時事通信社「地方行政」掲載前草稿

連載:行政サービスにマーケティング手法の導入を
第八回 『 行政バリュー改革のすすめ』

上山信一
(マッキンゼー日本支社パートナー 行政経営フォーラム主宰)

はじめに

 今回の連載では、第一回から第五回までは、米国の事例を中心に行政にマーケティング手法がどのように取り入れられているかをご紹介した。さらに、第七回(前回)、第六回(前々回)は、国内の事例を中心に民間企業のマーケティング手法についてご説明をした。今回と次回は、全体のまとめとして、具体的にこれから、日本の行政にどのようにマーケティング手法を取り入れていったらよいのかを提言したい。

 ここで改めて、何のためにこれをやるのかを確認しておきたい。目的は「バリュー・フォー・マネー」の向上にある。つまり、より良い行政サービスをより効率的に(より安く)提供するところに、この目的はある。そこで私は、行政にマーケティング手法を入れることは、行政のバリューを改革することに等しいと考えた。以下では、「行政バリュー改革」の手法と銘打って、行政にマーケティング手法を取り入れていくための具体的な方法論を述べる。

一。「行政バリュー改革」の四つのステップ

 米国の事例および民間企業のマーケティング手法に共通する作業ステップは次の四つである。

 1.顧客の定義:誰が重要な顧客であるかを明確に定義する

 2.実態分析:顧客にとって何が重要で、現在何に満足し、また何に対して不満なのかを、きちんと分析する

 3.改善活動:実態分析から得たお客のニーズと現実とのギャップをいかにして埋めるかを工夫し、実際にアクションを起こす

 4.コミュニケーション:改善をやっているということおよびその結果を積極的に顧客に対して伝えて、信頼関係の維持の努力をする

 これまでの行政が、以上の四つのステップを明確に意識してやっていたかというと、かなりの疑問がある。従来型の行政とここで提唱する新しい手法のどこが違うかを、まず考えてみたい(図1を参照)。

〈顧客の定義〉

 図1に沿って説明する。まず第一に顧客の定義である。従来型の行政では、抽象概念としての国民、あるいは住民にとって何がベストかを観念的に考えて、政策立案することが多かった。また、「全国あまねくすべての国民に(自治体の場合は域内のすべての住民)に対して平等のサービスを保障する」という発想が強く、ややもすれば悪平等のきらいがあった。その一方で、直接に住民ニーズを聞くよりも、議員からの陳情などの個別ニーズに対しては妙に反応がよい、といったようなアンバランスもあった。

 これに対して、「行政バリュー改革」の手法では、まず顧客の定義をきっちりとする。サービス分野別に顧客の定義をはっきりさせる。さらに、顧客のなかにもタイプがいろいろいるので、そのタイプ別に分けて、サービスを再設計する。例えば、スミソニアン研究機構の場合は、一般ビジターと固定客である特別会員の扱いを明確に分けている。

 さらに、サービス向上のためには、顧客の定義をはっきりさせるだけではなく、パートナー(業務上の協力者)や職員のニーズを把握するということも、当初の段階で検討される。老人介護などのサービス業の場合、職員が現状に不満を抱いていると、老人に対して冷たく当たるといったようなことが実際に起こるからである。

 このように、行政サービスの顧客の定義をきっちりやるのはなかなか簡単ではない。従来からあった抽象概念としての国民、あるいは住民という枠を一歩踏み出して、個別の定義を行うのにはかなりの工夫が必要になるが、ここがまず第一歩として重要である。

〈実態分析〉

 実態分析についても、従来の行政はあまり工夫をしていない。よく「市民のニーズ調査をやっています」ということで、分厚いレポートが発行されたりしているが、不特定多数者に対して、行政サービス全般について全般的な印象を聞いているようなものが多い。例えば、「我が市は緑の保全に努力していると思いますか」というような一般的な質問のアンケートを、老若男女を問わず一般市民の多数に発して回答してもらうといったものが多い。

