時事通信社「世界週報」掲載前草稿
『海外の行革・日本の行革 (下)』
上山信一
(マッキンゼー日本支社 パートナー)
●民間企業のノウハウの導入
前回では、主に米国と英国の自治体および中央政府の、行革の歴史のあらましを解説した。その改革の手法をまとめてみると、両国には共通点が多い。一言でいうと「民間企業の経営ノウハウを最大限行政に導入する仕掛け」といってよい。なぜ民間企業のノウハウが優るのか。カギとなるのは「競争原理」である。民間企業はすべからく競合企業との競争にさらされており、常に現状より高い目標を立て、そこに向けた前向きな努力を強いられる。そこに、プラン、ドゥ、チェック、アクションという目標管理のサイクル、そして厳しい業績評価が生まれる。また競争に勝てば、当然ながら利益が目に見えて増える。こうしたわかりやすいゲームで勝負をしているのが、民間企業の世界である。
民間企業のこのようなわかりやすい管理手法は、しかしながら、行政に直接導入できるものではない。まず第一に、行政機関にはほとんど競争がない。第二に、行政の目的は必ずしも利益ではなく、顧客という概念も茫漠としていて決め手にならない。また第三に、公務員制度は行政サービスへの政治介入を防ぐために安定継続性を重視しており、業績によって給与や昇進が左右されにくい仕組みになっている。さらにいえば、熱心に仕事をやってもそこそこにやっても、税金は必ず取れるわけで、「お客さまからお金をいただくために、ありとあらゆる工夫をする」という民間企業の切迫感にはどうしても及ばない。
このようなことから、いわゆる「休まず、遅れず、働かず」という「お役所仕事」が常態化する。バルザックの『役人の生理学』(ちくま文庫)には、一九世紀にもお役所仕事が横行していた様子が実にビビットに描かれている。洋の東西を問わず、昔から行政改革は頭の痛い問題だった。
●NPM理論に集大成
さて従来、多くの為政者が匙を投げてきたこの分野に敢然とチャレンジしたのがマーガレット・サッチャーとそのブレーンたちである。サッチャーは就任以後すぐに、大手スーパーのマークス・アンド・スペンサーの取締役であったレイナー卿をアドバイザーに雇い、どうすれば行政を民間経営できるかを研究させた。秘密裏に研究に研究を重ねて出てきたアイディアの一つが、政策部門と執行部門の分離という考え方である。これは、執行部門に関しては民間経営と同じような行政評価を導入すべきであり、また現場に一番近いところに判断の権限を委譲して、なるべくスピーディな環境対応ができるようにしよう、というねらいによるものである。
サッチャーの次のメージャー政権では、情報公開をテコにした競争原理が導入された。サッチャー政権では自治体監査委員会が設けられ、効率と成果の評価が始まっていた。メージャー政権では九二年以後、そのデータの公開が始まった。行政機関の間には競争はないものの、同一サービス項目に関して、自治体のサービスを評価しランクづけした。自分の自治体の悪いランキングが公表されると、首長や議員の選挙にも響く。プライドの高い行政マンも、ランキングには敏感だ。情報公開に評価を絡めると、疑似的な競争原理が導入できるわけである。
このようなサッチャー政権以来の試行錯誤や米国の自治体での実験がそれなりの成果を生みだした九〇年代以降、民間経営手法をテコとした行政改革の方法論が整理され始めた。これがNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)理論といわれるものである。わが国では、まだまだ詳しくは紹介されていないが、行革会議によるエージェンシー制や政策評価制度の提案は、これに沿ったものである。今後、わが国がさらに本格的な行革をやろうとするなら、英米の経験の集大成ともいえるNPM理論に学ぶ点が多いのではなかろうか。
●わが国の行政改革の現状
さて、以上述べてきたような視点から、わが国の行政改革の現状を最後に評価してみよう。過去二〇年間の英米の経験に照らすと、残念ながら日本の行革は「まだ何もやっていない」といわれても仕方がない状況にある。国も地方も、行革の中身は乏しい。どこの機関も、判を押したように「予算削減」「人員抑制」「機構改革」の、ワンパターンの三点セットの域を超えない。抽象論あるいは実験レベルでは、民間委託や行政評価が一部で導入されつつある。だが、行政の経営の根本に民間的な目標管理やTQMの手法を入れようという発想は、かけ声ばかりで実際のところはほとんど見当たらない。日本の行革を見ていてもう一つ気になるのが「縮み指向」である。税収が落ち込み、財政再建が必要だという議論は確かにわかる。だが、かといって財政再建のためだけに行政改革を論じるという考え方はおかしい。財政危機を凌ぐために行革をするという発想は果たして正しいのか。本来の行革とは「より安いコストでより良いサービスを提供する」はずではないか。民間企業の経営改革では、品質の向上とコストの削減に同時に着手して初めて、大胆な改革ができる。予算や人を削るだけで、サービスや現場の改善活動にはまったく手をつけないというのは改革の名には値しない。真の改革とは、現場の第一線の職員も含めて全員が、いままでのやり方を捨てて新しい発想で仕事をしたいという意欲に燃えている状況をいうのである。財政当局と行革当局だけが緊縮令を掲げて、人と予算と組織を削っている。現在の日本の行革は、本物の改革の名には値しない。
