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9:ポートランド給食事情


馬場です。ここのところ学校の話ばかりですが、もうひとつ。

 食い物がまずいことでは定評のあるアメリカ。新鮮で豊かな食材に恵まれているにもかかわらず、日本人がヘキエキしてしまうマズイ食事が多いのは、本国イギリスにおける「食文化の欠落」をそのまま引き継いだためと思われます。だから日本食を初めとする外国料理が受けています。中でも地理的に近いメキシコ料理(タコスなど)が幅を利かせています。また「カリフォルニア巻き」というお寿司があるのには驚きました。Sushi の現地化もどんどん進んでいます。

 さて、娘が通うチャップマン小学校にも給食があります。昼食は弁当持参でもカフェテリアで食べてもどちらでもよいのですが、食堂の「ホット・ランチ」は一食2ドル程度。バーコード利用の単純なシステムながら、プリペイドカード方式で食費を管理しているのに感心しました。

 しかし米国食文化の伝統を踏まえて(?)、献立はいたって質素。先週の木曜日ですと、ピザが一切れとセロリ(ただゆでただけのもの)が数本、バナナ、クラッカー、牛乳。それが使い捨てのトレイにポンポンポンと入れられて終わりです

(フォーク・ナプキンも使い捨て)。基本的に、出来合いの食材を暖めて出すだけなので、ピザがハンバーガーになったりタコスになったりするだけで、だいたい毎日同じようなものが出ます。食堂で働いているのは女性二人だけですから、何百人もの生徒に手のかかった料理が出せるはずもありません。

 これに比べたら福岡市の市立小学校で出されている給食は、芸術と言ってもよいくらいです。メニューは多様だし、栄養のバランスはいいし、だいいち、手間と愛情が込められています。最近は、韓国料理やメキシコ料理、ロシア料理まで献立のレパートリーが広がっていて、客観的に言ってもすごくおいしいものになっています。 ただ面白いことに、こういう貧弱な中ででも、米国では「チョイス」が与えられます。先週の木曜日で言いますと、ピザの代わりにサンドイッチかエッグロールを選ぶことができます。私の目から見ると、「究極の選択」みたいなもので、どれを選んでもあんまり嬉しくないのですが、娘にしたら「選べる」ことが嬉しいようです。

 また、食堂で友だちとワイワイ言いながら食べるので、その点でも楽しいらしいです。ただ、全校生徒がいっぺんに食べるので、とても騒然としています。それに先生が「食べ方」の指導をしたりすることはないようです。ですから食事が終わったあと、食堂の床は食べカスの山になってしまいます。そういうのを目の当たりにすると少し情けないです。日本の給食では、(確か「学習指導要領」にも書いてあったと思いますが)食べ方のマナーの指導もしてもらえるので、「教育」としての水準は高い

のです。子どもにとってはうっとおしいかもしれませんが。かたや画一的ながら平均的水準は高く、かたや「選択の自由」はあっても全体の水準は必ずしも高くありません。はしなくも、日米の(初等)教育の相違点が典型的に現れているように思います。

 私は、「選び取る」練習を積み重ねさせることにより「自己決定権=個人の自立」を確立させようとする米国流教育の理念はそれはそれで評価するのですが、「ピザとサンドイッチの選択」を与えることが本当に「自分で自分ことを決めることができる」自我の確立につながるのかどうかについては疑問を感じます。

規律によって鍛えられていない自我は、どうでもいいことは「選ぶ」ことができても、本当に大事なことについては選べないのではないかと思うからです。

もちろん、アメリカの教育が「規律」を忘れているわけではなく、程度の差ですが。娘の担任のオドーティ先生のように、騒ぐ子どもたちに睨みをきかせながらクラスをしっかり掌握している先生もいます。ただ、米国の場合は、和田さんのお話にもありましたように、格差が極端なのがもう一つの特徴なので、これまた「均一」と「格差」という対照ですね。

 教育という大問題に「ベスト」の解答はないのだと思います。日米という極めて異質な両国が、互いに刺激を受けあいながら、自己変革をしていくのが大事なのだろうと思います。


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