 何が問題なのか。この種のアンケートをする場合、企業であれば、徹底した事前調査をして何をどう具体的に変えるのか、という改善策についての仮説を必ず立ててから臨む。それに比べると、行政の場合は、とりあえずまずニーズを聞いてみよう、という「とりあえず主義」が蔓延していて、何をどうしたいのかという意図もないままに、漫然と調査をする場合が多い。その結果、「五割の市民が今後の更なる改善を求めると答えた」「二割の市民が満足、また二割の市民が不満」といった、一般的な結果を得るのみに終わりがちである。これでは、いったい何のために調査をしたのかわからない。この手の調査レポートづくりは、まったくの税金の無駄使いである。

 これに比べて、行政バリュー改革の場合は、調査をする以前に、どこにそもそもの改善課題があるのかをじっくりと下調べをしてから臨む。アンケートの対象数は五十や百でも、十分それなりの成果が得られるし、米国の例を見ると、せいぜい千から四千ぐらいのサンプル数があれば、全米全国民のタイプ別ニーズもカバーできる、ということが実証されている。しっかりとした仮説を立てて、事前のカスタマー・フォーカス・グループインタビューをやったうえで臨めば、シンプルな調査ですむ。なお、カスタマー・フォーカス・グループインタビューとは、例えば、道路行政の場合、プロのドライバーやサンデードライバーなど、タイプ別に十人程度集まってもらって、道路行政の何が重要か、また何に対して不満を抱いているか、といったようなディスカッションを行うものである。

〈改善活動〉

 多くの場合、実態分析の品質が低いと、改善活動のレベルも低いものにとどまる。苦情らしきものが何件かあったから、これに関しては今後気をつけようとか、より市民に対して顔の見える行政サービスをしようとか、具体的に何をやればよいのかわからないようなスローガンの形で、話が終わってしまったりする。あるいは、本格的に取り組もうと決めた場合には、建物の建設や機構改革にいきなり走るといった、極端なケースも多い。現場の行政マンの問題意識を駆り立て、少しずつ自問自答させ、励ましながら、より高いレベルに発想をどんどん引き上げていくノウハウが求められる。

 行政バリュー改革の改善活動では、実践活動(QCサークル)の手法を使う。これは、現場の第一線の職員が自ら継続的に改善成果を測定し、達成感を抱きながらより高い目標に順次チャレンジしていく手法で、民間企業では、極めて大きな成果をあげてきた。先進的なチームを表彰したり成績をランキング表にして公表したり、といったような動機づけも工夫しながら、何年もずっと活動を続けていく。

〈コミュニケーション〉

 従来から、行政は広報告知をしたり、苦情処理程度はやっていた。だが、行政バリュー改革をやっていくうえでは、改善運動そのものを市民に対して積極的に伝えていく、さまざまな活動が必要となる。例えば、ニューヨークの交通局の例で紹介したように、新型バスの導入に対してどの車種がよいか、といったようなことを市民を交えてワークショップを開いて検討したりする。このようにして、単なる利用実態調査の域を超えて、顧客満足度(CS)そのものを調査するといった活動を行うのである。苦情がくる前に、問題意識が高そうな人たち、団体のところに事前に説明に行く「出前講義」といったような手法も、最近は出てきている。

二。行政バリュー改革の具体手法

 さて、いよいよ行政バリュー改革の手法について考えていく。具体的には、図1にある矢羽の流れ、すなわち「1.顧客の定義」「2.実態分析」「3.改善活動」「4.対住民コミュニケーション」という、四つの段取りに従って説明する。

〈1.顧客の定義〉

 図2は、米国運輸省の高速道路局が「顧客(カスタマー)」と「協力者(パートナー)」に対して、こういう形で仕事をしていきたいという経営の方針に関しての約束を掲載している、パンフレットの抜粋の邦訳文である。税金をもらっている対価として、自分たちはこういう使命を帯びているのだということを、顧客に対してはっきり言明している。

 左側は、顧客に対する約束を五つ並べてある。これを見るとわかるように、顧客の定義は極めて幅が広く、その顧客が抱く懸念事項一つ一つに答える形の約束になっている。例えば、一番上は意思決定への参画の権利を保証し、二番目は工事のスピードに対する不安への手だてである。三番目は安全への配慮、四番目は環境保全への配慮、五番目は情報公開の約束とそのスピードである。これを見ると、顧客とは単に道路の利用者や近隣住民だけでない、ということがわかる。道路行政の影響を受ける人たちを幅広く、顧客と定義しているのである。

