コメンタリー:失業

AERA(朝日新聞社、99年8月16―23合併号)
上山信一

 

歴史的な高失業率が問題になっているが、政府が社会的に失業を解消するという命題そのものもが、もはや時代遅れではないか。

 終身雇用から吐き出される人を別の企業に終身雇用でまた押し込めていく、という発想自体に無理がある。押し戻しても押し戻しても、企業は人を吐き出してくる。経営の効率化を目指すために、人材の抱え込みはやめざるをえない。

 個人の側でも、若い人たちを中心に会社にしがみつこうとは思わない層が増えている。すでに必ずしも終身雇用の時代ではない。もちろん転職の難しい中高年もおり、その立場や利害は異なる。失業問題は、年齢、職種、地域などのミクロのレベルで整理して論じるべきである。

 失業が社会的に解決できないのであれば、個人(求職側)、企業(求人側)の双方に歩み寄りを促すしかない。すなわち、個人は仕事のスキルを高めつつも、給与の高望みはやめる。企業については、今までにない採用方針を試し、リスクをとってみる。

 個人の側面では、「売れる」個人、つまり「バリュー人材」を育てるしかない。これからの成長産業を支える人材をつくる。

 これを支援するためには、投資運用や保険などの金融業のリスクマネジメントの考え方が応用できる。

 転職し、高額の授業料を払って専門学校に通ったのに、希望の職種につけず、給与も結果として下がってしまった、というリスクをカバーする保険が考えられる。

 あるいは、個人の転職にまつわるセーフティーネットがらみの金融サービスが考えられる。働きながら転職のため専門学校などに通う場合、その人の能力評価、再教育から、転職先とのマッチング、インターシップ、そして就職後の定着に至るまで、各段階にリスクがある。この費用を融資したり、リスクを保険で負担したりする。

 失業保険も広義には同種の機能をもつ。だが、「セーフティーネット・ファンド」の狙いは、失業してしまう前に本人が主体的に準備して、前倒しで転職することを促すことにある。いわば、民間版の失業予防保険である。

 また、雇用慣行そのものを変えるという国民的運動の展開も必要だろう。

 日本人は、企業も個人も横並びが大好きである。周りが終身、専業、フルタイムで仕事をしているのに、自分だけ契約社員やパート、二つの会社の掛け持ちであったりすると、居心地が悪い。

 一方、企業の方も、採用した人材の三割が二年以内に退社するといった話が広がると、「人を使い捨てにする」という風評がたつのを恐れる。であれば、流動化時代の雇用慣行をみんなで決めてしまえばよい。

暴論かもしれないが、大企業は一斉に終身雇用をやめる。二十五歳で契約更新、四十歳でまた契約更新、といった契約慣行をつくる。いったん、契約を切って転職するのが当然という風潮を大企業が率先して演出すべきだ。

 「フルタイム専業カルチャー」に対抗するには、社員の二五%は常にパートタイム、休養中、もしくは兼業状態にあるべし、といった「二五%ルール」も考えられるかもしれない。

 このような流動化促進策を進めるうえで政府にできることはあまりない。時代遅れの規制の撤廃と、最低限の社会政策として維持すべき失業保険の運用くらいだろう。

 政府が、先述のセーフティーネット・ファンドや雇用慣行づくりなど、民主導の動きを側面でプロデュースすることは考えられるが、既得権益を断ち切れずうまくいかないだろう。

 また、政府が雇用創出のために取り組む緊急施策の多くは流動的で自由な雇用市場の成立をいっそう遅らせてしまう。

 つまり、解けるはずのない問題を政府にまかせろといって引き取ってしまうと、転職の準備もなしに次々と失業の憂き目にあう犠牲者をますます出すことになる。

 企業の本来抱えるべきでない人材を抱えさせるための、企業向けの補助金は一切廃するべきである。失業防止のための雇用調整金はもとより、新規に人を雇わせる助成金もやめる。政府自らが職業訓練ビジネスを始めるのも考えもの。本当に役に立つ訓練は民間企業にしかできない。

 確かに、短期的な社会現象として、失業は大きな問題である。また、これからは、各人の雇用が短期化し、不安定になるという不安感がある。実質賃金が下がっていくという問題もある。

 だが、これらは、経済の成熟化に伴い回避できない現象であり、今から嘆いてもしょうがない。むしろ、その先にどのような雇用の秩序をつくるのかという課題に、すぐ取り組むべきである。

 その担い手は政府ではない。まずは企業がリスクをとる。それに加えて、個人がこの問題の本質を直視することが不可欠である。そして、出来ればこうした個人のリスク低下を支援する金融サービスが出来るとよい。

 これからの失業問題は、日本人にとって「個人の政府からの自立」を促すことになるだろう。

 個人と政府の離別の決意が問われているのである。

(聞き手・編集部 やだ矢田よしかず義一)