メディア時評:団結促した米報道――社会守る姿勢貫く

読売新聞(2001.9.22)
上山信一

 

米国を襲ったテロからまもなく二週間。いつもは自己主張が強く譲らない米国人が、驚くほど他人にやさしくなった。強烈な悲しみをようやく癒(いや)し、テロと戦う、という心の準備ができてきたようだ。この変化にはメディアが大きな影響を与えているように思う。

 米国では、新聞もテレビもテロ報道一色である。歴史的事件で戦争の可能性もあるからだけではない。一般市民にとって危機はまだ消えていないからだ。

 国内にはテロリストがまだ潜んでいる。人々が弱気になれば、株の暴落や信用不安が起き、経済危機に陥る。被害は、失われた五千人を超える命や一時的な経済損失にとどまらない。米国はもとより民主主義社会が取り返しのつかない事態に陥る。メディアは、それこそテロリストの狙いだ――と警告する指導者たちの声を伝えている。

 米国メディアからは、人間の心を狙うテロリストの「メンタルアタック」から国民を守り、パニックや社会秩序の崩壊を防ぐという強い意志を感じる。

 事件当日、テレビのリポーターは、感情を抑えた態度で、テロリストの詳しい手口と被害の実態の即報に専念した。まず、国民にテロについての学習と心の準備を迫ったのだろう。涙ながらの遺族へのインタビューは一切なかった。CMは消えた。

 翌日のテレビでは、国民を勇気づける政治家の演説を延々と中継した。社説やキャスターのコメントも、「自由と民主主義への重大な挑戦であり、絶対に戦い抜かねばならない」という内容で一致していた。

 空港警備の甘さ、CIAや国務省の失態をなじる報道やコメントはほとんどない。大統領を支え、危機を乗り切るしかないという使命感に貫かれているかのようだった。

 経済記者や投資アドバイザーですら、「自由と民主主義を愛するならば、慌てて株を売ってはいけない」とまで言った。

 キャスターは、バッキンガムの衛兵が史上初めて米国国歌を演奏したという話、草の根レベルの市民の助け合いを丹念に伝える。テレビ各局は例外なくアメリカ・ユナイテッド=i国民一致団結)を呼びかける。

 確かに、米国内でも、戦争を始めたら泥沼化するとか、軍の出動の是非を問い直すべきだとの意見は一部にある。新聞、テレビもその見方を紹介している。だが、論調の多くは「当面は軍しか国民を守る術(すべ)がない。だから『戦争』というしかない。ベトナムやイラクへ軍を出動させた時とは違う」という内容が大勢を占める。

 日本の新聞やテレビは、「日本にとってもショック」という姿勢を脱しきれているだろうか。経済への悪影響、戦争への不安、日本の負担という不安を並べることにスペースを費やしている印象がある。「防毒マスクを買い漁(あさ)る米国市民」「スーパーでの食品の買いだめ騒ぎ」というのは針小棒大。人々がスーパーで買い漁っているのは犠牲者を弔う星条旗だけである。

 今回のテロは、日米両国とも、政府の手に余るタイプの危機だ。このような時、メディアは社会崩壊を防ぐことに力を注ぐべきだ。同時に、事件後に起きたイスラム系市民の迫害のような一部市民の過剰反応には常に明確にノーの立場を示す必要がある。日本のメディアは、国民の不安を煽(あお)ることがテロリストの思うつぼになるとの認識を持ってほしい。「メンタルアタック」の際には、メディアこそが社会の危機報道の鍵(かぎ)を握るという自覚を持ってほしい。

(うえやましんいち)