 右側は、協力者に対する約束を整理したものである。ここで想定している協力者も幅が広い。財政的なつながりをもつ地方自治体はもとより、道路を生活の糧にしている運送業者の人たちも、協力者と捉えている。 このように、そもそも組織の使命そのものを考える時には、自分にとっての顧客は誰で、協力者は誰で、それぞれに対して何をどう約束するのか、というところから考えを出発させる。

 さて、顧客のさまざまなニーズに対して、どのように対応すればよいのか。図3は、スミソニアン研究機構が顧客およびパートナーの各セグメントをどのように定義し、またそれぞれに対するサービスの内容をどのように差別化しているか、を整理したものである。顧客のなかでも、一般ビジターと特別会員とでは扱いが違うし、寄付金を払ってくれるコントリビューティングメンバーに関しては、寄付の金額によって特典がはっきりと違う。

 「パートナー(協力者)」としては、政府とボランティアとの二つがあげられる。政府は資金の提供者としてのパートナー、ボランティアは労務の提供者としてのパートナーである。それぞれ資金や労務の対価として、何を提供すればよいのかということが、はっきりと定義されている。

 また、職員のニーズや満足度についても系統的に調査している。これは、評価部門のスタッフが定期的に職員のニーズや不満をヒアリングし、機関としてのスミソニアン研究機構が職員に対してどういうサービス改善ができるかを調べる(ただし、こうした調査は、スミソニアン独自の工夫ではない。連邦政府の機関では、どこでもやるようにルールが定められている)。

〈2.実態分析〉

 行政サービスの実態分析の方法は、大きく分けると三つある。第一は、プロの専門家が施設の良し悪しの決め手となる重要項目のレベルをチェックし評価する、という方法。この代表的な例は、いわゆる「クリニカルインディケーター」である。これは、病院や老人ホームの清潔度や機器の整備状況を客観的に評価する。以前述べたニューヨークの地下鉄の場合の「パッセンジャー・エンバイロメント・サーベイ」はこれにあたる。地下鉄の場合は、主に車両と駅について、全部で五十項目にわたる調査を三ヵ月ごとにプロの職員が行う(図4の上段参照)。

 第二の手法は、利用者側がどのような形でその施設を使い、あるいはむしろ他の施設に流れてしまうか、ということを調査する「動態調査」である。以前にも述べたが、ニューヨーク州交通局の場合は、「トランスポーテーション・パネル・サーベイ」といわれる動態調査を三ヵ月ごとに、一回千五百人のボランティアを動員して行っている(図4の下段参照)。

 第三の手法は、実際に利用したお客の満足度の調査である。ここには、顧客の好き嫌いや主観的な要素も入るが、「お客様は神様」という発想に立って、ともかく満足度を率直に聞いてみる。顧客は気まぐれなので、この満足度調査は、たまに一回やったくらいではよくわからない。だが、継続的に定点観測を行うと意味が出てくる。我々の身の回りにあってよく似たものが、新聞社が行う内閣の支持率調査である。あれは、国民の内閣に対する満足度の定点観測だ。これも内閣発足時からの推移や、全内閣の数字の上がり下がりのパターンと比べてみて、初めて解釈の余地が出てくるのはご存じの通りである。

 ニューヨーク州交通局の場合は、先ほどの第二番目の手法で触れた、トランスポーテーション・パネル・サーベイに参加した人たちに対する電話インタビューで〇〜一〇までの十一段階の満足度を聞く。

 以上、三つの手法を紹介した。前回、紹介したマクドナルドの実態分析手法も、実はこの三つの切り口をカバーしている。店舗の清潔度や接客のスピードなどを、専門のアドバイザーがチェックする調査が年に一回。直接の利用者の満足度を調査するのが年に二回。そして、マクドナルドに来ないという顧客も含めた、一般市民の外食産業の利用動態調査を年に四回行っている。ここで述べた、第一の手法から第三の手法にぴったり対応する。

 さて、誰がどのように調査分析作業をするのか。第一の手法は、素人の手に委ねるのは困難である。プロがプロを評価して初めて、厳しいチェックができる。動態調査と満足度調査は、プロが素人である利用者に聞くしかない。それぞれの調査手法が、どんな課題に対応しているかを考えてみたい(図5)。

