
●明るく職員を盛り立てるべき
知事や幹部のリーダーシップがないと改革ができないのは事実だが、実際に改革作業に取り組むのは現場職員だ。職員が生き生きとしていない現場では、住民サービスも期待できない。民間企業の場合、エクセレントカンパニーであればあるほど、Employee's Satisfaction(職員の満足度)が高い。例えば、ディズニーランドは、現場職員の賃金は最低賃金並みに低いが、ちょっとした工夫をした職員を表彰し、みんなで盛り立て、極めて明るく楽しくやっている。「ディズニーにいた」ということが本人のプライドになり、社会からも尊敬される、という好循環が形成されている。
米国連邦政府の行政改革の場合は、ゴア副大統領がナショナル・パフォーマンス・レビューという改革運動を率先し、各地で現場の改善チームがいろいろな工夫に取り組んでいる。成功したところを表彰し、メディアに紹介し、マスコミも協力して改革を盛り立てている。
片や、日本の場合、公務員バッシングがいまだに盛んだ。マスコミにもその責任の一端があるが、そうでなくても賃金カットなどで、現場の士気は落ちやすい。改革に取り組む現場の動きをいち早く察知し、それをほめたたえる、といったような幹部の配慮が今こそ必要だろう。
●改革の動きのディスクロージャーを
東京都にかぎらず、巨大組織の改革を加速するには、どうしても外圧が必要だ。どこの誰が抵抗しているというわけでもないのに、とにかく現状を維持しようとする組織の慣性が強いからだ。
大企業の場合、筆者がいつもアドバイスするのは、社長が率先してプレス・リリースや投資家へのインベスター・リレーションをすることだ。自分の肉声で外に対して高い改革目標を掲げてしまう。例えば、「五年後に利益を二倍にしてみせる。もしできなければ自分は退任する」と、社長が外で明言する。すると守旧派は一切抵抗できなくなる。また、マスコミなども支持にまわってくれる。
現在の東京都は、それでなくても巨大すぎて何をやっているのか、よくわからない。いったい何ができていて、何ができていないのか、をさっさと分析して、開示するべきだ。そして、都庁の内と外の両方の危機感を煽る。そこからすべては始まる。トップダウンでも動かないような組織でも、マスコミから「よくやった」と誉められれば、少しずつ動き出す。情報も含めて現状をオープンに開示し、そのうえで状況が少しずつでも良くなってきていることを定期的に外にだす。こうした地道なコミュニケーションが改革を持続させるカギである。
おわりに
長年、大企業のコンサルティングをやっていると、企業の寿命のようなものがだんだんとわかるようになる。最盛期を過ぎてしまった企業の特徴は、次の三つである。@余ったお金で、立派な本社ビルを建ててしまう。
Aすばらしい人材がそろっているが、現場の事情に精通しておらず、社内での高度な観念論に時間とエネルギーを費やしている。
B将来、自分の事業をどうしたい、こうしたいというビジョンを熱っぽく語る若者がいない。
東京都の場合、どうだろうか。もしこの三つが当てはまっているとすれば、すでに危険な状態だ。筆者はこれを大企業の「緩慢なる衰退プロセス」と呼んでいる。
ありきたりかもしれないが、改革を支えるのは結局、人材だ。せっかくリーダーシップを発揮できそうな石原知事がいる。職員の側はそれに上手く乗ったらどうか。また、知事と大いにケンカをするべきだ。葛藤やケンカのないところに良い案は出てこない。ビジョンをもった若手職員と知事との間で、激論が起きるようになればすばらしい。特に、元気のある若者や女性職員に期待したい。
(※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)