29:出産奮闘編
いよいよ臨月が近づいてきた5月初旬、マタニティ・クラスに夫婦で参加しました。「夫も参加していいんですか?」と聞くと(何をアタリマエのことを!)という感じで「シュア!(そのとおり!)」と言われました。マタニティ教室は、カップルで参加するのが原則で、ぞろぞろとお腹の大きい妊婦さんと、そのパートナーたちが集合します。出産の過程など医学的な知識をたいへんリアルな映像で教えてもらった後、陣痛のときのマッサージの仕方とか、パートナーがすることの訓練がありました。週末の二日を受講して、なんとなく「臨戦体制」という気分が盛り上がってきました。
5月の中旬になると、妻の足が急にむくんできました。予定日までまだ三週間あるのに、「なんでかしら」と言いながら妻は入院の準備を始めました。
妻が通っている教会の無料英会話教室の人たちが「ベビーシャワー」をしてくれて、感激したのもこの頃でした。「降るように(シャワー)」お祝いをたくさんもらうところから「ベビー・シャワー」というのですが、先生や同級生から思いがけず暖かいお祝いをしてもらい、「うれしい」と妻が目をうるませていました。
5月18日、明け方の4時に青い顔をした妻に起こされました。「出血した」と言います。すぐに長女をたたき起こして、車に身の回りのものを積んで、かねて言われていた産科病棟に駆け込みました。24時間、対応できる体制になっています。
医師の診断「今日産まれますね。」
ええっ?! あれま、娘の学校はどうしましょう。今日は、かねて練習をしてきたミュージカルの公演をする日で「絶対行きたい!」と娘は言います。仕方がないので心当たりの友人に電話をかけて、迎えに来てもらいました。日本語の上手なアメリカ人のパメラさんが迎えに来てくれて、庭で咲いていたバラとミントの葉を小さなカップに入れて置いていってくれました。心のこもったお見舞いです。
分娩室に移されました。でも、一見ホテルの部屋のような感じです。全然、病院臭がありませんし、きれいで明るくて快適なお部屋です。妻がウンウン唸り始めました。陣痛がだんだん大きくなってきます。腰をさすってあげても焼け石に水です。今回、こちら流に腰椎麻酔による無痛分娩を希望していたのですが、インフォームド・コンセントのための通訳の手配がつかないとかで、待たされます。だんだん陣痛の感覚が短くなってきて、妻はハアハア。亭主はその一部始終につきそって、オロオロしながら腰をマッサージするばかりです。ようやく電話口に通訳が出ました。妻がかすれ声で「ハイ、ハイ・・・」と言っています。次は麻酔医の指示で妻がベッドの上に上体を起こして背中を丸めます。腰の所に細い針が「ずぶり」と差し込まれました。麻酔液を送り込んでいるのです。たちまち腰から下の感覚がなくなったそうです。すると直ちに分娩体制です。看護婦さんがベッドの下半分を下に畳み込み、足載せ台を差し込むと、それまで普通のベッドであったのが、たちまち分娩台に早変わり。「レッツ、プッシュ!(さあ、いきみなさい!)」(陣痛の感覚はなくとも、腹部に当てた陣痛計で、陣痛が来ているタイミングはわかるのです。)
それから一時間あまり、プッシュ、プッシュで頑張るのですが、どうしても赤ちゃんの頭が通りません。ドクター・エリントン(担当医です)が「吸引しましょう」と決めました。真空ポンプにつながった吸盤を赤ちゃんの頭に張り付けて引っぱり出すのです。そうと決まると急に動きが慌ただしくなりました。ベッドの脇の壁が「ばん」と開かれ、ポンプやらパイプやらが取り出されてパシパシと接続されていきます。ガラガラとメスやら鉗子が載った術式ワゴンが運び込まれ、大勢の看護婦さんたちが詰めかけます。一気に部屋が物々しくなりました。ドクターが「カモン、カモン・・・」と赤ちゃんをゆっくり引き出していきます。頭が、スポンと外に出ました!「オゥケイ、カモン!」頭が出ると、身体はまるでそのオマケのように、スルリと出て来ました。「ふぎゃあああ!」娘の元気な産声が聞こえました。その同じ部屋で、赤ん坊をきれいに洗ってくれて、母親の側に置いておいてくれます。アッという間に部屋は片づけられ、たちまち居心地のよい元の部屋に戻りました。
体重6ポンド6オンス(2,880g)、健康に次女・礼奈が誕生いたしました。時刻は午前11時15分。ちょうど、定期検診のためにドクター・エリントンに予約していた時間でした。
気がついてみると、窓の外にはオレゴンの5月の青空が広がっていました。新緑の緑が目に沁みるほど鮮やかです。オレゴンの青空は、いつも青くて高いのですが、5月の18日の青空は、殊の外青かったような気がします。緑萌え、花咲き乱れるオレゴンの初夏。生命のみなぎる季節に、我が家にも新しい命が誕生いたしました。
万緑に こだませ吾子の 呱々の声