 ここでは、地下鉄の例を取ってみる。行政サービスのバリューを三つに分けて整理する。まず、図中下段の「コアバリュー」というのは、地下鉄でいえば、安全とかスピードといった基本的な品質をめぐる価値のことである。図中中段の「サブバリュー」というのは、コアバリューの対価として支払う運賃の妥当性や感じが良いとか親切であるとか、といった付加的なサービスのことをいう。このサブバリューがないからといって、コアバリューが大きく損なわれるというものではない。三つ目の要素は図中上段の「イメージ」である。これは、好感をもつかどうか、バスやタクシーなどと比べて選択するにあたって相対的に優位性があるかどうか、といった評価である。

 さて、地下鉄サービスの「バリュー」がこの三つの要素から成り立つとして、それぞれの正しい「価値」を誰が評価するべきか。ニューヨークの地下鉄のケースは、理想的な役割分担になっているので、さらに見てみよう。図5の濃淡は、当事者、プロの第三者、素人の利用者の三タイプの評価者がそれぞれ、どこで価値評価の担い手になりうるかを表わしている。真っ黒く塗っているところがその分野の評価の第一人者(価値評価の中心の担い手)であり、薄く塗ってあるのはそれに次ぐ評価者(価値評価の補完的担い手)ということを示す。

 この図のように、コアバリューとサブバリューに関しては、プロの第三者が最も正しい評価ができる。ただ、当事者や素人の利用者もそれなりの評価はできるので、これも聞いている。当事者については、自己評価がまず初めにあるべきで、そういう意味ではプロの第三者が当事者がやる自己点検を側面からチェックしている。一方、イメージの問題に関しては、プロはかえって適任ではない。これは何よりも印象の問題であり、素人の利用者に実態を聞くしかない。

 このように、行政バリューを評価するといっても、どの要素を評価するかによって、適切な評価者は異なる。単に利用者にアンケートをばらまいて総花的な質問をするというのでは、妥当なバリュー改革につながらないのは言うまでもない。

 さて、それぞれのタイプの実態調査については、どのように調査項目を洗い出すのだろうか。重要なことは、あくまでお客の視点に立つということと、具体的に何をどう改善すれば成果があがるのかを洗い出すための評価に設計するということ、の二点である。図6は、ある鉄道会社のCS調査の項目が、通勤客が実際に経験するその会社のサービスの流れ(「カスタマー・エクスペリエンス」という)との接点をうまくカバーしている、ということを物語る図である。

 乗客との接点は、実は電車に乗る前から始まる。バスや自家用車など他の交通手段ではなく電車を選ぶ、という考えを思いめぐらすところから「カスタマー・エクスペリエンス」は始まる。乗ろうと決めた後は、切符の購入。ここでまず時間を取られる。そして、改札で印象がかなり決まる。駅やホームにたどり着くと、そこでも乗客はいろいろなチェックをする。忘れてはいけないのが精算である。乗り越しの処理に十分もかかった、といったようなことではサービス度はガタンと落ちる。このように、評価項目は顧客の体験の流れに沿って整理すると、抜けがなくわかりやすい。

 この例の場合などは、それぞれのステップで乗客との接点を司る部門が割合、わかりやすい。一番左の「交通手段の選択」は広報部門やマーケティング部門の仕事だし、「切符購入」や「改札」「駅・ホーム」は言うまでもなく駅務。「乗車」は車両運行部門や車掌の仕事。「精算」はまた駅の仕事である。必ずしもこの流れに沿ってCSのアンケートをするわけではないが、出てきた結果のフィードバックはこのように各接点の担当部門に分けると、改善につなげやすい。

 さて、CS調査でもう一つ重要なのは、お客にとって特に重要な項目は何かを知ること、そしてそれぞれの満足度を見ることである。以前にご紹介した、コミュニティーセンターの顧客満足分析の場合(図7)では、調査項目は十七個にしぼっている。総じて、インタビューで聞く項目は二十を超えないほうがよく、十個ぐらいが理想的である。利用者のほうも忙しい。あまり詳しい調査は嫌がられる。

