時事通信社「地方行政」掲載前草稿
連載:行政サービスにマーケティング手法の導入を
第三回 『老人ホームでの顧客満足度の追求』
上山信一
(マッキンゼー日本支社パートナー
行政経営フォーラム主宰)
はじめに
行政サービスのなかには、社会的弱者向けの活動が数多くある。福祉施設や老人ホーム、病院あるいは幼稚園などの施設は、いずれも社会的弱者向けのサービス事業である。こうした分野では、顧客の満足度を高めるということは容易なことではない。専門家の方々が指摘するように、健常者には思いも寄らないような、心の迷いや不安、不満といったものがあるからである。こうした分野での顧客指向の追求は、言うはたやすく実際に行うのは大変に難しい。また、仮に何かを改善するとしても、地下鉄のように車両をきれいにしたり、投資をしたりというようなことよりも、末端で介護や看護に当たる人たちの意識を変えるとか、モチベーションを高めるなどのアクションが必要になるので、改善課題が見えたとしても、実行すること自体が難しい。
今回は、米国の老人ホームの事例を中心に、こうした対弱者向けの社会サービスで、サービスの品質の向上と、顧客満足の追求をどのように進めるべきか、考えてみたい。
一。米国の老人ホームサービスの特徴
筆者がインタビューしたのは、American Association of Homes and Services for Aging という業界団体である。加盟メンバーは全米五〇〇の老人ホームであり、団体のみが加盟者となっていて、三〇年の歴史をもっている。この上部団体として、International Associationがあり、これは三十一ヵ国のネットワーク組織になっているということであった。米国の老人ホーム(ナーシングホームという)は許可制で、しかも、各省庁のいろいろな規制があったり、技術基準が要求されている。筆者がインタビューできたのは、このナーシングホームの協会レベルで把握していることのみであって、各ホームが独自に行っている活動の詳細まではインタービューできていない点は、あらかじめお断りしておきたい。
さて、サービス変数の向上と顧客満足の追求という意味での活動は、二段階で進められてきた。第一段階は、クリニカルインディケーターの導入であり、第二段階はクオリティオブライフの追求である。
〈クリニカルインディケーターの導入〉
老人ホームのサービス(主に技術的な視点からの項目が多い)基準を導入する制度は八七年に法律で決められた。これは standardized clinical assessmentという調査を行って、各施設のサービス機能のレベルを一定の指標でチェックし、データベース化してベンチマーキングしよう、という考え方である。
連邦政府が中心になってデータベースをつくっていて、このための各施設の評価の作業と、データベースへのインプットが、九〇年代に入って本格的にスタートした。今年六月からは、コンピュータにこのデータが入力され、アクセスがしやすくなっている。
導入当初は、このような指標がどこまで役に立つのか、疑問視する向きもあったそうである。が、当初の予想以上に速くこの制度は浸透し、いまや米国内だけでなく、二〇ヵ国でこのインディケーターが評価指標として使われているということである。
〈クオリティオブライフの追求〉
クリニカルインディケーターは、専門家が老人ホームの品質を確保するうえで重要だと思う指標を使って客観的な測定でチェックする、という手法であった。それに対して、最近始まったクオリティオブライフの追求という活動は、むしろ、入居者の主観的な満足度を向上させていこう、というサービス指向の活動である。
内容的には、設備や施設のハード面よりも、ソフト面、あるいは運営の円滑さなどを重視する手法である。具体的には、入居者のサーベイを行い、その結果を業務改革に反映していく。
米国では、クリニカルインディケーターとクオリティオブライフの追求、という二つのテーマを車の両輪として、いわば物質面とサービス面の両方で、老人ホームの品質を相互比較して、改善機会を発掘し、各ホームの経営改革につなげていく、という流れが確立できてきている。
二。入居者満足度の測定手法
老人ホームの入居者のクオリティオブライフはどうすれば測定できるのであろうか。従来から、このテーマは、テーマとしてはあったが、入居者があまり話さないだろうとか、認知能力がない人が全体の五〜一〇%もいるというようなことで、個々のホームにおいても、あえて入居者についてコメントを聞くということはあまりしていなかった。入居者側も、いつも世話になっているホームの職員や経営者に不満をいって、あとで悪く思われるリスクを考えて、しゃべりたがらなかったそうである。ところが、最近になって、入居者サーベイの手法をこの協会が開発して、全米十州の三十四ヵ所でトライアルの質問調査を始めた。本稿では、ここからわかってきたことをご報告する。米国においても、まだ試行し始めたばかりで、立派な改革活動につながっているわけではない。が、システマチックな質問調査を行えば、かなりの精度で満足度の把握ができる。
