連載:「アメリカのミュージアム・マーケティング」 第2回
ニューヨーク:郊外新興勢力のコミュニティー開拓戦略

月刊「宣伝会議」2002.4月号
上山信一&稲葉郁子

前号ではマンハッタンに位置する三大美術館(メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム)について、企業顔負けのマーケティング戦略が展開され、激しい集客と資金調達の競争が展開されていることを報告した。さて、これらの三つの館ほど有名ではないが、最近めざましい経営改革に成功している館がニューヨーク郊外にある。今回はマンハッタン島の外に舞台を移し、ブルックリン美術館、ニューヨーク植物園、ニューヨーク科学館の三つを例に経営の立て直しと、そこにおけるマーケティングの工夫を紹介する。

三つの館に共通するのは、地元コミュニティーと来館者へのサービスを重視した業務改革、そして館長の強いリーダーシップの発揮である。郊外の館は、マンハッタンの三大美術館の後追いでは太刀打ちできない。不利な立地とブランド力の不足は企画力とサービスで克服すべく奮闘中だ。これらの館は、勢いのあるセカンド・グループを形成し、ニューヨークの博物館全体にも活気をもたらしている。

 

ブルックリン美術館のコミュニティーマーケとビジター・サービス

ブルックリン美術館は、ニューヨークではコレクションの数でメトロポリタンに次ぐ第二位の規模である。しかしメトロポリタン美術館とはカラーがかなり異なる。ブルックリンは人種構成が複雑な、いわば下町である。そこにある美術館は地元の人々の様々なニーズに応えなければならない。ブルックリン美術館はもともとアフリカ美術など民族色の強い、非西洋美術のコレクションを持っていた。そんな財産を活かしつつ、コミュニティーに親しまれる館に変身する工夫をし、かつて敷居が高かった美術館一般のイメージすら変えつつある。これは、97年にアーノルド・リーマン氏が館長になってからの大規模な改革によるところが大きい。

リーマン館長は就任後4年間に美術館を活気溢れる開放的な場所にするべく大改造をした。ギフト・ショップが拡張され、ロビーに巨大なスライド・プロジェクターが置かれる。企画展で様々な民族の文化を取り上げた。そして新しい来館者の獲得と観客の層の拡大に成功した。改革を徹底するために、50年以上も変えられることのなかったミッション・ステートメント(館の使命の宣言書)も変えられた。従来はコレクションが主役で、その保存と研究が美術館の使命とされていた。だが、「観客の満足度向上」を新たなミッション・ステートメントの最初にもってきた。美術館を訪れる人々の経験を最も重視する内容にした。これは美術館にとっては革命的な出来事で、大きな議論を呼んだ。

さらに、三年前からは、毎月最初の土曜日の夜5時から11時を無料開放している。これは全米中で他に例はない。通常の展覧会スペースや映画はもとより、レクチャーやワークショップなどの企画も全て無料、映画ホール(100席)と大講堂(500席)は毎回満員となる。子供のための催しもある。9時から11時はダンスパーティーでバンドやDJが入る。ショップやレストランもこの日は11時まで営業する。大抵5〜6千人の来館者があり、最も多いときは9千人も入ったという。人数だけでなく、来る人の人種・文化的バックグラウンドの幅の広さと世代の多様性も他に並ぶものがない。「第一土曜日の魔法」と言われるこのプログラムは地域に浸透し、人々の美術館への見方を変えた。同館はコミュニティーの一員として、次第に地域の人々に親しまれるようになった。

さらに同館では二年前からコミュニティー・リレーションズ担当の部署を設け、地元コミュニティーとの関係強化に努めている。例えば通常、美術館スペースは、結婚式や企業の会議やパーティーなどのために有料でレンタルされる。だが地域の非営利団体などには無料で提供する。また、選挙の日には投票箱を置く。どんな用件であれ、まず美術館を訪れてもらえばよい。そのあとで展示についても興味を持ってもらえばよい、という戦略である。