〈3.改善活動〉

 実態分析で重要顧客が必要とするニーズがはっきりとわかれば、あとはサービス改善を行うのみである。以前にも述べたが、改善活動のレベルには三つの段階がある。レベル1では、それぞれのサービスの担い手である現場の各部署に、直接情報をフィードバックし、悪い点を正すように現場の活動を促す。レベル2になると、業務プロセスそのものを変えるといった工夫に入っていく。このレベルを先ほどの鉄道の場合で見てみよう(図8)。駅の案内サインをわかりやすくしたり、あるいは、エスカレーターを増設するような投資も、これに含まれる。

 さてレベル3というと、どうなるのか。これは、運営レベルの話ではなく、この会社の場合、経営体制そのものの改革に係わるものになる。例えば、駅のサービスや効率がどうしても向上されないならば、思い切って地元のバス会社に丸ごと委託してしまう、あるいは、いったん全員解雇して、必要な人だけ別会社の形で再雇用する、といったような大胆な改革を意味する。

 サービス改善のチェック項目は、「カスタマー・エクスペリエンス」を横軸に、そしてサービスの接点を縦軸に、リストアップするのが一番である。図9は、聖マリアンヌ医科大学のサービス改善の工夫を、患者と病院との接点別に並べたものである。どこがよそと違うかということをわかりやすく整理するには、このような一覧表が最もインパクトがある。また、現場の各部門に対して、何をどう変えるかということをわかりやすく説明するには、だらだらと長い文章ではなくて、このような表が効果的である。そもそも「接点」という考え方そのものが顧客指向であり、接点の担い手としての職員に対して問題点喚起するうえでは、このような表が役に立つ。

〈4.住民に対するコミュニケーション〉

 行政に対する不満のかなり多くの部分は、そもそも行政機関が何をやっているかの説明がないため、あるいはせっかくサービス改善をしているのに市民にまだ理解されていないことで生じる誤解に由来する。民間企業だと、積極的に物やサービスを売り込みにいく。商品サービスの紹介のなかで、当然、その商品やサービスのバリューの説明が求められる。営業マンはいるのだし、販売店の人もいろいろ説明する。テレビCMをやったり、あるいは物を買ったお客さんが気に入ってくれて別のお客さんを連れてきてくれたり、といった発展性が見られる。これに比べると、行政サービスはもともと、構造的にコミュニケーション下手が運命づけられている。

 なぜかというと、第一には、そもそも対住民コミュニケーションなどしなくても倒産しない。サービスのコミュニケーションをしなかったからといって、税金を払わないとかまけろという人はいない。第二に、競合がいない。積極的にコミュニケーションしなくてもお客を失うことがない。行政にコマーシャルはいらないわけである。第三に、これは日本の特徴だが、官尊民卑の伝統があって、なぜか行政のほうが偉い。民間のほうが頭を下げて役所に足を運び、いろいろと教えていただく、という慣行がいまだに消えない。行政のほうから頭を下げて住民に説明して歩くといった発想が、自然には出てこない。こうしてみると、行政機関には「対住民コミュニケーション」という遺伝子そのものが欠落している、といえるのではないか。

 だが、行政バリュー改革がその真価を発揮するためには、この三つの障害を乗り越えて、積極的に住民に対して啓蒙、コミュニケーション活動をしていかなければならない。行政のあり方について、日頃から心配をしているような住民はめったにいない。行政サービスの問題は、人びとの日常生活の関心事のなかには入ってこない。入ってきた時には、もう苦情を持ち込む、という段階に至ってしまっている場合が多い。残念ながら、人びとが行政サービスについて思い至った時は、すでにマイナスの印象で満ち満ちてしまっている。こうした状況を打破するには、一にも二にも積極的にコミュニケーションを仕掛けていくしかない。まずあらかじめ、行政がどんなサービスを誰に向けてしているのかという情報を提供する。さらに利用者の満足度をこまめに調査し、そして新しい施策を立てる時には、住民を巻き込みながら(特には、うるさ型の人の参画を得ながら)、政策立案をしていくといった、まさに企業並みのマーケティングが必要となる。