〈入居者満足度調査のやり方〉
このやり方は、四十二の行動様式についての質問表に基づくインタビュー調査である。インタビューをする人は第三者であって、老人ホームの職員が係わることはない。単に、アンケートを書かせるというわけではなく、入居者に直接、対面して聞き取り調査を行い、もちろん、結果は匿名扱いになる。質問項目は短いものが中心で、主に、安全面、治安面、食事、プライバシー、自分がやりたいことが自由にできるかという選択の自由、さらに尊厳(尊敬の念をもって扱われているかどうか、という主観的な感覚)、といったサービス品質が調査項目にあげられている。
〈調査結果から判明したこと〉
実際に調査をやってみて、いくつかの発見があった。第一の発見は、高級老人ホームほど、意外にも満足度が低いということである。高級老人ホームでは、部屋は個室であるし、ヘルパーも老人を敬い、お客さま扱いをする。これは一見、良いサービスのようであるが、老人からすると、すごす時間の大半はきれいな個室のなかで独りぼっちだし、ヘルパーと世間話をしたりといった、気の置けない対等なつき合いもできない。そのため、孤独感に強くさいなまれることになる。それほど高級ではないホームでは、介護の人も老人に軽口をたたいたり、友人的な接し方をしたり、といった裸のおつき合いができる。それに比べて、高級ホームは、慇懃無礼な接し方になりがちで、老人に孤独感を高じさせてしまうのである。
第二の発見は、当初、専門家が予想していたことに反して、入居者は質問に対してオープンに、はっきりと自分の意見を述べることができる、ということである。なかなか答えたがらないという予想は、大きく裏切られた。
第三の発見は、このような調査をすること自体を、入居者は大歓迎するということである。
〈調査の実施体制〉
この調査の設計は、カリフォルニアの調査会社に委託してなされた。カリフォルニアの三ヵ所でプリテストを行い、老人の気持ちを傷つけるような言葉がないかどうかなど、事前に文章のチェックを行っている。
ホーム一ヵ所当たり、一回の調査に要する費用は五千ドル〜七千ドルである。データはいったん取り始めると、継続的に取り続ける必要があり、協会では「十年間やり続けると、何か大きなことが見え始めてくるに違いない」という立場にたって、長期的なスパンでこの調査を考えているそうである。調査の周期は、長期入居者には二年に一回ぐらいが妥当である、と考えている。調査をした結果をどのように活用するかについては、まだ体系的にはデザインされていない。いまは、各ホームで改善点を見いだしたら、それは経営サイドで反映するという程度の状況である。
〈なぜ老人ホームの改革が始まったのか〉
そもそも、なぜクリニカルインディケーターを導入したり、この調査を行ったりしたのかというと、その背景には、老人ホームを取り巻く経営の厳しさがあった。活動が始まった背景を列挙すると、次のとおりである。
1.需給関係が逆転し、入居者獲得のための競争が始まった、ということ。三、四年前までは、ウエィティングリストで、入居者が待っていたが、いまは誰でもすぐ入れるような状態になり、ホーム間の競争が始まっている。
2.入居者の教育水準が上がって、サービスのメニューにも、選択の自由を要求するようになり、また期待水準が上がってきた、ということ。これに対応してサービスの品質をあげるとともに、安く効率よく、その要求に応える手法を開発する必要が生じてきている。
3.医療保険の財政危機を反映して、保険金を支払っているペイヤーがホームを厳しく評価するようになった、ということ。そのホームのパフォーマンスが高いということが実証されないと、入居者を取れないという問題があるそうである。
4.病院などでTQM(トータル・クォリティ・マネジメント)や顧客満足度の追求といったような活動が盛んになり始めた、ということ。このことに限らず、病院の改革は、五年から十年の時差で老人ホームにも転移してくるということが、かねてから言われている。そこで、病院の動きを先取りして、協会がこうした調査を始めたということである。
5.保険制度の自由化で、より自由に、より民間的に、そしてより個人主義的に、医療福祉サービスを国民が選ぶようになった、ということ。価格もサービスもかなり自由化され、これにともなって、従来規制でがんじがらめであったホームのサービス内容にも、自由度が増してきている。
三。今後の手法の向上にむけて