●欧米との比較で目立つこと
さらに、欧米との対比でいうと、日本のデモクラシーの浅さからくる構造的な問題も浮かび上がってくる。国から地方への権限委譲の議論にしても、本来は逆の発想から組み立て直すべきである。つまり、地元で市民団体あるいはボランティアで賄えないことがあって、初めて市町村の行政サービスが必要になる、と考える。そこでもできないことだけが県(これもいらないかも知れないが)や、そして国の仕事として提起されるべきである。現に英国などでは、国が一切関与しない行政分野がある。国がそもそも分担する行政領域が極めて狭い。地方政府でやっていることの全てに対応して国の省庁があるという日本の構造そのものを疑ってみるべきである。権限を委譲するとか、しないとかいう以前に、なぜ国と業務や権限のやり取りをしなければいけないのか、という根源的な問題提起がもっと地方側から具体的にされてもよい。欧米との対比で問題になる点の二番目は、行政サービスを民間移管するにしても、その受け皿となる民間企業、あるいはNPOがまだあまり育っていないという問題である。ごみ収集や給食サービスなどでは、一部専門業者が出てきている。が、彼らはまだまだ零細であるうえ、行政側も発注の仕方がうまくない。かくして儲けがまだ安定しにくく、やる気のある優秀な経営者の本格参入が遅れている。
そして三番目に問題なのは、市民側の問題意識の低さである。一部オンブズマンの活動などはあるにしても、税金を払っている対価として、行政に対して注文をつけていこうという「うるさい顧客」はまだあまりいない。顧客からのクレームに鍛えられて、企業は育つ。カリフォルニアでは、住民が納税拒否運動まで起こした。国の違い、歴史の差はあり、また米国型が必ずしもよいとはいえないが、日本の納税者はもっと権利意識を発揮すべきだろう。
●自治体への三つの期待
さてそれでは、よりよい行革をめざして何をするべきか。中央政府の改革に関しては、なかなか期待し難い。そもそも国レベルでやる必要のない業務をたくさんの人員でやっている各省庁(含む外郭団体)を、縦にしたり横にしたり、くっつけてみたりしても、あまり効果はないだろう。私はむしろ、市民サービスに近いところにある自治体の業務の改革に着目すべきだと考える。英米の歴史を見ても、イノベーティブなアイディアは必ず自治体から出てきている。こういう視点から考えると、日本の自治体、特に市町村の改革に期待したい。具体的には、三つある。第一は、行政評価制度を導入し、自治体行政サービスの通信簿を市民に対して公開し、そこからのフィードバックを得てサービス内容を改善していってほしい、ということである。
第二には、保健所や交通局、清掃局などの各現業部門において、顧客満足度調査やTQM活動を展開し、草の根の生産性向上、意識改革活動をやってほしい、ということである。こうした活動を指導できる人材は、民間企業のOBをはじめ、世の中にあふれている。ボランティアの力も借りれば、できることは多い。
三番目の課題は、公会計制度の見直しである。すでに一部で指摘されているように、日本の会計制度は現金主義であり、また単年度の収支バランスにのみ一喜一憂する仕組みになっている。外郭団体も含めた連結決算がされていないし、貸借対照表も作成されていない。本当に国と地方の財政が赤字かどうか、また債務超過で危険な状況にあるのかどうかすら把握できない。財政赤字が大変だと一言でいうが、国有財産の時価売却やリースバックなどの手段を考えれば、真に赤字で危険なのかどうかもわからないのである。そして、政府の経営能力を評価する際にも、公会計制度がまともなものでないと判断のしようがない。
一見かっこいい税や財政制度の抜本改革論やあるべき姿の構想は、もうたくさんだ。私は、以上のツールを市町村レベルで条例化し、地道な実践を通じた成功事例を見せることがむしろ先決だと考えている。そして、その先に、本格的な制度の見直しや国の役割や地方自治のあり方が見えてくると考える。
(※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)