 このような考え方を整理したのが図10である。左端から見ていく。まず情報提供だが、単なる「広報」では足りない。博物館のファンクラブを組織化してニュースレターを定期的に出したり、といった個別サービスごとの「啓蒙」活動が必要になる。真ん中に移ると、これはニーズの吸い上げである。これも、単なる「実態調査」ではだめで「CS調査」をする。顧客の主観的な満足度も掘り下げて定点観測する。さらに、右に移る。「苦情処理」になってからでは遅すぎ、新しい施策を立てる以前に、市民を巻き込んで施策策定への参画を促す、という「パブリック・インボルブメント」のアプローチが必要になる。

 考えてみれば、この図の上段は、どちらかというと基本的なメニューで、多くの自治体もそれなりにすでに行っていることであろう。どちらかというとマス向けで、受け身というか、最低レベルのコミュニケーションである。ところが、下段になると、まだあまり手がついていないのではないだろうか。こちらは、より積極的で特定セグメント向けにコミュニケーションを工夫する。手法として最も先進的なのは、右下の「パブリック・インボルブメント」である。これはかつては、「シチズン・パーティシペーション」といわれた手法である。市民も政策立案に参加するべしというニュアンスで、市民運動や街づくりのワークショップなどが盛んな時期に生まれた考え方である。近年では、新しい規制や公共事業のプロジェクトなどの計画段階から市民の参画を得るという趣旨で、行政側がより積極的にパブリック(公衆)のインボルブメント(巻き込み)を促す方向に中身も変化した。これにともなって、米国などでは、最近はシチズン・パーティシペーションという言葉よりも「パブリック・インボルブメント」という言葉が使われるようになっている。

 さて、図10の下段にあげたような積極的な対住民コミュニケーションの活動は、行政マンが直接に市民とコミュニケートすることを迫る。「啓蒙」は例えば、水道局や博物館の職員が市民の前に出て行って、自分の言葉で行政サービスを語る。「CS調査」も、行政マンが自らアンケート用紙を持って、一人ひとりの住民に対してインタビューをする。パブリック・インボルブメントでは、行政マンが住民と直接ブレーンストーミングをする。

 住民と行政マンの間には、選挙で選ばれた首長と議員がいる。首長と議員さえしっかりしていれば、民意は十分に反映されるはずというのが制度上の建前である。だが、行政サービスが複雑化し、また首長と議会の処理能力がパンクするにいたって、それ以外に、直接に住民と行政が対話するというパイプがますます必要になっていく。これは、理論上のことだけではない。すでにあちこちで、いわゆる出前講義(出前トーク)が始まっている(図11を参照)。

 例えば、北九州市や北海道のニセコ町、三重県などは、幹部の職員が地域の町内会などの集まりに出かけて行って、市や町の施策を説明し、同時に市民の意見を収集する。トークのテーマはその時々の重点施策で、その場で答えられなかったことに対しても、後日必ず返答している。これまでの事例では、ごみの分別収集の導入や保険福祉政策の見直し、高齢化対策などのテーマについて語る。すでに何百回もの討議を行っている。

 トークに出かけて行くのはその部門の管理職だけではない。自分の担当部門以外のことについても、出かけていって市を代表して説明する。これによって、管理職の職員としての自覚は高まるし、また市民の側の評判もすこぶるよい。北九州の場合は、九五%の参加者が「今後も続けてほしい」と回答し、また管理職の九割が「また行ってもよい」と答えている。このように、直接市民と管理職が対話してみれば、そこには極めて人間的な対話が成り立つ。市役所という冷たい組織と住民という抽象的な存在を単に形式的に対峙させて政策を議論するよりも、実際にこのような活動を繰り広げていくなかから、本当のコミュニケーションのポイントがより鮮明に出てくるはずである。

 また、こうした動きは単なる「啓蒙」の枠を超えて「直接民主主義」を育てていく萌芽になる。「官僚統制」はいけないが、まじめな公務員そして市民など、もはや議会と首長だけに任せておけない、と考えている。こうした双方の問題意識の高まりをうまく捕らえていけば、積極的な対住民コミュニケーションは進むだろう。唯一の障害は「総花主義」である。特定のテーマにしぼって関心のある人たちだけと対話を始めればよい。「すべてのテーマをすべての人に」知らせようとすると、とたんにエネルギーは失せる。自治体の広報誌は「総花主義」の極めつけであり、であるがゆえにつまらない。新しい手法は、従来、広報部任せで、しかも「総花主義」でやってきた文化を捨てて、各部門別に導入してほしい。

 (※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)