まだ試験的な調査を始めたばかりだが、関係者の問題意識は非常に高かった。顧客は誰かということについては、ホームの顧客とは入居者だけでなく、その家族、職員(プロバイダーという)を含めて考えたいというのが、今後の抱負の第一にあげられていた。顧客の定義になぜ家族も含めるのか。それは、入居者の家族が入居者は幸せであると考えるかどうかということまで、実は、ケアする必要があるからである。料金を払っているのは家族、という場合もあるし、また、家族が幸せであるということを、入居者が確認できていないと入居者の満足度も下がるという問題もある。したがって、家族が面会しやすいとか、あるいは、入居者は満足して入るのに、家族がこんなサービスではかわいそうだと思ったりしている、というような要素があると、そのこと自体が問題になる。家族に対する、ホームのサービス内容の伝達の仕方とか、入居者の満足度の状況の連絡などをどうするか、大きな課題となってくる。
職員(プロバイダー)の満足度を高めるという着眼点も実は重要、ということである。入居者に対する直接的な介護サービス(ダイレクトケア)の約七割は、プロバイダ−の手を直接介して行われる。しかも、これは四六時中、目を離せない作業で、二十四時間、三百六十五日、プロバイダーが交替しながら、どれだけ高いモラールを維持できるかということが、サービスの大きな要素を構成する。とりわけ重要なのは、ナースエイドの仕事で、これはハードワークな割には給料は高くなく、老人ホームの組織内での地位も高くない。しかし、彼らが不満をもつと、入居者に直接接しているだけに、入居者が不愉快な思いをして、その満足度が下がるという悪循環を招く。
この話を聞いて、筆者はディズニーランドの顧客サービス向上活動の例を思い出した。ディズニーランドでは、顧客の満足度の測定もさることながら、ホストと呼ばれる園内のスタッフのモラールや満足度に対しても、たいへんな気を使っている。帰属意識を高めるために、サービスの改善提案をした職員はしょっちゅう表彰したり、ニュースレターで名前と写真入りでほめたりしている。金銭的な報酬はよりもむしろ、精神的な形でその努力をほめる( recognitionという)ために、いろいろと工夫している。彼らのモラールが高いと入園者もハッピーなはず、という方程式がこの裏にはあって、直接、入園者の満足度サーベイにエネルギーを使うよりも、職員の満足度(エンプロイイーズ・サティスファクション)を高めることが、サービス向上の近道と考えている。
老人ホームでも、このような考え方が使えるのではないか、と筆者は考える。
さて、このサーベイが協会レベルの活動としてどのような広がりをもってくるか、ということについて、担当者とブレーンストーミングをした。その結果を、最後に、ご報告しておこう。
この老人ホームのケースに限らず、米国のTQMあるいは顧客満足度の追求活動は、必ずまず顧客の声を直接聞くという、ファクトファインディングからスタートする。この老人ホームの場合も、まさにこのパターンを踏襲しているわけだが、次に彼らが考えているのはデータベースの構築である。そして、そのデータベースができてくると、サービス基準をつくって、それを達成しているかしていないかということで、法人ホームの評価やレーティングにつなげていく、という考え方がある。個々の老人ホームが独自に調査をやるというよりも、こうした統一手法で入居者調査をやることによって、手法のレベルも上がるし、出てきたデータの量も質も向上してくる。データベースの構築も速く、大量にできるし、その結果、かなり精度の高いサービス基準が生まれてくるに違いない。
米国では一般に、こうした業界団体のリーダーシップはあまり発揮されないものである。だが、五千の施設がばらばらに調査をやっていったのでは効率が悪い、このような分野では、業界団体が果たす役割は大きいということである。
また、こうしたサービス基準をつくるうえでの今後の課題は、職員(プロバイダー)がどこまで参画できるか、ということにもかかっているようにも思われる。質問項目の設計やサービス基準の策定のときに、プロバイダーが参画すると、参画意識も高まるし、また消費者調査の専門家や経営者が気がつかないような視点からの、きめ細かい質問の項目や手法が出てくるに違いない。満足度調査をする段階からプロバイダーが参画することによって、サービス向上がうながされるし、そのスピードも早まるに違いない。病院のケースなどでは、看護婦の協会(個人が集まってプロフェッショナルの集団として機能している)がまさに病院の評価活動を最初に言い始めた歴史がある。今後の、老人ホームの問題に関しても、経営者や協会だけではなく、介護をしている実際の職員の集団がこれを主体的に進めることによって、さらなる発展が考えられるのではないだろうか。
従来から取り組んでいるクリニカルサーベイというのは、医師などの専門家が果たす役割が大きい。だが、このクオリティオブライフの側面になってくると、看護婦やプロバイダーが実際のサービスの担い手でもあるし、老人が本音を明かして甘えられる相手もこのプロバイダーである。その意味でも、こうした調査をするときに、この現場のプロバイダーをどのように巻き込むかということは、ディズニーランドの例を見るまでもなく、今後の大きな課題ではないだろうか。
(※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)