現在、ブルックリン美術館は次の戦略を立案中だ。マーケティング会社まで雇い、ブランド戦略を立てている。課題は「マンハッタンから遠い」「あまり安全ではない」などといった否定的なイメージの克服である。コレクションの数においてメトロポリタンに次ぐ「第二位」というのではアピールしない。むしろいかに来館者にとって居心地よい場所とするかに注力し、「来館者中心の美術館」としてアピールし、その面でだんとつの地位を確立しようというわけだ。

同館は常に話題を呼び、メディアにとりあげられる館である。1999年に「センセーション」という展覧会で物議を醸したことも記憶に新しい。ジュリアーニ前市長は当時その内容を「吐き気をもよおす」「宗教への冒涜」と表現し、展覧会の中止を要請、市の助成金約9億円の全額カットを持ち出した。これは全米を巻き込む大論争となり、法廷闘争にまで発展した。話題の同展覧会を見てみようと、美術館前には連日長蛇の列ができた。とにかくエピソードには事欠かない美術館である。

 

ニューヨーク植物園の経営改革

ニューヨーク植物園はマンハッタンの北、ブロンクスに位置する。約1平方キロの敷地は国の史跡にも指定されている。世界三大植物園の一つに数えられるこの植物園だが、一時は経営難に陥り、存続すら危ぶまれていた。危機感に駆られた理事会は、1989年に当時ニューヨーク市立図書館の副館長だったグレゴリー・ロング氏をCEO(最高経営責任者)兼館長として引き抜く。メトロポリタン美術館、アメリカ自然史博物館などの経営をも立て直してきた人物だ。ロング氏はここでも着実に成果を上げる。まず緊縮財政を主導し組織も再構築する。1990年度には早くも赤字を脱し、以後は施設、コレクション、基金、研究活動、教育プログラムなどの充実に努めた。ロング館長による改革を@来場者向けサービスの向上、A業務改革、B財政基盤の強化、の三つの角度から紹介しよう。

第一に、来場者向けサービスについて、まず低額だが入場料をとることにした。ショップやレストランを充実させて事業収入を伸ばした。あえて入場料をとることで無料が当たり前の公園や庭園とは違う研究機関としてのアイデンティティを明示し、価値をはっきり打ち出すことにしたのである。有料化によって、非営利とはいっても事業収入を上げるための改善に正面から取り組みやすくなった。従来は、そもそも"ビジター・サービス"という概念がなかった。だが、入場者をお客様と捉え直した。例えば広い園内を楽に見てもらうためにトラムを走らせるようにした。案内所や、子供のためのアドベンチャー・ガーデン、快適な休憩と食事のスペースも作った。その結果、利用者は増え続け、2000年度には63万人に至った。こうした努力は人々の植物園の価値への理解を高め、入場料収入だけでなく寄付金を増やすことにもつながった。

業務面では、IT化、人員削減、そして職員教育やマネージメントの改善を進めた。フルタイム職員を40人以上削減したが、特にセキュリティーと業務管理部門での人員削減が多かった。その代わりに警備スタッフのトレーニングや配置改善をした。各部署でもマネージメント改革と職員の待遇の向上に同時に取り組み、効率化と業務レベルの向上を同時に達成した。こうした努力の結果、現在ではフルタイム・スタッフ380名に対し、200名のパートタイムと800名のボランティアを活用する体制になった。

最後に財政基盤だが、年間予算はここ10年で約二倍に伸びた。(90年度の23.5億円から2000年度には44.6億円にまで成長=図1)。財源は、民間(個人・企業・財団)からの寄付38%、政府からの助成23%、事業収入26%、基本財産から13%となっている(図2)。コンスタントに安定した収入を得るため、特定の財源への過度の依存を避け、財源の多様性とバランスを保つことを重視している。また、非営利のミュージアムにとって極めて重要である基本財産(積み立て基金。コレクションは含まない)も10年間で22億円から105億円に増やした。ロング氏が就任してからの10年間に基本財産は三倍以上に成長、固定資本は90年の16.6億円から2000年度には6倍の102億円になった。ニューヨーク植物園の意欲的な改革の成功は、他の文化機関のモデルとして注目され、ゲティ・センターによるミュージアムの館長、経営者のためのプログラム(The Getty Leadership Institute)でもケース・スタディーとして取り上げられている。

 

ニューヨーク科学館の企業提携戦略

マンハッタンの東、クイーンズにあるニューヨーク科学館は1964年の万博のために建てられた。その後も科学教育の場として維持されてきたが、マンハッタンの外というロケーションとマーケティング不足のため、存在感が薄れつつあった。1984年に館長が変わり、アラン・J・フリードマン氏が就任する。彼は就任後の十年間に展示と教育プログラムを大幅に充実させた。見て触れて学ぶ参加型の科学博物館をめざし、86年には展示スペースを拡大、体験型の展示を充実させて、リニューアル・オープンした。やがてインタラクティヴな展示と教育プログラムは国内外の注目を集める。来館者向けサービスの向上も図った。同館では、赤いエプロンをつけた説明係(Explainer)と呼ばれるボランティアやパートタイムの学生が館内随所にいる。展示のしくみを説明し、利用者が体験型の展示をより楽しみ参加できるように助ける。また、ボストン科学博物館にもスタッフを派遣し、子供のための利用者サービスの研修もさせた。エンターテインメント性を重視したガイドツアーと子供たちに大人気のプレイショップのノウハウを導入するためである。

第二に、企業との提携や資金調達に取り組んだ。例えば、1999年に館内に開設した「バイオケミストリー発見ラボ」は、ファイザー製薬の財団(3000万円以上)と全米科学基金(2年間で約9000万円)の助成を得て開発された。これは世界で初の生化学の体験型実験室である。

また2000年にはIBMと科学技術センター協会(Association of Science-Technology Centers)とのパートナーシップのもと、世界の400以上の科学博物館・教育機関と協同でコストを分担し、国際的な科学教育ウェブサイト「TryScience.org」(6ヶ国語対応)を創設した。これにはIBMから最先端のウェブの技術とインフラの協力を得た。毎日数百万回のヒットにも対応可能である。充実した内容と子供にとっての使い勝手のよさ、楽しさ、優れたデザインに加え教育的価値が高く評価され、表彰された。今では世界各国で人気のサイトとなっている。これはネット上での国際的なアウトリーチ(Outreach普及活動)の成功である。アウトリーチとは、博物館のマーケティングでよく使われる言葉だ。人々が博物館に接する機会は限られている。興味を持つ人は多いが開館時間に現地に足を運ぶのは大変だ。実際に館を訪れる観客だけでなく、物理的、心理的に距離のある人々も含めた館外の広範囲の人々にサービスとリソースが活用されるように訴えかける教育普及活動である。具体的には、鑑賞機会に恵まれない人々のいる学校、病院などに出向いて活動したり、ワークショップや共同制作をすることを指す。アウトリーチという概念は、マーケティング活動よりも教育的意味合いが強いが、観客を開拓し自らの支持者の裾野を広げるという点でマーケティングにも寄与する。

同館長はさらに近年は方針を変え、マーケティングと広告にもお金を掛け、新たな拡張計画を進めつつある。特に小学生以下の児童をターゲットとし、屋内外に児童用の特別展示スペースを設ける予定だ。さらに館のイメージを上げるために"New York Hall of Science"という名称の変更も検討、これまで年間予算(約102億円)の1%にとどまっていた広告費も5%にまで引き上げる予定である。

 

以上、ニューヨーク郊外のミュージアムがそれぞれいかに来館者やコミュニティーに対するサービスを向上させ、観客を開拓しているかについて見てきた。共通するのは、改革の成否はリーダーとなる人のヴィジョン、才能、指導力と意欲にかかっているということである。企業改革と同様に、いかにリーダシップが重要かを実感した。

(了)★無断転載、複製を禁ず